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4話 眠れる遺体と硝子の檻

登場人物一覧


◆探偵・記者サイド

神崎玲かんざき れい

探偵。黒のロングコートを纏い、冷静な観察眼と論理的な推理で事件に迫る。

密室の謎に挑む姿勢は執念深くも静謐であり、最後には真実を言葉で突きつける。

藤堂慎一とうどう しんいち

新聞記者。軽妙な口調で場を和ませつつも、取材網を駆使して裏情報を掴む。

玲の相棒的存在で、時に皮肉を飛ばし、時に命を張る。

九条凛くじょう りん

K部門の技術解析担当。玲の要請に応じ、ハッキングや暗号解析で真相解明に寄与する。

無駄のない冷静な性格で、今回も環境制御システムの“裏ログ”を復元した。



◆美術館関係者

佐伯和人さえき かずと

学芸員。事件当夜の当直にあたり、最初に異常を認識した関係者のひとり。

誠実だが内心には不安を抱えており、警備との板挟みに苦しんだ。

村瀬悠一むらせ ゆういち

美術館システム管理者。

密室を成立させた真犯人。環境制御と量子暗号チップを悪用し、“第三の扉”を作り出した。

動機は権力者との癒着と、自身の地位を守るための情報隠蔽。最後に追い詰められ、供述を行う。

•美術館警備員

午前7時、巡回中に異常を感知し遺体を発見。第一発見者として捜査に協力。


◆社会

•メディア・世論

事件解決後、報道を通じて「密室殺人の真相」と「内部犯行の構造」が明らかになり、大きな波紋を広げる。

冒頭


時間:午後十時

場所:都内有数の近代美術館・特別展示室


場所は都内有数の近代美術館・特別展示室。常設ではないため、空調・照明・出入口の管理はすべて独立制御され、最新のセキュリティが導入されていた。展示室内は完全密閉型。監視カメラは24時間作動。夜間は外部から完全に遮断される設計だ。


玲は展示室の中央に立ち、冷静に周囲を見渡した。

「ここで何が起きた……。誰も入れなかったはずの時間に」


藤堂は隣で眉をひそめ、端末を手にしながら答えた。

「完全密室……カメラも外部アクセスも不可能。どうやって?」


玲は無言で室内を歩き、指先で空気の流れを感じ取りながら考え込む。

「トリックは確実にある。このセキュリティを突破した方法は……」


室内の静寂に、時計の秒針の音だけが鮮明に響く。

展示室の冷たい光と、完全密閉の空間が、これから始まる謎の深さを暗示していた。


時間:午前七時

場所:都内有数の近代美術館・特別展示室


開館準備中、警備員が定期巡回を行っていた。

静まり返った展示室の一角で、かすかな異変を感知する。


「……ん? ここ、何かおかしいぞ」


警備員は慎重に近づき、展示室内を確認する。

空調や照明、監視カメラに異常は見られないが、展示物の配置が微かに乱れていることに気づく。


そして、展示ケースの影に目を凝らした瞬間、室内で異様な違和感を感じ取る。

「まさか……誰も入れないはずの密室で……」


警備員は直ちに館内に無線で連絡し、館長と関係者を呼び寄せる。

展示室内の完全密閉と最新セキュリティが、逆に状況の異常さを際立たせていた。


時間:午前七時

場所:美術館・特別展示室


警備員は無線で館長に状況を報告しながら、再び展示室を見渡した。


「問題は……この状況だ」


展示室は完全密閉型。扉は施錠され、監視カメラは24時間作動中。

外部アクセスは一切遮断され、空調や照明の管理も独立制御されている。


「誰も入れないはずの場所で、何が起きたんだ……」


その異常さに、警備員の手がわずかに震える。

完全密室での不審事態。問題は明白だった——この場に、外部からの侵入が存在しないのに何かが消え、あるいは起きたということ。


静まり返る展示室の中、秒針の音だけが異様に響き渡る。

問題は、単なる異常ではなく、不可解な事件の始まりを告げていた。


時間:午前七時

場所:美術館・特別展示室


警備員は展示室の扉を再確認し、目を見張る。


「完全な密室に見えた……」


扉は施錠され、監視カメラは24時間作動中。

空調も照明も独立制御され、外部からのアクセスは一切遮断されている。


「つまり、誰も入っていないはずの場所で……」


警備員の視線は、室内の異様な空気に釘付けになる。

ケースや什器に乱れはない。だが、静寂の奥に潜む違和感が、この密室に何か不可能なことが起きたことを告げていた。


完全密閉の展示室——その安全神話の裏で、不可解な事件の影が蠢き始めている。


■ 時間:午前七時三十分

場所:美術館・特別展示室


玲は展示室の中央で、冷静に室内を見渡した。


「この密室……表面的には完全に閉ざされているが、環境制御システムに仕込まれた“第三の扉”の存在を疑うべきだ」


藤堂は端末を操作しながら、警備員の報告を整理する。

「第三の扉……つまり、誰も気付かない搬入口か何かか?」


玲は頷き、展示物の配置や空調の吹き出し口を指差す。

「展示物の輸送出入口。ここが鍵になる可能性が高い。センサーや監視カメラの盲点になっているはずだ」


相馬も資料を手にし、補足する。

「ここを確認すれば、侵入経路が見えてくるかもしれませんね」


二人は慎重に搬入口周辺を調査し始める。

密室の不可解な異常——それを解明するため、玲と藤堂は現場に駆けつけ、初動捜査を開始した。


時間:午前八時

場所:美術館・特別展示室


玲は端末の画面を凝視し、空調と湿度制御のログを確認していた。


「……おかしい。深夜から未明にかけて、微細な温度変化が記録されている。誰も操作していないはずなのに」


藤堂は隣で眉をひそめる。

「つまり、第三の扉が開閉された形跡だな。センサーはごまかされている」


玲は冷静に指を画面に置き、解析を続ける。

「搬入口の盲点を利用して侵入者が入った可能性が高い。今、奴らはまだこの空間に潜んでいる」


その瞬間、展示室の影から不意に人物が飛び出した。

「来たな……」


玲は瞬時に身を低くし、反射的に手元の警棒を構える。

藤堂も端末を盾に、襲撃者の動きを封じようと前に出た。


廊下と展示室の狭間で、緊迫の攻防戦が始まる。

玲は冷静に影の動きを読み、空調や湿度制御の微妙な変化を頼りに侵入者を追跡する。


「第三の扉……奴らの隠れ場所は必ずここだ」


影が襲いかかる瞬間、玲は瞬時に回避し、藤堂と連携して反撃に出る。

一瞬の混戦の末、襲撃者は制圧され、展示室内は再び静寂に包まれた。


玲は荒い呼吸を整え、端末のログを再度確認する。

「侵入経路は確定した。第三の扉を使った密室トリックは完全に暴けた」


藤堂も深く息をつき、肩越しに展示室を見回す。

「……しかし、この手口を誰が、何のために?」


密室の謎は解かれたが、新たな疑問と危険はまだ、影の奥に潜んでいる。


時間:午前九時

場所:美術館・特別展示室


玲は端末の画面を凝視し、冷静に解析を続ける。


「やはり……これは物理的な侵入ではない。環境制御システムがハッキングされ、一時的に第三の扉を操作された痕跡がある」


藤堂は眉をひそめ、ため息をつく。

「つまり、完全密室は崩されていたわけか。誰がこんなことを……」


玲は端末越しに連絡を入れる。

「凛、協力を頼む。制御システムのログと侵入の痕跡を解析してほしい」


ほどなくして、K部門の凛が現場に到着する。

「玲さん、ログ解析は任せてください。侵入経路と操作痕跡はすぐに特定できます」


玲は凛に資料を手渡しながら、低く、しかし確信に満ちた声で言った。

「この密室の謎を完全に解明する。犯人が何を狙ったのか、明らかにしなければならない」


凛は端末を操作し、システム内の異常信号を瞬時に抽出。

「ここです。第三の扉は午前二時頃、一瞬だけ開閉された形跡があります。制御ログは改ざんされていました」


藤堂が驚いた声を上げる。

「完全密室の罠……システムハッキングか。犯人は技術者か、もしくは内部の協力者だな」


玲は深く頷き、展示室内の第三の扉を指差す。

「これで物理的な侵入の可能性は消えた。犯人の狙いと手口を突き止める段階だ」


密室の真相——制御ハッキングによる一時的侵入。

玲と藤堂、そして凛の協力により、不可解な密室の秘密はついに明らかになった。


時間:午前九時十五分

場所:美術館・特別展示室


凛が端末を操作しながら解析結果を報告する。


「ログ解析の結果、この制御ハッキングに使われたコードは、外部からは知りえないものです。内部関係者しかアクセスできない設計になっています」


玲は額に手を当て、低くつぶやく。

「つまり、第三の扉を開けた犯人は、美術館内部に精通している人物……あるいは協力者がいたということか」


藤堂が言葉を継ぐ。

「単なるハッカーじゃない。内部事情に通じた者が操作した痕跡が明確に残っている」


玲は静かに展示室内を見回す。

「密室トリックの全貌が見えてきた。犯人の狙いと内部協力者の存在、この二つを押さえれば解決は目前だ」


凛は頷き、さらに詳細なシステム解析を続ける。

「制御ログを完全復元すれば、侵入の瞬間と扉操作のタイミング、関与した人物のアクセス権まで特定可能です」


玲は深く息をつき、冷静な眼差しを藤堂に向けた。

「よし、内部関係者の特定と証拠確保だ。これで密室の謎を完全に暴く」


■ 時間:午前九時三十分

場所:美術館・特別展示室


凛が端末を操作しながら、追加の解析結果を報告する。


「制御ハッキングによる第三の扉開閉のほかに、凶器は別室の清掃器具に偽装して遺棄されていました。現場に残された形跡はほとんどありません」


玲は眉をひそめ、ゆっくり頷く。

「なるほど……物理的証拠は巧妙に隠され、密室トリックと合わせて巧妙に演出されているわけだ」


凛は続ける。

「認証コードの使用記録はログ上で消去されていましたが、復元解析により正確な操作時間と使用者を特定しました」


藤堂が驚きを隠せず言葉を漏らす。

「消されたログを復元……凛、さすがだな」


玲は展示室内を冷静に観察し、赤外線センサーに視線を向ける。

「ちなみに、赤外線センサーは通常停止設定になっていて、侵入時の動きは記録されていなかった」


凛が頷く。

「ですから、映像やセンサーに頼らずに、システムログの復元と物理的手掛かりの組み合わせで追跡するしかありません」


玲は低くつぶやく。

「すべての手口が内部関係者の知識を前提にしている……これで密室の全貌は見えてきた。次は、内部協力者の特定と証拠回収だ」


密室トリック、偽装された凶器、消去されたログ——

すべてが複雑に絡み合い、玲たちは犯人の輪郭を着実に浮かび上がらせていた。


時間:午前十時

場所:美術館・特別展示室


玲は深く息をつき、展示室内に静かに歩み寄った。

端末の画面には、復元された制御ログと認証コードの使用履歴が映し出されている。


「完全な密室は、外からの侵入ではなく、内部の知識とシステムハッキングによって作られた幻影だった」


藤堂は端末を覗き込み、言葉を漏らす。

「内部関係者……全貌はほぼ明らかになったな」


玲は頷き、視線を展示室の扉に向ける。

「これで、この密室に隠された真実は暴かれた。あとは証拠を押さえ、事件の責任者を明らかにするだけだ」


薄暗い展示室に、玲の声が静かに響く。

密室の謎は解かれ、犯行の全貌は明らかになった——そして、静寂の中で、彼の言葉が事件を締めくくった。


「真実は、どんなに巧妙に隠されても、必ず光を浴びるものだ」


展示室の静寂が、確かな終息の予感で満たされた。


時間:午前九時四十五分

場所:美術館・特別展示室


玲は展示室中央に立ち、空調制御盤の前で立ち止まった。

グラフ化された記録を指でなぞり、低くつぶやく。


「……この時間帯だけ、気圧がわずかに変動している。展示室は完全密閉設計だ。通常なら、こんな変動は起こらない」


藤堂が覗き込み、首をかしげる。

「気圧? つまり、空調の異常か?」


玲は目を細めて首を横に振る。

「違う。空調が不自然に作動した痕跡はない。むしろ“制御された動き”だ。短時間だけ湿度が下がり、気圧が変化している」


凛が端末を操作し、解析を進める。

「確かに……この変動は、第三の扉が開閉された瞬間と一致しています」


玲は深く息を吐き、確信を込めて言った。

「犯人は空調と湿度制御のわずかな挙動を利用して、侵入痕跡を隠した。だが、この異常気圧変動が“第三の扉”の存在を暴いた」


藤堂は驚き混じりに笑う。

「密室を崩したのは、たった数ミリの気圧の揺らぎ……か」


玲は淡々と付け加えた。

「完全密室は存在しない。人の仕組んだものなら、必ず綻びがある」


異常気圧変動——

それは、玲が密室の幻影を見破る決定的な手掛かりとなった。


時間:午前九時五十分

場所:美術館・特別展示室


玲は歩を止め、展示室の中央付近にしゃがみこんだ。

彼の視線の先には、床に埋め込まれた小さな通風口がある。普段なら誰も気に留めない備品。だが、玲の目はそこに留まった。


「……ここだ」


藤堂が近寄り、眉をひそめる。

「ただの通風口だろ? 何を見ている?」


玲は指先で金属格子を軽く押し、かすかに傾いた隙間を示した。

「通常の固定ネジじゃない。交換された形跡がある。それに、この床下の通風口は本来、空調システムの調整用で職員すら滅多に触れないはずだ」


凛が端末を操作し、センサーの記録を表示する。

「……なるほど。この通風口の下、気圧変動のピークと同じタイミングで“開閉信号”が検出されています。外部ネットワークには記録が残っていません。つまり、ログは改竄されていた」


玲は低く結論を告げる。

「第三の扉は、ここを経由して開かれていた。展示室は“完全な密室”ではなく、床下に隠された侵入口が存在していたんだ」


藤堂は通風口を見つめ、思わずため息を漏らす。

「……こんな細工を仕掛けられるのは、内部の構造を知り尽くした人間だけだな」


玲は静かにうなずいた。

「だからこそ、これは“裏切り”の密室なんだ」


時間:午前十時十五分

場所:美術館・監視室


モニターに映し出されたのは、展示室外周を映す複数の防犯カメラ映像だった。

担当警備員が震える声で言う。

「……ご覧の通り、午前三時以降、このフロアには誰も入っていません。出入口はすべて無人のままです」


藤堂が眉をひそめ、映像を早送りしていく。

確かに、誰一人として通路に姿を見せていない。

「おかしいな……。じゃあ、どうやって侵入したんだ?」


玲は腕を組み、再生を止めるよう指示した。画面上に、一瞬だけ走る「影」のような揺らぎ。

「ここだ。時間は午前二時四十二分。映像が一秒だけ飛んでいる」


凛が端末に接続し、解析を進める。

「……補正データをかけます」


次の瞬間、映像の乱れの奥から、人影のシルエットが浮かび上がった。

黒い作業着を着た人物が、工具箱のようなものを押して通路を進む。そして、展示室には向かわず、壁際の“何もない場所”で立ち止まる。


藤堂が目を見開いた。

「まさか……そこは、通風口の真上だ」


玲は静かに頷いた。

「通路を歩いても異常は出ない。カメラも人の侵入を記録しない。だが——床下からなら別だ。あの人物は通風口を経由して内部に入り、密室を成立させた」


モニター室に重苦しい沈黙が落ちた。

藤堂は息を吐き、皮肉を込めて笑った。

「……完璧な防犯体制だって? 笑わせる。盲点だらけじゃないか」


玲はただ冷ややかに言い切った。

「——いや。盲点を作ったのは、人だ」


時間:午前十一時五分

場所:美術館・監視室


藤堂は工具箱から細いドライバーを取り出し、壁際の監視カメラを分解した。

金属の軋む音が小さく響き、やがて取り外された基板が机に置かれる。


「見ろ」


彼が指差したのは、焦げ跡の残る小さなCMOSチップだった。焼け焦げた部分は黒く変色し、表面の一部が崩れている。


「……故障じゃないな」玲は覗き込みながら言う。

「内部から高電圧を流し、意図的に破壊されている。しかも映像が途切れた時間と一致している」


凛が端末を叩き、映像補完データを解析していた。

やがて小さく息を呑み、モニターに再構成された輪郭を映し出す。

「……顔までは鮮明じゃないけど、歩き方と体格の解析は可能よ」


画面には、黒い作業着の人物の姿勢が抽出され、アルゴリズムで照合が進む。

数秒後、凛が結果を示した。

「一致率87%。——美術館の清掃スタッフ、登録名は《佐伯達也》」


藤堂が舌打ちする。

「内部関係者か……。それも清掃員。工具箱を押していても不自然じゃない。監視網をくぐるのに最適なカモフラージュだ」


玲は低く呟いた。

「……いや、彼ひとりの犯行じゃない。センサー停止やログ消去は、システムに精通した者の介入がなければ成立しない」


モニターに映るのは、通風口の前で立ち止まり、姿を消す佐伯の背中。

その無言のシルエットを見つめながら、玲の瞳は鋭さを増していった。


「——裏に、もう一人いる」


時間:午後一時三十分

場所:警視庁・第一取調室


蛍光灯の白い光が、無機質な取調室を淡く照らしていた。

中央の机を挟んで、うつむく佐伯達也が座っている。制服姿ではなく、私服のジャケットだが、その袖口は微かに汚れていた。


椅子に腰を下ろした玲は、資料のファイルを開き、静かに切り出した。


「……監視カメラが破壊されたのは、午前二時四十分前後。ちょうどあなたの清掃ルートと重なる時間だ」


佐伯の肩がわずかに揺れる。だが口を開かない。

藤堂が横から問いかける。


「勤務記録では、その時間、あなたは倉庫階にいたことになっている。だが……ログの改ざん痕が見つかってるんだよ」


沈黙。時計の針の音だけが響く。


玲はファイルから一枚の写真を取り出し、机に置いた。

それは通風口前で立ち止まり、暗い影の中へ消えていく佐伯の背中だった。


「言い逃れは難しい。けれど——私が知りたいのは、なぜだ」


玲の声は低く、しかし鋭い。


「君が持っていた清掃用具の中に、犯行に使われた凶器が偽装されていた。……仕込んだのは誰だ? 単独でここまで仕組めるはずがない」


佐伯は顔を上げ、疲れ切った目を玲に向けた。

唇がかすかに動き、掠れた声が漏れる。


「……俺は……命令されたんだ。拒めば、家族に危害が及ぶって……」


藤堂が息を呑み、椅子の背にもたれた。

玲は一瞬だけ目を細めると、静かにファイルを閉じた。


「やはり……背後に『指示役』がいるな」


玲の言葉が、取調室の空気をさらに重くした。


時間:午後八時

場所:都内近代美術館・特別展示室


展示室の照明は半分だけ落とされ、静寂の中に残された空間は異様な重みをまとっていた。

玲は展示台の前に立ち、暗がりの奥を見つめていた。


彼の視線は、通風口、赤外線センサーの配置、そして破壊された監視カメラの死角へと巡っていく。

足音ひとつ立てず、ゆっくりと歩きながら呟いた。


「佐伯は実行役にすぎない。あの男には、センサーを一時的に無効化する技術も、カメラの基板を焼き切る知識もない……」


藤堂がそばで腕を組む。

「じゃあ、誰が背後に?」


玲は立ち止まり、壁際に視線を投げた。そこには設備制御室へと通じる隠された通路の扉がある。

彼の声は低く、確信に満ちていた。


「——展示室の制御コードを書き換えられるのは、限られた人物だけだ。設計図を熟知し、館内のシステムに自由に出入りできる立場……」


一瞬の間を置いて、玲の目が細く光る。


「黒幕は、学芸員の一人。展示運営責任者・村瀬悠一だ」


藤堂が顔をしかめる。

「……あの穏やかそうな男が?」


玲は小さく首を振り、展示台に残された微かな擦過痕に触れた。


「彼は表向き穏やかだが、誰よりも展示物に触れ、システムに命令を与える権限を持っている。そして、赤外線センサーを“通常停止”に設定できたのも彼だ。すべて辻褄が合う」


藤堂は息を呑み、玲の言葉を反芻した。

暗闇の中、玲の声だけが静かに響いた。


「佐伯を使い捨てにし、影から命令を下していたのは——村瀬悠一。密室を作り出した真の黒幕だ」


時間:午後九時二十分

場所:都内近代美術館・学芸員室


机の上には、解析班から届いた報告書と、復元されたUSBドライブ。

藤堂が封を切り、内容を読み上げた。


「……量子暗号化チップに“二重階層の鍵”が仕込まれていた。しかも一つは展示室の制御システムと連動している。外部の技術者じゃ扱えない仕組みだ。つまり——」


玲は椅子を引き、静かに立ち上がった。

「館内システムに精通した者の犯行、ということだ」


その瞬間、学芸員室の扉が開き、村瀬悠一が入ってきた。白衣を羽織り、書類を抱えた姿はいつもと変わらない。だが、玲の視線が突き刺さる。


「村瀬さん。少し話を」


村瀬は眉をひそめる。

「……何でしょうか、こんな時間に」


藤堂がUSBを机に置き、低い声で言った。

「このドライブ、あなたが使っていたものだな。解析の結果、展示室の制御コードと同一の暗号化構造が見つかった。偶然とは言えない」


村瀬の手が書類の端で止まる。


玲は一歩踏み出し、声を落とした。

「あなたは展示物を守る立場でありながら、その権限を利用して密室を作り上げた。佐伯を操ったのはあなただろう」


村瀬の目が揺れる。

「……証拠は? そんなもの、推測に過ぎない」


玲は机に復元ログを叩きつけた。

「赤外線センサー停止記録、制御系統の異常ログ、そして量子暗号チップ。すべてが、あなただけが触れ得る領域で発生している」


藤堂が続ける。

「佐伯は実行役にすぎない。だが、あの密室を成立させたのは、あんただけだ」


村瀬の肩がわずかに震えた。

沈黙ののち、彼は椅子に崩れ落ちるように腰を下ろした。


「……守ろうとしたんだ。美術館を……そしてあの記録を……」


玲は目を細め、冷静に言葉を返した。

「真実を隠すことは、守ることにはならない」


学芸員室の時計が、午後九時半を告げる鐘を打った。


時間:午後九時三十五分

場所:都内近代美術館・学芸員室


藤堂が机の上のUSBドライブを掌に転がし、慎重に蓋を開ける。凛が掛かりつけの解析端末に差し込み、薄暗い画面に次々とファイル名が現れる。


画面に映るのは美術館の“設計図”とも言えるファイル群だった。空調ダクトの配管図、展示室ごとの電源管理、入退室の認証階層、監視カメラの配置とバックアップシークエンス。藤堂が指先で一つをなぞる。


「ここに、制御系を丸ごと動かせるスクリプトがある――端末からの単発操作でなく、施設全体の状態を再構成し、バックアップから元へ巻き戻すことまで可能なスクリプトだ」


凛が淡々と説明を続ける。

「しかも、単なる自動化ではない。異常検知やログ整合ルーチンまで書かれている。通常の管理者権限を超えた“オーケストレーション”が組み込まれているわね」


そして別のファイルを開くと、量子暗号化チップのファームが読み出された。凛の指が急に速くなる。


「これが厄介だ。量子暗号チップが、QKD(量子鍵配送)を用いて通信の成立と鍵交換を行っている。通常のログ監視や中間者検出は、これが有効だと機能を失う。つまり、このチップを介せば“内部システムに存在を悟られずに接続する”特権的な経路が生成される」


藤堂が顔を引き締める。

「要するに――USBに入っていたスクリプトで施設の挙動をまとめて制御し、量子チップでその通信を秘匿していた。外部から見れば何も異常がない。だが内部では、誰かがいつでも“幻の操作”を差し込める」


玲は窓の外の闇を見据え、ゆっくりと語った。

「犯行は物理と論理の両面から仕組まれていた。物理的な偽装(清掃器具や通風口経由)と、論理的な隠蔽(スクリプトと量子回路)。二つが合わさって“完全密室”の幻想を作り上げたんだ」


学芸員室に、解析の確証だけが冷たく光った。机上のUSBと小さな暗号チップが、静かに事件の鍵を示している。


時間:午後十時二十二分

場所:都内近代美術館・地下管理室


蛍光灯の白が冷たく村瀬の横顔を照らす。玲の目が細められ、空気が張り詰めた。


「……村瀬。あのUSBとチップ、内部者でなければ触れない領域だ。お前しか辿り着けない」


沈黙。村瀬は膝の上で指を絡め、口を閉ざしたまま視線を床に落とした。藤堂が苛立ちを隠さず声を荒げる。


「なぜだ? 何のためにこんな真似をした! 密室を作り上げ、人の命まで奪って……」


村瀬の肩が小さく震え、押し殺した声がこぼれる。

「……守りたかったんだ。俺はただ、真実を……」


そこで言葉が途切れる。彼の目に宿った光は、告白の直前の揺らぎか、それとも最後の逃亡を決意した者の影か。


玲は一歩踏み出し、静かに言った。

「動機を口にするか、逃げて全てを失うか――選べ」


室内の空気が一瞬、凍りつく。


時間:午後十時三十五分

場所:都内近代美術館・地下管理室


玲は部屋の窓から、街の灯りを見つめた。ビル群の明かりはまるで無数の瞳のように、真実を暴き立てているかのようだった。


「……村瀬、お前が隠してきたものは、この街が全部見ている。」


彼の声は低く、しかし確信を帯びていた。


背後で藤堂が腕を組み、無言の圧を加える。机の前に座る村瀬は額に汗を浮かべ、呼吸を乱している。


「俺は……」と、村瀬の声が震える。

「告白するべきなのか、それとも……逃げ出すべきなのか」


窓の外で、車のクラクションが夜に響いた。まるで決断を迫る合図のように。


玲は振り返らず、街明かりを見据えたまま言う。

「どちらにしても――このおりからは逃れられない。」


沈黙が室内を支配する。村瀬が動機を語るか、最後の逃亡に踏み切るか、その一瞬にすべてが懸かっていた。


時間:午後十時四十五分

場所:都内近代美術館・地下管理室


玲の指先が、資料と端末の上を滑る。USBドライブの中身を慎重に確認し、量子暗号チップの解析結果を指でなぞる。


「……このまま黙っては済まない。全てのシステム履歴と、影に潜む黒幕の動きを洗い出す」


藤堂が背後で軽く息をつき、声を落とした。

「俺たちが次に動けば、逃げ道は残らない。村瀬も、もう言い逃れはできないだろう」


玲は画面のログを一行ずつチェックし、指先で重要箇所を印す。

「まずは施設の制御履歴と、通風口経由の侵入経路を突き止める。そして、量子暗号経路の使用タイミングと、佐伯の行動を突き合わせる」


藤堂が頷く。

「……つまり、逃亡を許さず、全ての証拠を押さえるわけだな」


玲は窓の外、街明かりを再び見つめ、拳を軽く握る。

「……ああ。これが最後の局面だ」


机上のUSBと暗号チップが、事件の最終決着へと彼らを導く。

時間:午後十時五十分

場所:都内近代美術館・地下管理室


村瀬は深く息を吸い込み、震える声で語り始めた。


「……俺は、美術館とこの展示を守りたかっただけなんだ」


玲は椅子に腰かけ、静かに聞き入る。


「蓮見昴の作品、そしてそれにまつわる記録……あれが世に出れば、展示物の価値も、館の信頼も、すべて失われる。俺はそれを阻止するために、密室を作り、行動を制御した。佐伯には罪を背負わせたが、命までは奪うつもりはなかった」


藤堂が腕を組み、鋭い視線で村瀬を見つめる。

「言い訳にしてはやり方が極端だ。君一人で背負うべき責任じゃない」


村瀬は俯き、静かに続ける。

「……誰も俺の言うことを聞いてくれなかった。理屈を並べても、上層部は利益ばかり気にした。俺は最後の手段として、自分の権限を使い、展示と館を守ろうとしたんだ」


玲の目が細められ、言葉が低く響く。

「……守るために密室を作った。その結果、人を傷つけ、事件を起こした。守るとは、そういうことではない」


村瀬は肩を落とし、机に額を伏せる。

静寂の中、地下管理室の蛍光灯だけが、告白の重みを照らしていた。

時間:午後十一時三十分

場所:都内近代美術館・特別展示室


玲と藤堂は解析班の報告書と復元済みのUSBドライブを並べ、最後の確認を行った。量子暗号チップのログ、センサー停止記録、通風口経由の侵入経路。すべての証拠が、村瀬悠一の犯行を示していた。


玲は深く息をつき、静かに宣言する。

「これで、密室の謎は全て解けた。証拠は揃った」


藤堂が頷き、館内に設置された広報用端末を操作する。

「外部への報告も、これで完了する」


間もなく、美術館の関係者と警察に向け、事件の全貌がまとめられた報告書と証拠データが正式に提出された。USBドライブに保存されたシステム情報も、解析班の監督下で安全にバックアップされ、外部改ざんの恐れは完全に排除された。


村瀬は手錠をかけられ、警察に引き渡される直前に小さく呟く。

「……俺は、守ろうとしただけなのに」


玲は静かに振り返り、窓の外の街明かりを見つめる。

「守るとは、犠牲を正当化することではない。全ての責任は、自分で背負わなければならない」


藤堂が軽く肩を叩く。

「……さて、俺たちの仕事もひとまず終わりだな」


展示室の明かりはゆっくりと消え、夜の静寂が戻る。

完全密室で起きた異常は解明され、犯人は捕らえられた。社会的波紋も、情報公開によって透明性が確保された。


玲は机の上に残されたUSBを見つめ、指先で軽く撫でる。

「終わった……これで、全てが明るみに出る」


夜風が美術館の窓を揺らし、冷たい空気の中に、事件の終焉を告げる静けさが漂った。

時間:午後十一時五十五分

場所:都内近代美術館・特別展示室


館内の警備員が最後の巡回を終え、展示室の扉を静かに施錠する。

長かった夜が、ついに終わろうとしていた。


玲は机の上に並んだUSBドライブと解析報告書を見つめ、深く息をつく。

「……全て明らかになった。密室も、犯人も、動機も」


藤堂は肩をすくめ、微かに笑った。

「この街は、今日も眠らない。でも、少なくとも俺たちは一晩の嵐を終えたってことか」


村瀬は警察に引き渡され、地下管理室には静寂だけが残る。

赤外線センサーも、量子暗号チップも、今はただ無言で過去の記録を示すだけだった。


玲は最後に窓の外、街の灯りを見渡す。

夜空に瞬く光は、まるで全ての真実を受け入れるかのように静かに輝いていた。


「これで、事件は終わった……」


その声が、密室を、館を、そして長い夜を包み込み、事件の終焉を告げた。


玲の後日談


時間:午後三時

場所:神崎探偵事務所


玲はデスクに向かい、事件の資料と証拠を整理していた。

分厚いファイルには、美術館の環境制御ログ、復元された監視映像の静止画、そして村瀬が残した供述調書の写しが一枚ずつ丁寧に収められていく。


蛍光灯の白い光に照らされた書類の束を前に、玲は小さく息を吐いた。

「密室を崩したのは技術じゃない……人間の欲望と焦りだ」


窓の外では午後の陽射しが街を金色に染め、喧騒が遠くから響いていた。

玲は最後のページを閉じ、デスクの端に置かれた黒のロングコートに視線を移す。


「次は、どんな影が待っている……?」


そう呟いた声は、紙の擦れる音とともに静かに事務所の奥に消えていった。


藤堂の後日談


時間:午前十時

場所:都内・藤堂の自宅アパート


端末を閉じ、珈琲を淹れながら微かに笑む。

スクリーンに映っていたのは、ネットニュースの見出し――

《美術館密室事件、黒幕逮捕。村瀬の動機と手口が解明》


湯気の立つマグカップを片手に、藤堂はゆっくりとソファに腰を下ろす。

「記事の体裁は整ったな。あとは世間がどう受け止めるか……か」


新聞記者としての顔と、玲と共に歩いた探偵の補佐としての顔。

どちらの自分も、この事件を通じて少しだけ研ぎ澄まされた気がした。


窓辺から差し込む柔らかな朝日を見つめながら、藤堂は口元に笑みを浮かべる。

「……次も、面白い記事を一緒に書かせてもらうさ」


静かな部屋に、珈琲の香りと軽やかな独白だけが満ちていた。


村瀬悠一の後日談


時間:午後六時

場所:警視庁・取調室


手錠は外されていないが、村瀬は机に向かい、黙々と供述調書にサインをする。

蛍光灯の白い光が、彼の顔を無表情に照らしていた。


ペン先が紙を滑る音だけが、狭い部屋に響く。

彼の視線は調書の文字を追っているようで、しかしその奥にあるのは、失われた理想と計算違いだった未来の影だった。


「……これで、いいんだろう」

低く吐き出すような声に、傍らの刑事がうなずく。


供述の端々から浮かび上がるのは、権力と金に翻弄されたひとりの技術者の末路。

量子暗号を操った天才も、いまはただの被疑者として、椅子に腰かけるしかなかった。


村瀬は最後にペンを置き、わずかに手錠の鎖を鳴らした。

その音が、彼にとっての終焉の鐘のように響いていた。


学芸員・佐伯の後日談


時間:午前十一時

場所:美術館・会議室


佐伯と警備員は、事件後の内部調査に参加し、セキュリティ強化のための会議を重ねていた。

テーブルの上には新しい設計図や警備システムの提案資料が広がり、白板には「再発防止」「監視強化」「内部監査」の文字が並んでいる。


「……もう二度と、同じことは繰り返せません」

佐伯の声は硬かった。

事件当夜、展示室に足を踏み入れた瞬間に感じた背筋を這うような冷気――あの記憶が、彼を今も縛っていた。


隣に座る警備員が頷く。

「システムだけに頼るんじゃなく、俺たち自身ももっと目を光らせないと、な」


会議室に集まった職員たちは静かにうなずいた。

紙をめくる音、シャープペンの走る音、そのすべてが「責任」の重さを刻んでいるようだった。


佐伯はふと、窓の外に目をやる。

朝の光が差し込む都心の街並みは穏やかで、事件の夜が夢だったかのように思えた。

だが彼の胸の奥では、ガラスの檻に横たわる“眠れぬ遺体”が、永遠に静かに語り続けていた。


社会的波紋


時間:午後八時

場所:都内テレビ局・ニューススタジオ


事件は大々的に報道され、密室殺人の真相と内部犯行の経緯が明らかになった。

キャスターの落ち着いた声がスタジオに響く。


「続いてのニュースです。先日、都内有数の近代美術館で発生した殺人事件について、警察は元システム技術顧問の村瀬悠一容疑者を逮捕、送検しました。村瀬容疑者は、美術館の環境制御システムに不正に侵入し、密閉された展示室に“第三の扉”を作り出すことで、いわゆる“完全密室”を成立させたとされています」


画面には、美術館外観、押収されたUSBと量子暗号チップ、そして村瀬の後ろ姿が映し出される。

続けてキャスターは表情を引き締め、言葉を続けた。


「今回の事件は、美術館のセキュリティ体制への信頼を大きく揺るがせただけでなく、量子暗号技術が犯罪に悪用された初のケースとしても注目を集めています。文化庁は再発防止策を検討するとともに、全国の美術館・博物館に対して緊急点検を要請しました」


街頭のモニター前では、多くの人々が足を止め、画面を見上げている。

「やっぱり内部犯行だったのか……」「あんなに厳重なところでも破られるんだな」

ざわめきとため息が交錯する。


その波紋は文化界を超え、社会全体へと広がりつつあった。

時間:午後十一時

場所:神崎探偵事務所・窓際


夜の静けさに包まれた事務所の一室。

机の上にはまだ整理しきれない事件の資料が山積みになり、蛍光灯の白い光がその端を照らしていた。


玲は窓際に立ち、夜景を見下ろしていた。

遠くに瞬く街の灯りが、彼の瞳に淡く映り込む。


「密室ってやつは、結局、人が作り出すものだな」

低い声が室内に溶けていく。


手にしていた書類をそっと机に置き、彼は続けた。


「どれだけ厳重に鍵を掛けても、抜け道を用意するのも、利用するのも、人間だ。……そして、その裏に潜む欲望や恐怖は、いつだって“密室”より深く閉ざされている」


言葉を終えると、玲は黒のロングコートを羽織り、襟を軽く立てた。

歩き出すその足取りは重くはなかった。


背後の静まり返った事務所には、時計の針の音だけが確かに響いていた。


玲の瞳には、次なる事件の影がすでに映っていた。


時間:午後十一時二十分

場所:神崎探偵事務所


重い扉が軋む音を立てて開いた。

藤堂が現れ、コートの襟を直しながら、にやりと笑う。


「おい玲、夜景に黄昏れてる暇があったら、机の上の遺跡を発掘してやれよ。次は考古学探偵にでも転職するつもりか?」


窓辺に立っていた玲は振り返り、わずかに肩をすくめた。

「……相変わらず騒がしいな」


藤堂は机に腰を掛け、缶コーヒーを差し出した。

「騒がしい方が事件は転がり込んでくるんだよ。……なあ、夜食にラーメンでも行くか? 探偵と記者が肩並べて深夜ラーメンってのも、案外悪くないだろ」


玲は缶を受け取り、静かにプルタブを引いた。

微かな炭酸の音が、夜の事務所に小さく響く。


「……お前が奢るなら、考えてやる」


その言葉に、藤堂は声を上げて笑った。

二人の笑い声は、事件の余韻を和らげ、時計の針が新しい一日を刻む音と共に、静かな夜へと溶けていった。

時間:午前十時

場所:神崎探偵事務所・玲のデスク


玲の手元の端末が軽く音を立て、未読メールの通知が表示された。

差出人は「佐伯和人」。件名は短く――


件名:御礼とご報告


玲はスクロールして本文を読む。


玲様


先日の事件では、多大なるご尽力をいただき誠にありがとうございました。

おかげさまで、美術館は安全を取り戻し、展示物の管理体制も大幅に見直されました。

今後は、今回の教訓を生かし、再発防止に努めてまいります。


また、何かお気づきの点や助言がございましたら、遠慮なくお知らせください。


佐伯和人


玲はメールを読み終えると、静かに頷いた。

「……学芸員として、ようやく胸を撫で下ろせる日が来たか」


端末を閉じ、窓の外の光を見つめる彼の瞳には、まだ街の雑踏が小さく揺れて映っていた。

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