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48話 スピンオフ影烏

登場人物紹介(最終章時点)


■ 佐々木朱音ささき あかね


年齢:10歳

天真爛漫で、純粋な感性を持つ少女。

彼女のスケッチブックには「見えないものを描く力」が宿り、事件の真実を映し出す鍵となる。

“結界師”としての潜在能力を持ち、感情や記憶の波動を絵を通して具現化することができる。

彼女の絵が、封印された記録と“忘れられた想い”をつなぐ。



れい


職業:探偵/S級スペシャリスト

冷静沈着な頭脳と異常な観察眼を持つ探偵。

「S級モード」では、空間把握・戦闘予測・感覚過敏化を極限まで高め、戦闘と推理を同時に行う。

かつて「冬島楓」と深い関係を持っていたが、その記憶の一部を喪失している。

事件を通じて、忘れられた“想い”を取り戻していく。



冬島楓ふゆしま かえで


元研究員/封印された記録保持者

十年前の倉庫事件の生存者のひとり。

全記憶を封じられながらも、“愛”という感情だけを心に残していた。

影烏との因縁を持ち、玲にとっても「過去を繋ぐ存在」。

最終局面では、朱音の絵を通して記憶の光を取り戻す。



■ 川崎ユウタ(かわさき ゆうた)


“記憶の証人”と呼ばれた少年。

十年前の事件で唯一、真実を見たが、その記録を封印された。

心の奥で“影烏”と繋がっており、封印が解けることで事件の核心が明らかになる。

朱音の存在によって、再び「証人」として立ち上がる。



■ 柊コウキ(ひいらぎ こうき)


“失うよう仕組まれた少年”。

倉庫崩壊事件の中心にいた被害者の一人。

実験的な記憶封印の対象とされ、存在自体が「消された記録」となっていた。

ユウタとの再会によって、真実の断片を取り戻す。



九条凛くじょう りん


K部門所属・心理干渉分析官/SS級スペシャリスト

感情層・記録層の解析と安定化を担当。

冷静だが深い共感力を持ち、朱音の描く“感情の記録”をデータ化して保存する。

彼女の到着によって、暴走しかけた記録の封印が再び安定化する。



成瀬由宇なるせ ゆう


影班の実行担当。冷静で沈着な戦闘者。

玲の補佐として現場対応を行う。

寡黙ながら仲間想いで、朱音の無垢さに触れるうちに“護る側の心”を取り戻す。



桐野詩乃きりの しの


影班の痕跡消去・毒物処理担当。

冷たい印象を与えるが、仲間への忠誠心は強い。

朱音に対してだけは微かな温かさを見せる。

過去に“影烏計画”の副研究員として関わっていた。



安斎柾貴あんざい まさき


影班の精神制圧・記録汚染スペシャリスト。

感情を抑えた冷徹な戦術家だが、玲に対しては忠誠と信頼を示す。

事件の「第三層」突入の際に最前線で行動し、朱音を守る盾となる。



影烏かげからす


正体:記録再構築者/封印領域の管理者

かつて“記録を守る者”であったが、真実の改ざんと同化し、闇へ堕ちた存在。

封印コード「R-XIII-F」により、消された記録を再構築・支配できる。

ユウタやコウキ、楓の記憶に深く関与し、“失われた夜”の真相を隠していた。



■ 橘奈々(たちばな なな)


玲の助手であり、情報処理スペシャリスト。

遠隔から通信・解析を支援し、記録層の変動をモニタリングする。

玲と朱音の現場行動を冷静に支え、決定的なタイミングで“第二層座標”を伝達した。



■ 佐々木沙耶ささき さや


朱音の母であり、玲たちの調査チームの感情的支柱。

直感力と観察力に優れ、朱音の描く絵の意味を最初に理解した人物。

母として、そして真実の証人として、事件を見届ける。



補足設定

•S級モード(玲):

感覚拡張・時間認識加速・空間予測による戦闘最適化。敵の動作を数秒先まで視覚的に予測可能。

•朱音の結界術:

感情と記憶をエネルギー源とし、空間を“記録層”ごと固定する。

純粋な心で描かれた絵ほど強く、歪んだ感情には反発する。

冒頭

【午前5時30分/東京郊外の廃屋街】


朝もやが低く立ち込める路地を、黒い影が静かに滑るように進む。

風に運ばれる乾いた紙くずの音、遠くで鳴る猫の声──街はまだ眠りの中にあった。


その影は、一枚の黒装束を纏った人物。肩から垂れる鴉の羽のようなマントが、動くたびにわずかに風を切る。

彼──影烏かげからすは、誰にも認識されることなく、廃屋と路地の狭間を縫うように歩く。


「……静かすぎる」


低く呟いたその声は、暗闇の中でほとんど吸い込まれ、街の空気に溶けていった。

手には、小型端末。GPSと監視カメラ、通話ログを瞬時に解析し、目の前の街並みと照合する。


端末の光が、影烏の鋭い灰色の目に反射する。そこには、ただの廃屋ではなく、計画された「何か」の匂いがあった。

瓦礫の隙間、壁のひび割れ、微かに残る焦げた跡──普通の廃屋では見られない痕跡が、彼の無意識を刺激する。


「……間に合うか」


影烏は一瞬立ち止まり、呼吸を整える。

その瞳には、今夜始まろうとしている事件の輪郭が、まだ霞んだ影として映っていた。


夜明け前の静寂は、まだ破られていない。

だが、影烏の存在そのものが、都市に潜む“何か”を揺さぶろうとしていた。


【午前6時15分/都心・無人サーバールーム】


サーバールーム内の空気は冷たい。金属と電子機器特有の匂いが鼻腔をくすぐる。

だが、影烏の額を伝う汗は止まらなかった。神経は極限まで張り詰め、心拍は静かな機械音のように響いている。


「……計算通りか」


低く呟きながら、影烏は床に敷かれたケーブルの間を慎重に進む。

端末を手に、監視カメラの死角をリアルタイムで確認。赤いランプがわずかに点滅するサーバーラックを見つめながら、微かな振動や音の変化に神経を研ぎ澄ませる。


「冷静に……息を、止めるな」


自身に言い聞かせるように、影烏は深く呼吸を整える。

前方には、今回の標的となる通信ノードがある。警備員の巡回は想定外の時間にシフトされており、侵入にはわずかな余裕がある。


「……ここからが本番か」


端末を操作すると、サーバーラックの背後に設置されたアクセスパネルが開く。

微かな赤外線センサーが点滅する中、影烏は手際よく内部の接続を確認し、侵入データの経路を確保する。


「……記録、確保」


声はほとんど出さず、端末画面を指でなぞる。

冷却ファンの低い唸りだけが、部屋の静寂を破る。

その静けさが、かえって不気味に感じられた。


「……これで第一段階、完了」


影烏は軽く息を吐き、背中の黒マントを翻す。

窓の外では、夜明けの光がわずかに差し込み、サーバールームの冷たさに反射して青白く輝いていた。

彼の影は、まるで空気に溶けるかのように、次の標的へと向かう。


【午前6時30分/都心・無人サーバールーム】


──やはり来たか。


影烏は端末の画面に浮かぶ膨大なログを目で追う。通信経路、暗号化されたメール、外部への送信履歴……そのすべてが、次の標的への道しるべだった。


「……ここか」


指先で地図をなぞる。赤くマーキングされた地点が浮かび上がる。交通量が多く、警備は薄い。しかし人通りは絶えず、誤算は許されない。


端末のスピーカーからは、微かなデータ転送音だけが漏れる。影烏はそれを聞き逃さず、外部ネットワークのルートを慎重に確認する。


「時間帯は……午前8時前後。通勤ラッシュ前に決行する」


彼の声は低く、機械のように冷静だった。

複数の監視カメラ映像を重ね、建物周囲の人の流れを解析。標的に近づく経路、侵入可能な裏口、監視死角──すべてが頭の中で精緻に再構築される。


「……完璧だ。無駄な接触は避ける」


影烏は端末を閉じ、肩に掛けた黒マントを整えた。

冷たい空気が部屋を満たし、サーバールームのLEDが微かに脈打つ。


「次の場所、確認」


短く呟くと、影烏は静かに扉へ向かい、廊下の影に溶けるように姿を消した。

次の標的は、この都市の中心部──影烏の手にかかれば、すべては計算済みだ。


【午後0時15分/都心・霞ヶ丘駅付近】


影烏は影のように建物の陰に身を隠す。

黒い装束は街灯のわずかな光さえ吸い込み、存在をほぼ消していた。


彼の視線は周囲の監視カメラやセンサーの位置に釘付けになる。

「死角は……ここか」


壁沿いに身を低くして進むと、地面に仕掛けられた小型圧力センサーをかすめる。

一歩間違えれば警報が鳴り、無数の監視が目を光らせる。

影烏は息を潜め、呼吸を制御しながら、足元の僅かな振動も見逃さない。


薄暗い通路に差し込むわずかな光が、金属製の罠を反射する。

彼は即座に足を止め、視線を合わせ、タイミングを測る。

──左足を半歩引く、右手を壁の凸部に添える。


「……よし」


軽やかに身を翻し、罠の間を滑るように通過する。

監視カメラの視野が交錯する地点に差し掛かると、端末で信号を解析。わずか数秒、カメラの映像をループさせ、存在を偽装する。


その瞬間、遠くの高架線を電車が通過し、振動と音が周囲を包む。

影烏はその音を“隠れ蓑”にして、次のチェックポイントへ移動。

心臓の鼓動は抑えつつも、体は緊張で一瞬も止まらぬ反応を続ける。


「……情報はここまでか」


潜入経路、監視死角、危険箇所の確認を終えた影烏は、ターゲットの建物に設置された通信機器と電源系統の位置を把握。

端末にデータを転送すると、ゆっくりと影のごとく街の雑踏に溶け込む。


玲が空を見上げる黒い夜に漂う“歪み”──それを背に、影烏は次の行動へ静かに歩を進めるのだった。


【午後0時45分/東京郊外・ロッジ作戦室】


大型モニターに、影烏が収集したデータが次々と投影される。

建物内の監視カメラ映像、電源系統図、通信装置の配置……そして、複雑に交差するセンサーの死角。


玲は静かにモニターを見つめ、指先で重要箇所をなぞる。

「……なるほど。条件は揃った。全てのトリガーが重なる地点、そして時間帯……ここだ」


沙耶が息を詰め、隣で頷く。

「つまり、ここで“それ”が現れる。誰もが理解している……何が起きるのか」


奈々は端末を操作しながら確認する。

「監視カメラ、通信経路、アクセスルート……全て影烏の情報と一致しました。現場の危険度は、前回以上です」


玲は拳を軽く握り、静かに言葉を重ねた。

「我々が動く理由は一つ。犠牲を出さず、最短で対象を制圧する。影烏が得た情報は、単なる位置把握ではない。罠、センサー、死角……全てを可視化した“戦略図”だ」


沙耶が目を細め、作戦室の全員に視線を巡らせる。

「……準備はできている。あとは実行するだけ」


玲が深呼吸し、静かに告げる。

「影烏、君の情報で我々は戦う。現場の状況、敵の動線、予測される罠……全てが手札になる」


モニター上で赤く点滅する次のターゲット地点。

全員の視線がそこに集中する。

誰もが知っていた。──この戦いが避けられないものであることを。

そして、それが意味するものを。


風がロッジの窓をかすめ、カーテンが静かに揺れた。

緊張の中に、確かな覚悟が満ちる。


──これは、記録の正義ではない。

──これは、赦されなかった記憶の“復讐”だ。


深夜の空気は鉛のように重い。ロッジを出た車列は、影烏が示した潜入経路に沿って静かに分散していった。各々の息づかいだけが、ヘッドセット越しに漏れる。街灯は遠く、ここは監視の目が薄い区画──完璧な死角が幾重にも折り重なっている。


玲は先頭の一台から降り、ひと呼吸置いて全員を見渡した。地図と影烏の軌跡が刻まれたタブレットを片手に、簡潔に指示を出す。


「影烏が示した三つの侵入路──A、B、C。Aは東側の配電室からの縦穴。Bは地下物置を通るルート。Cは屋上換気口。各自、役割を厳守する。被害ゼロが最優先だ」


沙耶が頷き、閉じた手袋をぎゅっと握る。

「私がAを押さえる。電源とセンサーの制御はここで止めるわ」


奈々は静かに端末を構え、画面を睨みつける。

「Bの侵入口を監視、異変があれば即遮断。カメラの死角は二つ、そことそこに偽装センサーを投げ込む――私がやる」


朱音は小さな結界札の入った箱を抱え、声が震えないように深く息をついた。

「わたしはC。屋上から結界を張って、侵入者の位置把握をサポートする。怯えないでね」


影烏の提供したデータは冷徹だった。侵入者が動く時間帯、熱源の変化、過去に利用された配線の脆弱点。そこから導かれたのは、単なるルートではなく「人の記憶を狙った動線」だった。被害者の行動パターンに合わせ、敵は“見られている感覚”を持たせ、対象を追い込む──心理に食い込む戦法だ。


玲は無線に短く命じる。

「全員、三分前に行動開始。刃物・発火物確認は即通報。成瀬、詩乃、安斎は南側の迂回路を詰める。俺は中央から突入する」


成瀬の声が低く帰ってくる。

「了解。玲、そっちの挟み込みで動きを封じる。詩乃、無音で来い」


詩乃はマスクの下で小さく笑ったような気配を含ませ、応答する。

「いつも通りです。証拠は残さない」


夜がさらに濃くなる。各自が位置につき、ライトは最小限、足取りは音を立てずに進む。影烏の示したポイントに立ったとき、玲は耳にイヤーピースを落とし込む。わずかな遅延も許されない。


東の配電室前、沙耶が低い声で言う。

「ここに不自然な配線の継ぎ目。昔の保守痕がある。誰かが手を入れている」


奈々から映像のフリーズが告げられる。

「Bルートの通路、赤外反応。人影二。動きはゆっくり――ただし、感情波形が異常。対象を惑わすための“何か”を持っている」


朱音の声が屋上越しにかすかに響いた。

「結界、展開する。皆、目を閉じて手を重ねて。空気が切り替わる」


その瞬間、どこからともなく生まれた重圧が、隊列を包み込む。朱音の結界が、狭く鋭い範囲で“視線の質”を変え、味方の心拍と呼吸をゆるやかに整える。敵が仕掛けた“小さな監視”は、結界の前で揺らぎを失った。


中央の自動ドアに手をかけた玲が、ほんの一言だけ呟く。

「影烏、ログを再送れ。動線にズレがあるか確認する」


短い振動とともに、影烏の視点がヘッドセットに流れ込む。静止画のような映像、薄く波打つノイズ、そして一連の人影の痕跡。影烏は言葉を発さないが、そのデータは十分に雄弁だった――侵入者は人間だが、心理トリガーを複数体に分散している。目的は「見せる」ことではなく「感じさせる」こと。被害者の内面を崩すための精密な執拗さがあった。


玲は刃先のように冷たく笑って、合図を送る。

「行くぞ」


作戦は短く、一糸乱れずに進行した。東からの停電処理は沙耶が素早く封鎖し、監視の目を一時的に奪う。南から回り込んだ成瀬たちは無音で相手の背後を取り、詩乃が鋭い判断で通信妨害器を撃ち落とす。奈々はBルートの通路で、センサー偽装を展開しつつ、端末で侵入者の足取りを可視化した。


中央突入の瞬間、玲の動きは静寂を切り裂いた。彼は最小限の力でドアを押し開け、視界に入った二人の侵入者を同時に制圧する。刃は見えず、音はなかった。拘束帯の固い締め付けだけが、静かに現実を示す。


一方で、屋上では朱音の結界がさらに拡張され、室内の空気の温度と湿度の微細な変化を仲間に伝える。ユウタは画面のノイズから、小さな足音の反響と「指先の震え」を拾い上げ、犯人の心理状態を数値化していく。犯人たちは初めて、自分たちが「見抜かれている」ことを察した。その目の奥に、ほんの僅かな狼狽が走る。


だが、ここで油断は許されない。影烏が拾ったログのひとつが、緊急を告げる。地下の配線の一箇所、まだ制御されていない予備回路が爆発的に加熱を始めていた。敵は過去の手口通り、時間差で破壊の連鎖を起こそうとしている。


玲は即座に判断を下した。

「沙耶、予備回路を切れ。詩乃、残りの通信ラインを封鎖。成瀬、封じたあとで迂回して周囲を一掃する」


応答は短く、確実だった。隊員たちは命令に従い、連携はさらに鋭さを増す。奈々が無音で手元の小箱を開き、緑のライトを二度点滅させる。封鎖完了の合図だ。


最終的に、侵入者は完全に拘束され、周辺の装置類は影烏と朱音の連携で安全状態に戻された。深呼吸が一斉に漏れ、夜の張り詰めた空気がゆっくりと解けていく。


玲は拘束された一人の顔を覗き込み、低く言った。

「お前たちは“見せる”ために来たのか。だが、記録は残る。忘れられたことは、ここからはもう消せない」


拘束者の瞳には、憎悪とも恐怖ともつかぬものが揺れた。だがそれを裁くのは司法の仕事だ。今、玲たちのやるべきことは被害を防ぎ、証拠を確保することだった。


夜明け前の薄い光が、倉庫の窓から差し込み始める。影烏のデータはすでに次の疑点へと流れ、玲たちは短い安堵のあと、再び動き出す準備を整えた。復讐めいた“記憶の刃”を振るう者がいる限り、彼らの仕事は終わらない。


沙耶が小さく息を吐き、腕時計を確認する。

「次はいつ動くか――判らない。でも、今日の証拠は確保した。怜のためにも、これを絶対に無駄にしない」


奈々が端末をしまいながら、柔らかく笑った。

「影烏、お疲れ。次も頼むわよ」


無言のまま、影烏は夜の闇に溶けていくデータの流れで答えた。誰も見ないところで働く小さな機械の羽が、また一枚、世界の記録に紙一重の亀裂を入れる。


【日時:2025年11月17日 午前2時14分】

【場所:東京都・第七区外縁 旧記録保管施設跡地 地下サーバールーム】


 ──俺が“視る”。


 低く、鋭い声が闇に溶けた。

 モニター群の青白い光が、玲の横顔を照らす。

 地下にこもる湿った空気、サーバー冷却装置の微かな唸り──それらすべてが張り詰めた緊張の中で沈黙している。


 背後では、奈々が端末を操作していた。

「データリンク、確立完了。……玲、視覚同期、いける?」

 玲は短く頷き、ゴーグルの端を押さえる。視界が一瞬、闇に呑まれ、次いで無数の断片映像が流れ込んできた。


 影烏が潜入時に残した記録映像。

 視線の高さ、心拍のリズム、光の屈折──すべてが“その瞬間”のリアルタイムを再現する。


 玲の唇が静かに動いた。

「……影烏の“視点”、完全に再構築できた。次は──記憶の奥、再生する」


 その言葉と同時に、画面の奥でノイズが揺れる。

 焼け焦げた鉄骨、崩れたコンクリートの隙間に、見えない“影”が立っていた。

 玲の瞳が一瞬、光を帯びる。


 ──俺が“視る”。

 忘れられた記録の、向こう側を。


 【日時:2025年11月17日 午前2時32分】

【場所:東京都・第七区外縁 旧記録保管施設跡地 地下第2制御層】


 スクリーンのノイズが一瞬止み、画面が静寂に包まれる。

 そこに映し出されたのは、一人の女性の姿だった。


 ──冬島楓。


 影烏を唯一“制御”できた存在。

 彼の暴走を止め、記録を導く“調律者”として設計されたはずの女性。

 そして今、その名はあらゆる記録から削除され、存在すら否定されている。


 玲は、モニターに映る彼女の姿を見つめながら小さく息を呑んだ。

 淡い髪が肩にかかり、瞳はまっすぐに影烏を見つめている。

 かつての──恋人。


「……やっぱり、ここにいたのか」

 玲の声は震えていた。

 奈々がその横顔を見つめ、そっと問いかける。

「玲……その人は?」


 答えは、短く、痛みを含んでいた。

「冬島楓──影烏を“人”として止められた唯一の存在だ。そして……俺が、彼女を救えなかった」


 冷たい風が地下の隙間を通り抜け、モニターの映像を揺らす。

 映像の中の楓は、何かを言おうとして唇を動かした。

 だが、音声は途切れ、ノイズが全てを覆い隠した。


 玲は拳を握りしめ、低く呟いた。

「記録が消されても──記憶は、消えない。楓……俺はもう一度、君の真実に触れる」


 モニターに、影烏の視界が再び重なる。

 その先に、冬島楓の影が揺れていた。


【日時:2025年11月17日 午前2時37分】

【場所:東京都・第七区外縁 旧記録保管施設跡地 地下第2制御層】


 ──だが、楓はもういない。


 玲の瞳に映るのは、冷たい監視映像だけだった。

 モニターの中で彼女の姿が淡く揺らぎ、やがてデータの断片となって霧散していく。

 まるで、記録そのものが“彼女の存在”を拒絶しているかのように。


「データ層の破損範囲、再確認を」

 奈々が震える声で端末を操作する。

 だが、返ってくるのは空白のコードと、応答不能を示す赤い警告だけ。


「……消されてる。誰かが“上書き”したんじゃなくて、最初から存在しなかったことにされてる」


 玲は黙ってその言葉を聞いていた。

 唇をわずかに噛み、画面の黒に映る自分の顔を見つめる。


 彼の脳裏に、あの日の記憶が蘇る。

 雨の匂い。

 瓦礫の下で、最後に見た楓の手。

 血に濡れた指先が、何かを伝えようとしていた。


「楓……」

 その名を呼んだ瞬間、玲の背後で影烏の通信が入る。

 声は静かで、だが確かに、どこかで“彼女”を覚えているようだった。


『……玲。君の記憶の中にしか、彼女はもういない。

 だが、俺が見た“断片”は──まだ、終わっていない』


 玲は目を閉じ、息を整える。

 そして、ゆっくりと答えた。


「分かった、影烏。……次の座標を出せ。

 楓の“残響”が残っているなら、俺たちが追う」


 ノイズの奥、微かに彼女の声が重なった気がした。


 ──“記録を、赦さないで”。


 【日時:2025年11月17日 午前2時42分】

【場所:東京都・第七区外縁 旧記録保管施設跡地 地下第2制御層・中央監視室】


「ちょっと待って、これ……おかしい!」


 詩乃がモニタを睨みつけたまま、声を張り上げた。

 複数のスクリーンに流れる監視映像──だが、その一部が不自然にループしている。

 映像の中の警備ドローンが、まるで時間を巻き戻したように同じ動作を繰り返していた。


「映像が上書きされている。いや、違う……“同期”がずらされている」

 指先がキーボードを叩くたびに、緑のコードが高速で走る。

 詩乃の眉間には深い皺が寄った。


「これは……“誰かが今、現場の記録をリアルタイムで書き換えている”!」


 玲が振り返る。

 その目は静かに鋭く光り、背後の奈々が無言で補助端末を起動する。


「詩乃、元データにアクセスできるか?」


「……試す。でも相手の上書き速度が異常。こっちの処理を読み取って、逆手に取っている」


 詩乃は歯を噛みしめ、再びキーを叩いた。

 瞬間、中央モニタがノイズに包まれ、黒い影がちらつく。

 まるで誰かが“こちらを見ている”かのような、異様な感覚。


「……影烏か?」

 玲が呟く。


 だが詩乃は、わずかに首を振った。


「違う。これは──“別の誰か”。

 ……私たちより先に、“楓の記録”へ到達した奴がいる」


 沈黙が落ちた。

 冷たい機械音だけが、静かに空間を満たしていた。


【日時:2025年11月17日 午前2時47分】

【場所:東京都・第七区外縁 旧記録保管施設跡地 地下第2制御層】


 電子ノイズが、耳をつんざくように空間を歪ませた。

 天井の蛍光灯が一瞬点滅し、監視パネルの表示が次々と乱れる。

 次の瞬間──記録保持装置の一角が、まるで“闇に飲み込まれる”ように消えた。


「……電源断じゃない」奈々が低く呟く。「記録そのものが“削除された”……物理的に」


 機器の残留波形を追う玲の指が止まる。

 スクリーン上で、データの断面がまるで“焼き切られた神経”のように途切れていた。


「この削除痕……コード《ZERO-FRAME》に酷似してる」

 詩乃が息を呑む。

「まさか……影烏がまだ中に?」


 その時、空調の唸りが止まり、室内の温度が一気に数度下がる。

 空気が“異物”を拒むように軋み、床下から微細な振動が這い上がってきた。


「玲、これは──」


「分かってる」玲の声がかすかに震える。

 彼は前を見据えたまま、深く息を吸い込む。


「……“楓の記録”を守っているのは、まだ“人”じゃない」


 その瞬間、沈黙していた闇の一角がわずかに光を返した。

 ノイズの中から、何かが──こちらを見て、笑った。


朱音は、スケッチブックを抱き締めた。


「……怖くないもん。絶対、守るんだから……」

小さな声だったが、冷たい空気の中で震えることなく響いた。手が震えても、胸の前でスケッチブックをぎゅっと抱きしめる。


「ねぇ……誰も、触らせない……」

ページを撫でる指先に、覚悟と微かな怒りが混ざる。小さな体から、何か強い光が零れるようだった。


【記録ファイル:Witness_Side-KA_02】

【状態:限定閲覧/記憶封印領域より再構成】

【日時:2025年11月17日 午前2時47分】

【場所:東京都・第七区外縁 旧記録保管施設跡地 地下第2制御層】


朱音はスケッチブックを胸に抱き締め、微かに震える手を押さえながら、周囲を見渡した。

天井の蛍光灯は不規則に点滅を繰り返し、壁の監視パネルは意味不明なノイズで埋め尽くされている。どの角度を見ても、光と闇の境界が揺らぎ、影がうねるように蠢いていた。


「……ここ、変だよ……」

声にならない声を漏らす。

息を吸うたび、耳に突き刺さる電子ノイズが胸の奥まで届く。

それはまるで、空気そのものが朱音を拒んでいるかのようだった。


床下の振動が、足元からゆっくりと上がってくる。冷気が指先を凍らせ、思わずスケッチブックをさらに強く抱き締めた。

目を細めると、揺れる光の間に、何か──薄暗い影がひそりと動くのが見えた。


「誰……いるの?」

小さな声は震えながらも、闇に向かって放たれる。返事はない。ただ、電子ノイズがかすかに笑うように高まるだけだった。


朱音はページに描いた絵をぎゅっと押し付ける。鉛筆の跡からは、自分の心の声がにじみ出るような感覚があった。

「……絶対、守る……」

そう自分に言い聞かせると、胸の奥で小さな光がわずかに揺れた。

闇の中、影がじっと見ていた。けれど、朱音は目を逸らさず、震える空気に立ち向かうように、スケッチブックを抱きしめ続けた。


【日時:2025年11月17日 午後4時12分】

【場所:東京都郊外・廃駅】


雪の降る郊外の廃駅。線路を埋め尽くす雪は音を吸い込み、世界を無音に変えていた。朱音はスケッチブックを胸に抱き締め、凍える手を押さえながら、白く覆われたプラットフォームに立つ。


視界の端で、何かが動いた。影──と言うにはあまりに不定形で、雪の白に溶け込む黒い塊は、微かに形を変えながら朱音の視線を追っている。目を凝らしても、影は瞬間的に消え、次の瞬間にはすぐそこに現れる。


「……だれ?」

息を震わせながら問いかける。しかし、返事はない。周囲は雪に閉ざされた静寂だけだ。だが、耳の奥で、雪を踏む足音のような低い振動が、確かに響いた。


朱音がスケッチブックを握り直すと、ページの端が小さく震えた。まるで、影がその動きを追うように、空気が微かに揺れている。呼吸のたびに、雪の静寂とは別の“音”が朱音の鼓膜を打つ――柔らかいさざめき、あるいは囁きにも似た不確かな声。


影は近づくでもなく、遠ざかるでもなく、ただ存在感だけを残して、朱音を囲むように蠢く。視覚と聴覚の境界が曖昧になり、現実と幻覚の間に足を踏み入れたような感覚が朱音を包む。


「……スケッチブック……守らなきゃ」

小さくつぶやく声は、雪に吸われるはずなのに、耳の奥でははっきりと響いた。影は、まるでその声に反応するかのように、ほんのわずかに形を歪め、朱音の周囲を旋回する。


息を止めて、雪と影の世界に耳を澄ます。鼓動と雪音と不確かなさざめきが交錯し、世界は凍りついたまま、朱音だけが小さな光を胸に抱えて立っていた。


【日時:2025年11月17日 午後4時12分】

【場所:東京都郊外・廃駅】


雪は静かに線路を覆い、世界を無音に変えていた。朱音はスケッチブックを胸に抱き締め、凍えた手を握りしめる。視界の端で蠢く影は、雪に溶け込む黒い塊のまま、まるで朱音の呼吸を追うかのように、近づいたり遠ざかったりしていた。


──冬島楓。

彼女は深い闇に記憶のすべてを奪われても、心に宿る唯一の灯火――“愛”だけは決して捨てなかった。忘れ去られた過去の欠片が消えゆくなかで、その想いは静かに、しかし強く燃え続けていた。


影が動きを止め、空気が固まる。次の瞬間、黒い塊が人の形を帯び、雪の白と対比する輪郭を見せた。まるで透明なベールを纏ったような姿――不確かで幽かな存在だが、確かに“そこにいる”と感じられる。


朱音が息を呑む。影の先端が雪を踏み、細かな振動が足元から伝わる。冷たい指先が、スケッチブックに触れようとする――しかし触れる直前、朱音の胸に宿る想いが小さな光となり、影の先を弾いた。


「……や、やめて……!」

小さな声は凍てついた駅構内に響き、影は一瞬揺らぐ。

その揺らぎに、朱音は気づいた。影は、攻撃するためではなく、何かを求めるように接触してきている。まるで、失われた記憶の片鱗を確かめるかのように、そっと近づいてくる。


雪に溶ける黒い手が、スケッチブックの端をかすめる。朱音は咄嗟に胸に押し付け、目を閉じた。その瞬間、影の形が微かに光を帯び、朱音の心に宿る灯火と共鳴するように、ひんやりとした触覚だけが残った。


──影は完全に姿を現さずとも、朱音の内側に触れた。恐怖と暖かさ、孤独と愛情が交錯し、世界の静寂はますます濃密になった。


朱音はスケッチブックを抱き締めながら、小さく息をつく。雪と影の世界の中で、唯一確かな光は、自分の胸にあるのだと確信していた。


【日時:2025年11月17日 午後4時12分】

【場所:東京都郊外・廃駅】


雪が線路を覆い、世界を吸い込むように静まり返る中、朱音はスケッチブックを抱き締めた。影は黒い塊から幽かな人影へと形を変え、雪に溶けるように漂う。


──玲。

数々の事件を解き明かしながらも、渡せなかった“記憶”という欠落を抱えた探偵。今、彼は再び、運命に導かれるように“彼女”と向き合う瞬間を迎える。


雪に沈む静寂の中、影の輪郭が揺らぎ、朱音の胸に宿る灯火が微かに震えた。その光は、恐怖で固まる影の先端をかすかに照らし、黒く滲んでいた輪郭に温かい光を差し込む。


「……誰だか分かる?」

朱音の小さな声が、雪に溶け込む。影は動きを止め、しばし沈黙。だが、次の瞬間、雪を踏むような微かな振動が朱音の足元から伝わる。影が応答するように、柔らかく形を変えた。


灯火が強くなる。朱音の胸の光は、スケッチブックに込めた思いと一緒に、影に触れる――黒い輪郭の内側で、影の存在がわずかに揺らぎ、微かな色彩を帯び始めた。


「……楓?」

低く響く声。玲だった。

朱音の目の前で、影が一瞬、人の形として輪郭を結ぶ。黒は消えず、輪郭はぼんやりとしているが、確かにそこには“誰か”がいる。影は言葉を発せずとも、朱音の胸の光を受け入れるように、動きを止めた。


雪の静寂が、わずかに振動する。朱音の灯火と影の間に微細な共鳴が生まれ、冷たい空気の中で、雪粒が光を反射するようにきらめいた。影は、恐怖の対象から、朱音の胸の灯火に触れられる存在へと変わったのだ。


朱音はスケッチブックを抱き締め、息を整える。雪と影の世界は、完全に静まり返ったわけではない。だが、確かな変化――胸の光と影の共鳴が、彼女に“希望の兆し”を知らせていた。


「……玲……来てくれたんだね」

小さな声に、雪と影の世界が応えた。光と闇の境界がわずかに溶け、廃駅は、ほんの少し温かみを帯びた静寂に包まれた。


【時間:2025年12月3日 午後7時18分】

【場所:東京都郊外・小さなカフェ】


冬の冷たさが街を静かに包み込み、夕暮れの空は淡い茜色に染まっていた。カフェの大きな窓越しには、まばらに灯る街灯の光が揺らめき、外の凛とした冬の空気が店内にもわずかに届く。


外の寒さとは対照的に、店内は暖かな灯りに満ち、コーヒーの香りが柔らかく漂っていた。窓際の席では、朱音がスケッチブックを膝に置き、指先でページをそっと撫でる。外の雪や風の音は届かず、店内の静かな空気に、彼女の呼吸だけが混ざる。


「……あったかいな」

小さな声が、胸の奥まで染み込むように呟かれる。肩をすくめ、手をこすり合わせる朱音の表情は、冬の寒さに凍えた日々を思い出させつつも、今だけは安堵に包まれていた。


カフェの奥では、コーヒーを淹れる音や小さな笑い声が控えめに響き、外の世界と切り離されたような静謐な空間を作り出す。朱音は窓の外の茜色の空を見上げ、雪の白と灯りの温かさが織りなす景色に、しばし心をゆだねた。


スケッチブックの中の絵が、彼女の小さな灯火のように、温かく心を照らす。冬の夜は長くとも、今この瞬間だけは、時間が穏やかに流れているように思えた。


【時間:2025年12月3日 午後7時18分】

【場所:東京都郊外・小さなカフェ】


冬の冷たさが街を包み、茜色の空が静かに暮れを告げる中、朱音はスケッチブックを抱き膝に置き、窓の外の雪景色をぼんやりと眺めていた。店内にはコーヒーの香りが漂い、暖かな灯りが外の寒さを忘れさせる。


「……朱音?」


低く穏やかな声に、朱音はぎょっと顔を上げた。目の前に立っていたのは玲だった。久しぶりの再会に、胸の奥がざわつく。


「玲……」

小さな声で返す朱音。スケッチブックを抱き締める手に、自然と力が入る。


玲は軽く微笑むと、カバンから何枚かの資料を取り出した。現場の写真、目撃者の証言のメモ、時系列に整理された出来事の流れ。それぞれに矛盾や不自然な点が指摘され、朱音は思わず息を呑む。


「ここ、変だと思わなかった?」

玲は指を一枚の写真に置く。「この日、この場所に目撃者がいたはずなのに、別の証言では存在していないことになっている。消えた記憶に関わる手がかりかもしれない」


朱音はスケッチブックのページをめくりながら、静かにうなずいた。自分が描いた絵やメモが、事件の矛盾を整理する手助けになるかもしれないと感じたのだ。


「それに……関係者の動機も整理しないと」

玲はメモを朱音に差し出す。「誰が何を隠しているのか、封印された事実に近づくために必要なことだ」


朱音は深く息をつく。暖かなカフェの光に包まれながらも、胸の奥にはまだ影の余韻が残っている。だが、今は玲と一緒に、その暗い余白を紐解くことができる――そう確信していた。


「……一緒に、やろう」

朱音の声に、ほんのわずかな覚悟と希望が混ざる。玲は頷き、二人は静かに資料に目を落とした。雪が外を覆う静寂と、カフェの温もりの中で、再び事件の真実へ向かう道が始まった。


【日時:2025年12月3日 午後7時35分】

【場所:東京都郊外・小さなカフェ】


朱音はスケッチブックを開き、鉛筆で描かれた線を指先でなぞった。そこには、過去の事件現場の記憶を呼び起こすような、微細な風景や人物の姿が描かれている。何気ない仕草、笑顔、会話の一瞬――朱音はそのすべてを心の奥で覚えていた。記憶が完全に失われたとしても、胸の奥で確かに繋がっている。


「……ここ」

朱音の指が、一枚の絵の中の微かな違和感を指し示す。古い倉庫の窓の位置、人物の立ち位置、雪の積もり方。現場の写真とは微妙にずれている箇所があった。


玲は朱音の肩越しに画面を覗き込み、すぐに鉛筆の線を目で追った。

「確かに……ここだね。この窓の角度、写真の記録と一致しない。影の位置も変わっている」

指摘は淡々としていたが、その声には揺るがない論理と確信が宿っている。


朱音は息を吞む。自分の描いた絵が、忘れられた記憶の中に残された微かな手がかりを示していた。玲はその矛盾を瞬時に読み取り、見落とされていた事実の輪郭を浮かび上がらせる。


「つまり、この時間帯に目撃された“人物”は、実際には別の場所にいた可能性が高い」

玲の指が、朱音の描いた影の線をなぞる。「証言と現場の整合性に、微細なズレがある。これを整理すれば、事件の真相に一歩近づける」


朱音は深く頷く。胸の奥で、守りたいという想いが強く燃えた。忘れられた記憶ではなく、今ここにいる自分自身、そして大切な人々の姿――そのすべてを見つめ、守るために、過去も今も全力を尽くす決意が心に満ちていた。


「……玲、ありがとう」

小さな声に、過去の孤独や戸惑いを理解し、共に歩む未来を願う真摯な想いが滲む。玲は静かに微笑み、朱音の言葉に応えるように資料を机の上に並べた。


カフェの窓越しには、茜色に染まる冬の空と、まばらに揺れる街灯の光。静かな暖かさの中で、二人はスケッチブックと資料を前に、新たな手がかりを手繰り、事件の真実へと歩みを進めていった。


【時間:2025年12月3日 午後7時46分】

【場所:東京都郊外・小さなカフェ】


店内には、ほのかに焙煎豆の香ばしさと、湯気の立ち上る温もりが満ちていた。窓の外では雪がしんしんと降り続け、外界の世界とは切り離されたように、小さなカフェの中は静かで、時間の流れもゆったりと感じられる。


朱音はスケッチブックのページをめくり、目を細めて一枚の絵を見つめた。倉庫の内部、消えたはずの影の形、そして雪の積もり方――微細な違和感が、写真や証言では見えなかった事実を示していた。


「……ここ……」

朱音の指が、描かれた人物の立ち位置を指す。スケッチブックの中の影は、現場写真や目撃者の証言と微妙にずれていた。


玲はそのページを覗き込み、即座に眉を寄せた。

「……なるほど、これは……」

指で人物の位置をなぞりながら、言葉少なに分析を始める。「目撃者の証言と矛盾している。この時間、この人物はここにいなかった可能性が高い。しかも、倉庫の南側の出口が閉ざされていたはずなのに、絵では人物がそこに向かっている」


朱音は息を吞む。自分が無意識に描いた絵が、事件の核心を示す決定的手がかりになっていたのだ。胸の奥で、守りたいという想いと共に、過去の孤独や努力が鮮やかに甦る。


「……つまり、誰かが意図的に証言や記録を操作している」

玲の声は静かだが、確信に満ちていた。「忘れられた記憶ではなく、今ここにある証拠と記憶を繋げることができる。朱音、君の絵がそれを可能にしたんだ」


朱音は小さく頷く。胸の奥で暖かな光が広がる。自分の小さな灯火が、事件の闇を照らす手助けになったと実感する瞬間だった。


玲は一度深く息をつき、朱音の目を見つめる。

「君が見ているもの、感じているもの――そのまま信じていい。君の目線が、真実に近づく唯一の道だ」


朱音は微笑む。スケッチブックを胸に抱き締めながら、玲の言葉を心に刻む。外の雪は変わらず降り続けているが、カフェの中の二人の世界は、静かに、確かに温かくなった。


雪の白と焙煎豆の香り、そして二人を繋ぐ心の灯火。小さなカフェの空間で、朱音と玲は、失われた記憶の断片を手繰りながら、事件の真実に少しずつ近づいていった。


【日時:2025年12月3日 午後7時55分】

【場所:東京都郊外・小さなカフェ】


店内には、静かなピアノの音色が柔らかく流れる。外の雪は音もなく降り続け、カフェの窓に細やかな結晶を描いていた。朱音はスケッチブックを胸に抱き、玲の前で指を止める。


「この角度……窓の位置、影の立ち方、微妙に写真と違う」

朱音の声は低く、慎重だった。しかし、その発見の重みは二人の胸を張りつめさせる。


玲は資料の束を手に取り、静かに分析を始める。現場の写真、目撃者の証言、時間軸に沿った出来事の流れ。朱音の描いた絵が示す矛盾は、これまでの調査で見落とされていた部分に光を当てる。


「……つまり、誰かが証言や記録を操作していた可能性が高い。時間帯や人物の位置が一致しない」

玲の指が資料の写真をなぞる。視線は冷静で鋭い。朱音の胸の中で、灯火のように温かく光る想いと、事件の闇が交錯する。


「現場の確認が必要だね」

玲は立ち上がり、朱音を見つめる。「この矛盾を証明するために、倉庫にもう一度行く。目撃者の再確認も必要だ」


朱音は深く息をつき、スケッチブックを抱き締めた。胸の奥にあった孤独や戸惑い、そして守りたいという強い想いが、一瞬にして決意に変わる。


「……わかった。私も行く」

声は小さいが、揺るぎない意志が宿っていた。


カフェの窓越しに雪が舞い、ピアノの音色が静かに流れる中、二人の世界は外界の冷たさとは別の緊張感に包まれる。これから向かう現場には、真実の断片と、事件を覆す可能性が待っている。


雪の白と温かな灯りに囲まれたカフェで、朱音と玲は再び事件の核心に歩みを進めた。静かなピアノの旋律が、二人の決意をそっと後押ししているかのようだった。


【日時:2025年12月3日 午後8時12分】

【場所:東京都郊外・旧倉庫現場】


カフェを出た二人の吐息は、夜の冷たい空気の中で白く揺れた。雪はさらに深まり、街灯の下で舞う白い粒が静かな祝福のように降り注ぐ。朱音はスケッチブックを胸に抱き、手袋越しにページを押さえながら歩いた。玲は少し前を行き、周囲の状況を冷静に観察している。


倉庫に近づくと、朱音の胸の奥がざわついた。描いた絵の通り、倉庫の窓の位置や出入口の角度が、現場写真とは微妙にずれている。雪に覆われた床や散乱する木箱の影も、スケッチブックの絵と完全に一致していた。


「……ここ、間違ってない」

朱音の声は震えていたが、目は揺るがない。描いた線の一つ一つが、現実と重なる瞬間だった。


玲は資料を取り出し、目撃者の証言と突き合わせる。「写真や証言ではこの人物は別の位置にいたことになっている。でも絵と現場は一致している。矛盾は明確だ」


その時、倉庫の影の中から、目撃者が姿を現した。震える手で帽子を押さえ、目を逸らしながらも、朱音と玲の存在を認める。


「……あなたたち、何でここに……?」

声は小さく、警戒と恐怖が混ざる。


「あなたが以前、この倉庫の近くで見た人物について話を聞かせてもらいたい」

玲の声は低く落ち着いているが、緊張感を帯びている。朱音はスケッチブックを取り出し、影の位置や窓の角度を指し示した。


「この絵の通りに見えたこと、覚えていませんか?」

朱音の問いかけは静かだが、目には決意が宿っている。目撃者は視線を逸らす。雪の音だけが、静かに二人のやり取りを包んでいた。


「……そんなはず……ない、と思うけど……」

目撃者の声は震え、言葉を濁す。矛盾は確かに存在する。朱音の描いた絵が、その曖昧な記憶を突き動かしていたのだ。


玲は静かに一歩前に出て、資料を広げながら指摘する。「証言と現場が一致しない。この矛盾を正確に確認することで、事件の真実に近づける。だから、正直に話してください」


雪はなおも降り続け、街灯の光に照らされた白い粒が舞う。冷たい夜空の中、朱音と玲の視線は揺るがず、目撃者の微かな動揺に応えるように集中している。

スケッチブックの線は、ただの鉛筆の跡ではなく、真実を示す道標となっていた。


【日時:2025年12月3日 午後8時25分】

【場所:東京都郊外・旧倉庫現場】


雪はなおもしんしんと降り続け、街灯の光に照らされた白い粒が静かに舞っている。倉庫の影に立つ目撃者の指先が微かに震え、視線を朱音から逸らす。


「……でも、あの時……」

目撃者の声は小さく、息が白く漂った。


「誰が……倉庫の中にいたのか、はっきり見えましたか?」

玲が静かに問いかける。朱音はスケッチブックを胸に抱き、目を閉じて手の中の鉛筆の感触を確かめる。


「……黒い影……人じゃない……いや、人の形をしていたけど……足音も声もなく、まるで空気の中に溶けていた……影烏……」

目撃者の言葉に、雪の静寂が一瞬止まったかのように感じられた。影烏──過去の事件で幾度も人々を欺き、恐怖を残してきた存在。その名が、目撃者の震える声から現実のものとして浮かび上がる。


朱音はスケッチブックの絵と照合する。描かれた影の形、微妙な光の揺らぎ……そこに、記憶の欠片ではなく、確かな存在があったことを悟る。胸の奥の灯火が、強く脈打つ。


「……影烏……あの時も……同じだったのね」

小さく呟く朱音。孤独と恐怖を抱えながらも、心の中で揺るがない信念が灯る――守るべきものを守り、真実を追い求める覚悟。


玲は資料を整理しながら、冷静に矛盾点を指摘する。「写真や証言では誰もいなかったことになっている。しかし、目撃者の記憶と朱音の絵が示すものは一致する。影烏の存在が、この事件の隠された真実を覆す鍵になる」


目撃者はさらに言葉を絞り出す。

「……あの影は……誰かを探していた……朱音ちゃん……いや、楓……あなたのことを……」

朱音の胸がぎゅっと締め付けられる。記憶が失われても、心の奥で繋がっていたもの――その灯火を、影烏が確かに見ていたのだ。


雪の音だけが降り注ぐ倉庫前。白い世界の中で、朱音と玲の視線は揺るがず、事件の核心に触れた瞬間を噛み締めていた。

スケッチブック、目撃者の証言、そして影烏の存在――すべてが交錯し、真実への道が少しずつ姿を現した。


【時間:2025年12月3日 午後8時18分】

【場所:東京都郊外・地下通路】


空調の止まった地下通路は、まるで都市の鼓動から切り離された別世界のように、湿り気を帯びた静寂に包まれていた。空気はよどみ、わずかに鉄と埃の匂いが漂う。天井の蛍光灯はところどころで切れ、残った数本が断続的に点滅しながら、壁に薄明かりを投げている。その光は不規則に揺れ、影をぼんやりと動かした。


朱音はスケッチブックを胸に抱き、手袋越しに指先を震わせながら通路を進む。玲は彼女のすぐ隣で、視線を巡らせ、あらゆる動きに備えていた。


「……何かいる……」

朱音の息が白く揺れる。通路の奥から、かすかな羽音のような音、そして足音とは違う不規則な振動が伝わってくる。


その瞬間、暗闇の中から黒い影が浮かび上がった。人の形をしているが、輪郭は定まらず、まるで空気の中で揺れる墨の塊のようだ。影烏──過去の事件で噂された存在が、現実に目の前で動き出した。


「朱音、後ろ!」

玲が声を張るが、影烏はすでに二人を囲むように移動している。通路の光が断続的に点滅するたび、影烏の形が瞬間的に変わり、視界を欺く。


朱音はスケッチブックを胸に押し付け、目を閉じて心の灯火を頼りにする。記憶の断片や絵の中の線が、目の前の影烏の動きと微妙に重なることに気づいた。


「……この通路の構造、絵と一致してる……」

朱音が低く呟く。影烏は、人の目を引く形に変化しながらも、確かに通路の構造を熟知しているかのように動く。


玲は懐から小型のライトを取り出し、影烏を照らす。光が一瞬、黒い影に触れると、その輪郭が歪み、内部の動きが鮮明になる。

「……奴は誰かを探している……狙いは朱音だ!」

玲の声に、朱音は胸の奥で強い覚悟を感じる。心の灯火を頼りにすれば、恐怖を凌駕できる――そう思った。


影烏が通路の端から端へ、鋭い速度で動き、壁に映る影が渦巻く。雪景色の温かさとは対照的な、都市の地下に潜む冷たい脅威。二人は互いに視線を交わし、息を合わせて動く。


「玲、私……私がここにいる意味、絶対に守る!」

朱音の決意の声が、冷たい地下空間に反響する。影烏は一瞬立ち止まり、黒い輪郭が微かに揺れる。胸の奥の灯火が、影烏に触れるかのように静かに光を放った。


雪の街から遠く離れた地下通路。暗闇と光の交錯の中で、朱音と玲は、影烏の正体と目的に直面しつつ、事件の核心に迫る緊迫した戦いを始めた。


【日時:2025年12月3日 午後8時23分】

【場所:東京都郊外・地下通路・旧倉庫内】


影烏は静かに膝をついた。埃をかぶったままの金属製の箱――重厚な鍵がかけられたその表面には、幾重にも封印コードが刻まれている。光の加減で薄く浮かぶ刻印は、まるでそれ自体が意志を持ち、記録を拒絶しているかのようだった。


朱音は息を飲む。スケッチブックの中の線と現場の光景が重なり、胸の奥で小さな灯火が瞬く。影烏は膝をつき、完全に静止しているが、その存在感は圧倒的だった。


「……玲、あれ……」

朱音の声がかすかに震える。影烏の姿は人型に近いが、顔の輪郭は影のようにぼやけ、内部から機械のような光が微かに漏れている。


玲は状況を一瞬で分析した。

「……人工的な存在だ。完全に人ではない。奴の目的は、あの箱の封印コードにある」

玲の視線が、箱に刻まれた封印コードを正確に捉える。影烏が膝をついたのは、箱に接触する前の動作だ。


その瞬間、影烏が突如膝を滑らせ、箱に触れようと動く。金属の表面に触れた瞬間、微細な振動と光の閃きが放たれ、通路全体に冷たい衝撃波が走った。


「朱音、後ろ!」

玲は咄嗟に腕を伸ばし、朱音を引き寄せる。雪の街の静寂とは正反対の、地下の冷気と金属の振動に包まれた瞬間だった。


影烏は箱に触れたまま膝をつき、封印コードを解析し始めるかのように微かに光を放つ。その光の乱反射で、周囲の視界が一瞬歪む。


朱音は心の灯火を意識して、恐怖を押さえ込む。「玲、スケッチブックの線……あそこ、右に寄せて!」

玲は朱音の指示を理解し、瞬時に移動。二人は影烏の側面を避け、通路の安全な位置へ退く。


光と影の間で、影烏の正体が一瞬、輪郭として明確になる。人の意志ではなく、誰かの指示に従う人工的な存在――記録を封印し、情報を守るために動く“監視者”。


「……あの箱を狙っている……私たちを排除する気だ」

玲の声は低く冷たく響く。朱音はスケッチブックを握りしめ、心の灯火を胸に集中させる。


影烏の動きは正確で危険だが、二人は息を合わせ、一瞬の判断で危機を回避した。金属箱の前で膝をついた影烏の背後に立ち、二人は次の行動を考える。

雪の街から遠く離れた地下空間。静寂と冷気、そして光と影が交錯する中で、朱音と玲は、事件の核心に触れる瞬間を、確かに生き延びたのだった。


【日時:2025年12月3日 午後8時30分】

【場所:東京都郊外・地下通路・旧倉庫内】


──カリ、カリ……

静寂の中に、金属に触れる筆音だけが響く。影烏の膝元で、微かに光を帯びた金属の箱の表面に文字が刻まれる。朱音は息を詰め、スケッチブックをぎゅっと抱きしめた。


「これ……なに……? こわいよ、玲……」

小さな声に震えが混じる。文字が刻まれるたびに、通路の空気が重く沈む。影烏が守ろうとしている秘密の輪郭が、目の前に浮かび上がる。


玲は冷静に封印コードを確認し、危険な手順を分析する。「朱音、君は横で見てて。指示を出してくれ」


「うん……わかった……あの、右……かな……?」

朱音の声は少し震えるが、必死に目をこらし、描かれた文字と線を追う。心の中の小さな灯火を頼りに、恐怖を押し殺す。


影烏は膝を滑らせ、箱に触れようと動く。黒い羽のような影が揺れ、光の反射で輪郭が歪む。


「ひゃっ……あぶなっ!」

朱音は咄嗟に後ろへ跳び、スケッチブックを抱きしめる。玲が瞬時に体を寄せ、庇う。


「そうだ、朱音!その順番で……えっと……右から三番目!」

小さな指示に従い、玲は封印コードを操作する。金属箱から低い振動音が立ち、封印が徐々に緩む。


影烏は羽を広げ、突進してくる。朱音は目をぎゅっと閉じ、心の中で小さな声を唱える。「だいじょうぶ……だいじょうぶ……玲がいる……」


──ガシャン!

最後の封印が外れ、箱がわずかに開く。光が零れ落ち、影烏の動きが一瞬止まる。その隙に、朱音と玲は体勢を立て直す。


「わぁ……できたんだ……すごいね、玲……」

朱音は小さく笑みを浮かべ、胸のスケッチブックをぎゅっと抱きしめる。恐怖と安堵が混じった声に、地下の冷たい空気も少し和らぐ。


影烏は再び立ち上がり、二人を睨むが、もはや優位は揺らいでいた。雪と冷気の地下倉庫に、光と影が交錯する。

朱音は小さな手を握りしめ、胸の奥の灯火を感じながら、初めて事件の核心――影烏が守ってきた過去の真実――に触れたのだった。


【日時:2025年12月3日 午後8時32分】

【場所:東京都郊外・地下通路・旧倉庫内】


──カリ、カリ……

金属製の箱に刻まれる文字は、まるで影烏の意思そのものを映しているかのように揺れ動いていた。


「認証完了。

 権限コード:影烏──特級記録再構築者。

 再構築対象:記録番号 R-XIII-F。

 状態:封印解除許可」


影烏の姿が黒い羽のように揺れ、膝をついたまま、再構築の作業を進めようとする。周囲の空気は冷たく張り詰め、通路全体が緊迫の震動に包まれる。


「玲……ねぇ、あのね!」

朱音の小さな声が通路に響く。10歳の少女らしい幼さを残しつつ、目は真剣そのものだ。

「わたし、結界……使えるよ! この通路の影、ちょっとだけ止められるかも!」


玲は一瞬ハッとする。冷静な分析者としては危険な賭けだが、朱音の言葉には迷いがない。

「わかった、朱音!やってみろ!」


朱音はスケッチブックを床に置き、小さな手を広げて呟く。

「お願い……ここに、止まって……!」


その瞬間、通路の空気が揺らぎ、微細な結界の輪が朱音の周囲に現れる。羽根のように広がる影烏の動きが、一瞬だけ止められた。

「うわ……すごい……!」

朱音の小さな声に、少しの喜びが混じる。影烏は動きを封じられ、光の輪郭が歪む。


玲はその隙に金属箱に手をかけ、封印コードの最終操作を進める。

「朱音、右の線に沿って……そのまま!」

朱音は指示通りに小さな手を動かし、結界を維持しながら影烏の干渉を最小限に抑える。


──ガシャン!

最後の封印が解除され、金属箱がわずかに開く。光が零れ、影烏は羽根を広げながらも、結界の力で動きを封じられたまま。


「やった……できた……!」

朱音は小さく跳ね、スケッチブックを抱きしめる。幼い声だが、心の底からの達成感が響く。


影烏は力を解こうと動くが、結界の輪がしっかりと空間を縛っている。玲は朱音の手を軽く握り、微笑む。

「君の力がなかったら、俺たちは今ここに立っていなかった」


雪の街の夜とは隔絶された地下空間で、光と影、そして幼き結界師の小さな勇気が交錯する。朱音の機転と力は、影烏の圧倒的な脅威を一瞬だけ凌ぎ、事件の核心に触れる道を切り開いたのだった。


【場所:地下通路・旧倉庫内】

【時間:2025年12月3日 午後8時24分】


──ガシャン、ガシャン!

影烏が黒い羽根のような影を翻し、膝を突いたまま封印解除を阻止しようと反撃を開始する。羽根のような影が床と壁を叩きつけ、空気が震え、金属の箱の周囲に危険な振動が走る。


「朱音、結界を維持して!」

玲の声が張り詰める。彼の指示に従い、朱音は小さな手を床にかざし、心の灯火を集中させた。


「うん……わたし、がんばる……!」

10歳の少女らしい緊張と覚悟が入り混じる声。朱音の周囲に現れた結界の輪が、影烏の動きを阻む。黒い影が結界にぶつかり、瞬間的に反射するように形を歪めた。


影烏は力を増し、結界を押し潰そうと攻撃を連続で放つ。しかし朱音は恐怖に屈せず、スケッチブックを胸に抱き、呟くように指示を出す。


「ここ……もっと……広げて……あっちも……!」

結界の輪が拡張し、地下通路の空間を縦横に覆う。影烏は影の形を自在に変えようとするが、朱音の集中力と結界の力で徐々に動きが制限される。


玲はその隙に金属箱を操作し、封印の解除作業を最終段階まで進める。「あと少しだ……朱音、力を貸して!」


朱音は小さな手に力を込め、心の灯火を全力で結界に注ぐ。影烏の黒い羽根が一瞬揺らぎ、光が反射して目がくらむ。

──ガッ!

最後の封印が解除され、箱がわずかに開く。影烏は結界に縛られ、動きが鈍る。


「やった……!」

朱音は飛び跳ね、スケッチブックを抱きしめる。玲は微笑み、手を差し伸べる。

「君の力がなかったら、俺たちはここに立てなかった」


地下の冷気と光と影が交錯する空間で、朱音の幼さと勇気、玲の冷静さが見事に融合し、危機を凌ぐことができたのだった。


【場所:東京都郊外・夜道】

【時間:2025年12月3日 午後8時24分】


雪交じりの夜風が二人の肩を撫でる。吐く息は白く、街灯の光に揺らめきながら、夜道に小さな結晶を描いていた。地下の緊迫した空間とは対照的に、外の世界は静かで、ゆるやかに時間が流れている。


「……あの箱の中、すごかったね」

朱音は小さな手でスケッチブックを抱きしめながら、まだ興奮と少しの恐怖を残した声で呟く。


玲は肩越しに朱音を見ながら頷く。「ああ。封印と結界、そして影烏……すべてがただの“守護者”じゃなかった。あの存在、誰かの意思で動く人工的な監視者だった」


「人工的……って、つまり……?」

朱音は少し首をかしげる。10歳の少女らしい純粋さが、言葉の端々に残る。


「過去に記録された情報を守るために作られたんだ。人のように見えるけど、心は持たない。だから、あんなに正確で、恐ろしい動きをする」

玲の口調は落ち着いているが、目は真剣そのものだ。


「でも……わたしの結界で、止められたんだよね……」

朱音は胸を張り、幼さの中に少しの誇らしさを滲ませる。「怖かったけど、がんばった……」


玲は小さく微笑み、朱音の小さな肩に手を添える。「君の力がなかったら、あの箱の封印は解けなかった。君の結界が、影烏の動きを止めてくれたんだ」


二人は歩きながら、地下で見た文字と光景を整理する。朱音のスケッチブックには、影烏が守ろうとした“過去の秘密”の輪郭が描かれている。封印コードと文字、影烏の行動パターン、結界の反応――すべてが少しずつ、事件の真相の手がかりになっていた。


「つまり……影烏は、過去の真実を誰にも触れさせたくなかったんだね」

朱音の声は小さいが、確かな理解が滲む。


「そうだ。でも君の結界と、僕たちの行動で、それはもう阻止できる。記録はもう安全にアクセスできる」

玲は視線を前方に向けながら、雪に照らされた夜道を慎重に踏みしめる。


雪の舞う夜空の下で、二人の心は静かに連動し、事件の核心――影烏が守り続けた過去と、その正体に迫る手がかり――を胸に刻んでいた。


「ねぇ玲……あの影烏のこと、もっと知りたい……」

朱音は小さな声で呟き、手の中のスケッチブックをぎゅっと抱きしめる。


「分かってる、朱音。これから少しずつ、全ての真実に向き合おう」

玲の声には確かな決意が宿っている。雪の夜道に、二人の歩みは静かに、しかし力強く重なっていった。


【日時:2025年12月3日 午後8時40分】

【場所:旧倉庫地下・記録解析室】


──冬島楓。

朱音の胸の中で呼び覚まされる名は、記憶の奥に埋もれた光景を呼び起こす。


白い息を吐きながら、誰かを待っていた冬の交差点。雪がしんしんと降り積もる中、凍える手を胸に押し当て、ただ待ち続ける小さな少女。

その傍らに、確かにいたはずの玲。けれどその顔だけが空白で、思い出そうとしても指先に触れない。


「……ここ……なんだか……見たことある……」

朱音はスケッチブックを膝に抱え、指先で描いた線を辿りながら呟く。


玲はモニターの前で、地下に保存されていた記録を解析する。金属箱の封印が解除され、コードと文字、光学的データが徐々に復元されつつある。

「この記録……影烏の正体、そして目的が明らかになる」


モニターに映し出されたのは、過去の映像と文書、暗号化された日記の断片。影烏──特級記録再構築者。人工的な監視者として作られた存在ではあるが、その内部には“人の意思”が書き込まれていた。

「……ただの装置じゃない……誰かの記憶と感情を宿している……」

玲は低く呟く。映像の中で、影烏は金属箱に触れるたび、微かに光の揺らぎと動作パターンの変化を見せる。まるで意識があるかのようだ。


朱音の幼い目が、スケッチブックに描いた線とモニターの映像を重ね合わせる。白い息の記憶、交差点、そして空白の顔――それらすべてが、この地下記録の断片とつながっていることに気づく。

「玲……この影烏……わたしと関係あるの……?」

その問いに、玲は少し間を置いて頷く。

「そうだ。君の記憶、君の心の灯火……影烏はそれをずっと追っていた。誰にも認められなかった過去を守ろうとしていたんだ」


モニターにはさらに映像が展開する。影烏が封印コードを守り続けた理由、過去に起きた事件の真相、そして誰も知らない“記録に刻まれた人の想い”。

「……これは……わたし……覚えてなくても……」

朱音は小さな手を胸に当て、震える声で呟く。

「……ここに、残ってるんだ……」


玲は静かに朱音の横に立ち、モニターの光に照らされた彼女の顔を見つめる。「忘れられた記憶でも、心の奥に残っている灯火がある。君が結界で影烏を止められたのも、その力があったからだ」


雪の夜道、空白の交差点、そして地下記録――すべてが繋がり、影烏の過去と目的の輪郭が、徐々に明らかになっていった。


「……玲、もう……逃げない……」

朱音は小さく決意を込めて言う。

「うん……一緒に、全てを確かめよう」


地下の静寂の中で、二人は影烏の正体と、封印されてきた過去の秘密に、確かに触れ始めたのだった。


【日時:2025年12月3日 午後8時45分】

【場所:旧倉庫地下・記録解析室】


──川崎ユウタ。

その名は、封じられた“証人”のひとり。誰よりも多く見て、誰よりも深く忘れた少年。


モニターの光が地下室の薄暗い空間を揺らめかせる中、朱音の結界と玲の解析作業を見守るかのように、ユウタの記憶の断層が微かにざわめき始める。


──あの夜の本当の出来事……

記録されなかった、あるいは消されてしまった記憶が、ユウタの心の奥底で振動し、薄い光のように浮かび上がる。まるで微細な波紋が湖面を揺らすかのように、記憶の層が震えている。


「……ユウタ……?」

朱音が小さな声を漏らす。胸に抱いたスケッチブックが微かに震える。彼女もまた、忘却の奥底に眠る過去の影を、感覚で受け取っていた。


玲は解析画面に視線を落とし、モニターに表示される断片的な映像と符号を追う。「この反応……ユウタの脳内で、封印されていた記録が自己再構築を始めている。まだ完全ではないが、確実に動き出している」


影烏が守ろうとした過去の秘密――その輪郭は金属箱の中で光を帯びる一方で、ユウタの断層の中に刻まれた“あの夜の真実”も、少しずつ再構築の兆しを見せ始める。


「……あの夜のこと、全部……見えるようになるの……?」

朱音の声は震えつつも、好奇と緊張が入り混じる。


「ユウタ自身の力で、少しずつ取り戻すしかない。でも、君たちの結界や解析があれば、再構築の精度は格段に上がる」

玲の声には、冷静さとわずかな期待が混ざる。


地下の空間には静かなざわめきが漂う。光と影、記録と記憶、封印と解放――それらが絡み合い、事件の真相が再び姿を現しつつある兆候を示していた。


「ユウタ……怖くても、大丈夫……一緒に見よう……」

朱音は小さな手を握りしめ、結界の灯火を強める。


モニターの画面がわずかに光を増す。地下倉庫の冷気の中、封印された記憶と再構築される真実が、まさにその瞬間、互いに触れ合い始めたのだった。


【日時:2025年12月3日 午後8時50分】

【場所:旧倉庫地下・記録解析室】


モニターの光が淡く揺れる中、川崎ユウタの心の奥底で封じられた記憶の断片が、微かに光を帯びて浮かび上がる。


──白い廊下。誰もいないはずの場所に足音だけが響く。

──冷たい金属の扉。開けようとする手は震え、だが強く引かれる。

──影烏の姿。黒い影が揺れ、まるで生きた意思を持つかのようにユウタを見据える。


「……ここ……覚えてる……?」

朱音が小さな声で問いかける。スケッチブックを胸に抱き、微かに震える手で光の輪を強める。


「……うん……ぼんやりと……でも、怖い……」

ユウタの声はかすかに、しかし確かな動揺と意識が混ざる。頭の中で断片がちらつき、現実と記憶の境界が揺らいでいた。


玲はモニターを凝視する。「ユウタの脳内で、封印された映像が再構築され始めた。断片的だが、あの夜の出来事の核心に近づきつつある」


画面に映るのは、暗い倉庫の一室。少年の視点で映し出される光景は、影烏の目的と関係していた。


──影烏は、ユウタの記憶に刻まれた“証人の存在”を守ろうとしていた。

──あの夜、何者かが現場の証拠を消し、事件の真実を封じようとした。

──ユウタはそれを目撃し、記憶の奥底に封印された。


「……影烏……わたしを……守ろうとしてたの……?」

朱音の声は幼さを残しながらも、理解と驚きが入り混じる。


「そうだ。影烏は、ただの装置や監視者ではない。誰かの意思、記録を守るための意思を持っていたんだ」

玲は静かに説明する。モニターには、ユウタの視点から見た影烏の動きが断片的に再生され、少年を守るような挙動を示していた。


──そして、あの夜の真実。

暗い廊下、消えた証拠、揺れる影。すべては、事件を隠蔽しようとする意図と、記録を守ろうとする影烏の意思の交錯だった。


ユウタは震える声で呟く。「……全部……思い出せそう……怖いけど……」

朱音は小さく頷き、結界の灯火をさらに強める。「大丈夫……わたしも一緒だよ、ユウタ……」


地下の冷気と光の中で、封じられた記憶は少しずつ再構築され、影烏の正体、そして「あの夜の本当の出来事」が、初めて姿を現そうとしていた。


【日時:2025年12月3日 午後8時55分】

【場所:旧倉庫地下・記録解析室】


──柊コウキ。

“記憶を失った少年”ではない。彼は“失うよう仕組まれた少年”だった。


モニターに映る過去の映像には、幼い少年が廊下の隅で静かに座る姿がある。誰にも名前を呼ばれず、存在を確認されることもない日々。

だが、その記録の片隅に、誰にも知られぬ小さな祈りが残されていた。


「……誰か……来てくれますように……」

暗い廊下で、ただ小さく手を合わせる。その祈りは、空白の記憶の中に小さな光を灯していた。


朱音はスケッチブックを膝に抱え、微かに揺れる光を感じ取る。ユウタの断片的な記憶の再構築と重なり、地下室に緊張感が漂う。

「コウキも……ずっと、ひとりだったんだ……」


玲はモニターの前で解析を続けながら、静かに頷く。「影烏や封印された記録の中で、コウキの存在は重要な鍵になる。彼の小さな祈りが、再構築の方向性を変えるかもしれない」


映像の中、コウキの手のひらには小さな光の粒が浮かぶように描かれる。それは、忘れ去られた日々に残された唯一の温もり。

「たとえ名前を呼ばれなくても、誰かが気づいてくれる……そう信じていたんだね」

朱音は呟き、胸のスケッチブックを抱きしめる。


地下室の光と影が揺れ、封印された記憶と再構築の兆しが交錯する中、ユウタとコウキ、そして朱音の心の灯火が、事件の核心に向かって静かに重なり始めていた。


──誰にも知られぬ祈りは、やがて真実への道標となる。


【日時:2025年12月3日 午後9時00分】

【場所:旧倉庫地下・記録解析室】


十年前の事件。

公式には「老朽化による構造崩壊」とされた廃倉庫の崩落事故。だが、記録の断片を解析する玲の前に、不可解な痕跡が浮かび上がる。


──消された記録。

──封じられた目撃者。


その中で、一人の少年の存在が特異に浮かび上がる。

──柊コウキ。


「……あの時、彼だけが姿を消したんだ……」

玲はモニターを見つめながら、低く呟く。光学データと復元映像が、事故当日の廃倉庫内部を映し出す。瓦礫の間に、他の目撃者の姿は記録されている。しかし、一カ所だけ、少年の痕跡が忽然と途切れる。


朱音も画面に視線を落とす。小さな手でスケッチブックを抱きしめ、静かに息を整える。

「コウキ……消されたんだ……でも、今、こうして……」


解析装置が断片的に再構築した映像が次々と表示される。倒れた梁、崩れゆく壁。人々の悲鳴と足音。

──そして、瓦礫の影に小さく揺れる影。

そこに、確かに少年の姿があった。


「これが……再出現……か」

玲の声には緊張と驚きが混ざる。消えた記録は、封印されていた少年の存在を、十年の時を経て再び浮かび上がらせていた。


ユウタや朱音、コウキの心の灯火が、地下の解析室の光に映し出される。

過去の事故は、単なる老朽化の崩壊などではなく、誰かによって操作され、隠蔽されていた。記録の断層は揺らぎ、封じられた真実は今、再構築の兆しを見せていた。


──そして、少年は再び姿を現す。

名前を持たず、忘れ去られた日々を生きた彼の存在が、今、事件の核心に向かう道標となる。


【日時:2025年12月3日 午後9時12分】

【場所:廃倉庫・封鎖エリアA1】


封鎖された立ち入り禁止区域――エリアA1。

風化した鉄骨が軋み、崩れかけた壁の隙間から冷たい風が流れ込む。薄暗い空間に、埃と錆の匂いが漂う。


──影烏が極秘経路から侵入を試みる。

黒い影が壁を伝い、まるで生き物のように静かに動く。足音一つ立てず、暗闇に溶け込むその姿は、地下倉庫の闇と同化していた。


そして、崩れた床や梁の間から、柊コウキの記憶の断片が現場に共鳴するように浮かび上がる。


──白い靴音。

瓦礫の上を微かに踏みしめる足音。記録として残らなかった少年の存在が、音として蘇る。


──血に染まったファイル。

散乱する書類の間に、暗い赤が光る。かつての事故の痕跡が、記憶と現実を重ねる。


──母親の声。

遠くから、かすかに響く呼びかけ。少年を探す声が、過去の空間に残され、今ここで再び聞こえるかのようだ。


影烏はその光景を目の前に、封印された記録を守るかのように立ち止まる。瓦礫の間に揺れる影は、コウキの封じられた記憶と反応し、現場に微細な揺らぎを生む。


──玲と朱音の解析と連動するかのように、過去の事故の断片が次々と蘇る。

封鎖エリアA1の冷たい空気は、記憶の残響で微かに震え、十年前の悲劇の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせる。


朱音はスケッチブックを胸に抱きしめ、震える手で結界の灯火を強める。「ユウタ……コウキ……怖くても、今なら……」

影烏の存在と、少年たちの封印された記憶。

すべてが、この廃倉庫の崩落事故の真実に繋がろうとしていた。


【日時:2025年6月2日 午後10時30分】

【場所:廃倉庫跡地】


十年前の記憶の断片が、廃倉庫跡地の闇に浮かび上がる。

深い闇が全てを包み込み、夜の空気は湿って重く、風も音もない。灯りの届かない空間は、まるで時間さえ通り過ぎるのを拒むかのように沈黙していた。


──カサリ、カサリ。

影烏が影のように低く身をかがめ、瓦礫の間を滑るように移動する。黒い羽根のような影が微かに揺れ、光を反射して不規則な模様を描く。


朱音は小さな手でスケッチブックを胸に抱き、心の灯火を結界に注ぐ。

「ここ……守る……!」

結界の輪が彼女を中心に広がり、瓦礫の隙間や影烏の動きを押し返すように光の壁を形成する。


ユウタはその光景を目に、震える声で呟く。「……影烏……怖い……でも……やらなきゃ……」

彼の記憶の断片が、白い靴音や血に染まったファイル、母親の声となって現場に微かに共鳴する。それは、影烏の動きを鈍らせる一種の“精神的な障壁”となる。


コウキもまた、封印された記憶の小さな祈りを胸に、結界の補助に手を添える。「……わたしも……力になる……」

その祈りが結界に流れ込み、光の輪はより強固に、影烏の攻撃に耐える防壁となる。


──ガッ、ガシャン!

影烏は羽根の影を振りかざし、結界を破ろうと一気に接近する。瓦礫が飛び散り、空気が裂けるような衝撃が周囲に走る。


朱音は必死に結界を広げ、指先で光を描く。「やめて……消さないで……!」

光の輪が影烏の影を押し返し、微かな隙間にユウタとコウキの存在を守る。


影烏はさらに攻撃を重ねるが、結界に触れるたびに微細な揺らぎが生じる。その揺らぎは、ユウタの断片記憶とコウキの小さな祈りによって拡大され、影烏の動きを徐々に鈍らせる。


──そして、決定的瞬間。

朱音の結界の光が影烏の前面を覆い、ユウタの記憶断片とコウキの祈りが重なり合う。影烏は一瞬、動きを止めた。

「……これで……終わらせる……!」

朱音の声に、力強さと幼さが同居する。結界の光は最大に膨らみ、影烏を押し返す。


瓦礫と影が入り混じる暗闇の中で、三人の心の灯火と結界の光が、封印されてきた過去と影烏の意思を制御する。

十年前の事故の真実は、今、光と影の交錯の中で少しずつ姿を現そうとしている。


【日時:2025年6月2日 午後10時35分】

【場所:廃倉庫跡地・封鎖エリアA1】


──少年の叫び声。

──何かを引きずる音。

──「逃げて」──優しくも切実な声。


暗闇の中、瓦礫の間から影烏が姿を現す。黒い影はもはや単なる機械や結界の守護者ではなく、意志を持つ存在として、三人の前に立ちはだかっていた。


「……影烏……あなたは……?」

朱音は小さな手でスケッチブックを抱き、震えながらも結界の灯火を最大に広げる。


影烏の声が、少年たちの心の奥底に響く。

「……私は……あの夜の記録を守る者。消されるはずだった真実を、君たちが目撃することを許さなかった」


ユウタの瞳が揺れる。断片的に再生されたあの夜の記憶──白い靴音、血に染まったファイル、母親の声──すべてが現場で鮮明に蘇る。

「……全部……知ってたのか……!」

彼の叫びが、暗闇にこだまする。


コウキもまた、胸の奥の小さな祈りを思い出す。「……僕たちを……守ろうとしていた……?」

影烏の動きが、一瞬、止まった。瓦礫の間で揺れる影は、少年たちの心の灯火に触れ、微かに光を帯びる。


朱音は声を振り絞る。「もう……逃げない……あの夜の真実、全部……見せて!」

結界の光が地下の暗闇を照らし、影烏の姿を縁取るように広がる。


影烏は静かに膝をつき、少年たちの前で姿勢を低くする。

「……私は……守る者。だが、君たちの意思もまた、この記録を再構築する力を持つ。封印されし記憶は、もう、君たち自身の手で明かされるべきだ」


瓦礫の隙間に再現されるあの夜の光景。少年たちは互いの目を見つめ、断片的な記憶を組み合わせて、ついに真実を突き止める。


──崩れた廃倉庫は、誰かに隠蔽されるべき過去の舞台だった。

──影烏は、ただ記録を守る存在であり、命令ではなく意思で動いていた。

──ユウタ、コウキ、朱音の心の灯火が、十年前の事件の全貌を鮮明に照らす。


「……これが……あの夜の本当の出来事……」

ユウタが息をつき、コウキは小さく頷く。朱音はスケッチブックを握りしめ、涙を浮かべながらも確かな決意を示す。


影烏の黒い影は、やがて光に溶けるかのように静かに揺れ、封じられた過去の真実が、少年たちの手に完全に委ねられた瞬間だった。


【日時:2025年6月2日 午後10時37分】

【場所:廃倉庫跡地・封鎖エリアA1】


──そのとき、朱音が結界の光を集中させている最中、通信機から低く抑えた声が響いた。


『こちらK部門本部。SS級スペシャリスト──九条凛、解析支援態勢に入った。音声記録と心理干渉パターン、随時照合可能。必要があれば即座に現場へ転送する』


影烏の動きが一瞬、止まる。黒い影は微細な光の揺らぎに反応し、まるで意思を読み取られたかのように動揺を見せた。


朱音は通信機を握りしめ、小さな声で答える。

「……うん、分かった……助けて……」

結界の灯火をさらに強める。


ユウタとコウキも、それぞれの記憶の断片を重ね合わせながら戦況を整理する。

──ユウタの再構築中の記憶が結界に反応し、影烏の攻撃パターンを微かに予測する。

──コウキの小さな祈りが光の結界に流れ込み、心理干渉的な補助を生む。


玲は朱音の肩越しに通信内容を確認し、わずかに頷く。「凛がサポートしてくれる。心理干渉パターンと音声記録の解析が加われば、影烏の動きに対応できる。焦るな、朱音」


地下の空気は静かに震え、瓦礫と影が入り混じる現場に、冷静な解析の目が加わったことで、三者の優位が確かに生まれる。


──影烏もまた、光と心理干渉の影響を感じ取り、微妙に行動を変化させる。

黒い羽根の影が揺れ、瓦礫を押しのけるように動くたび、九条凛の解析支援が、その軌道と意思を逐一補足していた。


朱音は結界の光を握りしめ、ユウタとコウキの手をそっと握る。

「……もう、怖くない……みんながいるから」


瓦礫の闇、影烏の黒、記憶の断片──そして通信機越しの冷静な声。

三者は、十年前の真実に迫る現場で、初めて揺るぎない補助を得て立ち向かうことができた。


【日時:2025年6月2日 午後10時40分】

【場所:廃倉庫跡地・封鎖エリアA1】


玲はわずかに頷き、低く呟く。

「──九条凛。彼女なら……記憶の深層に沈んだ“封印”をこじ開けられる」


通信機からの低く安定した声が、三人の耳に届く。

『解析開始──音声記録と心理干渉パターン、ユウタ及びコウキの記憶断層に随時照合。結界強化、影烏の行動予測、最適化中』


地下の闇の中、影烏が黒い影を振るい、瓦礫を蹴散らす。

──動きは速く、不可視の軌道を描く。攻撃のたびに、瓦礫が飛び、暗闇が裂ける。


朱音はスケッチブックを胸に抱き、結界の光をさらに膨らませる。

「みんな……守る!」

光の壁が揺れながらも影烏の動きを押し返す。ユウタは断片的な記憶を手繰り、影烏の軌道と瓦礫の危険ポイントを頭の中で予測する。


「左手側、梁の崩落に注意!」

ユウタの指示が瞬時に結界の光と同期する。光の壁がその方向に補強され、影烏の攻撃は微かに逸れる。


コウキも小さな祈りを結界に流し込み、心理干渉的な補助を発揮する。

──影烏の意思が揺らぎ、動きが一瞬遅れる。黒い羽根の影が微かに乱れる。


──九条凛の遠隔解析が、三者の感覚を拡張する。

『影烏の行動パターン──次の攻撃は右側の梁を破壊。ユウタ、結界補強を右に移動』

玲が即座に指示を朱音に伝える。


「右、補強!」

光の壁が右側に移動し、影烏の攻撃は結界に阻まれる。瓦礫が跳ね返り、衝撃音が地下にこだまする。


──決定的瞬間。

朱音は両手を広げ、結界の光を最大に膨らませる。ユウタは記憶の断片を結界に流し込み、コウキの祈りも重なる。


黒い影──影烏は、一瞬動きを止め、膝をつく。

『……これは……封印の力……記憶の意思……』


瓦礫の中、光と影、記憶と意思が激しく交錯する。

十年前の事故で封じられた真実、影烏の存在意義、そして少年たちの記憶──すべてがこの瞬間に重なり合い、封印されし過去がついに顕現しようとしていた。


朱音は声を震わせながらも叫ぶ。

「もう……隠さないで……みんなに……真実を……!」


影烏は静かに、しかし確かな意志をもって、光の中で姿勢を低くする。

三者の心と結界、遠隔解析の連携──十年前の事件の核心が、ついに現場で直接対決として顕在化した瞬間だった。


──だが。


暗闇に張り巡らされた結界の光が揺れる中、影烏は完全には屈しなかった。

黒い羽根の影が微かに伸び、瓦礫の隙間から忍び寄る。


──だが、彼の意思は一筋縄では消えない。

十年前の事故の真実と、封じられた記録を守ろうとする強固な執着が、光と結界を突き破ろうとする。


ユウタが眉をひそめ、断片的な記憶を必死に手繰る。

「まだ……消えない……!」

コウキも小さく頷き、祈りを結界に注ぐ。


朱音は震える声で叫ぶ。

「逃げない! 絶対、みんなで……!」


影烏の黒い影は、光と意思のぶつかり合いの中で揺れ動く。

──だが、完全に封じることは、まだできない。


闇と光、記憶と意志のせめぎ合いは、ここで次の局面へ突入しようとしていた。


【日時:2025年6月2日 午後10時42分】

【場所:廃倉庫跡地・封鎖エリアA1】


──その瞬間、朱音の通信機が微かに震え、低い音で反応した。


『……そのファイル、間違いなく封鎖対象だったものよ。すぐに私がそっちへ行く。記録が暴れ出す前に、感情層を固定しなきゃ。これは“誰かの想い”が記録に残した、最も深い痕跡だから』


朱音は小さく息を吸い込み、結界の光を握りしめる。

「……凛さん……すぐ……来てくれる……」


瓦礫の間、影烏の黒い影が揺れ、光の結界に触れるたびに微細な揺らぎを生じさせる。

だが、九条凛の遠隔解析により、ユウタとコウキの記憶断片が結界に精密に反映され、影烏の攻撃は少しずつ封じられていく。


ユウタが低く呟く。

「……封鎖対象のファイル……こんな形で残っていたのか……」

コウキも頷き、胸の小さな祈りを結界に注ぐ。

「……誰かの想い……だから、暴れ出す前に……」


影烏は一瞬、動きを止める。黒い影が微かに縮み、瓦礫の隙間で揺れる。

──彼の意思もまた、この“最も深い痕跡”を前に反応しているのだ。


朱音は小さな手でスケッチブックを抱え、光の結界をさらに膨らませる。

「みんな……私たちの力で……守るんだ……!」


瓦礫の闇、影烏の黒、記憶の断片──すべてが交錯する中、九条凛の遠隔支援による心理干渉と解析が、三者の結界と記憶の力を最大化する。

──封鎖対象の記録を暴走させず、事件の真相を浮き彫りにするための戦いが、今まさに最高潮に達しようとしている。


【日時:2025年6月2日 午後10時47分】

【場所:廃倉庫跡地・封鎖エリアA1】


玲が静かに頷き、低く呟く。

「このスケッチ、保護対象に移す。分析班と凛にも送って、“感情痕跡データ”として解析させよう。もしかすると、これが……“記録されなかった想い”の核心かもしれない」


朱音は小さく息を吸い込み、スケッチブックを抱きしめる。

「……うん……お願い……凛さん……」


そのとき、地下の暗闇に光の気配が差し込む。

──九条凛が現場に到着したのだ。黒い戦闘服に身を包み、冷静な目が光る。彼女は通信で送られていたスケッチを瞬時に解析し、結界の光とユウタ・コウキの記憶断片にリンクさせる。


「記録の感情層、固定開始」

凛の声は冷静で揺るがない。小型解析端末から発せられる微弱な光が、結界の中心に向かって収束する。


瓦礫の間で揺れる影烏も、微かに警戒の動きを見せる。光の壁と解析の波動が、彼の意思を直接感知し、動きを鈍らせる。


朱音は両手を広げ、結界を最大限に膨らませる。

ユウタの記憶断片が結界に流れ込み、コウキの小さな祈りが光の中で拡散する。

──三者の心の灯火が、凛の解析光に触れ、封印された感情層に融合する。


「……これで……暴走は止まる……」

凛が端末を操作すると、瓦礫の闇に渦巻く記録の残響が、徐々に静まり、影烏の黒い影も光の中で揺れを失う。


──封印され、誰にも触れられなかった想いの断片が、確かに固定される瞬間。

十年前の事件で隠され、消されそうになった感情は、今、三者の力と凛の解析により、完全に顕現し、保存される。


朱音はスケッチブックを胸に抱きしめ、涙を浮かべながらも、確かな決意を胸に刻む。

ユウタとコウキも深く息を吐き、震える手で結界の光を保つ。

影烏は静かに膝をつき、封印の意思としての役割を終えたかのように、闇に溶けていった。


──廃倉庫跡地に、長く沈黙していた過去の記録が、ようやく“救済”された瞬間だった。


【日時:2025年6月2日 午後10時48分】

【場所:廃倉庫跡地・封鎖エリアA1】


通信機から、凛の冷静な声が届く。

『こちら九条凛。記録信号受信。感情共鳴層への干渉を開始──準備完了』


朱音は小さな手でスケッチブックを抱きしめ、結界の光をぎゅっと握る。

「……わたしも……一緒に……!」

結界の光が彼女の心の想いと連動し、地下空間に柔らかくも強い光の輪を描き出す。


ユウタは断片的な記憶を手繰り、結界に流し込む。白い靴音や血に染まったファイルの残像が、光の結界の中で微かに揺れる。

コウキも胸の小さな祈りを結界に注ぎ込み、記憶の断層を補完する。


──影烏の黒い影が動きを止める。

光の結界と感情共鳴層への干渉波が影烏の意思に直接触れ、微細な揺らぎを生じさせる。

「……これは……封印……されし感情……」

影烏の声が低く、しかし確かに震える。瓦礫の間で、黒い影がゆっくりと縮む。


凛の端末から微弱な光の波動が結界に広がり、感情層の痕跡を一点一点固定していく。

──十年前の事件で消されそうになった、誰かの想いの断片が、光の中で静かに、しかし確実に形を取り戻していく。


朱音の小さな声が、地下の静寂に響く。

「みんな……ちゃんと……残るんだよ……!」


瓦礫の闇、影烏の黒、記憶の断片──光と意思が交錯する現場で、凛の干渉により感情共鳴層は固定され、封印された過去の真実がついに顕現する。


──その瞬間、影烏は膝をつき、闇に溶けるように姿を消した。

地下倉庫に漂っていた長い沈黙が、少しずつ穏やかに、しかし確かな余韻を伴って戻り始めた。


──やめて。

──行かないで。

──まだ、言ってないんだ。


その声は、確かに“記録”の奥から聞こえた。

幼い、けれど痛いほど真っ直ぐな声。

まるで十年前の空気そのものが息を吹き返したように、崩れた倉庫の壁面が微かに震える。


朱音がスケッチブックを抱きしめ、顔を上げた。

「……聞こえる……これ、誰かの“心の声”……!」


凛の端末が一瞬、警告音を鳴らす。

『感情層、暴走しかけてる……! 誰かの想いが、固定を拒んでいる……!』


結界の光が波打ち、朱音の描いた“白い靴音”の絵が紙面の上で滲み始めた。

──その滲みが、やがて少年の輪郭を形作る。

俯いたままのその姿は、まるで過去から取り残された“記憶の証人”。


玲が低く呟く。

「……ユウタ。これは──お前自身の記憶じゃないのか?」


ユウタの瞳が揺れ、息を飲む。

「……違う……これは……“僕が、見ていた彼の記憶”だ」


そしてその瞬間、

朱音の腕の中のスケッチブックがひとりでに開き、

ページの間から風のように声が零れ落ちた。


──「行かないで……コウキ……」


影烏が微かに反応し、闇が裂ける。

その中心に、幼い少年の“記録されなかった想い”が、初めて光の中に姿を現した。


――「……もう……ぼくが……いなくなれば……」

――「……母さんを……苦しめなくて……すむ……」


その声が響いた瞬間、倉庫の奥にあった崩れた鉄骨が震えた。

まるで“あの夜”の時間だけが再び動き出すように。


朱音のスケッチブックがふわりと宙に浮かび、ページの隙間から淡い光が溢れ出す。

その光が形を持ち始め──一人の少年の影を描いた。

白い靴、擦れた袖口、そして……血に滲んだ小さなファイルを抱えた手。


凛の解析画面が赤く点滅する。

『感情波形、同調完了──確認。これは……柊コウキの“最終記録”……!』


玲が息を呑む。

「……コウキ……お前は、あの夜……」


ユウタが一歩、前へ。声を震わせながら。

「……ぼく、見たんだ。あの崩れる瞬間……コウキくんが、自分から中に……」


朱音が顔を上げ、涙をにじませながら叫ぶ。

「違うよっ! コウキくんは……“守ろうとした”んだよ!」


光景が一瞬にして蘇る──

あの夜、崩れ落ちる倉庫の中で、少年は母の声に振り返り、

倒れかけた梁を支えるように両手を広げていた。

その足元には、封印ファイルと“影烏”の記章。


九条凛が低く呟く。

「……彼は“犠牲者”じゃない。記録の改ざんを止めようとした“証人”だったのね」


影烏が静かに顔を上げる。

その仮面の奥の目が、かすかに揺れた。

「……彼の消去を命じたのは、私だ。だが──彼は最後まで、“真実を残した”。」


倉庫の闇が一斉に震え、結界の光が亀裂を走る。

封印された記録が一気に溢れ出し、凛の声が通信越しに響く。


『今よ、朱音ちゃん! 感情層を固定して! “彼の願い”を記録に戻すの!』


朱音がスケッチブックを抱き締め、涙をこぼしながら頷く。

「……うんっ! “消えちゃだめ”──“この想いは、ここにいる!”」


──光が炸裂した。


崩壊しかけた倉庫が一瞬、まぶしい白光に包まれる。

その中で、少年の影が穏やかに微笑み、静かに口を開いた。


「ありがとう。ぼくのこと、見つけてくれて。」


そして光は、ゆっくりと夜の闇に溶けていった。


【日時:2025年6月2日 午後11時05分】

【場所:廃倉庫跡地・封鎖エリアA1 → 都市下層通路ネットワーク「第B層」】


瓦礫と光の残響の中、玲たちは深呼吸を一つして立ち上がる。

地下の空気はまだ冷たく湿っていたが、十年前の真実が一度顕現したことで、現場の緊張は薄れ始めていた。


朱音はスケッチブックを胸に抱き、足元の光の結界を慎重に見守る。

ユウタとコウキは、崩れた鉄骨の間を抜けながら、記憶の断片を互いに確認する。


玲は手元の端末を操作し、崩壊現場の安全確認と、次なる進行ルートの探索を開始する。

「……この通路の先が、都市下層ネットワーク『第B層』。影烏の活動痕跡も残っている。次の手がかりはあそこにある」


瓦礫の中、微かな電子ノイズが空気を震わせ、まるで次なる“記憶の扉”が呼びかけているかのように響く。


朱音は小さく息を吐き、勇気を振り絞る。

「……みんな、次も……一緒に……行こう」


ユウタが静かに頷き、コウキも小さな手を握り返す。

──崩壊の余韻を背に、三者は都市の地下奥深く、未知なる「第二層」へと歩を進める。


暗闇の奥で、影烏の残した黒い痕跡がわずかに光を吸い込み、次なる事件の始まりを告げる。

十年前の記憶の断片、封印された証人たち、そして“記録されなかった想い”──すべてが、次の層で交錯することになる。


【日時:2025年6月2日 午後11時03分】

【場所:廃倉庫跡地・第二層記録領域(仮称)】


静寂の中、通信機から奈々の声が微かに混線しながら届いた。

「……玲、追加座標。新たな記録痕が検出された。“ユウタのアクセスログ”、再浮上。時刻は──十年前の事件当夜、22時37分。……一致してる」


玲は立ち止まり、わずかに目を細めた。

「……十年前、崩落が始まる直前の時間だな」

その言葉に、ユウタが息を呑む。

「ぼく……その時間に、何を……」


足元の地面が淡く光を帯びる。

鉄と埃に覆われた床の奥から、幾重にも重なった映像の層が現れた。

そこには、白い照明のもとで動く人影、散乱した資料、そして──子供の泣き声。


朱音がスケッチブックを開き、光の残滓を追うように指を走らせる。

描かれる線が、次第に形を結んでいく。

「……これ、“見てた”……あの夜の……でも、なんで……私、知らないはずなのに……」


コウキが小さく呟く。

「記憶が……繋がってる。朱音ちゃんの見てる景色は、ユウタの……そして、あの夜の“もう一人の目撃者”のものだ」


その瞬間、第二層の空間に微かな振動が走る。

封印コードが崩れ、天井から黒い粉のような記録片が舞い降りる。

九条凛の声が通信に割り込む。

『干渉値、上昇中。……この領域、“影烏”の原記録に接続してるわ。玲、慎重に。下手に刺激すれば、全層が崩壊する』


玲は頷きながら周囲を確認する。

「了解。だが……ここを通らなきゃ、真実には届かない」


淡い光の中、再構築された映像が一瞬だけ鮮明になる。

──白衣の女性。

──小さな少年の肩に手を置く影烏の姿。

──そして、その傍らで震える、十歳の柊コウキ。


ユウタの声が震える。

「……ぼく、見たんだ。……あの人が、誰かを……」


その先の言葉を、轟音が掻き消した。

第二層の空間が軋み、光の層が歪み始める。

記録の中に隠されていた「影烏の過去」が、感情とともに暴れ出したのだ。


朱音がスケッチブックを高く掲げる。

「だいじょうぶ! “結界”で守るからっ!」

幼い声が響き、光の膜が広がる。


玲はその光を背に、拳銃を構えながら低く呟いた。

「……影烏。お前が“守ろうとした記録”が、誰のためのものなのか──今、確かめさせてもらう」


崩れかけた記録層の中で、影と光が交錯する。

十年前に封じられた“もう一つの真実”が、今、目を覚まそうとしていた。


【時間:2025年6月2日 午後11時42分】

【場所:廃倉庫跡地・第二層アクセス通路】


 薄暗い廃倉庫の奥。

 ひび割れた床には冷たい水が滲み、鉄の匂いと焦げた埃が混ざり合っていた。

 玲、成瀬由宇、安斎柾貴、桐野詩乃──影班の主力が、音を立てないように慎重に足を進めていく。


 わずかな風が吹き抜け、崩れかけた鉄骨が軋んだ。

 緊張が張り詰める。

 次の瞬間、玲の動きが止まる。

 彼の瞳が、まるで氷の刃のように鋭く光った。


 「……S級モード、展開」


 その声は低く、静か。

 だが同時に、全員の背筋を冷たく貫いた。

 無駄のない動き。

 わずかな息遣いすら、戦闘のリズムに組み込まれている。


 成瀬が息を呑み、小声で囁く。

 「……玲、やっぱり本気になると別人だな……」


 詩乃が短く頷く。

 「“理性の探偵”が“死線の玲”に変わる瞬間……久しぶりに見た」


 玲は答えず、手にした銃を滑らかに構えた。

 光を吸い込むような黒の銃身が、薄闇の中に溶けていく。

 その眼差しは、もはや“探偵”ではなかった。

 冷血な狩人──かつて「K部門最終執行官」と呼ばれた男の顔。


 「……行くぞ」


 その一言で、全員の動きが一斉に連動する。

 足音を消し、呼吸を合わせ、影の中へ。


 前方の暗闇が、わずかに“うごめいた”。

 形を持たない何かが、視界の隅で脈動する。

 安斎が即座に展開式の干渉結界を起動。

 詩乃が微毒霧を拡散し、成瀬が銃口を一点に定める。


 その中心に、闇が“笑った”。


 玲がわずかに口角を上げる。

 「……やはりいたな。影烏」


 闇が波打つように膨張する。

 数秒後、空気が裂ける音とともに戦闘が始まった。

 玲は一歩も引かず、冷たい殺意を研ぎ澄ませたまま闇の中心へと踏み込んでいく。

 その姿は、まるで過去に封じられた“もう一人の彼自身”が蘇ったようだった。


【時間:2025年6月2日 午後11時47分】

【場所:廃倉庫跡地・第二層アクセス通路】


 三人は静かに顔を見合わせた。

 玲の目は鋭く、冷たい炎を湛えていた。

 成瀬の表情は静かだが、その奥には一瞬のためらいすら許さぬ戦士の決意が潜んでいる。

 桐野の瞳は深く、静謐な湖のように感情を封じていたが、その奥底には“護る”という強い意志が確かに揺らめいていた。


 玲は短く息を整えた。

 そして、己の意識を“沈める”。


 ──S級モード:Predicative Zone(予測領域展開)。


 視覚、聴覚、触覚、空間認識の全てを極限まで研ぎ澄ませ、数秒先の行動と環境変化を“予測演算”として再構築する。

 その間、玲の思考は人間の感情層を完全に遮断し、機械的な戦闘計算に切り替わる。


 時間が、歪んだ。

 空気の振動、壁の割れ目、成瀬の息遣い──全てが玲の中で“映像”として並列処理される。

 脳内では、数百通りの動線が瞬時に描かれ、危険度の高いルートが赤く、最適解が蒼く光った。


 「……距離、4メートル。影の密度指数、上昇中。詩乃、左45度──拡散範囲を三段階まで絞れ」

 玲の声は低く、冷静。

 詩乃は即座に反応し、指示通りに微毒霧の散布角度を修正する。

 成瀬が口角をわずかに上げた。

 「……さすが“玲モード”。こうなると、もう止まんねぇな」


 玲の視線が、目に見えぬ“影の呼吸”を捕らえた。

 床下の微振動、壁面の温度変化、空気の乱流。

 全てが、ひとつの座標を指し示す。


 「……そこだ」


 発砲。

 音より速く、弾丸が闇を貫いた。

 黒い波がうねり、何かが後方に跳ね飛ぶ。

 影烏の一部が露わになり、冷たい光がその表面をかすめた。


 安斎が低く呟く。

 「人間の限界を超えてやがる……感情を切り離した“計算された殺意”……まるで戦場そのものだな」


 玲は応えず、ただ一歩、影の方へ踏み出した。

 その姿は冷たく、静かで、そして美しくさえあった。

 まるで“闇を読む探偵”ではなく、“未来を撃ち抜く狩人”──

 それが、S級探偵・玲のもうひとつの姿だった。


【時間:2025年6月2日 午後11時49分】

【場所:廃倉庫跡地・第二層アクセス通路】


 玲の“予測領域”が展開された空間は、もはや戦場というよりも静寂そのものだった。

 呼吸音、金属の軋み、わずかな埃の落下までもが数値化され、玲の意識内で光の線として浮かび上がる。

 完璧だった。──少なくとも、その瞬間までは。


 突然、空間が“歪んだ”。

 冷気のような影が、音もなく侵入してくる。


 ノイズ──発生。

 映像が乱れ、空気の振動が反転する。

 玲の視界に、見慣れない黒い残光が走った。


 「……干渉波? いや、違う──これは、“記録”が逆流してる……!」


 予測演算の軸が狂う。

 さっきまで存在した“未来”の線が、次々と消滅していく。

 玲の脳内で、演算結果が錯乱する。

 ──影烏による“過去の記録の逆再生”。

 存在しないはずの時間を引きずり戻し、現実空間を再構築していく。


 「くっ……視界が、乱される……!」

 玲の声が低く震えた。

 足元の床が、一瞬で“十年前の廃倉庫”の映像へと変貌する。

 そこに立つのは、ユウタの影。

 泣きながら誰かを呼んでいる。


 ――「行かないで……!」


 声が、玲の意識を揺らす。

 予測不能。感情層干渉、指数オーバー。


 「玲さんっ!」

 朱音の声が響いた。


 次の瞬間、少女の手のひらから光が広がる。

 透明な波紋が玲を包み、ノイズの波を押し返した。


 感情共鳴結界ヒトハナ──展開。


 朱音の瞳が淡い金に輝く。

 「……見えるよ、玲さん。今、ここに“本当の想い”が残ってる……!」


 光と影が衝突する。

 玲の崩壊しかけた予測領域が、朱音の感情波に共鳴し、再び安定していく。

 ノイズが退き、周囲の映像が静かに収束した。


 玲が息をつく。

 「……ありがとう、朱音。君の“心”が、俺の演算より早かった」


 朱音は微笑んだ。

 「ううん。だって、怖かったんだもん……玲さんが、どっか行っちゃいそうで」


 その瞬間、影烏の残響が一斉に後退する。

 彼らの連携が、記録の暴走を止めたのだ。


 ――そして、その奥。

 崩れた壁の向こうに、“第三層”への通路が静かに姿を現した。


【時間:2025年6月2日 23時15分】

【場所:廃倉庫跡地・第二層出口付近】


 沈黙。

 闇に光がひとすじ差し込む。

 九条凛が姿を現した。

 無駄のない動きで床に手を触れると、淡い青の光が波紋のように広がっていく。


 「……感情層、安定化を確認。暴走波は停止。よく持たせたわね、玲、朱音」


 玲は肩で息をしながら頷く。

 「君が来てくれて助かった。ギリギリでノイズに飲まれるところだった」


 凛の瞳が朱音に向けられる。

 「あなたの“感情結界”、あれは即興で発動したの?」


 朱音は少し恥ずかしそうに笑う。

 「うん……玲さんが、怖い顔してたから。なんか、守らなきゃって思って……」


 凛は微かに目を細めた。

 「……感情が“記録”を正した。理屈じゃないけど、それが真実よ」


 その後ろで、成瀬と安斎が第三層の通路前に立つ。

 鉄の扉は半ば崩れ、赤錆に覆われている。

 安斎が短く報告した。

 「残響波、低下。だが内部にまだ“誰かの気配”がある」


 成瀬は腰の装備を確認しながら言った。

 「玲、こっから先は危険だ。お前と朱音はここで待機してもいい」


 玲は静かに首を振った。

 「いや──行く。ユウタの記録が導く場所は、俺たち全員が見るべきだ」


 朱音も続く。

 「わたしも。あの絵、まだ終わってないから」


 凛は小さく息を吐き、通信機を開く。

 「K部門本部、こちら九条凛。第三層突入を許可。記録同期、継続」


 電子音が応答し、扉が軋むように開いていく。

 ──奥に広がるのは、崩壊した“記録の空間”。

 ユウタの声、コウキの影、母親の微笑、そして“あの夜”の断片がゆっくりと形を取り戻していく。


 玲の目が、その光景を映した。

 「これが……十年前の真実か」


 その瞬間、朱音のスケッチブックが淡く光る。

 一枚の絵が、風にめくられて露わになった。

 そこには──少年が手を伸ばす姿。

 誰かに、確かに“届こうとする”瞬間。


 朱音が小さく呟く。

 「……ユウタくんは、ずっと伝えようとしてたんだね。『あの日のことを、忘れないで』って」


 静寂の中、九条凛が感情層の安定化完了を告げる。

 「記録固定、成功。これで“消された夜”は、もう二度と失われない」


 玲は目を閉じた。

 「……やっと、ここまで来たな」


 成瀬が安斎に目配せし、桐野が最後の封印を解除する。

 第三層の記録が、ゆっくりと収束していく。

 光と影が交わり、十年前の“あの夜”が静かに再生される。


 そして。


 ──映像の中で、少年が微笑んだ。

 「ありがとう」


 その声を最後に、記録は静かに消えた。


 夜風が吹き抜け、朱音のスケッチブックのページが閉じる。

 玲が空を見上げて、呟いた。

 「真実は、いつも消えようとする。でも……人の想いが、それを繋ぎ止める」


 九条凛が微かに頷いた。

 「記録が、想いに負けたのね」


 廃倉庫の瓦礫の中に、夜明け前の光が差し込む。

 すべてが終わり、そして新しい“記録”が始まる。


【時間:2025年6月16日 午前10時12分】

【場所:佐々木家ロッジ・中庭】


 爽やかな風が、初夏の匂いを運んできた。

 事件の終結から二週間。

 静けさを取り戻したロッジの中庭には、柔らかな日差しが降り注ぎ、草花がゆるやかに揺れていた。


 朱音はスケッチブックを膝に乗せ、色鉛筆で静かに線を描いている。

 その絵には、雪に包まれた倉庫跡地──そして、そこに立つ小さな少年の背中があった。

 彼女は小さく微笑みながら、空に向かって呟く。


 「ユウタくん、ちゃんと届いたよ。……あの“声”、みんなに聞こえた」


 隣で沙耶が穏やかに笑う。

 「そうね。あなたの絵が、真実をつないだのよ」


 ロッジの縁側には玲と成瀬が並んで座っていた。

 玲はホットコーヒーのカップを手に取りながら、どこか遠い空を見ている。

 「……あの夜の記録、完全に封じ直された。けど、誰かの想いはまだ、あの場所に残っている気がする」


 成瀬が肩をすくめる。

 「お前らしいな。終わっても、まだ見てる」


 玲は微かに笑った。

 「探偵ってのは、終わりの向こう側を見ないといけないんだ」


 その時、通信機から九条凛の声が入った。

 『こちらK部門。記録安定化、最終報告完了。……朱音ちゃんの描いたスケッチ、保存しておくわ。これは“記録”じゃなく、“記憶”としてね』


 朱音は嬉しそうにスケッチブックを抱きしめる。

 「うん……じゃあ、もう消えないね」


 凛の声がやわらかく続く。

 『ええ。誰かの想いが刻まれたものは、もう誰にも消せないわ』


 風が吹き抜け、ページが一枚めくれた。

 そこには──笑顔の少年たちが描かれていた。

 ユウタ、コウキ、そして朱音。

 あの夜を越えた子どもたちの姿が、確かにそこにあった。


 玲は立ち上がり、風にそよぐ木々を見上げる。

 「……記録は終わっても、物語は続く」


 朱音が顔を上げて、無邪気に笑う。

 「じゃあ、次のページも描いていい?」


 玲は一瞬目を細め、頷いた。

 「もちろんだ。君の絵が、次の“真実”を呼ぶかもしれないからな」


 空は晴れわたり、初夏の光が降り注ぐ。

 静かで穏やかな風が、もう二度と戻らない夜の記録を、そっと遠くへ運んでいった。


──そして、物語は“新しい章”へと進み始める。

――冬島楓のあとがき――


 あの夜のことを、私は今でもはっきりとは思い出せません。

 崩れ落ちる倉庫の音も、誰かの叫びも、すべてが遠い水の底で揺れているようで。

 けれど、不思議なんです。記憶がなくても、「想い」だけは消えなかった。


 玲の声、朱音ちゃんの絵、ユウタくんの瞳、コウキくんの祈り。

 それらが一つひとつ、私のなかに閉じ込められていた“空白”を少しずつ埋めていきました。

 人は、記憶を失っても、心で覚えていることがある。

 それが、この世界でいちばん大切な“記録”なのだと思います。


 私はかつて、真実を封印した研究者のひとりでした。

 人の記憶を守るために、そして同時に、それを奪うためにも関わってしまった。

 だからこそ、もう一度、あの場所で立ち止まりたかったのです。

 自分が何を見て、何を捨てて、誰を想っていたのかを。


 雪が降る交差点で、私はようやく“彼”の顔を思い出しました。

 玲――あなたが差し出したあの手の温もりが、どんな言葉よりも強く、私を現実へと繋ぎとめた。

 あなたが見ていたのは“失われた私”ではなく、“今ここにいる私”だったのですね。


 そして朱音ちゃん。

 あなたの描いた絵が、世界の境界を越えて私の心に届きました。

 あなたの結界は、きっと誰かの想いが「消えないように」と願う力そのものです。

 どうか、その優しさを手放さないでください。


 記録は封じられても、想いは生き続けます。

 たとえこの世界から私の名が消えようとも、あの日の光景だけはきっと――

 誰かの心の中で、あたたかく燃え続ける。


 ありがとう。

 私を“記憶の外”から呼び戻してくれて。

 もう一度、誰かを想う痛みと温かさを思い出させてくれて。


 ――冬島楓

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