表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/121

29話 カタコンベの幾何学殺人

玲探偵事務所関係


れい

•探偵・チーム総指揮

•冷静沈着で戦術的思考に長ける

•影班、服部一族、各スペシャリストとの連携を統括

•言動は簡潔だが、チームメンバーへの信頼厚い


佐々木朱音あかね

•圭介の娘、純粋で直感力が鋭い

•事件解明のきっかけとなる存在

•絵やスケッチで情報を伝えることがある

•紫苑を「じぃじ」と呼ぶほど懐く


佐々木圭介けいすけ

•朱音の父

•過去の事件に深く関わる人物

•真実を追い求める意志が強く、娘やチームを守る


沙耶さや

•圭介の妻、朱音の母

•チームの感情的支柱、鋭い観察力を持つ



影班(突入・制圧チーム)


成瀬由宇なるせ ゆう

•暗殺・接近戦担当

•無音で接近し標的を制圧


桐野詩乃きりの しの

•毒物処理・痕跡消去担当

•周囲の干渉や記録を操作・抹消


安斎柾貴あんざい まさき

•精神制圧・記録汚染担当

•デバイスによる意識遮断や記録削除が得意



記録・解析スペシャリスト


御子柴理央みこしば りお

•記憶分析官

•偽装された記憶の痕跡を抽出、情報の整合性を確認


九条凛くじょう りん

•心理干渉分析官

•記憶や精神操作の痕跡を解析、抹消された情報の復元も担当


水無瀬透みなせ とおる

•記憶探査官

•深層意識アクセスのスペシャリスト


瀬名零司せな れいじ

•記録照合・戦略解析

•データ・証言・動機を組み合わせ行動の意味を可視化

•口癖:「情報が示す“本音”は、言葉よりも正確だ」


久瀬遥くぜ はるか

•データ解析・並列演算担当

•リアルタイムで情報干渉の痕跡を追跡


白鷹ミコト(しらたか みこと)

•資料回収スペシャリスト

•対象情報の安全回収を担当


笹原晶ささはら あきら

•封印解読・記憶復元スペシャリスト

•対価を条件に深層記憶へのアクセス可能


望月慧もちづき けい

•記録復元専門官

•改ざんされた記録の痕跡を解析し、真実を再構築


如月迅きさらぎ じん

•暗号化記録復元・反改ざん

•高度な暗号解析で改ざんされた情報を元に戻す



戦術・戦闘専門


風間凱かざま かい

•戦術解析・突破工作担当

•チーム全体の指揮系統と戦術立案を補助


真堂レイジ(しんどう れいじ)

•スナイパー・遠距離制圧担当

•構造弱点を狙撃し防衛AIも制圧可能


鷲塚エイジ(わしづか えいじ)

•環境同調索敵官

•空気・振動・熱・圧力の変化で人や物の痕跡を特定



服部一族(忍術・幻術担当)


服部刹那はっとり せつな

•忍術戦術統括

•小隊単位の隠密行動と戦術統制が得意


服部響はっとり ひびき

•幻術操作・認識撹乱

•音・光による幻術で敵の知覚を錯乱


服部紫苑はっとり しおん

•忍術・結界担当

•服部半蔵の正統末裔

•朱音を「じぃじ」と呼ばれるほど可愛がる

場所:旧市街・廃棄された建物群

日時:夜


夜の冷え込みが、かすかな湿気を帯びて玲の頬をかすめた。

旧市街の奥、崩れかけた建物群が歪んだ影を落としている。


「異常な配置の遺体がある――」

影班からの報告は簡潔だった。だが、それだけで玲の中にある直感が警鐘を鳴らすには十分だった。


「由宇おじちゃん、見て。」


朱音が路地の隙間にしゃがみ込み、小さな指で錆びた鉄製の扉を示した。

彼女はすでに何かを感じ取っている。鋭い嗅覚、目に見えない異変を読み取る直感。

玲はその視線を追いながら、背後にいる影班の面々を確認する。


成瀬由宇は沈黙の中で身構え、桐野詩乃は目線だけで玲に合図を送る。

安斎柾貴は冷静な口調で言った。「記録を確認したが、ここには正式な埋葬の履歴がない。つまり、この地下にあるものはすべて”存在しないはず”のものだ。」


玲はわずかに頷き、扉に手をかける。


風間凱がぼそりと呟いた。「ここまで不自然だと、何か隠されているとしか思えないな。」


「行くぞ。」玲の静かな声が闇を貫く。


その瞬間、朱音が彼の袖を軽く引いた。


「玲さん……ここ、何か聞こえる。」


玲は息を止める。


沈黙の中、地下へと続く闇がゆっくりと口を開けていた――。


場所:旧市街・廃棄された石畳の路地

日時:深夜


古びた石畳の隙間から、冷たい湿気が這い上がる。

月明かりは雲の合間に隠れ、路地の奥に広がる闇を薄暗く染めていた。


朱音は小さな手を伸ばし、湿った石に触れながら呟いた。

「ここ……何か違う……」


玲は彼女の視線を追い、慎重に周囲を見渡す。

成瀬由宇は静かに立ち、夜気に耳を澄ませる。桐野詩乃は影のように静かに動き、安斎柾貴は冷徹な声で言った。


「この路地、監視記録も存在していない。つまり、ここにある情報も物理的な痕跡も、意図的に消されている。」


玲は深く息を吸い込み、扉の前で立ち止まった。

「行くぞ。」


影班は一斉に動き、静寂の中、地下へと続く闇に足を踏み入れた――。


場所:旧市街・地下通路

日時:深夜


玲は足元の遺体を見下ろした。

複数の人影が静かに並べられ、冷たい石の床に固定されている。外傷は見当たらず、ただ不自然な角度で安置されていた。


朱音が小さく息を呑む。

「……みんな、動けないみたい……」


成瀬由宇が低く囁く。

「配置されている角度、距離……意図的だ。これはただの死体じゃない。」


桐野詩乃が手袋越しに床を触れ、微かな痕跡を確認する。

「この痕跡、何かしらの操作が加えられている……通常の埋葬ではありえない。」


安斎柾貴は静かに端末を取り出し、データをスキャンしながら告げた。

「脳波変調の痕跡がある。記憶や意識を操作されている可能性が高い。」


玲は一瞬、視線を閉じ、深く息を吐いた。

「……この中に、真実が隠されている。すべて洗い出す。」


影班は無言で頷き、通路の奥へと進んだ。

地下の闇は、ただじっと、彼らの動きを待っていた。


場所:旧市街・地下通路

日時:深夜


玲の視線が、石壁に浮かぶ古代文字に止まった。

深く彫り込まれた文字は、年月を経て風化し、かすかに苔が絡んでいる。光を当てると、微かに光沢を帯び、まるで低い脈動のように揺れて見えた。


朱音が小さな指で触れながら呟く。

「……これ、読めるのかな……?」


成瀬由宇が壁際に身を寄せ、文字の輪郭をなぞるように目を走らせる。

「これは単なる装飾ではない。意図的に残された符号だ。何かを記録している……いや、警告かもしれない。」


桐野詩乃が端末で撮影し、デジタル解析を開始する。

「形状と刻まれ方に不自然な規則性がある。暗号としての意味を持つ可能性が高い。」


安斎柾貴は唇を引き結び、壁から数センチ離れた位置に立ったまま言った。

「……これはただの壁ではない。誰かが、ここに『触れるな』と告げているようなものだ。」


玲はゆっくりと指を壁に置き、文字の深部に意識を集中させた。

「……読み解く。ここに隠された記録を、全て掴む。」


地下の静寂に、文字が刻んだ過去の声が、微かに響くかのようだった。


場所:旧市街・地下納骨堂跡

日時:深夜2時47分


奥へと進むたび、湿った空気が重くのしかかってくる。

石壁の間を流れる冷気は、まるで“何か”が息をしているようだった。足音が響くたび、天井から落ちる雫の音が不気味なリズムを刻む。


成瀬由宇が先頭で懐中ライトを掲げ、低く呟いた。

「この通路……途中から構造が変わってる。後から造り足された部分だ。」


桐野詩乃が手袋越しに壁を触れる。

「湿度の差もある。新しい石材が混じってるわ。少なくとも、百年前のものじゃない。」


安斎柾貴は端末を確認しながら眉をひそめた。

「記録上、この区画は存在しない。……それなのに、内部温度が一定に保たれている。人工的な制御がある。」


玲は静かに立ち止まり、闇の奥を見つめる。

「――この空気、感じるか?」


風間凱が答えた。

「圧がある。生体反応はないが……何か“動いてる”気配だけが残ってる。」


朱音は玲の背中に身を寄せ、囁くように言った。

「……ねえ、あの奥で誰かが泣いてる。」


その言葉に、場の空気が一瞬で凍りついた。


玲は短く息を整え、影班に目配せをする。

「全員、配置につけ。――ここから先は、“記録の底”だ。」


その先には、光を拒むように口を閉ざした扉がひとつ。

まるで過去そのものが、開かれるのを拒んでいるかのようだった。


玲はしゃがみ込み、ライトの光を遺体の並びへと滑らせた。

整然と並べられた死体の列――その頭部の角度、腕の位置、足の向きまでもが、まるで緻密な設計図のように配置されていた。


「遺体の向き、間隔、配置順。これは単なる儀式ではない。」

玲の声は、地下の静寂を裂くように低く響いた。

「“座標記憶”を可視化したパターンだ。」


成瀬由宇がすぐさま反応する。

「座標記憶……つまり、脳波の再現データを空間配置に変換したものか?」


玲はわずかに頷いた。

「そうだ。記録を改ざんするんじゃなく、“配置”によって記憶を再生してる。死者の意識を、空間そのものに刻む技術――誰かが意図的にやった。」


桐野詩乃が壁に残された古代文字の断片を指差す。

「ここの文様、“記録を封ず”って読める……。つまり、彼らは封印の“器”にされたのね。」


朱音が一歩前へ出て、小さく呟く。

「この人たち……まだ、何かを覚えてる。」


玲はその言葉に目を細め、静かに立ち上がった。

けいと如月を呼べ。記憶復元の準備を始める。」


彼の声は、冷たい石壁に反響しながら、奥の暗闇へと吸い込まれていった。

まるで、記録そのものが応答を待っているかのように――。


玲の声が、静まり返った地下の空気に溶けていく。

ライトが揺れるたび、壁に刻まれた古代文字が、まるで呼吸するかのように淡く光を返した。


「誰かが――ここで“記憶を投影”していた。」

彼は遺体のひとつに歩み寄り、そっと指先でその額の位置をなぞる。

「遺体は装飾じゃない。媒体だ。記憶を刻むための。」


その瞬間、桐野詩乃が小さく息を呑んだ。

「……記憶の器、ってこと?」


玲は頷く。

「そうだ。脳波変調の痕跡が残っていた理由もそれで説明がつく。

この空間そのものが、“記録の再生装置”として使われていた。」


成瀬由宇が視線を壁に移す。

「つまり、誰かが“ここで見た記憶”を再現しようとしていた……?」


「いや。」玲は目を細め、低く言い切った。

「“再現”じゃない。“残そうとした”んだ。――死ぬ瞬間の記憶を、永遠に。」


沈黙。

朱音がわずかに身を震わせながら、玲の袖を掴んだ。

「玲さん……ここ、泣いてるみたい。」


彼は少女の手に視線を落とし、そっと答える。

「……ああ。これは“記録”じゃない。“祈り”の跡だ。」


その言葉が落ちた瞬間、地下の奥で、誰かの声がかすかに響いた。

それは記録か、記憶か――

判別のつかない“残響”だった。


時間:深夜2時47分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層中央区画



死者の静寂が支配するカタコンベの奥、冷たい石床にわずかな靴音が響いた。

湿り気を帯びた空気が肌にまとわりつき、懐中ライトの光がゆらめくたび、古びた骸骨の影が壁面に浮かんでは消える。


玲はその中を、慎重に歩を進めていた。

足元には崩れた棺の破片、そして──人為的に並べられた遺体。

すべて同じ姿勢、同じ角度。まるで何かを指し示すように、北東の一点を向いている。


成瀬由宇がその配置を見て、息を呑んだ。

「……まるで、方角を揃えた“座標”みたいだな。」


桐野詩乃がライトを壁に向ける。そこには、褪せた血の跡で描かれた螺旋模様が刻まれていた。

「これ、儀式痕跡にも似てるけど……線が太すぎる。まるで、誰かが“書き直した”みたい。」


安斎柾貴が端末を操作しながら低く呟く。

「生体反応はなし。ただ……電磁残留値が高い。ここ、死んでる場所じゃない。まだ“動いてる”。」


玲は一歩前に出て、冷たい空気を吸い込んだ。

「この並び方……“死後の座標記録”だ。遺体を媒体にして、記憶を固定している。」


詩乃が眉をひそめる。

「じゃあ、これ全部……“誰かの記憶”ってこと?」


「いや、違う。」玲の声が低く響く。

「“誰か”じゃない。“同一人物の記憶”だ。――それも、複製されたもの。」


その言葉に、場の空気が一瞬凍る。


朱音が玲の背後からそっと顔を出し、か細い声で問う。

「ねえ玲さん……この人たち、まだ“夢を見てる”の?」


玲は一瞬だけ目を閉じた。

そして、静かに答えた。

「夢じゃない。――消えない記憶の中に閉じ込められてるんだ。」


その瞬間、カタコンベの奥から低い共鳴音が響いた。

まるで誰かが、遠い記憶の中で息をしているかのように。


影班が即座に構え、風間凱が短く指示を飛ばす。

「警戒。奥の区画、何かが起きてる。」


玲はライトを掲げ、静かに言葉を落とした。

「行こう。――この場所に“記録された真実”を、確かめる。」


光が進むたび、沈黙の墓所に眠る者たちが、まるで何かを語ろうとしているように見えた。


時間:深夜2時50分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層中央区画



そのとき、風が動いた。

冷たい空気が一瞬だけ逆流し、炎のように揺れるライトの光が歪んだ。


刹那がぴたりと足を止め、目を細める。

彼の指先がわずかに震え、空気の流れの異変を正確に読み取った。


「……朱音、伏せろ。」


低く、鋭い声。

次の瞬間、空間の一角がはじけ飛ぶように爆ぜた。

粉塵が舞い上がり、石片が跳ねる。視界を覆う灰の幕の中、刹那は即座に朱音の前へ躍り出て、その身体を庇う。


成瀬が後方で即座に動き、壁際へと飛び込む。

「爆破じゃない……“衝撃波”だ。音じゃない、圧だ!」


桐野詩乃が手元のセンサーを睨みながら呟く。

「圧源、右奥。反応が……人間じゃない、何か別の信号が混ざってる!」


玲が即座に状況を把握し、低く命じる。

「全員、拡散。――目を離すな。」


粉塵の向こうで、青白い閃光がゆらりと浮かび上がった。

人影のようでありながら、明確な輪郭を持たない。

その中心で、歪んだ声が微かに響く。


「……記録を……守れ……」


風間凱が眉をひそめた。

「防衛システムの残骸か……いや、違う。“意識を持っている”……?」


朱音が震える声で呟く。

「……あの声、どこかで聞いた気がする……」


玲は一瞬、朱音の肩に手を置いた。

「大丈夫だ。ここにいる。」


そして、刹那に視線を送る。

「敵性の有無を確認。制圧は任せる。」


刹那は短く頷き、再び風を読むように静かに目を閉じた。

「了解。……風は、まだ生きてる。」


その声とともに、彼の姿が闇へと溶けた。

次の瞬間、青白い光が断ち切られるように消え、カタコンベには再び沈黙が戻った。


ただ、残響のように――

朱音の耳には、あの言葉がかすかに残っていた。


『記録を……守れ……』


時間:深夜2時53分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層中央区画



直後――。


何かが「射出」されたような乾いた音が、静寂を切り裂いた。

その音は、銃声とも、機械の動作音とも違う。

空気そのものが弾け、圧力が一瞬だけ逆流するような、異様な感覚。


成瀬由宇が反射的に叫ぶ。

「上だ――!」


視界の上方、崩れかけた石柱の影から、閃光のような何かが一直線に走った。

狙いは――朱音。


だがその刹那、乾いた“風切り音”がもう一度響く。

真堂レイジの狙撃だった。

彼はすでにライフルを構え、音源を正確に捉えていた。


「……外すと思ったか?」


ほとんど感情を含まない低い声。

青白い閃光の軌道上に、レイジの放った超振動弾が食い込み、衝撃波が相殺された。

鈍い共鳴音が広がり、壁面の古代文字が微かに振動する。


桐野詩乃が即座にデータ端末を開く。

「空間歪み反応あり! 何かが“転送”されてきた……これ、迎撃じゃなく“投下”よ!」


玲の目が鋭く光る。

「つまり――“送り込まれた”んだな。」


風間凱が銃を構えながら、前方の霧を睨みつける。

「この空間、完全に封鎖されてる。出入口の一つも動かせねぇ……」


一拍の静寂のあと、湿った空気がゆっくりと蠢いた。

そして――現れた。


霧の中から、黒い人影がひとり。

だがその輪郭は曖昧で、機械のような脈動をまとっている。


「侵入者、確認。」


冷たい声。

それは人間の声帯から発せられたものではなかった。


朱音が思わず玲の袖を掴む。

「玲さん……あれ、人じゃない……」


玲は彼女の頭を軽く押さえ、静かに囁く。

「下がっていろ。ここから先は、俺たちの領域だ。」


その言葉と同時に――

刹那が闇の中から滑り出て、再び風を裂いた。


冷たい青光が、石造りの空間を切り裂くように走る。


時間:深夜2時56分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層中央区画



由宇――その動きは、まるで音そのものを拒絶するようだった。

無音のまま、滑るように闇を切り裂き、影と同化する。


空気の流れが一瞬だけ変わる。

誰も息を呑む暇もなく、彼はすでに敵の死角へと回り込んでいた。


刹那が小さく呟く。

「……やはり、由宇は風だな。」


目標――黒い人影。

その輪郭の揺らぎが示す通り、物理的存在ではない。

情報と幻影の境界に立つ、何者かの“代理体”。


由宇は、腕に装着した短刀を逆手に構え、低く姿勢を落とす。

刹那の合図も、玲の指示も要らない。

ただ、無駄のない一閃。


――沈黙の中で、光が散った。


人影が崩れ落ちるように溶け、断片的なノイズを残して消失する。

空間がわずかに歪み、壁面の古代文字が青く明滅した。


詩乃が端末を操作しながら、眉をひそめた。

「……信号、完全消滅。でも……おかしいわね、残留反応が“逆流”してる。」


風間が警戒態勢をとる。

「逆流……? 誰かが外から再起動をかけてるってことか?」


玲は、淡い光を放つ壁面を見つめ、低く答えた。

「……いや。“誰か”じゃない。“何か”だ。」


その瞬間――足元の遺体群が、微かに動いた。


朱音が小さく息を呑む。

冷気がさらに強まり、石床の隙間から漂う白い霧が、まるで意志を持つかのように彼らを包み込み始めた。


玲が低く呟く。

「……まだ、終わっていないな。」


時間:深夜3時07分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層中央区画



響はわずかに息を吸い込み、朱音を背中に庇った。

目の前で蠢く霧が、形を持ち始める。まるで亡者の残響が意思を得たかのように――。


「服部響、展開する。」


その声が、静寂を切り裂いた。


響が右手をゆっくりと掲げる。

空気の中に微かな振動が生じ、次の瞬間、青白い波紋が彼女の指先から円状に広がっていく。

光でも音でもない――それは「認識そのもの」を揺らがせる幻術の波。


刹那が低くうなずく。

「干渉領域、展開速度良好。――全員、視覚と聴覚を“固定”しろ。」


幻術の幕が張られ、空間全体が静止したように見える。

だが、玲には見えていた。

霧の奥で、数体の“影”がわずかに動いている。

それは肉体を持たぬもの――意識と記録の残骸が、形を求めて蠢いているのだ。


朱音の声が震える。

「……これ、ひとじゃない。――“声”が、頭の中で叫んでる……!」


ナツメが朱音の肩に手を置き、優しく囁く。

「大丈夫、朱音ちゃん。いまは“感じる”だけでいいの。恐れを引き込まれないように。」


響の掌がさらに強く光を放つ。

「幻界層、第三区分まで制御……認識干渉、最大出力。」


重く濁った空気が音を立てて弾け、霧が一斉に退いた。

空間が反転するように明滅し、隠されていた真の構造――遺体群の下に埋められた“螺旋状の文様”が露わになる。


玲はその中心を見つめ、静かに言った。

「……これが、“記憶座標”の核か。」


響はわずかに息を整え、朱音を振り返る。

「もう大丈夫。ここは、私たちが守る。」


朱音は小さく頷き、玲の背へと視線を向けた。

その眼差しには、恐怖よりも――確かな決意の光が宿っていた。


時間:深夜3時12分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層中央区画



響の指先がわずかに震えた。

広がっていた波紋が一瞬だけ乱れ、彼女の瞳に警告の光が宿る。


「空間トリガー発動。……毒、検出。」


低く、冷静な声が静寂を貫いた。


直後、刹那が即座に反応する。

「全員、呼吸制御。マスクを装着しろ――ここ、まだ“生きてる”ぞ。」


刹那の合図に応じ、影班の面々が一斉にフィルターマスクを装着する。

通路の奥から、かすかな“音”がした。

それは液体が石に滴るような、鈍いリズム――だが、その音に混じって微弱な化学反応の気配が漂っていた。


桐野詩乃が素早く試薬センサーを展開し、結果を確認する。

「神経毒系。揮発性が高い……この配置、罠だわ。遺体そのものが散布装置になってる。」


風間凱が舌打ちをしながら、防御態勢を整えた。

「死体を媒介に毒を仕込むとは……最低だな。」


玲は目を細め、前方の壁を見据えた。

「いや、ただの防衛装置じゃない。“侵入者の記憶”を読み取って反応する仕組みだ。」


その言葉に、響の表情がわずかに強張る。

「つまり……私たちの“記憶”が、この場所に認識された?」


玲は頷き、静かに答える。

「そうだ。ここは“記録の墓”じゃない――“記憶を試す場所”だ。」


刹那が短く息を吐き、周囲に指示を飛ばす。

「影班、分散して毒の発生源を特定。響、干渉層を維持しろ。玲、座標中心を割り出せ。」


「了解。」玲の声は低く、だが揺るぎなかった。


霧の奥で青い光が脈動する。

そのたびに響の幻術領域がわずかに揺れ、彼女の額に冷や汗が滲む。


「……この毒、ただの物質じゃない。脳波に干渉して、記憶を“上書き”してくる。」


玲が静かに呟く。

「なるほど。だから遺体は無傷で見つかったのか――“殺された”んじゃない、“書き換えられた”。」


重い沈黙が落ちる。

空気中の粒子が、微かに金属のような匂いを放った。


刹那が再び低く指示を出す。

「――ここからが本番だ。動け、影班。」


そして、玲は一歩前に出た。

薄闇の中、彼の声が確かに響く。


「真実は、毒より深く埋められている。掘り出すぞ。」


時間:深夜3時28分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層東側通路



安斎柾貴は、崩れかけた通路に静かに足を踏み入れた。

石壁は湿気を吸い込み、ところどころに亀裂が走っている。天井からは砂のような粉塵が細く降り、彼の肩に淡く積もった。


「……構造が歪んでるな。」

低い声が、闇の奥に吸い込まれていく。


レンジが後方から慎重に応じる。

「地盤沈下の痕じゃない。誰かが意図的に通路を崩した。追跡を断つための仕掛けだ。」


安斎は頷くこともせず、無言で壁に手を当てた。

ひび割れた石の感触。その下に――何か別の“脈”のようなものを感じ取る。

「……壁の裏に流れてる。これ、電磁波じゃない。思考パルスだ。」


玲が短く反応する。

「“記憶波の残留”か。つまり、ここを通った者の意識がまだ漂ってる。」


安斎の青い瞳がわずかに光を帯びた。

「そうだ。しかも――この波形、ユリアのものに似てる。

 ……誰かが、彼女の“思考の残滓”をここに封じ込めた。」


刹那がすぐに前方へと指示を飛ばす。

「安斎、慎重に進め。通路が不安定だ。」


「わかってる。」

安斎はわずかに笑みを浮かべ、足元の瓦礫を踏み越えた。

その足取りは軽やかで、まるで彼の中の不安など存在しないかのようだった。


奥に進むたび、空気が重く、冷たくなる。

壁の裏を流れる“意識のざわめき”が、彼の感覚を通して輪郭を持ちはじめた。


「……声がする。」


玲が問う。「なんと言っている?」


安斎は立ち止まり、目を閉じて耳を澄ませる。

やがて、かすれた囁きを掬い上げるようにして、静かに言った。


「“戻らないで”……“記録を開くな”……」


その瞬間、壁の奥で光が揺れた。

続く轟音とともに、通路の一部が崩れ落ちる。


刹那が即座に叫ぶ。

「安斎、離れろ!」


しかし、安斎は動かない。

崩れ落ちる石の中、彼はただ一つの方向を見つめていた。


「――玲。ここだ。」


瓦礫の下から、鈍い金属音が響く。

それは、長い間封印されていた“何か”の蓋が開く音だった。


時刻:深夜3時31分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層東側通路


玲は一歩、前に出た。

「影班、服部――目標、確保。制圧優先。ただし記憶改竄の痕跡があれば、生け捕りに切り替えろ。」


刹那が無言で頷く。刹那の周囲で黒装束の小隊が滑るように展開し、風のように通路を覆った。

成瀬は低く息を吐き、瓦礫の縁へ身を寄せる。桐野は小型のカプセルを手早く準備し、安斎は端末の波形を睨む。


瓦礫の隙間から、かすかに白い手が覗いた。ゆっくりと引き上げられたのは、薄汚れた白衣を纏った中年の男。頭部には幾本かの細い電極が絡みつき、首元には小型の処理ユニットが貼り付いている。

男は目を瞬きさせ、低く呟いた。 「記録を…守らねば…」


成瀬が一瞬躊躇するが、すぐに動いた。無音の動きで男の手首を押さえ、桐野が素早く導電バンドをはめる。安斎が端末を向け、電波と脳波の残滓を即時解析する。

「脳波変調痕跡、強。外部からの強制同調履歴あり。記録改竄装置の作動ログあり。」安斎の報告が冷静に通る。


刹那が間合いを詰め、黒装束の一人が男の口元を押さえる。玲は端末を男の顔に近づけ、画面に映る解析結果を見つめた。

「名前は一色いっしき剛志。複数の偽名と関連記録あり。ここで記録の“投影”を実行していた痕跡がある。生け捕りで確保。尋問は後だ。」


男は薄い笑みを浮かべ、なおも呟く。 「失せろ、記録は…守らねばならぬ……」

朱音が小さく震えた声で言う。 「あの人、まだ何か聞いてるみたい……」


刹那が短く命じる。

「包囲を維持。端末で同調信号の発信源と暗号鍵を逆追跡しろ。風間、レンジ、如月に通知。回収班は記録の物理媒体を即時隔離。」


影班が手際よく動く。瓦礫の下から露出していた小さな円盤状の装置が、桐野によって慎重に回収され、黒革の防護ケースに納められる。刹那は男の手錠を確かめ、静かに言った。

「おまえのやったこと、全て洗いざらい話してもらう。記録はもう、誰のものでもない。」


地下通路の湿気がゆっくりと動きを取り戻す。だが、天井の古代文字はまだ淡く脈動を続け、どこか遠くで──かつて刻まれた記憶が、かすかに息をしているようだった。


時刻:深夜3時33分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層東側通路


玲は一瞬、後ろにいる朱音を振り返った。

「朱音、無理はするな。ここは危険が多い。」


朱音は小さくうなずき、錆びた扉の隙間からわずかに光る装置を見つめる。

「うん……でも、あの人のこと、何か伝えたいみたい……」


成瀬が低く息を吐きながら、影班の動きを再確認する。

「扉の奥にも偽装装置が残っている可能性あり。警戒は怠るな。」


刹那が男を押さえたまま端末を操作し、暗号化された信号の履歴を表示する。

「この信号、直近まで外部ネットワークに接続されていた。記録改竄の証拠は完全に残っている。」


安斎が静かに報告する。

「端末解析完了。全ての同調ログ、保存済み。回収媒体と組み合わせれば改竄履歴の完全復元が可能。」


玲は深く息を吸い、再び前方の男に視線を戻した。

「影班、朱音、全員気を抜くな。ここで終わりではない。記録の復元と黒幕の動向、両方を同時に抑える。」


朱音は小さく手を握りしめ、静かに頷く。

「わかった……玲さん。」


地下通路に沈黙が戻る。だが、冷たい石床の下で、まだ微かな振動が残り──記録改竄の痕跡は、完全に消え去ったわけではなかった。


時刻:深夜3時35分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層東側通路


朱音は小さな声で呟く。

「……え? なんか風が変だった?」


玲は目を細め、周囲を見回す。

「気づいたか。ここは普通の空気じゃない。微細な振動、残留熱、そして空気の成分……誰かが通った痕跡だ。」


刹那が端末を操作しながら低く言う。

「外部侵入者ではない。何者かが内部から干渉している。空気の変化が微妙すぎて、人間の感覚では捉えにくい。」


響が朱音の背後で手をかざし、微かに空間の波紋を感じ取る。

「……毒や罠ではない。これは痕跡……“記憶の揺らぎ”だ。」


成瀬は影の中で身を低く構え、静かに息を整える。

「奴の動き、まだ残っている。慎重に進め。」


朱音は小さく唇を噛み、玲を見上げる。

「……わかった。気をつける。」


冷たい地下の空気が再び静寂に包まれる。だが、影班の背後に潜む“痕跡”は、まだ完全には消え去っていなかった。


時刻:深夜3時42分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層東側通路


そして――地下の闇が、ふたたび沈黙する。


影班の足音はほとんど聞こえず、刹那が先頭で通路を進む。成瀬は後方で周囲を警戒し、桐野が微細な残留物や薬剤痕を確認しながら歩を進める。安斎は意識遮断デバイスを起動し、空間内の情報干渉を抑える。


服部一族の影もまた、静かに忍び寄る。響が微かに手をかざし、空間内の微細な波紋を読み取り、刹那の動きと同期させる。


玲は一歩前に出て、端末で記録痕跡を確認しながら静かに指示する。

「次の座標はここだ。慎重に、しかし確実に――。痕跡を見逃すな。」


朱音は背後で小さく頷き、影班の動きを目で追う。

「……次はどこに繋がってるの?」


玲はわずかに息を吐く。

「これが全ての鍵だ。記憶の座標を辿れば、すべてが明らかになる。」


地下の闇は再び静寂を取り戻す。しかし、その先に待つ“真実の層”への道は、すでに開かれていた。


時刻:深夜3時46分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層中央区画


風を切る音が、納骨堂に冷たく響いた。

石壁に反射した薄光が一瞬だけ流れ、黒い軌跡が朱音めがけて一直線に伸びる。


刹那の声が刃の軌道と同期する間もなく、玲の声が静かに闇を裂いた。

「……行け。」


その一言で影が動いた。

成瀬が無音で飛び込み、刃の先端を掌で弾き飛ばす。刃は床に激しく突き刺さり、火花は出ないが確かな衝撃が石を震わせた。

同時に、響が掌を押し出し、幻術の波紋が刃の視認情報を乱す。攻撃者の視界が一瞬歪み、立ち塞がった一瞬の隙を作る。


真堂レイジの低い報告がイヤーピースを通る。

「狙撃位置確保。射線クリア。」

だがその合図を聞くより先に、影班の動きがすべてを決した。刃を跳ね返された相手が姿勢を崩す――その隙を成瀬が取った。


朱音は震えた手で玲の袖にしがみつき、浅く息をつく。

「……由宇おじちゃん、ありがとう……」


玲は短く頷き、刃を握る者へ冷たく言い放つ。

「動けるか。話せ、今すぐに。」


刃を構えていた者の輪郭が揺れる。影のような機構――生体と機械が混じった何者かが、ゆっくりと膝をついた。

「記録…守るために…」かすれた声が漏れる。


刹那が男を押さえ、安斎が即座に導電バンドをはめる。桐野が周囲の空気を再検査し、毒の残滓を探る。玲は端末を男の顔に近づけ、解析結果を淡々と読み上げた。


納骨堂の冷気が張りつめたまま、だが一つの刃は確かに届かなかった。

影班と服部――その連携は、刃よりも速かった。


時刻:深夜3時48分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層中央区画


玲は後方に立つ三人のスペシャリスト――如月迅、柊ナツメ、風間凱――に静かに目配せを送った。


如月は端末の画面をちらりと見て頷き、瞬時に暗号化された記録の復元準備を整える。

ナツメはユリアと朱音の様子を確認し、心理的な安定処置を施す態勢を整えた。

風間は周囲の通路を素早く走査し、防衛線や潜在的な罠の位置を計算する。


玲は短く低く呟いた。

「全員、準備完了。次の座標に移動する。影班、服部、一緒に行く。」


三人は互いに目を合わせ、無言で了承する。

地下の冷気に包まれた空間の中、足音一つ立てず、次の“記憶の座標”へと向かう準備は整った。


時刻:深夜3時52分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層北区画


かすかに揺れる蝋燭の残り火が、冷たい石の壁に不規則な影を落としていた。

影班と服部一族は一歩一歩慎重に進む。


成瀬由宇が低い声で囁く。

「……ここ、足元に罠が仕掛けられている。微妙な段差と細工の痕跡、風間、確認を。」


風間凱は手元の小型スキャナーで空間の圧力変化を読み取り、通路の安全を示す緑の光を端末に浮かび上がらせる。

桐野詩乃は壁際に沿って進み、微量の毒性残留物を検知して警告音を抑える。

安斎柾貴は周囲の空間情報を掌握し、敵の動きを封じる位置取りを確認する。


玲は影班に目を向け、短く指示する。

「次の区画、完全制圧。記録改竄の痕跡を見逃すな。」


闇に潜む危険を意識しつつ、蝋燭の揺らめきに映る影たちは、次の行動への静かな緊張感を帯びていた。


時刻:深夜3時55分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層北区画


――「……君には、死んでもらう。」


闇の奥から、一人の中年の男が静かに現れた。

外見は目立たぬ平凡な風采だが、その目は冷たく、思考の切れを宿している。視線は迷わず朱音に向けられていた。


朱音が小さく体を縮める。

「えっ……?」声は震えていたが、足は動かなかった。


刹那がすっと前に出る。黒装束の影の中で、刹那の息づかいだけが静かに伝わる。

「動くな。——朱音、後ろへ。」短く命じ、刹那が手のひらを一振りすると、響の幻術が即座に展開して視界を撹乱する。


成瀬が無音で走り込み、刃を構えて中年男との距離を詰める。

「何者だ。動機を言え。」成瀬の声は抑えられているが、刃先には確かな威圧がある。


中年男は微笑むでもなく、ただ告げる。

「記録を守る者は、浄化が必要だ。彼女の中の“痕跡”が、全てを晒す前に消さねばならぬ。」


風間が端末を覗き込みながら低く言う。

「奴の体表に微弱な信号装置が埋め込まれている。記憶波と連動する起爆ないしトリガーを持っている可能性が高い。」


桐野が淡々と観察する。

「毒性の有無を先に確認。接触は最小限に抑える。」彼女は小型の検査器を素早く起動した。


安斎は冷静に間合いを詰め、端末で脳波干渉の痕跡を解析する。

「外部同調のログが残っている。こいつ一人で動いているわけじゃない。情報の“消去”を命じられた駒だ。」


如月が端末の画面を切り替え、暗号化された信号の微細解析を開始する。

ナツメは朱音の背後に回り、静かに肩に手を添えて小声で囁く。

「大丈夫、ここにいる。深呼吸をして。」


真堂レイジの声が低く響く。

「狙撃位置、維持。致命の一撃は最後の手段だ。まずは確実に捕獲しろ。」


刹那が拳を引き締め、男を睨みつける。

「降りろ。話せ。——その刃は、誰のために振るう?」


中年男の瞳が一瞬だけ揺れる。だがすぐに戻り、静かに笑った。

「誰のためでもない。真実のためだ。消えるべき“記録”は、消えるべきなのだ。」


成瀬が一歩踏み込み、刃先を男の胸元へ押し当てる。

「それなら話は簡単だ。ここで止める。」


だが、その瞬間、男のポケットから鈍い器具が滑り出し、床に落ちる音がした。響が反応して光の波を放ち、周囲の視界を一瞬狂わせる。男の姿がにわかに薄れて見える。


玲が冷静に指示を下す。

「刹那、由宇、封鎖。安斎、如月、起動ログを逆追跡して。桐野、装置回収は任せる。朱音はナツメの側を離れるな。」


全員が同時に動く。闇の中で、短い交錯が生まれ、石壁に響くのは素早い足音と金属音だけだった。


中年男は一瞬のうちに拘束され、導電バンドが巻かれる。口元に覆いが当てられ、端末がその手の器具を解析し始めた。

男はまだ何かを呟いたが、その声はすぐに遮られる。


朱音は小さく震え、ナツメの手にしがみついた。

玲は端末のログを確認し、短く言った。

「一人ではない。ここから先、より慎重に進む。記録はまだ、守らねばならない。」


蝋燭の残り火が揺れ、石の壁に落ちる影が再び乱れる。地下の静寂は破られたが、影班と服部の輪は固く結ばれていた。


時刻:深夜3時55分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層北区画


――「……君には、死んでもらう。」


闇の奥から、一人の中年の男が静かに現れた。

外見は目立たぬ平凡な風采だが、その目は冷たく、思考の切れを宿している。視線は迷わず朱音に向けられていた。


朱音が小さく体を縮める。

「えっ……?」声は震えていたが、足は動かなかった。


刹那がすっと前に出る。黒装束の影の中で、刹那の息づかいだけが静かに伝わる。

「動くな。——朱音、後ろへ。」短く命じ、刹那が手のひらを一振りすると、響の幻術が即座に展開して視界を撹乱する。


成瀬が無音で走り込み、刃を構えて中年男との距離を詰める。

「何者だ。動機を言え。」成瀬の声は抑えられているが、刃先には確かな威圧がある。


中年男は微笑むでもなく、ただ告げる。

「記録を守る者は、浄化が必要だ。彼女の中の“痕跡”が、全てを晒す前に消さねばならぬ。」


風間が端末を覗き込みながら低く言う。

「奴の体表に微弱な信号装置が埋め込まれている。記憶波と連動する起爆ないしトリガーを持っている可能性が高い。」


桐野が淡々と観察する。

「毒性の有無を先に確認。接触は最小限に抑える。」彼女は小型の検査器を素早く起動した。


安斎は冷静に間合いを詰め、端末で脳波干渉の痕跡を解析する。

「外部同調のログが残っている。こいつ一人で動いているわけじゃない。情報の“消去”を命じられた駒だ。」


如月が端末の画面を切り替え、暗号化された信号の微細解析を開始する。

ナツメは朱音の背後に回り、静かに肩に手を添えて小声で囁く。

「大丈夫、ここにいる。深呼吸をして。」


真堂レイジの声が低く響く。

「狙撃位置、維持。致命の一撃は最後の手段だ。まずは確実に捕獲しろ。」


刹那が拳を引き締め、男を睨みつける。

「降りろ。話せ。——その刃は、誰のために振るう?」


中年男の瞳が一瞬だけ揺れる。だがすぐに戻り、静かに笑った。

「誰のためでもない。真実のためだ。消えるべき“記録”は、消えるべきなのだ。」


成瀬が一歩踏み込み、刃先を男の胸元へ押し当てる。

「それなら話は簡単だ。ここで止める。」


だが、その瞬間、男のポケットから鈍い器具が滑り出し、床に落ちる音がした。響が反応して光の波を放ち、周囲の視界を一瞬狂わせる。男の姿がにわかに薄れて見える。


玲が冷静に指示を下す。

「刹那、由宇、封鎖。安斎、如月、起動ログを逆追跡して。桐野、装置回収は任せる。朱音はナツメの側を離れるな。」


全員が同時に動く。闇の中で、短い交錯が生まれ、石壁に響くのは素早い足音と金属音だけだった。


中年男は一瞬のうちに拘束され、導電バンドが巻かれる。口元に覆いが当てられ、端末がその手の器具を解析し始めた。

男はまだ何かを呟いたが、その声はすぐに遮られる。


朱音は小さく震え、ナツメの手にしがみついた。

玲は端末のログを確認し、短く言った。

「一人ではない。ここから先、より慎重に進む。記録はまだ、守らねばならない。」


蝋燭の残り火が揺れ、石の壁に落ちる影が再び乱れる。地下の静寂は破られたが、影班と服部の輪は固く結ばれていた。


時刻:深夜3時57分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層北区画


玲は端末の画面をゆっくりと閉じ、目を伏せたまま小さく呟いた。

「つまり……誰かが記憶の座標を捏造した。朱音を狙うように設計して。」


刹那の肩が僅かに震え、暗がりの中で刹那は低く言った。

「設計者は高度な心理構造を理解している。偶発ではない、意図的だ。」


如月が端末の解析結果を再度スクロールし、冷静に付け加える。

「座標の配置と脳波同調ログを突き合わせると、発生源は外部ネットワークではなく、このカタコンベ内の“生成器”から始動している。しかも時限的なトリガーを含むプロファイルだ。」


響が朱音を庇いながら手を下ろす。

「誰かが“あの子”を基準にして、記憶を空間化したということね。狙いは……何だ?」


風間が端末を覗き込み、短く吐き捨てるように答えた。

「消されるべき記録を、あの子の存在で完全に封印するつもりだ。朱音は“鍵”だった。」


桐野が冷静に観察した。

「設計には“誘導”も組み込まれている。特定の思考パターンを持つ者だけが反応するように。朱音のような直感型がターゲットだ。」


安斎が無言で男の装置を凝視し、端末にデータを流し込む。

「この装置は“座標生成器”の簡易端末。中枢は別に存在する。送り手はまだ生きている可能性が高い。」


朱音は小さく震え、ナツメの手を握りしめる。

「私が……鍵なの?」声は掠れていたが、問いははっきりしていた。


玲は顔を上げ、暗闇の中で静かに朱音を見据えた。

「鍵なんかじゃない。君はただ、見えてしまうだけだ。だからこそ狙われた。だが、ここで終わらせる。」


成瀬が刃に手を添え、前方の闇を睨む。

「設計者を追う。生成器の中枢を突き止める。奴が次のトリガーを放つ前に摘み取る。」


刹那が低く頷く。

「我が里も動く。隠密網を総動員して接続経路を断つ。」


如月が解析結果を玲に差し出す。

「位置の候補を三つに絞った。第一候補は旧市街の下水結節点、第二は港湾施設の放棄サーバー、第三は記録塔の深層キャッシュ。どれも物理的にアクセスされにくい場所だ。」


玲は端末を握り締め、落ち着いた声で命じた。

「まずはここで回収した材料を封印して搬出する。朱音はナツメの監護下に。風間、如月、レンジ、我々で候補を潰す。服部は里の索敵網で外部封鎖を頼む。」


場が少しだけ動く。蝋燭の残り火が揺れ、影が伸びる。

闇の底から、かすかな機械音がまだ遠くで響いているようだった。


時刻:午前2時18分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層中央通路


玲は沈黙の中で周囲を見渡し、わずかに顎を動かした。

その目配せに、刹那と由宇が即座に反応する。


「……呼べ。」玲の声は低く、しかし明確に響いた。

「記憶操作の専門家だ。――この歪みを正せるのは、あの男しかいない。」


安斎が短く頷き、端末を操作する。

通信回線が開かれ、暗号化の波形が画面上に走った。


『こちら如月迅。通信を確認した。現場の状況を送信してくれ。』


玲はカタコンベの壁面を一瞥しながら言葉を継ぐ。

「記憶座標の改ざん痕が見つかった。生成器の中枢を追っているが、構造が不安定だ。おそらく“投影領域”そのものが歪められている。」


通信の向こうで、一拍の沈黙。

やがて、如月の落ち着いた声が応じる。


『……了解した。すぐに行く。だが、今触れている記録構造は、外部干渉を受けている可能性が高い。触れるな。保持しておけ。』


玲は短く息を吐き、刹那に視線を送る。

「外縁部を封鎖。由宇、朱音を連れて後方へ下がれ。これ以上、記憶領域に刺激を与えるな。」


由宇は朱音の肩に手を置き、静かに頷く。

「了解。――玲、気をつけろ。あの装置、まだ何か“動いてる”気配がする。」


その言葉と同時に、地下の奥から微かな唸り音が響いた。

壁に刻まれた古代文字が淡く光り、空気が一瞬だけ歪む。


時刻:午前2時42分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層出入口


玲の視線が白衣の男に鋭く向けられる。

篁誠司は無表情のまま、肩から下げた機材を軽く揺らすだけで、地下の空気を支配するかのような存在感を放っていた。


御子柴理央が静かに言葉を添える。

「記憶操作の第一人者――篁誠司です。今回の“改竄痕跡”を解析・修正できる唯一の人物。」


玲は短く息を吐き、端末の画面を確認しながら応答する。

「篁、状況を整理する。ここにあるのは――“投影型記憶座標”。外部からの干渉で構造が歪められている。朱音を狙った設計も見えている。」


篁は冷静に頷き、機材を前に置く。

「了解。解析と復元を同時進行で行う。触れた瞬間、記憶の痕跡が飛ぶ可能性がある。慎重に。」


玲は影班と刹那に視線を向ける。

「封鎖線を強化。由宇、朱音は後方で待機。異常があれば即報告。」


由宇が小さく頷き、朱音の手を握る。

「大丈夫、朱音。俺たちが守る。」


地下の奥、壁面の古代文字が微かに光り、空気の振動が静かに増す。

篁誠司が端末を起動し、投影型記憶座標の解析を始める。

その瞬間、地下の闇はわずかに震え、封印されていた記憶の層が浮かび上がり始めた。


時刻:午前2時45分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層出入口


御子柴理央がタブレットを操作しながら、淡々と報告を続ける。

「篁の解析によれば、投影型記憶座標の異常箇所は三か所。朱音を誘導する“認識経路”が意図的に追加されている。座標自体が外部から書き換えられている可能性も高い。」


玲は端末を凝視し、短く呟く。

「……つまり、単なる偶然じゃない。設計者は朱音を“標的”にするため、記憶を巧妙に操作している。」


篁が機材のスイッチを入れ、微弱な光が壁面に反射する。

「影班、周囲の安定を確保。痕跡が崩れれば、記憶の投影は消失する。復元のタイミングは慎重に。」


成瀬由宇が静かに歩を進め、壁沿いの通路を封鎖する。

桐野詩乃は床に散らばった微粒子を確認しながら言う。

「毒性や干渉物質は検出済み。接触は安全圏内、ただし油断は禁物。」


安斎柾貴が端末に触れ、データログを攪乱する。

「外部干渉の痕跡も残しておく。万一のために、誰が何を操作したかを可視化する。」


朱音はタブレット越しに浮かび上がる光景を見つめ、かすかに眉をひそめる。

「……私、ここにいた……?」


玲は優しく頷く。

「そうだ。今から、この“偽りの道筋”を消し、本当の記憶を取り戻す。」


地下の闇に、再び静寂が訪れた。だがその中で、記憶の座標はわずかに揺れ、復元の時を待っていた。


時刻:午前2時47分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層中央通路


薄闇の中、わずかに蝋燭の炎が揺れる。

その光を受け、服部刹那がゆっくりと視線を上げた。


「……上層、動きがある。」

低く落ち着いた声。


玲が顔を向ける。

「敵か?」


刹那は短く首を振った。

「いや……“気配”が違う。何かがこちらを“見ている”。」


篁誠司が作業の手を止め、眉をひそめる。

「視覚干渉か。記憶座標の投影範囲外から、外部観測が行われている可能性がある。」


成瀬由宇が素早く周囲の赤外センサーを確認する。

「熱源反応、なし。だが――確かに何かが残ってる。」


刹那の目が、闇の上層に走る細い裂け目を捉えた。

そこには、かすかな青白い残光。


「視線の痕跡だ。……遅延観測。外から誰かがこの空間を覗いてる。」


玲が静かに息を整え、短く命じる。

「影班、配置変更。観測主を特定しろ。服部――上層を制圧だ。」


刹那は短く頷き、手の甲に仕込まれた信号刃を光らせた。

「了解。三十秒で片をつける。」


その瞬間、闇がわずかに震え、風が走る。

影のように刹那の姿が掻き消えた――。


時刻:午前2時49分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層中央通路


淡い蝋燭の光が揺れる中、微かな風の流れが変わった。

その変化に、服部響が一歩、足を止める。


「……今の風、違う。」

低く囁くような声。


刹那が振り返り、警戒を強める。

「何を感じた?」


響は目を細め、掌をわずかに掲げた。

空気の粒子がその手のひらで揺らめき、音もなく波紋を描く。


「誰かが――こちらの動きを察知している。

 風が……“警戒している”。」


玲が息を呑み、すぐさまインカムに触れる。

「風間、状況を。」


風間凱の低い声が返る。

「外部経路に小規模な干渉。通信層への割り込みを確認。……誰か、俺たちを“観測”している。」


篁誠司が目線を上げ、静かに呟いた。

「この空間、完全に閉じたと思っていたが……。なるほど。観測される“前提”で設計された空間、というわけか。」


玲の視線が鋭くなる。

「つまり、誰かが――この記憶の再現を“見ている”?」


響は小さく頷いた。

「風が怯えてる。……その風は、生きてる。」


沈黙が落ちた。

冷気と、見えない“視線”だけが、静かに彼らを包み込んでいた。


時刻:午前2時53分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層中央通路


玲はわずかに目を伏せ、周囲の静寂を確かめるように息を吐いた。

青白い照明が石壁に揺らめき、冷たい空気の中に誰かの息遣いが混じっているように感じられる。


「追跡班、展開。」

玲の低く抑えた声が、インカム越しに全域へ響いた。

「だがその前に……もう一つ確かめるべきことがある。“封印された記憶”だ。」


刹那が即座に反応する。

「つまり、ここで封じられた誰かの記憶が、この“配置”と関係している可能性があると?」


玲は無言のまま頷き、視線を篁誠司へと送る。

「篁、頼む。」


篁はゆっくりと歩み出て、遺体群の中央に立った。

手にしたデバイスが静かに起動し、柔らかな青光が空間を走る。


「――記憶層、残留反応を検出。封印コードは……三重。

 恐らく、誰かが意図的に“外部から閉じた”ものだ。」


玲が眉をひそめる。

「外部、だと……?」


篁の声は冷静だった。

「この封印は、内部からではなく“観測者側”によって仕掛けられている。

 つまり――“この現場そのもの”が、誰かの記録装置の一部だ。」


一瞬、空気が凍った。

朱音が玲の袖をそっと掴む。

「玲さん……“見られてる”ってこと……?」


玲はその小さな手に一瞬だけ目をやり、静かに答えた。

「……ああ。だが、見ている者も“記録”される。

 ――その封印を解く。それが、次の手だ。」


そして玲は再びインカムを握り、短く命じた。

「影班、位置を維持。

 ……封印の解除に入る。」


時刻:午前3時06分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層封印区画前


朱音の背後、空気がかすかに揺れた。

誰も気づかぬほどの静けさ。だが、その場にいた全員が一瞬で“何か”の変化を感じ取った。


足音――たった一歩。

人混みには決して馴染まない、異質な存在感。

鋭い眼差しが闇を裂き、整ったスーツの襟元から黒革の手袋が淡く光を反射する。


「“封印された記憶”にアクセスするなら……俺に訊け。」


低く、抑えられた声。だがその一言に、場の空気が変わった。

影班の数名が即座に構えたが、玲はそれを片手で制した。


「来てくれて助かるよ、笹原 晶。」

玲はわずかに微笑み、穏やかに言葉を続ける。

「“封印解読”の力、ここで頼りにしてる。」


晶――笹原 晶は、朱音の方を一度も見なかった。

その黒い瞳は、ただ玲の眼差しだけを正面から受け止める。


「……あの子を中心に封印が編まれている。

 下手に触れれば、“記憶”だけじゃなく“意識そのもの”が壊れるぞ。」


玲は一瞬、目を細めた。

「それでもやる。――俺たちには、封じたままにできない理由がある。」


晶の唇がわずかに歪んだ。

「いいだろう。……だが覚悟しろ。封印が解ける瞬間、“本来見えないもの”が見えるかもしれない。」


彼は黒革の手袋を外し、掌に金属製のインターフェースを装着する。

淡い光が指先から走り、床に刻まれた封印の陣へと静かに伝わっていく。


朱音が不安げに玲を見上げた。

「玲さん……この人、怖くないの?」


玲は微笑んだまま、朱音の頭にそっと手を置いた。

「怖いさ。でも、必要な怖さっていうのがあるんだ。」


――その瞬間、封印陣が低く唸りを上げ、鈍い音を響かせた。

笹原 晶の声が、静寂の中で淡々と響く。


「……封印、起動層に到達。

 ここからは、“記憶”が拒絶を始める。」


時刻:午前3時06分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層封印区画前


朱音の背後、空気がかすかに揺れた。

誰も気づかぬほどの静けさ。だが、その場にいた全員が一瞬で“何か”の変化を感じ取った。


足音――たった一歩。

人混みには決して馴染まない、異質な存在感。

鋭い眼差しが闇を裂き、整ったスーツの襟元から黒革の手袋が淡く光を反射する。


「“封印された記憶”にアクセスするなら……俺に訊け。」


低く、抑えられた声。だがその一言に、場の空気が変わった。

影班の数名が即座に構えたが、玲はそれを片手で制した。


「来てくれて助かるよ、笹原 晶。」

玲はわずかに微笑み、穏やかに言葉を続ける。

「“封印解読”の力、ここで頼りにしてる。」


晶――笹原 晶は、朱音の方を一度も見なかった。

その黒い瞳は、ただ玲の眼差しだけを正面から受け止める。


「……あの子を中心に封印が編まれている。

 下手に触れれば、“記憶”だけじゃなく“意識そのもの”が壊れるぞ。」


玲は一瞬、目を細めた。

「それでもやる。――俺たちには、封じたままにできない理由がある。」


晶の唇がわずかに歪んだ。

「いいだろう。……だが覚悟しろ。封印が解ける瞬間、“本来見えないもの”が見えるかもしれない。」


彼は黒革の手袋を外し、掌に金属製のインターフェースを装着する。

淡い光が指先から走り、床に刻まれた封印の陣へと静かに伝わっていく。


朱音が不安げに玲を見上げた。

「玲さん……この人、怖くないの?」


玲は微笑んだまま、朱音の頭にそっと手を置いた。

「怖いさ。でも、必要な怖さっていうのがあるんだ。」


――その瞬間、封印陣が低く唸りを上げ、鈍い音を響かせた。

笹原 晶の声が、静寂の中で淡々と響く。


「……封印、起動層に到達。

 ここからは、“記憶”が拒絶を始める。」


時刻:午前3時18分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層封印区画


淡い青白い光が、封印陣の輪郭をゆっくりと浮かび上がらせていた。

冷たい石の床を這うその光は、まるで“記憶”そのものが息をしているかのように、かすかに脈打っている。


晶は装置を調整し、光の流れを見極めるように片膝をついた。

指先が封印に触れるたび、微細な音が空気を震わせる。


「俺なら可能だ。……ただし、対価は必要だ。」


玲が静かに問い返す。

「対価?」


晶はわずかに視線を上げ、玲の目を真っ直ぐに見据えた。

「“封印された記憶”を解くってことは、閉じられた時間を再び動かすってことだ。

 記憶は形を持たない。だから、開くためには“器”が要る。誰かの意識を媒介にして、記憶を通さなきゃならない。」


玲の眉がわずかに動く。

「つまり……誰かがその記憶を“受ける”必要がある、ということか。」


「そうだ。」

晶の声は淡々としていたが、その響きには鋼のような確信があった。

「ただし、普通の人間じゃ耐えられない。封印の構造は三重。

 一層目は情動、二層目は認識、三層目は――人格そのものだ。

 それを受けるというのは、自分の存在を一度“壊す”ことと同じ意味だ。」


沈黙が落ちた。

空気が冷え、遠くで蝋燭がひとつ、ぱちりと弾ける。


朱音が玲の袖をそっと掴んだ。

「玲さん……そんなこと、誰がやるの?」


玲は静かに朱音の手を包み、柔らかく微笑んだ。

「決まってるさ。――俺が行く。」


周囲の空気が凍りつく。

由宇も詩乃も、そして安斎も、即座に表情を変えた。


「玲、それは――」安斎が低く声を上げる。


玲は短く首を振る。

「これは“誰かの記憶”を解くための作業じゃない。“あの子”を守るための儀式だ。

 だったら、護る側が代わりに立つ。それが筋だろう。」


晶は目を細めた。

その表情には、わずかな驚きと……どこか懐かしさのようなものが滲んでいた。


「本当に行くのか。……あの記憶の中へ。」


玲は一歩、封印陣の中心へ進む。

「“記憶の座標”が誰の手で書き換えられたか、確かめなきゃならない。」


青白い光が玲の足元で脈動し始める。

静寂の中、晶の声が再び響いた。


「――ならば、覚悟を示せ。

 お前の“存在”を、この記録に刻む。」


時刻:午前3時22分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層封印区画


玲は一瞬だけ目を伏せた。

冷たい石床に映る青白い光が、その表情を淡く照らす。


だが次の瞬間、顔を上げ、声を落とすように短く言った。

「構わない。“真実”のためなら。」


晶が軽く頷き、封印陣の前に立つ玲を慎重に見つめる。

「……覚悟はできているな。」


玲はゆっくりと手を伸ばし、封印の輪郭に触れる。

冷たさが指先に伝わるたび、微細な振動が意識を揺さぶる。


周囲の空気が静まり返る中、封印の青白い光が脈打ち、次第に玲の意識へと侵入していった。

晶は淡々と手順を確認しながら呟く。

「記憶の座標を暴くには、まず“自身の存在”を一度空にせねばならない……さあ、行け。」


玲の瞳が光を映し、深い静寂の中、ゆっくりと記憶の迷宮へ踏み込んでいった。


時刻:午前3時28分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層封印区画


篁誠司、御子柴理央、九条凛、水無瀬透――

そして笹原晶という“解読者”が揃った。


玲は中央に立ち、周囲のスペシャリストたちを静かに見渡す。

「全員揃った。ここからは、慎重に進める。」


晶が小さく頷き、端末を操作しながら指示を続ける。

「記憶の深層へのアクセスを開始する。玲、覚悟を確認。」


玲は息を整え、冷静に応える。

「確認済み。目的はひとつ。“封印された真実”の解放だ。」


青白い光が封印陣から浮かび上がり、周囲の空気がわずかに揺れる。

篁が端末の画面を確認しながら低く呟く。

「この領域に潜む記憶の痕跡は、通常の感覚では捉えられない。各自、慎重にな。」


御子柴はタブレットを操作し、データの流れを解析。

九条は双眼鏡で周囲の微細な変化を監視。

水無瀬は玲の意識にアクセスする準備を整え、晶は封印解読用の符号を再起動させる。


静寂の中、記憶の深層へのアクセスが、ついに始まろうとしていた。


時間:午前3時45分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層封印区画奥


静寂に包まれた地下施設の奥、薄暗い空間に立つ男が一人いた。


彼の名は篁誠司。記憶操作の第一人者として名を馳せる男だ。

タブレットを手に、目には感情をほとんど宿さず、静かに周囲を見渡す。


玲がその姿を見据え、低く声をかける。

「篁、準備は整ったか?」


篁はゆっくりと頷き、端末のスクリーンに浮かぶ複雑な記録構造を確認する。

「確認済み。だが、この領域は通常の方法では解析できない。慎重に。」


背後では、御子柴、九条、水無瀬、笹原晶の四人が各々の機材を準備し、深層記憶へのアクセスを待つ。


玲は一歩前に進み、影班の視線を感じながら低く告げた。

「行くぞ。封印された真実を取り戻す。」


時間:午前3時52分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層封印区画奥


床が軋み、薄暗い空間に無数の記憶断片が漂い始めた。

歪んだ映像が宙を舞い、遠くで泣き叫ぶ子どもたちの声、炎に包まれる倉庫の光景――

それらがまるで現実のように脳内へ押し寄せる。


笹原晶が端末を握り、冷静に告げる。

「これが封印の深層……強烈だ。脳が混乱する前に順序を制御する。」


篁誠司は微動だにせず、指先でスクリーンの記録層をなぞる。

「記憶断片を整列させる。順序を正さなければ、本当の真実には辿り着けない。」


御子柴がタブレットを操作しながら補足する。

「映像と音声、さらに心理反応パターンをリンク。異常な干渉はここから生じている。」


玲は静かに呼吸を整え、影班を振り返る。

「全員、集中。ここからは一瞬の判断が未来を左右する。」


薄暗い地下空間に、記憶の奔流が押し寄せ、時間の感覚さえ歪めていた。


時間:午前3時57分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層封印区画奥


「このままじゃ、誰が現実を握っているのか、わからなくなる。」

玲が低く呟き、記憶の奔流に押し流されそうになる脳裏を押さえる。


安斎柾貴が静かに、しかし確実な声で言った。

「制圧を許可する。玲を守る。」


成瀬由宇がすぐに前に出て、壁際から影を滑らせるように移動する。

桐野詩乃は周囲の微細な干渉波を確認し、ナノスモークで視界を遮る準備を整えた。


玲は目を閉じ、短く息を吐く。

「全員、集中。記憶の渦に巻き込まれるな。」


地下空間に漂う記憶断片が、まるで生き物のように蠢く中、影班の三人は玲の周囲を固め、守る盾となった。


時間:午前3時58分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層封印区画奥


安斎の指示で成瀬が左側の通路を制圧し、桐野が右側を警戒。

無音の動きで影班は玲の周囲を取り囲み、記憶の奔流から彼を守る。


玲は手元の端末を操作しながら呟いた。

「篁、御子柴、九条、笹原……全員、アクセス開始。」


瞬間、空間に微かな振動が走る。

床に散らばった記憶断片が青白く光り、目に見えぬ圧力が三人を押しつぶすように襲う。


笹原晶が落ち着いた声で言う。

「封印解読を開始する。玲、目を閉じて集中を。」


玲はうなずき、深く呼吸を整える。

「行くぞ。ユリアの真実、ここで明らかにする。」


光と音の奔流の中、影班は静かに動き、玲を中心に防御ラインを形成。

桐野が囁く。

「幻覚干渉、完全把握。外部の影響は遮断。」


成瀬が低く答える。

「玲、前方に危険。制圧準備完了。」


その時――

記憶断片の中から、微かな声が響く。

「助けて……」


玲は目を開け、力強く指示する。

「今だ、全員。封印を解く。真実を引き出せ。」


地下の闇が一瞬揺らぎ、静寂と奔流の境界が曖昧になる。

しかし影班は玲を守り抜き、深層に潜む記憶の中心へと踏み込んでいった。


時間:午前4時02分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層封印区画奥


煌めく記憶断片が、玲の意識の中でうねるように蠢く。

篁誠司が手元の装置を操作しながら、静かに解析音を立てる。

「記録は完全に改ざんされている。だが、原初の痕跡は残っている。」


御子柴理央がタブレットを掲げる。

「空間内の断片を統合する。記録と記憶のズレを補正する――目標はユリアの真実。」


九条凛が低く声を出す。

「心理的干渉波も解析に組み込む。対象の意識が揺らぐ前に、封印を解かせる。」


笹原晶は玲の隣で手を動かし、封印解読用のコードを入力する。

「封印の層は五段階。第一層を突破。次に第二層……」


玲は端末を片手に、影班の防御ラインを見渡す。

「成瀬、桐野、安斎、ユリアを中心に警戒を固めろ。干渉者は外部かもしれない。」


その瞬間、空間が青白く震え、記憶の断片が一斉に回転し始める。

ユリアの声が遠くから、しかし鮮明に響いた。

「……ここに、あったの……私の記憶……!」


風間凱が眉を寄せる。

「玲、封印解除プロセスが暴走する。制御不能になる前に完了させる必要がある。」


玲は深く息を吸い込み、静かに答える。

「大丈夫、進めろ。全員、集中。」


光が渦巻き、空間全体が揺れる中、五人のスペシャリストがそれぞれの役割を完璧に遂行する。

そして――


ユリアの記憶の深層から、改ざんされる前の“本当の真実”が、ひとつの像として浮かび上がった。


時間:午前4時07分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層封印区画奥


その声は、闇の中から低く響いた。

玲たちの背後、微かな影が一瞬だけ光の渦に浮かぶ。


「遅かったな。」


影の主――中背の男、鋭い目つきでこちらを睨む。

篁誠司が眉をひそめ、装置の出力を微調整する。

「干渉者が介入……これは記憶操作を阻む者だ。」


笹原晶は端末に触れたまま、冷静に呟く。

「外部からの強制アクセス。封印解除の進行速度を調整する必要がある。」


玲は静かに男を見据え、低く言う。

「君が何者であれ、ここから先は通さない。ユリアの真実を守る。」


安斎が影班を指揮し、成瀬と桐野が前方に張り付き、男の動きを封じる。

空間は一瞬の静寂に包まれ、誰もが呼吸を止めた――記憶と現実の境界が、今、決戦の舞台となる。


時間:午前4時09分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層封印区画奥


玲の声は低く、しかし確かな決意を帯びて響いた。

「事件当日、現場にはもう一人いた。名前の残らない子ども。だが、その記録は意図的に抹消されていた。」


篁誠司が端末のスクリーンに手をかざす。微細な光の粒が浮かび上がり、消された痕跡が徐々に可視化される。

「消去は完全ではない。痕跡は残っている……わずかだが、記憶構造体が保持していた。」


笹原晶が解析装置を操作し、子どもの潜在記憶を呼び出す。

「この子は、封印の中心にいた。直接的な証言は存在しないが、心理的波動が明確に残っている。」


安斎が影班に指示を出す。

「位置を封鎖。誰も逃がすな。この子の情報を守るためなら、制圧も辞さない。」


成瀬と桐野が前後を固め、重い空気の中で時がゆっくりと流れる。

地下の闇に、名前なき存在の記憶が静かに蘇ろうとしていた。


時間:午前4時15分

場所:旧市街地下カタコンベ群・第六層封印区画


椅子に座る少女の前に、白衣の青年が静かに立っていた。

笹原晶が端末を操作し、微細な光が少女の周囲を包む。


「君の記憶……消されてはいない。ただ、封印されているだけだ」

晶の声は冷静だが、どこか優しさを含んでいた。


少女は小さくうなずき、震える手を膝の上で握りしめる。

「……怖い。何が本当なのか、わからない」


玲は短く指示を出す。

「篁、御子柴、九条、水無瀬、そして晶。封印の深層を解放する。安全第一で」


篁が端末に手を置き、微弱な振動が床を伝う。

「注意深く……この層は精神への負荷が大きい。過負荷は避ける」


安斎が椅子の背後で警戒を固める。

「誰も触れさせない。君の安全は俺たちが守る」


静寂の中、少女の瞳に微かな光が戻り始める。

失われたはずの記憶が、ゆっくりと姿を現そうとしていた。


数秒後、青年の表情がわずかに硬くなる。


「……これは、予想以上に複雑だ」

笹原晶は端末の表示を凝視し、眉をひそめる。光の粒子が微かに震え、地下室の空気が緊張に包まれる。


玲が低く声をかける。

「どうした、晶?」


晶は端末の画面を少女に向け、静かに告げた。

「封印の層が二重、いや三重にかかっている。通常の解放手順では一部しか復元できない」


篁が眉を寄せる。

「追加の補助手順が必要だな。御子柴、九条、準備はいいか?」


安斎は少女を背後から守るように身を固める。

「俺たちがいる。誰も近づけさせない」


少女は小さく息を飲み、かすかな震えを見せる。

晶は深呼吸し、指先で端末を操作。微かな光が再び少女の周囲に広がり、封印された記憶の層がゆっくりと浮かび上がり始めた。


場所:玲探偵事務所・ロッジ 朱音の部屋

時間:午前6時前


朱音の部屋に静かに入ると、少女はベッドの上で目を開けていた。眠りから覚めたばかりの瞳は、まだ少しぼんやりとしている。


玲はドアの前で立ち止まり、声を落として言った。

「おはよう、朱音。朝だ」


朱音は小さく顔を上げ、ぼんやりと頷く。

「……おはよう、玲さん」


部屋の窓から朝日が差し込み、薄く霧がかった光がベッド脇の机や本棚を淡く照らしていた。


玲はそっとベッドの近くに歩み寄り、柔らかい声で続ける。

「昨夜のこと、覚えてるか? もう大丈夫だ。君の周りは安全だ」


朱音は小さな手で毛布を握りしめ、微かに震える唇を動かした。

「うん……覚えてる。でも……怖かった」


玲は優しく肩に手を置き、落ち着いた声で答えた。

「怖かったのは当然だ。けれど、もう終わった。君は守られている」


外の森から、風が葉を揺らす音が微かに聞こえる。静かで温かい朝が、少女の小さな胸に少しずつ安堵をもたらしていた。


場所:旧市街・廃墟群

時間:午前7時過ぎ


風が埃を巻き上げ、崩れかけた石壁の隙間をぬうように吹き抜ける。


玲は慎重に足を進めながら、影班と共に廃墟の中心部へ向かっていた。

「慎重に……ここは誰かの痕跡がまだ残っている可能性が高い」


成瀬由宇は静かに前方を見据え、無音で動く。

桐野詩乃は周囲の地面や壁に目を走らせ、微細な痕跡を確認していた。


安斎柾貴は端末を手に取り、風で揺れる埃の中にも潜むデジタルノイズを読み取ろうとしている。

「この辺りの空間情報、通常のセンサーでは拾えない微細な変化がある」


風が吹くたび、古びた廃墟はかすかなうなり声のように反応し、冷たい空気が一行の背筋を撫でた。


玲は小さく息をつき、低く呟く。

「……誰がこの痕跡を残したのか、そろそろ答えを見つけなければならない」


場所:旧市街・廃墟群

時間:午前7時10分


玲の目が細められ、冷たい視線が廃墟の奥へと向けられる。


「その人物――今、どこにいる?」

声は低く、静かながらも重みを帯びていた。


成瀬由宇が足音ひとつ立てずに壁際へ寄り、周囲の微細な気配を探る。

桐野詩乃は端末をかざし、地面に残る微量の熱反応や、埃のわずかな乱れを読み取ろうとしていた。


安斎柾貴は手元のデバイスを操作し、無線信号や過去の監視データから人物の位置を推定する。

「……この辺りにいるはずだ。微細な残留データが指し示している」


冷たい風が吹き抜け、埃を巻き上げる。

玲は深く息を吸い込み、影班に静かに指示した。

「行くぞ。目標の位置を確認したら、速やかに接触だ」


場所:旧市街・廃ビル内部

時間:午前7時17分


スピーカー越しに、乾いた声が廃ビルの空間に反響する。


「……やっと来たか、玲。」


その声は冷たく、無機質で、背筋をぞくりとさせる威圧感を伴っていた。

玲は微動だにせず、わずかに眉を寄せる。

「姿を見せろ。これ以上、時間を無駄にするつもりはない」


成瀬由宇が影から静かに前進し、刃先を廃ビルの暗がりに光らせる。

桐野詩乃は素早く周囲をスキャンし、毒物や罠の痕跡を探知する。

安斎柾貴は手元の端末で音声の発信源を解析し、相手の正確な位置を割り出す。


「声の届く範囲だ。すぐ近くにいる」

安斎が低く報告する。


玲は静かに頷き、息を整えた。

「よし、行くぞ……全員、警戒を最大に」


場所:旧市街・廃ビル外周

時間:午前7時18分


玲の命に、影が即座に応答した。刹那が前へ走り出し、服部の小隊が壁沿いに音もなく散開する。

「成瀬、桐野、安斎、左側通路。風間、遮断線の再確認。レイジ、狙点維持。」玲の声は短く、確実だった。


成瀬が角を曲がると同時に、桐野が左翼を封鎖。安斎は端末で送受信を封じ、微弱な信号を追う。

風間が背後からマイクで指示を飛ばす。

「二手に分ける。刃の届かない距離で押し込め。封鎖は俺がやる。」


服部刹那が屋根伝いに忍び上がり、影から一人、二人と降下する。響は手をかざして幻術の層を張り、敵の視界を分断した。

真堂レイジは狙撃窓に収まり、冷静に息を吐く。

「射線確認。合図で潰す。」


如月が端末越しに解析波形を流し、篁が記録フィードを拾い上げる。御子柴は周囲のログを同期させ、九条が心理干渉波を監視する。

全員の動きが一糸乱れず噛み合い、廃ビルの影に包まれた空間は、突入の瞬間を待つだけになった。


刹那が唇を引き結び、低く囁く。

「三、二、一──行け。」


一斉に動いた。黒衣の影と装備が廃ビルへと滑り込み、風を切る音はほとんど聞こえない。

扉が破られ、内部から冷たい笑いが一つ、静かにこだました。


場所:旧市街・廃ビル内部

時間:午前7時21分


玲は冷たい眼差しをノエルに向け、ゆっくりと銃を構えた。

「今、全てを止める。動けば終わりだ。」


ノエルの瞳に潜む狂気が、一瞬だけ揺れた。だがその奥には、抑えきれぬ怒りが渦巻いている。

刹那が隠密に背後を封鎖し、響が幻術の波紋を広げ、視界を分断する。

「逃がさない。制御下に置く。」玲の声は静かだが、揺るぎない決意が滲んでいた。


端末を手にした如月が解析結果を確認し、御子柴が周囲のログを同期。九条が心理干渉波を監視し、風間が全体の進行を指揮する。

「三、二、一……」


影班が動き出す。黒衣の影がノエルを囲み、逃げ場のない空間に緊張が満ちた。

玲は銃を据え、次の瞬間を待つ――その静寂の中で、勝負の時が迫っていた。


場所:旧市街・廃ビル内部

時間:午前7時24分


叫び声は空間に響き渡り、やがて嗚咽に変わる。

ノエルは膝をつき、必死に感情を押さえ込もうとするが、内側から湧き上がる怒りと絶望が止めどなく噴き出した。


刹那が静かに彼の背後に回り込み、動きを封じる。

響の幻術の波紋が周囲を揺らし、視界の混乱を作り出す。

成瀬と桐野が慎重に距離を詰め、安斎が対象の心理を抑制する。


玲は銃を下ろさず、低い声で告げる。

「落ち着け。暴走すれば、誰も救えない。」


その声に、わずかな間、ノエルの震えが止まる。嗚咽は続くが、制御の糸がかろうじて繋がった瞬間だった。


場所:旧市街・廃ビル内部

時間:午前7時24分~7時25分


「全周囲、警戒。五秒後に完全封鎖入る。」


風間凱の声が無線で短く鳴る。数字がカウントダウンされるかのように、全員の動きがぴたりと締まった。


成瀬が低く囁く。

「左翼、刃持ち一人。封鎖ラインを詰めろ。」


桐野が手際よく動き、廃材の陰に仕掛けられた即席の抜け道を塞ぐ。

安斎は端末を掲げ、通信ジャマーを最大出力に切り替えた。

「外部との通信遮断、完了。逃走経路は物理封鎖のみだ。」


刹那が建物の上部へと跳び、屋根伝いに降りる影を一人確保する。

響が掌をひと振りし、幻術の層で敵の視界を裂く。視界が二重三重に歪み、追従を困難にする。


レイジが静かにライフルを構え、合言葉のように囁く。

「射線維持。致命措置は指示待ち。」


カウントダウンが進む。三、二、一――


刹那の合図で、影班と服部小隊が一斉に動いた。金属がぶつかる音、砂利を踏む鈍い音、短い掛け声が重なり、廃ビル内部は瞬時に人の壁で埋まる。


ノエルは一瞬だけ顔を上げ、震えた声で何かを訴えようとしたが、成瀬が素早く覆い被さり口元を押さえる。安斎が冷たく言い放つ。

「騒ぐな。話したければ、拘束されてからだ。」


玲が歩を進め、目を細めてノエルを見下ろす。

「ここで終わりだ。君に問いただすことがある。」


ノエルは嗚咽混じりに俯き、唇をかむ。だが、動く気配はない。外の風が廃ビルの割れ目から吹き込み、埃を舞わせるだけだった。


短い沈黙の後、刹那が無線で報告する。

「全周囲封鎖、完了。対象、制圧済み。進言あればどうぞ。」


玲はゆっくりと息を吐き、銃の照準を外してポケットに仕舞う。

「まずは持ち場の確認。ログと装置を即時回収しろ。あと一人、監視を付けて尋問を始める。」


響が朱音の側にそっと寄り、視線だけで安心を促す。朱音は震える手をぎゅっと握りしめ、ゆっくり頷いた。


廃ビルの隅に差す朝の光が、粉塵を淡く照らす。

封鎖は完了し、次の局面――真相の聞き取りと回収作業が静かに始まろうとしていた。


時刻:午前7時26分

場所:旧市街・廃ビル外周(朱音の背後側)


刹那と響は、朱音の視界外へと滑り込むように移動した。

黒革の手袋が石壁に触れる音すら立てず、二人は建物の陰に身を潜める。刹那は屋根伝いに素早く位置を取り、抜け道になる可能性のあるルートをひとつずつ閉じていく。響は掌をかざし、微細な幻術の屏を張って外側からの視認を撹乱した。


「南側通路、塞いだ。屋根上は俺が抑える。」刹那が低く報告する。

響は首だけをわずかに動かして返した。「東側窓は幻術で目を逸らす。狙撃は視界を奪えば無効化できる。」


二人は連携を確認すると、同時に動線の要所に小型の監視センサーを仕掛ける。センサーは可視光をほとんど出さず、微かな振動だけを送る。刹那がその振動を手元の端末で確かめ、短く呟いた。

「すべて遮断。射線は切れた。」


響は朱音の方へ視線を送り、手のひらをひとつ軽く掲げる。小さな安心の合図。朱音は背後でそれに気付き、ぎこちなくもほっとした表情を浮かべた。


刹那は最後に屋根の縁から下を見下ろし、低く言った。

「万が一があっても、ここから即応する。安心しろ。」


二人はそのまま影となり、朱音とチームの背後を堅く固め続けた。


時刻:午前7時29分

場所:旧市街・廃ビル外周


刹那が朱音の背後からそっと声をかける。

「寒くはないかい。朱音ちゃん。」


朱音は肩をすくめ、小さな息を吐いた。

「うん……大丈夫。でも、なんだかちょっと怖い……」


響が横から軽く手を差し伸べる。

「大丈夫。こちらからは何も見えないようにしてある。君はただ、前だけを見ていればいい。」


刹那は軽く頷き、冷たい夜気に溶け込むように影の中へ戻る。

「俺たちがいる。安心して進め。」


朱音は小さく目を閉じ、深呼吸をひとつ。背後で守られていることを実感しながら、ゆっくりと前へ一歩踏み出した。


時刻:午前7時31分

場所:旧市街・廃ビル内部


玲の声がインカム越しに静かに、しかし確実に響く。

「……行け。」


影班の三人、成瀬由宇、桐野詩乃、安斎柾貴は、一瞬の間を置き、無言で動き出す。


成瀬は影のごとく低く滑り、建物の奥へと接近。

桐野は微かな足音で側面を固め、環境の異常を探知する。

安斎は掌のデバイスを起動し、監視ログや痕跡を瞬時に遮断。


背後で朱音と刹那、響が慎重に距離を取りながら進む中、玲はわずかに目を細める。

「記録も、痕跡も……すべて、奴らに残させない。」


静寂を切り裂くのは、玲の冷徹な指示と影班の正確無比な動きだけだった。


時刻:午前7時32分

場所:旧市街・廃ビル内部


玲の指示により、排除チームは三手に分かれて展開した。


成瀬由宇と桐野詩乃は建物北側の通路へ、迅速かつ静かに進入。

安斎柾貴は中央ホールを担当し、監視システムや痕跡の即時遮断に集中する。

背後では刹那と響が朱音を護りながら移動し、万が一の狙撃や幻術攻撃にも対応できる位置に控えていた。


玲は冷静に全体の動線を俯瞰し、端末に目を落とす。

「北通路、中央ホール、封鎖完了後、合流地点で待機。対象の痕跡が確認でき次第、回収班に通知。」


無言のまま、各チームは影のように廃ビルの奥へと吸い込まれていった。


時刻:午前7時35分

場所:旧市街・廃ビル内部


玲の声が端末越しに低く響く。


「生かして帰すな。」


瞬間、影班と服部一族の目が鋭く光った。迷いは一切ない。

成瀬由宇は息を潜め、ナイフを握りしめながら壁沿いに滑るように進む。

桐野詩乃は手元の小型装置を起動し、通路の微細な毒気散布を確認。

安斎柾貴は意識遮断装置のスイッチを押し、ホール全体の制御権を掌握する。


刹那と響は朱音を安全圏に置きつつ、敵の視線や動線を分断。

冷たい空気の中、無言のチームは玲の命令のもと、次の瞬間に迫る“決着”を待っていた。


時刻:午前7時38分

場所:旧市街・廃ビル内部


薄暗い通路の先に、紫の装束をまとった一人の男が姿を現した。

服部の長、紫苑。服部半蔵の血を色濃く受け継ぐ末裔である。


彼は無言で手を挙げ、影班と服部一族に向けて合図を送る。

その動作だけで、全員が瞬時に意思を理解した。

銃口は固定され、ナイフは手元で光を反射し、通路全体が緊張に包まれる。


紫苑の目は冷たく、しかし揺るがない意志を宿していた。

「行くぞ。」

玲の声は低く、静かに命令を伝える。

チーム全員が動き、廃ビル内に計算された静寂の嵐が押し寄せた。


時刻:午前7時40分

場所:旧市街・廃ビル内部・中央ホール


柾貴の無線が静寂を切り裂いた。

「対象、息の根を止めた。任務完了。」


その声を合図に、廃ビル内の緊張が一瞬だけ揺らぐ。

刹那が低く返す。

「了解。回収班、そちらへ向かえ。」

如月は端末を睨みながら言った。

「封鎖解除は待機。ログを即時回収する。」

玲は朱音の後ろに目をやり、静かに指示する。

「ナツメ、状態確認。朱音を後方へ戻せ。」


成瀬と桐野が無言で動き出し、収容と記録作業に取りかかる。

響は朱音の背後で身を低く構え、静かに守りを固めた。

ナツメはそっと朱音の肩に手を置き、落ち着かせる。


玲は深く息をつき、端末を操作しながら呟く。

「よくやった。だが、これで終わりではない。ここからが本当の検証だ。記録を戻し、誰が仕組んだのかを確かめる。」


外では朝の冷たい風が廃墟を吹き抜ける。

無線の残響が消え、廃ビルには再び作業音だけが静かに響いた。


任務は完了した――しかし、明かされるべき真実は、まだ幾重にも折りたたまれている。


時刻:午前7時42分

場所:旧市街・廃ビル内部・中央ホール


玲は一歩前に出た。

冷たい光が廃ビルの壁に反射し、彼の鋭い目を際立たせる。


「影班、回収班、ログの確認を急げ。封鎖は一時維持。誰が何を仕組んだのか、確実に洗い出す。」


成瀬は静かに頷き、桐野とともに廃ビルの奥へ向かう。

柾貴は端末を手に、空間の監視を続けながら無線をチェックする。

響は朱音の背後を固め、ナツメはそっと肩に手を添えたまま、少女の落ち着きを確認する。


玲は目を閉じ、微かに息を吐く。

「ここから全てを、元に戻す。」


外の朝の光が窓の割れ目から差し込み、廃ビルの陰影を長く伸ばす中、静かな緊張が再び場を支配した。


時刻:午前7時43分

場所:旧市街・廃ビル内部・中央ホール


だが、その背後――


微かな気配が、廃ビルの暗がりから忍び寄る。

影は壁に溶け込み、足音ひとつ立てずに接近していた。


玲は振り返らずに、低く指示を出す。

「成瀬、桐野、背後の影を封鎖。柾貴、全ライン監視。」


成瀬が滑るように動き、暗がりを切り裂く。

桐野は手早く毒・罠を確認し、干渉される可能性を排除する。

柾貴は端末越しに監視データを解析し、異常な熱源や振動を即座に特定。


玲は静かに目を閉じ、冷静に状況を把握した。

「来る者は全て、記録される。」


そして、影が一瞬、形を変える――動きの予兆を察した刹那が、低く声を漏らした。

「……来る。」


そして――


廃ビルの天井裏から、暗黒に包まれた男が滑り降りる。

黒装束に覆われ、眼差しは冷たく一点を見据えている。


玲は微動だにせず、静かに呟いた。

「影班、服部一族、展開。全方位警戒。」


刹那と響が朱音を庇いながら、即座に動線を封鎖する。

成瀬と桐野は無音で背後に回り込み、柾貴は端末越しに敵の動きを追う。


暗闇の中で、時間が止まったかのような数秒――

男の指先が扉の冷たい金属に触れた瞬間、玲は静かに命じた。

「行け。」


影班の動きと服部一族の連携が一斉に発動し、廃ビル内の空気が鋭く張り詰める。


紫苑が低く告げた。


「全員、動くな……ここから先は、俺の合図で動け。」


その声は静かだが、廃ビル内に緊張を走らせる。

刹那が朱音を庇いながら頷き、響は手元の幻術装置を軽く操作して周囲の視覚情報を攪乱する。


玲は影班に目配せを送り、成瀬と桐野は闇に溶けるようにして動線を押さえる。

柾貴は端末越しに敵の監視情報を分析し、静かに報告した。


紫苑の合図を待つ数秒の間、建物内は息を飲むような沈黙に包まれた。


玲が低く、しかし揺るぎない声で言った。


「行け。」


その瞬間、影班と服部一族が無音の連携で動き出す。

成瀬が左側の通路を滑るように進み、桐野は背後から回り込み、安斎は中央で対象の意識を封じる。


紫苑の指示に従い、全員が瞬時に配置に就く。

闇と静寂の中、数秒で任務は完了する。

建物内には、ただ深い静けさだけが残った。


時間:深夜23時42分

場所:旧市街・廃棄倉庫周辺


夜の旧市街に、沈黙の決着が訪れる。

瓦礫と影が交錯する石畳に、ただ微かな風音だけが残る。

影班と服部一族、そして玲は一瞬の静寂の中で互いを見渡した。


成瀬由宇が短く息を吐き、桐野詩乃は背後の暗がりを一瞥する。

安斎柾貴は冷たく光るナイフを握り締めたまま、ゆっくりと肩を落とす。


「……終わったな。」玲の声が低く、確かに響いた。

廃倉庫に残るのは、消えた記録と、決着の静寂だけだった。


時間:午前6時15分

場所:旧市街・石畳通り


朝日が旧市街の石畳を優しく照らし、冷えた空気がようやく緩み始めていた。

瓦礫の隙間から差し込む光が、夜の闇に潜んでいた痕跡を白く浮かび上がらせる。


朱音は小さく息をつき、玲のそばで肩を震わせた。

「……玲さん、もう大丈夫?」


玲はゆっくり頷き、影班の三人に目を配る。

成瀬は無言で視線を遠くの建物群に向け、桐野は端末のスクリーンを確認。

安斎は手元の記録を整理しながら、静かに言った。


「全ての痕跡は消し切った。残るはこの街の静寂だけだ。」


玲は深く息を吸い込み、薄く微笑む。

「……そうだな。ここから先は、もう彼女たちの手に委ねよう。」


街に光が満ちるなか、かすかな風が石畳を撫でていった。


時間:午前6時20分

場所:旧市街・石畳通り


「えへへ……おじちゃんたち、ありがとう。」


朱音はまず、成瀬由宇の前でちょこんと頭を下げた。

成瀬は無言で少し目を細め、わずかに頷く。


次に桐野詩乃の前へ歩み寄り、同じように礼をする。

桐野は目を伏せて一瞬の照れを見せると、静かに頭を下げ返す。


最後に安斎柾貴の前で止まり、深呼吸をひとつ。

「……ありがとうございました、柾貴さん。」


安斎は冷静な表情のまま、しかし手元の端末を置き、朱音を見つめて短く言った。

「……よくやった、朱音。」


その小さな礼のやり取りが、長く続いた夜の緊張を、ほんの少しだけ和らげた。

石畳に差し込む朝日が、朱音の笑顔を優しく照らす。


朱音は小さな足で響のもとへ歩み寄った。

「響さん……ありがとうございました。」


響は背筋を伸ばしたまま、わずかに視線を下げる。

その瞳には普段見せない柔らかさが宿り、静かに頷いた。

「……お前の直感と勇気があったからだ。よくやったな。」


朱音は少し照れくさそうに笑い、手を胸に当てる。

石畳に朝の光が差し込み、二人の間に静かな安心感が広がった。


朱音は刹那の前に立ち止まり、小さな声で言った。

「刹那さん……ありがとう。」


刹那は無言で視線を朱音に合わせる。

冷静さの奥に、わずかな柔和さが覗く。

「これで、もう怖がる必要はない。」


朱音は安心したように小さく頷き、刹那の背後に広がる街並みを見つめた。

朝の光が二人を包み込み、緊張の夜の痕跡を静かに溶かしていった。


朱音は玲の前に立ち、少し背伸びをして両手を広げた。

「玲さん……ありがとう。みんなを守ってくれて。」


玲はゆっくりと膝を曲げ、朱音の視線と合わせる。

静かに、だが確かな声で言った。

「よく頑張ったな、朱音。」


その背後で、影班や服部一族の面々も静かに微笑み、長く険しかった夜の終わりを迎えたことを感じていた。


朱音は振り返り、精神操作チームの方へ歩み寄った。


まず九条凛の前に立ち、ぺこりと頭を下げる。

「九条さん……いつも、ありがとうございます。」


続いて御子柴理央に向かい、少し照れながら手を合わせる。

「御子柴さん、助けてくれてありがとう。」


最後に水無瀬透の前で深く一礼する。

「水無瀬さん……怖い思いをさせてごめんなさい。でも、ありがとう。」


三人はそれぞれ柔らかな微笑みを返し、朱音の無邪気な感謝を静かに受け止めた。

空には朝の光が差し込み、長く続いた闇の夜が終わったことを告げていた。


時間:午前6時40分

場所:旧市街・石畳通り


朱音はゆっくりと服部紫苑の前に立ち、少し緊張した様子で視線を上げた。


「紫苑おじちゃん……本当にありがとう。」


紫苑は静かに頷き、無言で朱音を見守る。

その沈黙の中に、長年培われた信頼と安堵が滲んでいた。


朱音は小さく笑みを浮かべ、両手をぎゅっと握りしめる。

朝の光が石畳を照らし、旧市街に穏やかな空気が戻ってきた。


紫苑の眉がわずかに下がり、目元に深く刻まれた優しいしわが浮かぶ。

次の瞬間、口元がほんの僅かに、微かに緩んだ。


その様子を見た朱音は目を見開き、思わず叫ぶ。


「長老が……笑った……!」


周囲にいた影班や精神操作チームの面々も驚きの声を漏らす。


「うそだろ……本当に……!?」

「証拠残してないのか?録画は!?録画は!!」


石畳に朝の光が差し込む中、わずかに笑みを浮かべた紫苑の姿は、何十年もの緊張と沈黙を一瞬で解きほぐすかのようだった。


時間:午前9時15分

場所:東京・半蔵門の一角


事件から数日後。旧市街の騒動は静まり返り、街には朝の光が差し込んでいた。


玲は半蔵門の書斎で資料整理に没頭していたが、窓の外に現れたのは――服部一族の面々だった。

刹那、響、そして紫苑を先頭に、黒装束ながらも整然とした足取りで歩み寄る。


紫苑が丁寧に頭を下げ、低く告げる。


「玲殿、この度は一族として、正式に御家族と同居させていただきたく……」


玲は書類から目を上げ、冷静に頷く。


「わかった。影班との連携もある。君たちの力は必要だ。」


朱音は窓の外で跳ねるように喜びを露わにする。


「えへへ、刹那おじちゃん、響おじちゃんも一緒に住むの?」


刹那は微かに微笑み、響も無表情ながら頷く。


こうして、半蔵門にある玲探偵事務所――兼、影班と服部一族の“同居空間”は、静かに新しい日常を迎えたのだった。


時間:午後15時30分

場所:森に囲まれた玲探偵事務所・ロッジ周辺


玲は木漏れ日に照らされる地面を踏みしめながら、紫苑の言葉を反芻した。


「……この地に、“半蔵門”を設ける。」


朱音は不思議そうに首をかしげる。


「半蔵門……?」


紫苑は静かに頷き、手を大きく振るようにして森の奥を指した。


「我ら服部一族の技と結界を用いた、隠れた守りの門だ。これより、このロッジ周辺には部外者は踏み込めん。朱音の安全のためにな。」


玲は目を細め、風に揺れる木々の影を見つめる。


「なるほど……これで、影班も、君たちも、朱音も――皆が守られるわけだな。」


朱音は嬉しそうに跳ねながら言った。


「わー! 安全な家みたい!」


刹那と響も、黙って微かに頷き、森の静けさに溶け込むように立っていた。


こうして、半蔵門は静かに完成し、ロッジの周囲には新たな守りの結界が張られた。

これからの日常も、少しずつ、だが確実に――守られていくのだった。


時間:午後15時45分

場所:森に囲まれた玲探偵事務所・ロッジ周辺


紫苑の口元に、わずかに笑みが浮かぶ。

「それと、我らもここに住む。」


玲は思わず目を見開いた。

「――は?」


その言葉に、影班の面々も、刹那も響も、朱音も、全員一斉に声を上げる。

「……ええええええええ!?」


朱音は飛び跳ね、両手を広げたまま叫ぶ。

「うそでしょ!? だって、ここは私たちの家なのに!」


安斎は腕を組み、冷静に眉をひそめる。

「……住むって、本気で言ってるのか?」


紫苑は微かに肩をすくめ、森の方を見やった。

「半蔵門の結界を維持し、朱音を守るためには、我らが常駐する必要がある。理解してほしい。」


玲は深く息を吐き、少しだけ苦笑した。

「……まあ、確かに安全性は格段に上がるけど……住むって、文字通りか。」


朱音は半分呆れ、半分嬉しそうに顔を輝かせた。

「うわー! これで、影班も服部一族も、みんな一緒に暮らせるんだ!」


森の静けさが、わずかに和らいだ光の中で震え、半蔵門の結界と共に、これから始まる“大家族の暮らし”を静かに迎え入れた。


時間:午後15時50分

場所:森に囲まれた玲探偵事務所・ロッジ前


一拍おいて、紫苑が低く、ぽつりと口を開いた。

「朱音が……可愛い。」


その言葉に、場の空気がふわりと柔らかくなる。


朱音は少し首をかしげ、にこりと笑った。

「じぃじ……?」


紫苑は眉間にわずかなしわを寄せながらも、目尻が緩む。

「……いや、その通りだ。お前は、本当に愛らしい。」


朱音は嬉しそうに両手を広げ、影班や玲のほうをチラリと見た。

「ふふっ、これで安心だね。じぃじも一緒にいるし!」


玲は微笑みながら腕を組む。

「……まさか、服部一族の中で、じぃじ呼びが誕生するとは思わなかったな。」


森の光が朱音の髪を淡く照らし、静かな森の中に、ほのかな家族の温もりが満ちていった。

場所:玲の探偵事務所・書斎

時間:朝



朝日が机の上に差し込む中、玲の書斎のドアが静かに開いた。

紫苑が黒いコートを脱ぎながら、少しぎこちなく扉の前で立ち止まる。


「……玲、今日は改めてお礼を言いに来た。」


玲は椅子に腰掛けたまま、穏やかに顔を上げる。

「礼なんていい。無事に終わったからだ。」


紫苑は一歩前に進み、手を組んで少し頭を下げる。

「いや、あなたの采配と影班の行動がなければ、あの子は無事では済まなかった。感謝してもしきれない。」


玲は小さく頷き、ペンを置いた。

「朱音の安全が第一だ。それに、君たち服部一族の協力があってこそ、あの封鎖も成り立った。」


紫苑は口元に微笑みを浮かべ、少し目を細めた。

「……それにしても、あの小さな子があそこまで皆を動かすとは思わなかったよ。」


玲は軽く肩をすくめ、静かに言った。

「朱音は……直感が鋭い。小さな存在でも、記録や記憶に隠れた真実を拾える。」


紫苑は少し間を置き、さらに深く一礼する。

「改めて、ありがとう、玲。」


玲は微かに笑みを返す。

「こちらこそ、君たちがいてくれて助かった。」


書斎には静かな朝の光だけが差し込み、二人の間に穏やかな余韻が残った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ