42話 スピンオフ小説 『中野ゼロファイル事件』
【玲探偵事務所/K部門外部協力チーム】
神崎 玲
元・K部門記録犯罪対策班主任。
卓越した観察眼と戦術判断で多くの“記録改ざん事件”を解決してきたが、十年前の「倉庫事件」を境に公式記録から姿を消した。
現在は独立した探偵事務所を拠点に、非公式な“記憶案件”を請け負う。
冷静だが情に厚く、仲間を誰よりも大切にする。
封印された記録「Z-079」に深く関わる人物。
「記録は消せても、真実は消せない――俺たちがその証明だ。」
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水無瀬 透
元・K部門特務調査班の記憶探査官。
冷静沈着で分析能力に優れ、あらゆるデータから“人の思考の軌跡”を読み取る。
表情は乏しいが内には熱を秘め、玲の右腕として動く。
“ゼロフロア”の記録アクセスにより、再び玲と行動を共にする。
「データの奥には、必ず“意志”が残る。それを読むのが、俺の仕事だ。」
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九条 凛
K部門心理分析補佐官。新人ながら高い共感能力を持ち、対象の心理波を読み取る“感応型プロファイラー”。
感情と理性の狭間で揺れながらも、玲の意識を現実側へ引き戻す役割を担う。
ユウタの意識層で、初めて“他者の記憶”に触れることになる。
「人の心に触れるのは、怖い。でも……放っておけないんです。」
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橘 奈々(たちばな なな)
情報処理と暗号解析のスペシャリスト。玲の旧友であり、K部門の元分析官。
ユーモラスな性格で場を和ませる一方、国家レベルの防御システムも突破する。
CODE-Λ発動時、逆探知を受けながらも玲たちを守り切る。
玲の信頼が最も厚い“影の支援者”。
「玲、またギリギリの橋渡ってるね。でも、ちゃんと帰ってきなよ?」
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沙耶
玲探偵事務所の共同経営者であり、元・公安警護課の捜査官。
冷静な判断力と戦闘能力に長ける。玲とは長年のパートナーであり、彼が唯一心を預ける存在。
最終局面では高城次長を制圧し、現場の混乱を収束させた。
「守るって、撃つことだけじゃない。……生かすことよ。」
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【K部門関係者】
榊 拓真
K部門・第4記録犯罪対策班の警部補。理論より現場を重んじる実務派。
玲の旧上司であり、彼の直感を誰よりも信じている。
事件の核心に“記録抹消指令”が絡むと察し、裏で支援を続ける。
「玲、あの時と同じだ。……お前の“勘”を信じる。」
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御子柴 理央
記憶署名トレーサー。精神的な“残響”を解析し、加害者特定を行う分析官。
常に冷静で論理的だが、内に“記録の正義”を強く信じる心を持つ。
玲が戻らない場合、記録層を物理的に切断する最終手段を任されていた。
「データの終点に、いつも“人間”がいる。それを忘れたら、俺たちは機械になる。」
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【ゼロフロア関係者】
川崎 ユウタ(かわさき ゆうた)
「Z-079:ユウタ個体」として封印されていた少年。
十年前の記録実験で唯一“意識転送”に成功したとされる。
全ての記録は消去されたはずだったが、玲によって再び呼び起こされる。
純粋な思考の残響が、玲たちの心に影響を与えていく。
「僕の声、まだ聞こえる? ……ありがとう、玲さん。」
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高城 次長
K部門監察室所属。表向きは冷静な官僚だが、裏では“冥刻プロトコル”を推進していた。
CODE-Λの発動を指示し、玲を“記録層ごと消す”計画を立てていた。
最終的に沙耶によって拘束され、全真相が明らかになる。
「記録とは秩序だ。真実は、秩序の前では無価値なのだよ。」
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【その他】
柊 コウキ(ひいらぎ こうき)
“ユウタ”の前実験体として記録されていた存在。
玲が礼二から託された暗号を解読する過程で、その名が再び浮上する。
現在の所在は不明であり、次章への鍵を握る人物。
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神崎 礼二
玲の兄。
元・K部門主任技官であり、「記録層開発計画」の創設者のひとり。
十年前の実験事故で死亡したとされるが、“デジタル残響”として玲たちを導く。
「記録は終わらない。受け継ぐ人がいる限り、物語は残る。」
【作品テーマ】
記録は人を縛るものではなく、存在を証明するためのもの。
それは、誰かの記憶の中で続く“もう一つの真実”である。
日時:2025年10月19日 午前8時03分
場所:川崎市中央区、ゼロフロア(非公開地下施設)
しんとした空気が地下深くを満たしていた。微かに聞こえるのは、古びた配管を流れる冷却水の音。
この場所は、正式な記録には存在しない。通称「ゼロフロア」。
国家の記録制度における“例外”を封じ込めた、忘れ去られた記憶の墓場。静寂の中に、誰も触れてはならない秘密が眠っている。
水無瀬透は廊下の薄暗い蛍光灯の下を静かに歩く。かつて「K部門」と呼ばれる前の特務調査班に所属していた若き調査官だ。
彼の手に握られた未開封の記録ファイルには、一言だけ記されていた。
──「Z-079:ユウタ個体」。
「……この記録、本当に誰も知らないはずなんだな」
水無瀬は低く呟く。
横を歩くのは、心理分析補佐官として配属されたばかりの新人、九条凛だった。
小さく頷き、緊張した声で答える。
「ええ、表のファイルシステムには存在しません。これは完全な“消去指定記録”。存在しないことになっている……」
水無瀬は眉を寄せ、ファイルを軽く叩く。
「なのに、アクセスログが残っていた。先週――誰かが開いた」
その言葉に、ゼロフロアに新たな緊張が走る。誰も知らぬはずの記録に、誰かが触れた。
それは、「忘れられた真実」が再び動き始めたことを意味していた。
そしてその中心には、当時まだ14歳だったある少年の記録が残されていた。
──川崎ユウタ。
水無瀬は立ち止まり、薄暗い光の中でファイルを見つめる。
「ゼロ」とは、始まりか。それとも……すべてを消すための記号か。
凛が慎重に声を潜め、ファイルの隣に置かれた端末を指さす。
「水無瀬さん、こちらの読み取り機……起動させますか?」
水無瀬は深く息を吸い込み、指を伸ばす。
「……ああ、行こう。真実への扉を開くんだ」
彼らが“扉”に手をかけたその瞬間、地下空間の空気が微かに振動した。
誰も知らない真実への入り口が、そこにあった。
日時:2025年10月19日 午前8時07分
場所:川崎市中央区、ゼロフロア内部通路
水無瀬透と九条凛が、薄暗い廊下の先へと進む。壁の金属パネルに反射する蛍光灯の微かな光だけが、二人の影を長く伸ばしていた。
「……本当に、ここに玲さんがいるのかしら」
凛は小さく呟き、周囲に耳をすませる。
水無瀬は足音を殺しながら慎重に進む。
「待っていたのは俺たちじゃないかもしれない。ログの最後のアクセスは、玲さんの端末からだ」
そのとき、廊下の先端で淡い光が揺らめいた。
黒のコートに包まれた人物――間違いなく玲だった。
「遅かったな」
玲は淡々とした声で言い、二人を静かに迎え入れる。目の奥には、深く澄んだ覚悟の光が宿っていた。
水無瀬が口を開く。
「玲……状況は把握している。ユウタ個体の記録、誰かが操作した痕跡が残っている」
玲は頷き、手元の端末を指でスライドさせながら答えた。
「ゼロフロアに残されたログは、単なるアクセス記録じゃない。誰かが、この施設の存在自体を操作しようとしている。気を抜くな」
凛がファイルを抱え直し、冷静に視線を巡らせる。
「了解です。水無瀬さん、玲さん……私たち、どう動く?」
玲は廊下の暗がりを見据え、ゆっくりと歩みを進める。
「まずはユウタの記録層を直接確認する。何が消され、何が残されているのか、全てを目で確かめる」
空調の微かな振動が二人を包む。
「始めよう……」
三人の影が薄暗い廊下に溶け込むと、ゼロフロアの静寂は再び、まるで呼吸をするかのように緊張で満ちた。
日時:2025年10月19日 午前8時32分
場所:川崎市中央区・ゼロフロア地下第7層「記録隔離区画」
静寂の中、足音が三つ、ほぼ同時に響いた。
金属床を踏みしめるたび、低い反響音がトンネルの奥へと吸い込まれていく。
照明はすでに半数以上が落ちており、非常灯の赤い光が、まるで心拍のように点滅していた。
玲が立ち止まり、前方の厚い強化ガラス壁を見上げる。
そこには、半透明の立方体が鎮座していた。
内部には青白いデータの光粒が漂い、まるで“眠る意識”そのもののように脈打っている。
水無瀬が低く息をついた。
「……これが、“Z-079:ユウタ個体”の記録層か。」
九条凛は手元のスキャナを構え、警戒しながら端末を起動する。
「アクセスプロトコル、起動します。……でも、玲さん、これ、本当に安全なんですか?」
玲は一瞬だけ目を閉じ、端末を操作しながら答えた。
「安全なはずがない。だが、開けなければ何も始まらない」
パネルに指を滑らせると、隔壁のロックが重々しく解除されていく。
――ガコン。
空気の圧が変わり、冷気が三人の足元を這った。
水無瀬がファイルを展開し、静かに読み上げる。
「Z-079、登録日不明。記録媒体:生体記憶層。被験者名……川崎ユウタ。年齢……十四歳。」
その瞬間、記録層の内部で微かな“声”が漏れた。
『……ぼくは……まだ、ここにいるの?』
凛の背筋が凍る。
「今の、聞こえました……? 残響? それとも……生きた記憶……?」
玲は目を細め、立方体に手をかざした。
「違う。“残響”じゃない。これは――応答だ」
青白い光が玲の掌に吸い寄せられ、空間が震える。
コンソールの警告灯が次々に点灯し、電子音が重なって鳴り響いた。
【警告:封印記録層アクセス検知】
【再構築シーケンス開始──】
凛が叫ぶ。
「玲さん、止めないと! この層、自己修復を始めてます!」
玲は振り返らずに言った。
「いい。……ユウタは“消された”んじゃない。“閉じ込められた”んだ」
青光が広がる。
記録層の奥に、少年のシルエットが浮かび上がる――。
日時:2025年10月19日 午前8時47分
場所:ゼロフロア地下第7層・記録層アクセスルーム
闇は濃く、空気は湿っていた。
まるでこの場所そのものが、長い年月のあいだ“呼吸”をやめていたかのように。
玲、水無瀬、そして九条凛の三人は、記録層の前に立ち尽くしていた。
立方体の内部では、青白い光がゆらりと揺れ、次第に“人の形”を成し始めていた。
凛が息を飲む。
「……反応波形が、変わっていく。意識反応……これは、まるで――」
玲が小さく頷き、前へ一歩踏み出した。
「“ユウタ”だ。意識が……こちらに応答している」
光の中で、少年の輪郭がくっきりと現れた。
肌のような質感を持つデータの光膜が震え、微かに唇が動く。
『……ぼくは、玲さんを……知ってる』
水無瀬が目を見開く。
「音声データじゃない……これは、生体意識のダイレクト反応だ!」
玲は静かに息を吸い込み、彼の言葉に応じた。
「ユウタ……どうして、ここにいる? 誰が、君を閉じ込めた?」
光がわずかに波打つ。
少年の声は、どこか遠くから響くように揺らいだ。
『閉じ込めたのは……“記録”だよ。
僕の記憶が、僕を閉じ込めた。
だから、外の世界には……僕はいないんだ。』
凛が困惑したように端末を操作しながらつぶやく。
「自己同一性の崩壊……? 意識が記録構造と融合してる……!」
玲は目を細め、淡く光るユウタの瞳を見つめた。
「ユウタ、君の記憶の中に“何”がある? なぜ抹消された?」
少年は沈黙した。
しばらくの間、光の粒が静かに漂い、そして、ひとつだけ零れ落ちるように言葉が落ちた。
『……見たんだ。
“ゼロフロア”が造られた理由を。
記録が……人の心を、造り変える瞬間を。』
一瞬、全ての照明が明滅する。
警告音が鳴り響き、凛の端末が赤く点滅した。
「玲さん! 通信層から干渉があります! 外部システムがこの記録層を“再封印”しようとしてる!」
玲は振り返らず、ただ一言。
「遮断しろ、凛。――まだ、ユウタの“声”を聞いていない」
そして、ユウタの意識が再び光の中で震えた。
『玲さん……僕の記憶、消さないで。
“真実”は、ここに残ってる。
でも……“彼ら”はそれを、見つけさせたくないんだ。』
光が弾け、部屋全体が一瞬だけ真っ白に染まった。
日時:2025年10月19日 午前8時59分
場所:ゼロフロア地下第7層・記録層制御中枢
その瞬間、玲は滑るように走り出した。
床を蹴る音はほとんどなく、影のような動きだった。
一瞬の跳躍で壁を蹴り、反動を利用して天井の補強梁へ。
そこから落下するように敵の背後に迫り――着地と同時に銃口がこめかみに突きつけられた。
「動くな」
その声は低く、氷のように冷たい。
敵――外部干渉プログラムを操る実行者は、息を詰まらせた。
玲の動きはまるで重力そのものを無視しているかのようで、
空気の流れすら計算された“制圧”だった。
「封印コードをどこに送った」
「……もう、止められねぇよ。記録層は――沈む」
その瞬間、制御中枢の壁面に埋め込まれた無数のモニターが一斉に赤く染まる。
【CODE-Λ:SEAL PROTOCOL ACTIVATED】
【記録層圧縮開始――残り時間:02:00】
「透さんっ、完全封印が始まりました!」
凛の叫び声が室内に響く。指先は震えながらも、端末のコードを切り替え続けていた。
「制御ラインBを切断すれば、物理層だけでも残せるかもしれない!」
水無瀬は額の汗を拭いもせず、別の端末を開いた。
「駄目だ、封印キーが二重構造になってる……一方は“外”から上書きされてる!」
玲は銃を下ろすと、敵を壁際に蹴り飛ばし、通信機に声を飛ばす。
「九条、聞こえるか。内部の封印を一時的に止める方法を探せ!」
『了解。……でも玲さん、それにはあなたが“中枢リンク”に直接接続する必要があります。
リスクは――あなた自身の記憶が巻き込まれる』
玲は迷わず答えた。
「構わない。ユウタをここに閉じ込めたままにはできない」
凛が目を見開く。
「玲さん、それって……!」
玲は短く頷き、アクセスコンソールに掌を当てた。
青白い光が彼の腕を這い上がり、神経インターフェースが起動する。
同時に――
ユウタの声が、制御層の奥から響いた。
『玲さん……時間がない。
“記録”を、外に出して。
僕の記憶が消える前に……真実を、伝えてほしいんだ。』
「わかった。必ず、繋げる」
玲の目が鋭く光る。
圧縮タイマーは――残り1分30秒。
凛と水無瀬が同時に動く。
一本のコード、一行の命令、一瞬の判断。
封印と解放、そのわずかな境界線の上で、三人は命を削るように戦っていた。
【エンディング】
日時:2025年10月19日 22時47分
場所:玲探偵事務所・モニタールーム
夜の帳が静かに降りる頃、玲探偵事務所のモニタールームには、
かすかなプロジェクターの光が揺れていた。
壁に映し出された映像は、まだ“繋がれたまま”の記録層データ。
そこには――玲が、ユウタの記憶空間の中に残されている姿があった。
「玲さん! 応答してください!」
九条凛の声が震えていた。指先は赤くなるほど端末を叩き続け、
水無瀬透が隣で冷静にログを解析していた。
「封印の暴走が始まったのは、玲さんがリンクを通して
ユウタの意識を“外”へ転送しようとした瞬間だ。
制御中枢そのものが彼を閉じ込めようとしている……まるで、
玲さんの記憶をも一緒に“保存”しようとしてるんだ」
凛の瞳に涙が浮かぶ。
「そんなの、絶対に駄目です……玲さんを、戻さなきゃ!」
彼女はヘッドセットを握りしめ、通信ラインを強制接続する。
「玲さん、聞こえますか! あなたの記憶は――まだ“こちら側”に繋がってます!」
──ノイズ。
──断片的な呼吸音。
そして、かすかな声。
『……凛……透……ユウタは、外に……出たか……?』
水無瀬が一瞬、息を止めた。
「玲さん、ユウタのデータは確かに転送されました。
でもあなたの意識が“記録層”の中で固定されてる!」
『そうか……よかった。
じゃあ、もう大丈夫だ。俺のことは――』
「玲さん!!」
凛の叫びが重なった。
涙でにじむ視界の中、彼女は端末を強制的にオーバーライドする。
「玲さんを“記録”なんかに閉じ込めさせません!!」
電流の奔流が走る。
光の閃光が室内を満たし、壁のモニターが一斉にノイズを吐き出した。
凛と透の体を、青い光が包み込む。
次の瞬間――画面が真っ白に弾けた。
……。
静寂。
そして、わずかに聞こえたのは“雨の音”だった。
凛が目を開けると、そこは事務所のモニタールーム。
電源が落ちたプロジェクターの光が、ゆっくりと消えていく。
「……戻った、の?」
水無瀬が静かに頷く。
「玲さんの意識データ、完全に回収された。
ただ……この記録層は、もうアクセスできない」
凛が顔を上げた。
そして――ドアの向こうから、懐かしい声がした。
「……ずいぶん大騒ぎだったみたいだな」
振り返ると、そこに立っていたのは玲だった。
左手には包帯、そして、少しだけ疲れた笑顔。
「玲さんっ!」
凛が駆け寄る。
玲は苦笑しながら、頭を軽く撫でた。
「心配かけたな。でも……ユウタの“声”は、ちゃんと届いたよ」
窓の外では、雨がやんでいた。
街の灯が、濡れた路面に反射してゆらゆらと揺れる。
水無瀬が小さく呟く。
「これで、本当に終わったのか……」
玲は首を横に振り、プロジェクターのスイッチを入れた。
そこには、一行の文字が浮かび上がる。
──【記録番号 Z-079:ユウタ個体 状態:転送完了】
玲は静かに目を閉じ、そして微笑んだ。
「終わりじゃない。
“記録”は、誰かが見つける限り、生き続ける。
そうだろ、ユウタ。」
スクリーンの光が、玲たちの顔を淡く照らす。
夜は深く、しかし――その光は、確かに希望を映していた。
【エピローグ・追記】
――午後11時47分/玲探偵事務所・モニタールーム
玲は、デスクの端に置かれた端末に視線を落とした。
画面の右上に、見慣れない差出人アドレスが浮かぶ。
「yuta079@null.sys」――存在しないはずの記録層からの通信だった。
奈々がそっと近づき、眉をひそめる。
「……また“幽霊通信”? でも、認証コードは本物だわ。」
玲は黙って開封した。
短い文面が、静かな光の粒のように浮かび上がる。
⸻
件名:ありがとう、玲さんへ
玲さんへ。
あの夜のこと、少しだけ覚えています。
冷たい部屋の中で、誰かが僕の名前を呼んでくれた。
それが、すごく懐かしくて、あたたかかった。
僕はもう、この世界にはいないけれど、
あなたたちが見つけてくれた「記録」は、
確かに、僕が生きた証になりました。
だから――ありがとう。
もし、また“音”が聞こえたら、
それはきっと僕の笑い声です。
ユウタより
⸻
玲はしばらく画面を見つめ、
ゆっくりと息を吐いた。
「……届いたか、やっと。」
背後で沙耶が小さく微笑む。
「記録は消えても、想いは残るのね。」
玲はモニターの電源を落とした。
部屋には静かな闇が戻り、
ただ一つ、冷めかけたコーヒーの香りだけが残った。
そして画面の奥では、誰もいないデータ層の暗闇に、
微かな光がひとつ――瞬いた。




