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39話 スピンオフー玲の涙ー

登場人物紹介(玲の涙シーン)

れい

影班零式の元司令。冷徹で孤独な暗殺者だったが、仲間や家族との再会で初めて心を解き放ち、涙を流す。

安斎柾貴あんざい まさき

影班のメンバー。玲を抱きしめ、心の重荷を解放するきっかけを与えた。仲間思いで冷静。

•佐々木朱音あかね

玲探偵事務所の娘。無垢で優しい性格。玲に寄り添い、温かさで心を癒す。

沙耶さや

チームの感情的支柱。玲を静かに抱き、涙を受け止める。仲間からは「玲のママ」と呼ばれる存在。

成瀬由宇なるせ ゆう

影班のメンバー。冷静だが仲間への感謝を素直に示す。玲に対する信頼が厚い。

桐野詩乃きりの しの

影班のメンバー。普段は毒舌だが、心からの感謝と優しさを玲に示す。

柊啓一ひいらぎ けいいち

柊コウキの父親。過去を乗り越えた強さと優しさで、玲の存在を肯定する。

•川崎ユウタ(かわさき ゆうた)

記憶の証人。玲の真実と再会を見届けた重要人物。

•橘奈々(たちばな なな)

玲の恋人。無言でキスをして愛情を示す。玲の涙に安心感を与える。

時間:深夜/場所:都内下町の狭い路地


深夜の風が、路地を抜けるたびに微かに人影の肩を撫でる。湿ったアスファルトに、月明かりが淡く反射していた。


「……気配が消えすぎている」


詩乃が低く呟く。その声は風にかき消されそうなほど細かったが、仲間たちの神経を張りつめさせるには十分だった。


成瀬はわずかに頷き、暗がりの先を見据える。

「情報通りだ。だが、ここまで静かだと逆に怪しい。」


安斎は無言で拳を握り締め、呼吸を整える。

「──油断は禁物だな。」


三人の間に、言葉よりも濃密な緊張が漂う。


路地の奥には、影がゆらりと揺れる。形ははっきりしないが、ただの影ではないことを誰もが直感する。


詩乃が小さく吐き出す。

「──予定通りの潜入。ただし、出口がある保証はない。」


成瀬は軽く肩を震わせ、影の先へ歩を進めた。

安斎も続き、三人は静寂に包まれた路地の奥へと溶け込んでいった。


時間:深夜/場所:都内下町の路地


深夜の風が、まるで誰かの囁きのように背後を撫でる。湿ったアスファルトを踏む足音が、微かに反響した。


「……気配が消えすぎている」


詩乃が低く呟き、目を細めて闇を見つめる。


成瀬は軽く頷き、路地の奥を警戒する。

「ここまで静かだと、逆に怪しいな」


安斎は無言で拳を握り締め、周囲の気配を探る。


路地の奥、影はただの影ではない。冷たい空気の中、静寂が不吉な予兆へと変わる。


「予定通り潜入。ただし、出口があるとは限らない」

詩乃の声に、三人は互いの視線を交わす。


静寂の中、三人は息を潜めて前へと進み始めた。


時間:深夜/場所:都内下町の路地


詩乃は手首の端末をそっと操作した。

小型のスクリーンに映し出されるのは、建物内部の熱源と動線の簡易マップ。


「ここから先、警備は二重になっている」

詩乃は低く報告する。指先が端末上で細かく動くたび、数値と赤い警告マークが交互に点滅する。


成瀬は肩越しに画面を覗き込み、囁いた。

「俺たちの動き、完全にバレてる可能性もあるな」


安斎は無言で拳を緩めず、わずかに頷いた。


詩乃は目を端末に向けたまま、再び小声で確認する。

「……よし、これで侵入経路が決まった。動線を押さえながら進む」


三人は互いに頷き、闇に溶け込むように足を踏み出した。


時間:深夜/場所:都内下町、ビル裏手の排気口


ビルの裏手に到着した三人。

詩乃が排気口の蓋を静かに持ち上げると、内部から湿った空気とともに真っ黒な闇が口を開けていた。


「……ここが、入り口か」成瀬が低く呟く。

安斎は視線を鋭くし、両手の指先にわずかな力を込める。


詩乃は端末を再確認しながら、小さく息を吐く。

「センサーは外してある。だが、中がどうなっているかはわからない」


成瀬が蓋の縁に片手をかけ、深呼吸を一つ。

「行くぞ。無事に通過できるとは限らない」


暗闇に包まれた排気口が、三人を静かに飲み込もうとしていた。


 時間:深夜/場所:港湾地区、老朽化した倉庫の鉄骨構造内


海からの潮風が腐食した鉄骨を撫で、かすかに軋む音が夜の闇に溶けていく。


詩乃は端末を確認しながら低く呟いた。

「鉄骨の腐食が進んでる……慎重に動かないと」


成瀬は周囲を見回し、影の奥まで視線を送る。

「気配が消えすぎている。何か……いる」


安斎は拳を握り直し、無言で前方を見据えた。

「わかっている。進むしかない」


風と軋みの中、三人は静かに鉄骨の間を進み、夜の闇に沈む倉庫の奥へと足を踏み入れた。


時間:午前2時13分/場所:区域C 廃工場外周


午前二時十三分。区域Cに位置する廃工場の外周で、影が三つ、静かに蠢いていた。


成瀬は低い声で囁く。

「予定通り……だな」


詩乃が手首の端末を確認し、微かに頷く。

「通路の監視カメラも無効化済み。侵入は可能」


安斎は拳を握り締め、闇の中に溶け込むように身を低くした。

「油断するな。ここから先は出口が保証されていない」


風が錆びた鉄骨を揺らし、軋む音が夜に溶けていく。三人は互いの動きを最小限の気配で確認しながら、廃工場の闇へと一歩ずつ踏み込んだ。


「……ここか。沈黙の商人の温床」


成瀬が低く呟き、廃工場の鉄扉を指で撫でた。

詩乃が端末を覗き込み、微かに眉を寄せる。

「この奥、データも物理的な警備も厳重。無駄な衝突は避ける」


安斎は静かに息を吐き、周囲の闇を鋭く見据える。

「逃げ道は常に意識して動け。侵入はあくまで潜入、排除ではない」


腐食した鉄骨に反射するわずかな月光が、廃工場内部の深い闇をほんの一瞬だけ照らす。

三人は互いの存在を最小限に意識しつつ、音を立てずに鉄扉の向こうへと足を踏み入れた。


 時間:午前2時16分/場所:区域C 廃工場 内部通路


桐野詩乃が低く囁いた。

「足音……気を抜くな」


長い黒髪をひとまとめに結い、暗色のマスクで顔を覆った彼女の紫色の瞳が、暗闇の中で鋭く光る。

成瀬由宇はわずかに頷き、影のように横をすり抜ける。


「監視カメラは数が少ないが、動体センサーは敏感だ。詩乃、ルートを頼む」

「了解……この先、二手に分かれる。接触が必要になったらすぐ合流」


安斎柾貴は拳を軽く握り、無言でその指示を受け止める。

腐食した鉄骨と埃にまみれた床、そして微かに漂う金属の匂いが、潜入チームの緊張をさらに高めた。


 もう一人、沈黙のまま周囲を見張っていた安斎柾貴が、わずかに鼻を鳴らした。

ダークグレーのロングコートが風に揺れ、その背に纏う威圧感だけが、静まり返った廃工場の空気を重く支配する。


桐野詩乃は短く息をつき、手元の端末で微かな動体センサーの反応を確認した。

「気を抜くな……小さな動きでも、すぐに気づく」


成瀬由宇は影のように彼女の横をすり抜け、暗がりの中で目を細める。

「この先で、沈黙の商人が待っている」


安斎は無言で頷き、わずかに身を屈めて周囲を警戒する。

腐食した鉄骨の軋む音が、夜の闇に溶けていく。


 成瀬由宇が影のように身を低くし、静かに指を二度鳴らす。

その音はかすかに響いただけだが、同時に桐野詩乃と安斎柾貴の神経を瞬時に鋭くさせた。


「合図だ。動くぞ」成瀬の低い声が、冷たい空気の中でほんのわずかに振動する。


詩乃は端末を手に握り直し、安斎は拳を固く握る。

廃工場の奥、闇の中で誰かが彼らの接近に気づかぬまま、静かに時間が刻まれていった。


時間:午前2時18分/場所:区域C 廃工場・通風ダクト入口


成瀬が低く指示を落とすと、その声は鉄壁に吸われるように静かに広がった。

「通風ダクトから侵入開始。二分以内に制御室、ドローンネットワークの遮断を。迎撃装置は三重構造だ。詩乃、熱反応と波長センサーの対策を。安斎、念波妨害装置を準備しておけ。」


詩乃は端末のディスプレイを一瞥し、淡々と応えた。

「了解。赤外線フィルタと波長アジャストを同時投入する。熱源ノイズを作ってセンサーを撹乱する。」


安斎はゆっくりとコートの内側に手を滑らせ、黒光りする小型デバイスを取り出す。無表情のまま、それを成瀬に一礼するように差し出した。

「念波妨害、準備完了。発動は君の合図で。」


鉄骨の冷たさが指先に伝わる中、成瀬は短く頷いた。

「時間はない。風の流れに合わせて進め。音は立てるな。二分で入って一分で出る。手順は確認済みだ——ゆっくり確実に。」


三人は通風ダクトの蓋に慎重に手をかける。詩乃が小さなライトを覆い、暗がりの中で目立たぬようにする。金属の蓋がわずかに軋み、隙間から冷気が流れ込む。外の潮風と倉庫内部の停滞した空気が交じり合い、耳元でかすかなハム音が聞こえた。


成瀬が指先で二度目の合図を送り、安斎が指先で妨害装置の最終スイッチを押す。機器はほとんど音を立てず、だが確かに送信を開始した——周波数の薄い波が空間に溶け込み、外部のセンサー群を微かに乱した。


「センサー、反応鈍化。詩乃、今だ。」成瀬の声は冷静だが緊迫している。


詩乃は小さく息を吐き、手元のパネルをスワイプしてノイズジェネレータを起動する。赤外線の閾値が瞬間的にズレ、監視カメラと熱検知器の視界が一瞬だけ“溶ける”。通路の向こう、制御室の扉付近でかすかな電子音が歪んだ。


成瀬がハッチを蹴り開き、まずは一人目が中へ滑り込む。次に詩乃、最後に安斎が続く。三人の身体はダクトの狭い空間に収まり、金属の冷たさが背中を撫でる。ヘッドセットの微かなノイズを通して、外部の影班と通信がつながっている——残り時間を告げるカウントが囁くように耳元を通り過ぎた。


「二分一五秒。行くぞ。」


三人は体を縮め、闇に溶けるように進み始めた。通風ダクトの内部は狭く、息遣いだけが規則正しく反響する。外の世界で何が動こうとも、ここでは時間だけが彼らの味方でもあり、敵でもあった。


 時間:午前2時20分/場所:区域C 廃工場・通風ダクト内


通風ダクトの中は、鉄の匂いと微かに湿った油の気配で満ちていた。


三人は互いの呼吸を意識しながら、体を縮めて慎重に進む。金属が擦れる音、靴底がわずかに触れる振動——そのすべてを押さえ込み、息を殺す。


成瀬が低く囁く。

「音を立てるな。周囲に微かな気配も残すな。センサーはまだ完全には撹乱されていない。」


詩乃はライトを手で覆い、赤外線の反応を最小限に抑える。

「了解。微弱光で進む。熱源ノイズを同時に作動中。」


安斎は背中の妨害装置を微調整し、念波の拡散範囲を制御する。

「外の波形を読みながら進む。センサーの死角を維持する。」


鉄の壁に手を沿わせ、三人は音を立てずに闇の中を滑るように進む。通路の奥からは、かすかに金属音と電子音が混ざった警告信号が届くが、それも妨害波でわずかに遅延している。


成瀬が小さくうなずく。

「よし、このまま制御室まで進む。二分以内に遮断を完了する。」


通風ダクトの中、鉄の冷たさと油の匂いだけが三人の存在を伝える。音は一切、外に漏れない。完全な静寂の中で、影班は確実に標的へと近づいていた。


 時間:午前2時23分/場所:区域C 廃工場・通風ダクト内


成瀬は指を二本立て、無言で次の指示を示す。赤く反射する瞳が狭いダクト内で光った。


詩乃が軽く頷き、安斎も静かに拳を握り直す。息を整え、金属の壁に沿って身を低くしながら進む。


成瀬が再び指を動かす。三本の指を掲げ、視線で合図する。

「3、2、1──」


瞬間、ダクト下に敷設された微細なセンサー群を避けるため、三人は微妙に体をひねり、音を立てずに一気に制御室前の通路まで滑り出す。


詩乃が静かに声を漏らす。

「センサー、完全に死角に入った。熱反応も読めない。」


安斎は背中の妨害装置をわずかに動かし、周囲の電子波を微調整する。

「念波干渉も最適化。迎撃装置はこれで機能停止に近い。」


成瀬は短くうなずき、息を押し殺したまま通路の先を見据える。

「よし、次は制御室だ。無駄な動きは許されない。」


鉄の壁と微かな油の匂いだけが、三人の緊張を映す。静寂の中、影班は音もなく、確実に次の行動へ移った。


 時間:午前2時23分/場所:区域C 廃工場・制御室前通路


成瀬は左手に仕込んだ短剣をゆっくりと引き抜いた。刃が鞘を離れると、微かな金属音が指先を伝ったが、彼はそれを息と合わせて完全に吸収するように指を曲げ、音を殺した。短剣の刃先は暗闇に淡く反射し、冷たい光帯が一瞬だけ浮かんだ。


詩乃は肩越しに通路の角を覗き、低く囁く。

「迎撃はまだ起動している可能性がある。視界に入るまで油断をするな。」


安斎は無言で短波の妨害装置の出力を微調整し、手元の小さな表示が緑に変わるのを確かめた。機材の振動はほとんど感じられないが、その作用は確実に外側の監視網を鈍らせている。


成瀬は短剣を柄に寄せ、足を滑らせるように前へ進む。彼の動きは無駄がなく、狭い通路を刃先と同じく静かに切り裂いていく。角を回る直前、彼は小さく口元で数字を数え、詩乃と安斎に目で指示を送った。


三歩、二歩、一歩──

成瀬が角を曲がると同時に、詩乃が左手でドアの縁に触れてロックを確認し、安斎が背後の排気口へと目を配る。制御室のドアは思ったより堅牢だったが、外部からの監視は既に薄れている。安斎が指先で装置を操作すると、ドアの電子ロックにわずかな乱れが走った。


成瀬は刃を引き締め、鍵穴の隙間に専用のツールを差し入れる。指先の動きは一瞬の閃きのように速く、やがてかすかなクリック音が通路に溶けた。ロックは解除され、ドアの縁にかすかな冷気が差し込む。


詩乃が小さく息を吐き、囁いた。

「行くわよ。」


三人は一斉に動き、音を立てずに制御室の内部へ滑り込んだ。内部は薄暗く、ランプの赤い残照が幾本かのケーブルを怪しく照らしている。コンソールの表示は乱れ、だが完全に停止してはいない。成瀬は短剣を柄に戻し、素早くコンソールに張り付いて端末を遮断する。


「遮断完了。ドローンネットワーク、物理遮断中。」成瀬の声がヘッドセットを通じて外の影班へ無音で伝わる。外部の時計がまた一刻を告げる中、三人は互いに目で確認し、制御室の奥へと静かに進んでいった。


ファイル名

記録-β7X-最終封印「Project: 覚醒の子ら」


内容概要(簡略)

“Project: 覚醒の子ら”は、特定の子どもたちに記憶干渉・感応共有能力を付与する極秘実験。

対象者は「記憶を聞く者」「封印された記憶を解く者」など。

副作用として人格分離や記憶の断裂が発生する。

ファイルは脳波認証+生体情報でのみ開封可能で、解除後は自動消去が作動する。


関係者

•成瀬由宇(影班)

•桐野詩乃(毒物・痕跡処理)

•安斎柾貴(記録汚染・精神制御)

•記憶の証人:川崎ユウタ

•被験対象:柊コウキ、他数名


備考

このファイルが示すのは、全ての始まりと「操作された記憶の真実」。

閲覧は命に関わる。


 午前2時47分、都内・廃工場制御室


成瀬の目が一瞬、鋭く光った。暗い室内に、金属と油の匂いが漂う。


「……これはただの記録じゃない。命がけで扱うべき“本物”だ」


桐野詩乃が冷静に端末を操作しながら応じる。

「影班の任務範囲を超えているわね。でも、行くしかない」


安斎柾貴は無言で拳を握り締め、制御室の暗闇に溶け込むように立っていた。


成瀬は短く息を吐き、視線をファイルに固定する。

「一歩間違えれば……俺たちも巻き込まれる。だが、やらなきゃ誰も助からない」


時間: 午前2時50分

場所: 都内・廃工場制御室


「影班」――それは、表には決して現れない影の小隊。任務は極秘中の極秘。成瀬、詩乃、安斎。彼ら三人は、その中核を担っていた。


時間: 午前2時52分

場所: 都内・廃工場通風ダクト内


成瀬は微かに息を吐き、暗闇の中で低く呟いた。

「かつて、俺たちは――特殊任務に従事していた。覚えているか、詩乃?」


詩乃は無言で頷き、手首の端末を操作しながら応える。

「忘れられるはずもない。消された記憶と共に、私たちの存在は封印されていたのだから。」


安斎は拳を握り締め、静かに付け加える。

「封印された過去が、今ここで試される。影班の真価を見せる時だ。」


成瀬の瞳が一瞬、鋭く光る。

「……ああ、誰も俺たちを止められはしない。」


 時間: 午前2時53分

場所: 都内・廃工場通風ダクト内


その瞬間──通風ダクト内を微かな振動が走った。


成瀬は身を低くし、短剣を握り直す。

「来やがったか……静かに、だ」


詩乃は端末の波長センサーを確認しながら囁く。

「熱反応が増えている……誰かがこちらに接近中」


安斎は無言で拳を再度握り、念波妨害装置の起動スイッチに指をかける。

「準備完了。迎撃は一瞬で決める」


暗闇の中、わずかな空気の動きが三人の神経をさらに研ぎ澄ませる。


 時間: 午前2時54分

場所: 都内・廃工場通風ダクト内


突如、背後の通路から伝わる微かな震動──まるで床下の鉄骨が悲鳴を上げるような、不穏な揺れだった。


成瀬は即座に振り返り、目を細めて闇を見据える。

「……気配だ。音は小さいが、奴は近い」


詩乃は端末を操作しながら低く呟く。

「赤外線反応……こちらに向かっている。急ごう」


安斎は無言のまま、念波妨害装置を肩にしっかりと固定する。

「動くな、無駄な音は立てるな」


狭い通風ダクト内に、緊張の空気が濃く漂った。


 時間: 午前3時02分

場所: 都内・廃工場通風ダクト内


成瀬は肩の出血を止める止血剤を噛み砕きながら、深く呼吸した。


「……大丈夫、まだ動ける」

低く呟き、血で染まったシャツを押さえつつ、鋭い目を通路の闇に向ける。


詩乃がそっと近づき、端末越しに確認する。

「出血は浅い。だが、油断はできないわ」


安斎は無言で頷き、念波妨害装置を肩越しに微調整する。

「敵の動きが読めれば、これで封じられる」


狭い通路に響くのは、わずかな息遣いと、遠くから伝わる微かな足音だけ。

緊迫感が、空間全体を包み込んでいた。


時間: 午前3時04分

場所: 都内・廃工場通風ダクト内


「……来るぞ」


成瀬の声は低く、しかし確信に満ちていた。

その瞬間、空気がわずかに震え、鉄骨の継ぎ目を伝って“何か”の接近が感じ取れた。


詩乃が即座に視線を走らせ、赤外センサーを展開する。

「反応、三つ。速い……人じゃない、ドローン型」


安斎が口元を歪める。

「ったく、歓迎が派手だな」


成瀬は肩の痛みを押し殺し、短剣を構えた。

止血剤の苦味がまだ舌の奥に残る。

「目標は制御室。相手を止めるな、すり抜けろ」


その言葉と同時に、闇の奥で金属が弾ける音が響いた。


時間: 午前3時05分

場所: 都内・廃工場通風ダクト内


天井の鉄骨は、湿気を含んだ空気に軋みを忍ばせる。

微かな音は、暗闇の中で異様に大きく響き、三人の影を不意に緊張させた。


成瀬は耳を澄ませ、短剣を構えたまま視線を先へ送る。

「……気配、微かに右から回り込んでくる」


詩乃が小声で応じる。

「赤外線で追尾、微妙に揺れてる。通常のセンサーじゃ拾えないタイプね」


安斎は無言で拳を握り直し、念波妨害装置を腕に装着する。

「奴ら、巧妙すぎる……でも、俺たちも影だ」


鉄骨の軋みが、潜む敵の接近を告げる警鐘のように響く。

三人は互いに目を合わせ、無言のうちに侵入開始の合図を確認した。


時間: 午前3時06分

場所: 都内・廃工場通風ダクト内


暗闇の奥からは、まるで濡れた布が床を引きずるかのような、低く湿ったざわめきがゆっくりと迫ってくる。


成瀬が肩越しに短剣をちらりと確認しながら呟いた。

「……足音じゃない。何か、重い……いや、形を持ったものだ」


詩乃は端末の小型センサーを覗き込み、紫の光を微かに揺らす。

「赤外線反応……異常。形状が不規則、でも確かに生きている」


安斎は無言で念波妨害装置の出力を上げ、微かな振動に耳を澄ます。

「近づいてくる。足音じゃなく、存在そのものが圧を生んでる」


三人の影班は、暗闇の奥に潜む“何か”に対して、静かに呼吸を整え、準備を整えた。


時間: 午前3時07分

場所: 都内・廃工場通風ダクト内


安斎がふと立ち止まり、肩を僅かに揺らす。


成瀬が眉をひそめ、低く声をかけた。

「どうした、安斎?」


安斎は無言のまま、ゆっくりと装置の出力を調整する指先だけを動かす。その瞳には微かな苛立ちと、緊張の色が混ざり合っていた。


詩乃は息を殺しながら囁く。

「……何かを感じ取ったのね。念波……こちらにも伝わってくる」


通風ダクトの奥から、湿った空気を切るような音が再び近づき、三人の緊張が一段と増していく。


時間: 午前3時09分

場所: 都内・廃工場通風ダクト内


成瀬と詩乃は、互いに視線を交わすと、細いダクトへ静かに身を滑らせた。


成瀬が小さく囁く。

「安斎とは別行動だ。連絡は無線だけで取る。」


詩乃は頷き、指先で端末を操作してダクト内の熱感知と波長センサーの進行状況を確認する。

「了解。侵入ルートを最短で確保する。物音は絶対に立てない」


二人は静かに、しかし確実に闇の中を前進する。通路の鉄の匂いと微かな湿気が肌を撫で、呼吸の音さえも周囲に吸い込まれるようだった。


時間: 午前3時21分

場所: 都内・廃工場・通風ダクト内


成瀬は端末を取り出し、薄暗いダクトの中で画面を凝視した。

「……亡霊ファイルか」


詩乃が静かに息を吐く。

「国家機密を超えた、封印された歴史……私たちが属していた“存在しない部隊”のことね」


画面には極秘組織〈第零諜報課〉の記録が表示され、影班としての任務や消された作戦の詳細が淡々と列挙されていた。

成瀬は指先でファイルをなぞりながら呟く。

「ここに記されているすべてが、俺たちの過去……そして、消された記憶そのものだ」


詩乃は肩越しに画面を覗き込み、眉をひそめた。

「……これを知った以上、もう後戻りはできない」


微かな風と鉄骨の軋みの中、二人は沈黙を守ったまま、亡霊ファイルの内容を噛み締める。


時間: 午前3時24分

場所: 廃工場・通風ダクト内部


薄闇の中、詩乃の声はわずかに震えていた。

「私たち……“実験体”だったのね。記憶の抑制も、感情の遮断も、全部――選ばされたものだったなんて……」


成瀬は言葉を失ったまま、手の中の端末を見つめる。

液晶に映るファイルの記述が、まるで過去の断罪のように胸に突き刺さる。


《第零諜報課 特殊任務兵影班:

被験コード-NR-03/感情遮断実験適用個体。

任務効率維持のため、記憶抑制を強化。

任務完了後、人格分離の可能性あり。》


成瀬は歯を食いしばり、拳を壁に叩きつけた。

「……笑わせるな。俺たちを“兵器”扱いか」


詩乃はゆっくりと顔を上げ、紫の瞳に静かな怒りを宿した。

「記録を消されても、痛みは消えない。――なら、取り戻すしかないのね。自分たちの“記憶”を」


成瀬は頷き、止血剤で赤く染まった手袋を握りしめた。

「ああ。影として生かされたなら、影として終わるわけにはいかねぇ」


ダクトの奥で、冷たい金属音が響いた。

それは、過去が再び目を覚ます合図のように──。


時間: 午前3時31分

場所: 廃工場・外周路地


路地の闇がわずかに揺れる。

その中から、重くて確かな足音とともに一人の男が姿を現した。


黒いコートに身を包み、肩まで伸びた髪が夜風に揺れる。瞳は冷たく、光を吸い込むように深く沈んでいた。


成瀬が低く唸る。

「……来やがったか」


詩乃も端末を握り直し、息を整える。

「この男……ただの警備員じゃないわ。感応が違う」


影は一歩、また一歩と、静かに距離を詰める。

その動きには無駄がなく、まるで呼吸の一拍ごとに狙いを計算しているかのようだった。


安斎の声が無線から響く。

「成瀬、気をつけろ。奴はただの標的じゃない」


成瀬は肩越しに路地を睨み、短剣を引き抜く。

「わかってる……だが、避けるつもりはねぇ」


闇と鉄骨の間に、緊張の空気が張り詰める──。


時間: 午前3時33分

場所: 廃工場・外周路地


闇の中、微かな鉄の擦れる音。

その隙間に、灰色の影が静かに現れた。


「……ロトス」

成瀬の唇から、低く吐息のような声が零れる。


全身を灰色の防弾スーツで覆った男。指先まで無駄のない構えで立つその姿は、言葉よりも沈黙で脅威を示す。かつて《影班》と同じ過酷な任務を潜り抜けた男。だが彼は、命令を拒み、記憶の改竄を逃れ、誰にも知られぬまま姿を消した──今は“沈黙の商人”が最も恐れる、最終交渉人として現れたのだ。


詩乃が端末を握り直し、吐き捨てるように囁いた。

「……沈黙で、命を奪う人間……」


安斎は拳を握り締め、静かに息を吐く。

「奴は過去に背を向けた“異端”。油断すれば、即死だ」


灰衣の男は無言で、影班を一瞥した。

その視線の冷たさが、夜の闇に静かに浸透する──。


時間: 午前3時34分

場所: 廃工場・外周路地


静寂の中、重く濁った空気が全員の胸を押し潰すように漂う。


成瀬がわずかに息を整え、肩越しに視線を送った。

「……空気が、重い。奴の存在が圧力になってる」


詩乃は端末を握る手を固くし、低く返す。

「まるで、呼吸すら許さないかのよう……」


安斎は冷静に周囲を見渡し、短く呟く。

「気を抜くな。奴は動く前から支配している」


灰衣のロトスは、ただ静かに立ち尽くす。

その場に流れる“沈黙の圧”が、夜の闇をさらに厚く、重く染めていた。


時間: 午前3時36分

場所: 廃工場・外周路地


──このままでは持たない。


成瀬が短く息を吐き、血で濡れた肩を押さえながら低く呟いた。声は震えていない。動揺を見せてはならないと、体が知っている。


詩乃が端末の画面を覗き込み、冷静に状況を整理する。赤い点が一点、動きを示している。

「追尾モジュールは三秒周期で反応してる。あの位置が交差点の死角だわ」


安斎は影のように静かに周囲を測り、短く答えた。

「俺が外から押さえる。成瀬、お前は誘導に回れ。詩乃、毒幕は一発だけ。確実に効くやつを頼む」


成瀬は頷くと、足を引きずりながらも前へ出た。痛みを噛み殺し、低い声で命令を続ける。

「ここで足止めする。時間を稼げれば、他の連中が回り込めるはずだ」


ロトスは一切言葉を発さない。ただ、灰色のコートの端が音もなく揺れ、視線だけが三人を切り裂く。微かな気配が、周囲の空気をさらに冷たくする。


詩乃は小さな缶を取り出し、手際よく蓋を外す。内部の薬剤が薄く光り、わずかに蒸気を上げる。目で合図を送る。

「準備完了。お前ら、私の合図で動け」


安斎は短く唇を引き結び、無線に軽く触れる。

「レンジ、嵐だ。回り込み準備、行け」——返事はまだない。時間の余裕はない。


成瀬は自分の影が長く伸びる路地を見つめ、赤い布片のことを一瞬だけ思い出す。手の震えを抑え、低く笑ったような声で言う。

「……居合いみたいなもんだ。短く、鋭く、終わらせる」


そして、詩乃が小さく息を吸い込む。

「今だ」


空気が切り替わる。詩乃の投じた薬剤が瓦礫の隙間を低く漂い、路地の先に向かって薄い白い幕を描いた。ロトスの足取りが一瞬、乱れたように見えた——気配が遮られたからではない。向こう側の視界が、確かに変わったのだ。


安斎が音もなく回り込み、鋭い手つきで路地の出口を封じる。成瀬は刺突の体勢を取り、左肩の痛みを忘れるように力を込めた。


ロトスがほんの一歩、前に出る。その存在感は変わらず圧倒的だが、今は動きが少しだけ慎重だった。


刹那のような静寂が数秒間続く。だが成瀬にはその数秒が永遠のように長く感じられた。


成瀬が一気に距離を詰める。短い音が一つ——金属が擦れる音。誰も叫ばない。ただ、三人の呼吸だけが夜に刻まれる。


ロトスの動きが鋭く裂ける。だが安斎の掌底が先に届き、詩乃の毒幕が同時に作用する。ロトスの身体が一瞬、硬直した。


成瀬は刃を退け、深く息をついた。肩の痛みが再び脳裏へ戻ってくるが、今はそれを感じない。勝敗が決したわけではない。だが時間は稼げた。回り込み部隊の足音が遠くから近づいてくるのが、確かに聞こえた。


詩乃が小さく笑い、肺を震わせながら言う。

「……効いたわね。よかった」


安斎は無表情のままロトスをにらみつける。ロトスはゆっくりと首を振り、薄く笑ったような音を漏らすと、暗闇へと溶けていった。記録に残らない逃走だ。噂の通り、消えることを選ぶ者だった。


成瀬は膝をつき、血を拭いながら空を見上げる。路地の奥、わずかに朝焼けが混じり始めた。刻一刻と夜は明ける。


「持ったな」安斎が短く言う。声に疲労はない。だが確かな安堵が滲む。


成瀬はうなずき、呻くように答えた。

「まだだ。アイツは逃げたが、痕跡は残した。俺たちはそれを拾う。行くぞ」


三人はそれぞれの傷と影を抱えながら、夜の廃工場を後にした。背後には、誰かが消えた跡だけが静かに残っている。


時間: 午前3時42分

場所: 廃工場・屋上


「……相変わらず、呼吸すら殺して歩くな、お前は」


安斎の声は掠れ、微かに笑う気配が滲んでいた。


影は何も言わず、ただ降りてきた。ビルの縁から滑るように、重力の存在すら忘れたかのように。足が地面に触れた瞬間、空気がわずかに震えたが──砂一粒さえ乱れてはいなかった。その姿に、安斎の全身の神経が、覚えていた。


──逃げるという選択肢を、すべての敵から奪う“存在”。


影班を作った者。影の原点。S級指定存在。


その名は──玲。伝説の始まり。


時間: 午前3時43分

場所: 廃工場・屋上


安斎はわずかに顔をしかめながら、血に濡れた背中を壁に預けたまま玲を見上げた。


「……お前が……本当に、影班の原点か……」


その声には、恐怖とも尊敬ともつかない複雑な感情が混ざっていた。玲は安斎を一瞥し、静かに言った。


「影班を作ったのは確かだ。だが、俺が奪うのは選択肢だけだ。命までは奪わない」


安斎の肩がわずかに動き、深く息を吐く。血に滲む痛みと戦いながらも、その目にはまだ、戦う意思が宿っていた。


時間: 午前3時44分

場所: 廃工場・屋上


玲は一歩、安斎に近づく。


「安斎、立てるか?」


その声は低く、しかしどこか重みを帯びていた。安斎はわずかに首を振り、血の滲む手で壁を押しながら体を起こす。


「……立てる。まだ、終わってねぇ……」


玲は黙って頷き、彼の肩にそっと手を添える。屋上の風が二人の間をすり抜け、緊張した空気をわずかに揺らす。


時間: 午前3時45分

場所: 廃工場・屋上


安斎は口元で苦笑した。


「……お前が来ると、安心できねぇな……」


玲はじっと彼を見据え、答えずに視線だけで鼓舞する。血に濡れた背中を壁に押し当てたまま、安斎の拳がゆっくりと握り直される。


「まだ、やらなきゃならねぇことが残ってる……」安斎の声は低く、しかし決意に満ちていた。


時間: 午前3時46分

場所: 廃工場・屋上


玲は首を振る。


「もう背負うな、安斎。俺たちはチームだ。お前ひとりの責任じゃない。」


安斎は一瞬、唇を引き結ぶ。血に濡れた背中を壁に押し付けながらも、玲の言葉に小さく頷いた。

「……わかってる。でも、逃げられねぇんだ。これが……俺たちの宿命だ」


玲は無言で視線を前方に移し、廃工場の闇に潜む次の標的を見据えた。


一瞬の間のあと、玲は迷いなく言葉を継いだ。


「なら、俺がついていく。お前一人じゃない。どんな敵が来ても、俺たちは一緒に切り抜ける――影班だ、忘れるな。」


安斎の瞳がわずかに潤む。荒れた呼吸を整え、背中の血を拭いながら、彼は静かに頷いた。

「……ああ、わかってる。俺も、ここで倒れるわけにはいかない」


二人の間に短い沈黙が流れ、夜風だけがその決意を撫でる。


安斎は、一瞬だけ黙った。

そしてゆっくりと息を吐き、血で濡れた手を握り締めた。


「……わかった。俺も、最後まで動く。お前と一緒に」


玲はその答えに軽く頷き、荒れた屋上の空気を切るように歩き出す。

「よし、行くぞ。ここから先は、俺たちの道だ」


静まり返った夜の屋上に、二人の決意だけが確かに響いた。


時間: 午前3時50分

場所: 廃工場・屋上


その瞬間、上層から鋭い銃声が響き渡った。

弾丸が金属に弾かれる音が、夜の静寂を切り裂く。


安斎は反射的に体を低くし、手に握る短剣の位置を調整する。

「……来やがったか」


玲は瞬時に視線を上層へ向け、銃撃の位置を把握する。

「安斎、遮蔽物を使え。俺が先に動く」


空気が一瞬にして張り詰め、夜風すら銃声に押し潰されそうな緊迫が屋上を包む。


時間: 午前3時51分

場所: 廃工場・屋上


玲は宙に舞い上がり、刹那の動作でパルスナイフを振り下ろす。

刃先から発せられる青白い閃光が、闇に吸い込まれるかのように一瞬輝いた。


弾丸が風を切る音が耳を打つ中、玲の一撃は正確に遮蔽物を破壊し、上層から狙撃していた敵の足元をかすめる。


安斎は素早く反応し、背後の影を利用して身を隠す。

「……さすがだな、玲」


夜風に混ざる鉄と火薬の匂いが、戦いの緊張感をさらに増幅させた。


時間: 午前3時52分

場所: 廃工場・屋上


着地した瞬間、残る一人が反応して銃を構えるが──既に時遅し。


玲の動きは光の速さで、銃口の方向を逸らしつつ背後へ跳躍。

安斎はその隙を見逃さず、低く構えた体勢から瞬時に銃の弾道を遮断する。


「……終わったか?」安斎が低く呟く。


玲は静かに頷き、夜の闇に溶け込むように立ち尽くした。

遠くで響いていた警報も、今は風にかき消され、残されたのは静寂と淡い鉄の匂いだけだった。


時間: 午前3時53分

場所: 廃工場・屋上


安斎は壁にもたれかかりながら、かすかに苦笑を浮かべた。

「……相変わらず、全部片付けやがるな、玲」


玲は肩の力を抜き、静かに夜風を感じながら応える。

「無駄を残すのは、俺の性分じゃない」


そのやり取りに、空気は少しだけ和らぎ、廃工場の屋上には冷たくも落ち着いた静寂が広がった。


玲は安斎に背を向け、通信を開いた。

「全員、状況を報告しろ。残党がまだ潜んでいる可能性がある」


無線の先からは、詩乃と成瀬の落ち着いた声が返ってくる。

「了解、屋内は制圧完了。異常なし」

「迎撃網も無効化済み。追加の侵入者も検知せず」


玲は短く頷き、視線を屋上の闇に戻した。

「なら、撤収だ。無駄な戦闘は避ける」


安斎は壁にもたれたまま、微かに笑みを返した。

「お前が命令すると、戦場でも安心するな……」


白いコートの裾がゆるやかに揺れ、煙草の火が一瞬だけその輪郭を照らす。灰色の短髪、無機質な横顔。眼差しは夜の闇を切り裂くように鋭い。


「…来たわね、玲。あの時の借り、今日で返すつもり?」


夜の冷たい空気が階段を包み込み、煙草の火が小さく揺れて消えた。暗がりから静かに現れた玲は、柚葉の問いにゆっくりと頷いた。


「敵は“心”で殺しにくる。お前の領域だ、柚葉。影班に戻れ」


時間: 午前4時10分

場所: 廃工場・屋上北側


煙草の火が消え、夜風がふたたび二人の間を流れた。柚葉はゆっくりと肩を回し、白いコートの裾を払うようにしてから目を細めた。その瞳には、かつて交わした約束の痕跡と、今ここで払われるべき代償の重さが混ざっている。


「お前はいつも正論を並べるな、玲。」柚葉の声は低く、しかし皮肉を含んでいた。「影班に戻れ、だと? あそこはもう、お前の“楽園”じゃないだろう。裏切りと命令が交錯する場所だ」


玲は一歩も動かず、灯りの残る街並みを眺めてから答えた。「楽園じゃない。だがそこでしか救えないものがある。今回はそのために来た。お前の力が必要だ」


柚葉の表情が一瞬硬直する。彼女は地面に落ちている小さな破片を蹴り、指先でそっと拾い上げた。それは古い釘の欠片だ。掌の上で、指の跡が血のように暗く見えた。


「お前は“心”を斬るというが、それで誰が救われる? 心を操作する者を前に、ただ斬るだけで本当に終わるのか?」柚葉は問いを投げるように言った。だがその声の裏には、戦闘者としての冷静さが隠れていた。


玲はゆっくりと首を振った。「分かってる。だからこそ、二手で動く。お前が“領域”で相手の心を攪乱し、その隙に影班が斬り込む。お前の領域は暴力だけで終わらせない。真実を抜き取るための時間を作るんだ」


屋上の端に立つ柚葉は、空を仰いで短く笑った。笑顔は凍てついて見えたが、その瞳は決意に満ちていた。「分かった。だが、条件がある。私のやり方で動く。無茶はさせない。そして……終わったら、昔の話はやめよう。お互いの負い目は、ここで清算だ」


玲はその条件を受け入れるように頷いた。「約束しよう。終わったら、誰にも触らせない。俺が責任を取る」


柚葉は掌の釘を握り潰すようにして、冷たく言った。「なら行くわよ。心を切るのは私の仕事。お前は、影としての誇りを見せて」


風が二人の間を走り抜け、屋上を覆っていた静寂が裂かれた。柚葉は白いコートの裾を翻し、足を踏み出す。玲はその背中を短く見送ってから、無線機に手を伸ばした。


「影班、展開。柚葉、タイミングはお前に合わせる。全員、静かに――行け」


時間: 午前4時10分

場所: 廃工場・地下通路・制御室


制御室のモニターに映るのは、わずかに揺れる監視カメラ映像。暗がりの中、橘奈々の指が素早くキーボードを叩く。


「センサーの反応……まだ動いてる! 侵入者が複数、北通路に展開中!」奈々の声は切迫していた。


無線機から成瀬の冷静な声が返る。「了解。柚葉の動きに合わせろ。無駄な発砲は禁止。俺たちの任務は捕捉と情報遮断だ」


奈々は画面を凝視し、呼吸を整える。薄暗い室内、機器の光だけが彼女の表情を照らす。画面の向こう、潜入者たちの影がゆっくりと制御室の防御網をかすめていく。


「タイミングは完璧。全員、準備を――」奈々の言葉が途切れ、室内の空気が一瞬凍りつく。誰もが、先の展開を固唾を飲んで見守った。


時間: 午前4時11分

場所: 廃工場・地下通路・制御室


その時、玲の冷静な声がインカム越しに届いた。


「奈々、制御室を離れるな。外の通路はもう“安全地帯”じゃない」


短い沈黙ののち、奈々は息をのんで返した。

「……玲、どういうこと? 外は詩乃たちが見てるはずでしょ」


「映像を巻き戻せ。北通路、二分十七秒前だ」


奈々は指先で操作パネルを叩く。

ノイズが走り、画面がちらついた瞬間、そこに映ったのは三つの影。

だが、確かに一つ――記録上、存在してはならない“もう一つ”の影があった。


奈々の声が震えた。

「……誰か、いる。だけど、この動き……人じゃない」


「“記録の残響”だ。閉ざしたはずの時間が、また開いた」


玲の声はいつもより低く、冷たい。

だが奈々は、通信越しに感じた――その声の奥底に、確かに何かが潜んでいる。


「……玲。あんた、まるで知ってたみたいに言うね」


短い沈黙のあと、玲の声が返る。

「知ってるさ。俺たちが封じた“記憶”だからな」


時間: 午前4時13分

場所: 廃工場・屋上


柚葉は静かに目を閉じて、微笑みながら呟いた。


「やっぱり……あの夜の終わり方、こうなる気がしてたの」


冷たい風が、白いコートの裾をふわりと持ち上げる。

灰色の髪が月明かりを受けて淡く光り、彼女の瞳に過去の影がよぎった。


「玲、あなたはあの時、すべてを終わらせるつもりだったんでしょ。

 でもね……“終わり”なんて、あの子たちが許さない」


柚葉の指先がゆっくりと胸元へ伸びる。

そこには、かつて“影班”としての証だった黒い刻印が、まだ微かに残っていた。


「――だから私が、けじめをつける」


瞳を開けた瞬間、夜が静かに震えた。

その眼差しはもう、優しさではなく決意の色を帯びていた。


時間: 午前4時14分

場所: 廃工場・屋上・崩れかけた階段の影


詩乃がゆっくりと姿を現した。

黒い戦闘服の袖は裂け、血の滲む手で髪を束ね直す。

その口元には、どこか懐かしさを滲ませた苦笑が浮かんでいた。


「相変わらず、心に土足で踏み込む女ね」


その言葉に、柚葉は静かに目を細めた。

風が二人の間を抜け、遠くで鉄骨が軋む音が響く。


「踏み込まなきゃ、あんたみたいな連中は止まらないでしょ」


灰色の煙が、柚葉の指先から淡く立ちのぼる。

詩乃はその煙を見つめながら、深く息を吐いた。


「……懐かしいわね。この匂い。あの頃を思い出す」


柚葉はわずかに笑った。

「そう。でも、あの頃の私たちは――もういない。」


時間: 午前4時16分

場所: 廃工場・屋上


風が錆の匂いを運び、崩れた鉄板がわずかに鳴る。

その音の中、玲がゆっくりと歩み寄った。

白いコートの裾が風に揺れ、夜明け前の光がわずかにその輪郭を照らす。


彼の手には、一枚の黒いファイル。表紙には「記録-β7X」と刻印され、封印の痕がまだ新しかった。


玲はそのまま、詩乃と柚葉の前に立ち止まる。

そして静かに、そのファイルを差し出した。


「これが……“覚醒の子ら”の最終記録だ。

 俺たちが何者だったのか――すべて、ここにある」


詩乃が息を呑み、柚葉の瞳が微かに揺れる。

玲の表情は一切の感情を削ぎ落としたまま、ただ風の中で冷たく光っていた。


「見る覚悟があるなら、開け。

 ……過去を、やり直すことはできない」


時間: 午前1時42分

場所: 玲探偵事務所


玲の不在時、事務所の照明は最低限の明るさに落ち、モニターの淡い光だけが部屋の空気を照らしていた。

カップの中のコーヒーはすっかり冷め、時計の針が静寂の中で乾いた音を刻む。


デスクに向かう橘奈々は、指先でキーボードを叩きながら眉を寄せた。

画面に映るのは、暗号化された通信ログ。玲が残したアクセス履歴──だが、その一部が削除されていた。


「……また、痕跡を消してる」

小さく呟く声が、夜の静けさに沈む。


奈々は唇を噛み、ディスプレイの奥に浮かぶ“別名義の玲”の記録を追う。

だが、そこには見覚えのないコードネームが刻まれていた。


《L-00 ── 指令権限:影班》


「……何、これ……」


モニターの光が、奈々の瞳に不安と疑念を映し出した。

誰もいないはずの部屋の奥で、冷たい風がカーテンをわずかに揺らした。


──瞬間、闇がすべてを呑み込んだ。

時間: 午前1時47分

場所: 玲探偵事務所


パチン、という乾いた音とともに、蛍光灯の光が一斉に落ちる。

残されたのは、モニターの青白い光だけ。

一瞬、朱音の顔が浮かび上がり──次の瞬間、闇に沈んだ。


「停電……?」沙耶が反射的に呟く。

しかし、ブレーカーの作動音も、電圧の低下音もない。

沈黙。まるで空気そのものが息を潜めたような静けさ。


朱音は小さな声で言った。

「……違う。電気が“切られた”んじゃない……“遮られた”の」


沙耶の背筋に冷たいものが走る。

耳の奥で、かすかに──“誰かの声”が重なった。

それは、どこからともなく流れ込むように響く。


──「聞こえるか……記録の子よ」


朱音が顔を上げた。

その瞳の奥に、淡い光が一瞬だけ灯った。


時間: 午前1時47分

場所: 玲探偵事務所


「パリ……ン……」


薄闇の中、静寂を裂くように小さな硝子の音が響いた。

棚の上に置かれていた古い写真立てが、ゆっくりと床に倒れ、

その中の写真が光の反射を受けてわずかに揺れた。


沙耶が息をのむ。

「……今の、音……?」


朱音は立ち上がり、足元の破片にそっと視線を落とした。

そこに映っていたのは──まだ幼い自分と、母・沙耶の笑顔。

だが、写真の背景に、もう一つ“見知らぬ影”が写り込んでいた。


時間: 午前1時49分

場所: 玲探偵事務所


音もなく、その隙間から一人の男が滑り込む。

黒い外套に、口元まで覆うマスク。

照明の消えた室内で、その輪郭だけがわずかに揺れ、

影と区別がつかないほど静かだった。


彼は何も言わない。ただ、唇だけが微かに動いている。


「……玲?」


沙耶の声が、張りつめた空気にかすかに響く。

だが、返事はなかった。


代わりに、奈々のイヤーピースから微かなノイズが走り、

次の瞬間、低く押し殺した声が届いた。


『奈々、すぐ逃げろ。お前たちは……そこにいてはいけない』


奈々は凍りついたように振り返る。

声は確かに──玲のものだった。

だが、目の前にいる“それ”もまた、玲の姿をしていた。


時間: 午前1時52分

場所: 玲探偵事務所


けれど、それは──遅れて、不自然な笑い声へと変わった。


甲高くも低くもない、どこか人の声の“隙間”を縫うような音。

その笑いは壁に反響し、天井からも、床下からも、同時に聞こえる。

まるでこの部屋そのものが、笑っているかのように。


朱音は両手で耳をぎゅっとふさいで、涙をこらえながら言った。

「ちがうよ……それ、本当の声じゃないよ! うそばっかりで、わたしたちをだまそうとしてるんだよ!」


その瞬間、空気がぐにゃりと歪んだ。

机の上の書類が舞い上がり、電波が乱れ、壁の時計の針が逆回転を始める。


──それは敵の能力だった。


心理干渉型の暗殺者。コードネーム《エコー》。

彼の口の動きに合わせて、空間そのものが「偽りの声」を奏でる。

他人の記憶を“声”として再生し、心を侵食する殺し屋。


「……君たちの“玲”は、もう戻らない」


その声は、朱音の記憶の中の玲と寸分違わぬ響きで、耳元に囁いた。


「っ、朱音、下がって!」

沙耶が少女をかばうように抱き寄せた。腕の中で朱音の小さな肩が震える。


《エコー》が一歩踏み出す。その瞬間、空間が“鳴った”。


耳ではなく、脳の奥を叩くような重低音。

ガラスの割れる音が連続して響き、壁に掛けられた額縁が弾け飛ぶ。

照明が瞬き、影が無数に分裂し、まるでそこに“何人ものエコー”がいるかのように見えた。


「幻覚……じゃない、これは――」奈々の声が通信越しに掠れる。

彼女の背後で、複数のノイズが混線するように重なった。


《エコー》のマスクの奥、わずかに唇が動く。

「声は、記憶だ。記憶は、命より脆い。」


次の瞬間、事務所の中央にあったスケッチブックが、ひとりでにページをめくった。

そこには――“まだ描かれていないはずの玲”の姿が、赤い線で浮かび上がっていた。


ドアノブが、ゆっくりと回された。


「……カチリ」


静寂の中に響くわずかな金属音。破壊音でも、怒号でもない。


そこに立っていたのは、玲だった。

だが、いつもの柔らかい表情はそこになく、漆黒の瞳だけが淡々と敵を捉えていた。


沙耶は咄嗟に朱音を引き寄せ、身を隠すように後退する。

朱音は小さく息を呑み、目を大きく開いたまま玲を見つめる。


玲は静かに歩を進め、床に落ちたスケッチブックの横に立った。

「……《エコー》。君の遊びは、ここまでだ」


その声は低く、しかし揺るぎない。空気さえも凍りつくような緊張が、事務所全体を包み込んだ。


一瞬の静寂。


次の瞬間──玲が動いた。


その動きは、まるで影そのものだった。


《エコー》が鋭く襲いかかる瞬間、玲の右手が瞬時に伸び、彼の顎を鋭く打ち上げる。衝撃で《エコー》の顔は仰け反り、バランスを崩す間もなく、玲は左肘を滑らかに振り上げ、首筋を跳ね上げた。動作は無駄がなく、音一つ立てずに敵を制圧する。


《エコー》が地面に倒れ込む前に、玲は振り返り背後のコンソール端末へ目を向ける。狙いを定めると、力強く蹴りを叩き込み、端末を揺らしながら主回線を物理的に断ち切った。電源が落ち、ハッキングの繋がりは瞬時に断絶。


玲の冷静かつ確実な一連の動作により、事務所内の流れは完全に掌握され、緊迫の瞬間は静かに終息へ向かう。


室内に、完全な沈黙が戻る。


朱音はまだ小さく震え、肩を沙耶に預けたまま息を整えている。沙耶は優しく背中をさすりながら、「大丈夫……もう安全よ」と囁いた。


玲は倒れた《エコー》を一瞥し、ゆっくりと背を伸ばして呟いた。

「……終わったか」


その声は冷静だが、どこか静かな緊張の余韻を含んでいた。部屋に漂う緊張の残響が、時間の経過をゆっくりと知らせるかのようだった。


朱音は小さな声で、「玲……すごかった……」と震えながらも伝え、沙耶はその手をぎゅっと握りしめる。玲は何も答えず、ただ視線を遠くの窓の外に向け、夜の闇を静かに見つめた。


時間: 午前1時58分

場所: 玲探偵事務所


玲の声は低く、しかし確固たる重みを帯びて響いた。沙耶と朱音はその言葉に息をのむ。二人の瞳が、無言のまま玲に吸い寄せられる。


「影班――私が指揮していた部隊だ。任務は国家直属、だが公には存在を認められない。非公認の暗殺部隊、《Z》。私たちは必要とされれば、どんな場所にも現れ、どんな標的も処理する。だが……私がここにいるのは、過去の自分を守るためでも、影を振り払うためでもない。――今も、立場は変わらない。」


玲の冷たい瞳は揺らぐことなく、室内に重い沈黙を落とす。沙耶は微かに唇を噛み、朱音は小さく手を握りしめた。二人の胸中に、言葉の重さがずっしりと沈み込む。


「だから……私に従え、ではない。だが、この先、君たちを守るためには……私が動くしかない。」


その言葉に、事務所の空気は一層緊張を帯び、玲の影のような存在感が空間を支配した。


時間: 午前1時59分

場所: 玲探偵事務所


室内の空気は、玲の告白と共に一瞬で凍りついた。誰もが言葉を失い、静寂が重く垂れ込める。


奈々は口を開きかけたが、言葉は喉の奥で止まった。動揺と驚きが交錯し、声にならない。


その中で、朱音だけが迷わず玲の方へ歩み寄った。小さな手が、震えることもなく、玲の手をそっと握る。その指先から伝わる温もりに、玲はわずかに肩の力を抜いた。


「……大丈夫、玲。怖くないよ」

朱音の声はか細くも、確かな確信を帯びていた。玲はその瞳を見下ろし、冷たく鋭い瞳の奥に、わずかな柔らかさが浮かぶのを感じた。


周囲の誰もが、その瞬間、玲の人となりを再確認するかのように息を呑む。


時間: 午前2時00分

場所: 玲探偵事務所


玲はゆっくりと視線を宙に泳がせ、深く息を吐いた。声は冷静だが、どこか重みを帯びていた。


「……奈々、もし俺が怖いなら、今は距離を取った方がいい。無理に近づかなくていい。別れても構わない。判断は、全部お前に任せる」


奈々は一瞬、言葉を失った。胸の奥で動揺が渦巻くが、玲の静かな眼差しと、決して押し付けないその声に、少しずつ呼吸を整えながら頷く。


朱音は二人のやり取りを見つめ、玲の手をまだ握ったまま、微かに唇を噛む。空気は張り詰めつつも、どこか柔らかい温度を帯びていた。


玲は奈々の反応を見据えたまま、静かに手を下ろし、次の指示へと思考を切り替える。


玲は深く息を吸い、静かに胸の奥から言葉を絞り出した。


「私は、どんな影の中にあっても、決して守るべきものを裏切らない――それが、私の誓いだ。」


その声には揺るぎない決意が宿り、室内の空気が自然と重みを帯びる。奈々も朱音も、言葉を発することなく玲の背中を見つめる。


闇の中で光を見つける者として、玲は孤独と責任の重さを背負いながらも、揺るがぬ覚悟を胸に抱き続けていた。その存在感は、沈黙の中で静かに、しかし確実に場を支配していた。


時間: 午前2時12分

場所: 玲探偵事務所前の路地


冷え込んだ空気が張り詰めるように地表を包み、落葉の乾いた音さえ飲み込まれる。


朱音が小さく呟く。「……さっきの声、本当に玲の声だったの?」


沙耶は肩をすくめながら答える。「ああ、でも……あんなに冷たく響くのは初めてね」


奈々も低く息を吐いた。「一瞬で、全てが止まったみたいだ……」


玲は無言で視線を闇に据え、静かに言った。「……影の中でも、守るべきものは守る。だから、怯えるな」


時間: 午前2時45分

場所: 第零区・地下区画入り口


その地下区画、第零区の扉が今、十年ぶりに開かれようとしていた。


入り口の擬装扉に触れたのは、成瀬由宇だった。彼の指先が金属の冷たさを感じながら、微かに震える扉の取っ手に触れる。


「……十年か」成瀬は低く呟いた。背後では、詩乃と安斎が静かに見守る。


詩乃が小さく息を吐き、耳元で囁く。「ここに入ると、何もかも、昔のままかもしれない……」


安斎は拳を軽く握り締め、冷たい瞳で扉を睨む。「覚悟はできているな、成瀬」


成瀬は頷き、重い空気を押しのけるように、扉をゆっくりと押し開いた。その瞬間、長い眠りから目覚めた地下の空気が、ひんやりと肌を刺す。


時間: 午前2時46分

場所: 第零区・地下区画入り口


「記憶に甘さは不要。ここは誰かを育てるための場所じゃない。選別の場所だった」


静かに現れたのは桐野詩乃だった。黒髪を高く結い上げ、紫の瞳は冷ややかに光り、薄い怒気が滲む。白の戦闘手袋は手のひらで微かに軋み、周囲の緊張をさらに引き締める。


成瀬が一瞬視線を合わせ、低く答える。「……分かってる。だから、俺たちはここにいる」


安斎は黙ったまま肩を引き、冷たい空気の中で詩乃を見据えた。地下区画の闇が、三人の影を静かに飲み込む。


時間: 午前2時47分

場所: 第零区・地下区画入り口


「……来たか、安斎」


声の主は、すでに扉の向こうに立っていた。その佇まいには圧倒的な存在感があり、空気ごと張り詰める。


その男の名は――玲。


影班創設初期の指揮官であり、数々の極秘任務を完遂した「S級の抹消者」。現在は玲探偵事務所の所長として表の顔を持つが、その正体は国家の闇に潜み、伝説として語られる存在だった。


安斎は無言で頷き、拳を軽く握る。静寂の地下区画に、過去と現在が重なった瞬間だった。


時間: 午前2時50分

場所: 第零区・地下区画


その声には、冷静な命令の裏に、抑えきれぬ熱が宿っていた。


「消された名前、改ざんされた記録、操作された記憶……すべてを奪い返す。俺たちは、ただの影じゃない。影から生まれた証人だ」


周囲の沈黙を切り裂くように、玲は一言、告げた。


「……影班Z、再始動。これは、生存のための戦いじゃない。“存在”のための戦いだ」


成瀬、詩乃、安斎。それぞれの瞳が光を帯び、冷たい地下空間に、確かな決意の熱が流れ込む。


時間: 午後11時18分

場所: 第零区外縁・旧港湾エリア


玲探偵事務所の外部調査メンバーが、匿名通報を受けて現地調査に入った。


調査メンバー:橘奈々・沙耶・御子柴理央・佐々木圭介・佐々木朱音。


夜霧が濃く立ちこめ、海風が腐食したコンテナを揺らす。照明は一切なく、ただ奈々の携行ライトがわずかな道筋を照らしていた。


「空気が……変だな。何かを監視されてる」

沙耶が低く呟いた瞬間、通信に異常が走る。


「──ッ、ノイズ? 中継局が……」

御子柴が携帯端末を確認するも、画面は砂嵐のように乱れていた。


奈々が即座に判断する。「圏外じゃない。妨害されてる……誰かが、意図的に」


その時、朱音が小さく肩を震わせた。

「……見てる……あそこ、光った」


彼女の指さす先、暗闇の中に──かすかに、赤い監視灯がひとつ、点滅していた。


時間: 午後11時26分

場所: 第零区外縁・旧港湾エリア・第3コンテナ群前


通信越しに響いたのは、奈々の“声”だった。


けれど、その抑揚がどこか不自然だった。


「みんな、聞こえる?……こえ、が……え、す……」


語尾が擦れ、音が何かに引き伸ばされているような感覚。

まるで古いテープの再生音のように、わずかに遅延し、音程が歪む。


御子柴が端末を叩きながら眉をひそめる。

「信号干渉……いや、これは“模倣波形”だ。音声を複製してる……」


その瞬間、朱音がぴたりと動きを止めた。

「……静かにして。今の“奈々の声”、ここから聞こえた」


全員の視線が、一斉にコンテナの影へと向く。


風が止む。呼吸さえも、空気の重みで押し潰される。


そして──


「──今の、奈々じゃない」


沙耶の声が、わずかに震えながら夜を切り裂いた。


時間: 午後11時28分

場所: 第零区外縁・旧港湾エリア・第3コンテナ群・制御端末前


玲が即座に断言した。

彼の手はすでにコンソールの補助回路へ伸び、停止命令を手動で入力していた。


「“声紋偽装”。仲間の声を真似て、混乱を誘うタイプの心理干渉だ。……これは、“ロトス”の手口だ」


その名を聞いた瞬間、沙耶の表情がこわばる。

「……まさか、まだ生きてたの?」


御子柴が手元の端末を操作しながら応じる。

「いや、通信波のパターンが……玲さん、これ、単なる音声模倣じゃない。“記憶の断片”を利用して再構築してます。つまり――内部の誰かの記憶が、抜かれてる」


朱音が小さく息を呑んだ。

「抜かれてる……って、わたしたちの、心の中の……?」


玲の瞳が一瞬だけ鋭く光る。

「そうだ。だから“聞くな”。“思い出すな”。あいつの狙いは、声じゃない――記憶そのものだ」


次の瞬間、コンソールのモニターがノイズに包まれ、

画面の奥で、誰かの“笑い声”が微かに重なった。


時間: 午後11時31分

場所: 第零区外縁・旧港湾エリア・第3コンテナ群・北側通路


嘘の奈々の声は、すでに作戦域に“侵入”していた。


――「朱音ちゃん、こっちへ来て?」


その声は、まるで耳元で囁かれるように柔らかく、そして温かかった。

朱音の瞳が、わずかに揺れる。

「……奈々、さん?」


沙耶が素早く少女の肩を掴んだ。

「ダメ、朱音! それは――!」


その瞬間、通路の照明が一斉に点滅した。

赤と白の閃光が交互に走り、空気の密度が変わる。まるでこの空間そのものが、誰かの“記憶”の中へと変質していくかのようだった。


――「大丈夫だよ、怖くない。ほら、前に進んで……」


今度は、複数の“奈々の声”が同時に響いた。

その声たちは、わずかに音程が違い、微妙に時間がずれている。まるで奈々という存在を模倣した“記憶の残響”が、朱音の心に直接語りかけているかのようだった。


玲の声が通信越しに鋭く割り込む。

「朱音、聞くな! “声”はお前の記憶を探っている!」


しかし、その警告が届くよりも早く──

朱音の足が、一歩、闇の奥へと踏み出した。


時間: 午後11時32分

場所: 第零区外縁・旧港湾エリア・第3コンテナ群・北側通路


奈々がヘッドセットを押さえ、青ざめた顔で呟いた。


「嘘……これ、わたし……言ってない」


彼女の声は、わずかに震えていた。モニターに映し出される音声波形は、確かに“奈々”の声紋と一致している。しかし、タイムスタンプが存在しない──まるで録音の“発信源”そのものが、現実から切り離されているかのようだった。


沙耶が低く息を吐く。

「つまり……この声、私たちの通信網に“寄生”してるってことね」


朱音はその場で立ちすくみ、握ったスケッチブックを胸に押し当てた。

「奈々さんの声、なのに……ぜんぜん、あたたかくない……」


玲の声が冷たく響く。

「《エコー》じゃない。これは、もっと深い──“記憶の模倣”。心理干渉じゃなく、意識そのものを再構成してる。つまり……」


奈々が息を呑む。

「“わたしの記憶”を、使ってるってこと……?」


静寂。

そして、朱音のスケッチブックのページが、ひとりでにめくれ始めた。

紙の上に、奈々の笑顔が浮かび──だがその口元は、確かに動いていた。


――「朱音ちゃん、こっちに来て」


時間: 午後11時35分

場所: 第零区外縁・旧港湾エリア・第3コンテナ群・倉庫棟内


「動くな」


闇を裂くようにして、低く冷たい声が響いた。

空気が一瞬で張り詰める。


その声に呼応するように、倉庫の奥でわずかな風が渦を巻き、埃が舞い上がる。

照明の切れた天井から漏れる月光が、ゆらりと床を照らし出した。


まるで影が実体化したかのように、そこに一人の男が立っていた。

黒いコートの裾が風に揺れ、光の角度に合わせて輪郭がぼやける。


玲だった。


その瞳は、まっすぐに“声の主”──スケッチから生まれた偽りの奈々を見据えている。

声も表情も、何ひとつ乱れない。ただ、その奥に潜むのは、冷たい怒りだった。


「“模倣”をやめろ。お前が触れていい記憶じゃない」


玲の言葉と同時に、床の鉄板が軋み、倉庫全体の空気が震える。

朱音は息を呑み、沙耶が咄嗟に彼女を背に庇った。


偽りの奈々は、笑う。

だがその笑みは、音のない歪みだけを残して、ゆっくりと崩れていった。


時間: 午後11時36分

場所: 第零区外縁・旧港湾エリア・第3コンテナ群・倉庫棟内


黒の戦闘スーツに身を包んだ玲は、すでに“姿勢”そのものが静寂を纏っていた。

仮面のように感情の読み取れない表情。


その瞳が、一度ゆっくりと周囲の気配をなぞる。

床に散らばる木箱や鉄製のコンテナの影、微かに揺れる埃、遠くで金属が触れ合う音──全てを吸い込むように、冷たい視線が流れていった。


朱音と沙耶は、その動きに息を詰め、わずかに身体を伏せる。

玲の存在が、空間そのものを圧迫しているかのようだった。


「……侵入者、確認」

その低く抑えた声が、闇にすっと溶け込み、倉庫の空気をさらに張り詰めさせる。


──そして、次の瞬間。


空気が震えた。


朱音が瞬きをした、そのわずかな刹那の間に──玲の姿が“消えた”。


まるで視界から切り取られたように、そこにあったはずの黒が掻き消える。

音もなく、風の流れさえ変わらない。残されたのは、微かに揺れる埃と、玲が立っていた床に残るわずかな靴音の残響だけ。


「……え?」

朱音が小さく声を漏らす。


沙耶が反射的に朱音の肩を引き寄せ、目を凝らす。

空間の奥で、何かが微かに閃いた。


――その一瞬。

闇の中から鈍い衝撃音が響き、続けざまに金属が崩れる音が響き渡った。


玲はすでに、敵の背後にいた。


──その瞬間、倉庫内は完全な静寂に包まれた。


玲の黒衣は、影そのものとなり、敵の死角を縫うように動く。


一人目、背後に潜んでいた構成員の首元に、無音の掌打がめり込む。頸椎がずれ、音もなく崩れ落ちる。


二人目、天井付近の梁に張り付いていたスナイパーが、目視すらできない角度からの踵落としに気づいたときには、意識を失っていた。


三人目、逃走を図った斥候がわずかに動いた足元を玲に見られた瞬間、細いワイヤーが脛を裂き、音もなく崩れる。


四人目、動かず息を殺し心拍すら下げていたが──玲の視線がそこを貫いた瞬間、無慈悲なパルスナイフが喉元に吸い込まれていた。


わずか十数秒。

ロトスの構成員たちは、誰一人として銃を抜く間もなく、“排除”されていた。


朱音は目を見開き、沙耶は肩越しに息を呑む。

だが玲の瞳は冷静そのもので、次の標的へ視線を送ったままだった。


時間: 深夜

場所: 廃倉庫内部


玲は立ち尽くす。黒の戦闘スーツは静寂を纏い、仮面のような顔に戦意も怒りもなく、ただ任務の達成を確認するかのように視線を巡らせていた。


その冷徹な佇まいが、周囲の空気さえ凍らせる。影班ZのS級、元司令《Z》──それが、彼の本質だった。


朱音は息を呑み、沙耶は肩越しに彼を見守る。

全てを掌握した玲の背後に、わずかに揺れる影が残るのみだった。


時間: 深夜

場所: 廃倉庫内部


奈々は震える声で、かろうじて言葉を紡いだ。


「……う、嘘でしょ……こんなこと、現実じゃ……」


朱音は両手で口元を押さえ、声にならない息を漏らす。

沙耶は少女を抱き寄せ、低く囁くように言った。


「大丈夫、朱音……玲さんがいる。私たちは守られてる」


玲はその視線を倒れた敵の群れに落とし、静かに語りかける。


「……これが、影班Z。俺のやり方だ。無駄な衝突も、無駄な痛みも、容赦はしない」


奈々の目に恐怖と困惑が交錯する。

「……なんで、こんな……どうして、玲……」


玲は首を軽く振り、答える。

「理由はひとつ。命令でも忠義でもない。これは、必要なことだからだ」


沈黙が再び場を包む。外の冷たい風が廃倉庫の壁をかすかに揺らし、落ち葉が床を這う音さえも飲み込むようだった。


玲はゆっくりと朱音と奈々を見渡し、仄かに揺れる影の中で静かに告げた。


「……今は、忘れてくれ。いずれ話す」


その声は冷たくも、どこか揺るぎない優しさを帯びていた。


朱音は言葉を失い、奈々は目を大きく見開いたまま彼を追うこともできず、ただ静かに立ち尽くす。


次の瞬間、玲の姿は闇に溶けるように消え、空間にはわずかな風のざわめきだけが残った。


沙耶がそっと朱音の手を握り、柔らかく囁く。

「大丈夫……玲さんは、必ず戻る」


冷え込んだ倉庫の空気が、再び静寂に包まれた。


時間: 深夜

場所: 廃工場/制御室


影班の動きは迅速かつ正確だった。成瀬、詩乃、安斎の三名が、無音で廃工場内部を制圧し、ロトスの一部構成員を拘束した。


成瀬が淡々と指示を出す。

「拘束完了。電子錠と手錠の二重確認を。無駄な暴力は不要だ」


詩乃は紫の瞳を光らせ、拘束した人物たちの動きを警戒しながら、静かに手際よく仕掛けを施す。

安斎は壁際で監視に回り、精神妨害や逃走の兆候を察知しつつ、仲間を守る姿勢を崩さない。


拘束されたロトス構成員たちは、完全に制御下に置かれ、抵抗の声も漏れない。

影班の冷徹さと精密さが、現場全体に静かな緊張を残した。


朱音と沙耶は遠巻きにその光景を見守り、安堵と不安が入り混じった表情を浮かべていた。


時間: 深夜

場所: 廃工場 制御室


制御室のモニターに、淡い緑の文字が浮かび上がる。


「Project CANARY」

「亡霊ファイル ∴ΓΔ-19X」

「接触対象:REI-K、AZ-K4」──


成瀬が眉をひそめ、端末に指を滑らせる。

「……これが、かつて封印された記録か。REI-K……玲か。AZ-K4……安斎か」


詩乃は低く息をつき、表示された情報を食い入るように見つめる。

「ここに書かれている内容、影班の活動に直結してる……想像以上に深刻ね」


安斎は背筋を伸ばし、冷静ながらも内心の緊張を抑え込むように端末を見据えた。

「接触対象として指定されているということは、我々の存在自体が“管理下”にあったということか……」


モニターの光が制御室の壁に微かに反射し、空間は張り詰めた緊張に包まれる。

朱音と沙耶もその場に立ち尽くし、言葉を失って画面を見つめていた。


時間: 深夜

場所: 廃工場 制御室


成瀬はゆっくりと息を吐き、ディスプレイの一行に指先を置いた。


「俺たちが“何のために”動かされていたのか。なぜ、ただの任務に見えたそれぞれの行動が、全部《影班》という名前に回収されていったのか……」


画面には、淡く光る文字列が浮かんでいる。


“ΓΔ-19X:深層記憶依存性操作(Memory Echo Injection)”──


詩乃が目を細める。

「……記憶の操作……私たちの感情も、行動も、全部仕組まれていたってこと……?」


安斎は歯を食いしばり、無言で端末を凝視する。

「……これはただの任務じゃない。俺たち自身の存在そのものが、計算され、制御されていたんだ」


静寂が制御室を支配し、朱音はスケッチブックを抱きしめたまま、言葉を失う。

沙耶の手が小さく震え、重い現実の重圧を感じ取っていた。


時間: 深夜

場所: 廃工場 制御室


成瀬の指が、静かにディスプレイから離れた。

その瞳は、どこか遠い過去を見つめるように揺れていた。


だが次の瞬間、声の調子が変わる。

低く、決意を帯びた音へと。


「だからこそ……もう一度、選ばせてもらう。命令じゃない。“意志”で、動く」


その言葉に、空気が震えた。


詩乃が顔を上げ、紫の瞳がわずかに光を宿す。

「……それが、あなたの答えなのね。命令じゃなく、信念で」


安斎は苦く笑い、背を壁に預けた。

「ったく……お前らしいな。誰かに操られるのは、もうごめんだ」


沙耶は息を詰め、朱音の肩を抱き寄せながら、小さく頷いた。

「じゃあ……これはもう、“影班の任務”じゃない。“私たち”の選択ね」


制御室に漂う空気が、わずかに変わる。

重く沈んでいた機械音が、どこか遠くで途切れ、代わりに静寂が満ちた。


成瀬はゆっくりと振り返り、闇の向こう──かつての仲間たちの顔を見渡す。

「俺たちは、影として生まれた。けど……光を選ぶ権利くらい、自分で持ってるはずだ」


その声は、誰よりも静かで、誰よりも強かった。


時間: 深夜

場所: 廃工場 制御室


玲の瞳がわずかに細められる。

冷たく、しかし確かな鋭さを帯びた視線が、制御室の端々に張り巡らされた機器やモニターをなぞる。


「……成瀬、お前も動くつもりか」

声は低く、無駄な響きを持たない。だが、その一言に含まれる意味は重く、決して尋ねるだけの問いではなかった。


成瀬は視線を交わし、わずかに肩をすくめる。

「……ああ。命令じゃなく、意志で動く。お前と同じだ」


朱音がそのやり取りをじっと見つめる。小さな手がスケッチブックを握りしめ、微かに震えている。


沙耶が静かに息を整え、控えめに言った。

「……二人の選択が、これからの道を作るのね」


玲は視線をさらに細め、闇の奥に潜む可能性を探るように周囲を見渡した。

「……なら、次の瞬間に備えろ。何が飛び出しても、俺たちは止まらない」


その短い沈黙の中に、戦いの前触れがひそかに息づいていた。


時間: 深夜

場所: 廃工場 内部


柚葉、成瀬、詩乃、安斎……それぞれの胸に、かつて断ち切ったはずの“始まり”が蘇る。


それは、影班を結成し、全てを掌握し、そして影に消えた“創設者”。

国家の枠を超え、命令の枠を超え、記憶さえ操作した存在。


「――零式以前」

その名は口にすることさえ恐れられ、影班よりも古く、影よりも深い。


柚葉は瞳を細め、かつての決意を思い出す。

成瀬は肩に力を入れ、静かに呼吸を整える。

詩乃は手元の端末に視線を落とし、微かに唇を噛む。

安斎は血に濡れた背中を壁に預けたまま、冷たい風を胸いっぱいに吸い込む。


それぞれが感じるのは、畏怖と共に蘇る使命感。

「影班」が生まれた理由、その原点。

――今、その深淵が、再び目の前に姿を現そうとしていた。


時間: 深夜

場所: 廃工場 内部


玲は拳をゆっくりと解いた。

その指先から、これまで閉ざしていた決意と覚悟が静かに溢れ出す。


「すべてを終わらせる――いや、すべてを取り戻す」

冷たい声が、廃工場の空気を震わせる。


柚葉は微かに息を呑み、成瀬は肩を震わせながらも視線を逸らさない。

詩乃は端末を握る手に力を込め、安斎は壁にもたれながら、鋭い目で玲の動きを追った。


玲の背後には、影よりも深く、零式以前の記憶が重く圧し掛かる。

だが、その瞳には揺るがぬ光が宿っていた――

影班を創り、導き、そして守る者としての揺るぎない意思が。


時間: 深夜

場所: 湾岸 廃工場 外周


湾岸を吹き抜ける潮風が、腐食した鉄と油の臭いを運んでくる。

成瀬、詩乃、安斎は、それぞれの位置で微かに身を硬くする。

潮の匂いと金属の匂いが混ざり合い、夜の静寂に冷たい緊張を漂わせた。


成瀬が低く呟く。

「……風に紛れても、足跡は残る。気を抜くな」


詩乃は端末を指で軽くなぞり、微かに苦笑した。

「あなたの影、成瀬。いつもそうやって空気を読むのね」


安斎は拳を握りしめ、視線を湾岸の暗闇に固定する。

「……行くぞ。ここで手を抜くつもりはない」


腐食した鉄骨の軋む音が、まるで廃工場自体が息を潜めているかのように響いた。


時間: 深夜

場所: 湾岸 廃倉庫 内部


倉庫の重い鉄扉が、まるで空気の流れに合わせるかのように静かに開いた。


その闇の中から、一つの黒い影がゆっくりと現れる。


だが、ただの影ではない。


彼――玲、《影班零式》の元司令。その冷徹な視線が、暗闇の中で鋭く光った。


動きは無駄がなく、静寂に潜む存在感が周囲の空気を支配する。


足音一つ立てず、影のように歩み出すその姿は、まさに“影”そのものだった。


時間: 深夜

場所: 湾岸 廃倉庫 内部


玲の低い声が、闇に染み込むように響いた。


「──沙耶、伏せて」


その声には揺るぎない冷静さと即時の指示力が宿り、周囲の静寂をさらに引き締めた。


沙耶は咄嗟に体を沈め、瓦礫の影に身を隠す。

朱音も小さく肩を震わせながら、玲の指示に従い、無言で隠れる。


時間: 深夜

場所: 湾岸 廃倉庫 内部


影の如く動く玲の姿は、まさに洗練された戦闘の極致だった。


無駄のない動作で床を滑り、瞬時に敵の死角へ回り込む。

手足の動き、体重移動のすべてが完璧に計算され、闇に紛れるその姿は、誰一人として捕捉できない。


瓦礫の間を縫うように進む彼の瞳は、敵の気配を的確に捕らえ、次に取るべき行動をすべて視覚化しているかのようだった。


沙耶や朱音はその動きをただ見守るしかなく、心臓の鼓動が高鳴る中でも、玲の冷静さと圧倒的な存在感に息を呑むばかりだった。


時間: 深夜

場所: 湾岸 廃倉庫 内部


顔の半分を覆うマスクの奥からは、鋭い冷徹な瞳だけが光を放つ。


瞬時に距離を詰め、コンテナの陰に潜むロトスの兵士の首筋に麻酔針を静かに突き刺す。

その男は苦痛も悲鳴も上げることなく、無音のまま崩れ落ちた。


玲の動きは無駄がなく、まるで影そのもの。振り返ることなく、次の標的へと滑るように移動する。


四方から襲いかかろうとする敵の動きを瞬時に読み取り、素早い肘打ちと掌底が連続で炸裂。

銃声や叫び声は一切なく、ただ確実に、確実に敵が無力化されていく。


そのスピードと正確さは、もはや人間の域を超え、伝説の影班司令官の真骨頂を示していた。


時間: 深夜

場所: 湾岸 廃倉庫 内部


数分後──


玲はゆっくりと立ち止まり、周囲を一瞥した。

「……終わったか」


背後から、沙耶の震える声が届く。

「玲……すごい……」


朱音も小さく頷き、手を握りしめながら言った。

「……もう、怖くない……玲がいるから」


玲は仮面の奥の瞳で二人を見つめ、低く言った。

「誰も傷つけさせはしない。ここから先も、俺が守る」


空気は静まり返り、廃倉庫に残るのは潮風と、戦いの余韻だけだった。


時間: 深夜

場所: 湾岸 廃倉庫 内部


「……全部、片付いた。ここから先は“真実”の作業だ」


玲の声は静かだったが、周囲の空気を引き締める力を持っていた。


桐野詩乃がわずかに息を吐き、肩越しに玲を見上げる。

「……はい、指示通りに動きます」


安斎柾貴は拳を軽く握りしめ、無言で頷いた。

成瀬由宇もまた、冷静な視線を前方に向け、戦闘後の緊張を整える。


朱音は小さくスケッチブックを抱きしめ、玲の背中を見つめる。

「……わたしたち、行くのね。真実のために……」


その瞬間、影班《零式》は、闇から光を取り戻したかのように静かに、しかし確かに復活していた。


時間: 深夜

場所: 湾岸 地下通路

地下通路は静寂に包まれていた。


橘奈々が慎重に足を進める。

「……気配が、何もない……」


沙耶は耳を澄ませながら、周囲を警戒する。

「油断はできないわ。誰か、見張っている」


御子柴理央は端末の光だけを頼りに進み、低く呟いた。

「センサーは異常なし。ただ、空気が重い……」


佐々木圭介は周囲の壁を目で追いながら、朱音をそっと守るように腕を添える。

「朱音、離れすぎるなよ」


朱音は小さく頷き、スケッチブックを胸に抱きしめる。

その静寂の中で、地下通路はまるで、次に訪れる出来事を待ち構えているかのようだった。


時間:深夜

場所:湾岸 地下通路


玲の鋭い視線が、通路の闇を突き刺した。


「……止まれ」

低く、短く放たれたその声に、全員の動きが一瞬で凍りつく。


奈々が息を呑んで、玲の視線の先を追う。

暗闇の奥、わずかに揺れた空気。

光も届かない距離に、“何か”が潜んでいた。


「反応、あったのか……?」圭介が問う。


玲は答えない。

ただ一歩、静かに前へ進み出る。

靴底が石床を擦るその音すら、刃のように鋭く響いた。


「……見えてる。動くな」


闇の奥で、金属のわずかな擦過音。

次の瞬間、玲の右手が閃光のように走った。

銃声はない。だが、何かが崩れ落ちる鈍い音だけが、通路の奥に消えていった。


沙耶が震える声で呟く。

「今の……敵?」


玲は冷たく頷いた。

「索敵班の残滓だ。……ここの記録を守るための、“番人”だろう」


朱音が、スケッチブックを抱きしめたまま小さく囁く。

「……通路が、泣いてる」


その言葉に、一瞬だけ玲の瞳が細く揺れた。

闇の奥に隠された“真実”が、今、静かに息を吹き返そうとしていた。


時間:深夜

場所:湾岸地下通路・第零区入口前


玲の鋭い眼差しが、一瞬にして氷のように冷たく鋭くなる。


わずかな空気の揺らぎを捉えたその瞬間、彼の全身から“戦場の気配”が溢れ出た。

奈々は息を飲み、沙耶が思わず朱音をかばうように腕を伸ばす。


「……来るぞ」

玲の声は低く、しかし確実に全員の神経を震わせた。


次の瞬間、闇の奥から金属の靴音。

数歩――そして静止。


玲は一歩も引かず、ただ微動だにせずに闇を見据えた。

その姿は、まるで人ではなく“影”そのもの。


「ここを通るなら、覚悟を決めろ」


その一言に、空気が変わる。

見えない圧力が地下通路全体を支配し、壁面の冷気すら震えた。


奈々が小さく囁く。

「……玲、何か見えてるの?」


玲は答えず、ただ指先をわずかに動かす。

その仕草だけで、影班の面々は即座に戦闘態勢に入った。


沙耶が朱音の肩に手を置く。

「いい? どんな音がしても、動いちゃダメ」


朱音は怯えながらも、小さく頷いた。


そして――玲の眼差しが、さらに冷たく光った。

それは、かつて国家を動かした伝説の“抹消者”が、本能を解放する瞬間だった。


時間:深夜

場所:湾岸地下通路・第零区入口前


玲はふっと息を吐いた。

その一呼吸で、先ほどまでの張り詰めた殺気がわずかに溶ける。


静寂の中、彼はゆっくりと沙耶の方に目を向け、

ほんの一瞬だけ――戦場では決して見せない、柔らかな光を宿した。


そして、沙耶にだけ聞こえるような低い声で囁く。


「……俺の指示だけを聞け。他の声は、信用するな」


その声には命令でも脅しでもない、確かな“守る”という意志が込められていた。


沙耶はわずかに息を呑み、玲の瞳を見返す。

そこに映っていたのは、冷徹な司令官の顔ではなく――

仲間を守るために、自ら闇に立ち続ける男の覚悟だった。


「……わかった」

沙耶は静かに頷き、朱音の肩を抱き寄せた。


通路の奥から、再び微かな金属音が響く。

玲はわずかに目を細め、再び“影”の気配を纏った。


その瞬間、空気の温度が一度に数度下がったかのようだった。


時間:深夜

場所:湾岸地下通路・第零区


一歩、一歩が完璧な計算のもとに進む。

足音は存在しない。呼吸は浅く、規則正しく、無駄のない律動。


玲の目線は、闇の奥をまっすぐに貫いていた。

わずかな風の流れ、湿度の変化、遠くで揺れる鉄骨の音――

そのすべてが、彼の感覚の中で立体的な地図に変わっていく。


背後で沙耶が息を潜め、奈々がコンソールを抱えたまま動きを止める。

その間にも、玲の輪郭だけがゆっくりと溶け、そして闇に溶け込んでいった。


まるで彼の体から発せられる“気配”だけが独立して動き、

敵の視界をかすめるように形を変えていく。


影と一体化するような歩調。

その動きは、まさに《影班零式》の司令官――“Z”の本能そのものだった。


闇が彼に飲み込まれたのではない。

玲が、闇を支配していた。


時間:深夜

場所:湾岸地下通路・第零区


玲の動きは、流れるように無駄がなかった。

一歩進むたび、空気の密度が変わり、影の輪郭が微かに揺れる。


鉄柱の陰――わずかに呼吸を殺して潜む敵の存在を、玲は正確に捉えていた。

刹那、手首の動きが閃く。

ナイフの軌跡は、光を拒むように闇へと溶け、音もなく敵の喉元へと滑り込んだ。


抵抗も、悲鳴もなかった。

ただ一瞬、体が震え、そして崩れ落ちる。


玲はそれを確認することもなく、次の影へと視線を移す。

呼吸ひとつ乱さず、姿勢を保ったまま移動。

無駄な動作の欠片すらなく、そのすべてが計算された“排除”の動きだった。


その場に残るのは、冷たい静寂と、

鉄の匂いに混じるわずかな焦げた空気の残響だけ――。


玲の存在はまさに、“影”そのものだった。


時間:深夜

場所:湾岸地下通路・第零区


「……朱音、沙耶、動くな。玲の後ろに立つな。立ったら――排除されるぞ」

成瀬の声は低く、だが確信に満ちていた。


その警告が終わるより早く、玲はすでに動いていた。

左手をゆっくりと上げ、静かに指を一本――折る。

それが“排除”の合図だった。


闇の奥、わずかに空気が乱れる。

次の瞬間、玲の姿が掻き消え、一人のロトス構成員が音もなく倒れた。

血の匂いすら漂う前に、玲は二本目の指を折る。


ひとり、またひとり――標的が確実に消えていく。

彼の呼吸は一定で、動きは冷静そのもの。


だがその中で、最も恐ろしいのは敵の“声”だった。

ロトスが仕掛けた心理干渉プログラム《エコー・リバース》。

仲間の声を再構成し、味方を錯覚させ、行動判断を狂わせる。


「玲、右側だ!」

どこからともなく響く“奈々”の声。


しかし玲は動かない。

声の抑揚、リズム、呼気――“本物”とは0.3秒ずれている。

その誤差を聴覚だけで見抜き、玲は真逆の方向へと踏み込み、

潜んでいた敵を一撃で沈黙させた。


背後では、朱音が息を呑み、沙耶が思わず彼女を抱き寄せる。

目の前で繰り広げられる光景は、戦いというよりも――

“影の裁き”そのものだった。


玲は振り返らない。

味方の存在を背に感じることすらなく、ただ己の感覚だけで闇を制圧していく。


それが、“影班零式”――玲という名の伝説の本質だった。


時間:深夜

場所:湾岸地下通路・第零区


「玲、右から来る!」──圭介の声が響く。


その一瞬、玲の瞳がわずかに細められた。

“本物”の声ではない。

だが、判断よりも先に身体が動いた。


右側の暗がりにわずかな熱源。

玲は即座に腰のホルスターから低反動拳銃を抜き、

迷いなくトリガーを引いた。


「──ッ!」

乾いた銃声が抑え込まれた静寂を貫き、

弾丸は通路の右端、鉄柱の陰に潜んでいたロトスの兵士の額を正確に撃ち抜く。


敵は声で“反射”を狙った――

玲の習性、訓練の癖、反応速度、そのすべてを利用した罠。

だが、玲の反応はそれすらも計算していた。


「声は利用する側にもなる」

低く呟き、玲は拳銃を再び構え直す。


壁に跳ね返る残響の中、圭介は背筋を凍らせながらも理解した。

玲は――“偽りの声”すら、戦闘の一部として使う。


通路にはもう、銃声すら要らなかった。

玲の放つ“殺気”だけが、敵の心拍を止めていく。


まるで闇そのものが、意志を持って動いているかのようだった。


時間:深夜

場所:湾岸地下通路・第零区


その姿に、事務所のメンバーは胸を撫で下ろした。

玲の圧倒的な戦闘力と冷静さが、彼らにとってどれほど心強いものか。

闇に潜む恐怖も、錯乱する“声”の罠も、玲が前に立つだけで意味を失っていく。


成瀬は小さく息を吐いた。

「……やっぱり、あの人は“本物”だ」

沙耶は朱音を抱き寄せ、震える声で呟く。

「大丈夫。玲がいる限り、私たちは迷わない」


その背で、玲は奥歯をぎゅっと噛み締めていた。

かつて自分たちは“使う側”だった――声を操り、意識を揺さぶり、記憶を改ざんし、

“影”を支配する術を手にしていた。


だが今、同じ術が自分たちを追い詰める罠として牙を剥く。

皮肉だった。あまりにも、滑稽なほどに。


(……いいだろう。ならば、その罠ごと凌ぎきる)


心の奥底で、玲は静かに誓う。

“影”に堕ちることを恐れない。

どんな幻に惑わされようと、守るべきものの声だけは、決して間違えない。


その瞳には、かつての“影班零式”の司令官としての誇りが、確かに灯っていた。


時間:深夜二時過ぎ

場所:湾岸地下通路・第零区奥制御区画


湿った空気が静まり返り、わずかな水滴の音が闇に沈む。

玲は制御卓の前に立ち、青白く光るモニターを見据えていた。

背後には、成瀬・詩乃・安斎、そして沙耶と朱音が息を潜めている。


画面の奥で、古いデータが再生される。

映し出されたのは、幼い日の彼ら自身。

訓練服に身を包み、無表情で命令を聞く“影班候補生”たちの映像だった。


朱音が、震える声で呟く。

「これ……玲さんたち……?」


玲は答えなかった。

ただ静かに、画面を閉じると、拳をゆっくり握り締めた。


「──亡霊ファイルは、お前たち自身だ。」


その言葉が、制御区画に重く落ちる。

詩乃が息を呑み、成瀬が顔を伏せる。安斎の手が無意識に震えた。


玲は続けた。

「記録の改ざんも、記憶の断片も……全部、俺たちの“実験の痕跡”だ。

 影班は作られた。感情を削ぎ、忠誠を植えつけられた“存在しない兵士”として。」


沈黙が走る。

朱音の小さな手が沙耶の指を握りしめ、沙耶の瞳には光が宿る。


「……でも、玲。あなたはまだ“人”としてここにいる。

 だったら、この記録に縛られる必要なんてない」


玲はわずかに目を閉じ、微かに頷いた。

「……そうだな。だからこそ、終わらせる。亡霊としてではなく――“証人”として。」


彼の声が、冷たい闇の中で確かな温度を帯びて響いた。


時間:午前1時43分

場所:湾岸地下通路・第零区中層アクセス区画


闇の中、通信機から奈々の声が響いた。

「玲さんっ! 後ろ──!」


その声に、一瞬、玲の動きが止まる。

心臓の鼓動が、僅かに速くなる。

だが、すぐに――彼の瞳が氷のように冷たく光った。


「……偽物だ──!」


声が反響するより早く、玲は真後ろにいた敵の喉元へ刃を突き立てた。

金属のような手応え、血飛沫も上げずに敵は崩れ落ちる。


その直後、本物の通信が入る。

『玲、今の……! 私、そんな呼び方しないでしょ?』

奈々の声は息を切らしていたが、確かに本物だった。


玲は一瞬だけ息を吐き、苦く笑った。

「……そうだな。お前は“玲”と呼ぶ。敬語なんて使わない」


少しの沈黙。通信の向こうで、奈々の声が柔らかく揺れた。

『……ねぇ、玲。こんな状況で言うのも変だけど……私、まだ“彼女”でいていいの?』


玲の足が止まる。

暗闇の中で、わずかに視線が揺れた。

「……そんなの、訊くな。離れたら、守れないだろ」


通信の先で、奈々の小さな笑い声がこぼれる。

『……了解、司令。じゃあ、勝手に隣、守るね』


玲はわずかに口角を上げ、再び暗闇の奥へと歩み出した。

彼の瞳には、今度こそ確かな“光”が宿っていた。


時間:午前1時45分

場所:湾岸地下通路・第零区中層アクセス区画


玲は左手で静かに指を折る。ひとり、またひとりと標的を数える動作は無駄がなく、まるで戦場の時計のように正確だった。


「……三、四、五……」


目の前の闇に潜む敵たちを瞬時に把握し、呼吸と気配だけで位置を割り出す。

背後や横、上方から忍び寄る気配を読み取り、次の動作を無言で計算する。


朱音と沙耶は、玲の背後に静かに身を潜める。

二人の小さな体が揺れるたび、玲は瞬時に目線を戻し、敵と味方の区別を瞬間的に判断する。


「……逃げる隙は、ない」


冷たい声が低く闇に溶ける。

玲の動きは流れるようでありながら、全てが確実。影班《零式》の司令官としての凄絶な集中力と戦闘精度が、静かな通路を支配していた。


時間:午前1時46分

場所:湾岸地下通路・第零区中層アクセス区画


玲は眉間に僅かな皺を寄せ、手元の動きを止めずに低く呟く。


「音誘導……囮戦法か」


通路に響く微かな足音や、床に落ちる金属片の振動──それらすべてが敵の策略だと直感したのだ。

彼の瞳は鋭く光り、音の発生源と空間の広がりを瞬時に計算する。


背後で朱音と沙耶が息を潜め、玲の指先だけが闇を切り裂くかのように動く。

影班司令官としての圧倒的な感覚が、敵の誘導を無力化し、逆に罠を利用して次の一手を確定させる。


「……ならば、全てを見せてもらう」


玲の声は低く、しかし揺るがぬ決意を宿して闇に響いた。


時間:午前1時48分

場所:湾岸地下通路・第零区中層アクセス区画


安斎は背筋を伸ばし、静かに腰のホルスターから銃を抜く。

その動作に無駄はなく、わずかに震える指先も計算された精密さを帯びている。


玲はそれを横目に、右手のパルスナイフを握り直す。

金属の冷たさを掌で確かめるようにしながらも、彼の視線は通路奥の闇を鋭く貫いた。


「……行くぞ」

玲の低い声が、冷えた空気に静かに溶ける。

一瞬の沈黙の後、二人の影が闇の中へ滑り込む。

足音はなく、呼吸すら抑えられたその動きは、敵の存在を完全に凌駕していた。


時間:午前1時53分

場所:湾岸地下通路・第零区降下階段


安斎柾貴は、沈んだ鉄の階段をゆっくりと降りていた。

踏みしめるたびに、錆びついた鉄板が低く呻き、わずかな金属音が闇に吸い込まれていく。


彼の表情は暗闇に隠れて見えない。

だが、その瞳だけが確かに光を捉えていた。

階下に広がる薄闇の奥、微かに揺らめく赤い非常灯。

そこに、何かが“動いている”。


安斎は腰の銃をわずかに構え、息を殺した。

背後から、玲の静かな声が届く。


「安斎……そのまま進め。罠がある。だが、動かなければ見抜けない」


安斎は頷き、足を一段降ろす。

冷気が足元を撫で、階段の先に湿った空気が流れ込む。

そのとき、通路の奥で“カチリ”という微かな金属音が鳴った。


「……動体反応、ひとつ」

安斎が低く告げた。


玲はナイフを構え、短く応えた。

「撃つな。――生体反応を確認してからだ」


暗闇の奥で、何かがこちらを“見ていた”。


時間:午前1時56分

場所:湾岸地下通路・第零区降下階段下部


天井の裸電球が、かすかに明滅した。

白い光が断続的に点き、消え、点き……そのたびに壁の錆と古びた配管が、異様な陰影を浮かび上がらせる。


安斎柾貴は一瞬、立ち止まった。

その明滅のリズムが、まるで何かの合図のように感じられたからだ。


「……照明が自動じゃない。外部信号で点滅してる」

低く呟く声は、冷たく湿った空気に溶けた。


玲がすぐに反応した。

「逆探知をかけろ。点滅パターンが“呼吸”に見えるようなら、それは視覚干渉型の誘導信号だ」


安斎は携帯端末を起動し、周波数スキャンを開始する。

画面に、僅かな波形の“ゆらぎ”が現れた。

「玲、ビンゴだ。周期0.7秒。まるで心拍数を模したような……」


「――ロトスの『視覚同期プログラム』だな」

玲が低く呟いた。


次の瞬間、明滅の間隔が急に早くなる。

まるで何かが気づかれたことを悟ったかのように。


沙耶が息を呑んだ。

「……生きてる、みたい」


玲は静かにナイフを構え、足元の影を踏みしめた。

「いいか、誰も光を見続けるな。――目を逸らせ」


時間:午前2時08分

場所:第零区・地下制御室


薄暗い制御室の中央で、古びたモニターがノイズを交えながら起動した。

安斎がコンソールにコードを打ち込み、玲が隣で静かに画面を見つめる。


黒い背景に、文字列が一行ずつ浮かび上がる。


〈PROJECT CANARY〉

〈実行班 “SHADOW”〉

〈監視対象:記録改ざん部門〉

〈コード名称:籠の中の鳥〉


室内の空気が、ピンと張り詰める。


沙耶が小さく息を飲んだ。

「……“カナリア”って、危険ガスを検知するための鳥……」


奈々が画面を覗き込みながら、震える声で続ける。

「つまり、彼ら――“影班”は……監視のために作られた?」


玲は何も答えなかった。

ただ、モニターに流れる古い記録の断片を、無言で見つめていた。


『影班零式、任務開始──対象は“記録の改ざん者”』

『ただし、観測者を欺くな。彼らは既に“見ている”』


スクリーンの明滅が、まるで呼吸のように室内を照らす。

安斎が低く呟いた。

「……“影”が、籠の中にいたってことか。俺たち自身が、監視される側だった」


玲は静かに口を開いた。

「――そうだ。“自由に飛ぶ鳥”じゃない。最初から、逃げ場なんて与えられてなかった」


時間:午前2時14分

場所:第零区・地下制御室


静かな地下室に、重く冷たい空気が漂っていた。

鉄の壁は湿気を吸い込み、薄い霜が張りついている。

微かな水滴の音だけが、空間の静寂を刻む時計のように響いた。


モニターの光が玲の横顔を照らす。

その瞳には、怒りとも悲しみともつかぬ感情が静かに揺れていた。


「……やはり、そうだったか」

低く、誰にも聞こえないほどの声で玲が呟いた。


沙耶がその表情を見つめながら、震える声で問いかける。

「玲……“籠の中の鳥”って、あなたたちのことなの?」


玲はゆっくりと顔を上げる。

「……監視されることで、制御される存在。

 “影班”は、国の目に飼われたカナリアだった。

 異常を感知し、真実に触れた瞬間――排除される仕組みになっていたんだ。」


奈々が息を呑み、コンソールに映るファイルを見つめる。

画面の隅には、古い署名データが残っていた。


【署名:REI-K】

【承認者コード:Z】


一瞬、誰も動けなかった。

安斎の拳が、静かに震える。


「……あんた自身が、システムに“署名”してたのか」


玲は何も否定しなかった。

ただ、冷たい空気の中で一度だけ深く息を吐き、

静かに言葉を落とした。


「――俺たちは、真実に触れた瞬間から、“被検体”になったんだ。」


時間:午前2時16分

場所:第零区・地下制御室


その瞬間――


玲の低い声が、ほとんど息のように漏れた。


「……来たか。」


照明が一瞬、チリッと音を立てて瞬いた。

制御室の奥、薄暗い通路の向こうから、重い靴音がゆっくりと響き始める。

規則正しく、まるで機械が歩くような足取り。


沙耶が息を詰め、奈々が手元の端末を素早く閉じた。

安斎は銃の安全装置を外し、低く呟く。

「反応が三つ……いや、四つ。距離、二十メートル以内。」


玲はすでに動いていた。

黒いコートの裾が音もなく揺れ、視線が通路の奥を射抜く。

「……姿を見せろ。“観測者”か。」


次の瞬間、通路の闇の中から低い声が返ってきた。


「やはり、Z。

 君はまだ――『籠』の外に出ていなかったようだな。」


その声に、玲の指先がピクリと動いた。

静寂が、再び張り詰める。


玲の冷たい声が、影のように静かに、だが確実に響いた。


「……名前を捨てた俺を“Z”と呼ぶか。ずいぶんと古い亡霊を引っ張り出すじゃないか。」


その一言に、通路の奥の気配が微かに揺れた。

鈍い金属の音。何かが床を擦り、静かに構えを取る音。


「亡霊? 違うな。お前たちは今も“実在”している。

 《影班》という名で、まだ国家の底に繋がれている。」


声の主の足音が近づくにつれ、制御室の空気が急速に冷え込んでいく。

沙耶が朱音を庇うように抱き寄せ、奈々は小さく唇を噛んだ。


玲は表情を変えない。

ただ一歩、前に出る。


「俺たちはもう“命令”では動かない。

 今ここにいるのは、過去を終わらせるためだ。」


闇の中から、ゆっくりと姿を現したのは──

灰色の外套をまとい、片目に古い傷跡を持つ男。


その目が、玲を真っ直ぐに見据える。


「終わらせる? 違う、Z。

 お前たちは“記録”だ。消去できる存在じゃない。

 なぜなら――この世界の“記憶”そのものだからだ。」


玲の瞳が、わずかに光を宿す。

「……なら、書き換えるまでだ。“影班零式”の名で。」


安斎は拳銃を握りしめたまま、一瞬、動きを止めた。

照明の明滅が彼の横顔を照らし、その青い瞳に、迷いと決意が交錯する。


「……玲を守るぞ」


低く、短く、それでいて命令にも似た声。

成瀬と詩乃が即座に反応した。


成瀬は無言のまま手の中のナイフを翻し、通路の左右を警戒するように構えた。

詩乃は背後に回り、薄紫の瞳で空気の流れを読む。


「了解。前衛は成瀬、後衛は私。安斎、玲のカバーを」


「言われなくてもだ」

安斎は唇の端で笑みを作るが、その指先は引き金にかけたまま微動だにしない。


玲の姿が、暗闇の奥でわずかに揺れる。

彼を中心に、三人の影が自然と陣形を取った。


――それは、かつての“影班Z”そのままの布陣。

命令ではなく、互いの“感覚”だけで動く、完璧な戦闘の構図だった。


玲の声には、怒りだけでなく、深い悲しみが滲んでいた。

静まり返った地下の空間に、その声が淡く響く。


「……あいつらは、ただ“命令”に従っただけだ。俺たちと同じようにな」


その言葉に、安斎の眉がわずかに動いた。

成瀬が視線を落とし、詩乃は拳を握りしめる。


玲はゆっくりと顔を上げた。

光を失ったような瞳が、遠い過去を見ている。


「誰かのために戦っているつもりだった。正義の側にいると、そう信じてた。

 でも結局、全部“使われていた”だけだった……」


短い沈黙。

地下室の空気が、痛いほど静まり返る。


「それでも、俺たちはまだ終わっていない」

玲の声が低く、確かな意志を帯びる。


「俺たちが消された記録を取り戻す。影が作られた理由を、終わらせるために」


その背中には、怒りと同じくらい――いや、それ以上に、

“償い”の覚悟が宿っていた。


安斎は、拳銃をゆっくりと下ろした。

その眼差しには、戦いの緊張ではなく、静かな決意が宿っていた。


「……玲。お前、まだ“あの呪縛”の中にいるんじゃないのか?」


玲の瞳が、わずかに揺れた。

だが、何も言わない。


安斎は続けた。

声は低く、しかし確信に満ちていた。


「命令、記録、責任……全部、お前一人が背負うことじゃない。

 俺たちはもう、“命じられる影”じゃないんだ」


足音を響かせながら、安斎は一歩、また一歩と玲に近づく。

その手には銃ではなく、仲間としての“誓い”が握られていた。


「……だから、今度は俺たちが“お前”を解放する番だ。

 影を生き抜いてきたお前を――あの呪縛から、引き戻す」


その言葉に、沈黙が落ちた。

成瀬も詩乃も、何も言わない。ただ、玲を見つめている。


やがて、玲はゆっくりと息を吐いた。

その肩の震えが、微かに光の下で揺れる。


「……もしそれができるなら――」


わずかに笑った。だが、その笑みは苦く、痛みを含んでいた。


「俺も……“影”じゃなく、人間として終わりたい」


時間: 午前二時十九分

場所: 区域C・廃工場地下通路


床に落ちた油の匂いと、蛍光灯の瞬きが交差する薄暗い空間で、空気は針で突いたように張り詰めていた。二人の視線が交わる。安斎は拳銃を肘に構え、玲は短いナイフを鞘から半分だけ引き抜いていた。互いの呼吸が、戦場の合図になっていく。


「来るぞ」

安斎の声は低く、しかし冷静さを失っていない。彼の指先がわずかに震え、だがその震えは意図を持ったものだった。


玲はゆっくりと頷いた。刃先の反射が一点だけ光を切り取る。

「お前は後ろを見ろ。俺が中を割る」

言葉は短く、命令でもなく約束でもない。二人だけの確認だ。


通路の奥で、物音が一拍遅れて増幅する。複数の足音、そして装備の金属が擦れる音。敵がこちらの存在を悟りつつある。


「奈々たちの前でお前は暗殺を見せれるのか?」

安斎の問いは、武器の先端よりも重かった。彼の声に含まれるのは怒りでも非難でもない。仲間を守る男の、苛立ち混じりの懸念だ。


玲は一瞬だけ視線を外し、あの小さな灯りの方向──仲間たちがいる可能性のある通路の分岐を見た。暗がりの向こうに、奈々の声が届くかもしれない。だが、返答はためらわなかった。

「今は仕方ない」

その一語に、決断が凝縮されていた。言い訳も弁明もない。必要なことはただ一つ、瞬時に片づけること。


安斎がわずかに笑ったように見せる。冷たい笑みだ。

「ならば、俺は表を詰める。お前は中を割け。離れるんじゃない。終わったら、俺が引き取る」


玲はナイフを握り直し、息を整えた。

「頼む」


彼らの連携は無言で精密機械のように噛み合う。安斎が右手を動かすと同時に、玲は素早く廊下の陰へ飛び込み、視界の歪みを利用して最短で敵の懐に滑り込む。安斎は通路の入口に体を預け、銃口を微かに上げて遮蔽射撃を始めた。銃声は抑えられ、弾丸は正確に敵の足元と遮蔽物を打つ。敵は姿勢を崩し、動きが鈍る。


玲は無駄のない動きで距離を詰める。掌底一閃、肘打ち、短いナイフの突き。瞬時に幾つかの動作を繋げて、目の前の標的を無力化する。血の匂いが鼻腔をかすめるが、感情は遮断されている。ただ任務だけが眼前にある。


数十秒の後、通路は再び静寂を取り戻す。安斎は即座に後方を確認し、仲間たちの安全を確かめる。玲は深く息をつき、ナイフを鞘に収めながら安斎に背を向けて小さく言った。

「終わった。予定通りだ」


安斎は肩の力を抜き、短く返す。

「予定通りに動くのがお前の仕事だ。だが、もう二度と――」

言葉はそこで途切れ、二人は互いの目を見交わした。言葉にする必要はなかった。行動でしか示せない誓いが、通路の空気に溶けていく。


背後の分岐から、奈々の怒ったような小声が聞こえた。「玲!」

玲は振り返らずに手を上げ、安心させるように短く答えた。

「大丈夫だ。俺がいる」


安斎が小さく笑い、拳を天井に軽く打ちつける。

「なら、次は全員で片づけに行こう」


廃工場の冷たい湿気が、二人の間にゆっくりと流れ込む。最強のコンビは短く背中を合わせ、仲間のもとへと足を進めた。やるべきことはまだ残っている。だが、ここで見せたのは――力と、互いを信じる覚悟だった。


時間: 午前二時二十五分

場所: 区域C・廃工場・制御室前


【コード:ミラージュ】は薄暗い制御室前に立ち、指先でモニターの端を軽くなぞる。その動きは無駄がなく、まるで目に見えない情報を操るかのように滑らかだ。

モニターに映る数字や映像が、一瞬だけ歪む。ミラージュの唇がわずかに弧を描き、不敵な笑みを深めた。


「──来たか、影班。噂通りの“影”か、それともただの幻か」


声は静かだが、空気に鋭い圧力を生む。わずかな手の動きに反応して、端末のデータが瞬時に書き換わる。敵はすでに計算の上に動いており、背後の壁に張り付いたカメラやセンサーまでもが、ミラージュの指先ひとつで欺かれている。


「全ては幻。だが、現実よりも鮮やかに──私の世界に溶け込ませてやる」


薄暗い部屋の中、わずかに反射する眼鏡のレンズが、光を切り裂く。戦場の隙間で、情報と心理を操る“影の支配者”の存在感が、静かに、しかし圧倒的に広がっていった。


時間: 午前二時二十六分

場所: 区域C・廃工場・制御室前


ミラージュの背後に設置された巨大スクリーンが、淡い青い光を放つ。そこには別のプロジェクト名が表示されていた。


《PHANTOM PROTOCOL:起動準備 89%》


「……ふふ、準備完了までもう少しだな」


指先でモニターを軽く叩くと、数字がわずかに動く。廃工場の冷えた空気の中で、スクリーンの光がミラージュの表情をわずかに照らす。

その瞳には、計画が着実に進行している確信が宿っていた。敵も味方も、彼の掌中にあるかのように、空間全体が静かに緊張で張り詰める。


時間: 午前二時三十七分

場所: 区域C・廃工場・制御室前


制御室前に静寂が支配する。冷たい空気が張り詰め、金属の床を踏む足音さえ吸い込まれていくようだった。


そこへ、服部一族が合流した。煌を筆頭に、解析班の精鋭たちが整列する。黒い戦闘服の影が、廊下の蛍光灯にかすかに反射する。


「準備は整ったか……」煌が低く呟く。


ミラージュの指先はまだスクリーンをなぞり、《PHANTOM PROTOCOL》の進行状況を確認する。全員の視線が集中する中、緊張はさらに増し、まるで空間そのものが息を潜めているかのようだった。


時間: 午前二時四十二分

場所: 区域C・廃工場・地下通路


照明の途切れた地下通路に、安斎の影が静かに揺れる。壁に反射する微かな光が、彼の長身をさらに鋭く見せる。


「……行くぞ」安斎は低く呟き、拳銃をしっかりと握り直す。その指先の緊張が、彼の決意を物語っていた。


背後で、成瀬と詩乃も慎重に位置を取り、互いに目配せを交わす。呼吸は浅く、規則的。地下の湿った空気が、緊迫の静寂をさらに濃く染め上げる。


時間: 午前二時四十三分

場所: 区域C・廃工場・地下通路


引き金を引いた。乾いた銃声が地下通路に響く。しかし、弾丸は何も捉えられず、虚空を切り裂いただけだった。


玲の姿は、すでにそこにはなく、視界の端に微かな揺らぎだけが残っている。壁をかすめる風、床を撫でる靴音、それらがかろうじて彼の存在を示していた。


安斎はすぐに身を低く構え、銃口を向けながら周囲の暗闇を見渡す。微細な気配の変化すら逃さぬ目は、影そのものを追う狩人のようだ。成瀬も詩乃も同じように息を潜め、慎重に足を進める。


「奴は……まるで、影そのものだな」安斎の低く抑えた声が、闇の中でひそやかに響いた。


微かな金属の軋み、かすかな呼吸音、床をかすめる靴音──それらが全て、玲の動きを映し出す手がかりだった。誰も予測できぬ速度で、玲は闇の中を自在に移動している。敵も味方も、その存在を正確に把握することは不可能だった。


通路の空気は張り詰め、呼吸のたびに冷たい緊張が体中を貫く。だが、玲の影がそこにある限り、影班の三人は安心と畏怖の入り混じった感覚に支配されていた。


時間: 午前二時四十五分

場所: 区域C・廃工場・地下通路


安斎は拳銃を下ろさず、ゆっくりと一歩を踏み出す。影班の仲間たちの前を進むのではなく、あくまで玲の後ろに立つ──その姿勢には、揺るぎない覚悟が刻まれていた。


「俺が、背中を守る」安斎の声は低く、だが確かな決意を帯びていた。

玲は一瞥もせず、静かに前方の暗闇を見据える。その冷たい視線が、通路の闇に潜む敵の気配を切り裂く。


安斎の手元の銃先には常に緊張が宿り、敵の一瞬の動きも逃さぬ警戒が体中に満ちている。まるで、自らの存在を盾として玲を包むかのようだ。


成瀬と詩乃もその後に続き、三人は玲の背を守りながら進む。呼吸を整え、音を殺す──全員の意識が一点に集中する。


暗闇の中、玲の姿はまるで影そのものであり、安斎の銃口はその影を絶対に守り抜く盾となっていた。


時間: 午前二時五十二分

場所: 区域C・廃工場・地下通路


「……本当に、ここでいいの?」

橘奈々がタブレットを睨みつけながら、肩越しに小さく振り返る。


古びた鉄の扉はすでに完全に閉ざされ、外界との接続は断たれていた。

沙耶は静かに奈々の横に寄り、落ち着いた声で答える。


「ここしかない……私たちは、玲を信じるしかないの」


その言葉に、朱音も小さく頷いた。手にはまだ震えが残るが、瞳には確かな覚悟が宿る。

外界と切り離された地下通路──そこに立つ影班の面々の緊張は、まるで空気そのものを固めたかのように張り詰めていた。


時間: 午前二時五十三分

場所: 区域C・廃工場・地下通路


微かに響く低い機械音が、地下通路の鉄壁に反射して、重厚な振動となり耳奥に届く。電磁場の微細な唸りが、まるで空気そのものを震わせるかのように広がる。床のわずかな軋み、錆びた鉄管の共鳴――全てが、圧力となって胸にのしかかる。


「……空気が、重すぎる」

沙耶の声はかすれ、しかし確実に闇を切るように響いた。彼女の手が軽く朱音の肩に触れる。小さな少女を守ろうとする意思が、言葉に込められていた。


朱音はスケッチブックを抱きしめ、手をぎゅっと震わせながらも、視線は前方に釘付けだ。光も届かぬ闇の中で、空間そのものが息をしているように感じられる。

微かな振動が足裏から伝わり、床に落ちた埃がゆっくり舞う。周囲の鉄壁、配管、錆の匂い、そして冷え切った空気すら、全てが“監視されている”という圧迫感を増幅させる。


成瀬は静かに銃を構え、わずかに眉を寄せる。

「何か、いる……」

その声もまた、緊張でわずかに震えていた。


通路の奥、闇は濃く、何も映さない。だが、全員の感覚がそこに“何か”が潜むことを告げていた。空間そのものが、意識を持つかのように静かに呼吸している。


時間: 午前二時五十八分

場所: 区域C・廃工場・地下倉庫


――この場所は、ただの地下倉庫ではない。


成瀬は鉄の扉に手をかけ、微かに眉をひそめた。

「……感じるか?ただの物置じゃない。空気の奥に、誰かの視線がある」


桐野詩乃が薄く息を吐き、手首の端末を確認する。

「センサーがまだ生きてる……ここ、長年放置されてたはずなのに、監視回路が微弱に反応してる」


安斎は拳銃を握り締め、静かに周囲を見渡した。

「なるほど……これは、ただの物資保管じゃないな。ここで何かが封じられてる」


朱音は小さく声を上げる。

「……なんか……空気が重い……」


玲がその背後に立ち、低く呟く。

「記録も、監視も、過去の影も……すべて、この倉庫に残されている。俺たちは、今、封印の中に踏み込む」


沙耶が肩をすくめる。

「封印……ってことは、ここで何か“隠された真実”を見つけるの?」


玲は目を細め、倉庫の奥を指差す。

「……ただの倉庫じゃない。ここは、選ばれた者たちの運命を決めた場所だ。影班も、実験も、記憶操作も……すべて、この地下区画で完結した」


空気はひんやりと重く、微かな電磁場の唸りが耳を震わせる。古びた鉄壁の隙間からは、かすかな振動が伝わる。

成瀬が小声で言った。

「……ここに立つだけで、過去が問いかけてくる……。逃げることも、隠れることも許されない」


玲は静かに頷く。

「だからこそ、覚悟を持て。ここから先は“影班”としての真価が問われる場所だ」


その言葉に、チーム全員が息を飲む。地下倉庫の闇はただの闇ではなく、“記録された過去”の証人として、今まさに彼らを試しているのだった。


時間: 午前三時二分

場所: 区域C・廃工場・地下倉庫


――バシュ――ッ!


突然、地下倉庫の奥から、まるで空気を切り裂くような鋭い音が響いた。


朱音が思わず後ずさる。

「……な、なに……?」


成瀬は素早く身を低くし、手を広げて仲間の背後をカバーする。

「気をつけろ、罠かもしれない」


安斎は拳銃を握り直し、目を細めて音の方向を探る。

「反応したか……。奴ら、ここに残っていたかもしれない」


玲は無言で足を踏み出し、黒い影の如く奥へと進む。

「──逃げ場はない。全員、俺の指示だけを聞け」


空気が一瞬にして緊張に張り詰め、機械の微かな唸りが更に不気味に響く。

倉庫の闇の中で、何かが動く気配。


沙耶は朱音を抱き寄せ、低く囁く。

「……玲さんに従って……絶対に離れちゃだめよ」


成瀬の鋭い声が響く。

「見失うな!ここでの油断は命取りだ!」


――バシュ――ッ!

再び鋭い音が闇を切り裂き、影班の瞳が一斉に光を増す。

その瞬間、地下倉庫の試練は、ただの探索ではなく、生死を賭けた戦場へと変わった。


時間: 午前三時五分

場所: 区域C・廃工場・地下倉庫


天井から、まるで生き物のように蠢く黒いケーブル群が一斉に跳ね上がった。


「っ……!」朱音が息を呑み、背後に小さく身を伏せる。


安斎は拳銃を構え、ケーブルの動きを警戒しながらも前へ進む。

「……ただの配線じゃない。センサーか、罠だ」


成瀬は素早く隠れ、手のひらで無音のジェスチャーを送り、朱音と沙耶に指示する。

「触れるな!感知したら即アウトだ!」


黒いケーブルはまるで意思を持つかのように空中で跳ね、光を反射して不気味に煌めく。


玲は冷静に足を踏み出す。手首の装置でケーブルの動きを読み、視線だけで軌道を予測する。

「──動くな、全員、俺の背後に隠れろ」


微かな金属音と空気の裂ける音が、地下倉庫を生き物のように震わせる。

沙耶は朱音を抱き寄せ、低い声で囁く。

「絶対、離れちゃだめ……玲さんの指示だけを信じて」


その瞬間、ケーブル群が再び跳ね上がり、空間に渦を巻く。

影班の全員の心臓が凍るかのように、静寂と緊張が入り混じる。

この地下倉庫は、ただの物理的空間ではなく、監視と罠の結晶となっていた。


時間: 午前三時七分

場所: 区域C・廃工場・地下倉庫


「ようこそ。“記録の外側”へ。……探偵諸君。そして、玲」


低く抑揚のない声が、地下倉庫の壁を伝い、重く静かな響きを伴って空間に満ちた。


「……誰だ?」成瀬が低く問いかける。声には警戒と緊張が混ざる。


その瞬間、影のような存在が薄暗い通路の先に姿を現した。

黒い装束に身を包み、表情は仮面のごとく読み取れない。指先で軽くモニターをなぞり、不敵な笑みを浮かべる。


「コード:ミラージュ……!」安斎が低く呟く。

「奴が、この異常な罠と監視を仕掛けた主犯か……」


朱音は小さく後ずさりながら、沙耶にしがみつく。

「……怖いよ……でも、玲さんがいる……」


玲は動かず、冷たい瞳で敵を見据えた。

「──ミラージュ、すべて把握している。俺たちの任務は、記録の真実を取り戻すことだ」


その声が闇の中で静かに、しかし確実に響き渡る。

地下倉庫の空気は、一層重く、張り詰めた。


時間:午前三時九分

場所:区域C・廃工場・地下倉庫 ――《記録の外側》


その言葉と同時に、

バシュウウウッ──!


天井のケーブル群が一斉に四方へと伸び、まるで生き物の触手のようにうねりを上げた。

金属同士が擦れ合う甲高い音が響き渡り、部屋全体が震える。


コンクリートの壁面を伝って、赤いラインが走る。

それは回路のようでもあり、**“監視する瞳”**のようでもあった。


「っ……囲まれた!?」奈々が叫ぶ。

タブレットの画面には、無数の電磁波反応が点滅している。


「違う、これは防御じゃない……制御だ」玲が低く言った。

「この空間そのものが“意思”を持って動いてる……まるで――」


「まるで、“監獄”だろう?」


冷たい声が再び響いた。

ケーブルの一部が人の形を模すように束ねられ、

その中心に、コード:ミラージュの姿がゆっくりと投影される。


ホログラムの輪郭が微かに揺れ、彼は静かに笑った。


「ここは《記録の外側》──存在してはならない者たちの記憶の墓場だ」


玲の瞳が鋭く光る。

「……“亡霊ファイル”の実体化実験、か」


ミラージュは答えず、指を鳴らした。

瞬間、床の鉄板が開き、冷たい蒸気とともに無数の“影のような残像”が這い上がる。


「さて……ここからが本当の“再現”だ。

お前たちの過去と罪、そのすべてを見せてやる」


玲はナイフを握り直し、背後の安斎と視線を交わす。

「……行くぞ。どんな“影”が出ようと、俺たちはもう逃げない」


安斎の表情が僅かに歪む。

「了解だ、司令……“影班零式”、再始動だ」


黒いケーブルが再びうねり、

闇の中、玲の眼光だけが鋭く光を放っていた。


時間:午前3時12分

場所:区域C・廃工場・地下倉庫


玲の低く鋭い声が、地下倉庫の重い空気を裂くように響いた。


「奈々、スナイパー班に要請をかけろ」

その声は小さく、しかし確実に耳に届く。

奈々は咄嗟にタブレットを取り上げ、指先で通信回線を操作する。


「……了解、玲」

彼女の声は震えながらも、迷いはなかった。


その瞬間、倉庫内の黒いケーブル群がさらに蠢き、壁際から天井まで触手のように伸び、空間全体が生き物のように反応する。

光の反射も、音の反響も、すべて計算されたようにゆらめき、奈々の指先の通信も微細に揺れた。


玲はナイフを握り直し、背後の安斎と短く視線を交わす。

「準備はいいか、影班Z」


安斎は拳銃を握り直し、床に沈み込むように身構える。

「もちろんだ。ここで怯むわけにはいかない」


倉庫全体が、瞬時に戦場へと変貌していく。

影の司令官の指示一つで、仲間の動きも、敵の反応も、すべてが戦闘のリズムに巻き込まれていった。


時間:午前3時13分

場所:区域C・廃工場・地下倉庫


玲は一歩、静かに前に踏み出した。

黒の戦闘スーツが闇に溶け込み、床の反射さえ吸い込むようだった。


その瞬間、通信越しに微かな応答音。

「──スナイパー班、現着。上層から制圧準備完了」

奈々の声が低く、確かな緊張を含んで届く。


玲は小さく頷き、視線を倉庫内に張り巡らせた。

「よし。標的の位置を正確に把握、必要最小限の動きで封鎖する。全員、無駄な射撃はするな」


安斎は拳銃を肩に構え、桐野詩乃は背後のダクトに耳を寄せる。

「了解……準備完了」詩乃の声も冷静そのものだった。


倉庫の黒いケーブルがなお蠢き、影のような存在感を帯びる中、玲は先頭に立ち、スナイパー班の援護を受けつつ、静かに暗闇を切り裂く一歩を踏み出した。


時間:午前3時14分

場所:区域C・廃工場・地下倉庫


ケーブルがうねり、青白いスパークが天井を走る。

空気がわずかに歪み、照明のちらつきの中、ミラージュの瞳が玲を見据えた。


「……なるほどな」

低く笑う。

「お前が、ここまで“影”を統率できるとは思わなかった。だが――それは俺が造った“影”だ」


その瞬間、玲の視線が鋭く光を放つ。

周囲のチーム全員に向け、短く、しかし絶対的な命令が放たれた。


「――排除対象、コード:ミラージュ」


その声は冷徹で、一片の迷いもない。

空気が凍り、チーム全員の動きが一斉に揃う。

詩乃が呼吸を止め、安斎が銃口をわずかに上げ、成瀬が手信号を送る。


ミラージュはゆっくりと目を細め、笑みを消した。

「……まさか。お前に“殺される日”が来るとはな、玲」


玲はわずかに下を向き、そして冷たく言い放つ。

「違う。“止める”だけだ。影の名で造られた呪いを――ここで終わらせる」


空間が一瞬、息を呑むように静まり返った。

そして次の瞬間、影班の突入号令とともに、倉庫全体が戦場と化した。


時間:午前3時16分

場所:区域C・廃工場・地下倉庫


玲はミラージュを睨みつけたまま、わずかに肩を揺らして答えた。

声は低く、しかし揺るぎなく響く。


「いや。戻っただけだ。最初から“殺し屋”だったろ。俺たちは」


安斎の拳がわずかに硬くなる。

詩乃が肩越しに玲を見つめ、息を呑む。

成瀬は黙って頷き、背後の朱音と沙耶はその場に固まったまま、玲の言葉を飲み込む。


玲の目が鋭く光を帯び、空気を切り裂くような沈黙が倉庫内に広がる。

「影として生まれ、影として生き、影として戦う――それが俺たちだ」


その瞬間、全員の心がひとつに結ばれた。

「影班零式」、再び。戦いは、影から始まる。


時間:午前3時17分

場所:区域C・廃工場・地下倉庫


奈々は背中に冷たい汗を感じ、足がわずかに震えた。

目の前の空間には、ただならぬ緊張が漂っている。


「……これは、ただの対峙じゃない……」奈々の心の声が漏れた。


ミラージュは静かに計算し、眼差しは支配の冷たさを宿している。

だが、玲の動きは違った。足取りは確実で、無駄は一切なく、ただ“終わらせる”ためだけに存在していた。


玲は低く息を吐き、鋭い視線をミラージュへと向ける。

「……ここで終わる。誰も逃がさない」


その言葉に、安斎と成瀬の神経がピンと張り詰め、詩乃の手は自然に握りこぶしへと変わった。

暗い倉庫の中、時間さえも緊迫に引きずられ、音は吸い込まれたかのように消えていった。


時間:午前3時18分

場所:区域C・廃工場・地下倉庫


ミラージュの両手がゆっくりと広がる。

その瞬間、壁一面に隠されていたホロディスプレイが一斉に点灯し、冷たい青白い光が倉庫内を染めた。


映し出されたのは、かつての任務記録、抹消された極秘ファイル、そして影班の死者たちの名前。

誰もが封印され、記録から消されていたはずのデータが、無慈悲にその姿を現す。


奈々は目を見開き、声にならない息を漏らす。

朱音は手で口を押さえ、思わず後ずさる。


「……ここまで……見せるつもりだったのか……」安斎の声が低く震える。


ミラージュの冷たい笑みだけが、空間に静かに広がった。

「全てを思い出せ。全てを認識しろ。さもなくば、永遠に消える」


時間:午前3時19分

場所:区域C・廃工場・地下倉庫


ホロディスプレイの光に、玲の視線が吸い寄せられる。

無数の名前が流れる中、その一つが凍りつくように目に留まった。


──神崎礼二。


胸の奥で、強く鼓動が跳ねる。視界が揺れ、手のひらがほんのわずかに震んだ。

目の前に兄の名が現れる――それは、過去に封印された現実の断片であり、玲にとって耐え難い衝撃だった。


「……礼二……」

声にならない囁きが、倉庫の静寂をかすかに震わせる。


安斎が玲の肩に軽く手を置き、低く囁く。

「……見極めろ、影の中でも冷静でいろ……」


玲は一瞬、深く息を吸い込み、兄の名を胸に刻むように視線を固めた。

その瞳には、怒りでも悲しみでもない、ただ静かな決意が宿っていた。


時間:深夜3時12分

場所:湾岸第七倉庫・地下制御室


ミラージュの声が、冷たい機械の残響とともに空間に広がった。


「そうだ、神崎礼二は初期の実験体。お前の戦い方も反応も、彼のデータから生まれたものだ。つまり、君自身も――」


ホロディスプレイに映し出された兄・神崎礼二の顔が、無数のコードと解析数値に覆われてゆく。

玲の喉が、わずかに動いた。

だが声は出ない。


背後で奈々が小さく息を呑み、沙耶が朱音を抱き寄せる。


「玲さん、それって……」


奈々の声が震える中、玲の拳がゆっくりと握り締められた。

その瞳に宿るのは、怒りではなかった。

――確かな“覚悟”だった。


時間:深夜3時13分

場所:湾岸第七倉庫・地下制御室


地下室の空気は重く、機械音と微かな電磁ノイズが耳をくすぐる。玲の足元が一瞬、歪んだように見えた。呼吸を止めるほどの緊張の瞬間――そして次の瞬間、複数の銃声が轟いた。壁や鉄骨に当たる弾丸が鋭い金属音を立て、煙が立ち上り、照明は明滅し、視界は粉塵と炎に覆われた。


「……音が、消えた」


朱音が震える声で呟く。沙耶は両手で耳を塞ぎながらも、玲の背後に立つ。奈々の目には恐怖と驚愕が混じる。


玲は静かに片手を掲げ、低い声で言った。

「全員、動くな。混乱するな。声に惑わされるな……敵は心理干渉型だ」


安斎は拳銃を構えたまま、玲の言葉に従い慎重に足を止める。成瀬もまた、朱音たちを庇うように後方で身構えた。


煙と光の中、玲は一歩、また一歩と進む。彼の周囲だけ時間がゆっくりと流れるかのように、敵の動きはすべて読み切られていた。黒い戦闘スーツが影と同化し、音なき一撃で敵を次々と無力化する。


「……これが、俺たちのやり方だ」

玲の声が低く響く。冷徹だが、仲間を守る意思だけは揺るがない。

「声を信じるな。目で、感覚で、存在を感じろ。これ以上、誰も傷つけさせない」


その瞬間、地下室全体が、静寂と戦慄に支配された。煙、銃声、爆発――すべての物理的音が吸い取られ、残ったのは玲の圧倒的な存在感だけだった。


朱音は小さくつぶやいた。

「玲……すごい……」


沙耶も、息を殺して頷く。

「でも……怖い……」


玲は振り返ることなく、淡々と次の標的に目を据えた。

「俺は影だ。守るべきものを守るため、すべてを消す……」


地下室の闇と煙の中で、玲の影はまるで時間そのものを掌握しているかのように、静かに、そして確実に敵を制圧していった。


時刻:深夜0時47分

場所:湾岸第七倉庫・地下制御室


煙がようやく薄れ、鉄扉の向こうで遠く救急のサイレンが鳴り始めた。残されたモニターの光が、床に散らばった機材と人影を冷たく照らす。誰もが息を切らし、ただ互いの姿を確かめ合うように視線を交わしていた。


「――ここまでか」

ミラージュがゆっくりと立ち上がり、手を後ろに組んだ。全身に纏った余裕は崩れていない。だが、その瞳には晴れない影が宿っていた。


玲は、背中にわずかな血の湿りを残しながらも、静かに前へ歩み出る。周囲の誰もがその足跡に目を奪われる。先ほどまでの戦闘の音が嘘のように消え、空気はやけに重い。


「終わらせるか、それとも――」

玲の声は低く、しかし確固たるものだった。


ミラージュは小さく笑って、ポケットから一枚の写真を取り出した。薄暗い光にかすかに反射する白黒の写真。そこには、若い男の笑い顔が写っている。玲の兄、神崎礼二の写真だった。


「覚えているか? お前の兄貴の顔を。」

ミラージュが写真を玲に突きつけるように言った。その声は穏やかだが、刃のように冷たい。


玲の指先がわずかに震えた。礼二の名前が、胸の奥で何かを震わせる。周囲の時間が徐々に引き締まっていく。


「これが、そいつの――?」と、成瀬が吐き捨てるように言った。


ミラージュは頷き、「ああ。あの男が、お前の兄を潰した。組織の命令だと言い訳したが、彼の手は血で濡れていた。家族を、人生を、全部奪ったんだ」と続けた。言葉は平然としているが、その内容は重かった。


「だから、俺は復讐した。お前らが作った影から逃れた者のひとりとして、あの時の恨みを晴らしたかった。表に出てこられない“影”を――お前の兄に仕返ししてやった」

ミラージュの瞳が、まっすぐ玲を刺す。


一瞬の静寂。朱音の小さな吐息だけが聞こえた。奈々の顔は蒼白に変わり、沙耶は手で口元を押さえた。安斎の握る拳がゆっくりと白くなる。


玲はゆっくりと写真を受け取り、礼二の顔をじっと見つめた。目の奥で何かが崩れ落ちるのが見えた。怒りでもなく悲しみでもない、長年押し込めてきた感情の割れ目から、禁じられた記憶が溢れ出す。


「――敵討ちだったのか」

玲の声音は砂のように擦れた。短い一言だが、その重さは地下全体に落ちた鉛のように深い。


ミラージュは肩をすくめる。「お前が帰ってくるのを待っていた。お前の手で終わらせてほしかったんだ。でも、君はいつまでも影のまま、目を逸らしていた。だから、俺が動いた」


玲は顔を上げ、チームの方を向いた。灯りに照らされた彼の表情は、誰よりも冷たく、誰よりも決然としていた。


「礼二の仇討ちか。……分かった。お前の怒りは、俺に向けられていた。だが、忘れるな――俺は影として生きてきた。誰かを殺すためにではない。守るためにここにいる」


その言葉とともに、玲の手が静かに拳を作った。地下室の空気は、再びひとつの覚悟で満ちた。復讐が途を選び、守るという誓いがまた別の道を指し示す。その境界線を、今まさに彼らは越えようとしていた。


時間:午前2時37分

場所:湾岸第七倉庫・地下制御室


玲はゆっくりと膝をつき、深く息を吸った。静寂の中、かすかに響く自分の呼吸だけが、この地下室に存在を刻んでいる。長き戦いの果て、ようやく一瞬の安堵が訪れたが、その代償はあまりにも大きかった。血に濡れた衣服、擦りむけた手、疲労に支配された体。


「もう……立つのは、無理かもしれない」

玲の声は、自嘲と疲労の入り混じった低音で地下室に響いた。しかし、その瞳の奥にはまだ消えない決意の光が宿っている。


時間:午前2時55分

場所:湾岸第七倉庫・地下制御室


そのまま安斎は、玲の前に立ち、ぎこちなく腕を開いた。


「……ありがとう。お前がいたから、俺はやり直せた」


玲は何も言わずに、わずかに瞬きをしただけだった。だが、安斎はそのまま彼を力強く抱きしめた。


玲はその抱擁に、長く抑え込んでいた感情が一気に溢れ出すのを感じた。嗚咽が胸の奥からこみ上げ、声にならない声が震えた。


「……ありがとう、安斎……」


その言葉は、涙とともに初めて安斎に届いた。嫉妬と尊敬が交錯した複雑な感情が、二人の間に静かに溶けていく。


玲はやっと、重かった心の重荷を少しだけ下ろすことができたのだった。


周囲の仲間たちは静かにその様子を見守る。誰も声を発せず、ただこの瞬間の安堵と再生を胸に刻む。


地下制御室の冷気はまだ残るが、仲間たちの温もりが確かにその空間に広がっていた。


時間:午前3時05分

場所:湾岸第七倉庫・地下制御室


次に近づいたのは――朱音だった。


少女の瞳には涙が浮かんでいたが、まっすぐだった。彼女はスケッチブックを胸に抱いたまま、玲の前に立った。


「ねぇ、玲さん……」


「うん」


「わたし、見てたよ。ずっと、玲さんが誰よりも“ひとり”だったの、知ってた。でもね――もう大丈夫」


朱音は小さな身体で、玲の腰にぎゅっと抱きついた。


「わたしがいるもん。わたしが、ずっと味方でいるよ」


玲はその小さな温もりに、心の奥底で凍えていた何かがゆっくりと解けていくのを感じた。朱音の無垢な優しさが、長い孤独と戦いの傷を優しく包み込むようだった。


「……君がいてくれて、本当に良かった」


玲はそっと朱音の背中を撫で、ほんの少しだけ涙をこぼした。


静かな夜の中、二人だけの時間が優しく流れていった。


時間:午前3時12分

場所:湾岸第七倉庫・地下制御室


続いて、沙耶が歩み出た。


彼女は何も言わずに、ただしばらく玲を見つめていた。

そして、一歩。

もう一歩。

そのまま、言葉もなく彼を抱きしめた。


「……泣いていいよ」


そう囁いたとき、玲の肩が、初めて小さく震えた。

彼の全身から、力が抜けるように膝をついた。


それを支えるように、沙耶はそっとその背に手を添えた。


「全部、もういいんだよ。もう、1人じゃないよ」


玲の震える背中に、沙耶の手が温かく寄り添う。長い孤独と戦いの果てに、ようやく訪れた安堵の瞬間だった。


玲は嗚咽を漏らしながら、心の奥底に閉じ込めていた痛みと悲しみを解き放つように、その場に膝をついたまま崩れ落ちた。


「ありがとう……本当に、ありがとう」


その言葉は震えていたが、確かな感謝の気持ちが込められていた。


朱音が小さく笑い、沙耶を見上げて言った。

「ママって……玲のママみたいだね」


みんながその言葉に微笑み、沙耶の存在が玲にとってこれからの未来を支える光になることを、全員が感じていた。


時間:午前3時17分

場所:湾岸第七倉庫・地下制御室


「お前がいなかったら、俺たちは消えていた」


その声は静かに、だが確かに玲の耳に届いた。

成瀬由宇――かつて感情を排し、任務だけを生きる“影の執行者”と呼ばれた男。

その彼の声には、氷を溶かすような温度が宿っていた。


玲が顔を上げると、成瀬は仮面のような無表情のまま、しかし目だけは深く澄んでいた。


「俺たちは、あの日からずっと“命令”に縛られていた。けど……今は違う。お前がいたから、選べた。自分の意志で、生きることを」


その言葉の重みが、冷たい地下の空気を揺らした。

安斎が少し離れた場所で、腕を組みながら静かに頷く。

沙耶と朱音も、何も言わずにその瞬間を見守っていた。


玲は短く息を吐き、微かに笑った。

「……ありがとう。お前のそういう顔、久しぶりに見た」


成瀬はわずかに唇の端を上げた。

「二度と見せるつもりはなかったんだがな」


淡い冗談のような言葉に、緊張に満ちた空間が少しだけ和らぐ。

それでも、互いの間にあるのは確かな“信頼”だけだった。

長き孤独の果て、ようやく彼らは再び“仲間”として並び立っていた。


時間:午前3時22分

場所:湾岸第七倉庫・地下制御室


「……こんな私でも、生きてていいと思えたのは、あなたのせいよ」


桐野詩乃の声は、低くも穏やかに響いた。

普段は冷徹で毒のような言葉を操る彼女だが、今はまるで初めて見せる柔らかさを帯びていた。


玲はその声に少しだけ肩を緩め、静かに目を閉じる。

「……俺が?」


「ええ。あなたが……そこにいてくれたから。影でも、孤独でも、戦い続けても、私は生きてていいと思えた」


詩乃の瞳は揺れる光を宿し、長く抑え込まれた感情がほのかに滲んでいた。

安斎は横で拳を握り、視線を逸らさずに彼女を見守る。

朱音は小さく息を呑み、沙耶は微笑みながらそっと手を差し伸べる。


玲はゆっくりと頷き、言葉を返す。

「……なら、これからも一緒に歩こう。俺たちは、影でも、光でも……仲間だからな」


その一言に、詩乃は短く笑みを浮かべ、かすかに肩を揺らす。

地下室の冷え切った空気の中で、小さな温もりが静かに広がった。


時間:午前3時30分

場所:湾岸第七倉庫・地下制御室


「完璧じゃなくていい。玲が玲でいてくれることが、俺たちには意味がある」


柊啓一の声は、低くも力強く、静かに響いた。

過去の苦悩や後悔を乗り越えた父親としての重みと、子への深い愛情が同居する言葉だった。


玲はその声に微かに肩を揺らし、視線を床に落とす。

「……俺が俺でいていいのか……」


「いいんだ。もう、誰のために背負う必要もない。俺たちはお前を信じてる」


沙耶は玲の背に手を添え、朱音は小さく頷く。

成瀬由宇は拳を緩め、詩乃は目元を隠すように小さく笑った。


玲はゆっくりと顔を上げ、深く息をつく。

「……ありがとう。皆がいてくれるなら、俺は俺で、ここに立っていられる」


その瞬間、地下室の冷たい空気の中に、ほんの少しだが温もりが満ち、仲間たちの絆が静かに確かめられた。


時間:午前3時33分

場所:湾岸第七倉庫・地下制御室


「おかえり、玲」


その声は、どこか懐かしく、穏やかだった。

振り返ると、川崎ユウタが静かに立っていた。

少年の瞳には、すべてを見てきた者だけが持つ深い光が宿っている。


「……ユウタ」


玲がその名を呼んだ瞬間、ユウタはほんの少し微笑んだ。

「ずっと、見てたよ。あなたがどんなに壊れそうでも、どんなに傷ついても……ちゃんと、前に進んでた」


「……そう見えたか?」


「うん。だって、止まらなかったでしょ? ――兄さんの記憶の中でも、玲さんはいつも立ち上がってた」


玲の胸に、静かに熱が広がる。

ユウタは“記憶の証人”としてだけでなく、失われた兄・礼二の意志を継ぐ存在でもあった。


「兄さんも、きっと言うよ。“おかえり”って。だから僕も、言いたかったんだ」


玲は言葉を失い、ただ頷いた。

長い旅路の果てに、ようやく戻ってこられた場所――それが“仲間のもと”であり、“真実の記憶”の中だった。


玲の頬を、一筋の涙が伝う。

「……ああ。戻ったよ、ユウタ」


その瞬間、崩れかけた地下制御室の闇の中に、確かに“救い”の光が差し込んだ。


時間:午前3時36分

場所:湾岸第七倉庫・地下制御室


崩れかけた天井の隙間から、かすかな光が差し込んでいた。

戦いの終焉を告げるように、機械の唸りがゆっくりと静まっていく。


その静寂の中――橘奈々が、ゆっくりと歩み出た。

彼女は何も言わない。ただ、真っ直ぐに玲を見つめていた。


玲が小さく息を呑む。奈々の表情には、いつもの分析的な冷静さも、強がりもなかった。

ただ、安堵と――溢れるような感情だけがあった。


「……奈々?」


呼びかけたその瞬間、奈々はためらいもなく一歩踏み出し、

玲の顔を両手で包み――そっと唇を重ねた。


一瞬、時間が止まった。

それを見ていた一同の中から、あちこちで声が上がる。


「わお……!」(安斎)

「おいおい、マジかよ……」(由宇)

「こらっ! 朱音、見ちゃダメっ!」(沙耶が慌てて朱音の目を塞ぐ)

「え、えぇぇ!? だって! だってぇー!」(朱音)


玲は、驚きの中でゆっくりと目を閉じた。

奈々の唇が離れたとき、彼女の瞳には涙が浮かんでいた。


「……分析不能、だね」

小さく笑いながら、奈々が呟く。


玲もわずかに笑みを返す。

「……いいんじゃないか。たまには、理屈抜きでも」


その瞬間、壊れた天井から朝の光が差し込み、

それぞれの傷だらけの顔を、優しく照らした。


長い戦いの夜が、ようやく終わりを告げていた。


時間:午前7時12分

場所:玲探偵事務所・リビング


朝の光がカーテン越しに差し込んでいた。

夜の戦いで疲れ切った身体に、柔らかく温かい光が降り注ぐ。


玲はソファに腰掛け、ゆっくりと呼吸を整えていた。

膝には朱音が丸くなり、スケッチブックを抱きしめながら静かに眠っている。

沙耶はその隣に立ち、静かにコーヒーを淹れていた。


安斎と由宇は窓際で、まだ緊張の名残のある表情で外を見つめている。

詩乃は小さく微笑みながら、ファイルを整理しつつ、戦いの余韻をかみしめていた。


「……朝か」玲は小さく呟く。

沙耶が優しく答える。

「ええ、やっと、普通の朝が来たみたいね」


朱音が目を覚まし、まだ眠そうな声で言った。

「玲さん……おはよう」

玲は微笑み、肩を軽く撫でた。

「おはよう、朱音」


奈々は少し離れたところで、静かに玲を見つめていた。

彼女の瞳には、昨夜の混乱と恐怖の記憶を越えた、確かな信頼と安堵が宿っている。


玲はその光景を見渡し、胸の奥に深く息を吸い込む。

戦いは終わった。だが、守るべきものはまだここにある――

そして、もう一度立ち上がる力も、仲間たちとともに取り戻したのだ。


「さて……今日からだな」玲はそう言って、ゆっくりと立ち上がった。

窓の外、朝日に照らされる街が、静かに新しい一日を迎えていた。


時間:朝

場所:玲探偵事務所・リビング


そして、何の迷いもなく朱音が玲に駆け寄ると、隣にぴょんと座って、


「今日の玲さん、なんかちょっと優しい!」


と、笑顔で言い放った。


玲はふっと目を細め、口元だけでこう返す。


「……元から優しかっただろ?」


「ないないないない」

沙耶と奈々が同時に即答し、全員が笑った。


玲はその反応に、わずかに眉を上げて戸惑ったように目を瞬かせた。


「……そんなに、俺、やばかったか?」


ぽつりと漏らしたその言葉に、今度は成瀬が吹き出す。


「やばいなんてもんじゃなかったな。背中に氷の刃でも背負って歩いてるのかと思った」


「近寄ったら“視線”で心臓止まりそうだったもん」

桐野詩乃が肩をすくめながら言えば、


「初対面のとき、目が合っただけで胃が痛くなったからね……」

奈々が真顔で頷いた。


「……ほんとだよ。朱音以外には、“人間語”使わなかったしね」

沙耶が呆れたように言うと、


「うわ……ちょっと待って。これ、俺、意外とショック受けてるかも……」

玲が静かに頭を抱えた。


全員、どっと笑う。

その空気は、かつての彼らが知らなかった、柔らかな“仲間”の空気だった。


「でもまあ、いいんじゃない?玲が“ちょっとやばい”くらいのほうが、私たちも緊張感保てるし」


「……ちょっと?」


「うん、“ちょっと”ね。今はもう、“笑う”玲がいるし」


沙耶がそう言って微笑んだとき、玲の目元がわずかに緩んだ。


「……なるほど。それは、それで悪くないな」

時間: 朝

場所: 玲探偵事務所


玲は膝を軽く曲げ、静かに視線を巡らせた。長い戦いのあと、部屋には安堵とまだ微かな緊張が混じっていた。


「……みんな」

低く、しかし確かな声で口を開く。


「安斎。お前がそばにいてくれたから、俺はここまで来られた。本当に、ありがとう」

安斎は少し戸惑いながらも頷く。


「朱音。お前の無垢な優しさに、何度も助けられた。心の奥まで届く光を、ありがとう」


「沙耶。……言葉じゃ言い表せないけど、お前がいてくれたから、俺は泣くことも、弱さを見せることもできた。ありがとう」


「成瀬。お前の冷静さと信頼が、俺の背中を押してくれた。影班として、仲間として、ありがとう」


「詩乃。お前の温かさに救われた。いつも影の中で戦うお前だからこそ、気付けたものがある。ありがとう」


「啓一。……父として、仲間として、見守ってくれてありがとう。お前の優しさを、俺は忘れない」


「ユウタ。記憶の証人として、俺の戦いを見届けてくれた。その存在が、俺にとってどれだけ支えになったか……ありがとう」


「奈々。……お前の気持ちは、全部、受け取った。無言の優しさも、笑顔も、力に変わった。ありがとう」


玲はゆっくりと深く息を吐き、視線を床に落とす。長い孤独と戦いの果てに、彼はやっと胸の奥で静かに「感謝」を感じることができたのだった。


「俺は……みんなに出会えて、本当に良かった」


部屋に温かい沈黙が広がる。笑顔、安堵、そして小さな光――それらが、玲の心を静かに満たしていった。

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