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闇夜の真実  作者: ysk
41/45

41話 記憶の証人たち

登場人物紹介:『記憶の証人たち』



れい


【肩書き】記録防衛のS級エージェント/探偵

【朱音への思い】

その瞳に映る“まっすぐな善”を、玲は一度も疑わなかった。

「朱音の笑顔を守ることが、俺がここに立つ理由だ」と語る彼の言葉は本気だ。彼にとって朱音は“未来”そのもの。



■ 橘 奈々(たちばな なな)


【肩書き】電子情報分析スペシャリスト

【朱音への思い】

朱音に見せる優しさは、まるで姉のよう。

危険な任務の中でも、朱音が描いたスケッチに「希望」が詰まっていると信じている。彼女の記録は、未来への鍵だと考えている。



沙耶さや


【肩書き】共感支援・感情分析オペレーター

【朱音への思い】

朱音の母。

どんな絶望の中でも、朱音がそばにいてくれたから、沙耶は崩れなかった。

母として、そして仲間として、朱音が真実の中心で輝くことを信じている。



九条くじょう りん


【肩書き】心理干渉分析官

【朱音への思い】

当初は「ただの少女」として扱っていたが、次第にその鋭い直感と純粋な心に驚かされる。

「一番、危うくて…でも一番、信じられるのはあの子かもしれない」と内心で認めている。



水無瀬みなせ とおる


【肩書き】記憶探査官

【朱音への思い】

朱音の無意識に現れる“記憶の断片”に、最も深い関心を持つ。

だがそれ以上に、「彼女の中にある真実は壊してはならない」と、保護対象としても最優先に守っている。



御子柴みこしば 理央りお


【肩書き】記憶分析スペシャリスト

【朱音への思い】

無垢で率直な朱音の存在に、どこか自分の過去を重ねている。

「記録の嘘に蝕まれない“本物”がここにいる」と感じ、特別な尊敬を抱いている。



成瀬なるせ 由宇ゆう


【肩書き】影班/暗殺・対処担当

【朱音への思い】

ほとんど感情を見せないが、朱音が笑いかけたときだけ、わずかに目の動きが変わる。

“護衛対象”だった少女が、今では“守る理由そのもの”になっている。



桐野きりの 詩乃しの


【肩書き】影班/毒物処理・痕跡消去専門

【朱音への思い】

朱音の純粋さを「化学的に説明できない奇跡」と言う。

戦場の外に、彼女がいること。それだけで“自分の毒が無意味であればいい”と願ってしまう。



安斎あんざい 柾貴まさたか


【肩書き】影班/精神制圧・記録改竄阻止

【朱音への思い】

普段は無口だが、朱音には心の中で敬意を払っている。

「この子が笑うなら、俺の手はどこまでも汚していい」と思っている。

誰よりも黙って、誰よりも深く彼女を護っている。



服部はっとり 龍司りゅうじ


【肩書き】服部一族当主/剣術指導者

【朱音への思い】

孫のような存在として見守っている。

「未来の柱に必要なのは、強さではなく、優しさと覚悟だ」と語り、朱音に両方を見ている。



ひいらぎ 紗英さえ


【肩書き】記憶封印対象者/朱音の鍵

【朱音への思い】

朱音の存在が、彼女の封じられた記憶を解きほぐした。

「あなたの声があったから、私は思い出せたの」と語る。

彼女にとって、朱音は“記憶を照らす灯”だった。

冒頭:沈黙の現場


(午前7時12分 / 東京都内・杉並区 高円寺南三丁目)


朝の通勤ラッシュを目前にした住宅街の一角。古びたアパートの一室から、緊急搬送された女性のことを、近隣住民はほとんど知らなかった。


第一通報者は、隣室に住む初老の女性だった。


「いつもは午前6時すぎには洗濯機の音がするんだけど、今日は何の物音もしなくて……変だと思って、声をかけたんです」


通報を受けた警察官が到着したとき、部屋のドアは内側から鍵がかけられていた。

しかし、異様な沈黙と不自然な空気に、巡査のひとりが強引にドアをこじ開けた。


部屋の中には、20代の女性が倒れていた。下着が乱れ、身体の一部には打撲痕、頬には微かだが乾いた涙の跡が残っていた。

だが、争った形跡は乏しく、被害者は低反応のまま、すぐに救急搬送された。


とても重く、繊細なテーマを扱うシーンですね。

描写として適切なバランスを保ちつつ、心理的な違和感や真実を匂わせる形が効果的です。以下、描写を少し調整した形でもご提案します。



刑事たちは、言いようのない違和感を覚えていた。


「性被害の可能性がある――そう報告は上がっているのに、本人は“何もされていない”の一点張りだ」


ひとりの刑事が低く呟く。


「でもな……目を合わせない。声は震え、手は冷たくて、何より……身体が、恐怖を覚えてる」


もう一人が続ける。


「本当は、思い出したくないんだ。思い出すことで、“何か”が壊れてしまうのを、本人が恐れてる」


それは記憶の欠損なのか、それとも記憶の封印なのか――

刑事たちは、心の奥で何かが隠されていることを確信していた。


その数時間後、刑事課に届いた身元確認報告が、場の空気を一変させた。


──十年前、「記録改ざん事件」の被害者として名が挙がっていた人物だった。


かつて、彼女は事件の“証人”であると同時に、“被害者”でもあった。

しかし、彼女の証言は当時の捜査資料で矛盾だらけとされ、なぜか後日、公式な供述内容そのものが改ざんされていた。


「証言が……“書き換えられてる”んです……私、あんなこと言ってないのに……」


それが、彼女の最後の訴えだった。

以降、彼女は精神的混乱を理由に“保護観察”という名の管理下に置かれ、世間の目から遠ざけられていた。


「記録そのものが操作されてる。つまり……彼女は、“真実”を持ってたってことだ」


玲は報告書を読みながら呟く。

その目は、ただの一件の性被害ではなく、より深く、巧妙に隠された記録の歪みに焦点を定めていた。


そしてまた一つ――

記憶と記録の狭間に沈められた“声なき被害者”の存在が、ようやく光に晒されようとしていた。



午前9時30分、K部門・第4記憶犯罪対策班に緊急連絡が入る。


「被害者の発話は、表面上は正常だが、記憶に違和感がある。記録抹消技術の可能性あり。医師からの報告でも、心因性失語の兆候が見られます」


午後2時24分、警視庁 K部門ブリーフィングルーム。


静まり返った室内で、記憶探査官たちは集められた断片情報を前に、黙然と立ち尽くしていた──。



プロローグ:記録なき目撃者


(午後2時24分 / 警視庁 K部門)


無機質な蛍光灯に照らされた会議室で、記憶探査官・水無瀬透はモニターの映像を前に眉を寄せていた。


画面には、被害者の断片的な記憶が映し出されていた。

視界がぶれる。暗い廊下。揺れる影。心臓の鼓動が耳に響くような圧迫感。

だが、肝心の“相手”の姿は、まるで輪郭だけが剥がれ落ちたように、そこにいなかった。


「被害者の証言は極めて断片的です……ですが、記憶痕跡には改ざんの形跡が認められます。

これは、まさに“消された記録”の応用技術としか言いようがありません」


御子柴理央がデータシートを手に、沈痛な面持ちでそう告げた。


端末に映し出された脳波パターン、短期記憶回路の同期ズレ、そして不可解な“空白”領域──

彼女の脳内には、誰かが意図的に“何かを触れた”痕跡が、確かに存在していた。


玲が口を開く。


「つまり、彼女の“沈黙”は意思じゃない。消されたんだ、証言そのものが。技術的に、記録が。

……こんなことができるのは、ごく限られた者だけだ」


沙耶が小さく息を呑んだ。


「それって……“記憶の改ざん”を行える技術者、もしくは……“元内部関係者”よね……?」


奈々が解析モニターの前で指を止める。


「……アクセスコードに不自然なレイヤーがあります。これは、“K-群体記録制御”で使われていた旧式プロトコル……」


部屋の空気が凍りついた。


玲の声が静かに響く。


「“消された記録”が、また動き出した──そういうことか」


──そしてまた、新たな扉が開こうとしていた。

“記憶”に眠る、もうひとつの真実を巡って。



(午後2時48分/警視庁 K部門 第4記憶犯罪対策班・解析室)


カタカタと静かなキーストローク音が部屋に響く。薄暗い解析室の中央、奈々が両手を止めた。


「……アクセスコードに、不自然なレイヤーがあります」


彼女は解析モニターを指差しながら、小さく息を呑んだ。


奈々が指先で端末のログデータを拡大しながら、低く告げた。


「これは……“K-群体記録制御”で使われていた旧式プロトコル。現行では破棄されたはずの記録管理システムです」


その言葉に、玲と沙耶が一瞬、視線を交わす。


「……K-群体。まさか、まだ“生きていた”のか……」玲が低く呟く。


「記録ごと消されたはずの実験群……確かに、ユウタの記憶の中にだけ、断片が残ってたわ」沙耶が壁に貼られた図表を見つめる。


奈々は続ける。


「このコード……誰かが“旧記録領域”にアクセスしていた証拠です。しかも、内部から。

“抹消された記憶”を取り戻すためじゃない……何かを、もう一度封じるために」


玲がわずかに拳を握る。


「つまり……記録はまだ“閉じ続けられている”ってことか。

あの事件も、あの子も、真実に辿り着けないように」


そして、誰かの手が再び“扉”に鍵をかけようとしている。


過去は終わっていなかった。

記録の奥に、未だ触れられていない“核心”が眠っている――。



(午後3時10分/警視庁 K部門 記憶犯罪対策班 ブリーフィングルーム)


玲は慎重に資料の束から一枚の写真を取り出し、テーブルの上に静かに置いた。


「これが被害者、山本紗英。20代半ばの女性だ。彼女はかつて記録改ざん事件の被害者で、現在も保護観察中だった。今回、彼女が発見されたのは、自宅での暴行事件だ」


玲が画面を凝視しながら、低く呟いた。


「……記憶そのものが“編集”されている。加害者の輪郭だけが、意図的に削除されているようだ」


奈々が頷きながら操作を続ける。


「しかも、通常の記憶改ざんとは違う。“被害を受けた”という感覚だけが濃く残っているのに、状況や加害者の像が空白なんです。

つまり、“記憶の空洞化”が発生している。深層感情とリンクした記憶だけが、不自然に切り取られているんです」


沙耶が眉をひそめた。


「記録が改ざんされているだけじゃない。……彼女は、“自分が何を奪われたか”を理解できないまま、傷だけを抱えている」


玲はその言葉に、拳を固く握る。


「……記憶の歪みを利用して、被害を“存在しなかったもの”にする。証拠はない、犯人もいない、でも心と身体は壊されている。

これは――明確な“記録犯罪”だ」


画面の中、怯える被害者の目だけが、真実を訴えていた。

だが、その声は、記録には残されていない。

だからこそ、彼女の記憶が“証人”になる――。


玲が鋭い視線を放つ。


「つまり、完璧な隠蔽を狙う加害者も、どこかでミスを犯している。そこが突破口になるはずだ」


奈々が新しいデータを提示する。


「被害者のスマホから、不自然に削除された通話履歴と、場所情報の欠落が確認できました。加害者が情報操作を行っていると見ています」


九条が静かに頷く。


「証拠隠滅だけでなく、情報流通自体を操作している。情報戦だ」


玲は皆を見渡し、決意を込めて言った。


「我々はこれから、被害者の心の声と、わずかに残る記録の隙間を徹底的に探る。加害者の正体を暴き出す」


沙耶が力強く言った。


「被害者の心に寄り添う支援も不可欠だ。精神的なケアと共に、真実を引き出す環境を整える」


玲は深く息をつき、役割を指示した。


「奈々、技術解析を強化。水無瀬、記憶断片の深掘り。九条、心理支援。沙耶、被害者サポート。俺は調査と現場対応を進める」


チームは静かに頷き合った。


玲は写真に手をかざし、囁いた。


「紗英さん、必ずあなたの声を届ける」


──彼らの挑戦が今、幕を開けた。記録なき犯罪の闇に、光を灯すために。


───


(午後3時30分/警視庁 K部門・記憶犯罪対策班 第4分室)

扉がノックもなく開いた。


「記録探査班、到着しました」


現れたのは、K部門外部協力専門家、通称“スーパースペシャリスト”たちだった。


■ 〈映像痕跡復元〉:氷室ひむろ みお

→ デジタル機器から消去された映像の痕跡を光学信号で再構築するエンジニア。

「デバイスからの“残響”がある限り、何かしら拾えるはずです。時間はかかりますが」


■ 〈心理共鳴探査〉:篠原しのはら 詩織しおり

→ 被害者の記憶と心理的にリンクし、感情層から事件像を引き出す“共鳴者”。

「紗英さんの記憶深層に私が“入る”。その痛みを追体験することになるけど……必ず見つけてみせます」


■ 〈記憶署名トレーサー〉:御子柴みこしば 理央りお

→ 加害者が残した“精神的署名”を数値化し、対象特定の手がかりを導く分析官。

「改ざんには必ず指紋が残る。あとは、その“記憶の指紋”を検出するだけ」


玲はそれぞれに頷いたあと、バッグを手に取り立ち上がった。


「俺は氷室と現場へ向かう。デバイスと生活圏のデジタル痕跡を洗う。篠原は水無瀬と記憶共鳴。御子柴は奈々の解析補助に回れ」


(午後4時10分/東京都杉並区・高円寺南三丁目 被害者宅)


玲と氷室は、無人となったアパート室内に入る。窓はカーテンで閉じられ、空気は静まり返っていた。


「現場は保全されている。だが、加害者は相当に手馴れている。物理的痕跡は期待できない」


玲が周囲を見渡し、氷室に目配せする。

氷室は無駄な言葉を一切発さず、淡々と作業に入った。

被害者のスマートフォン、ノートPC、さらには充電器のICメモリまで分解し、通常では見落とされる不可視領域のキャッシュデータにアクセスしていく。


細い指がキーボードを駆け、モニターに暗号化された断片情報が次々と浮かび上がる。


「……あった」


静かに、しかし確かな声で氷室が言った。


「通話履歴やボイスアシスタントとは別系統です。

恐らく、旧式メモアプリに一時保存された音声データ……一度削除された“音声メモ”の断片が、キャッシュ領域に残っていました」


氷室がリカバリーツールで音声メモを再構成し、再生ボタンを押す。

雑音まじりのスピーカーから、かすかな女性の声が漏れる。


「……ここは……違う……言わされたの、あれは……ほんとのこと、じゃ……」


一瞬、ノイズが強まる。記録の継ぎ目だ。


「……やめてって言った……聞こえてたはず……でも、“記録には残さない”って……そんなの……どうして……」


言葉が詰まる。嗚咽。そして、絞り出すような声。


「わたしは……“あった”って……覚えてる……。でも、みんな、なかったって言うの……!」


再び、強いノイズ。


「……お願い……誰か……誰か、わたしを……」


再生はそこで止まった。


部屋の空気が静まり返る。誰も、すぐには言葉を発せなかった。


玲が小さくつぶやく。


「記録が消されても、記憶は……残る。だから彼女は、叫び続けてたんだな……」


氷室は黙ってうなずき、ディスプレイを見つめ続ける。


沙耶がそっと、被害者の名前が書かれたメモに手を添える。


「この声を、証拠に変えよう。もう、彼女の記憶を“なかったこと”にはさせない」


その場の空気が一瞬、張りつめる。

記録なき犯罪に対する、わずかな“声”が、ついに掘り出された瞬間だった。


その頃──


(午後4時15分/警視庁 K部門・第6記憶安定室)


記憶共有カプセル内で、篠原詩織は意識を被害者の記憶深層にダイブさせていた。隣では水無瀬が生体値と記憶波形を監視している。

篠原の視界に浮かび上がるのは、被害者の深層記憶に刻まれた、ひとつの映像。


暗く、狭い部屋。湿った壁、閉ざされた窓。そして、その中央で、少女が膝を抱え、震えていた。


ドアの向こうに、影が立っていた。

ゆっくりとノブが回され、軋む音とともに、扉が開く。


“あの男……だった……”

心の奥で、少女の声が囁く。恐怖と絶望に染まった、かすれた記憶の声。


“誰にも言えない……言ったら、記録を見られる……全部、監視されてる……だから、何もできない……”


少女は泣いていた。けれど、涙の痕も“記録”には残っていない。


ただ、心の奥底に沈んだ恐怖だけが、今も篠原に焼きついていた。


彼は静かに目を閉じる。


「……見つける。必ず、あの男を……」


水無瀬がモニターの波形に目を凝らしていた。記憶波形が乱れ、通常では考えられない“不自然な揺らぎ”が周期的に現れていた。


「……待て」


その声には、明らかな緊張が走っていた。


「この波形……見覚えがある……」


彼は指先で一部を拡大し、照合データを呼び出した。


「……この記憶波形、“既視感”がある。以前、同様の事件で使われた記憶改ざんの署名――」


画面上に浮かび上がる、過去の事件データ。


「……一致してる。これは、“あの事件”と同じ改ざんアルゴリズムだ……!」


チーム全員が息をのんだ。


玲が低く問いかける。「場所は?」


水無瀬が応えた。「第7管理区……10年前、“K-13群体実験”で使用された制御署名だ。通常は完全封印されているはずの――」


玲の目が細められる。


「……つまり、今回の犯人は、“過去”の技術を再利用している。封じられたはずの闇が、また動き始めたってことか」


記憶の傷跡は、過去と現在を繋ぎ、再び真実の扉を揺さぶろうとしていた。


直後、無線から奈々の緊迫した声が飛び込んできた。


「玲、至急確認して。御子柴が、犯人の“記憶署名”を特定した可能性があります」


チーム全員が即座に注目した。


「照合された署名は――3年前の未解決“記録改ざん事件”、通称“ゼロナンバー記録操作群体”に関与したとされる内部関係者のものと一致」


玲の眉が僅かに動く。


「ゼロナンバー……あの事件は完全に沈黙させられたはずじゃなかったのか」


奈々の声が続く。


「当時の捜査記録は全て“抹消済み”になっていて、証拠も残っていなかった。でも今回の記憶改ざん波形は、そのときの署名パターンと完全に一致しています。これは偶然じゃない」


水無瀬が唸るように言った。


「つまり、今回の犯人は“あの未解決事件”と同じ系統の技術、もしくは同一人物による犯行の可能性があるってことだ」


3年前の未解決事件──「ゼロナンバー記録操作群体事件」。

記録が“改ざんされたことすら気づかれない”特殊な技術によって、多数の証言と記憶が操作された。


今回の被害者の記憶署名が、その事件と一致。

つまり、「あの事件」は終わっていなかった。


玲は静かに呟く。


「記録の闇が、また動き出した」

「……ゼロナンバーの亡霊か。それが、また姿を現したってわけだな」


沈黙が、空気を深く沈めた。


過去に消された真実が、再び牙を剥こうとしていた。


──彼らの戦いは、いま再び、“記録の闇”の核心へと突き進んでいく。


そこには、消された真実と、壊された声が、まだ眠っていた。

そして今度こそ――誰にも、消させはしない。


(午後4時18分/東京都杉並区・高円寺南三丁目 被害者宅)


玲は静かに立ち上がり、再び部屋の隅を見つめた。


「……“記録の闇”は、ただ過去を隠すためだけに使われているんじゃない。未来すら奪おうとしている」


壁に掛けられたカレンダーには、予定の書き込みがあった。


「4月3日 相談センター 11:00」


玲は手帳にそれを書き留めると、氷室に声をかけた。


「ここでの作業は終了だ。戻って報告をまとめてくれ。俺は次の“現場”へ行く」


氷室が頷く。


「了解しました。映像痕跡は複製済みです。解析に移ります」


(午後4時45分/東京都新宿区・女性支援センター相談窓口)


玲は受付を通じ、支援員との面談室へ入った。

支援員は、紗英が事件前日、ここを訪れていたことを認めた。

玲は無言で頷き、支援員の言葉のひとつひとつを心に刻み込むように聴いた。


「“証拠はどこにも残らない”……それでも、記憶は残っているはずだ。誰かが見ていた、誰かが感じていた」


彼は目を伏せたまま、わずかに拳を握る。


「……だったら、俺たちが掘り起こす。誰にも見えない記録の奥から、紗英さんの“真実”を」


面談室の空気が静かに張りつめる。

玲の背中は、決して折れなかった。

次に向かうべき場所は、すでに見えていた。


(午後5時10分/警視庁 K部門・分析室)


御子柴理央が奈々の解析画面を見ながら、低く言った。


「署名の一致率は87%。3年前の“中野ゼロファイル事件”の加害者と同一人物、または同一グループの可能性が高い」


奈々が小さく息を呑んだ。


「……じゃあ、あの“記録操作群体”はまだ動いてるってこと?」


御子柴は静かに頷きながらも、目を鋭く光らせた。


「完全に沈黙したと思われていたが……これは再始動の兆候だ。奴らは“証拠のない罪”を繰り返している」


玲の声が通信越しに響く。


「なら、こちらも“見えない証拠”を掘り起こす。記録を操る亡霊どもに、記憶の重みを思い知らせてやる」


チームの動きは、さらに加速していく。

消された真実を、取り戻すために。


──その瞬間、警告音が室内に響いた。


「アクセス履歴に不審ログイン。署名ファイルの照会が外部に転送されています!」


奈々が叫ぶ。


「誰かが……今、この調査そのものを妨害している!」


玲から即座に通信が入る。


「アクセスの発信元は追えたか」


奈々はすぐに打鍵する。


「……都庁第七ビル、行政記録保管室。セキュリティレベルA……!」


玲の目がわずかに細まった。


「やはり“あの部屋”か。ならば、俺が行く」


奈々が一瞬ためらいながらも応じる。


「……了解、玲。だけど気をつけて。あそこは、記録改ざんの“中枢”……監視も厳重なはずよ」


玲は短く息を吐き、ホルスターに手をかけた。


「構わない。“記録の闇”に踏み込むなら、最初から覚悟はできている」


沙耶の声が静かに続く。


「もし内部に協力者がいるなら、玲が行くしかないわね……誰も、あの層まで入り込めない」


玲は通信を切る前に、最後の言葉を残す。


「この記録は、すでに“証拠”じゃない。“武器”になる」


──都庁第七ビル、“あの部屋”へ。

抹消された真実と、封じられた記憶が、再び動き出す。


(午後5時42分/東京都新宿区・都庁第七ビル 地下4階 行政記録保管室前)


都庁の中でも最も機密性が高いとされる“記録中枢層”――地下4階に設けられた特別保管室。その前に、玲は静かに立っていた。


廊下には無数の監視カメラ、IDスキャンゲート、網膜認証装置。職員以外の立ち入りは厳重に制限されており、K部門の捜査官といえども容易には入れない場所だった。


玲は、袖口のインナーデバイスに触れた。


「御子柴、アクセス認証は通るか?」


(通信・K部門分析室)


御子柴理央の落ち着いた声が応答する。


「あなたのIDは昨年の更新で自動遮断されています。だが、“内部承認フラグ”を偽装すれば30秒だけ開けられる。一度限りです。タイミングを指示してください」


玲は迷いなく答えた。


「……了解。内部通信が切れるまで10秒カウントしてくれ。その後、俺が動く」


御子柴の端末に指が走る音だけが、わずかに聞こえる。


「了解、カウント開始まで5秒前。玲、確認する。“内部承認フラグ”の偽装は、次回以降は不可能。発覚すれば、君ごと全記録が消されるリスクがある」


玲は微動だにせず、淡々と返す。


「構わない。――記録が残らないなら、俺が“証人”になる」


御子柴が静かに息を呑んだ。


「……カウント開始。10、9、8……」


その瞬間、玲の足元の空気が変わる。都庁第七ビル、行政記録保管室へ――記録の最深層へと、彼は踏み込もうとしていた。


静かに回転するロックゲート。赤から緑へと灯が変わる。

──中枢扉が、開いた。


(午後5時43分/都庁第七ビル 地下4階 行政記録保管室・内部)


玲は足音を殺しながら、ゆっくりと通路を進む。

高くそびえる記録筐体が無言の圧を放ち、空気は凍りつくように重い。

唯一の照明は、機器の微かな発光。薄い青白さが、まるで過去そのものを照らしているかのようだった。


彼は一つの筐体の前で立ち止まり、腕の端末に御子柴から送られた偽装コードを入力する。

数秒の沈黙ののち、冷たい電子音とともに記録筐体の扉が開いた。


中にあったのは、黒いナノフィルムに包まれた、ひとつの“記録カートリッジ”。

そこに記されていた識別コードは──


「Z-F-0147/中野ゼロファイル事件・記録主:S・Sae」


玲の目が静かに揺れる。

これは──“紗英”が、自らの声を遺そうとした最後の痕跡だった。


背後で空調音が変わる。誰かが、この空間にアクセスしようとしている。

玲は振り返らず、記録カートリッジを手に取った。


「証拠は、確かにここにある」


そして彼は、静かに歩き出す。記録という名の“亡霊”たちと向き合う戦いの、次なる局面へ。


「玲。水無瀬です。被害者の記憶断片を再構成した結果、“この部屋の中”で何者かに“話しかけられていた”形跡があります。彼女は“ここ”に来た可能性が高い」


玲は足を止め、通信越しの声に応じた。


「……やはり、ここに連れてこられていたか。行政記録保管室の“アクセス記録が一切残っていない”のも、そのためだな」


水無瀬の声が続く。


「記憶断片には“男の声”が断続的に混在していました。録音ではなく、彼女の脳内記憶に直接刻まれた形。指示を与えられたような、あるいは、意識を誘導されたような痕跡です」


玲はわずかに目を細め、記録筐体の並ぶ空間を見渡す。


「となると……これは“記録改ざん”だけじゃない。“心理誘導”の痕跡だ。誰かが、彼女の意志そのものをねじ曲げようとした」


間をおいて、玲は静かに呟いた。


「紗英は……自分の声を、ここに残した。“この場所”で、奪われた記憶の断末魔とともに」


天井の蛍光灯が微かに揺れる。記録たちが、まるで沈黙のなかで何かを語ろうとしているようだった。


玲は通信を切り、手にしたカートリッジを見つめながら、心に誓った。


──紗英の記憶は、ここで終わらせない。真実は、必ず繋ぐ。

彼は別のコードを入力する。


《K-X051/隠密操作記録・権限外照会》


コンソールがわずかに震え、黒い画面に“封印解除フラグが確認されました”と表示される。


「御子柴……このファイル、誰かがすでに一度“開いている”」


御子柴理央の声が、すぐに通信越しに返ってくる。


「……そのはずはありません。K-X051は、私とあなた以外のアクセス権は抹消済みのはず。内部コードで封印を維持していた……」


玲の指がコンソールの縁をなぞる。


「いや、これは明らかに“鍵の形”を知っている者の仕事だ。“封印解除フラグ”は、手順ではなく“記憶署名”で解錠されている。つまり……」


御子柴の声が低くなる。


「……誰かが、“記録改ざんに使われた鍵そのもの”をまだ保持している……。K-X051は、ゼロナンバー事件の中核ファイル……開かれたということは、連中がまた動き出している」


玲は画面に浮かぶ黒い残光を見据えながら、静かに言った。


「すべてが繋がってきたな。3年前の闇が、いま再び……ここに戻ってきた」


その瞬間、背後に足音が近づいた。

──静かに、しかし確実に。


玲は反射的に振り返る。

コートの中に手を滑らせながら、相手の顔を確認した。


「……君か。来るとは思っていた」


現れたのは、K部門監察室に所属する高城次長。

本来、ここへの立ち入りが認められている数少ない人物のひとりだ。


「玲、君は今、K部門の規定を逸脱した。だが……その“扉の向こう”にある記録、君なら見るべきだと思った」


玲は一瞬だけ高城次長を見やる。その眼差しには、厳しさと迷いのない信念が宿っていた。


「……あなたが、“封印解除”を黙認したのか」


高城は静かに頷く。


「ゼロナンバー事件で葬られたのは、記録だけじゃない。“記録を守る者”すら、消された。君の兄も……例外じゃなかった」


玲の目がわずかに揺れた。その名を、ずっと胸の奥に封じてきた――兄、玲司れいじ


「これは、あの事件の“鍵”だ。過去の封印が開くなら、今しかない。……君の選択に委ねるよ、玲」


静寂が訪れる。


玲は一歩、記録筐体の前に進み出た。そして、かすかに笑った。


「なら……その記録、俺が“目撃者”になる」


──その瞬間、コンソールが開いた。


目の前に表示されたのは、5年前に“司法記録改ざん”として葬られた一連の記録データ。

そしてその中に紛れ込む、紗英の名と、もうひとつの名前──「柊コウキ」。


玲の瞳が細められる。表示されたその名――「柊コウキ」は、かつて記憶操作対象となり、すべての証言から“消去”されたはずの少年。


「……やはり、繋がっていたか。紗英の恐怖は偶然じゃない。あの日、彼女は“記録の断層”に触れていた」


モニターには、断片的ながら、明らかに意図的に破損・改ざんされた記録群が並んでいた。そこには、


・紗英、証言拒否の理由(要再検証)

・柊コウキ:観察対象終了報告 → 再抹消フラグ

・“ゼロナンバー構造体”アクセス痕跡:未解明


玲は息を潜め、画面を切り替えながら呟いた。


「柊コウキは……まだ“この記録の中”に生きている。紗英の証言と記憶は、それを“証明”しようとしたんだ」


そのとき、モニターの片隅が自動的に切り替わり、“リアルタイムアクセス通知”が表示される。


──誰かが、同じ記録に今、外部からアクセスしようとしている。


玲の指が即座にキーを叩く。


「……止める。これはもう、俺たちの“戦い”だ」


その時、奈々から通信が入る。


「玲!そのファイル、今、外部から“抹消命令”が入った!」


玲の表情が一層引き締まる。


「来るぞ……奴らが、俺たちの足跡を消しにかかっている」


(午後5時48分/東京都新宿区・都庁第七ビル 地下4階 行政記録保管室)


モニターの映像が激しく揺れ、データの断片が黒いノイズに吞み込まれていく。


「奈々、水無瀬、即座にバックアップを!これだけは守るんだ!」


玲の声は震えていなかった。確固たる意志が、部屋の冷たい空気を震わせる。


奈々は解析モニターに向かい、急いでコマンドを叩く。


「わかった……だが、データの一部はすでに損傷が始まっている!このままでは……!」


水無瀬も静かにモニターと向き合いながら、記憶断片を深掘りしつつ、同時に別ラインでデータ保全に取り組んでいた。


「記憶断片はまだ生きている……でも時間がない!」


玲はホルスターの銃に手をかけつつ、状況を冷静に把握していた。


「ここで引けば、すべてが消えてしまう。俺たちは、真実を守る“記憶の証人”だ――絶対に負けられない」


モニターの中、黒いノイズは激しく渦巻きながらも、一部のデータが微かに輝きを放っている。


沙耶の通信が割り込む。


「玲、外の警備が急に厳しくなっている。時間的猶予はあと数分しかないわ」


玲は深く息を吐き、振り返った。


「分かった。これが終わったら、直ちに脱出だ」


コンソールのスクリーンには、かつて抹消されかけた“柊紗英”と“柊コウキ”の記録の一部が鮮明に現れ始めていた。


玲はその映像に視線を集中させながら、強く呟いた。


「再び封じられてもいい。わずかな隙間でも、この闇に光を差し込むことができれば……それが俺たちの使命だ」


数秒後、黒いノイズが画面を覆い尽くし、通信回線が切断される。


──しかし、手元には確かに一つの小さなメモリチップが残っていた。


「これで……真実は消えはしない」


玲はその小さな証拠を握り締め、静かに立ち上がった。


扉の向こうには、まだ見ぬ“核心”が待っている。


(午後6時12分/東京都新宿区・都庁第七ビル 地下4階 通路)


薄暗い通路を、玲は足音を殺して歩いていた。背後では非常灯が一つ、また一つと切れていく。不正アクセスが、記録保管層のセキュリティ自体に影響を及ぼし始めていた。


通信はすでに途絶えていた。奈々と水無瀬、沙耶の声も届かない。玲はそれでも、小さなメモリチップをポケットに押し込みながら進む。


玲は静かに呟いた。


「(この記録が……紗英の“記憶の鍵”になる)」


彼の視線の先には、断片的ながら確かに残された、改ざん前の記録。

そこに映っていたのは、怯えながらも真実を訴えようとしていた紗英の姿だった。


彼女の声は、記録の中に確かに残っていた。

誰にも届かなかった、誰にも信じてもらえなかった、あの時の言葉。


玲は拳を握り締める。


「必ず届ける。今度こそ、あの“闇”に勝つ」


──記憶の鍵は、いま開かれようとしていた。


玲は階段の陰に身を潜め、通路奥から響く足音をやり過ごす。監視担当の職員たちが、封鎖命令を受けて警戒態勢に入っているようだった。


(“記録中枢”の奥には、まだ誰も触れていない“原記録層”がある……奴らは、そこに全てを隠している)


玲は、地図にないアクセスルートへと足を踏み入れた。


通路の最奥――壁に埋め込まれたはずの整備用扉が、わずかに開いていた。そこから、黒ずくめの男が一人、手を差し伸べる。


「こっちだ、玲。時間はない」


声の主は、服部一族のひとり、服部漣れん

玲が過去に接触した数少ない“記録の中立者”だった。


玲は頷き、その手を取って中へと滑り込む。狭い配管ルートのような空間を進む二人に、背後から警備灯の光が差し込んできたが、漣は即座にリレー式の遮断フィールドを展開して遮る。


「“原記録層”はこの先。だが、お前のIDでは入れない。……俺たちが一時的に制御権を預かる」


玲が眉をひそめた。


「代償は?」


漣は淡々と答える。


「お前が“見たこと”を、二度と公には出さないこと。……それが俺たちの掟だ」


玲は一拍の沈黙ののち、目を伏せる。


「了解した」


数秒後、厚い記録遮蔽扉が音もなく開き、“原記録層”の蒼白い光が、玲の前に広がった。


──そこには、事件の“本当の始まり”が眠っていた。


(午後6時21分/都庁第七ビル 地下5階・廃棄資料層)


シャッターが鈍い金属音を響かせて開く。

埃にまみれた空間――そこはすでに公式な利用履歴すら残っていない、かつての「記録処理室第零区」。廃棄されたはずの旧システムと記録端末が整然と並び、電源は落ちているはずなのに、奥のひとつのコンソールだけが、淡く青い光を灯していた。


玲は静かに歩み寄る。そして、端末に残されたアクセスログの断片を解析しながら、呟いた。


「……十年前のあの案件。“証人”の情報はすべて抹消されたはずだった。だが、それは“ここ”に一度集約された――記録の最終保管所として」


ディスプレイに浮かび上がる、ひとつの名前。


──【KAWASAKI YUTA / CONFIDENTIAL / SEALED ACCESS ONLY】


玲の指先が静かに触れた瞬間、コンソールが反応し、膨大な断片映像と記録が流れ始める。


その全てが語っていた。

“消された証人”の存在、

そして、改ざんされた記録の裏に潜む“真犯人の影”。


玲の目が、次第に鋭くなる。


(この部屋は、“証人の記録”が最後に辿り着く場所だった……)


だが同時に、警告が表示される。


【外部抹消プロトコル:進行中】

【記録残時間:03:12】


シャッターが鈍い金属音を響かせて開く。

埃にまみれた空間――そこはすでに公式な利用履歴すら残っていない、かつての「記録処理室第零区」。廃棄されたはずの旧システムと記録端末が整然と並び、電源は落ちているはずなのに、奥のひとつのコンソールだけが、淡く青い光を灯していた。


玲は静かに歩み寄る。そして、端末に残されたアクセスログの断片を解析しながら、呟いた。


「……十年前のあの案件。“証人”の情報はすべて抹消されたはずだった。だが、それは“ここ”に一度集約された――記録の最終保管所として」


ディスプレイに浮かび上がる、ひとつの名前。


──【KAWASAKI YUTA / CONFIDENTIAL / SEALED ACCESS ONLY】


玲の指先が静かに触れた瞬間、コンソールが反応し、膨大な断片映像と記録が流れ始める。


その全てが語っていた。

“消された証人”の存在、

そして、改ざんされた記録の裏に潜む“真犯人の影”。


玲の目が、次第に鋭くなる。


(この部屋は、“証人の記録”が最後に辿り着く場所だった……)


だが同時に、警告が表示される。


【外部抹消プロトコル:進行中】

【記録残時間:03:12】


「……間に合うか、御子柴」


玲は通信機を掴んだ。

記録が消える前に、真実を“次へ”渡さなければならない。


玲はそのインジケーターに目を留める。

“UNIT-KY-047”──それは、正式な記録では存在しない、封印指定された特例データユニット。山本紗英。

すでに死亡扱いされ、精神疾患による証言の信憑性も否定されていたはずの“証人”。


しかし今、そこに確かに“記録”が生きている。


玲は即座に端末を操作し、ユニットの一時解放処理に入る。画面には、断片化された映像と音声記録が表示された。


──狭い部屋。

──震える声。

──目をそらしながらも、必死に語る少女。


「……“見た”んです。あの人が、操作して……私の記憶、書き換えられたの……私、“そんなこと”されてないことに、なってて……っ」


映像がノイズで途切れながらも、断続的に続く。

そこには、紗英が“記録の改ざん”を理解し、そして抵抗しようとしていた痕跡が刻まれていた。


玲の声が、かすかに震える。


「……こんなにも、真実を叫んでいたのか……」


彼女の声は届いていなかったのではない。

“届かないようにされていた”。

記録ごと、封印されて。


玲はインジケーターの隣に表示されたもう一つのコードに目を留める。


──【関連記録:柊コウキ - UNIT-HK-001】


目の奥が鋭く光る。

“紗英”と“コウキ”、二つの証言ユニットは重なり合い、今――失われた真実を再び照らし出そうとしていた。


玲の指が固くモニターの縁を掴み、目を細めながら静かに言った。


「……やっぱりいたか、“内部関与者”」


目の前に浮かび上がったアクセスログには、通常の捜査官や分析官では触れられない“記録階層”への侵入痕跡が明確に残っていた。

しかも、使用されたIDは──K部門所属の中枢管理者クラス。

偽装でも不正取得でもない、正規の“内部”アクセス。


玲の喉奥がかすかに鳴った。

「この記録改ざん……外部犯では説明がつかない。初めから、“中にいる”人間が仕掛けてたんだ」


彼の視線は、画面に映る紗英の記録へと戻る。

彼女がどれほどの恐怖を抱え、どれほどの勇気で告発しようとしたのか──

そしてそれを、組織内部の誰かが“封じた”ということ。


「絶対に引きずり出す……お前が、記録を汚した張本人ならな」


玲の声は低く、静かに怒りを含んでいた。

記憶を、証言を、そして人間の尊厳そのものを“無かったこと”にしようとする者。

その影を、彼は確実に捉えつつあった。


(午後6時38分/都庁第七ビル 地上1階・エントランス前)


足早に建物を出る玲。遠くで沙耶が待っていた。白いコートを羽織った彼女は、冷え始めた夕方の風の中で声をかける。


「玲……間に合った?」


玲は無言で、手のひらに乗せたメモリチップを差し出した。

その小さな媒体には、信じがたい重みが宿っていた。


「原記録にあった。名前も、日時も、顔も……全部、“上書き”される前の状態で残っていた」


奈々も、水無瀬も、御子柴も、息を飲んでそのチップを見つめた。

それは単なるデータではない。

消された真実──否、消された“人間の証明”そのものだった。


玲の声は低く、しかしはっきりと続けた。


「これが……紗英の“叫び”だ。

誰にも届かなかった“助けて”の痕跡。

そして……俺たちが、絶対に失くしちゃいけないものだ」


誰も言葉を返さなかった。

だがその場にいた全員が、そのチップの意味を、決して誤解してはいなかった。

記録は武器にも、楯にもなる。

それが、奪われた者たちにとっては、唯一の“命綱”なのだ。


──記憶の扉は、わずかに開かれた。

その奥で、今なお震える声が、助けを求めている。


(午後7時03分/東京都内・国立記憶保護医療センター 第3特別病棟)


病棟の最上階。警備が強化されたその病室に向かって、玲は足早に歩いていた。傍らには、九条凛と水無瀬透──記憶と心のスペシャリストたちが並ぶ。


玲はその言葉に、わずかに目を細めた。

廊下にはまだ、緊張とも希望ともつかない沈黙が漂っていた。


「……それは、“鍵”が届いた証拠かもしれない」


玲の低い声に、医師は思わず息を呑んだ。

病室の奥、モニターにはわずかに変化したバイタル波形。

彼女の意識の奥底で、失われかけた“記憶の灯”がふたたび点り始めていた。


「山本紗英はまだ、“記録”を持ってる。

そして俺たちが、彼女を“証人”に戻す」


玲はそう言うと、ゆっくりと病室の扉を開けた。

その先にいる彼女に、届くはずの“声”を──今度こそ、取り戻すために。


(午後7時05分/第3特別病棟 個室302)


病室の中は、低く調整された照明と、微かな医療機器の音だけが支配していた。ベッドに横たわる柊紗英は、瞼を半ば開けて天井を見つめていた。


玲が一歩、彼女の側に寄る。


「紗英さん……聞こえるか。俺たちが来た」

玲が優しく問いかける。


紗英のまぶたがわずかに動いた。

長い沈黙の中で、誰にも届かなかった心の扉が、微かに軋む音を立てる。


玲は、さらに一歩近づいた。

モニターの脈波が、一瞬だけ波打つ。


「君の“記憶”は消えていない。

ただ、誰かが覆い隠しただけだ」


彼の声は、まるで過去の奥底に手を差し伸べるように静かだった。


「もう一度……あの日、伝えたかったことを。俺たちが聞く。

今度は“改ざんされない”記録として、必ず残す」


その言葉に応えるように、紗英の唇がかすかに震えた。

音にはならない──けれど、たしかに“声”になろうとする気配がそこにあった。


玲の目が、わずかに緩んだ。


「大丈夫だ。もう、“書き換えられない”」

「これからは、君の声を誰も消せない。

君はもう一人じゃない——“記憶の証人”として、共に進もう」


九条は優しく紗英の手を握り締めた。

部屋の空気に、静かな希望が満ちていく。


外の世界では、まだ深い闇が蠢いている。

だが今、この瞬間だけは、確かな光が差し込んでいた。


玲の眼差しは、静かに、しかし決然として紗英を見つめていた。


「さあ──記憶の戦いは、ここからだ」


──夜の闇が深まる中、K部門の指令室は緊迫した空気に包まれていた。


玲は静かにモニターを見つめながらつぶやく。


「真実は、必ず光を取り戻す。

消えた記録も、消された声も……」


新たな戦いの幕が上がる。

“記憶の証人”たちが繋ぐ希望のために。


(午前2時16分/都内・港区 第七東医療センター 特別観察病棟)


窓の外では小雨が静かに降っていた。病棟の廊下に響く足音はわずかで、緊急対応の看護師たちの動きすら抑制されたように静かだった。


玲は深夜にもかかわらず、黒のコートを羽織ったまま、病室前の無人セキュリティゲートで立ち止まった。同行しているのは、心理干渉分析官・九条凛。そして、記憶安定処理のスペシャリスト・御子柴理央だった。


九条が低く呟いた。


「まだ精神的ショックが強く残ってるはず。無理に引き出す必要はない。……まずは、“声を聞く”ことからね」


玲は頷き、病室に優しい沈黙が流れた。


九条の声は、まるで灯火のように静かで温かい。


「心は、追い詰められると“記録”すら閉ざす。だけどね、誰かが隣にいて、ただ“聞く”こと。それだけで、記憶は少しずつ戻ってくるんだよ」


玲は窓の外を見やりながら呟いた。


「だから俺たちは、“証言を引き出す者”じゃない。“寄り添う者”でいよう」


──心の奥底に刻まれた声を、決して見失わないために。


(午前2時18分/同病室内)


カーテンの隙間から、わずかに光が漏れていた。ベッドに横たわる少女──紗英は、うっすらと目を開いていた。


目が玲に向けられると、彼女は一瞬だけ体を硬直させた。だが、玲はそれに気づき、しゃがみ込んで目線を合わせた。


「……ごめんね、急に来て。でも、君の“声”が届いたから、ここに来た」


彼女の瞳がかすかに揺れた。言葉にはならない声が、喉の奥で震えている。


玲はそのまま目を逸らさず、静かに続けた。


「怖いことは言わなくていい。無理に思い出さなくてもいい。ただ……君の中にあるものを、少しずつ、教えてくれればそれでいいんだ」


少女のまつげがゆっくりと伏せられる。その頬を、一筋の涙が伝った。


玲はその涙を見届けながら、柔らかく微笑んだ。


「ありがとう……君のその涙が、たしかに“記録”になったよ」


御子柴がゆっくりとディバイスを取り出し、医療モニターと同期させる。


「今は脳波が安定している。深層記憶の断面を可視化できる可能性がある。……玲、彼女の信頼を得られるかどうかが鍵だ」


玲は静かに紗英の手を握り、まっすぐに語りかけた。


「君の中にある“記憶”が、真実そのものだ。君が沈黙を破ったその瞬間に、この闘いは始まった。……もう一人じゃない。俺たちが、ついてる」


紗英の指先が、わずかに玲の手を握り返す。


それは微かな、けれど確かな意志の現れだった。


彼女の唇が震え、かすれた声がこぼれる。


「……怖かった……でも……忘れたくなかった……」


玲はしっかりと頷き、その言葉を受け止める。


「忘れなくていい。君の中にあるその記憶こそが、すべての鍵だ。君が生きて証言する限り、過去はもう、消されない」


──その瞬間、記録の闇に差し込んだ小さな光が、確かな道標となった。


(午前2時21分/記憶探査ログ 初期化開始)


玲はその声にそっと目を閉じた。かつて消され、書き換えられたはずの記憶が、今、確かに“証拠”として蘇りつつある。


御子柴の手元で、断片化されていた記憶映像がつながり、恐怖、抵抗、そして“希望”の感情が時系列に重なっていく。


「これは、紛れもない――生きている記録だ」


沙耶が小さく息を呑み、そっと紗英の肩に手を添えた。


「大丈夫……君の声は、もう二度と消えたりしないよ」


──その時、少女の記憶の奥に封じられていた“最後の扉”が、静かに開かれようとしていた。未来を変える記録が、今まさに書き始められている。


(午前3時12分/K部門本庁地下・記録保全第3処理室)


重厚な扉が開き、玲と御子柴、そして心理分析官の九条凛が部屋へと入った。中央にはホロ投影式の記録再生装置が作動し、先ほど紗英の記憶から抽出された断片映像が立体的に浮かんでいた。


「……この空間設計、既視感がある」

御子柴が映像の構造を分析しながら呟く。


九条がディスプレイの端に表示された環境パラメータを見て即座に反応した。

「この監禁室……10年前の“倉庫事件”で使われた空間と、ほぼ一致しています。特に通気口の構造、床面のセラミック素材……完全に再利用されてるわ」


玲が目を細め、九条の言葉を反芻した。


「つまり……“あの事件”の現場が、再び使われていた。記録も改ざんされ、場所ごと闇に葬られたはずなのに」


奈々が即座に映像記録を拡大し、重ね合わせる。


「一致率92%。確かにこの空間は、10年前に使用された“第C-04倉庫”と同一構造です。ただし、地図上では現在“解体済み”とされている」


水無瀬が低くつぶやく。


「証拠を隠すには、場所ごと消すのが一番手っ取り早い……それを実行した連中が、また動き出している」


玲は拳を握り締め、言い放つ。


「……だったら、次は俺たちが“消された場所”を記録に残す番だ。闇ごと、白日の下に晒してやる」


御子柴が手元のデバイスを操作し、映像内の音声周波数を抽出して変調を解除する。

ノイズの奥から、男の低く抑えた地声が徐々に姿を現す。


「……今度は、記録じゃなく“記憶”を殺す──それが最も効果的なんだよ」


その言葉に、部屋の空気が一変した。


御子柴の指が止まり、全員の視線が端末のスピーカーに集中する。

玲が低く呟いた。


「……“記憶を殺す”……記録だけでは足りないということか」


九条が顔を曇らせ、震える声で続ける。


「これは……精神的抹殺。外傷ではなく、心の深層に傷を刻み込み、“真実を語れないようにする”……そんな手段が、現実に用いられてるなんて」


奈々が補足するように画面を拡大し、声の波形と署名ログを照合する。


「この声、やはり“ゼロナンバー群体”の音声プロファイルと一致しています。……この男、まだ活動している」


玲の声が鋭くなった。


「ならば……俺たちも“記憶”を記録に戻す。彼らが消そうとした証拠を、ひとつ残らず掘り起こすんだ」


(午前3時28分/K部門作戦フロア・監視センター)


奈々が操作する端末に、新たなアクセスログが表示される。

「……誰かが、港区医療センターのデータベースに再接続を試みてる。しかも内部経由……これは──」


画面に現れたIDを見た瞬間、奈々の顔が凍った。


「K部門職員コード:TK-05。……“天城”……?」


玲がすぐさまモニターに顔を寄せ、そのIDを確認する。

一瞬、彼の表情が揺れた。


「……天城? まさか……」


御子柴もディスプレイのログを見つめ、冷静に言葉を継ぐ。


「このコード、正式には数年前に“死亡処理”されている。記録上は、任務中の事故死扱い……だが、アクセスログは“現在進行形”で生きている」


九条が低く呟く。


「死人のIDでアクセスしてる……いや、“死んだことにされた誰か”が、生きて動いてるのか」


奈々は震える声で続けた。


「天城……彼は“倉庫事件”の調査に関与してた一人です。当時、深層記録領域に唯一アクセスできた職員の一人……なのに、事件直後に姿を消していた」


玲は目を細めた。


「……繋がったな。“倉庫事件”と“記憶の抹殺”。天城が、その橋渡しをしているのかもしれない」


沈黙の中、チーム全員が改めて感じた。

いま触れているのは、記録の奥底に封じられた“禁忌の記憶”だと。


玲の声が低く響いた。

「“過去を消した者”が、今度は未来を止めに来る気か。……なら、こちらも全力で迎え撃つだけだ」


玲の言葉に、チームの緊張感がさらに高まった。

水無瀬がすぐに応じる。

「全力で情報を集め、相手の動きを先回りします」


九条も頷きながら言った。

「精神的な攻撃も警戒が必要だ。被害者のケアも忘れずに」


奈々が手早くキーボードを叩きながら告げた。

「天城の足取りと通信履歴を再解析中。何か手がかりを掴み次第、即座に連絡します」


玲は深く息を吸い込み、鋭い目つきで言い放つ。

「奴らの影は深い。だが、俺たちの光も消せない。必ず真実を取り戻す」


静かな決意が部屋を包み込み、物語の新たな局面が動き始めた。


(午前3時45分/K部門地下搬入口・セキュリティ待機区画)


沙耶が静かに防弾ベストを着込む。朱音の描いた絵をポケットにしまいながら、ポツリと呟いた。


「紗英が見たあの記録……あれは“終わり”じゃなく、“始まり”だったんだよね」


玲がその言葉に振り返り、静かに頷く。


「――ああ。あの声が届いた瞬間から、物語は書き換わった」


沙耶はふっと笑って、手袋をはめながら言った。


「なら、こっちも覚悟を決めなきゃ。朱音が描いた“未来”、守らないとね」


防弾ベストの面ファスナーを留める音が、小さく響く。

沙耶の目に、決意の光が灯る。


「記憶を殺されても、心まで奪わせない。私たちが“証明”になる」


玲が防壁扉の前に立ち、背後の仲間たちに目を向けた。

奈々、水無瀬、九条、沙耶、御子柴──そして、今も眠る紗英。


「行くぞ。これが、俺たちの仕事だ。

記録の闇に埋もれた声を、“未来”に届けるために」


仲間たちは無言で頷いた。

各々が決意を胸に、最後の装備確認を終える。


奈々がタブレットを握りしめ、淡々と告げる。

「通信妨害、予測範囲内。リアルタイム同期は5分が限界」


水無瀬が記憶探査装置を背負いながら言う。

「深層記憶への侵入にはリスクが伴う。けど……もう、迷いはない」


九条は目を閉じて静かに息を吐いた。

「彼女の“恐怖”に触れた者として、最後まで付き合うよ」


沙耶は朱音の描いた絵をそっと胸元に当てる。

「……絶対に、置いてかない。ひとりも、声も」


御子柴が最終鍵のコードを入力しながら低く呟く。

「原記録層、最深部へ進入許可。……始めよう」


そして、玲が再び前を向く。

重く閉ざされた防壁扉が、警告音とともにゆっくりと開き始めた。


「すべての“証拠”はここにある。なら、俺たちの手で記すんだ――

真実を、未来に残すために」


──その一歩が、

“記録を改ざんされた者たち”の声を解放するための、反撃の始まりだった。


(午前4時42分/K部門本庁 第七層戦術指令階・対策室α)


金属製のシャッターが一斉に閉まり、警告灯が赤く点滅する。警報レベルは「コードD:戦術危機対応モード」。全館に戒厳指令が流れた。


沙耶が驚きに声を上げる。

「……まさか、ここまで早く仕掛けてくるなんて」


奈々が端末を操作しながら報告する。

「侵入コードの反応あり。第七層に未登録の武装データユニット……“影班”以外の複数名」


玲の表情が鋭くなる。


「“影班”以外……? このタイミングで、誰が──」


奈々が画面を拡大し、ユニット識別信号の断片を解析しながら続ける。


「識別データの一部に“TK-05”……天城の認証フラグが混入しています。

けど、それだけじゃない。“K部門外部戦術連携コード”──おそらく、別系統の“隠密派遣部隊”」


沙耶が口をつぐみ、低く呟く。

「……まだいたんだ、“天城の系譜”が」


玲は短く頷くと、無線を切り替えて影班に連絡を取る。


「由宇、詩乃、柾貴。第七層に予期せぬ武装勢力が侵入。交戦もあり得る。即時迎撃態勢に入れ」


背後の空気が張り詰める。

かつて“記録の闇”を守るために動いた者たちが、今度はその真実を阻む盾となって現れたのだ。


玲の声が、静かに仲間たちを貫いた。


「“影”を越える者は、もういない。なら、俺たちが切り拓く──

この記録の未来を、誰にも封じさせるな」


玲は静かに上着を脱ぎ、腰のホルスターから専用のナノブレードを取り出した。

その動きはまるで水が流れるように滑らかで、無駄が一切ない。


九条凛がそれを見て、低くつぶやく。

「……これが噂に聞いてた、“S級”の玲……本当に存在してたなんて」


玲は軽く苦笑しながら九条の方へ目を向けた。


「噂ってのは大抵、誇張されるもんだ。でも……俺が動く時は、命がけだ。

“記録の闇”を斬り裂くには、それくらい覚悟がいるってことさ」


九条は少し頷き、真剣な表情で続けた。


「覚悟、か……。なら、私もその一端を担わせてもらうよ」


玲は静かに拳を握り締め、仲間たちに視線を送った。


「よし、行くぞ。ここからが本当の勝負だ」


水無瀬透も思わず息をのむ。

「まるで……気配すら変わった。理知と冷静を捨てた瞬間の、覚悟の姿だ」


玲は静かに頷きながら、深く息を吸い込んだ。


「理知も冷静も大事だが、それだけじゃ足りない。時には、心の芯を燃やさなきゃ、闇を切り裂けない。」


水無瀬は少し間を置き、鋭い眼差しで前方を見据える。


「この先に待つものが何であれ、俺たちは共に戦う。必ず、真実を掴み取ろう。」


(午前4時46分/K部門本庁 第七層 接触通路α・防衛ライン0)


そのとき、黒い影が空間にすべるように現れた。

数秒の沈黙の後、通信が走る。


〈影班、指定地点に到達。任務確認:玲指揮下にて防衛および制圧作戦遂行〉


最初に現れたのは成瀬由宇。灰色の瞳がまっすぐ敵影をとらえている。

続いて桐野詩乃。戦闘用の白手袋をはめ直しながら、無言で玲の隣に立った。

最後に、安斎柾貴。静かに前へ歩み出ながら、敵意の気配に視線を向ける。

そして、服部一族。


服部一族の代表格、服部蓮が静かに現れた。黒い和装に身を包み、鋭い眼光で周囲を見渡す。


「玲殿、呼ばれたと聞いて馳せ参じました。影班と共に動き、貴殿の任務を全力で支援いたします。」


彼の言葉に、影班のメンバーたちも背筋を伸ばし、緊張感を高めた。だがその中に、一抹の温かみも感じられた。


「朱音ちゃんのことも、家族としてしっかり守る。安心して任せてください。」


九条は目を見開いた。

「……服部一族も!? まさか玲が直接、あの一族を動かせる立場に……」


玲は小さく苦笑いを浮かべながら答えた。


「服部一族とは昔から因縁がある。彼らの力を借りることができるのは、俺がそれなりの信頼を築いてきた証だ。」


九条は感嘆の色を隠せず、改めて玲の背中を見つめた。


「そうか……やはり、ただの探偵じゃないんだな、玲は。」


玲は短く言った。

「K部門は、記録を守るだけじゃない。“記録を奪う者”から、未来を奪わせない。俺たちがその刃だ」


服部蓮が静かに頷き、冷静な声で応じた。


「その覚悟、我々も同じです。どんな闇が待ち受けようとも、共に切り裂き、真実を貫きましょう。」


玲はゆっくりと呼吸を整え、影班の三人と服部蓮の背後を固める。


「ここから先は、ただの戦いじゃない。心と記録を賭けた決戦だ。」


影班の成瀬由宇が暗闇の中で目を細め、低く呟いた。


「覚悟はできている。誰も裏切らせはしない。」


その瞬間、廊下の空気が一層凍りつき、静謐さと緊張が極限まで高まった。

まるで、目に見えぬ何者かが彼らの歩みを、冷たく見守っているかのように。


沙耶が紗英のそばに立ち、そっと囁く。

「ここから先は……“あの人たち”の領域」


玲は沙耶の言葉に頷き、目を鋭く光らせた。


「そうだ。油断は禁物だ。記録の闇に巣食う者たちは、何よりも冷酷で狡猾だ。」


沙耶は紗英の手を優しく握り、静かに続けた。


「でも、私たちには“声”がある。忘れられた記憶が、真実の灯火になる。」


影班の三人もその言葉に身を引き締め、前を向いた。

玲は深呼吸し、闇の奥へと歩を進める。

「さあ、行こう。証言の光を、取り戻すために。」


玲は短く指を鳴らした。


(午前4時49分/第七層:戦術接触ポイントβ)


廊下を支配する静寂を切り裂くように、成瀬のナイフが黒く輝き、一瞬で敵の影を断ち切った。音なき殺意が空間に満ちる。


詩乃の冷静な指先から放たれた化学ガスは微細に調整され、敵の動きを完全に封じ込める。安斎は言葉もなく精神の領域を制圧し、敵の抵抗を根底から絶った。


玲の動きはまさに人間離れしていた。彼の一挙手一投足は無駄なく、計算し尽くされた精度で展開される。敵の攻撃が迫るたびに、彼の身体はまるで鋭い刃物のように鋭敏に反応し、僅かな隙も与えずにかわしていく。


鋭く跳び、地面を蹴って回避しながら、玲は瞬時に相手の動きを読み取り、致命的な反撃に転じる。彼の掌から繰り出される一撃一撃は、まるで刃を振るう剣士のように正確で、敵の急所を逃さない。腕や足の動きは滑らかで、鋭利なナイフのように敵を切り裂き、同時に仲間の背後を守る盾にもなる。


一瞬の迷いもなく、玲は敵の侵入ルートを封鎖し、記録装置へ向かうあらゆる通路を厳重に監視。彼の存在そのものが、まるで生ける防壁と化している。彼の目は常に冷静に、しかし鋭く周囲を見渡し、いかなる異変も見逃さない。無言の中に宿る強烈な緊張感が周囲を支配し、敵はまるで巨大な鉄壁に立ち向かうような絶望を感じる。


玲は“最後の刃”――記憶の世界を汚す者にとっての絶対的な制裁者として、己の身体を武器にして戦場を制圧しているのだった。


誰もが知っている。彼こそがS級――記憶を汚す者たちにとって絶対に超えてはならない壁。

“記録の闇”の中、熾烈な戦いが今、幕を開けた。

未来への証言を守るため、彼らは一歩も引かない。


(午前4時52分/K部門本庁 第七層・中央記録室前)


玲の身体が閃光のように動く。

鋭く、無駄のない動きはまさに人間の域を超えていた。

彼の眼差しは凍てつく鋼のように冷静で、瞬時に敵の次動作を読み解く。


「成瀬、桐野、安斎、ここの守りは任せる。俺は中枢に向かう」


影班三名は頷き、それぞれの役割に集中した。

成瀬は闇に溶け込みながら、狙撃ポイントへと姿を消し、

桐野は微細な化学兵器を展開して敵の動きを封じ、

安斎は精神制圧で敵の戦意を次々と打ち砕いていく。


服部一族の長・服部龍司は玲の背後に立ち、静かに言った。

「お前の後ろは俺たちが守る。全力でぶつかれ」


玲はわずかに微笑んだ。

「頼む」


(午前4時55分/中央記録室・格納庫)


冥刻──その名が告げられた瞬間、空気は凍りついた。


全身を黒衣に包んだその男は、長身で痩躯。顔の大半を仮面で隠しており、唯一露出した口元には、皮肉にも似た微笑が浮かんでいる。背後で稼働する巨大な記録破壊装置は、圧縮音とともにデータ群を取り込み、数秒ごとに「消去完了」の表示を淡々と点灯させていた。


装置の内部には、“原記録層”から引き抜かれたログ群──紗英の記憶断片、コウキの出生情報、消された証人名、過去の犯罪の“本物の証拠”──が流し込まれている。あと十数秒で、それらは永久に消え去る。


冥刻は一歩、玲の前に進み出た。言葉は抑制された低音で、しかし確実にその場の空気を支配する力を持っていた。


「記憶にすがっても、未来は変わらない。……君は、どれほどの“真実”を背負ってなお、それでも尚、ここに立つのか?」


玲の目が鋭く光る。その一歩先には、記録を守るために超えてはならない臨界点。そして敵は、その線を踏み越えてきた。


沙耶の声が無線に入る。「玲、破壊装置、残り12秒!私たちは外側から電力遮断を試みる、時間を稼いで!」


玲はゆっくりと肩の力を抜き、そして、ただ一言だけ呟いた。


「……この手で守る。それが、“記憶の証人”の意味だ」


冥刻と玲。記録の闇における、最終対峙が幕を開ける。


「玲……来たか。だが遅かったな」

冥刻の声は冷たく、深い闇を湛えていた。


玲は刃を抜き、冷静に返す。

「お前の好きにはさせない。記録は守る――俺がそれを証明する」


戦闘開始の合図とともに、二人の戦いが静かに激化した。


空間が歪むほどの緊張が走る。


玲の体は風のように滑り、次の瞬間には冥刻の側面に入り込んでいた。重力すら無視したかのような動き。

斬撃は一切の躊躇なく振るわれる──正確無比な一閃が、冥刻の黒衣の一部を裂いた。


しかし冥刻もただの敵ではなかった。

彼の反応は常軌を逸していた。剥き出しの筋肉がわずかに反射し、構えも取らずに体勢を逸らす。

瞬時に右手の電磁投射器を構え、空間を圧縮するかのような一撃を放つ。


──ビィッ!


破壊力は凄まじく、周囲の壁面に衝撃波が走る。だが、玲はすでにそこにはいなかった。

跳躍。着地。次の瞬間、低く構え直し、再び殺気が一点に集中する。


「視線を逸らすな……奴の狙いは“破壊装置”だ」

御子柴がモニター越しに呟く。


沙耶は声を失ったまま、朱音の絵を握りしめる。

奈々の手元の端末も、エラーと警告が同時に点滅する。


“あれは戦闘じゃない。処刑だ──”


誰かが小さく呟いた。


冥刻の目が鋭く光る。「君は本当に“記録”に命を懸けるのか。滑稽なほどに」


玲は答えなかった。ただ静かに、姿勢を低くし、次の一手へ──

これは二人の、意志と真実を賭けた、静かで凄絶な“記憶の決闘”だった。


「お前の動きは速いが、ここが終点だ」


冥刻が高圧電流を放つが、玲は完璧に回避し、刹那の隙に接近。

掌に収めたナノブレードが閃光を放ち、冥刻の左肩を切り裂く。


冥刻の悲鳴にも似た吐息が漏れる。切創から火花が散り、内部に仕込まれた強化外骨格の接合部が露わになる。だが、彼の目はまだ燃えていた。


「……やるな、“S級”」

血の気の引いた顔で、冥刻は唇を吊り上げた。


だが玲はもう次の動作に移っていた。

迷いも、躊躇もない。記録を守るため、彼はただ動く。


ナノブレードが手の内で回転し、冥刻の足元に向けて低く一閃──

重心を崩された冥刻が体勢を崩した瞬間、玲は膝をついてその背後に回り込む。


冥刻は即座に反転しようとするが、遅い。

玲の動きは、まるで“記録に刻まれた未来”のように正確だった。


「お前たちが消そうとしたのは、記憶じゃない。命だ。魂だ」


玲の言葉が、冷たく、鋭く響いた瞬間──

ブレードが冥刻の右手の投射器を正確に貫いた。


破壊装置への信号が途切れ、背後の記録中枢から消去音が止まる。

奈々の端末が一斉に“破壊信号停止”の表示を告げる。


御子柴が目を見開く。「止まった……記録は、守られた!」


冥刻は膝をつき、血混じりの息を吐く。

その背に、玲が静かに言い放つ。


「ここが終点じゃない。お前が“終わらせようとした未来”を、俺たちが“始める”番だ」


一瞬の静寂。


冥刻の身体が床に沈み、装置から発せられていた破壊音がぴたりと止む。

重苦しい沈黙の中、空調音すら鼓膜に響くほどに空間が静まった。


奈々がゆっくりと端末を確認し、呟くように報告する。

「……全停止確認。中枢データ、無事。記録、残っています……!」


御子柴が安堵の息を漏らしながら、複数のディスプレイを確認する。

「復元も可能だ……損失は最小限で抑えられた。これなら、“証拠”として提出できる」


玲は剣を下ろし、わずかに目を閉じる。

手の中のナノブレードが、静かに小さな収束音を立てて収納された。


沙耶が紗英の名を口にしながら、彼女の元へと駆け寄る。

「……これで、紗英の“記憶”は守られた。もう誰にも消させない」


九条はディスプレイの奥、揺れる波形を見つめながら、静かに言った。

「この記録が、“未来の証人”となる……それこそが、私たちの戦いの意味」


玲は最後に、崩れ落ちた冥刻を一瞥し、低く、確かに言い放つ。


「これで終わったわけじゃない。

記録を守った今こそ、次の“真実”に進む時だ──“記憶の証人”たちと共に」


──廃墟のような最深部に、小さな希望の光が差し込みはじめていた。


(午前4時58分/中央記録室)


九条は静かに端末を閉じ、ゆっくりと玲の方を見つめた。

その瞳に映るのは、かつて知っていた冷静沈着な探偵ではない。


微笑みを浮かべながら、彼女はぽつりと呟く。

「……玲、まるで別人みたい。こんな顔、初めて見た」


玲はふっと一瞬だけ表情を和らげ、柔らかな目で九条を見返した。


「……ああ、そうかもしれないな。

この戦いで、俺もまた変わったのかもしれない。

ただ一つだけ変わらないのは、守るべき真実があるってことだ」


彼の声には、以前よりも深い決意と覚悟が込められていた。

九条はそんな玲の姿に、確かな頼もしさと未来への希望を感じていた。


九条は首を横に振る。

「違うよ。変わったんじゃない、“戻った”んだ。

誰かを守るために動くあんたは……本当はずっと、こうだったんだと思う」


玲は静かに息をつき、遠くを見つめるように目を細めた。


「戻ったか……そうかもしれないな。

守るべき者ができて、初めて気づいたんだ。

俺が守るのは、ただの真実じゃない。

“誰かの未来”なんだって」


その言葉に、部屋の空気が少しだけ温かく変わった。

九条は優しく微笑み、玲の肩に軽く手を置いた。

玲の胸の奥で、何かが静かにほどけていく。


そして彼は短く、だが確かな声で答えた。

「……ありがとう、九条」


──微かな微笑みが、闇に差し込む新しい“記憶”となった。


玲は皆を見渡し、力強く言った。

「“記録の闇”を切り裂き、真実を守り抜く。俺たちは、まだ戦いの途中だ。だが今は――確かな勝利を掴んだ」


玲の言葉に、部屋中が静かに共鳴した。

沙耶が深く頷き、朱音がそっと玲の背中を押すように微笑む。


「そうだ。終わりじゃない、これからが本当の始まりだ」


奈々が端末を閉じながら力強く言った。

「次の一歩も、必ずこの手で切り拓こう」


玲は仲間たちの決意を胸に刻み、未来へと視線を向けた。

「この闘いは、誰かの記憶を守るための闘い。俺たちの刃は、決して折れない」


玲の声が、静まり返った記録室に力強く響いた。

その背後には、倒れ伏した冥刻と、停止した記録破壊装置。


仲間たちは、それぞれの戦いの傷を抱えながらも、玲の言葉に耳を傾ける。

沙耶が頷き、奈々は静かに拳を握る。御子柴、水無瀬、九条──誰もが、それぞれの想いを胸に刻んでいた。


玲は皆を見渡し、もう一度、ゆっくりと言葉を重ねた。

「“記録の闇”を切り裂き、真実を守り抜く。俺たちは、まだ戦いの途中だ。だが今は――確かな勝利を掴んだ」


玲の声は静かに、しかし揺るぎなく響いた。

彼の瞳には、闇の中に光を見出した者だけが持つ揺るぎない確信が宿っていた。


「この勝利は、俺たち全員のものだ。だが忘れるな――この先に待つのは、さらに深い闇だ」


沙耶がそっと紗英の肩に手を置きながら言う。

「だからこそ、私たちは一緒に進む。誰も孤独にはさせない」


玲はゆっくりと頷き、仲間たちの未来を共に歩む覚悟を新たにした。

「行こう。真実を、その先へ」


最初の拍手は、ごく控えめな音だった。

沙耶だったかもしれない。あるいは、御子柴か九条か──

けれどその一拍が、まるで時を解きほぐすように、空気の緊張を和らげた。


次第に、拍手の輪が広がっていく。

奈々が微笑みながら手を打ち、水無瀬も肩の力を抜き、静かにそれに加わる。

影班の成瀬、詩乃、安斎までもが、無言のまま敬意を込めて手を叩いた。

服部龍司が短く「よくやった」と呟き、重く強い拍手を重ねた。


玲は戸惑いのような表情を浮かべたまま、仲間たちの方を振り返る。

だがその目には、確かなものが映っていた。

誰一人言葉にせずとも、それぞれが伝えていた──

「ここまで、よく戦った」と。


拍手の音が廊下に響き続ける中、紗英のまぶたがわずかに動いた。

誰もがその小さな変化に気づいた瞬間、

玲はそっと微笑み、ただ一言だけ紡いだ。


「……聞こえたか。これが、“君の声”が繋いだ未来だ」


(エピローグ — 午前5時30分/都内某所・K部門 仮設記録ラボ)


戦いが終わった。


まるで張り詰めた時の糸がふと緩んだかのように、辺りには静寂が戻っていた。

崩れ落ちた冥刻の残骸、停止した記録破壊装置、そして光を取り戻した監視モニター。

破壊ではなく、守り抜かれた記録たちが、まるで安堵するかのように眠っていた。


玲はゆっくりと立ち上がり、深く息を吐いた。

その表情には疲労と同時に、確かな“終わり”への実感があった。


沙耶が静かに呟く。「……ようやく、終わったんだね」

奈々は端末を見下ろし、破損も消失もしていない“原記録”の一覧を確認し、そっと頷いた。

御子柴が言う。「データは回収済み。抹消の痕跡も封じた。あとは、彼女の記憶と――この記録が全てを語る」


紗英のベッドの脇では、九条が彼女の手をそっと握っていた。

「もう大丈夫。あなたの“声”は届いたよ。ちゃんと、未来に残った」


それぞれが静かに、しかし確かにその時をかみしめていた。

誰かが戦ったからではない。

誰もが信じ、繋ぎ、記録を“守った”からこその、勝利だった。


玲は最後に天井を見上げ、小さく目を閉じる。

記録の闇――その深淵の底から這い出し、光を取り戻した今、彼は心のどこかで確かに思った。


「これで、ようやく……前に進める」


戦いが終わった。

だが、記録の行く先にある真実の旅は、まだ続いていく。


玲は立ち尽くしたまま、仲間たちを順に見渡す。目に焼きついたのは、戦いの傷跡ではない。そこに立ち続けた者たちの、決意の面影だった。


玲はその微笑みに、かすかに目を細めた。

沙耶の視線は語っていた。

――「おかえり」。

言葉にはせずとも、確かに伝わるものがあった。


静かに歩み寄った沙耶は、玲の腕にそっと触れた。

「……よく、帰ってきてくれたね」

その声は震えていたが、強かった。あの日、全てが崩れかけた時にさえ折れなかった彼女の芯が、そこにあった。


玲は短く頷いた。

「……ただ、守りたかっただけだ。それだけで、ここまで来た」


「それでいいよ」沙耶は言う。「それだけで、十分だよ」


沈黙の間に、玲の背後から奈々や九条、御子柴、水無瀬がゆっくりと集まり始めた。

誰も言葉を急がない。ただ、そこに“いる”ことが、この瞬間には十分だった。


そして玲は、皆を一人ひとり、丁寧に見つめながら言った。


「ありがとう。……最後まで、共に立ってくれて」


戦いの後に残ったのは、廃墟でも敗北でもなかった。

それは、守り抜かれた“繋がり”だった。


玲はゆっくりとうなずいた。

沙耶は恥ずかしそうにうつむいたが、そっと彼の腕に触れる。


「ううん……玲がいたから、私も信じられたんだよ」


続いて九条凛が、壁にもたれながら腕を組んだままぽつりと呟いた。


「これが……S級の玲か。やっぱり、化け物だな」


玲はその言葉に目を細め、苦笑を浮かべた。


「化け物、ね……言われ慣れてないわけじゃないけど、君に言われると妙にリアルだな」


九条は肩をすくめる。

「だって本当にそう思ったから。あの動き、判断、反応――あれ、人間の範疇じゃない。私が相手だったら一秒ももたない」

そして少しだけ真顔になり、続けた。

「でも……それだけじゃなかった」


玲が目を向けると、九条は少し視線を外しながら言う。


「冷たくて鋭いだけの“刃”じゃなかった。あんたの中には、誰よりも強く“守ろうとする意志”があった。……あれがなかったら、私、多分ここまで信じきれなかったと思う」


玲はしばし黙ったあと、ゆっくりと頷く。


「“刃”にも芯がなきゃ、ただの鉄片だろ。俺の芯は――仲間を守る。それだけだ」


九条はにやりと笑った。

「……うん、やっぱり戻ってきたね、“あの時の玲”が」


二人の言葉は、いつしか仲間たちにもしっかりと届いていた。

静かに、でも確かな熱をもって──再び始まる“次の戦い”の、その前に。


ラボの奥、薄暗い照明の下には、影班の三人が並んでいた。


「……由宇。いつも通りの静かな一撃だった。敵が何も気づかないうちに、すべてが終わっていた」


 成瀬由宇は無言で目礼を返した。それだけで十分だった。


 玲は次に、桐野詩乃に目を向ける。


「詩乃。あの毒の拡散封じ……芸術だった。消すべきものを、完全に“無”にした」


「ふふ、あらゆる痕跡を消すのが私の仕事。でも……玲の“存在”のほうがよほど異常よ? まるで記録そのものみたい」


 玲はそれに苦笑で返すと、最後に安斎に目をやる。


「安斎。敵があれだけ崩れたのは、君の精神撹乱があってこそ。命を救ってくれた」


「礼はいい。……ただ、お前の背中には、否応なくついていきたくなる」


安斎はぼそりとつぶやき、肩の埃を払い落とした。


ラボの空気は、戦いの終息とは裏腹に、まだ緊張感の名残を含んでいた。

だがその中で、玲の言葉は、確かに温度を持っていた。


「お前たちがいたから、生き残れた。感謝してる」


その言葉に、影班の三人は一瞬、微かな反応を見せる。


成瀬由宇は、ふとわずかに眉をひそめたように見えた。

だがそれもすぐに消えて、再び無表情へと戻る。

ただ、彼の指が一度だけ、胸元をそっと押さえた。それは、わかる者にはわかる、静かな誇りの現れだった。


桐野詩乃は片眉を上げて、少し面食らったような笑みを浮かべた。

「……あなたから“感謝”なんて。明日は嵐かもね」

そう冗談めかして言ったが、その声に込められた柔らかさは、彼女にしては珍しい。


そして安斎柾貴は、いつもの仏頂面のまま、わずかに頬をそらした。

「感謝だの礼だの……お前らしくもないな。……悪くないけど」

そう言うと、視線をそらしたまま、背中を押し返すように手をポケットに突っ込む。


玲はその反応を静かに見守りながら、小さく息を吐いた。


──彼らは“任務の道具”ではない。

そう心から思えた瞬間だった。


その静けさの中、遠くから少女の声が微かに届く。


「……みんな、おかえり……」


それは、紗英の呟きだった。

“記憶の闇”から帰還した者たちへの、最もまっすぐな迎えの言葉だった。


やや離れたところに、服部一族の長・服部龍司が立っていた。

「いい剣筋だったぞ、玲。あんな刃、久しぶりに見た」


玲は姿勢を正し、深く頭を下げる。


服部龍司は、静かながらも力強い声で続けた。


「お前の刃には、ただの技術だけじゃなくて“魂”が宿っている。俺たち一族も、誇りに思うよ」


玲はその言葉に少しだけ微笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。龍司さんの支えがあってこそ、ここまで来られました」


二人の間に、言葉にせずとも通じ合う強い絆が確かにあった。

影班や仲間たちが見守る中、その絆はこれからの戦いに向けての新たな力となっていくのだった。


「だったら、お前がその教えを継げ。俺たちは去る。次に立つ者に、記憶と記録を託してやれ」


そして、最後に。


 奈々が抱えた破損したタブレットを胸に、そっと近づいてきた。


「記録……全部、守ったよ。玲、私……やっと“本当に残したいもの”が分かった」


玲はそっと奈々の肩に手を置き、静かに言った。


「奈々、君が見つけたものが何よりも大切だ。これからも共に、その記録を守っていこう」


その温かな抱擁の中で、二人の間に揺るぎない信頼と決意が宿った。

傷ついたタブレットはただの機械ではなく、これから紡ぐ未来の証だった。


「うん。……もう怖くない。私たちが“証人”だって、胸を張って言える」


朝の光がようやく、ラボの天井を満たし始めていた。

玲は全員を見渡し、しばし言葉を探す。そして、静かに語りかける。


玲の静かな宣言に、部屋の空気が引き締まる。


「これからも、誰かの声なき声を聞き、忘れられた真実を記録し続けよう。」


仲間たちの瞳には、揺るがぬ決意が灯る。

新たな時代の幕開けを告げるかのように、静かな覚悟が胸に刻まれていく。


──そして、“記憶の証人”たちの物語は、未来へと確かに続いていくのだった。


次回 スピンオフ小説


『中野ゼロファイル事件』


時刻:2015年11月18日 午後10時42分

場所:東京都中野区・旧中央記録保管センター 地下第7保管区(通称:ゼロフロア)


しんとした空気が地下深くを満たしていた。

微かに聞こえるのは、古びた配管を流れる冷却水の音。

この場所は、正式な記録には存在しない。通称「ゼロフロア」。

国家の記録制度における“例外”を封じ込めた記憶の墓場だ。


灰色の蛍光灯がちらつく廊下を、水無瀬透は静かに歩いていた。

当時はまだ「K部門」という名も持たない特務調査班の若き調査官。

彼の手には、まだ封も解かれていない記録ファイルがあった。

その背表紙にはただ一言、「Z-079:ユウタ個体」と記されていた。


「……この記録、本当に誰も知らないはずなんだな」


横を歩くのは、心理分析補佐官として配属されたばかりの新人――九条凛。

彼女は小さく頷いた。


「ええ、表のファイルシステムには存在しません。これは完全な“消去指定記録”。存在しないことになっている……」


「なのに、アクセスログがあった。先週――誰かが開いた」


言葉にするだけで、ゼロフロアに新たな緊張が走る。

誰も知らぬはずの記録に、誰かが触れた。

それは、「忘れさせられた真実」が再び動き始めたことを意味していた。


そしてその中心には、当時まだ14歳だったある少年の記録が残されていた。


──川崎ユウタ。


水無瀬は立ち止まり、ファイルを見つめた。

「ゼロ」とは、始まりか。

それとも……すべてを消すための記号か。


彼らが“扉”に手をかけた、その瞬間から、すべてが始まっていた。

私はずっと、閉ざされた世界の中にいました。

記憶の扉は固く閉ざされ、過去の断片は朧げな影のようにしか見えませんでした。

でも、朱音が現れたことで、少しずつ光が差し込んだのです。


彼女の無垢な声、真っすぐな瞳は、私の封じられた記憶の鍵でした。

朱音はただの少女ではない。彼女は私の心の奥底に眠る真実を呼び覚ます“灯”でした。


私が取り戻した記憶は、辛くて痛いものもあったけれど、同時に救いでもありました。

朱音と出会い、繋がり、私はやっと自分自身を取り戻せた気がします。


これからも、この記憶の証人たちと共に歩み続けたい。

真実を守り、未来を紡ぐために。


ありがとう、朱音。あなたがいてくれて、本当に良かった。

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