67話 北斗星の密室
了解です。では前作要素は除外して整理し直します。報道担当の「藤堂」で統一します。
⸻
タイトル
『北斗星の密室』
⸻
登場人物紹介(整理版)
玲
私立探偵。冷静沈着で論理的な推理力を持つ。事件現場での指揮や証拠分析を行い、犯人の心理戦も得意とする。
佐々木朱音
玲の助手。観察力と直感に優れる少女。スケッチブックに描く絵が事件解明の重要な手掛かりになる。
橘奈々(たちばな なな)
玲のパートナー兼情報分析担当。現場のデータや証言を整理し、論理的な推理を補助する。
御子柴理央
記録分析士。紙資料や電子データの異常・矛盾を見抜く能力に長け、事件の裏側を暴く。
九条凛
心理分析担当。被害者や容疑者の心理を読み解き、行動パターンや動機を推測する。
水無瀬透
現場動線追跡のスペシャリスト。靴底痕や微細な接触点、人の移動パターンから犯行のルートを特定する。
藤堂
報道スペシャリスト。事件の経緯や状況を正確かつ迅速に報道する役割を担う。
少年K
かつて人格操作実験の被験者。事件の中心に位置する存在で、最終的に殺人事件の真犯人として捕縛される。
谷村佳奈
少年Kを守ろうとした人物。過去の人格操作実験に深く関わる人物。
設楽健司
事件に巻き込まれたゲストの一人。事件の証言や過去の出来事が物語の鍵となる。
冒頭
2025年11月26日 午後10時15分、寝台列車7号車「銀の間」
――それは、ほんの数分の静寂だった。
寝台列車の重厚な車輪音が、レールを規則的に刻む。
そのリズムはまるで、夜の大地に響く鼓動のようで、旅人たちの眠りを誘うはずだった。
だが。
この個室だけは、違っていた。
分厚いドアに遮られた「銀の間」では、誰かの息遣いすら聞こえない。
いや、すでに“呼吸そのもの”が、途絶えていた。
天井に設置された小型の室温計は「22.3℃」を指していた。
先ほどまで温かな人の気配があった部屋が、なぜか急激に冷えているように感じられた。
ダブルベッドの脇には、まだ整えられたグラスと赤ワインが残されている。
窓際のサイドテーブルには、開かれたノートPCと「鉄道運行データ表」。
そして床に――
うつ伏せに倒れた男性の遺体。
血はほとんど流れていない。外傷はない。
顔は枕元の絨毯に埋まり、その表情は読み取れない。
だが、明らかに不自然な“静止”が、彼の命がすでに尽きていることを物語っていた。
室内には異臭も薬品臭もない。
何が“終わらせた”のか――すぐには分からないほど、完璧な沈黙だった。
窓の外には、夜の暗闇と車輪の軋む音だけが残る。
ほんの数分前までは、平穏な車内のひとときだったはずなのに。
この個室だけが、ひっそりと、確実に、何かを知っているように思えた。
2025年11月26日 午後2時30分、玲探偵事務所・ロビー
「失礼します……」
ドアの向こうから、かすかな声が聞こえた。
玲は書類から目を上げ、ゆっくりと顔を上げる。
朱音はソファに座ったまま、スケッチブックを膝に置き、首をかしげる。
「誰……?」
玲はドアの方に視線を向けたまま、静かに応答する。
「入ってもらおう。話がある」
扉がわずかに開き、雨粒を含んだ風が流れ込む。
そこに立っていたのは、調査協力のために呼ばれた外部スペシャリスト――
氷見野湊。
鋭い灰色の目を持ち、冷静な表情のまま、軽く頭を下げた。
「ご迷惑でなければ、少しお時間をいただきたいのですが……」
朱音は小さく息を呑み、スケッチブックを握り直す。
玲は軽く頷き、扉を押し開ける。
「どうぞ、座ってくれ」
静かな事務所の空気に、新たな緊張がゆっくりと流れ込んだ。
玲が目を細めた瞬間――
2025年11月26日 午後5時00分、玲探偵事務所・ロビー
「先日はどうも」
氷見野湊は穏やかに頭を下げ、革手袋を脱ぎながらゆっくり椅子に腰を下ろした。
窓から差し込む群青の空と虫の音、遠くの犬の遠吠えが、事務所の静けさをより際立たせる。
朱音はスケッチブックを膝に抱えたまま、少し体を前に傾けて問いかける。
「今回も……事件のことですか?」
湊は冷静に頷き、手元の資料を整理する。
「ええ。現場の状況や目撃情報、そして過去の記録の照合。少しでも見落としがあれば、結果に大きく影響します」
玲は机の上で書類に手を置き、静かに言葉を添える。
「君の経験と洞察が必要だ。今回の件は、単純な事故や偶発的な事件ではない」
朱音は小さく息を吸い込み、目を伏せてスケッチブックに視線を落とす。
「……分かりました。私も手伝います」
窓の外を吹き抜ける風が、ほんの少しだけカーテンを揺らした。
静かだが、確かに次の展開を予感させる空気が、事務所を満たしていた。
2025年11月26日 午後4時15分、玲探偵事務所・デスク
玲は静かにモニターを見つめ、件名と本文を反復して確認した。
「北斗星3号 特別依頼……」
朱音が肩越しに覗き込み、小さな声で尋ねる。
「特別依頼って……どういうこと?」
玲は書かれた文章を指でなぞりながら答えた。
「今夜、寝台特急北斗星3号で不可解な死亡事故が発生するらしい。詳細は現場で説明される、とある。列車は午後10時に上野を発車、札幌には明朝8時42分到着予定だそうだ」
朱音は息を呑み、ページをめくる指が止まる。
「分析者も乗ってる……私たちも同行するの?」
玲は書斎の窓の外を一瞥し、落ち着いた声で告げる。
「そうだ。緊急案件で、情報共有は現場優先。私と君の協力が求められている」
朱音は小さく頷き、スケッチブックを抱き直す。
「分かった……でも、今夜は長い列車の旅になりそうね」
玲は軽く肩をすくめ、封筒を手に取り準備を整える。
「何が待ち受けているか分からない。だからこそ、油断は禁物だ」
2025年11月26日 午後9時50分、盛岡駅・北斗星3号ホーム
玲は列車の車体を見上げ、深く息を吐いた。
「夜の盛岡駅か……静かだが、不気味なほどに列車が待っている」
朱音は小さく首をかしげ、ホームを歩く群衆を観察する。
「みんな、何も知らずに乗るのかしら……」
そのとき、玲の隣に立つ影が軽く声を発した。
「ここから先は、私たちの出番ね」
振り返ると、スーツに身を包んだ人物――
記録分析士・御子柴理央。
「データ、証拠、全てをこの車内で確認します。事故の再現も可能です」
玲は頷き、朱音の手をそっと握った。
「今回も、全ての情報を整理し、未然に真実を暴く。油断はできない」
御子柴は懐中電灯で車内の窓を照らし、鋭い眼差しで列車の細部を観察する。
「列車内は複雑ですが、監視映像や運行データと照合すれば、不可解な死亡事故の手がかりは必ず見つかります」
朱音は息を整え、スケッチブックを胸に抱えたまま小さく頷いた。
「……分かった。今日も長い夜になりそうね」
午後9時18分、盛岡駅・北斗星3号7号車前
玲は無言で腕時計を見つめ、発車まで残り24分であることを確認した。
彼は深呼吸をひとつして、7号車のドアに手をかけ、静かにノックした。
ドアの向こうから現れたのは、列車内での事故調査に特化したスペシャリスト――記録分析士・御子柴理央。
懐中電灯を片手に、書類や電子端末を即座に整理できるその姿勢は、列車という閉鎖空間での緊急事態に最適であることを物語っていた。
「玲さん、朱音さん、状況は把握済みです。これから現場に入ります」
御子柴の落ち着いた声が、夜のホームに静かに響いた。
午後9時42分、盛岡駅・北斗星3号車内アナウンス
「北斗星3号は、まもなく発車いたします。上野から札幌まで、およそ11時間半の旅となります。
ご乗車の皆様、安全と快適な旅を――」
列車内の照明は柔らかく点灯し、乗客たちはそれぞれ自分の席や寝台に落ち着きを取り戻しつつあった。
玲と朱音は、御子柴とともに、わずかに緊張を残したまま次の指示を待っていた。
午前9時10分、札幌駅臨時指令室
玲はコーヒーを一口すする。朱音は膝の上でスケッチブックに小さく線を引き、御子柴は資料を見返しながら眉間に皺を寄せる。凛は静かに椅子にもたれ、目を閉じて頭の整理をしていた。
そのとき、指令室のモニターが突如赤く点滅し、駅員の声が緊迫したトーンで響いた。
「9号車の個室で、異常が発生しました。すぐに状況確認をお願いします!」
玲は立ち上がり、朱音に軽く頷く。御子柴は即座に端末を操作し、列車内の監視映像と通話回線の状況を確認する。凛は静かに、事件の心理的側面を想定しながら次の行動を組み立てていく。
ここで登場するスペシャリストは、列車内現場の初動対応と証拠確保の専門家として「現場分析官・水無瀬透」。彼は監視カメラの映像解析や、車内の封鎖状況の確認を瞬時に行い、被害者発見までの時間差を割り出す役割を持つ。
玲は静かに指令室のモニターを覗き込み、朱音の肩越しに状況を確認した。
「午前9時8分に、9号車個室から異常通報。ドアは内側から施錠されている。侵入経路はなし……」
御子柴が端末に表示された列車内監視映像を拡大し、慎重に説明を続ける。
「モニター上では、乗客や乗務員の出入りは一切確認できません。通報時、部屋の中には単独で被害者がいた可能性が高いです」
凛はその報告を聞き、短く眉をひそめた。
「これは……心理的に追い詰められる状況を作る意図も感じられる。完全密室の中で、犯人は被害者に“時間稼ぎ”を強いた可能性があります」
朱音は小さな声で、でも確信めいた口調で言った。
「でも……どうして誰も気づかないうちに、こんなことができるの……?」
玲は肩越しに朱音を見つめ、静かに答えた。
「ここから先は、現場に赴いて確認するしかない。水無瀬、9号車までの経路を封鎖して、安全確保を優先しろ」
水無瀬透は端末を操作し、列車内の状況と扉の施錠状態、監視映像をさらに精査しながら即座に指示に従う。
午前9時12分――指令室内の緊張が一気に高まった。真実に直面する直前の、静かな嵐のような空気が、全員を包み込んでいた。
午前9時15分、札幌駅臨時指令室
御子柴は資料を片手に、現場で収集した証拠とメモを整理しつつ言った。
「被害者の部屋には、外部から侵入した痕跡は一切ありません。しかも、室内の物品はほぼ触れられていない状態です。これは……誰かが、完全に“計算された時間差”で行動した可能性が高い」
玲は眉をひそめ、監視映像の映るモニターを指さした。
「映像でも、部屋の出入りは確認できない。つまり犯人は、内部から操作したか、あるいは――極めて限られた手段を使った」
凛が冷静に補足した。
「心理的な圧迫や、被害者を追い込むための環境操作も考えられます。時間差で密室を作り出す――その意図は、被害者の“反応”を観察するためだった可能性もある」
朱音は小さく息をつき、でも決意をこめて言った。
「玲さん、私も一緒に、現場で確認する……。被害者の部屋に何があったか、全部知りたい」
玲は頷き、御子柴が示す資料を手に取りながら言った。
「よし。それでは、現場での精密確認と証拠収集を優先する。被害者の状況、部屋の状態、そして監視映像のタイムスタンプ。すべてを照合する」
水無瀬と現場担当の警察官たちが指示を受け、9号車への移動準備を整えた。
午前9時16分――指令室は緊張の中で静まり返り、まるで次の瞬間に真実が明かされるかのような空気に包まれていた。
午前9時17分、札幌駅臨時指令室
朱音はスケッチブックを膝に置いたまま、小さく首をかしげて呟いた。
「……どうして、部屋に誰も入ってないのに、こんなに散らかってるの……?」
御子柴が冷静にメモを取りながら答えた。
「それが、今回の事件の核心です。物理的な侵入はなかった。つまり、犯人は“密室を作り出す別の方法”を使った可能性があります」
凛が補足する。
「心理的な操作や、時間差を利用した巧妙なトリックです。被害者が動けない状況を作り出すことで、部屋を荒らす余地を生み出した。観察者としての意図もある」
玲は腕組みをし、モニターの映像を指差した。
「映像には、部屋に入る姿は映っていない。全て計算された行動だ。朱音、君の直感も重要だ。スケッチに描いたものが、次の手がかりになるかもしれない」
朱音は小さく頷き、スケッチブックを抱え込むようにして考え込んだ。
午前9時18分――指令室には静かな緊張感が漂い、次の一手を待つ時間がゆっくりと流れていた。
午前9時20分、札幌駅臨時指令室
玲は朱音に向かって穏やかに言った。
「その“違和感”が、事件解明の重要な糸口になることもある。気づいたことは全部、メモしておくんだ」
朱音はスケッチブックを抱え直し、小さな声で答えた。
「うん……わかった」
そこへ、新たに導入されたスペシャリストが静かに現れた。
心理干渉分析官・九条凛。
冷静沈着で、被害者や現場の心理的痕跡を読み解くことを得意とする。声は低く落ち着いており、短い一言でも場の空気を引き締める力があった。
「私は、被害者や目撃者の心理的な微細変化を追跡する。あなたたちのメモとスケッチも参考にする」
朱音は少し安心したように頷き、御子柴はメモを整理しながら凛の存在を確認した。
午前9時21分――指令室の緊張感はそのままに、新たな分析の目が事件の核心へ向けて働き始めた。
午前9時22分、札幌駅臨時指令室
御子柴は資料の束を広げながら静かに口を開いた。
「現場で回収したすべての証拠、時間経過、そして被害者の動線を照合しました。このデータを整理すれば、犯行のパターンがより明確になります」
玲は頷き、朱音のスケッチブックを覗き込む。
「朱音、君の直感も重要だ。視覚化したものをすべて共有してくれ」
その時、もう一人のスペシャリストが部屋に入ってきた。
記録分析士・御子柴理央の補佐として呼ばれた、データ・インテリジェンス担当の橘奈々。
複雑な証拠や監視カメラ映像、ログデータの解析に特化しており、どんなに膨大な情報も瞬時に整理して、事件の隠れた因果関係を浮かび上がらせることができる。
「すべての記録を統合しました。異常な時間帯と人物の動きがここにあります」
朱音と玲は互いに目を合わせる。
午前9時23分――情報の網が一気に広がり、事件の全貌を解き明かす新たな局面が始まろうとしていた。
午前9時25分、札幌駅臨時指令室
橘奈々が部屋に入ると、軽く手を振り、玲に近づいた。
「遅れてごめん。ログと監視映像をすべて確認してきたわ。9号室の状況、今すぐ見たほうがいい」
玲は頷き、朱音に手を差し伸べる。
「朱音、君も一緒に来るか?」
朱音は少し迷ったが、膝のスケッチブックを抱えてうなずいた。
三人はエレベーターで9号室のあるホーム階へ向かう。
午前9時27分――駅の廊下には、朝の冷たい光が差し込み、背筋が伸びる緊張感が漂っていた。
奈々は手早く端末を取り出し、監視映像を再生しながら言った。
「被害者の動線、犯行に使われた可能性のある時間帯、周囲の異常……すべてここで確認できる。玲、これを基に現場に入れば、無駄な動きは最小限にできるはず」
玲は端末の画面に目を落とし、深く息を吸った。
午前9時28分――三人は慎重に9号室のドアへと近づいていった。
午前9時29分、9号室前の廊下
ドアの前に立った玲は、静かにノックをした。
「……開けてもらおうか」
応答はない。
朱音がそっとドアノブに手をかけ、慎重に回す。
ドアがゆっくりと開くと、室内は薄暗く、外光が斜めに差し込んでいた。
奈々は端末を掲げ、監視映像と現場の状況を同期させながら言った。
「ここで何が起こったのか、一目で分かる。被害者の位置、落下物の痕跡、そして――」
玲が視線を室内に巡らせ、低く呟いた。
「……これは偶然の事故ではない。意図的な配置がされている」
朱音はスケッチブックを取り出し、部屋の間取りと被害者の位置関係を描きながら、小さく息をついた。
「……なんだか、全部計算されてるみたい……」
午前9時30分――現場には静寂が支配していたが、三人の頭の中では、事件解明の糸が少しずつ結ばれ始めていた。
午前9時31分、9号室
玲が手を挙げ、背後の警察官たちに合図した。
「入っていい。だが、触れるな。状況が非常に繊細だ」
制服警察官二名と鑑識の白手袋をつけたスタッフが、静かに部屋へ足を踏み入れた。
床板がわずかに軋む音だけが響く。
鑑識員の一人が低く声を出した。
「被害者は…ベッド脇、転倒した状態で発見。外傷はなし。死後硬直はまだ進んでいません」
「薬物反応なし。室内に争った形跡も……」
もう一人がライトをかざしながら周囲を確認し、眉を寄せる。
「けれど、おかしいですね。倒れた位置と…このグラス、遠すぎます。自然に落ちた距離じゃない」
玲はそのやり取りを聞きながら、ベッドの脚元に目を落とす。
「……ここだな」
「ここ?」
奈々が近づくと、玲は床を指で指し示した。誰も気づかないほど薄い、靴跡のような形。
「踏み位置が二つある。被害者のものじゃない」
鑑識員が驚いたように息をのむ。
「確かに……何度も拭かれた形跡がありますね。浮かび上がるように跡が残っている。……プロの仕事です」
朱音は固唾を飲んでその会話を聞いていたが、スケッチブックに何かを書き込みながら、小さく呟いた。
「……ねえ玲さん……ベッドの向き、ちょっと変じゃない?」
玲は朱音の指を追った。
ベッドの下には、左右の床にわずかな擦れ跡。
奈々が端末を操作し、監視映像の角度を照合する。
「映像では、ベッドは壁から“3センチ”離れてた。でも今は……1センチもない」
警察官が思わず顔を見合わせる。
「つまり、事件後に誰かが位置を“戻した”……」
玲は深く息を吸い込み、言った。
「――犯人は、現場を“元の状態に見せかけた”」
鑑識員が静かに頷く。
「意図的な痕跡消し……。これは素人の仕事じゃありません」
廊下から警察の指揮官が顔を覗かせた。
「玲探偵、どうだ? 事故か、事件か」
玲は振り返り、迷いなく答えた。
「事件です。しかも、犯人はこの列車に“まだいる”可能性が高い」
室内の空気が、一気に緊張へと変わる。
朱音は不安げに奈々の袖をつまんだ。
「……これから、どうなるの?」
奈々は優しく頭を撫で、小さく囁いた。
「大丈夫。私たちが全部見つける。あなたの“気づいたこと”も、大きな力になるから」
午前9時35分。
警察と探偵たちによる本格的な現場検証が、静かに、しかし確実に始まっていった。
午前9時35分、9号室内
警察の刑事たちが手袋をはめ、現場検証を始める。指紋採取、床や家具の痕跡確認、窓やドアの状態も一つひとつ確認されていった。
玲は立ったまま観察を続け、朱音が描くスケッチと照合する。奈々は端末で記録を取り、御子柴はメモ帳に状況を整理しながら、被害者の死因や動線、物証の相互関係を分析していた。
刑事の一人が声を上げる。
「ドアは内側からロックされている……外からは侵入不可能だ。窓もすべて施錠済みだ」
玲は静かに頷き、床の微細な濡れ跡を指差した。
「滴の形状からすると、被害者は移動中に液体をこぼした可能性がある……だが、誰かが操作した痕跡も見える」
御子柴が封筒を開き、現場で拾った書類や写真を取り出す。
「これとこれを比較すると、室内の配置が意図的に変えられている。犯行が計画的だった可能性が高い」
朱音が静かに言った。
「……計算されてる。全部、誰かの手の内にある」
奈々も頷きながら端末の画面を指差した。
「監視カメラの映像と照合してみます。少しでも矛盾があれば、犯人の動線を特定できるはず」
刑事たちは部屋の隅々まで検証を終え、証拠品を慎重に回収する。
玲は立ち止まり、朱音と奈々、御子柴を見渡した。
「ここから先は、推理と分析の勝負だ。現場はすでに証言と物証で語り始めている。私たちの役目は、それをつなぎ合わせること」
警察の現場検証は完了し、部屋は封鎖されたまま。
しかし、3人の頭の中では、既に次の手が打たれようとしていた。
午前10時05分、札幌駅臨時指令室
御子柴理央が資料の束を手に、冷静に補足する。
「現場で収集した証拠と監視映像を照合すると、動線や接触点に一貫性があります。単独犯ではなく、心理的に被害者を誘導している痕跡が明確です」
朱音が膝のスケッチブックに線を引きながら呟く。
「……この配置、誰かが最初から計算して作ったんだ……」
九条凛が分析を続ける。
「心理干渉と現場操作が組み合わさっている。犯人は恐怖と混乱を利用して、被害者を動かしている。これは通常の捜査手法だけでは見抜けません」
その時、奈々が端末を操作し、監視カメラ映像を拡大する。
「ここ。廊下の死角を使って誰かが通っている。映像ではほとんど確認できませんが、動きは間違いなく意図的です」
玲は指示を出す。
「御子柴、映像と現場痕跡の動線をマッピングしろ。凛、心理的トリックを整理して全体像を出す。朱音、気になった違和感をメモしておけ」
御子柴は静かに頷き、分析用資料を広げる。
「はい。動線、痕跡、被害者の行動パターンをすべて照合すれば、犯行のシナリオがほぼ特定できます」
九条凛は穏やかだが鋭い眼差しで、現場の情報を整理する。
「この事件、計画性が非常に高い。心理戦を仕掛けられていると考えるべきです。犯人は、自分の目的に沿った被害者の行動を誘導しています」
朱音は小さな声で付け加える。
「……全部、見抜けるかな……」
玲は淡々と応える。
「見抜くために、我々には分析者と心理のスペシャリストが揃っている。手順通りに整理すれば、全てが見えてくるはずだ」
この時点で、現場分析チームの体制が整い、捜査の指針が明確になる――心理戦と物理的証拠の両面から、犯人像を浮き彫りにするための第一歩が始まった。
午前10時12分 札幌駅・北側連絡通路
甲高い悲鳴が、駅舎全体を震わせた。
直後――
玲たちがいた臨時指令室のドアが、バンッと勢いよく開く。
「し、死体が……! 北側通路で、人が血を……!」
青ざめた駅職員が震える声で叫び、腰を抜かすようにその場に崩れた。
玲は立ち上がり、低く指示する。
「御子柴、朱音、奈々。現場へ急ぐ。凛、職員の心理ケアを頼む。状態が落ち着いたら聞き取りも」
九条凛はすぐに職員の肩に膝をつき、淡々と声をかける。
「大丈夫です。深呼吸を。今見たものを“恐怖”ではなく“事実”として切り離してください。ゆっくりでいいので、順番に話せますか?」
玲たちはそのまま走り出した。
***
午前10時14分 札幌駅・北側連絡通路
人だかりの向こう、黄色テープが急遽張られ、刑事たちが慌ただしく動いていた。
倒れているのは、乗客リストにあった浜田トオル(48)。
首筋には強い鈍器痕、床には飛び散った血。
手元には、倒れながら支えようとしたのか、壁に残った“かすれた手跡”。
刑事の一人が玲に駆け寄る。
「玲さん! ついさっきまでホームで聞き込み中だったんだ。持ち場に戻って数分でこれだ……!」
玲は現場を見て、短く息を吸った。
「犯人は――迷っていない。次の標的へ“計画的に進行”している動きだ」
その瞬間、御子柴が膝をついて遺留品を確認し、眉をひそめた。
「……これ。被害者の左胸ポケットにメモが入っています。『9号室』と殴り書きが――」
奈々が即座に端末を操作し、現場近くの監視映像を追跡する。
「いた……! 廊下を走り抜けた“黒いフードの人物”。ただしカメラの死角へ消えてる。足取りは追えるけど――早い」
朱音が小さく震える声で言った。
「ねえ……これ、“誘ってる”んじゃない? 玲さんたちを……もっと奥へ」
御子柴が顔を上げた。
「朱音さんの言う通りです。“焦らせる”動線です。犯人、こちらの分析速度を把握している可能性が高い」
玲は静かに頷いた。
「……なら、こちらも“専門家”を増やすしかないな」
その時、警備隊長が誰かを連れて走ってくる。
「玲さん! 追加のスペシャリストが到着しました!」
現れたのは――
犯人追跡のプロ、行動経路解析スペシャリスト・三枝航平。
無言で玲に近づくと、三枝は通路の血痕をひと目見て言った。
「動きは一直線。逃走じゃない――“導いてる”。
次に行く先……割り出せます」
緊迫した空気の中、玲は短く言う。
「三枝、君の読んだルートへ案内しろ。
犯人は、まだこの駅のどこかにいる」
こうして――
第2の事件発生直後、
専門家チームは“犯人との本格的な追跡戦”へ突入する。
【午前9時27分 札幌駅・連絡通路中央】
通路の中央には、人だかりの壁ができていた。
怒号と悲鳴が入り混じり、空気はざらついた緊張を帯びている。
刑事たちが必死に群衆を押しのけると――
床に、血の筋が細く伸びていた。
その先には、身体を半ばねじらせるように倒れた人物。
白いシャツが、首筋から流れた鮮血でじわりと赤く染まっていた。
「……脈なし。本部に連絡を!」
警官の声が震えていた。
倒れているのは、車内で事情聴取を済ませたばかりの乗客のひとり。
まだ息があったのか、床に伸びた手が、指先だけわずかに震えて止まった。
その手の先には――黒い、小さな金属片。
朱音が、思わず息を呑んだ。
「……これ、落としたのかな? なんか変な形……」
玲はしゃがみこみ、手袋越しに金属片を拾い上げた。
それは八角形のプレートで、中央に細い溝が刻まれ、裏面には番号があった。
「……鍵だ。特殊なツール用の」
御子柴が顔色を変えた。
「7号車“銀の間”の、密閉ロッカーと同型です。
あれを使える乗客は……かなり限定されます」
奈々が、血の跡を見て呟いた。
「犯人は――この人に“何かを隠させていた”可能性がある。
でも、持っていかせたものをどうして殺してまで取り返すの?」
凛が、静かな声で一歩前に出た。
「この第二の殺人……犯人は急いでいる。
心理的プレッシャーの高まりが、行動に表れている」
玲は立ち上がり、群衆の奥を見つめた。
「……まだ、この通路にいる可能性が高い」
凛はわずかに目を細める。
「しかも、今の目的は“逃走”ではなく“証拠の回収”。
つまり――犯人はまだ、取り戻したい物を手に入れていない」
その瞬間、朱音が小さく声を上げた。
「じゃあ……犯人、まだ近くに……?」
玲は頷き、立ち上がった。
「ここからが本番だ。全員、散開して――
“鍵が必要な場所”を最優先で探すぞ」
第二の殺人。
落ちた特殊鍵型プレート。
犯人の焦り。
そのすべてが、事件の核心に踏み込む“次の扉”のありかを示していた。
午前9時27分 札幌駅・南連絡通路
通路の空気は、悲鳴の余韻を引きずったまま、張り詰めていた。
ざわめき、焦り、そして恐怖の混じった呼吸が空気を震わせている。
床に倒れた第2の被害者を囲むように、刑事たちが円を作っていた。
その外側で、玲たちが息を呑み、次の瞬間――
黒いロングコートの影が、静かに人垣を割った。
靴音はほとんど響かず、足取りは水の流れのように滑らか。
彼は一言も発さず、現場に吸い込まれるようにしゃがみ込む。
水無瀬 透。
“現場動線追跡”のスペシャリスト。
靴底痕、人の振動、衣擦れの向き、空気の流れ……
誰も気づけない痕跡を、彼だけが拾う。
その指先が、床をそっとなぞった。
黒い粉末が、指にわずかに付着する。
「……カーボン粉。消音加工の靴だ。普通の靴じゃない」
低く落ち着いた声。
刑事たちが一斉に顔を上げた。
「移動速度は速い。被害者に迷いなく接近し、一撃。ためらいなし」
水無瀬は通路を指で示す。
「犯人は……この方向に走った。25秒前までは、まだこの空気が動いていた」
玲が息を呑む。
「25秒……まだ構内にいる」
水無瀬は目を細めた。
「それだけじゃない。この粉末……駅員用のバックヤードにしかない種類だ」
朱音がスケッチブックを握りしめたまま、小さくつぶやく。
「……じゃあ、犯人は“乗客じゃない”?」
水無瀬は無言でうなずいた。
その仕草は、まさに“動線だけを見て真実に触れる男”そのものだった。
彼の指先が指し示す方向。
そこには、暗く沈んだバックヤードへの扉があった。
玲はその扉を見据え、小さく言う。
「……犯人が、まだ潜んでいる」
そして、水無瀬の声が続く。
「急げ。扉の向こうの空気が……今、揺れた」
緊張が、再び現場を支配した。
午前9時44分 札幌駅・中央コンコース
人だかりの手前で玲は立ち止まり、スピーカー越しに送られてきた監視映像を確認していた。
映像には、事件直前に通路を横切った“ある人物”が映っている。
玲は小さく息を吐き、背後の凛と御子柴に視線だけで合図を送った。
「――この人物の足取りを追う。ログも監視記録も全部洗え。どこから来て、どこへ消えたか、秒単位でだ」
声は落ち着いているが、その奥に焦りがかすかに滲んでいた。
凛はすぐに端末を開き、指を走らせる。
御子柴は現場の時系列をメモに起こしながら、低く返した。
「了解。通路側のカメラは死角が多いから……動線が読める人間を呼ぶべきだな」
その言葉に、玲は視線を動かす。
ちょうど人垣の向こうから、ひとりの男が姿を現した。
静かで、ほとんど物音すら立てない歩き方。
周囲を観察しながらも、視線は地面をなぞるように動いていた。
彼は膝をつき、床に落ちたわずかな黒い粉を指先に取る。
淡々と呟いた。
「……炭素系の粉末。靴底由来。しかも同じ型が、この数メートル先まで続いている」
玲はその男――
水無瀬透
“現場動線追跡”のスペシャリストへ歩み寄った。
水無瀬は顔を上げず、床の痕跡を追いながら言う。
「犯人は、被害者が倒れ込む二秒前にここを走り抜けています。
足の運びが急に乱れてる。たぶん、誰かとすれ違った」
玲は短く頷いた。
「その“誰か”を特定する。水無瀬、先導を頼む」
「了解」
水無瀬は再び無言で痕跡を追い始める。
その後ろを、玲・凛・御子柴、そして朱音と奈々が続いた。
通路のざわめきが、次第に遠のいていく。
犯人へ通じる“線”だけが、静かに彼らの前へ延びていた。
午前0時43分、寝台特急北斗星3号・7号車通路
通路はざわめきと緊張で重く沈んでいた。倒れた第二の被害者の血痕のそばで、水無瀬は黒い粉末を慎重に分析している。粉末には微量の薬物成分が含まれており、被害者が倒れる直前に接触した可能性が高い。
玲はモニターに映る乗客の動線と監視カメラ映像を見比べる。「凛、御子柴、全員の行動をもう一度確認して。通路の不自然な動きを見逃すな」
凛は乗客の表情や仕草を解析し、御子柴は手元の証拠とメモを整理する。朱音は膝に置いたスケッチブックに素早く書き込み、異変の箇所を赤い線で囲んだ。
水無瀬が低く呟く。「ここだ……黒粉と足跡の配置から、犯人の移動経路が特定できる。意図的にここまで動いている」
玲は頷き、指示を出す。「全員、警戒しながら通路に向かえ。犯人を挟み込む。絶対に逃がすな」
その瞬間、通路の向こうで一人が立ち止まる。モニター越しに見つめる玲の目に、焦りと冷静さが混ざった表情が映る。
玲は静かに告げた。「奴だ……心理戦に巻き込まれるな。逃げ道は全部塞ぐ」
凛が短く付け加える。「落ち着け。まず観察、次に行動。焦れば全てが崩れる」
朱音は小さく息を吸い、スケッチブックに書き込む。「足跡、黒粉、通路の曲がり角……全部繋がった」
玲は拳を握りしめる。「今夜、ここで終わらせる」
通路の緊張は一層高まり、第三の事件の予感が静かに漂っていた。
午前0時45分、北斗星3号・7号車通路
玲は静かに告げた。
「犯人は、村田匡史。北斗星3号の技術スタッフを名乗る偽装乗務員だ」
朱音は膝のスケッチブックを握りしめ、驚きで目を見開いた。「え……そんな人がいたの?」
御子柴は資料を手に、冷静に説明する。「監視カメラの映像と通路の足跡、全て一致しています。彼が被害者の周囲を計算して動いていたことが証拠として残っている」
凛は静かに分析した。「心理的圧力、視線の誘導、通路上の混乱…全てが計算済みです。逃げ場を作らせないための仕組み」
水無瀬は通路の床に膝をつき、痕跡を確認する。「黒粉末の散布パターン、靴底痕、微細な接触点……村田の移動ルートが完全に割り出せます。端末ログとも照合済みです」
朱音は小さく息をつき、「これで……全て繋がった」と呟いた。
玲は一呼吸置き、低く指示した。「よし、全員。挟み込む。心理戦に惑わされるな。絶対に逃がさない」
凛は冷静に微笑んだ。「計算されつくした動き。でも、人間の直感は必ず見逃さない」
通路には緊張が張り詰め、第三の事件の可能性を含む空気が一同を包んでいた。
午前0時48分、札幌駅西側メンテナンス通路
玲は短く呟いた。「逃走経路は、駅舎の西側メンテナンス通路だ」
朱音は眉をひそめる。「どうやってそんな裏道まで…?」
水無瀬は既に懐中電灯を手に、床の痕跡を慎重に追う。「靴底痕、接触痕、微細な埃の動き…彼の動きが完全に残っています。このルートを使えば、構内から逃げられるのも納得です」
凛は通路の空気を読み取りながら言った。「心理的にも追跡者の注意を逸らす意図がある。人混みと騒音で視覚を遮り、焦りを誘う計算ですね」
御子柴は端末を操作し、監視カメラ映像と通路ログを照合する。「ここから駅裏の保守通路まで、わずか数十秒。ログ上でも人物の動きと一致しています」
朱音はスケッチブックに素早く図を描きながらつぶやいた。「この人、本当に計算ずくで動いてる…」
玲は冷静に指示する。「よし、水無瀬、通路全域を押さえろ。凛、心理的動きに注意。朱音、状況を整理してメモを残せ。逃がすな」
通路の空気はひんやりと重く、緊張と計算の気配が交錯していた。犯人との直接対決が、もうすぐ始まろうとしている。
午前0時50分、札幌駅西側メンテナンス通路
水無瀬は通路の床にしゃがみ込み、微細な埃や靴底痕を指先で確認しながら静かに告げた。「ここで足を止める。犯人は焦らせるように心理的圧をかけている。動線と心理、両方を読まなければ追いつけません」
玲は懐中電灯を手に、薄暗い鉄扉や配管の影を見つめた。「奴は動線を完全に計算している。人の視線が届かない角度で待ち構え、心理的な揺さぶりをかけてくるはずだ」
凛は低く声を落とし、通路の空気を読み取る。「呼吸のリズム、微かな金属音、埃の舞い……全てが心理的サインです。焦りを誘う配置は意図的。こちらの反応を見ながら動くタイプ」
朱音はスケッチブックに通路の略図と動線を書き込む。「これで、逃げ道と心理の罠が見える…!」
御子柴は端末を操作し、駅構内の監視ログと通路内の微細な接触痕を突き合わせていた。「ログと現場痕跡が一致すれば、どこで奴が待ち伏せしているか、ほぼ特定できます」
玲は息を整え、短く指示を出す。「水無瀬、動きを封じろ。凛、心理戦を制する。朱音、全てを書き留めろ。御子柴、情報をリアルタイムで解析する」
冷たい鉄の匂いが漂う薄暗い通路で、追跡と心理戦が交錯する。犯人との直接対決は、もうすぐそこまで迫っていた。
午前0時52分、札幌駅西側メンテナンス通路
――「逃げろォッ!!」
叫び声とともに、第三の被害者が通路の奥で倒れ込んだ。
水無瀬はしゃがみ込み、床に残るわずかな粉末や靴痕を確認しながら低く呟いた。「動きはここからだった。通路の端から端まで追跡する」
玲はモニターを指さし、静かに指示を出す。「凛、心理的誘導の変化を観察。朱音、動線を書き出せ。御子柴、端末ログで位置を追え」
凛は深呼吸をし、落ち着いた声で分析する。「犯人は狭い通路を利用してこちらの動揺を誘っている。次の行動は必ずパターン化されている」
御子柴はタブレットを操作し、床痕と監視映像を照合。「中間地点で止まる傾向があります。ここで仕掛ける可能性が高い」
朱音はスケッチブックに通路と障害物、動線を書き込みながらつぶやく。「ここで待ち構えている…逃げ道も見える」
薄暗く冷たい通路で、追跡と心理戦が同時に進行する。全員の視線と呼吸が、わずかな動きにも鋭く反応した。
午前0時59分、札幌駅西側メンテナンス通路
玲は耳に届く足音の微妙な変化を聞き分けながら低く呟いた。
「来る…ここだ、気配が変わった」
水無瀬は床に散らばる粉末と靴痕を指でなぞりながら報告する。
「動きが微妙に変化している。左側に逃げる可能性が高い」
凛はモニターを見つめて冷静に分析する。
「恐怖心と焦燥が交互に出ている。心理的な隙がある。ここでこちらの意思を見せれば、次の行動を誘導できる」
御子柴は端末のログを操作しながら告げた。
「メンテナンス通路の中間地点で通信端末の接続履歴が切れました。つまりここから加速して逃げている」
朱音はスケッチブックに動線を描きながら小さく呟いた。
「ここで待ち構えれば…必ず通る。逃げ道も塞げる」
通路の角を曲がった瞬間、玲は声を低く張った。
「動くな。君はもう逃げられない」
暗闇の中、影がぴたりと止まった。K――少年Kの姿だった。汗と泥にまみれ、手にはまだ不自然な緊張が残っている。
水無瀬が前に出て冷静に告げる。
「君の動きをすべて把握している。抵抗は無意味だ」
凛は心理的圧迫を和らげるように声をかけた。
「怖がる必要はない。もう安全な環境に戻れる」
御子柴が端末を差し出す。
「監視映像と通路データを照合済み。逃走の可能性は完全に遮断された」
朱音はそっと近づき、震える声で言った。
「大丈夫…もう、終わるから」
Kはゆっくりと膝をつき、手を差し出した。
玲は手錠をかけながら告げた。
「これで全ての事件は止まった。君の供述が必要だ」
西側メンテナンス通路に、静寂が戻る。緊張と追跡の連鎖が途切れ、長い夜の戦いはここで終わった。
今回の事件で活躍したスペシャリストたち――現場動線追跡の水無瀬、心理分析の凛、記録分析の御子柴、そして直感的な洞察を示す朱音――すべての能力が連動し、Kの捕縛に至った。
午前1時12分、札幌駅西側メンテナンス通路
玲は無線を握りながら、低い声で警察に指示を出した。
「K、拘束します。再現可能な動線と証拠は全て揃っている。過剰な力は不要、慎重に」
水無瀬は床の粉末や微細な痕跡を指さしながら報告する。
「ここで一旦動きを止めさせれば、逃走経路は完全に遮断可能です」
凛は心理戦の側面から補足する。
「Kは混乱状態にある。焦らせず、安心感を与えながらの接触が必要です。心理的な抵抗を最小化すれば、自発的な降伏も促せます」
御子柴は端末で通路内の監視データを確認し、静かに告げる。
「全ての移動パターンが照合済みです。端末ログと現場痕跡は完全に一致。動きの隙はありません」
朱音は小さく息を吐き、スケッチブックを膝に抱えたまま言った。
「K、もう隠れる場所はないよ。安心して…ここで止まって」
玲は一歩前に出て、手を差し伸べる。
「手を挙げろ。抵抗すれば君自身が危険になる」
Kは怯えた目で周囲を見渡し、震える声で答えた。
「わ、わかった…もう、逃げない…」
警察官が静かに手錠をかけ、玲は確認する。
「これで第三の事件も含め、全ての事件が止まった。証拠と動線は完全に揃っている」
西側通路に静寂が戻る。緊張の糸が解け、数分前までの追跡と心理戦の痕跡だけが、薄暗い鉄の匂いの中に残っていた。
すべての連携が、Kの確保に不可欠だったことが明らかになった。
午前1時25分、札幌駅西側メンテナンス通路付近の臨時指令室
朱音はスケッチブックを閉じ、肩の力を抜きながら静かに息を吐いた。
「……これで、やっと終わったんだね」
玲は隣で小さく頷く。
「全ての事件は止まった。動線も心理も、証拠もすべて揃った。あとは正式な引き渡しだけだ」
御子柴は手元の端末を確認しながら報告する。
「監視映像と収集証拠の照合が完了。全ての行動パターンが記録されています。裁判用の資料も整いました」
凛は心理的な安定を考慮し、朱音に柔らかく声をかける。
「今回の事件は終わったけれど、心の整理には少し時間が必要かもしれません。無理はしなくていい」
水無瀬は現場で拾った微細痕跡や足跡の記録を片手に、短く付け加える。
「逃走経路も封鎖済みです。これ以上、現場での危険はありません」
この場に新たに導入されたスペシャリストは、事件の全体像を可視化する連携調整官。
彼は各スペシャリストの報告を統合し、捜査進行の最終確認を行う役割を担っていた。
朱音は少し微笑み、窓の外に目をやる。
「……玲さん、みんなのおかげだね」
玲は窓の外を見つめたまま静かに答える。
「……ああ、全員が力を合わせた結果だ」
事務所には、事件の緊張が徐々に和らいだ静けさが戻りつつあった。
午前10時15分、札幌駅臨時報道室
「速報です。昨日、寝台特急『北斗星3号』車内で発生した連続殺人事件について、札幌中央署は容疑者の身柄を確保しました。被害者はすべて列車内の個室および通路付近で発見され、警察は現場検証と事情聴取を急いでいます」
スタジオのアナウンサーが画面に向かって報告する。
「容疑者は列車乗務員を装った偽装者で、現場からの追跡と監視カメラ映像の解析により拘束されました。現場には複数の専門家が動員され、事故か事件かの判断が行われていました」
報道現場には報道分析スペシャリスト・藤堂が配置されていた。
彼は事件発生直後から情報を集約し、証言・映像・公的記録を精査して、全国向けに速報として整理・発信する役割を担っている。
藤堂はモニターに映る現場映像を確認しながら、淡々と解説する。
「これにより、被害者と容疑者の動線、現場の状況、そして列車運行データが結びつきました。視聴者の皆さんには、順次最新情報をお届けします」
報道室の空気は緊張と忙しさに包まれながらも、藤堂の的確な分析で秩序を保っていた。
午前10時25分、札幌駅臨時報道室
報道のスペシャリスト・藤堂がマイクに向かい、落ち着いた口調で説明を続ける。
「列車は上野発、札幌着まで約11時間半の旅程で、事件発生時には車内封鎖状態が確認されています。乗客の証言や防犯カメラの映像などを基に、警察は事件の経緯を精査中です。容疑者は現在、身柄を確保され都内の拘置施設に収監されており、捜査当局は動機の解明と安全確認を急いでいます」
藤堂の背後には、大型モニターに列車内の図面や被害者の発見位置、警察の現場写真が映し出されていた。
彼は冷静に指示を出すように、報道スタッフへ向けて続ける。
「この情報をもとに、全国ネットで速報を流します。誤報のないよう、必ず確認を取りながら報道してください」
藤堂は現場分析と情報整理のスペシャリストとして、警察発表と現場資料を結びつけ、一般視聴者にわかりやすく正確な状況を伝える役割を担っていた。
午前7時45分、北斗星3号・朝食ラウンジ
朱音はパンをかじりながら、隣の玲に小声で言った。
「玲さん……昨日の事件、本当に全部終わったのかな……?」
玲はゆっくりとコーヒーを口に運び、窓の外を見つめながら答える。
「記録も、証言も、すべて整理されている。だが、君が感じている違和感は、無視すべきではない」
そこに、列車内行動・動線分析のスペシャリストが合流する。
彼は乗客の動きや車両内の通路利用パターンを瞬時に把握し、事故や事件の再現性をチェックする能力を持っていた。
「昨日の動線を整理しました。乗客の移動、被害者の位置、容疑者の逃走ルート――すべてデータ化済みです」
朱音は驚きと安心が入り混じった表情でスケッチブックを閉じ、玲に視線を向けた。
「これで、全部の道筋が見えるんだね……」
午前7時50分、北斗星3号・朝食ラウンジ
そこに、見慣れた女性の姿が現れた。端正なスーツに身を包み、胸元には銀縁のIDカード――K部門・外部評価官として名高い水科瑞穂だった。
瑞穂は周囲を一瞥すると、静かな口調で話し始めた。
「皆さん、お疲れさま。列車内での一連の事件について、私の方でも外部監査として確認しておく必要があります」
彼女の登場は、単なる監視ではなく、データ解析と評価のスペシャリストとしての役割を示していた。瑞穂は、事件の証拠や動線、乗客の証言、さらには心理的反応までを客観的に整理・評価する能力を持つ。
「動線データ、映像、被害者の位置関係……すべてを照合すれば、昨日の事件の再現も可能です」
朱音はスケッチブックを抱き直し、小さく頷いた。
「玲さん、これで本当に全て整理できるんだね……」
玲は微かに笑みを浮かべ、瑞穂を見ながら答えた。
「そうだ。だが、確認すべきはデータだけではない。人の心も、見落としてはならない」
午前8時15分、学園・中庭前
事件から数日後。
いつも通りの校門、いつも通りの下駄箱。
だが、クラスの空気だけが、少し違っていた。
朱音はランドセルを背負い、階段を一歩一歩上がりながらつぶやく。
「……なんだか、みんな、昨日までとは違うみたい」
隣に立つ玲が、静かに観察を加える。
「事件の記憶は、子どもたちの行動や会話にも微妙に影響する。些細な変化でも見逃してはいけない」
そこに、心理観察スペシャリスト・九条凛が現れた。
彼女はクラス全体の表情、声のトーン、動作の一つ一つを注意深く記録し、個々の心理的反応を分析することができる。
凛は朱音に向かって柔らかく言った。
「朱音さん、無理に声を出さなくてもいいわ。ただ、自分の感じたことをしっかり覚えておくの。小さな直感が、後で大きな意味を持つこともあるから」
朱音は小さく頷き、いつもの教室へと足を進めた。
午前10時05分、学園・音楽室
音楽室で消えた楽譜の件が持ち上がった。
先生や生徒たちが探しても見つからず、誰もが諦めかけたそのとき――
朱音が小さな声で呟いた。
「……もしかして、ここにあるんじゃない?」
玲は即座に反応し、朱音の視線の先を確認した。
「どこに気づいた?」
朱音はスケッチブックを膝に置き、机の下にわずかに覗く紙の端を指差す。
そこに、現場分析スペシャリスト・御子柴理央が現れた。
彼は紙や資料の配置、物理的な痕跡、微細な汚れや折れ目から、隠された情報を読み解くことができる。
御子柴は朱音の指差した方向にしゃがみ込み、慎重に手を伸ばした。
「ここか……。やはり、意図的に隠されていた形跡がある」
朱音は小さく息を吐き、少しほっとした表情を見せた。
午後2時30分、玲探偵事務所
玲探偵事務所には、連日電話とメールが鳴り止まなかった。
「行方不明」「浮気」「遺産トラブル」、そしてメディアからの出演依頼まで、内容は多岐にわたる。
朱音がソファに座りながら、受話器のケーブルを絡めて小さくため息をついた。
「玲さん……今日も忙しいね」
玲は淡々とモニターを見つめながら答える。
「仕方ない。どんな案件でも、事実と向き合うしかない」
そこに、情報分析スペシャリスト・橘奈々が登場した。
奈々は大量の電話内容やメール、過去の事例データを瞬時に整理し、優先度を付け、現場への指示に変換できる。
奈々は手元のタブレットを操作しながら言った。
「すでに対応すべき案件をリスト化しました。緊急性の高いものから手配します」
朱音はスケッチブックを膝に置き、静かに奈々の指示を待った。
午後3時15分、玲探偵事務所
玲宛に届いたのは、手書きの封筒だった。
差出人は――水科瑞穂。
封筒を慎重に開けると、中には列車事件に関わる極秘資料と、メッセージが挟まれていた。
朱音が隣で覗き込み、低く呟く。
「瑞穂さんから……直接、ね」
玲は資料を広げながら頷く。
「彼女の指示なら、裏情報として価値がある。だが、誰にも渡せない」
ここで新たに導入されるのは、記録・証拠分析スペシャリスト・御子柴理央。
御子柴は、膨大な書類やデータの中から微細な矛盾や隠された関連性を見抜き、事件全体の構図を浮かび上がらせる能力を持つ。
御子柴は封筒の資料に目を走らせ、静かに言った。
「この情報……複数の事件記録と照合すれば、動機と人物関係がより鮮明になります」
朱音は小さく息をつき、玲に視線を送った。
「……これで、事件の全体像が見えてくるのね」
午後4時45分、学校帰り道
秋の風が吹く夕方、通学路の木々は赤や黄に色づき、落ち葉がそよそよと舞っていた。
朱音はランドセルを背負いながら、少し遠くの歩道を見つめた。
「今日は、なんだか静かだね……」
隣を歩く友人が肩をすくめる。
「事件のことがまだ残ってるから、みんなちょっと沈んでるんだと思う」
そのとき、朱音はポケットからスケッチブックを取り出し、落ち葉や校舎の影を描き始めた。
「……でも、少しずつ戻るんじゃないかな」
ここで導入されるのは、観察・心理分析スペシャリスト・九条凛。
九条は、子どもや周囲の大人の微妙な表情や仕草から、心の動きや心理的変化を読み取ることができる。
九条は遠くから歩く朱音を見つめ、静かに言った。
「朱音さんは、あの経験を経て、少しずつ自分の中で整理している。彼女の観察力と直感が、次の行動の鍵になるだろう」
朱音は風に揺れる落ち葉を描きながら、小さく頷いた。
「……次は、何を見つけられるかな」
あとがき
北斗星3号の車内で起きた不可解な事件――それは単なる連続殺人事件ではなく、過去の秘密、封印された記録、そして人間の心理の深淵を映す鏡でもありました。
列車の限られた空間、密室、そして時間の制約。作中で描かれた一連の事件は、まさに“閉ざされた世界での心理戦”の縮図でした。玲探偵と朱音、そして各スペシャリストたちが力を合わせ、現場の証拠、動線、心理の糸を丁寧に紡いで真実に迫る様子は、私自身も物語を紡ぐ中で何度も緊張感を覚えました。
物語を通して描きたかったのは、単なる犯人探しではなく、「人間の記憶と行動の奥底に潜む真実」と、それにどう向き合うかという問題です。特に少年Kを巡る過去の人格操作実験の描写は、倫理や人間性を問いかけるものとして物語の軸になっています。
読者の皆様には、登場人物たちの直感や観察、心理戦、そして証拠の一つ一つが繋がって事件の全貌が明らかになる過程を楽しんでいただければ幸いです。
最後に――今回の北斗星3号事件で描かれた緊迫の11時間半が、物語として皆様の記憶に残ることを願っています。そして、玲と朱音、各スペシャリストの活躍が、少しでも皆様の推理心や観察眼に火を灯すきっかけとなれば嬉しく思います。
ありがとうございました。
――作者より




