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65話 「封沢の記憶」 ― 封印と記録、時を超えた証人たちの物語 ―

登場人物紹介

神崎かんざき れい

 男性。玲探偵事務所の代表。冷静沈着で分析力に優れ、事件や記録の真実を解き明かす“記録調査のスペシャリスト”。

•佐々ささき 朱音あかね

 玲の協力者であり、圭介の娘。幼いころから特殊な“記憶の残響”を受け取り、夢や直感で封印の真相に迫る。今回の探索で“記憶の証人”として成長する。

加賀見かがみ 涼馬りょうま

 考古学者。時任博士の旧友で、封印伝承の研究を目的に朱音たちを案内する。歴史的・考古学的な知見に詳しい。

白木しらき 典善のりよし

 封沢神社の神主。代々村の封印伝承を守る家系に連なる。封印遺構や儀式の正確な場所と方法を案内する“封印の守護者”。

安斎あんざい 柾貴まさき

 記憶・情報干渉のスペシャリスト。封印儀式の現場を守りつつ、外部からの妨害を抑える役割を担う。

御子柴みこしば 理央りお

 記録分析担当。封印文書や映像の解析を行い、朱音の記録や封印構造を科学的に解釈する。

•佐々ささき 圭介けいすけ

 朱音の父。過去の事件で封じられた記憶を持つ。娘の成長を見守りつつ、封印の秘密を理解する手助けをする。

時任ときとう 陽司ようじ

 故人。考古学者にして記憶干渉研究者。封沢村の封印儀式を記録し、映像や文書として後世に遺した。

冒頭


午前7時、玲探偵事務所ロッジ・リビング


朝の光が窓から柔らかく差し込み、薪ストーブの香りとコーヒーの香りが静かに混ざり合う。神崎玲は郵便受けから取り出した封筒を手に取り、じっと見つめていた。


「差出人不明、か……」


彼の指先が封筒の朱色の封蝋を撫でる。中央には尾を咥えた蛇、ウロボロスの紋章。古代の再生と循環を象徴する図案であり、失われた秘儀の文書にも見られるものだ。


朱音が寝ぐせのまま階段を下りてくる。スケッチブックを抱え、ぼんやりと玲を見上げる。


「おはよう……って、なにそれ?」


玲は封筒を掲げる。「依頼かもしれない。ただし、常のそれとは“質”が違う」


テーブルに座り、ナイフで封蝋を丁寧に切る。中から現れたのは、羊皮紙の手紙と複製の古文書断片。


手紙には流麗な筆記体でこう綴られていた。


《選ばれし記録者たちへ》

じられし時の扉が、ふたたび軋みを上げ始めた。

知識は祟りとなり、真実は血を呼ぶ。

その地に遺されし“第二のしるし”を見よ。

ただし、開けるなかれ――“蛇の言葉”に惑わされぬよう」


朱音が覗き込み、息を詰める。「これ……」


玲は古文書の断片に目を落とす。褪せた文字、土で汚れた縁、そして一部の模様は朱音のスケッチ帳に描かれていたものと酷似していた。


「……この紋章、前に朱音が夢で見たって描いたものだな」


朱音は小さく頷く。「でも……夢の中のそれ、封印を開ける儀式みたいだった。歌と、踊りと、赤い月。それに……誰かが閉じ込められてたような……」


玲は静かに視線を落とす。


謎は、再び幕を開けた。

忘れられた封印と、現代に蘇る因縁。

それは、「記録する者」としての二人に課せられた、新たなる探索の始まりだった。


午前7時半、東京郊外の探偵事務所・玄関


戸口のチャイムが鳴った瞬間、玲はすでに椅子から立ち上がっていた。朱音はスケッチブックを抱えたまま、少し驚いた表情で玄関に視線を向ける。


「誰だろう……?」


玲は静かに扉の鍵を外し、ゆっくりと開けた。外には、長いマントを肩に掛けた中年の男が立っていた。濃紺のコートは少し濡れ、灰色の帽子で顔の影を落としている。


「神崎玲さんですね」


男は低く落ち着いた声で言った。手には古びた木箱を抱えている。


「はい、私が玲です。何かご用でしょうか?」


「差し出し人は私ではありません。しかし、これをお渡しするよう命じられました」


男は木箱を差し出す。朱音が小さく息を飲む。箱には同じくウロボロスの紋章が彫られていた。


玲は無言で木箱を受け取り、慎重に蓋を開ける。中には、羊皮紙に包まれた巻物と、小さな金属製の鍵が収まっていた。


「……また、封印の探索か」


玲の目が鋭く光る。朱音はその横で、小さく頷きながら手元のスケッチブックに紋章の模写を加える。


「……あの時と同じように、私たちは記録者として動くんだね」


玲は静かに巻物を手に取り、読み始めた。東京郊外の探偵事務所に、再び不穏な空気が静かに広がっていく。


「はじめまして。私は加賀見かがみ 涼馬りょうまと申します。

一考古学者として――そして、時任博士の旧友として、本日はある“封印伝承”についてご相談に伺いました」


 午前7時45分、東京郊外・探偵事務所・玄関


玲は加賀見涼馬の名を受けて、眉を軽く上げた。


「封印伝承……ですか。なるほど。では、中にどうぞ」


朱音はそっとスケッチブックを抱え、玲の後ろをついて行く。


室内に入ると、玲は手早くコートをハンガーにかけ、椅子に加賀見を座らせた。机の上には、すでに紅茶と小皿が用意されている。


「ありがとうございます……まず、率直にお聞きします。今回の“封印伝承”、一体どのようなものなのでしょうか?」


加賀見は箱から巻物を取り出し、慎重に広げる。紙の端には古びた文字とともに、見覚えのあるウロボロスの紋章が描かれていた。


「これは、時任博士の調査によって記録された、古代秘儀の一部です。人の意識や生命力を“封じる”儀式に関する文書で、過去に数件、現代社会にまで影響を及ぼした事例が確認されています」


朱音は目を丸くし、スケッチブックに目を落とす。紋章が昨日描いたものと重なって見えたのだ。


玲は静かに巻物に手を伸ばし、指先で触れながら問いかける。


「つまり、今回の依頼は――この封印伝承が現代に何らかの形で現れた、ということですか?」


加賀見はうなずき、低く答えた。


「はい。封印の痕跡は都心近郊の古い建造物で確認されました。今回、御社の調査能力と“記録者”としての神崎さんの力が必要だと判断した次第です」


玲は朱音の方を見やり、微かに笑った。


「……また、我々の出番か」


朱音は小さく頷き、封印の謎に挑む覚悟を胸に抱いた。


午前8時10分、東京郊外・探偵事務所・応接室


加賀見涼馬が巻物の文字を指でなぞり、低くつぶやいた。


「ヱン・シン・スイ・クレ……封印文に刻まれた呪文です」


朱音は息をのむ。スケッチブックに描かれた紋章と文字が、まるで呼応しているかのように見えたのだ。


玲は眉間に皺を寄せ、巻物を手に持ったまま加賀見に問いかける。


「それは……どういう意味ですか?」


加賀見は静かに視線を上げ、慎重に答えた。


「直訳は困難ですが、古代言語で“目覚める魂の水を封じよ”という意味合いがあると推測されます。封印対象の意識や存在を留め、外界との接触を断つ呪文です」


朱音は小さく息を漏らした。


「……やっぱり、夢で見た赤い月と、誰かが閉じ込められていた光景は、このことだったのかもしれない」


玲は巻物を慎重に畳み、机の上に置いた。


「……ならば、我々が調査を始める場所も、おのずと絞られるな」


加賀見は深くうなずき、封印の痕跡が残るという建造物の写真を差し出した。


朱音はそれを見つめ、心の中で小さく決意した。


「……絶対に、真実を見つける」


午前8時25分、東京郊外・探偵事務所・応接室


加賀見涼馬は慎重に写真と地図を机の上に並べた。


「これが、博士が最後に手がけていた封印式文。そして、その舞台となった村――封沢ふうざわが、私たちの目的地です」


朱音は目を輝かせながら地図を覗き込む。


「封沢……ここに、本当に“封印”が残っているの?」


玲は腕を組み、静かに答えた。


「文書と古文書の断片から推測すれば、可能性は高い。だが、封印の実態や危険性は未知だ」


加賀見は巻物を慎重にまとめ、言葉を続けた。


「封沢には、古くから伝わる“第二のしるし”が存在します。その封印が何を守り、何を閉じ込めたのか、調査する必要があります」


朱音は小さく息を飲んだ。


「……また、封印の謎に触れるのね」


玲は窓の外を見つめ、低くつぶやいた。


「覚悟して進むしかない。だが、今回はただの探索では終わらない。封印の真実を暴く旅になる」


加賀見は地図を丁寧に畳みながら、最後に告げた。


「封沢への道は容易ではありません。しかし、時任博士の遺志を継ぐ者として、私たちは向かうべきです」


朱音はスケッチブックを抱きしめ、力強く頷いた。


「……行こう。絶対に、封印を解きたい」


午前10時15分、関東地方・高速道路・車内


朱音は窓の外をじっと見つめながら、スケッチブックに手を伸ばす。


「緑がいっぱい……東京と全然違うね」


玲は運転席に座り、ハンドルを握ったまま答える。


「自然が濃くなるほど、目的地に近づいている証拠だ。封沢は山あいの小さな村だ」


加賀見涼馬は助手席で資料を広げ、地図を指さした。


「この辺りから未舗装路になる。道中は注意が必要です。古い村道も多く、迷いやすい」


朱音は小さな声でつぶやく。


「昔の村って……封印の伝承とか、本当にあるんだろうね」


玲は目を前に向け、静かに言った。


「可能性は高い。文書にも、封印が封沢の中心にあると記されている」


加賀見が少し身を乗り出し、興奮気味に続ける。


「封印を巡る儀式は、外部の者が踏み込むことを想定していない。慎重に行動しないと危険だ」


朱音は小さく息を吸い込み、決意を固めるように頷いた。


「……でも、絶対に見たい。封印の真実を」


玲も静かに頷き返す。


「そのために、今日ここまで来たんだ。封沢の謎は、すぐそこだ」


車は緩やかにカーブを曲がり、濃い緑の中へと吸い込まれていった。


午前10時45分、関東地方・高速道路・車内


加賀見がぽつりと告げた言葉の余韻が車内に残る。


「封印には、見る者の意思や覚悟が試される――と、文献にある」


玲はミラー越しに後部座席の朱音を見た。


「……朱音、今描いている模様、覚えているか?」


朱音はスケッチブックから目を離さず、鉛筆を止めたまま小さく頷く。


「うん、昨日の夜から夢で見たやつ……不思議な模様。円がいくつも重なって、その中心に四つ目の目があるの」


加賀見は興味深げに前の席から身を乗り出す。


「その記号――封印の中核に使われる“観察の目”かもしれない。儀式文にも、四つ目の記号が真実を見極める鍵として描かれている」


朱音は息を呑み、手を止めて玲に視線を向けた。


「……見えるの、私だけかな。夢の中でも、ずっとこの目が私を見てた」


玲は静かに頷き、ハンドルに力を込めた。


「いいか、朱音。この目は単なる記号じゃない。君の直感――記録する者としての感覚――が、その先を導く」


加賀見も真剣な声で付け加える。


「封沢に着けば、君の描いた模様が、実際の封印とどれほど符合するか、はっきり分かるだろう」


朱音はスケッチブックを抱きしめ、深く息を吸った。


「……うん。絶対、見届けたい」


車は再び緩やかに曲がりながら、山道の奥へと進んでいった。


午前11時10分、中央自動車道・諏訪南IC付近・車内


玲はハンドルを握ったまま、前方の標識をちらりと見た。


「諏訪か……封沢まではまだ距離があるな」


朱音は窓の外の山々を見つめながら、小さく呟いた。


「山道、ずっと続くのかな……」


加賀見が助手席で書類を手に取りながら答えた。


「封沢村は急峻な地形に囲まれていて、昔から外界とは隔絶されていた場所だ。一般道を進む間も、注意が必要だろう」


玲はミラー越しに後部座席の朱音に視線を送った。


「朱音、車に酔わないか?」


朱音は首を振り、スケッチブックを膝に抱えたまま答える。


「大丈夫。景色を見ると落ち着くし……夢で見た場所に近づいてるって思うと、少しワクワクもする」


加賀見は小さく微笑む。


「封印が待つ場所だ。君たちの感覚が、これからの探索で重要な指針になる」


玲はハンドルを握り直し、アクセルをゆっくり踏む。


車内に静かな緊張が流れる中、三人は封沢村への道を、緑に包まれた山間へと進めていった。


午前11時35分、中央道・山間の一般道・車内


加賀見は書類を軽く指でなぞりながら、低く告げる。


「記録が正しければ、第一の石室は今日、姿を現す……」


朱音が眉をひそめて訊いた。


「石室……って、洞窟みたいな場所?」


「そうだ。封沢の古い伝承に残る、秘密の石室だ。夏至から数えて60日目、“眠る蛇の門”が再び開かれる」


玲は道路に視線を戻し、慎重にカーブを曲がりながら答える。


「封印が動く瞬間か……この目で確かめる必要があるな」


朱音は膝のスケッチブックに目を落とし、慎重にペンを走らせる。


「……眠る蛇の門、って……蛇が封印の番人なの?」


加賀見は小さく首を縦に振った。


「比喩的表現だが、古文書では守護者の象徴として蛇が描かれている。門が開く時、何かが動き出す」


玲はスピードを少し上げ、緑に囲まれた山道を進める。


車内に緊張と期待が静かに混ざる中、三人は封沢村へと近づいていった。


午前11時57分、封沢村近郊・林道終点


舗装の切れた林道を抜けた先、車の前に現れたのは、荒れ果てた斜面と苔むした石段だった。

それは、地図にも載らず、標識もない。


玲はハンドルを握る手をゆっくりと離し、GPSの座標表示に目を落とす。


「……ここで間違いないな」


加賀見が車外に目を向け、苔に覆われた石段を慎重に見つめる。


「記録どおりなら、この先に第一の石室が眠っているはずだ。誰も近づかない場所だから、封印は残ったままだろう」


朱音は窓越しに石段を覗き込み、息をのむ。


「……すごい……こんな場所、ほんとにあるんだ……」


玲はアクセルを軽く踏み、車を石段手前で停める。

「装備は整えてあるか?ここからは徒歩だ」


加賀見は背中のリュックを確認し、深く頷く。

「はい。懐中電灯、地図、文書複製……すべて揃っている」


朱音もスケッチブックを抱え直し、息を整える。

「……行くの、ね……」


「そうだ。封印を、この目で確かめるんだ」


三人は車を降り、苔むした石段へと足を踏み出した。

林の匂いと湿った空気が立ち込める中、封沢の山奥で静かに待つ“眠る蛇の門”へ、探索の一歩を進めるのだった。


午前12時03分、封沢村・林道終点の苔むした石段上


玲は苔に覆われた石段の中腹で立ち止まり、朱音のスケッチを取り出す。

「……この螺旋、朱音のスケッチと一致する。中心に“開門”の象形がある」


朱音は目を丸くして覗き込む。

「これ……夢で見た印と同じ……。赤い月の下で誰かが――」


加賀見が低く声を落とす。

「“開門”とは、封印された石室の入り口を象徴する記号だ。古代文書では“眠る蛇の門”を開く鍵として描かれている」


玲は石段の奥を見据える。

「この象形に従って動けば、封印の扉が現れる……ただし、触れるべきではない。封印は力を持っている」


朱音が息を飲む。

「……つまり、ここが儀式の現場、なの……?」


加賀見は頷き、リュックから懐中電灯と手袋を取り出す。

「そうだ。第一の石室、封印はまだ解かれていない。この“開門”の象形を正しく読み取ることが、安全に探索する唯一の方法だ」


玲は螺旋模様を指先でなぞるように見つめる。

「……分かった。慎重に、だ。無理に力ずくで開けるのは禁物だ」


三人の影が苔むした石段に長く伸びる。

深い山の静寂の中、封印された門は静かに彼らを待っていた。


午前12時15分、封沢村・苔むした石段の下


朱音が足元の苔を踏みしめながら小声で呟く。

「神に問われる……って、なにを?」


加賀見はメモ帳を閉じ、慎重に周囲を見渡す。

「古文書や伝承では、この坂を登りきった者だけが“封印の真意”に触れる資格を得る、とある。失敗すれば、封印の力に翻弄される……と記されている」


玲は石段の先を見据え、静かに言った。

「つまり、ここをただ登るだけでも危険がある。慎重に、一歩ずつだ」


朱音はスケッチブックを抱き締め、軽く頷いた。

「……分かった。無理はしない」


加賀見はザックから懐中電灯を取り出し、照らしながら階段に一歩踏み出す。

「それでは、封石の坂を上ろう。ここから先が、封印の門への道だ」


三人の影が苔むした石段に重なり、森の静けさの中に足音だけが響く。

風が木々の間を抜け、古の石段に冷たい空気を運んだ。


午前12時45分、封沢村・封石の坂上の岩棚


加賀見が足を止め、岩棚を見上げながら静かに言った。

「……ここだ。文書にあった“第一の石室”は、この岩棚の奥にあるはずだ」


朱音がスケッチブックを抱えたまま前に一歩踏み出す。

「……あれ、穴みたいになってる。中に入るの?」


玲は岩棚の奥をじっと見つめ、慎重に声を落とす。

「中には何が待っているか分からない。だが、封印の手がかりは確実にここにある」


加賀見はザックから縄とライトを取り出し、朱音の肩にそっと手を置いた。

「光と注意を忘れずに。ここから先は、封印の領域だ」


朱音は深呼吸を一つして、岩棚の入口を覗き込む。

「……なんだか、ドキドキする」


玲は懐中電灯を手に、ゆっくりと岩棚の中へと足を踏み入れた。

「慎重に。暗闇の中に、古代の力が眠っている」


三人の影が岩棚の中に吸い込まれ、外の木漏れ日とは別世界の静けさに包まれていった。


午前12時50分、封沢村・第一の石室内部


朱音が壁に手を当て、指先でかすかな刻印をたどる。

「……あっ、これ……私のスケッチと同じ形。四つ目の目みたい」


玲が懐中電灯で刻まれた象形を照らしながら、静かに言う。

「……第四の象形か。夢で見た紋章と一致している。封印の“鍵”の一つだろう」


加賀見がノートにメモを取りつつ、壁を注意深く観察する。

「この象形は、入口の螺旋紋と呼応している可能性がある。中心を示す記号……“開門”の指標だ」


朱音が息を呑む。

「……ここに手を置くと、何か起きるのかな……?」


玲は慎重に朱音の手元を見守る。

「焦るな。封印には順序がある。象形は単なる飾りではない、触れる場所と順番がすべてを左右する」


石室の中に漂う冷気が、三人の呼吸を静かに震わせた。

刻まれた第四の象形が、封沢村に眠る古代の謎への扉であることを、ひそやかに告げていた。


午前12時55分、封沢村・第一の石室内部


朱音は石壁の前に立ち、深く息を吸う。

「……“記す者にして、夢見る者”……私のこと、だよね」


玲は静かに頷く。

「そうだ。朱音、お前の直感と記録する力――両方が、この封印を解く鍵になる」


加賀見が慎重に周囲を見渡す。

「石室の構造は複雑だ。象形や記号は単なる装飾ではなく、封印を維持する“結界”の一部だ。朱音、君が触れるべき場所はそこにある」


朱音は小さく手を伸ばす。

「わかった……慎重に……」


石壁の冷たさが指先に伝わり、微かな振動が走る。

朱音の目が閉じられ、彼女の心の中で夢と現実が重なり合う瞬間――封沢の古代結界は、ゆっくりと目覚め始めた。


午前13時15分、封沢村・第一の石室内部


朱音は息を整えながら、天井の高さに目を見張った。

「……広い……思ったよりも、ずっと……」


玲が静かに声をかける。

「ここが、封印された空間の中心部だ。気を抜くな。何が潜んでいてもおかしくはない」


加賀見は手元の懐中電灯を壁に向け、象形文字や古文の刻印を照らす。

「石室内の湿度と形状から察するに、ここは自然の洞窟を人工的に加工したものだ。中央の祭壇、そして壁の象形がすべて封印の構造になっている」


朱音は石壁に手を触れ、深く呼吸する。

「……夢で見た景色と同じ……ここに、封印の“鍵”があるのね」


玲は軽く頷く。

「朱音、お前の直感がすべてだ。迷わず進め」


石室の奥、微かな風の通り道で埃が舞い、わずかに光を反射する。

朱音の瞳が光を追い、封印の中心へと歩を進めた。


午前13時30分、封沢村・第一の石室内


加賀見涼馬は朱音の隣で、壁の象形文字をルーペで慎重に観察していた。

「……間違いない、これは古代の“封石儀式”に用いられた文字群だ。単なる装飾ではなく、空間全体を封印構造として設計している」


玲が眉を寄せて資料を指差す。

「加賀見、ここまで完全な三重螺旋は見たことあるか?」


加賀見は首を振る。

「いや、ここまで保存状態が良く、かつ中央の蛇の象形まで含めた配置は極めて稀です。朱音さんの描写能力が、まるで石室の内部構造を“透視”したかのように正確だ」


朱音が小さな声で言う。

「……でも、これ、どうして私のスケッチの方が鮮明に見えるの?」


加賀見は微笑む。

「それは君が“夢で見た記憶”を持っているからだ。科学では説明できないが、封印の作用は心理的な感覚にも干渉する。君の直感、君自身の視覚記憶が、この封印の解読に不可欠になる」


玲が石壁を指さす。

「よし、ここからは君の能力に頼る。朱音、この封印の意味を“読む”ことができるのは、今この瞬間、君しかいない」


朱音は深呼吸し、壁画に手をかざす。

「……わかった。行くよ」


石室の空気が微かに震え、三人の影が壁面の象形文字の前で交差する。

封印の秘密を解く第一歩が、静かに、しかし確実に始まろうとしていた。


午前13時45分、封沢村・第一の石室内


朱音が壁面の象形を指でなぞりながら、封蝋の紋章を思い出す。

「……これ、あの手紙の封蝋と同じ。輪の中に蛇が尾を咥えている紋章……“ウロボロス”だ」


玲は手元の羊皮紙を広げる。

「手紙には、こう書かれていた。『封じられし時の扉が、ふたたび軋みを上げ始めた。知識は祟りとなり、真実は血を呼ぶ。その地に遺されし“第二の印”を見よ。ただし、開けるなかれ――“蛇の言葉”に惑わされぬよう』」


加賀見が眉を寄せ、スケッチブックと壁面を交互に見比べる。

「つまり、この石室そのものが“第二の印”――封印の中心であり、封印式文に記された場所と完全に一致する」


朱音が小さく息を吐く。

「……封印を解くための指示が、そのままここに現れている……夢で見た通りだ」


玲は静かに頷き、壁画の中央に手をかざす。

「よし、封印の意味を読み取り、次の行動を決める。朱音、この符号と象形の関係を教えてくれ」


朱音は壁面を凝視し、低くつぶやいた。

「この三重螺旋の中心が“眠る蛇の門”。開くためには、記す者と夢見る者――二つの力が必要……」


加賀見が慎重に付け加える。

「封印は単なる物理的な扉ではない。象形、符号、心理――あらゆる要素が絡み合った古代秘儀だ。失敗すれば、知識は祟りとなり、真実は血を呼ぶ……手紙の警告は本物だ」


玲は深く息を吸い込み、朱音の肩を軽く叩く。

「ならば、二人の力で封印の意味を解く。進むぞ」


石室の静寂が、三人の決意を受け止めるように重く響いた。


午後14時20分、封沢神社・拝殿前


朱音が石段を一段ずつ慎重に登る。

「……この空気、なんだか緊張する」


玲は背後で息を整えながら答える。

「神社の拝殿は、単なる建物じゃない。封印の痕跡が、構造や柱の位置にも残されている」


加賀見が手にした古文書を指差す。

「文献には、祭祀の場として使用されていた柱の一本一本が、封印の“符号”に対応しているとある。位置のずれや損傷が、封印の解放条件に関わる可能性が高い」


朱音は拝殿の正面を見上げ、低くつぶやいた。

「……ここで、封印式を行ったのね。夢で見た景色と重なる」


玲は拝殿の軒下に手を触れ、木材の感触を確かめる。

「確かめるべきは、古文書と現場の一致。朱音、符号を追って柱の位置を確認してくれ」


加賀見が周囲を見渡しながら付け加える。

「この神社は村人たちにとっても特別な場所だ。軽々しく封印に触れれば、警告どころか祟りに直結する」


朱音はスケッチブックを広げ、柱や軒の形状を丁寧に写す。

「……でも、私なら、記す者として、この封印を追える気がする」


玲は小さく頷き、二人を見渡した。

「なら、進もう。封印の核心は、この拝殿にある」


苔の香と木の匂いが漂う拝殿前に、三人の静かな緊張が満ちていった。


午後14時35分、封沢神社・社務所縁側


白木典善がゆっくりと手を合わせ、礼をする。

「……ようこそ。封沢の神職、白木典善です。長い年月、封印の守り手を務めてきました」


玲は深く会釈を返す。

「こちらが、朱音です。今回の件で協力をお願いしたく参りました」


白木が朱音に視線を移す。

「……君が“記す者”か。夢に導かれ、封印を追う者だと聞いている」


朱音は少し戸惑いながらも返す。

「はい……記録と観察、両方を担当します」


加賀見が横から資料を差し出す。

「白木さん、この神社に残る古文書の解析を進める必要があります。封印式の詳細について、村の口伝も併せて教えていただきたい」


白木は軽くうなずき、静かに縁側に腰を下ろす。

「封印は、単なる言葉や符号ではありません。祭祀の動作、神職の型、そして“選ばれし者”の存在によって、初めて意味を持つ。君たちのような者が来るのは……百年に一度あるかどうか」


朱音は封印の文様が描かれた紙を広げ、白木に差し出す。

「この象形、拝殿や石室の壁に刻まれたものと一致します。封印の場所を特定できるでしょうか」


白木は目を細め、紙の文様をなぞるように視線を動かす。

「……なるほど。確かに、古い封印の印。だが封印は一つではない。複数の“層”があり、それぞれを慎重に解読しなければならない」


玲が腕組みをして考え込む。

「層……つまり、単独では開かない。複合的な条件が必要だと」


白木は静かに頷いた。

「そうです。封印の核心は、石室と拝殿、そして“選ばれし者”の認識と行動。すべてが揃って初めて門は開く」


朱音は小さく息をつき、封印文様を指でなぞる。

「……私が“記す者”として、何をすべきか、少しずつわかってきました」


三人の間に、緊張と覚悟の静寂が漂う。

封沢神社の縁側に、封印への扉を開く者たちの影が重なった。


午後14時50分、封沢神社・拝殿縁側


朱音の指先が紙の文様の中央をなぞる。

「封印の儀、そして……“蛇の輪”」


白木は静かに目を閉じ、深く息をついた。

「……その名を口にするとは、君もまた選ばれし者か」


朱音の描いた象形の中心には、尾を咥えた蛇が円を描く図案が浮かんでいた。

蛇の頭は口を大きく開き、尾をしっかり咥えて輪となる。その円は内側と外側に細い二重の線を持ち、まるで永遠の循環を象徴するかのように渦巻いていた。


白木が手で空間に輪を描く。

「これが“蛇の輪”。ただの模様ではない。輪をなぞるように儀式を行い、選ばれし者の意識を集中させることによって、封印の層が解かれる」


朱音は目を見開き、紙の上で蛇の輪を何度もなぞる。

「……円の外周から内側へ、意識を通す……」


玲が横から覗き込み、声を潜める。

「円の中にある小さな象形……これが“鍵”の役割か。朱音、君が描いた四つ目の印はここに重なる」


白木は頷き、慎重に言葉を選ぶように続けた。

「封印の真髄は、形と動作、そして認識の連鎖にある。この“蛇の輪”は、時と空間を繋ぐ媒介なのだ」


朱音は息を整え、深く紙を見つめる。

「……わかりました。私が意識を導き、記録する。これが、封印を開くための最初の行動」


午後の光が縁側に差し込み、紙の上の蛇の輪が柔らかく輝く。

三人の間に、封印を解く儀式の静かな覚悟が漂った。


【2025年11月25日 午後4時12分/旧村外れ・第一遺跡 石室前】


石室の入口には、冷たい風が吹き抜けていた。

苔むした石壁に差し込む夕陽が、薄橙の筋となって揺れている。


玲は手袋を外し、封蝋の押印を白木に見せつけるように、そっと差し出した。


「――白木さん。第一遺跡の石室で、“記憶の書”を見つけました。

あの封蝋と、あなた宛に先日届いた封書の印は一致しています。これは……偶然ではないでしょう?」


白木の喉がひくりと動く。


「そ、それは……私は知らない。記憶の書なんて、触れたこともない……!」


朱音は玲の背に半分隠れながら、石室の奥を指さす。


「……ねぇ、玲さん。さっきから、奥で“誰かの声”がしてるよ。

泣いてるみたいな……うまく言えないけど……すっごく、寂しそう」


玲は振り返り、朱音の肩にそっと手を置いた。


「大丈夫だ。朱音ちゃん。どんな声がしても、君はここにいていい。

むしろ――君の耳が必要なんだ」


白木は後ずさり、手にした懐中電灯が震えている。


「ま、待ってくれ……。私は本当に何も知らない……。

この遺跡の調査を頼んだのも、ただ昔の石碑を確認したかっただけなんだ!」


玲は一歩踏み込み、低く告げる。


「じゃあ聞かせてください。

“封書を誰が投函したのか”――そして、あなたが十年前の倉庫事件と、どうつながっているのか」


白木の顔が一瞬だけ、苦く歪んだ。


そのとき。


石室の奥から、乾いた小石の転がる音が響いた。


朱音がびくっと肩を震わせる。


「……あっ……!」


そして――ありえないはずの声が、夕闇の風に溶けるように届いた。


「玲……朱音……下がれ!!」


圭介だった。


玲と朱音と白木、三人しかいなかったはずの石室前に、

夕陽を背負うようにして圭介が現れた。


息を荒げ、額に土をつけたまま、必死の形相で叫んでいる。


「罠だッ!! その石室――“封じてある記憶”を触れた者を狙う仕掛けがある!!

白木さん、あなたもだ! すぐに離れろ!!」


白木は言葉を失い、朱音は圭介へ向かって一歩駆け出す。


「パパ! なんでここに……!?」


圭介は朱音を抱き寄せ、周囲を素早く見渡した。


「玲、誰か来る。足音がする。

――“消された記録を補完しようとすると、必ず動く連中”だ。俺が誘導する!」


玲は目を細める。


「……圭介。先にここへ来ていたのか?」


圭介は短くうなずいた。


「石室の内部、少しだけ見た。この“記憶の書”は……誰かが、十年前に“封じ直した”跡がある」


玲の視線が鋭く深まる。


白木は膝を震わせながら、その言葉に息を呑んだ。


「十……年前……? まさか……私が調べていたあの事故と……」


圭介は白木の肩をつかみ、真っ直ぐに告げる。


「白木さん。あなたの依頼は“情報提供”じゃない。

――“記憶を狙ってる誰かに誘導されてる”んだ。

その封書も、調査依頼も……全部、仕組まれてる」


石室の奥から、また小石がぱらりと落ちる──。


玲は即座に指示を飛ばした。


「全員、後退。

圭介、ここの地形は把握しているか?」


「任せろ。ここは俺の“封じられた記憶”が最後に残っていた場所だ」


その言葉に、朱音の目が大きく開かれる。


夕陽が沈みかけ、第一遺跡に長い影が落ちた。


物語は――決して偶然ではなかった。


【日時:午後4時12分/場所:白木神社・拝殿裏の旧倉】


白木神主の案内で通された旧倉は、夕陽の赤がひそやかに差し込み、埃が光の粒になって宙を舞っていた。

床板は足を乗せるたびにぎしりと悲鳴をあげ、長く人が出入りしていなかったことを物語っている。


「このあたりの古文書は、代々の神主が保管してきたものでしてな。何がどこにあるのか、すべて把握できているわけではないのですが……」


白木神主が申し訳なさそうに微笑む。


玲は応えず、ただ一心に棚の奥へ視線を向けていた。

そこに――ひときわ黒ずんだ厚い表紙の古書が、周囲の紙束とは明らかに異なる存在感を放っていた。


朱音がそっと玲の袖を引く。


「れいさん……あれ、変だよ。なんか……呼んでるみたい」


玲は短く息を飲む。


「……感じたか、朱音。私もだ」


手を伸ばし、慎重に古書を引き出すと、表紙に刻まれた金の紋様が、夕陽に照らされてかすかに光った。


白木神主が目を見開く。


「それは……“記憶の書”と伝わるものに、よく似ています。まさか、本当にここに……?」


玲は表紙を撫で、金の封蝋がかすかに崩れかけているのを確認した。


「白木さん。第一遺跡の石室で見つけた封蝋……覚えていますね?」


「ええ。封呪を破られた形跡があった、あの赤い蝋ですね」


玲は低い声で続けた。


「一致しました。この本の封蝋の印と、先日私たちの事務所に届いた封書の印……同じ刻印です。

――偶然ではないでしょう?」


白木神主はしばし言葉を失い、やがて喉の奥で固い声を絞り出した。


「……これは、動いた者がいるということですな。封書を送った者、石室を荒らした者、そして“記憶の書”をここに置いた者……すべて、同一人物かもしれません」


朱音が不安げに玲を見る。


「じゃあ……その人は、まだ近くにいるってこと?」


玲は古書を閉じ、ゆっくりと首を横に振った。


「近いかどうかはわからない。ただ――」


その瞬間、旧倉の入口付近で、乾いた木板が軋む音がした。


朱音が身をすくめ、白木神主が背筋を伸ばす。


玲は一歩前へ出て低く声を発した。


「……誰だ?」


夕陽の影の中から、ゆっくりと人影が現れた。

土埃をまとったコート、額に汗、息は荒い。


「――圭介さん!?」


朱音の声が跳ねた。


佐々木圭介は、肩で息をしながら、玲の手にある古書を見つめた。


「間に合った……それを、開くな。まだ“鍵”がそろっていない」


玲の目が細められる。


「どうしてあなたがここに? あなたは社務所で待っているはずだった」


圭介は、荒く息を整えながら言った。


「……待っていられるわけないだろ。

“記憶の書”が動いたなら、必ず誰かが“朱音”を狙う。あの封書が届いた時点で、もう安全なんてどこにもなかったんだ」


朱音が大きく目を開いた。


「パパ……」


圭介は朱音の肩に手を置き、しかし視線は玲から逸らさなかった。


「玲さん。あんたたちはまだ知らない。

“記憶の書”の封印が解かれると――十年前の倉庫事件の“もう一人の目撃者”が、呼び覚まされる」


玲は古書の重さを感じながら、静かに言う。


「……説明してもらいましょうか、圭介さん。

その“もう一人”とは――誰です?」


その問いに、圭介は唇を震わせた。


そして、低い声で言った。


「――“僕じゃない僕”だよ。十年前、あの倉庫で産まれた“影の記憶”だ」


朱音が息を呑み、白木神主が愕然と目を見開く。


玲は一瞬だけ目を閉じ、すぐに鋭く問い返した。


「つまり……“記憶の証人”は、あなた自身の中にもう一人存在する――そういうことですか?」


圭介は、静かに、しかし確かに頷いた。


「そうだ。

そいつが動き出す前に、この本の封印を確かめなきゃならない。

そうしないと――また誰かが、消される」


【日時:午後4時12分/場所:白木神社・旧倉(拝殿裏)】


玲は、古びた木箱の中にしまわれていた一冊の記録簿をそっと取り出した。

表紙は黒ずみ、角は削れ、だが封蝋だけは異様なほど綺麗に残っている。

その文様を見た瞬間、玲は眉を寄せた。


「……この印、やはり同じだ。先日、依頼主の白木家に届いた“差出人不明の封書”の封蝋。ここに残っていたものと一致する」


朱音が小さく息を飲む。


「じゃあ……その封書を送った人は、昔から白木神社のことを知っていたってこと……?」


白木神主が険しい顔で頷いた。


「記憶の書に関わる者か、あるいは“封殿”の存在を知る者でしょうな。どちらにせよ、外部の人間が触れてよい代物ではありません」


玲は記録簿を開き、目を走らせた。

朱音と依頼主は緊張に固まったまま、息を潜めている。


そして、ページの中ほどで言葉が止まる。


「……あった。“第二封殿”に関する記録。記した者は――時任忠義。白木家の古い守人の一人だな」


《記録書・第二封殿に関する備忘(非公開)》

──記:時任 忠義


玲は読み上げるように、静かに声を落とした。


「『第二封殿は、“影の記憶”を安置する場所とす。これは本来、一個人の記憶ではなく、“事件の記録の影”を写し取ったものなり』……?」


朱音が不安げに肩を震わせる。


「影の……記憶……?」


玲は続きを目で追いながら、低く呟く。


「十年前の倉庫事件。あれは本来、“事故”として処理された。だが――影の記憶が存在するということは……事件の“もう一つの形”が、誰かによって封じられている可能性がある」


依頼主が顔色を変えた。


「では……圭介さんの“影の記憶”とは……?」


玲は記録の末尾を読み、目を細めた。


「……『封殿の封印が解かれたとき、“影の記憶”は本来の持ち主に流れ戻る。その影を受け取る者が、事件の“隠された側面”を見る』……と書いてある」


朱音は震える声で尋ねた。


「じゃあ……お父さんは……十年前の倉庫で、本当は何を見たの……?」


玲は記録簿を閉じ、厳しい声音で答えた。


「――圭介さんは、事件の“目撃者”ではなく、“記憶を封じられた当事者”だった可能性がある」


旧倉の空気が、ぞくりと冷えたように感じられた。

そのときだった。


背後の戸が、軋みを上げて開く。


誰も開けていないはずの戸から、圭介が立っていた。


息を荒げ、額に汗をにじませ、しかし目だけが異様に冷たい。


「……玲さん。悪い……ここに、来ないといけない気がした」


玲は驚愕で立ち尽くす。

彼は確かに外にいるはずだった。連絡もしていない。呼ぶ理由もなかった。


朱音が恐る恐る一歩近づく。


「お父さん……どうしてここが……?」


圭介は胸の奥を押さえ、苦しげに答えた。


「……わからない。でも……頭の奥で……“呼ばれた”気がしたんだ。

十年前……あの倉庫で見たものの続きが――ここにある気がして」


玲は確信した。


圭介の中で、“影の記憶”が動き始めている。


そして、それを引き金にしたのは――

“記憶の書”を届けた犯人だ。


圭介は玲に視線を向け、かすれた声で言った。


「……玲さん。俺は……十年前に、誰を見たんだ……?

そして……何を、忘れさせられた……?」


玲は圭介の目を正面から受け止める。


「――それを知りたいのなら。記憶の書を開封しなければならない。だが同時にそれは、犯人が“待っている行動”でもある」


沈黙が、旧倉をゆっくりと満たしていく。


外はまだ陽があるはずなのに、薄闇のような気配が漂い始めていた。


午前10時45分、封沢村・廃屋(旧診療所)


朱音が床に散らばった古い紙片を拾い上げる。「お父さん……これ、昔の書類みたい。十年前の倉庫で見たものと似てる」


圭介は壁に手をつき、目を細めて呟く。「ああ……間違いない、ここだ……この匂い、紙と薬品の混ざった匂い……」


玲は慎重に古いキャビネットを開け、中の書類を確認する。「圭介さんの記憶の箱も、ここにあった可能性が高い。誰かに持ち去られる前に手がかりを確かめる必要がある」


朱音が床の亀裂に目をやる。「ここ……何か動いた跡がある。お父さんが昔話してくれたことと重なる」


圭介は顔を伏せ、かすかに息をつく。「あの日、俺は見てしまった……人が箱を隠すのを、そして声を……誰も気づいていなかった……でも、朱音、君の記憶もここに繋がる」


玲は静かに頷き、封蝋のついた古文書を手に取る。「この痕跡を追えば、十年前の倉庫事件の真相、そして封印された記録の全貌に近づけるかもしれない」


朱音はスケッチブックを床に広げ、石や床の模様を描きながら言った。「お父さん……夢で見たものが現実と繋がってる。私たちで、この道をたどれば真実が見える」


圭介は小さく息を吐き、娘の肩に手を置く。「頼む……玲、朱音……俺たちの記憶を信じて進め。これで全てが明らかになる」


玲は重々しく頷き、廃屋の奥へと足を進めた。


午前11時30分、封沢村・旧診療所・金庫内


モニターには淡い緑色の文字が浮かび上がり、画面の端には波打つようなノイズとともに映像が再生され始めた。


玲は端末の操作パネルに手をかざし、映像を停止させる。「これは……録画された記録か。博士が残した、封印の手順と“干渉の痕跡”だ」


朱音は端末の光に目を細める。「ねえ……私に見せたの? それとも……誰かが残したの?」


玲は画面に映る映像を指さしながら答える。「映像内の博士は、私たちのような“記録者”の存在を前提に話している。君の記憶の残響も、この端末に記録されたデータと結びつくはずだ」


圭介はそっと端末の横に立ち、画面を凝視する。「俺たちの知覚を超えた記録……でも、ここに全てが残されているんだな……」


朱音は小さく息をつき、画面に映る文字と象形を指でなぞる。「封印……記憶……時を越えて、私に伝えようとしているの……?」


玲は深く頷き、端末を固定したまま慎重に周囲を見回す。「これが“第二の印”の手がかりだ。封印を解く鍵も、そして十年前の事件の真相も、ここに繋がっている」


午前11時35分、封沢村・旧診療所・金庫前


映像内の博士はゆっくりと映像カメラに向き直り、微かに笑みを浮かべながら続けた。


博士(映像内)「映像を通して伝えるのは、君たち“選ばれし記録者”だけだ。朱音のような子供にしか感知できない“記憶の残響”を仮説として残した。これが、封印の仕組みを解く鍵になる」


朱音は画面をじっと見つめる。「記憶の残響……私だけに聞こえる声みたいなもの?」


玲は端末を手で支えながら頷く。「そうだ。君の中の微かな記憶の波形と、この記録が結びつく。だから、封印の解除も君の感覚を頼りに進める必要がある」


圭介は眉を寄せ、静かに呟いた。「十年前の倉庫事件……あの時に消された記憶の断片も、この村の封印と関係していたんだな」


博士(映像内)「封印の対象は、単なる物理的遺物ではない。記憶、証言、感覚――すべてが網となって時間を紡ぐ。君たちが記録し、紡ぎ直すことで初めて、真実は形を現す」


朱音は小さな声で囁く。「私……それを見つけられるの……?」


玲は落ち着いた声で答えた。「君が“記す者”である限り、必ず見つけられる。だが、注意しろ……真実は、時に血を伴う」


映像はそこで一瞬途切れ、画面に淡く残る文字と象形だけが、静かに揺れていた。


午後2時10分、封沢村・谷底の隠れた地形


朱音は膝の上のスケッチブックを見つめながら、小さく息を吐いた。「ここ……この谷の形、全部一致してる……」


玲は谷底を見渡し、手袋をはめた手で岩や倒木を指し示す。「壁面の裂け目、川の流れ、樹木の配置……全部スケッチの通りだ。君の感覚が正しい」


加賀見涼馬が背負ったザックを下ろし、地図とコンパスを取り出す。「ここに来るまでのGPSの座標も確認済みだが、やはり自然の地形に沿って“印”が隠されている。封印は単純な遺構ではなく、地形そのものを利用している」


朱音は指で谷底の小さな石碑を指す。「あそこ……ほら、石に描かれた四角い印、スケッチの“第四封紋”と同じ」


玲はそっと近づき、石碑を撫でながら言った。「ここが、第二の封印の中心点だな。朱音、君の記憶と直感が、再び封印の在処を示している」


加賀見は慎重に周囲を見回しながら言う。「ここに立つ者は、“記す者”であり、“夢見る者”でなければならない。封印は、観察者の意識と連動している」


朱音は深く頷き、スケッチブックを抱きしめた。「私が……開けるんだね、これを……」


玲は落ち着いた声で答えた。「そうだ、朱音。だが、覚えておけ……封印を解くことは、単なる物理的作業ではない。記憶と感覚の迷宮を通る試練でもある」


谷底の風が、静かに石碑を撫でるように吹き抜けた。


午後2時25分、封沢村・谷底


谷底の風が肌を刺すように冷たくなり、木々のざわめきが一層強まる。朱音はスケッチブックをしっかり抱え、肩をすくめながら言った。「風が……強いね。何か、変な気配がする……」


玲は周囲を見渡し、声を低くする。「注意しろ。こういう場所では、自然だけでなく“封印の反応”も敏感になる。気配に慣れるまでは、慎重に」


加賀見が石碑に近づき、指先で表面の模様をなぞりながら言う。「刻印の深さ、位置……風や湿度で反応が変わる可能性がある。準備を整え、慎重に手順を踏むべきだ」


朱音は小さく息を吐き、石碑を見つめながら囁いた。「……でも、私が見つけたのは偶然じゃない。私の記憶が導いてくれたんだ」


玲はその言葉に短く頷き、低く言った。「そうだ、朱音。君の“記憶の残響”が、この封印の鍵になる。風が強いのは警告だ。覚悟を決めろ」


風が谷底を駆け抜け、冷たさと音で三人の決意を試すかのように吹きすさぶ。


午後2時45分、封沢村・谷底


無線機の小さなスピーカーから、冷静な女性の声が響く。「こちらK分室・封沢班。周辺に不審者の気配。航空写真と照合を要請する」


玲は無線を耳に当てながら、朱音と加賀見に視線を送った。「状況を把握するために、外部の目を借りる必要がある。封沢班は現地監視と情報分析の専門部隊だ。動きは最小限に、だ」


加賀見が地図を広げ、指先で谷底の石碑の位置を示す。「航空写真との照合で、石碑周辺の地形変化や新しい足跡も確認できる。単なる自然現象ではなく、何か意図的な動きがあるかもしれません」


朱音はスケッチブックを抱き直し、眉をひそめる。「……誰か、この谷底に潜んでいるの?」


玲は低く答えた。「可能性はある。だが、封印の作用も考慮しなければならない。君の“記憶の残響”がなければ、僕らだけでは手がかりを見つけられない」


無線からはさらに報告が届く。「対象の動きは不規則。夜間まで継続監視を推奨。必要に応じて現地班の増援を」


玲は頷き、装備を確認した。「よし、朱音、加賀見。ここから先は慎重に行動する。専門家の目も借りつつ、封印の核心に迫る」


谷底を吹き抜ける冷たい風が、三人の決意をさらに引き締めた。


午後4時20分、封沢村・第二封殿石室


重たい空気のなか、玲は冷たい石段を一歩ずつ降りていた。懐中電灯の光が、壁に刻まれた古い文様を浮かび上がらせる。


白木神主が低い声で解説する。「……間違いない。これは“交差の印”だ」


玲が視線を追うと、環状と十字を組み合わせた封印の象徴が壁面に刻まれていた。第一封殿では見られなかった構造で、古代儀礼における“結界強化用の配置”を示すという。


その奥、巨大な石扉の前で、加賀見涼馬が手元のレーザー測定器を操作しながら解説する。「輪舞の構え、ここに描かれた彫刻は、中心点を基軸にした同心円と放射線が組み合わさっている。象徴的には“循環する力の流れ”を示し、封印対象を中心にして力を抑制するための構造です」


朱音がスケッチブックを掲げ、石扉の彫刻と照合する。「……私の描いた四つ目の記号と、完全に重なってる」


玲は頷き、石扉の前で手を止める。「専門家の視点で言えば、この交差の印と輪舞の構えが揃うことで、封印の“力場”が最大化される。無闇に触れれば、記憶や感覚に影響を与える可能性が高い」


白木神主は慎重に杖を石扉に当て、彫刻の輪郭をなぞる。「封印の核心は、この先だ。慎重に進むがよい」


谷底の冷たい空気が、三人の呼吸を一層重く、そして研ぎ澄ませていった。


午後4時35分、封沢村・第二封殿石室内部


石扉が重々しく開き、玲たちが足を踏み入れると、そこは円形の広間だった。冷たい石壁が光を反射し、懐中電灯の光が微かに揺れる。


広間の中心には、六芒星状に描かれた舞台が浮かび上がる。床には古びた朱色の線が引かれ、中心点に小さな祭壇のような台座が設けられていた。


加賀見涼馬が低く息をつきながら説明する。「この六芒星の配置は、古代封印儀礼で力の循環を制御するためのものです。中心に対象を置き、周囲に道具を配置することで、意識や記憶の干渉を強める構造になっている」


朱音が慎重に舞台の周囲を歩き、目を見開く。「……鈴、扇、仮面……この配置、私が夢で見た儀式の通りだ」


玲は中心点の台座に視線を落とす。「ここに封印の核心がある。もし“封印の印”を正しく扱わなければ、記録者としての影響も避けられない」


白木神主は石壁に手を当て、慎重に声を落とす。「過去の神職は、この場を“力の結界”として用いた。外界からの干渉を避け、封印対象の記憶を保持するためにな」


空気がひんやりと重く、三人の呼吸を一層研ぎ澄ませていた。静寂の中、微かに鈴の残響のような音が響き、広間全体に緊張が張り詰める。


午後4時42分、封沢村・第二封殿石室内部


朱音が舞台中央に立ち、手元のスケッチブックを握りしめる。床の六芒星と周囲の古道具が、彼女の記憶と奇妙なほど重なって見えた。


「……此処は“記憶の交差点”……夢じゃない。これ、私が――何度も見たことがある……」


加賀見涼馬が石の床にひざまずき、朱音のスケッチと石室の配置を照合する。「君の目に映る景色と、この石室の符号は完全に一致している。古代の記録によれば、“記憶の交差点”とは、時間と個人の記憶が干渉し合う地点――封印対象の記憶が現世に現れる場所なんだ」


玲は静かに朱音の肩に手を置く。「つまり、ここで起きることは単なる象徴じゃない。君の記憶が実際に、この場所とリンクしている」


白木神主が奥の壁に手を触れ、低く呟く。「古文書にも記されている。“交差の印”を踏む者は、封印された過去と対面する。記憶は混線し、夢と現実の境が曖昧になると」


朱音は息を呑む。「私……私の中の声が、ここで正確に響いている……」


加賀見が資料を指差す。「だから君の感覚が正しい。封印は単なる物理的な施錠ではない。記憶と意識の網を絡め、封印対象の情報を保存する装置として機能している」


玲は舞台中央を見下ろし、冷静に言葉を続けた。「ならば、私たちの役割はただ記録するだけではなく――この“交差点”で、封印の真実を読み解くことになる」


空気がさらに重く、広間の隅で鈴の微かな残響が揺れた。三人は互いに目を合わせ、無言で次の行動を思案する。


午後4時55分 封沢村・第二封殿 石室内・中央舞台


朱音の震える指先が、壁面の図解をなぞった。

それは石室に刻まれた古代の線刻と、彼女のスケッチ、そして――

時任博士の残した研究記録と、完全に一致していた。


玲は懐中電灯の角度を変え、刻まれた図の中心を照らす。

そこには、円環と螺旋を重ね、記憶の流れを象徴するような複雑な“型”が刻まれていた。


「これは……記憶の“型”……」

玲が低く呟く。

「朱音の夢は、単なる予知じゃない。これは“伝承された記憶”を受け取っている証拠だ」


その言葉に応えるように、石室の奥から足音が近づく。


「正確には、“継承型記憶素子メモリー・インプリント”と言うべきでしょう」


――新たに姿を現したのは、黒いケースを携えた一人の男だった。

白衣ではなく、機材バッグと特殊ゴーグルを持つ現場仕様の研究者。


「失礼、自己紹介がまだでしたね」

男は軽く頭を下げた。

「国家記憶構造解析室――第七分析分科。

記憶工学スペシャリストの三枝さえぐさです」


加賀見が驚いたように眉を上げる。

「記憶構造解析室……! 君たちが動くということは、これは本当に“封印事件”として扱われているのか」


三枝は石壁の図を検査装置で撮りながら、淡々と答えた。

「ええ。時任博士の研究は未完のまま封印されましたが、記録はすべて把握しています。

博士はこの図を、“記憶を封じたまま伝承する装置の回路図”と推定していた」


玲が目を細める。

「装置……つまり、これは人間の脳だけでなく、この石室そのものが“記憶の格納庫”になっている可能性があると?」


「可能性ではなく、ほぼ確定です」

三枝は膝をつき、六芒星状の中心部を指す。


「この石室は、“記憶の型”を固定し、特定の条件下で“選ばれた受信者”に投影される仕組みになっています。

朱音さん――あなたが夢で見た映像は、この封殿に保存された“誰かの記憶”ですよ」


朱音が息を飲む。

「じゃあ……あれは、私の夢じゃなくて……封印された誰かの声……?」


三枝は頷いた。

「ええ。そしてその“記憶の持ち主”こそ、十年前の倉庫事件と封沢村の封印に深く関わる人物のはずです」


玲が低く、鋭く問う。

「三枝……あなたは、その“記憶の主”が誰なのか、見当があるんだな?」


三枝はわずかに表情を引き締め、石壁の中央に刻まれた“輪舞の構え”を指差した。


「記録にも痕跡が残っています。

“封印された記憶を守る役目を負った最後の者”――

その名は、時任博士が最後に記した人物です」


朱音の瞳が揺れる。


「それって……誰なの……?」


三枝は静かに答えた。


「――佐々木圭介。

あなたの父親が、“記憶封印の最後の証人”でした」


午後5時18分 封沢村・第二封殿 石室内・最奥部


玲が壁面の図解に手を伸ばしたその瞬間、背後の通路から低く押し殺した声が響いた。


「動くな」


広間の空気が一瞬で凍りつく。

反射的に朱音が玲の背に隠れ、加賀見がわずかに身構える。


石壁に反響する足音――それは規則正しく、迷いのない歩幅だった。

懐中電灯の光が通路を切り裂き、やがてひとつの影が広間へ踏み入る。


黒いロングコート、耳元までかかる短髪、鋭い青い瞳。

安斎柾貴――心理干渉と“記録汚染”のスペシャリスト。


玲が息を呑む。「……安斎?」


男は答えず、静かに銃口を玲たちへ向けていた。

その目は、すでにこの場の全てを計算し終えている者のそれだった。


「この封殿に、不審な電磁波の乱流が観測された。

外部から干渉がある……第三者が封印を開こうとしている」


加賀見が一歩前に出る。「その“第三者”って、誰のことだ?」


安斎の視線が、ゆっくりと朱音に向けられた。

少女は息を呑む。


「おそらく――“記憶の型”を持つ者だ」


玲は一瞬、迷わず彼女の前に立つ。

「朱音を疑うのか」


「疑う、ではない。

封印は“記憶の波形”と“夢の残響”を利用して継承される。

時任博士も研究していたはずだろう」


玲は壁に刻まれた図解へと視線を向ける。

そこには、脳波のような波形と、螺旋の封印構造が重ねられた古いスケッチ――

まさに博士が晩年に研究していた“記憶封印装置”と一致する図が描かれていた。


そしてその下に、薄く記されている文字。


 《継承は、夢に現れる》

 《封人は、眠りを介し次代へ渡る》


玲が呟いた。

「つまり朱音の見る“夢”は……封印の継承そのもの……」


安斎が頷く。

その表情には焦燥が混じっていた。


「だからこそ――狙われている。

封印を破り、記憶を奪おうとする連中に」


その言葉が終わるか終わらないか。

石室の奥、六芒星の舞台裏で“何か”が軋むような音を立てた。


朱音が怯えた声で囁く。

「……来る……あの夢の時も……同じ音が、してた……」


安斎が素早く周囲を見渡し、低く命じた。

「全員、中央に集まれ。

記憶封印の結界が破られる。

これから先は――時間が二度、重なる」


玲の胸に走る悪寒。

それは十年前の倉庫事件の気配と、不気味なほど酷似していた。


第二封殿の奥で、封じられた“何か”が呼吸を始めていた。


【第二封殿・円形広間 午後4時12分】


「……すまない、すまない。冗談だよ、玲」


通路の影からゆっくり姿を現したのは、安斎柾貴だった。

薄暗い灯りの中、長いコートの裾が揺れ、手にしていた銃口をそっと下げる。


玲は眉一つ動かさずに言った。


「お前の冗談は、いつも心臓に悪い」


安斎は肩をすくめ、壁際に寄りかかる。


「仕事柄、どうしてもね。……で、ここは“当たり”で間違いないんだろ?」


加賀見は緊張を残したまま、頷いた。


「ええ。ここが第二封殿。時任博士の資料に残された“記憶交差点”――その中心部です」


朱音は舞台の中心に立ち、震える指先で床の紋様をなぞっていた。


「ねえ……玲。これ、私、夢で見た“記憶の舞”と同じだよ」


玲は近づき、小さく問う。


「どういう意味だ?」


朱音は深く息を吸い、まるで“何かを思い出してしまった”ような目で言った。


「舞うとね……だれかの記憶が流れこんでくるの。赤い月、音のない鈴、仮面の人……全部、夢の中にあったの。

でもあれ……予知夢なんかじゃなくて、きっと――」


安斎が静かに言葉を継いだ。


「“記憶の再現”だろ。博士が残した暗号のひとつ……“もうひとつの鍵”だ」


玲が振り返る。


「……鍵?」


安斎はポケットから、小さく折れた紙片を取り出した。

それは、彼が独自に解析していた博士の未解読メモの一部だった。


「時任博士の走り書きにはこうある。“封殿を開くのは、記録者ではない。記憶を抱えた“舞い手”だ”」


朱音の肩が小さく震える。


「……舞い手……私?」


加賀見がゆっくりと頷く。


「朱音さんが“夢で見た舞”――それは封印儀式の記憶です。

古代の神職が行った舞踏を、記憶の型として受け継いだ……あなたが鍵です」


玲は朱音のそばに膝をつき、優しく視線を合わせた。


「無理にとは言わない。だが、お前の記憶はここに通じている。

もう一度だけ、思い出せるか?」


朱音は唇を噛み、床の六芒星の中心を見つめた。


「……やってみる」


安斎は軽く息を吐き、周囲を警戒しながら言った。


「ただし気をつけろよ。封印を“開けようとする”奴らが近くにいる。

俺がここまで来た理由は、それを伝えるためでもある。

“動くな”、は……まあ、謝るけど」


玲は目だけで返す。


「これが冗談で済むならな」


安斎は苦笑し、銃をホルスターに戻した。


「冗談で済ませたいよ、できればね。

だが――封印が動き出してる。お前らも感じてるはずだ」


広間の空気が、ぴしりと音を立てるように緊張した。

六芒星の舞台の中心――そこから、微かな風が吹いた。


まるで“記憶そのもの”が目覚めようとしているかのように。


【15:42/封沢村・旧寺跡(影の社)】


陽が傾きかけた稜線を背景に、崩れかけた祠の礎石が長い影を落としていた。

風が草を揺らし、どこか湿った土の匂いが漂っている。


白木が杖で地面を軽く叩きながら言った。


「古文書にはここを“第二の場”、すなわち**影のやしろ**と記しています。

封印は〈陽の殿〉と〈影の社〉――二つの場を組み合わせて完成すると」


玲は崩れた礎石を観察し、指で古い刻み跡をなぞった。


「……この刻み。第一遺跡の石室と同じ“交差文様”だ」


後ろから、研究者らしき落ち着いた声がした。


「その通りです。

 交差文様は、古代祭祀で“記憶の重ね合わせ”を示す印とされていました」


振り向くと、白木の紹介で同行してきた民俗学者――

**祓詞はらいし専門の民俗祭祀スペシャリスト・榛名はるな 悠斗ゆうと**が立っていた。

黒縁眼鏡を押し上げると、散乱した礎石を一つずつ吟味するように見渡す。


朱音がスケッチブックを抱えたまま尋ねた。


「“影の社”って……なにをする場所なの?」


榛名は穏やかに微笑み、彼女の描いた螺旋のページを指した。


「影の社は、“記憶の裏側”を定着させる場です。

 対になる“陽の殿”で記録された記憶を、こちらで“影=反転”として写し取る。

 俗に言う〈裏記録〉が作られる場ですね。

 本来、封印は両方を揃えて初めて作動する」


玲の眉が鋭く動いた。


「……つまり誰かが、この“影の記録”を意図的に隠した可能性がある」


白木が低く呟いた。


「十年前の倉庫事件。あれも……“記憶の抜け落ち”が多すぎた。

 封沢の封印儀式と──無関係とは言い切れません」


朱音が息を呑む。


榛名は、祠の跡に膝をつき、石に残された線刻を慎重に読み取った。


「これは……珍しい。

 “外側封そとがわふう”と“内側封うちがわふう”、

 二つの封印術式が上から書き換えられている」


玲が近づいた。


「書き換えられている……? 誰かが意図的に?」


「ええ。しかも、この線の癖は……最近のものです。

 おそらく数年以内に施されたもの。

 古代式とも、村の伝承式とも違う。

 ――第三の手が加わっている」


朱音が震える声で言った。


「第三の……手……?」


榛名が頷いた。


「“誰かが封印を外ではなく、誤った形で上書きした”。

 そのせいで封印の均衡が崩れ、今──“記憶の目覚め”が起き始めている可能性があります」


玲の視線が鋭くなる。


「……十年前の倉庫事件。

 圭介さんが記憶を失った“あの夜”……

 封印の異変が、すでに起きていたということか」


朱音はスケッチブックを抱きしめる。


彼女の描いた“第四の象形”が、夕焼け色の空に照らされ、暗く揺れていた。


白木典善が目を見開いた。


【影の社跡・午後/封沢村 山中】


白木のつぶやきが風に溶けて消えた。

玲は崩れかけた祠を見つめたまま、眉を寄せる。


「“封を二重に施す”……普通なら、封印をより固くするための措置だ。だが――」


その言葉を引き取るように、加賀見涼馬が祠の奥に膝をつき、土を払いながら言った。


「伝承研究の観点から考えると、これは“上書き封印”の跡です。

本来の封を無効化し、新たな意思で、別の封を重ねる……。

まるで、記憶の上に偽りの記憶を貼り付けるような行為です」


朱音が不安そうに玲の袖を軽く引いた。


「……ねえ、玲。

これってさ……“誰かが、ほんとうのことを隠した”って意味……なんだよね?」


玲は静かに頷いた。


「そうだ。しかも“意図的”にな。

封印の上書きは、術者の痕跡がはっきり残る。

……ほら、ここだ」


彼は祠の柱に残った黒ずんだ線を指差した。

焦げ跡のように見えるその紋様を、白木が険しい顔で覗き込む。


「これは……見覚えがあります。

本来の封印を施した古神官の筆跡ではない。

もっと新しい。せいぜい十数年前の手によるものです」


朱音が息を呑んだ。


「……十数年前? じゃあ――」


玲は言葉を継ぐ。


「十年前の“倉庫事件”。

圭介さんの記憶が曖昧になった“あの時期”と一致する」


加賀見が祠の奥の石板に触れ、低くつぶやく。


「おそらく、この村にはひとり……

“封印を書き換えられる人物”がいた。

記録を消し、人の記憶を上書きし、古い封をねじ曲げるほどの技量を持つ者が」


朱音はスケッチブックを抱きしめながら、震えた声で尋ねた。


「その人って……誰なの?」


玲はほんの一瞬、言葉を飲み込み、視線を近くの山影へ向けた。


「今の段階では、断定はできない。

だが――“封沢村の外から来た者”の筆跡だ。

村の古文書の書式と一致しない」


白木も厳しい表情で補足する。


「そして……この書式に似たものを、私は一度だけ見たことがあります。

村の診療所を訪れていた、ある研究者の手元です。

……時任博士が、外部の誰かと共同研究をしていたと噂がありました」


玲の表情がわずかに変わった。


「博士が本当に信頼していた相手……

あるいは、“利用されていた”人物か」


風の音が、急に強くなった。


朱音がぽつりとつぶやいた。


「……じゃあ、わたしが見た“黒い影の人”……

あれって、封印を――書き換えた人なのかな……?」


玲は朱音の肩に手を置き、静かに言った。


「まだ断言はできない。

だが――犯人は、封印を壊したんじゃない。

“書き換えて”、真実そのものを隠したんだ。

圭介さんの記憶が削れたのも……その影響を受けた可能性がある」


加賀見は険しい表情で石段を見つめる。


「封沢村の封印は、二重じゃ済まない。

三重目の封が存在する可能性があります。

“外部の術者”が加えた、もう一つの封印が」


白木は息を飲んだ。


「三重目……。そんな記述、どの古文書にも――」


玲が静かに言葉を継ぐ。


「だからこそ、“誰かが意図的に書き換えた”んだ。

古文書ごと、歴史ごと――な」


風が祠の奥で唸り、枯れ葉が渦を巻いた。


朱音は胸の前でスケッチブックを抱きしめ、小さく言った。


「じゃあ……真実は、まだ“封じられたまま”なんだね」


玲は頷いた。


「だが、その封を開く鍵は――

朱音、君が“夢で見た印”の中にある」


朱音の瞳がわずかに揺れる。


加賀見はページを閉じ、静かに宣言した。


「上書き封印の犯人……

その手掛かりは、この“影の社”に残っている。

そして――十年前の事件にも、確実につながっている」


玲の眼光が鋭く光った。


「追うぞ。

封をねじ曲げ、記憶をいじり、真実を封じた“もう一人の術者”を」


風が村の奥へ流れる。

そこに、まだ誰も近づいていない第三の封殿――

“最後の封”が、ひっそりと息を潜めていた。


【時間:18:42/場所:第二石室・前室】


第二石室の前にある小さな前室。

岩の隙間を抜けた先は、半ば崩れかけた空間だった。自然光はほとんど届かず、懐中電灯の光だけが荒れた石壁を揺らす。


圭介は足元の瓦礫を踏まないよう慎重に進みながら、息を潜めた。


「……思った以上に、荒れてるな。」


玲が後方から灯りを向ける。

「人の気配はしない。けど……崩落は最近じゃない。ここ、長い間放置されてる。」


奈々は壁に埋まる古い金具を指でなぞる。

「これ、扉の蝶番ですね。第二石室の前に“前室”があるなんて、記録には載ってません。」


圭介は一瞬、背筋を冷たいものが撫でた感覚に目を細めた。

「記録にない……またか。」


奈々が肩をすくめる。

「抹消されたか、そもそも書かれていない場所か……。どっちにしても厄介ですよ。」


そのとき、朱音がふっと圭介の袖をつまむ。


「……おとうさん。ここ、誰かが……通った匂いがする。」


「匂い?」

圭介は驚きながら娘を見る。


朱音は鼻先をくすぐるように、小さく首をかしげた。

「うん。土と……ちょっとだけ、煙の匂い。」


玲がすぐ反応する。

「煙……火薬か?」


奈々がライトを床に向けた。

「……ありますね。微量ですが、黒い粉が落ちてる。」


圭介の表情が険しくなる。

「誰かが、ここをこじ開けた……?」


玲は緩やかにうなずいた。

「第三封殿が目的か。だとしたら――もう先に入られてる可能性がある。」


圭介は懐中電灯を握り直す。

自分の掌がわずかに汗ばんでいるのに気づいた。


「……行くしかないな。」


朱音が一歩、圭介の後ろに寄る。

「だいじょうぶ。わたし、ここ嫌じゃない。」


圭介は娘の頭にそっと手を置き、小さく息をついた。

「無理はするなよ。」


玲が前を向き直る。

「第三封殿はこの先の階段を下りた最奥。崩落がひどいが、通行はできるはずだ。」


奈々は携帯端末を操作しながらつぶやく。

「この先で通信が一気に悪くなります。電波妨害……か、天然の岩盤のせいか。」


「どっちでもいい。」

圭介は前を見据えた。

「進もう。」


三人と一人の少女が、薄暗い前室を抜けて、ゆっくりと階段の影へと足を踏み入れる。

冷たい風が、まるで何かを警告するように足元をなでていった。


第三封殿の探索が、静かに始まった。


【時間:18:42/場所:第二石室 前室】


第二石室の前にある小さな前室。

岩の隙間を抜けた先は、半ば崩れかけた空間だった。自然光はほとんど届かず、懐中電灯の光だけが荒れた石壁を照らしている。

天井の一部は落ち、砂と破片が足元を不安定にしていた。


圭介は慎重に足を進めながら、小さく息を吐いた。


「……ここだけ、妙に空気が重いな」


沙耶がライトを上げ、崩れた天井の影を覗き込む。


「石の落ち方が不自然。自然崩落ならもっと散らばるはずよ。誰かが“塞いだ”……そんな風にも見える」


奈々は入口近くにしゃがみ込み、携帯端末を石壁に向けてスキャンした。


「表層の摩耗、千年以上前。でも……その下に新しい削り跡。手が加えられてるわ。最近じゃないけど、誰かが“触った”石室ね」


玲は無言のまま前方の石扉を見つめていた。その表面には、古い文字と崩れた紋章が刻まれている。


「——第二を抜けた者だけが、第三へ至る」


玲が読み上げた瞬間、柊コウキがわずかに身をこわばらせた。


「……第三封殿。そこに“封印の核”があるんだよね」


圭介がうなずく。


「時任陽司が残した記録……“禁じられた証拠”を封じた場所だ」


沙耶はその言葉に眉を寄せた。


「だから誰かがここを半分崩した。封殿に近づかせないために」


玲が石扉の上部を指でなぞる。


「違う。これは“遅延行為”だ。完全に塞ごうとはしていない。——何かを追って時間を稼いだ跡に見える」


奈々が顔を上げる。


「誰を?」


玲「……“真実を暴く者”か、“それを守ろうとした者”か」


静寂が落ちる。

そして圭介が深く息を吸い、石扉に手をかけた。


「行こう。第三封殿が、ここだ」


石扉は古いにもかかわらず、不気味なほど静かに開いた。


――冷気が、前室に流れ込んだ。


【時間:午後 3 時 42 分/場所:第三封殿 内部】


第三封殿の内部は、第二石室とはまるで質感が違っていた。


岩肌の荒々しさが残っていた前室とは対照的に、ここは**“人の手で整えられた”**痕跡がありありと残っている。

壁は削られ、面は平坦。ところどころに古代の文様が刻まれ、そこへ近代的な痕跡――金属製の固定具や、コンクリートで補強された跡――が不自然に混在していた。


まるで、古代の祭祀場を、後世の誰かが上塗りするように再構築したかのようだった。


懐中電灯の光が中央を照らす。


そこには、石棺とは違う。

巨大な直方体の“構造物”が置かれていた。

古代の石と、現代の封印装置が溶接されたような異形のもの。


場所:山間の谷底・第三封殿内部

時間:午後遅く、日が傾き始めた頃


玲は紙片を手に、石壁に刻まれた二重の螺旋紋を指でなぞった。

「これが……第二の封印装置と、記憶の封鎖機構か」


加賀見が静かに補足する。

「表面の紋様は単なる飾りではない。螺旋の中心には、特定の記憶パターンを固定するための“干渉結晶”が埋め込まれている。要は、ここに入った者の記憶の一部を時間ごと封じ込める装置だ」


朱音は顔を顰め、スケッチ帳の象形文字を確認しながらつぶやく。

「……私の夢で見た赤い月の儀式、この装置と同じ構造だ……。ここに閉じ込められたのは、過去の“記録者”……それとも、村人の記憶そのもの?」


玲は紙片を握りしめ、低く言った。

「時任博士が言う“記憶の封印”。それは単なる伝承ではなく、この装置を通じて現実に行われていた。第二の封殿は、村の秘密を守るための物理的かつ精神的な封鎖装置だったんだ」


加賀見が端末で解析結果を示す。

「記憶干渉の痕跡は明確に残っている。被験者の意識は時間軸を越えて一部が固定され、装置が作動するたびに、意識の“コピー”が内部に保存される。朱音のスケッチの象形文字も、この機構の設計図と完全に一致する」


朱音は息を呑む。

「つまり……私の夢は、ただの予知じゃなくて、この装置に封じられた記憶の“残響”……?」


玲は静かに頷く。

「そうだ。第二の封殿は、単なる遺跡ではない。封印された記憶の正体――それは、時間を越えて生き続ける意識そのものだ」


加賀見が目を細め、天井に残る亀裂を指さす。

「だからここには、封印の二重構造が残っている。外側の螺旋は“記憶の保持”、内側の交差紋は“意識の固定”。双方が噛み合うことで、記憶は物理的にも精神的にも封鎖される」


朱音は拳を握りしめ、低くつぶやいた。

「……あの夜、閉じ込められたのは、誰なの……」


玲は答えず、石扉の奥を見つめる。

「その答えを知るには……私たち自身が、記憶の交差点に立たなければならない」


沈黙が落ちる。


朱音が圭介の袖をそっと引き、囁くように言った。

「ねぇ、お父さん……“封殿”って、まだ続きがあるの?」


場所:山間の谷底・第三封殿内部

時間:午後遅く、日が傾き始めた頃


圭介は朱音の手を握り、低く答える。

「……ああ。ここで終わりではない。第一、第二と積み重なった封印の先には、さらに深い“第三の層”がある。十年前の倉庫事件――俺が知ることになった記憶の断片も、そこに繋がっている」


玲が懐中電灯を持ち、周囲の壁面を照らしながら言った。

「つまり、圭介さんの“影の記憶”――消されたはずの事件の記録も、この封殿の構造と密接に関係しているということか」


加賀見が補足する。

「記憶干渉の観点から言えば、第三封殿には“干渉の核心”が残されている。過去の出来事の痕跡、未解決の記憶、そしてそれに干渉した人物の意識――すべてが二重三重に絡み合って封じられている」


朱音は目を丸くし、息をのみながらもさらに問いかける。

「じゃあ……お父さんが覚えてるあの記憶も、ここにあるの……?」


圭介は静かに頷いた。

「そうだ。俺が体験した、あの倉庫の夜のこと……それも、封殿の記憶装置に深く刻まれている。だからこそ、俺たちは慎重に進まなければならない」


玲は前に一歩踏み出し、石床の中心を見据える。

「では、次の段階――第三封殿の探索を始めよう。封じられた記憶の正体を確かめるために」


朱音は圭介の手を強く握りしめ、決意を固めるように小さく頷いた。

「うん……一緒に、確かめよう」


場所:山間の谷底・第三封殿内部

時間:午後遅く、日が傾き始めた頃


朱音がそっとスケッチブックを開いた。ページには、これまで見てきた封殿や象形、二重螺旋の模様が精緻に描かれている。中心には、淡く光るように「第四の象形」が浮かんでいた。


「……ここ、やっぱり同じ形が現れる」

朱音は小さな声でつぶやき、指先で象形をなぞる。


玲が覗き込みながら、慎重に言った。

「その通りだ。君のスケッチが示す通り、第三封殿も同じ構造――“記憶の型”を再現している。これは偶然ではない」


圭介は少し顔をしかめ、沈んだ声で付け加える。

「俺の記憶も、この型に沿って封じられている。だから、君の描いた図がなければ、この先に進むことすらできなかった」


加賀見が背負いのザックから小型の分析端末を取り出し、朱音のスケッチと壁面の象形を重ね合わせながら説明する。

「この一致は重要だ。第三封殿の二重封印は、この“記憶の型”に基づいて動く仕組みになっている。つまり、朱音の描いた象形こそ、封印を正しく解除する鍵だ」


朱音は深く息を吸い込み、スケッチブックを胸に抱えた。

「……わかった。私の絵で、封印を解くんだね」


玲はうなずき、前方の暗い奥へ目をやる。

「その通りだ。慎重に進めば、封印された記憶の正体に触れることができる」


場所:山間の谷底・第三封殿内部

時間:午後遅く、薄暗くなる直前


玲は懐中電灯を手に、壁に刻まれた象形を慎重に照らしながら言葉を続ける。

「朱音、封印の真実に詳しいのは、加賀見涼馬だ。彼は時任博士の研究資料をすべて把握しており、“記憶の封印”と儀式の構造、その危険性まで理解している唯一の学者だ」


加賀見はザックから古文書を取り出し、慎重に広げる。

「この儀式は、単なる伝承ではない。過去に実際に行われた封印の記録だ。記憶を“時ごと封じる”ことで、特定の情報や体験を、次世代の“記録者”に安全に伝える仕組みになっている」


朱音はスケッチブックを抱えながら尋ねた。

「でも……どうして、それを封印しなきゃいけなかったの?」


加賀見は目を細め、深く息をついた。

「封印を解く者が誤れば、記憶が暴走する。体験者本人の精神を蝕むだけでなく、周囲の記憶や現実認識にも干渉してしまうんだ。だから博士は、記録者にしか操作させないため、封印した」


玲が朱音の肩に軽く手を置き、低く言った。

「だからお前が、スケッチで“夢の残響”を形にしたのは偶然じゃない。お前自身が、儀式に関わった誰かの想いを受け継ぎ、記録者としての資格を示している」


朱音はうなずき、少しだけ力強く声を出す。

「……わかった。私、この記憶をちゃんと受け継ぐ。何が起きたのか、見届ける」


加賀見は静かに頷き、古文書を慎重に閉じた。

「よし。なら、封印の解除を進めよう。ここからが、本当の意味での“記憶の再現”だ」


場所:封沢村・未記録の山間遺構

時間:午後、日差しが木々の隙間に斑模様を作る


朱音が木の根に足を取られそうになりながら、低い声でつぶやく。

「……ここ、本当に地図にないのね」


玲が懐中電灯を手に、前方の鳥居を見上げながら答える。

「加賀見涼馬によれば、この遺構は“裏封殿”とも呼ばれ、封沢村の伝承に残る第二の封印施設に関係している。村人の口伝には出てこないが、古文書と時任博士の資料にはしっかり記されている」


加賀見が背負ったザックから資料を取り出し、朱音に差し出す。

「ここは通常の考古学調査では触れられなかった場所だ。地形や環境からも、封印の正確な位置を特定するには、現地での観察と記録が必要になる」


朱音は資料に描かれた象形文字と、目の前の鳥居を照らし合わせる。

「……あの鳥居の形、封印の模様と一致してる。ここが、封印に関わる“現場”なんだ」


玲は深く息をつき、慎重に言葉を続ける。

「この先は、加賀見が“記憶の封印を実体として残した”現場だ。慎重に進む必要がある。朱音、お前が夢で見たものの再現が、ここで起きるかもしれない」


加賀見は懐中電灯を前に向けながら補足する。

「石造りの鳥居の奥には、狭い前室と主石室がある。壁面には記録者向けの象形文字が刻まれ、過去の封印儀式の手順が暗号化されて残されている。これを解析できるのは、お前たちだけだ」


朱音は息を整え、軽く頷いた。

「……わかった。私、ここで全てを見届ける」


玲は懐中電灯を前方に向け、三人は石段をゆっくりと降り始めた。


場所:封沢村・未記録の山間遺構の入口前

時間:午後、木漏れ日の差す山道


加賀見が険しい表情で足元の土を指さしながら言った。

「ちょっと前に“誰か”がここに入っていったらしくてな。足跡の深さと方向からして――武装したプロだ。俺は裏道を使った」


玲が眉をひそめ、朱音をちらりと見やる。

「……武装したプロ、か。つまり、封印の場所を狙っている者が現れたということだな」


朱音が小声で問いかける。

「……それって、誰なの?」


加賀見は視線を鋭く前方の鳥居に向け、低く答える。

「表沙汰にはなっていないが、この村と封印の秘密を知る者――“第二封殿の封印を狙う研究者または工作員”だ。つまり、時任博士の研究に関わる者、あるいはそれを利用しようとする外部の組織……圭介かもしれない」


玲は唇を引き結び、朱音の肩に軽く手を置く。

「気を抜くな。ここから先は、誰が現れてもおかしくない。慎重に進むぞ」


朱音は小さく頷き、三人は石段を進む前に互いの装備を確認した。


場所:封沢村・裏山遺構・第三封殿内部

時間:午後、薄暗い洞窟状空間


朱音が息を潜めて六芒星を描きながら言った。

「ここ……封印の線と重なる部分がある。触れると、何かが反応しそう……」


理央が手元の小型端末を操作しながら答える。

「データ上でも異常な磁場と微弱な電位変動が検出されている。朱音、その線を追って」


安斎が低く呟く。

「何か来るかもしれない。空気が……変わってる」


玲は懐中電灯を壁に照らしながら、端末の読値を確認する。

「慎重にな。ここはただの廃屋じゃない。封印の痕跡を辿る者には、何が起きてもおかしくない」


朱音はスケッチブックに集中し、線を指先でなぞり続ける。

「分かった……見える。封印の形が、私の夢の中と同じ……」


理央が一歩前に進み、周囲の文様をスキャンしながら告げる。

「これは……“記憶干渉の痕跡”だ。朱音の夢が示したのは、単なる予知じゃなく、この装置の作用そのものだ」


安斎が肩越しに空間を見渡し、警戒の目を光らせる。

「どんな仕掛けがあっても対応できるように、俺たちは分散して動く。朱音、君は中心を守れ」


朱音は頷き、六芒星の中心に手を置いた。

「分かった……やってみる」


沈黙の中、湿った空気が微かに揺れ、封印の反応がじわりと空間に広がっていった。


場所:封沢村・第三封殿内部

時間:午後、薄暗い洞窟状空間


理央が端末の映像を朱音に見せながら低く説明する。

「朱音、君の夢やスケッチに出てきた象形は、この装置の設計図そのものだ。封印は祟りではなく、情報の保存と伝達を目的としている」


玲が壁面の線刻を指差しながら続ける。

「言い換えれば、村が過去に決断した意思――その“選択”を未来に伝える装置だ。封印された記憶は犠牲ではなく、伝承の一部として機能している」


安斎が警戒を緩めずに確認する。

「要するに、誰かがこの装置を操作すれば、封印された意思や経験を“再現”できるってことか……危険度は未知数だな」


朱音がスケッチブックに手を置き、微かに震える指先で六芒星の中心をなぞりながら呟く。

「分かった……記録装置……私が触れると、あの記憶が、夢じゃなく、ここで“形”になるんだ」


理央がうなずき、慎重に周囲を見回す。

「君の中の“記憶の残響”がこの封印と共鳴している。封印の仕組みと君の感覚を使えば、過去の意思を再構築できる――ただし、誤操作は危険だ」


玲が静かに朱音を見つめる。

「準備はいいか、朱音。君が“記録者”として選ばれた理由が、今、ここで明らかになる」


湿った空気が微かに揺れ、第三封殿の内部に封印の痕跡が生き返るように反応し始めた。


場所:封沢村・第三封殿内部

時間:午後遅く、石室内はほの暗い光


朱音が六芒星の中央で立ち止まり、深呼吸を一つする。

「――安倍晴明の……記憶、受け取る……」


玲が低く声をかける。

「朱音、焦るな。君の感覚を信じろ。装置は君の動きに反応する」


朱音は手に持った白い布を広げ、ゆっくりと舞いを始める。

布が石室の床に触れるたび、微かに石壁の象形が光を帯びる。

「千年前の……陰陽師の意志……私の体に残響が……」


理央が端末の映像と照合しながら確認する。

「間違いない……朱音の動きに合わせ、封印装置が“過去の意識”を呼び起こしている。安倍晴明の記録が、今、再現され始めた」


安斎が懐中電灯で周囲を警戒しつつも呟く。

「見ろ……朱音の舞と光の反応が重なる。封印は単なる記録じゃない、まさに“記憶の再現”だ」


朱音は目を閉じ、千年前の陰陽師の思念に身を委ねる。

「この力……封印されるべきものではなかった。伝えるべき意思……」


石室の空気が微かに震え、封印装置の象形が淡く光りながら、朱音の舞に応える。

玲はその光景を見つめ、静かに言った。

「これが……記憶の舞。夢ではない、再現だ」


場所:封沢村・第三封殿内部

時間:午後遅く、石室の空気は冷たく重い


朱音の舞が静かに止まると、六芒星の中心に淡い光が滲んだ。

「……声が……聞こえる」朱音の小さな声が石室に響く。


玲が端末を握りながら、慎重に周囲を見渡す。

「誰の声だ……? 端末も反応している」


理央がメモを取りながら解析する。

「これは封印装置内に残された“残響の言葉”です。過去の意思が、映像や文字ではなく、直接伝達されている」


朱音は光を見つめ、ゆっくりと繰り返すように口を動かす。

「われらの過ちは、忘却にあらず……記され、残され……見つけ出されよ……」


玲は小さく頷き、低い声で答える。

「記録は、消えるためにではなく、正しき証人に伝えるためにあった……」


安斎が懐中電灯の光を揺らしながら周囲を警戒する。

「これが……封印の真意か。単なる防護ではなく、未来への“証言装置”だ」


朱音の目が光を映し、微かに震える声で最後を言い切る。

「時を超えて……正しき証人に至らん……」


石室は静寂に包まれ、封印装置の象形が穏やかに光を収めていく。

玲は深く息を吐き、封印の全貌を理解したように呟いた。

「これで、すべての記憶が紡がれた……そして、私たちが次の証人だ」


場所:封沢村・第三封殿内部

時間:午後遅く、石室の空気は冷たく重い


玲の肩にかけた通信機から、突然、鋭い雑音が走った。

「――ッ! 誰だ! 応答しろ!」玲は声を張り上げる。


通信機のスピーカーから、かすれた低い声が混ざり、意味を取りにくい言葉が断片的に漏れた。

「……や……ま……い……だ……」


理央が耳を澄ませ、解析装置を取り出す。

「妨害電波か……いや、音声信号として残された何かの指示のようです。確実に意図的です」


朱音が六芒星の中央で舞を終え、振り返る。

「誰か……来るの?」


玲は冷静に、だが鋭い視線で石室の奥を見据える。

「……気を抜くな。封印を狙う者が、ここまで来ている」


安斎が懐中電灯を握り直し、周囲の影を探る。

「覚悟しろ……奴らは封印の解除を狙う、プロの工作員だ」


石室に緊張が走る。封印の光が微かに揺れ、次の瞬間、闇の奥から微かな足音が響き始めた。


場所:封沢村・第三封殿内部

時間:午後遅く、夕刻の薄明かりが石室に差し込む


玲は頷き、朱音の手を軽く握る。

「わかった。中は俺たちで――朱音、舞の再現を続けろ。絶対に集中を切らすな」


安斎は銃を肩に構え、息を整える。

「俺が外を抑える。封殿の入り口、廊下、周囲の林道まで、目を光らせてやる」


通信機を操作しながら、低く声を落とす。

「成瀬、詩乃――お前たちも来い。外周を固めろ。抹消部隊の接近を防ぐんだ」


間もなく、外側から忍び寄る草や枝の音に応えるように、漆黒の戦闘服を纏った成瀬と詩乃の影が林間から現れた。

玲はその姿を確認し、微かに息をつく。

「よし、これで外の危険は最小限にできる……さあ、朱音、行け」


石室の中、朱音の舞が再びゆっくりと始まった。

外では成瀬と詩乃が警戒態勢を取り、安斎と共に接近する敵影を監視している。


場所:封沢村・第三封殿周囲および内部

時間:夕刻、日没前のわずかな残光が林間を照らす


外周の林道から、低い足音が迫る。枝を踏む音、金属の響き――明らかに人為的な侵入者だ。

成瀬が低くささやく。

「来る……三人、重装備。抹消部隊か」


詩乃が鋭い目で林間を睨み、通信機に手をかける。

「銃撃は最小限、無用な被害は避ける。玲、朱音は中で舞を続けて」


安斎は銃口を外に向け、冷静に呼吸を整える。

「奴らの進路は読める。通路の死角と林の入り口を封鎖する」


玲は石室内で朱音の動きを確認しつつ、低い声で指示を出す。

「朱音、踊りは中断しない。俺たちが外を食い止める」


突入する妨害者の影が林間に浮かぶ。重装備に身を包み、夜陰を利用して封殿への侵入を試みる。

成瀬が体を低くして前進し、詩乃が精密な射撃で進路を制御する。安斎が周囲の隠れた死角も監視しながら、侵入者の動きを逐一報告する。


「朱音、あと少しだ……絶対に舞を止めるな」

玲の声が静かに響き、封殿内部の空気が緊張で震える。

外と内――守る者と侵入者が交錯する中、第三封殿の儀式は、時を遡る記憶の再現と、現代の戦慄が同時に織りなされる舞台となっていた。


場所:封沢村・第三封殿内部、六芒星の舞台中央

時間:夕刻、残光が天井の隙間から差し込む


舞台中央に設置された黒漆の箱が、ゆっくりと開く。内部には、古色蒼然とした羊皮紙と、奇妙な文様が刻まれた水晶球が収められていた。


玲は息を呑み、スケッチブックを抱えた朱音に目配せする。

「朱音、この箱……封印の核心だ。触れる前に、配置と符号を確認しろ」


理央が端末を取り出し、箱の文様と既存資料のデータを照合する。

「これは、第三封殿の封印構造の“解除鍵”です。ただし、単純に開ければ終わるものではありません。文様と動作を正確に再現しないと、記憶の回路が乱れます」


安斎は警戒を続けながら銃を構え、玲に低く言う。

「外では妨害部隊が押し寄せています。時間はない。慎重に、しかし速やかに」


成瀬と詩乃は外の林道に張り付き、重装備の侵入者を正確に制御する。


玲は深呼吸し、朱音に向かって穏やかに告げる。

「朱音、君の舞と記録は、この瞬間に繋がる。封印の真実を解き放つのは君だ」


黒漆の箱から漏れる微かな光が、封殿内の壁画や六芒星の文様に反射し、まるで古代の記憶が空間全体を満たすかのようだった。


場所:封沢村・第三封殿内部、六芒星中央

時間:夕刻、黒漆の箱が開いた直後


黒漆の箱の中、水晶球が淡く脈動した。

朱音が手を伸ばした瞬間――空間に古い声が響く。

それは肉声ではなく、“記録された意志”そのものだった。


≪これは、私の最期の記録だ。封沢の封印は、単なる歴史ではない。これは、“古文書の警告”を実証する儀式だった≫


朱音の肩がびくりと震える。

「こ、これ……人の声じゃない……!」


玲が即座に朱音の背を支え、理央に目で指示した。

「理央、解析を。どの時代、どの位相の記録だ?」


理央は端末を展開し、極めて慎重な手つきで音の層を分割する。

「……声の波形、現代と一致しません。

これは“位相ずれ記録”――生体の声帯ではなく、意念を刻んだ古式の記録方式です。

千年前の文献でしか存在が確認されていないはずの……」


ここで、もうひとりの専門家が静かに一歩踏み出す。

薄い灰緑色の外套をまとい、肩までの髪を無造作に結った女性――


古文書復元と古代儀式言語のスペシャリスト・蒼井あおいいずる。


彼女は水晶球を睨みつけ、呟いた。

「……“記録声きろくごえ”。

封沢の伝承にだけ残る特異技法。

意念を物に刻み、未来の誰かに託す……

――つまり、これは“記憶の証人”に向けて残された声です」


朱音がはっと顔を上げる。

「わ、私に……?」


蒼井はゆっくりとうなずいた。

「ええ。

この声はあなたの舞、あなたの六芒星の描線に反応して“目覚めた”。

きっと封沢の封印は、ただの祟り封じではなく――」


再び水晶球から声が流れる。


≪封印は二度破られる。

その時、“記憶を読む者”と“記憶を守る者”が揃わねばならない。

さもなくば、封沢は再び闇に飲まれよう≫


玲が息を呑む。

「……完全に、朱音とユウタを指しているな」


理央が驚いたように振り返る。

「記録の文献……全部一致する。“記録装置としての封印”。

つまり、今聞いているこれは――千年前の陰陽師・安倍晴明自身の“最期の伝達”です」


朱音は、水晶球を見つめながらぽつりと呟いた。

「……晴明は……未来の私たちに、“見つけること”を任せたんだね」


蒼井いずるがそっと補足する。

「封沢の封印は、過去の過ちを未来に伝えるための“遺言”。

あなたたちがここにいることそれ自体が、すでに晴明の意志の一部。

これは――歴史を修正する儀式なんです」


その瞬間、封殿の外で発砲音が轟いた。

成瀬の鋭い声が通信に飛び込む。


『玲! 外の連中、配置を変えた!

第三波、重装備で突入準備に入ってる!』


朱音はスケッチブックを握りしめ、決意を宿した目で六芒星の中央に戻った。


「……続けるよ。

晴明の記録が、“まだ終わってない”って言ってるから」


場所:封沢村・第三封殿内部、六芒星舞台付近

時間:夕刻、薄暗い自然光が天井の隙間から差し込む


爆風のように扉が開いた。冷たい空気が渦を巻き、埃と乾いた土の匂いが舞う。


玲はすぐに懐中電灯を掲げ、朱音の周囲を警戒する。

「動くな、朱音!外部からの侵入者だ!」


安斎が低く指示する。

「俺が抑える。玲、お前は朱音を守れ」


外では成瀬と詩乃が樹間に身を潜め、侵入者の動きを監視していた。

「この人物……高度な戦術訓練を受けている。単独ではない、援護が必ずある」


理央が端末を覗き込みながら解析する。

「封印の妨害に精通している可能性があります。これは“封印解除妨害のプロ”です。過去の資料から類似の行動パターンも確認できます」


玲は静かに頷き、朱音を六芒星の中央に引き寄せる。

「朱音、君の舞と記録で、封印の真実を完成させるんだ。妨害を気にせず集中しろ」


黒漆の箱の光が揺れ、封殿内の壁画に反射して幻想的な輝きを放つ。専門家たちは、記録の復元と妨害者の行動予測を同時に行い、緊迫した場面を制御していた。


場所:封沢村・第三封殿内部、六芒星舞台付近

時間:夕刻、僅かな自然光が隙間から差し込む


黒衣の男は最後に朱音を見つめた。

「君の中にあるものは、いずれ誰かに“利用”される。忘れるな。理想は脆く、記録は残酷だ」


玲は瞬時に反応し、朱音を守る姿勢を取った。

「言葉に惑わされるな、朱音。君の舞が封印の核心だ。集中しろ」


理央が端末を操作しながら解析する。

「この男、心理的操作と封印干渉の専門家です。封印儀式の妨害に関して極めて高度な知識を持っています。先ほどの行動からすると、封印を解除するだけでなく、情報の抽出を目的としている可能性があります」


安斎が扉の外で成瀬と詩乃と連携を取り、侵入者の動線を封鎖する。

「外部の援護が来る前に、封印を完成させる。玲、朱音を安全に守れ」


朱音は六芒星の中央で息を整え、白布をまとった姿がまるで“封印を継ぐ者”そのもののように輝く。

加賀見涼馬は、傍らで古文書と朱音の動きを照合し、儀式の正確性を専門的視点で確認していた。

「ここから先は、経験と記録が交わる地点です。妨害者の心理干渉に惑わされず、記憶の型を正しく辿ること――それが封印の完成に不可欠です」


場所:東京郊外・玲の探偵事務所応接室

時間:午前、朝の柔らかな光が差し込む


窓の外に、蝉の声はもうなかった。代わりに、風が少し涼しくなった朝の空気を運んでくる。

テーブルの上には、整理された資料とスケッチブック、そして録画された「時任博士の記録」が並べられていた。


玲は慎重に資料を手に取り、朱音のスケッチと照合しながら独り言のように呟く。

「封印の型は間違いない……この動き、この象形、すべて博士の指示通りだ」


奈々が隣に座り、情報処理端末を操作しつつ分析結果を示す。

「この記録は、時任博士の研究を専門的に解析している学際チームのデータとも完全に一致しています。特に、封印の発動条件や“記憶の残響”の検出方法については、理論上も実証上も妥当です」


加賀見涼馬も、資料を覗き込みながら補足する。

「封印儀式の再現性は非常に高い。朱音の夢とスケッチが、封印の“設計図”として機能していることも確認できる。専門的に見ても、偶然ではない」


朱音は静かにスケッチブックを広げ、封印模様の細部を指でなぞる。

「……私の中に、博士の記録と同じものがある……これが“残響”なのね」


玲はうなずき、資料をまとめながら言った。

「すべての情報は揃った。次に動くのは私たち自身だ――封印の解明は、ここから現実の行動へと移る」


場所:東京郊外・玲探偵事務所応接室

時間:午前、資料整理中


玲は整理された資料の山に目を落とし、丁寧に封印関連の記録映像を確認していた。

「第二封殿の記録映像、三系統のバックアップが取れた。K部門と文化庁には“古文書の復元と歴史的価値の再確認”という形で提出済みだ。現場の封印構造も“歴史遺構”として再調査に入る」


奈々は端末の画面に映る映像を指でなぞりながら、補足する。

「映像データは高解像度で、封印の象形や石室構造、朱音の舞の動線まで完全に記録されています。分析チームもすでに符号化しており、封印の成立条件や安全な再現方法を特定済みです」


加賀見涼馬は地図資料を広げ、現地座標と照合しつつ解説する。

「封沢村の地形と封印構造は、当時の文献と完全に一致しています。周囲の環境も封印設計の条件に影響しており、専門的に検証すると非常に精密な配置です」


朱音はスケッチブックを前に置き、指で象形をなぞりながら言う。

「この模様、現場の石壁に刻まれていたのとまったく同じ……映像で見るより、やっぱり私が夢で見たものに近い形だわ」


玲は資料をまとめながら静かに告げる。

「よし。すべてのデータは揃った。次は、この情報をどう生かすかだ――封印の解明は、単なる記録ではなく、現場の行動へと直結する」


場所:東京郊外・玲探偵事務所応接室

時間:午後、整理作業の合間


朱音は静かに封を切り、白木神主からの手紙を取り出した。紙は厚手で、かすかに古い墨の香りが残っている。


朱音が声を落として読み上げる。

「朱音へ。封沢村の未来は、過去の選択により守られる。君たちが封印を正しく受け継いだことは、村の記憶に新たな安定をもたらすだろう。だが、過去の意思を誤解する者は、いまだ影の中に潜んでいる。警戒を怠るな――」


加賀見涼馬が資料を整理しながら、補足する。

「白木神主は封沢村の伝承と封印儀式に精通している。彼の文書や口伝は、歴史学的にも考古学的にも非常に信頼性が高く、封印の目的と手順を正確に記録しているんです」


奈々は朱音の手元の封書を覗き込み、解析メモを取りながら言う。

「神主の文章には、未来予測と防衛策が含まれてますね。封印の意図を誤って解釈すると、村や関係者にリスクが及ぶ可能性があります」


玲は手紙を閉じ、静かに朱音を見つめる。

「よし。封沢村の未来は、君たちの手に託された。記録の保全と、現場情報の整理を徹底すれば、封印は正しく機能し続けるだろう」


朱音は小さく頷き、スケッチブックを抱え直す。封沢村の記憶と、そこに残された意思を、これからも見守る覚悟を胸に刻んでいた。


場所:東京郊外・玲探偵事務所応接室

時間:午後、封沢村の記録整理を終えた直後


朱音は小さく頷いた。

「……私、もっとちゃんと見て、書き残す。封印のことも、村のことも、誰かの記憶も……全部」


玲は穏やかに微笑み、机の上の資料を手に取りながら言った。

「その意思が、記憶の証人としての力になる。朱音、お前はもう、単なる観察者じゃない。過去の記録を受け取り、未来に繋ぐ“証人”だ」


奈々が補足する。

「記録は単なる文字や絵じゃなく、意思の継承でもあります。朱音が描き残すことで、封印された記憶も、必要な時に正しく甦る」


加賀見が肩越しに覗き込み、静かに言った。

「君の中に流れ込む記憶の残響。それを形にすることで、封沢村の歴史と未来が守られるんだ。朱音、覚えておくんだぞ」


朱音はスケッチブックに手を置き、深呼吸する。

「うん……忘れない。私が見たもの、聞いたこと、感じたもの……全部、記録する」


玲はその決意を見届け、資料を整えながら静かに呟いた。

「記憶は継がれ、成長する……朱音、お前自身も、立派な“記憶の証人”になったな」


窓の外、柔らかな午後の光が事務所の床に落ち、静かに未来への希望を照らしていた。

白木 典善のあとがき


封沢の谷は、今日も静かに風の音を運んでいる。

私たちの祖先が、血と汗を以て守ったもの――それは単なる封印ではなく、未来への“記憶の橋渡し”であった。


封沢村の歴史に刻まれた出来事は、外界からは忘れ去られ、ただの伝説となったかもしれない。しかし、記録者たちが訪れ、真実に触れ、封印の意味を理解することで、この地の声は再び世界へと響く。


朱音のような“記憶の証人”が存在することは、私にとって大きな希望である。人は忘れる生き物だ。しかし、忘れ去られるべきではない記憶は、必ず誰かの中で生き続ける。


私が伝えたかったこと、それは、封印の力でも、神秘の儀式でもない。過去を知り、記録し、未来へ手渡す者の存在こそが、村を、そして人々を守る最も確かな力である――ということだ。


封沢は、今も静かに息づいている。だが、封印の扉は、いつまた誰かに開かれるか分からない。その日まで、私はただ見守り続けるだろう。


白木 典善

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