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21話 「ゼロ地点の影」

主要人物


れい

•役割:探偵・指揮官

•特徴:冷静沈着、鋭い洞察力と推理力を持つ。事件の全体像を把握し、チームを指揮する。

•関係性:奈々や伏見、影班と信頼関係を築く。


橘奈々(たちばな なな)

•役割:情報解析・端末操作担当

•特徴:高度な情報処理能力を持ち、現場の映像・データ解析に長ける。

•関係性:玲の右腕としてサポート、沙耶とも信頼関係を築く。


伏見陽介ふしみ ようすけ

•役割:データフォレンジック技術者

•特徴:複数モニターを駆使してデジタル証拠を解析する。

•関係性:玲とチームのデジタル面を支える。


霧島透子きりしま とうこ

•役割:現場調査・現場情報収集

•特徴:冷静で洞察力が高い、現場対応も迅速。

•関係性:玲や奈々と共に事件解決に奔走。


御影尚志みかげ なおし

•役割:セキュリティアナリスト・暗号解読

•特徴:元公安技術班所属、暗号解析・ゼロ地点技術に精通。

•関係性:玲と旧知の仲で、技術面の最終鍵を握る。


志乃しの

•役割:現場補佐・心理分析

•特徴:観察力と分析力に優れ、冷静な判断でチームを支える。

•関係性:チーム内での調整役・精神的支柱。


天城瞬あまぎ しゅん

•役割:元特殊捜査班・狙撃手

•特徴:精密射撃技術のスペシャリスト、“影の抹殺者”として知られる。

•関係性:伏見と過去に関わりがあり、事件では現場で支援。


氷室岳ひむろ がく

•役割:都市部潜伏スナイパー

•特徴:極めて高い狙撃精度を持つ。天城と協力関係があるが完全には信頼できない。

•関係性:玲チームの非常時の切り札。


白砂想しらすな そう

•役割:ゼロ地点技術者・遠隔制御

•特徴:空間認識データを操り、戦術的に敵の動きを予測・操作可能。

•関係性:玲チームの空間制御担当。


高原沙耶たかはら さや

•役割:被験者・元“消された人間”

•特徴:過去の記憶実験に巻き込まれたが、玲たちの助けで自分を取り戻す。

•関係性:奈々と信頼関係を築き、事件後の精神的支えとなる。


柿沼圭介かきぬま けいすけ

•役割:事件関与者・毒仕掛けの実行者

•特徴:動機は複雑で、過去の過ちや人間関係の影響で犯行に至る。

•関係性:事件の重要な手がかりを握る。


黒田慎一郎くろだ しんいちろう

•役割:黒幕・操作者

•特徴:柿沼や他の被害者を操作していた真の黒幕。逮捕されることで事件は決着。


水島凛みずしま りん

•役割:心理分析官・公安内部

•特徴:公安内部に潜む“影の本命”、記憶操作・心理制御に精通。

•関係性:最終盤で真の支配構造として登場。

時間:午後2時30分

場所:玲探偵事務所


午後の柔らかな陽光が、カーテン越しに玲探偵事務所の窓から差し込んでいた。

机の上には事件ファイルと整理しきれない書類が積み重なり、伏見陽介はその山に半ば埋もれるようにして座っていた。


彼は片手に冷めかけたコーヒーカップを持ち、深いため息を吐いた。


「——なあ、玲。この依頼、どう思う?」


伏見が書類の束の上から無造作に放り投げたのは、一通の茶封筒だった。差出人の欄には何も書かれていない。


橘奈々はすぐに反応し、手早く封を切った。

中から現れたのは数枚の写真と簡潔な手紙。彼女の眉がわずかに動く。


「内部告発者が高層マンションから転落死。警察は“自殺”として処理してる……でも、この封書には“殺人の証拠写真”が添えられてる。」


机に置かれた写真には、夜の非常階段に不自然に転がる靴跡と、被害者の衣服に残る掴み跡が鮮明に写っていた。


玲は窓際に立ち、片手にコーヒーを持ちながら静かに目を細めた。

「暴露されると困る者がいる。その者にとって、真実は“脅迫”そのものだ。」


事務所の奥、壁際に立っていた霧島が腕を組み、低い声を響かせる。

「つまり、今回は……“真実が殺された”ってことか。」


重苦しい空気が漂う中、玲はゆっくりとコーヒーを飲み干し、カップを机に置いた。

そして無言でコートを手に取る。


奈々がその背に問いかける。

「玲……どこへ?」


玲は短く息を吐き、振り返らずに言った。

「次は、告発された側にとって“真実がどれほど危険だったか”を確かめに行こう。」


その言葉に、事務所の空気がさらに張り詰めていった。

新たな事件の幕が、静かに上がろうとしていた——。


時間:午後5時15分

場所:サンライズタワー 屋上


夕陽が傾き、ビルの影が長く伸びる。

高級マンション「サンライズタワー」の屋上は風が強く、遠くから街のざわめきが微かに届いていた。


コンクリートの縁に立つ玲は、静かに周囲を見渡す。

足元には黄色いチョークの痕跡——かつて“転落現場”として囲まれた位置がまだ残っていた。


霧島が低い声で呟く。

「ここから飛び降りたってわけか……しかし、やけにフェンスが高いな。普通に考えりゃ、自殺には不向きだ。」


奈々は端末を操作しながら、屋上の監視カメラ映像の履歴を確認していた。

「映像は部分的に欠落してる。——事故の夜、ちょうど被害者が消えた数分間だけ。」


伏見が膝をつき、床に残る微かな擦れ跡をライトで照らした。

「靴底の跡が二重になってる……被害者が自分から歩いたんじゃない。誰かに押し付けられた痕跡だ。」


玲は無言でしゃがみ込み、コンクリートの隙間に埋もれる小さな金属片を拾い上げた。

それは古びた 携帯用レコーダーの破片 だった。


「……机の上に置かれていたのと同じ型か。」

玲の声に、奈々と伏見が同時に顔を上げる。


奈々が息を呑む。

「まさか、被害者は最後の瞬間を——録音してた?」


霧島は夕陽を背にしながら、屋上の縁を見下ろした。

「転落じゃなくて、証拠を残そうとしたんだな。……その記録を消そうとした奴がいる。」


玲は拾った破片をポケットに収め、静かに言った。

「“真実は自分を守るために残された”。……問題は、それを誰が奪ったかだ。」


強い風が吹き抜け、屋上に重苦しい沈黙が落ちた。


——まるで、この場所がまだ“声を秘めている”かのように。


時間:午後7時


場所:玲探偵事務所


机の上に並べられたのは、拾い集められた携帯用レコーダーの破片。

復元ソフトにかけられたデータから、スピーカーにはざらついたホワイトノイズが流れ続けていた。


霧島が腕を組んで言う。

「……ノイズの山だな。これじゃ何が録音されてたか分からん。」


玲は顎に手を添え、短く指示を飛ばした。

「復元作業には——“あの人”を呼ぶべきだ。」


時間:午後7時30分


場所:玲探偵事務所


古びた携帯用レコーダーの破片が、机の上に並べられていた。

その隣に置かれたノートPCには、復元途中の断片的な波形データが映し出されている。


ドアが開き、白衣を羽織った御子柴理央が姿を現した。

無駄のない動作でケースを机に置き、椅子に腰を下ろす。


玲が視線を向け、短く告げた。

「頼む。これが鍵になる。」


御子柴は頷き、破片から抽出されたメモリを専用ソフトに読み込む。

モニターにびっしりと表示された波形は、ほとんどがホワイトノイズに覆われていた。


霧島が新聞をたたみ、ぼそりと漏らす。

「ただの砂嵐だな……こんなんで何か残ってるのか。」


御子柴は答えず、指先で波形を細かく分解していく。

音の層を一枚一枚削ぎ落とすように処理を重ねると、やがてかすかな人の声が混じり始めた。


スピーカーから、掠れるような声が響く。

——「や……めろ……押すな……」


伏見が画面を睨みつけ、思わず息を呑む。

「……今、確かに声が出た。」


御子柴はさらに処理を重ねる。

波形が揺れ、ノイズの奥から、もう一つの言葉が立ち上がった。


——「伝えろ……真実は……」


声はそこで途切れ、再び砂嵐に呑まれていった。


部屋に短い沈黙が流れる。

玲が深く息を吐き、椅子の背にもたれながら目を細めた。

「……自殺じゃない。殺されたんだな、真実を握っていたせいで。」


御子柴はヘッドホンを外し、端末の画面を指で示した。

「ここに、まだ“暗号データ”が残っている。完全に解読できれば、最後の瞬間のすべてが明らかになる。」


伏見が低く応じた。

「つまり……これだけじゃ足りないってことか。」


玲は立ち上がり、窓の外の闇に視線を向けた。

「なら、次は暗号を解く。……あの人が残した“本当の声”を取り戻す。」


時間:午後7時45分


場所:玲探偵事務所


別の机では、工業設計担当の西条がレコーダーの破片を手に取り、顕微鏡を覗き込んでいた。

ライトの下で反射する基板の一部に、微細な傷が浮かび上がる。


「……ほら、ここだ。」

西条は細いピンセットで基盤を指し示す。

「通常の落下で割れた跡じゃない。外部からの強い圧力、しかも一点に集中して加えられてる。 これは“踏み潰し”に近い。」


伏見がモニターから顔を上げる。

「つまり……事故で壊れたんじゃなく、意図的に壊されたってことか。」


西条は頷き、顕微鏡の映像を画面に映し出した。

「さらに、端子部分に熱変色がある。おそらく小型のヒートツールで焼き切られた痕跡だ。中のデータを物理的に消そうとしたんだろう。」


霧島が鼻を鳴らす。

「つまり、被害者は“押されて落ちた”。そして、その証拠を握っていたレコーダーは、誰かがわざわざ壊した……そういう流れか。」


玲は黙ってレコーダーの破片を見つめ、指先で軽く叩いた。

「……つまり、この破片そのものが“殺された真実”だ。」


御子柴が隣で小さく笑い、復元した音声データを再生する。

——『や……めろ……押すな……』


その声が、室内に再び重苦しい沈黙を落とした。


時間:午後2時30分

場所:マンションロビー


その頃、マンションのロビーでは、奈々が住人たちと柔らかな笑みを交わしていた。


「こんにちは、奈々さん。今日は何のご用ですか?」

高齢の住人がにこやかに声をかける。


奈々は穏やかに微笑み返す。

「ちょっと確認したいことがありまして。屋上や共有スペースの出入りについてお話を伺えますか?」


住人たちは少し緊張しながらも、正直に口を開く。

「夜遅くに屋上に誰かが上がっていたかってことですか……? 私は見てませんが、清掃員の方なら……」


霧島が控えめに隅で腕を組み、奈々の言葉を聞き漏らさない。

奈々は端末にメモを取りつつ、住人たちの証言と防犯カメラのログを突き合わせる。


「ありがとうございます。小さな情報でも助かります。」

住人たちに礼を言い、奈々は静かに背を向ける。


霧島が低く呟く。

「屋上に上がったのは確かだ。だが、誰がどの目的で……」


奈々は端末を見つめながら、次の行動を決めていた。

——502号室の“偽装住人”を確認するために、屋上へ向かう準備を整えながら。


時間:午後3時

場所:マンション屋上


玲は事務所で復元データを睨みつけながら、小さく呟いた。

「……やはり、屋上に何か痕跡が残っている。」


奈々が端末を操作し、屋上の防犯カメラ映像を拡大する。

「502号室の住人は、記録上存在しているけど、実際に姿を見せた形跡はほとんどないわ。」


霧島が低く声を落とす。

「偽装住人……つまり、誰かが潜り込んで監視していた可能性が高い。」


玲はコートを肩にかけ、静かに決意を口にする。

「行くぞ。屋上に上がれば、全てがわかる。」


屋上に到着すると、冷たい風が二人を迎えた。

瓦礫の陰に身を潜める影を、玲はすぐに見抜く。


「そこにいるのは……」

奈々が息を飲み、端末で影の輪郭を追う。

「……管理人じゃない。見覚えのある人物です。」


玲は慎重に距離を詰める。

影の人物は、偽装住人の格好で屋上の端に立っており、無意識に持ち物を整理している。


その瞬間、玲の眼差しが鋭く光った。

「……正体は、お前か。」


影の人物が振り返る。白いシャツの下に隠されたIDカードが、ほんの一瞬、光を反射する。

偽装住人の正体——過去に被害者と接触のあった人物であり、事件に何らかの関与を持つ者が、ここに潜んでいたのだ。


玲は小声で奈々に告げる。

「端末で確認しろ。全ての動線と痕跡を照合する。」


奈々は頷き、手元の端末を操作。

屋上の一連の行動ログが復元され、偽装住人の足取りと接触の痕跡が明らかになる——。


時間:午後3時20分

場所:玲探偵事務所


スピーカーから流れるノイズの奥に、微かに人の声が混ざった瞬間——

全員の視線が同時にモニターへと集まった。


数秒の沈黙の後、女性のか細い声が響く——震えと切迫感が滲んでいる。


御子柴理央が静かに呟く。

「……被害者の声です。屋上で何かが起きた直前の、最後の声……」


奈々が端末を操作しながら言った。

「呼吸の乱れ、言葉の途切れ……間違いない、恐怖と緊張が録音されています。」


霧島が眉をひそめる。

「これは……ただの偶然じゃない。意図的に恐怖を植え付けられている。」


玲はモニターに視線を固定したまま、低く言った。

「誰かが被害者を追い詰めていた……そしてその人物はまだ屋上にいる可能性が高い。」


伏見陽介がデータを解析しながら補足する。

「声の音源位置を特定しました。屋上の北東端、非常階段の近くです。」


玲は立ち上がり、静かに息を整えた。

「よし、全員準備だ。偽装住人の正体を突き止め、被害者が残した手がかりを確かめる。」


全員の緊張が一気に高まり、事務所内に静かな決意が満ちる——。


時間:午後3時22分

場所:玲探偵事務所・解析ブース


スピーカーから断片が繰り返し流れる──先ほどよりも鮮明に、女性の震える声が言葉を紡ぐ。


「……もし、私に……何かあったら、このデータを……赤い灯り、3つの影、12時ちょうど……忘れないで……」


室内が凍り付く。声は脆く、途切れ途切れだが、そこに込められた切迫感は生々しかった。


御子柴が顔を上げ、淡々と解析ノートをめくる。

「‘赤い灯り’…‘3つの影’…タイムスタンプのノイズ除去が進めば、位置情報と照合できる可能性がある。あと、‘12時ちょうど’という時間指定は、動線のトリガーを示唆している。」


奈々が即座に端末に手を伸ばし、屋上とマンション周辺のカメラログを時刻基準で呼び出す。

「屋上北東のログ、11時50分から12時10分の間を重点確認します。‘赤い灯り’っていうのが照明か信号か、周辺の店の看板か──そこは現地で確認が必要です。」


霧島が歯を鳴らすように低く言った。

「‘3つの影’か……複数人で仕組まれた手だてだな。誘導、もしくは目くらましの可能性が高い。」


玲は椅子から立ち上がり、波形と画面を見据えた。声の切れた最後の語句を胸の内で反芻する。

「被害者は、誰かに見つかる前に“伝えよう”とした。赤い灯り、三つの影、そして真夜中の正確な時刻──全部が合わさる地点があるはずだ。まずはそこを潰す。」


伏見が淡々と付け加える。

「音声メタデータには微弱な周波数差が残っています。位置三角測位の手がかりになり得る。次の工程でセンサー同期をかけます。」


御子柴がヘッドホンを再装着し、ノイズをさらに削ぎ落とすための処理を始める。モニターに波形が再描画され、音声の輪郭が少しずつ浮かび上がる。


奈々が端末越しに穏やかだが確信に満ちた声で言った。

「私たち、行きます。屋上の北東、12時を基準に周辺の赤い光源を確認して、三つの影の足取りを掴みます。」


玲は短く頷き、コートを掴んだ。窓の外、光は傾き始めている。

「行くぞ。被害者が残した言葉を、無駄にはしない。」


解析室に残るわずかなノイズと、女性の最後の願い──それが、玲たちの動きを確固たるものにした。


時間:午後3時27分

場所:玲探偵事務所・解析ブース


スピーカーから、女性の切迫した声が再び浮かび上がる。前回よりも呼吸が荒く、焦りがにじむ。


「……数字……4、7、9……それが、鍵……」


御子柴が眉をひそめ、解析端末を操作する。

「数字……4、7、9。これが暗号か、もしくは位置情報の符号か、日付や部屋番号の可能性もある。前回の‘赤い灯り、3つの影、12時ちょうど’と組み合わせれば、行動パターンの絞り込みができる。」


奈々が画面をスクロールさせながら言う。

「赤い灯りの候補は屋上北東の非常灯、屋内階段の赤色センサーランプ、そして隣接する店舗のネオン……3つに絞れそう。4、7、9の数字が何を示すか、現場に照らし合わせる必要があります。」


霧島が低くつぶやく。

「数字……偶然じゃない。被害者は必死に手掛かりを残そうとしてる。」


玲は静かに椅子から立ち上がり、モニターを凝視する。

「4、7、9……被害者が残した暗号。屋上の赤い灯りと三つの影、12時ちょうど──全部を繋げれば、次の一手が見えるはずだ。」


伏見が端末を操作しながら補足する。

「音声波形から微弱な周波数を抽出すれば、屋上北東付近の正確な座標と、数字の関連性も推定可能です。」


玲は端末を閉じ、短く息を吐いた。

「行くぞ。被害者が残した4、7、9……この鍵を解き明かす。」


窓の外、午後の光は傾き始め、探偵たちの次なる行動を照らすかのように差し込んでいた。


時間:午後3時35分

場所:玲探偵事務所・解析ブース


スピーカーからの女性の声が頭にこびりつくように響く中、急に廊下の床を打つ足音が近づいてきた。金属の床板に響く重みのあるステップ、規則的だが止まる気配はない。


霧島が眉をひそめ、即座に立ち上がる。

「……誰か来る。普通の訪問者じゃない。」


玲はモニターから目を離さず、低く囁く。

「警戒しろ。足音は急ぎすぎている──隠れる時間はほとんどない。」


奈々は端末を素早く手に取り、侵入者の動線を解析する。

「入り口付近のセンサーに反応があります。右側通路を通って、解析ブースに接近中。」


伏見が指を走らせ、データを確認する。

「階段付近から足音が二方向に分かれています。複数か……それとも一人の錯覚か。」


霧島がゆっくり息を吐き、拳を握る。

「この足音……相手は準備してる。急がなきゃ、奴らは“数字の鍵”を奪いに来るつもりだ。」


玲はコーヒーカップを置き、静かに周囲を見渡した。

「全員配置につけ。4、7、9……被害者の残した鍵を守る。」


遠くの廊下で足音が止まり、一瞬の静寂が訪れる。次の瞬間、部屋のドアノブがゆっくりと回る音が響いた。


時間:午後3時36分

場所:玲探偵事務所・解析ブース


奈々は端末の画面に手を滑らせ、解析プログラムを起動した。

「赤い灯り……3つの影……それぞれの位置と角度、照度の変化を追跡するわ」


モニターには建物の平面図が表示され、3か所の赤い点が点滅している。

奈々は指で一点ずつ辿りながら言う。

「この灯りの配置は不自然。通常の防犯灯では起こらないパターンね」


霧島が横で眉をひそめ、低くつぶやく。

「つまり、誰かが意図的に仕込んだ……だな」


玲はモニターの影を凝視し、言葉を選ぶように低く告げた。

「3つの影……これは単なる灯りの反射じゃない。人の存在を示している」


伏見が手元のデータを確認し、補足する。

「赤い光の反応と影の動きが連動している。影が動いたタイミングで、灯りの強度が微妙に変化している……完全な設計された演出です」


奈々は唇を引き結び、指示を出す。

「全員、監視モード。被害者が残した ‘3つの影の位置’ に注意。数字の鍵はここに隠されている可能性が高い」


沈黙の中、事務所の空気は一瞬張りつめる。足音はまだ迫り、赤い灯りの下で影が揺れ始めた。


時間:午後3時38分

場所:玲探偵事務所・解析ブース


霧島が低く唸った。

「鍵、か──なるほどな。」


玲が眉を寄せて聞き返す。

「どういうことだ?」


霧島は屋上の平面図を指でなぞりながら説明する。

「『赤い灯り』『三つの影』『12時ちょうど』に加えて、数字が出てきた。4、7、9──これは暗証番号か、配置のインデックスだ。つまり、灯りが示す三点の『順序』。順番通りにたどれば、鍵の位置に辿り着く。」


奈々が即座に補足する。端末の画面にこまやかな注釈が浮かぶ。

「屋上の非常灯をマッピングして、各灯りに番号を振ると、北東の灯りが“4”、中央の非常標識が“7”、避雷針の付近が“9”。被害者の『4、7、9』はその順序を示している可能性が高いです。12時ちょうどに、その三点が視線ラインを交差させる――視覚的な合図です。」


御子柴がヘッドホンを外し、手元の波形を指でさすった。

「声は急いでいた。時間を指定している以上、現場は儀式的に仕組まれている。誰かが誘導して撮らせたか、あるいは被害者自身が最後の手掛かりを設計したのか……」


伏見が冷静に言う。

「では行動は明快だ。屋上北東、12時を基準に三点を確認する。もしそこに隠し箱やロック機構があるなら、4→7→9の順で探せばいい。」


玲はコートの襟を掴み、短く頷く。

「全員、屋上へ向かう。時間を逆算して動け。被害者が残した“鍵”を奪われる前に見つけるんだ。」


その瞬間、廊下の向こうでドアが勢いよく開く音がした。重い足取りが一気に事務所へ迫る。解析ブースのモニター画面が一瞬、赤く揺らめいた。


霧島が低く呟く。

「来た。奴らも、鍵を狙っている──速く。」


時間:午後3時39分

場所:玲探偵事務所・解析ブース


「“言ってはいけないこと”が命を奪う——。」

玲の口元で、さっき解析された断片の意味が反芻される。声はただの呟きではなく、警告でもあった。被害者が最後に残したのは、真実そのものを晒すなという恐れと、同時にそれを伝えよという矛盾した命令だった。


霧島が短く息を吐く。

「言葉が危険になる――そうか。真実を口にする者が、消されるのかもしれないな。」


奈々は端末を横に滑らせ、素早く時刻を確認する。

「12時ちょうどまで、あと二十一分。屋上に向かえば、4→7→9の順で灯りを確認できるはずです。だが――」

画面に映る屋上のマップに、不穏な赤い点が動き始める。誰かが既に現場へ向かっている。


伏見が冷静に報告する。

「外部のアクティブトラフィックを確認。屋上に向かう人数が増えている。暗号を解読している連中と一致するプロファイルがある──これはプロの仕業だ。」


御子柴はヘッドホンを外し、短く言った。

「声の最後の語句、『忘れないで』──その“忘れるな”の対象が、まさに今、誰かの手に落ちようとしている。」


玲はコーヒーカップを置き、皆に命じる。

「配置に着け。奈々、解析を止めるな。霧島、俺と一緒に屋上へ。伏見はログで侵入者の動線を潰せ。御子柴はここで音声を更にクリーンアップして、他の指標を出せ。」


足音が廊下でさらに強くなる。重心の低い足の運び、武装の気配――侵入者は隠密などではなく、正面から“奪いに”来ている。

事務所の照明が一瞬だけ暗転し、外の赤い信号が窓ガラスに鋭い筋を描いた。電力の瞬断か、相手の妨害か。


霧島が拳を握り締め、低く笑った。

「言ってはいけないこと――なら、言わせてやる。だが、その前に奪われるわけにはいかねえ。」


玲は短く頷き、外套のボタンを掛ける。外では夜の気配が濃くなり、屋上へ続く階段の先に、赤い灯りが三つ、ぎこちなく瞬きだしていた。


──声が示した“鍵”は、今まさに争奪戦の火ぶたを切られようとしている。玲たちはそれを守り、被害者の“言ってはいけないこと”を世界に解き放つか、それとも沈黙の闇に葬られるのか。答えは、屋上の12時にかかっていた。


時間:午後11時58分

場所:マンション屋上


夜の静寂を、ぼんやりと揺らめく赤い灯りが切り裂く。風が冷たく頬を打ち、遠くの街灯がかすかに瞬く。


──その時、屋上へのドアが静かに開いた。


玲は軽く息を整え、肩越しに後ろを振り返る。

「来たか……」


霧島が低く唸り、手袋の指先で手すりを握る。

「奴ら、やる気満々だな。」


奈々は端末を片手に、赤い灯りの位置と屋上のマップを確認する。

「3つの影、すべて揃ってます……あれが、声が言っていた鍵の示す位置です。」


風に揺れる赤い光の影に、黒ずくめの人物がひとり、静かに足を踏み入れる。

伏見が声を潜め、通信端末で報告する。

「確認、侵入者は三名。装備は最小限、明らかにプロの仕業です。」


御子柴がヘッドホンを押さえ、モニターの音声を再生する。

「声の断片が強まっています……‘忘れないで’……間に合うかもしれません。」


玲は静かにコートの裾を掴み、霧島に視線を向ける。

「無駄死にはさせない。奴らが動く前に、こちらから動く。」


赤い灯りの下、屋上の空気が張り詰める。足音が近づく。ドアの向こう、影が揺れる──屋上の戦いは、すぐに始まろうとしていた。


時間:午後11時59分

場所:マンション屋上


赤い灯りの下、動かぬ3つの影。冷たい風が吹き抜け、屋上の空気は張り詰めていた。


玲は微かに息を整え、端末で影の動きを確認する。

「奴らの動きを封じる。霧島、奈々、伏見──準備はいいか?」


霧島が拳を握り、低くうなずく。

「一気に制圧する。」


奈々は端末のマップを指差しながら静かに言う。

「屋上の出口は三箇所、赤い灯りの位置と影の間合いを計算すれば、逃げ道は限定できる。」


その瞬間、影班の成瀬、桐野、安斎が屋上に現れる。黒装束に身を包み、動きは音もなく、完璧に統制されていた。

成瀬の鋭い目が三つの影を捉える。

「俺たちが先手を打つ。誰も逃がさない。」


桐野は手に持った小型装置をチェックし、低くつぶやく。

「毒物や仕掛けの痕跡も抑えつつ、制圧できる。」


安斎は静かに影に向かって歩を進め、柔らかくも冷徹な声で指示する。

「心理的優位を確保。混乱を誘導する。」


玲は短く息を吐き、全員に視線を巡らせる。

「時間はない。影班、先手を頼む。俺たちは声の場所を確保する。」


屋上の空気は一層張り詰め、赤い灯りの下、影班が静かに動き出す──三つの影を包囲し、戦いの幕が上がった。


時間:午後11時59分

場所:マンション屋上


衣擦れの音が、屋上の静寂を微かに揺らした。赤い灯りに照らされる三つの影が、わずかに体を動かす。


成瀬の目が光る。

「気配を消せ。奴らに悟られるな。」


桐野は手元の小型装置を操作しながら低くつぶやく。

「微振動を解析……動きの予測完了。」


安斎は影の心理を読み取り、冷静に指示する。

「焦りを誘う。錯覚を与えろ。」


玲は端末を覗き、赤い灯りと影の位置を確認する。

「衣擦れの音──これは罠じゃない。だが油断は禁物だ。」


微かに揺れる影の一つが、赤い光の下で息を詰める。屋上の戦場は、音ひとつで運命が動く緊張の瞬間を迎えていた。


そして、次の瞬間——何かが確かに「そこ」にいる。


時間:午後11時59分

場所:マンション屋上


霧島がヘッドホンを外し、赤い灯りに浮かぶ三つの影を鋭い視線で睨んだ。

「……この層、複雑すぎる。単純な罠じゃない。」


玲が端末を操作し、影の位置と屋上の構造を重ね合わせる。

「音の反響、光の影……この三つの層を同時に読む必要がある。」


成瀬が低くつぶやく。

「視覚、聴覚、心理──三重の層で仕掛けられてるな。」


安斎は冷静に指示を出す。

「それぞれの層を分離して操作する。焦るな、誘導に乗るな。」


霧島は再び屋上を見渡し、赤い灯りの揺らめきに注意を払った。

「この層を突破できるのは、俺たちだけだ。」


夜の風に乗り、衣擦れと機械音が混ざり合う。屋上の戦場は、三重の層による心理・物理の緊張が頂点に達していた。


時間:午後11時59分

場所:マンション屋上


玲は赤い灯りに浮かぶ三つの影を冷静に見据え、短く頷いた。

「各自、センサー反応と視覚層の情報を統合して。俺は屋上全域の状況を統括する。」


伏見陽介が端末の画面をスキャンしながら言う。

「光学フィードと音響データをマッピング完了。影の位置と動線をリアルタイムで解析中。」


成瀬由宇が低く報告する。

「心理的圧力が強い層を確認。注意力が分散するタイミングで接近される可能性あり。」


安斎柾貴が冷静に指示する。

「視覚・聴覚・心理の三重層を分離し、順次処理。誤作動は許されない。」


玲は指揮官としての口調でまとめる。

「各員、担当層の制御を確実に行え。誤判断を防ぐため、情報フローは逐一報告。全体を把握しつつ、個別の対応も忘れるな。」


衣擦れの音が風に混ざり、緊迫した屋上の空気をさらに張り詰めさせる。


時間:午後11時59分

場所:マンション屋上


奈々は端末の画面に映る音声波形を凝視し、指を滑らせながら拡大する。

「振幅と周波数の変動が明確に出てるわ。ホワイトノイズに埋もれていた人声のスペクトル成分を抽出できた。」


霧島が眉をひそめる。

「どういうことだ?」


奈々は指で波形のピークを指し示す。

「この部分のエネルギー強度が他と比べて顕著に高い。ここに声の周波数帯域、つまり人間の声の基本周波数(F0)が含まれているの。」


伏見が端末越しに補足する。

「ノイズの中から声のパルス幅やピッチを計算して、発声タイミングと息継ぎのパターンまで特定可能だ。」


奈々は端末のスペクトログラムを見つめながら続ける。

「周波数領域で見ると、声の共鳴成分(フォームants)も確認できる。これで誰が話しているかの特定に役立つわ。」


玲は静かに頷き、指揮を取りながら言った。

「音声解析の結果をリアルタイムで戦術層に反映させろ。誤認識は許されない。」


衣擦れの音と波形の解析が、屋上の緊迫感をさらに高めていた。


時間:午後11時59分

場所:マンション屋上


伏見が身を乗り出し、端末の画面を指さしながら、少し荒っぽく言葉を投げた。

「奈々、この声のピーク、明らかに人間の発声だ! 単なるノイズじゃない!」


奈々は冷静に応じる。

「そうよ。振幅と周波数の変化から、呼吸のパターンも確認できる。焦りや恐怖が声に反映されているわ。」


霧島が腕を組み、低く呟く。

「ここまで鮮明に出るとは……奴ら、声を消すつもりだったのに。」


玲は端末に目を落としながら指示する。

「伏見、波形のタイムスタンプを即座に解析し、屋上の各影との位置関係を照合しろ。これで次の動きを特定する。」


伏見は頷き、波形データをさらに精密に解析し始めた。

屋上の赤い灯りの下、緊張感が音声解析とともに張り詰める。


時間:午後11時59分

場所:マンション屋上


玲は目を細め、端末の波形と赤い灯りに照らされた影を交互に見比べながら、冷静に推論した。


「赤い灯りは屋上の非常用照明……3つの影は照明に対して直線上に立つ人物だな。

そして12時ちょうど——つまり、この影が交差するタイミングが何かの合図になる。」


霧島が低く唸る。

「……罠か、誘導か、それとも……監視の目か。」


奈々が端末を操作しながら付け加える。

「波形の呼吸パターンとも一致する。声が焦りを示す瞬間と、この光と影の交差タイミングが完全に重なっている。」


玲はゆっくりと頷き、次の指示を口にした。

「影班、屋上の左右を制圧。伏見、モニターからリアルタイムで波形を追跡。奴らが何をしようとしているのか、この12時の瞬間に全てを把握する。」


午後11時59分、屋上に緊張の糸が張り詰める。


時間:午後11時59分

場所:マンション屋上・玲探偵事務所管制端末前


奈々は玲の指示が終わるよりも早く、端末に指を走らせた。画面に複雑な波形と光点が瞬時に展開する。


「——1分以内に解析可能です。音声波形の『位相差測位』を使います。」


奈々の声は落ち着いているが、その指先は異常な速度でキーボードを叩いていた。

「複数のマイクロフォンが拾った音の位相差を演算して、発声位置を特定します。これで、女性が最後にいた正確な場所が屋上のどこか割り出せるはず。」


伏見が驚いたように身を乗り出す。

「そんな短時間で位置が出るのか?」


奈々は目を逸らさずに即答する。

「できます。位相差測位はGPSよりも短距離で高精度に動作しますから。」


画面上の光点が次第に一点に集まり、赤い灯りの真下を指し示した瞬間、奈々は短く告げた。


「……出ました。彼女が最後に立っていたのは、赤い灯りの真下——3つの影の交差点です。」


玲はその結果を見て、低く呟いた。

「そこが、事件の‘核’だな。」


時間:午後11時59分20秒

場所:マンション屋上・玲探偵事務所管制端末前


霧島は机に広げた屋上の詳細図面に目を落とし、低く唸る。

「残響特性を解析すると……音源の反射パターンで、赤い灯り周辺の障害物の位置までわかる。」


霧島の指が影の交差点を指す。

「ここだ。光と影の配置、反響の角度……全て一致する。」


奈々が画面を凝視し、端末に表示された波形を素早く確認する。

「残り40秒で解析完了……屋上の正確な位置と、3つの影の動線も割り出せます。」


伏見が息を詰め、霧島に視線を送る。

「時間がない……どうする、玲?」


玲は静かに肩を落とさずに指示を出す。

「全員、位置を固めろ。3つの影に向けて同時行動だ。」


霧島は頷き、緊迫の空気の中で地図にマークを入れる。

「了解。赤い灯りの下で、待つ者は確実に捕捉する。」


時間:午後11時59分40秒

場所:マンション屋上・玲探偵事務所管制端末前


奈々が端末のマップを指でなぞり、素早くズームする。

「ここ……影の交差点、位置特定完了。残り20秒で動線を最終確認。」


伏見が肩を張り、声を低く絞る。

「玲……動くタイミングは?」


玲は眉をひそめ、淡々と答える。

「全員、同期。赤い灯りの下に3つの影が揃った瞬間に動く。」


霧島が地図上にマーカーを置き、手で強調する。

「各自のカバー範囲はここだ。侵入ルート、脱出口、全て計算済み。」


奈々は端末に映る屋上の立体模型を回転させながら微笑む。

「あと20秒……完璧に読み切れるわ。」


時間:午後11時59分50秒

場所:マンション屋上・玲探偵事務所管制端末前


霧島が低く唸り、拳を固める。

「赤い灯り、3つの影……何かがおかしい……残り10秒だ。」


玲は端末の画面を凝視し、冷静に指示を出す。

「全員、位置を確認。予測軌道通りなら、次の瞬間、影は交差点で止まる。」


伏見が手元の端末を操作しながら言った。

「計算通りに動けば、これで罠は完全に回避できる……はずだ。」


奈々は口元に笑みを浮かべ、緊張の中で声を震わせずに言う。

「残り10秒……準備完了。」


時間:午後11時59分55秒

場所:マンション屋上・玲探偵事務所管制端末前


玲は微かに微笑み、決意を込めて言った。

「断片をつなげる……残り5秒。」


奈々が端末の画面を最後までスクロールさせ、影の位置を精密に確認する。

伏見は拳を握り、息を止めるようにしてモニターを凝視した。


霧島が低く一言。

「ここまで来れば……あとは信じるしかない。」


時間:午前0時

場所:廃施設屋上


その夜、彼らは廃施設に立っていた。


12時、赤い信号灯の下、壁に3つの影が交わる一点が浮かび上がる。

奈々が端末を操作し、座標コードを表示させる。


「ここだ……間違いない。」奈々の声は、興奮と緊張が入り混じっていた。

伏見はその座標を確認しながら静かに頷く。

霧島は拳を軽く握り、影の交差点を目で追った。


玲は静かに息を整え、チームに指示を出す。

「座標を基点に動け。残り時間はわずかだ。」


奈々が端末に視線を落とし、低く囁く。


「この座標……ただの場所じゃない。トリガーになってる……。」


伏見が眉をひそめ、霧島と玲の方を見る。

「つまり、ここに何かが仕掛けられているってことか?」


玲は短く頷き、淡々と指示する。

「慎重に、しかし迅速に。動作ひとつで全てが終わる。」


霧島がヘルメットのカメラユニットを慎重に取り外す。


「これで監視の死角を作れる……動け、影班。」


奈々が端末を操作しながら、残り時間を確認する。

「座標コードをトリガーにした仕掛け、解除までもうあと数秒です。」


玲は肩越しにモニターを見つめ、冷静に指示を飛ばす。

「全員、位置を固めろ。焦るな、一瞬の判断が命取りになる。」


玲はタグを見つめ、静かに言う。

「悪いな、影班は俺の指示にしか従わない。」


霧島が軽く息を吐き、影班のメンバーを一瞥する。


「承知……玲の判断に従う。」


奈々が端末のスクロールを止め、座標と赤い灯りの残像を確認する。

「全トリガー、解除準備完了。残り3秒。」


玲は微かに頷き、低く声を落とす。

「行くぞ——影班、前に。」


時間:午前0時

場所:廃施設・屋上


奈々が端末を睨みつけ、眉をひそめる。

「0時ちょうど……同期はギリギリ、間に合うか?」


霧島がタグを指先で転がしながらつぶやいた。

「……このコード、ただの識別じゃない。座標とタイミングが組み合わさった複合トリガーだ。」


玲が短く言った。

「呼ぼう——“解析屋”を。」


時間:午前0時30分

場所:玲探偵事務所


数十分後、事務所の扉が静かに開いた。


「まったく、面倒な時間に呼ぶな。」


低く抑えた声とともに現れたのは、漆黒のジャケットを羽織った男——御影 尚志。


元公安技術班所属、今は独立したセキュリティアナリスト。彼は玲と浅からぬ縁があり、その知識と腕前は“政府系暗号を解く最後の鍵”として知られている。


時間:午前0:32分

場所:玲探偵事務所


霧島が短く説明すると、御影はタグを手に取り、目を細めた。


「なるほど……これは単純な位置情報タグじゃない。暗号化と多重認証が施されている。」


彼の指先がタグの表面をなぞるたび、微かな光が反応する。


「解析には専用プロトコルが必要だ。時間との勝負になるな……」


時間:午前0:時35分

場所:玲探偵事務所


彼は静かにノートPCを開き、タグ専用のリーダー端末を接続すると、データの読み取りを開始した。


「まず、タグのEEPROM(不揮発性メモリ)から生データを取得する。暗号化された通信プロトコルはAES-256で保護されており、通常のリーダーでは解読不可能だ。」


御影は短く息をつき、画面上のバイナリ列を指でなぞる。


「通信ログとタイムスタンプを相関させれば、このタグが最後に認識された座標と時間を正確に再構築できる。」


わかりやすく説明すると——

・EEPROM:タグ内部の不揮発性メモリで、電源が切れても情報が消えない部分。

・AES-256:高水準の暗号化方式。タグのデータを直接読み取ることはできない。

・タイムスタンプと座標の相関:タグがいつどこで動いたかを正確に特定する手法。


時間:午前0:42分

場所:玲探偵事務所


奈々は端末の画面を凝視し、画面上に表示される座標とタグの稼働ログを追った。


「なるほど……この座標、先ほど屋上で特定した‘赤い灯りの3つの影’の位置と完全に一致してる。」


彼女は指でスクロールしながら続けた。


「しかも、タイムスタンプを見ると——正確に12時ちょうど。まさに声に残されていた通りね。」


霧島が静かに頷く。

「つまり、音声の警告とタグのデータは完全にリンクしてる。誰かが意図的に仕組んだわけだ。」


奈々は微かに息をつき、さらに解析を進める。

「次は、タグのIDから発信元と管理者を割り出す必要があるわ。」


時間:0:45

場所:玲探偵事務所


御影はタグの情報を指でなぞりながら、淡々と口を開いた。


「このタグ、ただの位置記録じゃない。タイムスタンプで作動する、時間指定型トリガーだ。」


霧島が眉をひそめる。

「つまり、屋上で確認した赤い灯りと3つの影の交点に、0:00に合わせて同期されていた、ということか。」


奈々が端末をスクロールさせ、軽く息をつく。

「完璧に計算された計画……犯人は屋上で誰かを待ち構えていたのね。」


時間:0:55

場所:玲探偵事務所


御影は指をデータ上で滑らせ、画面を凝視しながら静かに言った。


「黒曜事件のトリガーは、今から夜中の1時——0:00を過ぎてから正確に0:55にタグ情報が計算され、発動準備状態に入る。」


霧島が短く息をつき、低く呟く。

「つまり、残りわずか5分で罠が作動する……。」


奈々は端末を操作しながら眉をひそめる。

「時間と座標、光と影の条件、すべてが同期している。誰も余裕はないわ。」


時間:0:57

場所:玲探偵事務所


伏見が腕を組み、画面に映るデータを睨みながら低く言った。


「つまり、夜中の1時に起こる黒曜事件は、完全自動化された罠だ。手動で解除できる時間はほとんど残されていない。」


霧島が肩越しに覗き込み、拳を固める。

「0:03で作動する前に、俺たちで食い止めるしかないな。」


奈々は端末を操作しながら冷静に解析を続ける。

「タグの信号は複数の座標と連動してる……座標コードを解読すれば、発動ポイントを特定できるわ。」


時間:0:59

場所:玲探偵事務所


御影は画面に表示された解析データを指し示し、低く説明した。


「見てほしい。この赤いラインが、タグの同期起動信号だ。0:03に各ポイントが同時作動するよう設計されている。もしこの順序を狂わせれば、トラップは無力化できる。」


玲は眉をひそめ、手元のノートに座標と作動タイミングを書き込みながら応じる。

「なるほど……座標とタイムコードを合わせれば、夜中の1時までに解除できる。行くぞ。」


伏見が画面を指差し、確認する。

「残り時間はわずか……急ぐ必要がある。」


時間:1:02

場所:玲探偵事務所


御影が微かに微笑み、落ち着いた声で言った。


「これで真実が、夜の闇に隠されることはない。」


玲は深く頷き、手元の資料を片手に立ち上がる。

「よし……影班、準備だ。夜明け前に全てを明らかにする。」


伏見も端末を閉じながら、静かに言った。

「……逃げ道は、もう残されていない。」


時間:1:05

場所:玲探偵事務所


御影の指がキーボードの上で止まり、画面にかすかな文字列がちらついた。


「この暗号……単なるタイムスタンプじゃない。複合認証の痕跡だ。」

彼はゆっくりと息を吐き、モニターに映る微細なパターンを指でなぞるように追った。


奈々が端末を覗き込み、眉をひそめる。

「……これを解読すれば、黒曜事件の核心に直結する座標が割り出せるはず。」


玲は短く頷き、低い声で言った。

「よし、御影。頼む、君の腕を信じる。」


時間:1:12

場所:玲探偵事務所


御影は冷静に画面の表示を拡張すると、複数のスキャンデータが次々と浮かび上がった。


「これがDケースの機密文書。内部文書、暗号化された報告書、アクセスログ……すべて電子署名で保護されている。」

彼は専門用語を噛み砕きつつ説明する。


「電子署名(Digital Signature)は改ざん防止のための暗号技術で、誰が作成したかも証明される。アクセスログ(Access Log)は、誰がいつ文書に触れたかを記録した履歴。解析すれば、操作した人物や時間を正確に追跡できる。」


奈々が画面を指差しながら言った。

「なるほど……このDケースには、単なる内部資料以上の、隠された証拠の痕跡があるってことね。」


玲はわずかに眉を寄せ、決意を込めて言った。

「よし、全ての断片を紐解き、事件の核心へ迫ろう。」


時間:午前1時15分

場所:玲探偵事務所・解析ブース


御影の指が止まり、画面上の文書の余白に赤いカーソルが踊る。暗闇の中、モニターの青白い光だけが室内を照らしていた。


「待て、それは都市伝説のはずだ。記録操作と心理操作技術の初期実験。事故として処理された被験者のデータがここに……」


その言葉に、室内の空気が一瞬で冷たくなる。玲が目を細め、静かに訊ねた。「初期実験、というのは具体的に何を指す?」


御影はディスプレイ上のスキャン画像を指でなぞりながら、読み上げるように説明した。声は低く、しかし簡潔だ。


「Dケースの報告書にはこうある。『被験体群に対する認知再構成プロトコルの試験。外的記録の挿入による長期記憶干渉の評価。副次的に、記録改竄を用いた行動誘導の実装』──端的に言えば“人の記憶や行動を外部データで書き換え、意図した反応を引き出す”実験だ。記録操作(ログ汚染/タイムスタンプ改竄)は電子証拠の信頼性を失わせ、心理操作(ニューロフィードバックや条件付け)は被験者の行動を変える。」


奈々が画面をスクロールし、専門用語に注釈を付け加える。読者にもわかりやすく、短く。


「記録操作(ログ汚染):保存されているアクセスログやタイムスタンプを書き換え、誰がいつどこで何をしたかの痕跡を偽装する手法。

心理操作(認知再構成):外部刺激(音声・映像・環境トリガー)で被験者の記憶の連結を再編成し、行動や証言を変容させる技術。ここではニューロメッシュやニューロフィードバックが用いられている可能性が高い。

被験者の事故処理:逸脱した反応や不可逆的な副作用を“事故”として隠蔽した記述が残っている。」


霧島の声が低く震える。

「つまり、『事故』にされた者たちは、実験の生贄だ。誰かがそれを隠蔽してきた。ここにあるのは、その隠蔽の痕跡だと……」


御影は画面の一箇所を拡大し、指で強調する。そこには電子署名の不整合が赤くハイライトされていた。


「電子署名のタイムスタンプが二重に付け替えられている。署名自体は本物に見えるが、メタデータの整合性が崩れている。つまり、文書は後から差し替えられ、改竄の痕跡だけが残っている。これを解けば、誰がいつ操作したか──発信元のプロファイルが浮かび上がるはずだ。」


伏見が淡々と付け加える。

「こうしたログ汚染を検出するのがフォレンジックの仕事だ。タイムスタンプ整合性、ハッシュ値の再計算、レプリケーション履歴の確認──全部やる。だが、Dケースは巧妙だ。中央で管理された証跡が、あらかじめ“消える”ように仕組まれている。」


玲は深く息をつき、皆を見渡した。

「ならば、消えたものを掘り起こす。被験者たちの『事故』を事故に見せかけた者の名前を、世界に晒すんだ。」


モニターの中で、かすかに動く文字列が意味を成し始める。Dケースの暗い輪郭が、ゆっくりと浮かび上がってきた。真夜中の事務所に、誰もが覚悟を決めた息が静かに戻る。


時間:午前1時30分

場所:玲探偵事務所・解析ブース


奈々が画面から目を離さず、低くつぶやいた。

「……高原由衣。実験体の一人だ。」


霧島が眉をひそめ、軽く首をかしげる。

「事故にされた子だな……この報告書の中で、何もかもが計算されていた。」


御影は指を止め、静かにノートPCを覗き込む。

「高原由衣のログは、記録操作が最も複雑に施されている。アクセス経路、行動履歴、音声メモ……全てが人工的に修正されている。普通なら見破れないレベルだ。」


伏見が端末のデータを切り替え、注釈を加える。

「フォレンジック解析で、元データのハッシュ値と復元データの差異を比較すれば、操作された箇所を特定できる。この子の事故が‘偶然’ではなかったことが証明できる。」


玲は目を細め、画面の文字列をなぞるように視線を走らせた。

「ならば、由衣を含む被害者の記録を辿り、誰が何の目的で操作したかを洗い出す。黒幕の正体は、このデータの中にある。」


霧島が低くつぶやく。

「……真実を掘り返すなら、誰も逃れられないだろうな。」


夜の事務所に、覚悟を決めた静寂が漂った。


時間:午前1時35分

場所:玲探偵事務所・解析ブース


突如、通信ライン越しに割り込む声が響いた。

「——やめておけ。そこに踏み込めば、お前たちも消されるぞ。」


その声は、機械的な歪みを帯び、発信元を隠すためのボイスチェンジャーを通していた。


奈々が即座に端末の追跡プログラムを起動し、画面を睨みつける。

「発信元……暗号化経路が二重、いや三重。特定に時間がかかる。」


御影が指を止め、短く呟く。

「“割込み”か。旧式のステルスプロトコルを使っているな……正体は、ほぼプロ。」


伏見が身を乗り出し、苛立ちを押し殺すように低く言った。

「誰だ、お前は。」


声はわずかに笑うように揺れ、再び響いた。

「Dケースに触れた者は、必ず終わる。君たちも例外じゃない……」


玲はゆっくりと椅子に背を預け、冷ややかな視線でスピーカーを見上げた。

「警告か、それとも脅しだ?」


通信は一瞬だけ途切れ、再び雑音混じりの声が続く。

「これは“忠告”だ……まだ引き返せるうちに、引き返せ。」


奈々が端末に指を走らせ、目を細めた。

「発信元のトラフィック、割り込みの中にもう一層……“隠しルート”がある。突破できるかもしれない。」


玲は短く頷き、低い声で言った。

「いい、追え。今この瞬間が唯一の突破口だ。」


事務所の空気が、静かな緊張で張り詰めた。


時間:午前1時36分

場所:玲探偵事務所・解析ブース


通信は唐突に切断された。スピーカーから流れていた低い警告の残響が、虚しく室内に残るだけだ。モニターの通信ウィンドウは灰色に戻り、受信バーはゼロを示していた。


奈々が息を吐き、すぐにキーボードを叩く。

「ルートが切られた……でも、パケットの断片は回収できるはず。タイムアウト直前のフォレンジックをかけるわ。」


御影は短く頷き、端末のログを拡張表示する。

「割り込みは中継されている。出口ノードは隠蔽されたプロキシ経由だ。直線で追うと消える。だが多層ログの相関で残存指紋は拾える。」


伏見が画面をスクロールしながら左目を細める。

「割り込み前のタイムスタンプと、ネットワーク遅延の差分がここにある……発信元の“地域的特徴”が微かに出ている。完全確定には至らないが、手掛かりにはなる。」


霧島が立ち上がり、拳を握り締める。

「脅しに屈するつもりはねえ。向こうも素早い。こっちも素早く動けばいいだけだ。」


御影が静かに言った。

「注意点をひとつ。こうした割り込みは心理的圧迫を目的に入る。目的は二つ——捜査を止めさせるか、こちらを別方向へ誘導するか。どちらにせよ、我々の優先度は変わらない。由衣とDケースの事実を掘り起こすことだ。」


玲は画面から目を離し、室内に一周するように視線を巡らせた。コーヒーの湯気が冷え、窓の外には夜の街灯だけが静かに瞬いている。やがて彼はゆっくりと椅子に戻り、皆を見渡した。


「通信は切れた。だが情報は完全には消えていない。奈々、回収できる断片を優先で復元。御影、ログのメタデータから発信経路の痕跡を洗え。伏見、被験者ログのハッシュ差分を並列で計算。霧島、外回りで接触可能な目撃や監視カメラの報告を出してくれ。時間はない。やることははっきりしている。」


奈々が端末越しに小さく笑った。

「わかった。切断された通信の“残り香”を嗅ぎつけてやる。」


その瞬間、事務所の電話が短く鳴った。着信表示は非通知。玲は黙って受話器を取ると、受話側からは無音のノイズ。だが、それを切ったあと、彼の顔はわずかに硬くなった。


「奴らが動くのは確かだ。だがこちらも動く。」玲は低く、確かな声で言った。

窓の外、夜はまだ深い。通信は途絶えたが、捜査の手は止まらない──。


時間:午前1時42分

場所:玲探偵事務所・解析ブース


その瞬間——


事務所の照明がすべて消えた。モニターの光だけが幽かに揺れる中、室内は漆黒に包まれる。空調の微かな音も止まり、静寂が重く落ちる。


伏見が素早く端末を操作し、モニターをバックライト代わりに周囲を確認する。

「停電……いや、違う。誰かが電源系統を操作した。」


霧島は腕を組み、低く唸る。

「やつら、直接的に物理干渉してきやがったか。」


御影は落ち着いた声で指示を出す。

「全員、懐中電灯を出して安全確保。端末はバッテリー駆動に切り替えろ。電子機器の異常を記録しながら行動する。」


奈々は微かに笑いながらも眉をひそめる。

「やつら、心理的プレッシャーを狙ってる。停電で慌てさせる作戦ね。でも焦らない。データは守る。」


玲は短く息を吐き、暗闇の中でも冷静に周囲を見渡す。

「目的は一つ。由衣の情報とDケースの真実。物理的に阻まれても、手は止めない。」


暗闇の中で、彼らの影だけが壁に揺れる。静寂を切り裂くのは、確かな決意と、捜査を止めない意思だけだった。


時間:午前1時45分

場所:玲探偵事務所・解析ブース


暗闇の中、玄関の施錠音が静かに響く。外から何者かが侵入してきたことを告げる、その金属音は異様に冷たかった。


霧島が耳をそば立て、低く呟く。

「誰か……入ったな。」


伏見は素早く端末を手に取り、室内の電子機器の稼働状態を確認する。

「監視カメラの映像も、外部通信も遮断されてる……完璧に孤立させられてる。」


御影はタグを握り締め、暗闇の中で微かに目を細める。

「狙いはデータだな。冷静に行動する。焦れば死角を見逃す。」


奈々が懐中電灯を取り出し、光を床に落とす。

「暗闇でも、情報を守る手は止めないわ。」


玲は静かに立ち上がり、影の中に溶け込むように前に進む。

「誰が来たかより、何を奪おうとしているかを考える。目的は一つ——Dケース、そして高原由衣の真実だ。」


静寂を切り裂く施錠音の余韻の中、探偵たちは緊張のまま、次の一手を待つ。


暗闇の中、窓の外の影がわずかに動いた。


時間:午前1時48分

場所:玲探偵事務所・外周


伏見がわずかに身を屈め、銃を構えたまま窓の外を見据える。

「来た……影班。」


闇の中、三方向から黒い影が静かに事務所に接近する。成瀬、桐野、安斎——それぞれが戦闘装備を整え、無音で地面に足を着けている。


霧島が低く唸る。

「計画通りか……完璧に隠密行動だ。」


御影は冷静にモニターを指差す。

「夜間索敵センサーに引っかかっていない。動きは完全にステルス状態だ。」


奈々は端末で影班の位置をリアルタイム表示させる。

「三方向から侵入。正面、裏口、屋上。各ポイントに成瀬、桐野、安斎が配置完了。」


玲は窓際で短く息を吐き、低く指示する。

「全員、標的を確認し次第、確実に制圧。データ保護を最優先——。」


闇夜に溶け込む影班と、緊張が張り詰める玲たち事務所内。

次の瞬間、戦闘が始まろうとしていた。


時間:午前1時49分

場所:玲探偵事務所・玄関前


“カチリ”。


玄関のロック解除音が闇に鋭く響いた。金属音は小さいが、静寂の中では槍のように鋭い刃となって全員の鼓動を切り裂く。


伏見が瞬時に身体を沈め、銃口を窓の外の暗がりへ向ける。息を殺したまま、指先で短く合図する——左手の人差し指を二度、屋内へ向けた。影班到着の合図だ。


安斎の低い声が無線で届く。音は小さく、だが確かに指令性を帯びている。

「玄関優先。成瀬、桐野は屋内からの迂回。慎重に、でも速く。」


成瀬が薄く笑いを含んだささやきで返す。

「任せろ。静かに連れてくる。」


扉がわずかに開き、暗闇の隙間から細い光線が差し込む。そこに、ひとつの影が静かに、しかし確実な足取りで踏み出した。黒いコートの裾が床に擦れる音が、今はじめて室内に届く。


霧島が低く息を吐き、懐中電灯の弱い光で廊下の足元を滑らせる。光は抑え、反射を抑えたまま。視界に入るのは影の輪郭と、相手が手にしている小さな端末の先端だけだ——鍵を物理的に解除する道具か、それとも別の仕掛けか。


奈々は端末の画面をスクロールしながら呟く。

「玄関の開閉センサーは今、リモートで書き換えられた形跡がある。奴らは『鍵』を持っていたか、あるいは電気系統を制御している」


御影は淡々と控えの位置で解析を続けつつ、短く指示を出す。

「安斎、接触は非致死で。目的はデータ奪取だ。手段は迅速に封じる。」


影はさらに一歩踏み込み、廊下の暗がりに完全に入る。成瀬が足音を殺しながら影の横から回り込み、鋭く制圧動作に入る——だがその直前、影の持つ端末が微かに白光を放った。


伏見が反射的に銃を引き、声を張る。

「止まれ! 手を上げろ!」


一瞬の静止。床に映る赤い点が揺れる。影がゆっくりと、しかし確実に両手を上げた。暗闇の中、微かな息遣いだけが聞こえる。


成瀬が影に近づき、耳元で低く囁く。

「動くな。君の目的は何だ?」


影は低い声で答えた——だがその声は、微かな電子フィルタに乗って聞き取りにくい。室内の誰も確証を得られないまま、事務所の空気はさらに張り詰めていく。


外では、他の二手も確実に配置を取りつつある。屋上、裏口、玄関——網は収束しつつあった。だが、まだ終わっていない。赤い灯りと“4、7、9”の断片、Dケースの影は、暗闇の先でじっと息を潜めている。


時間:午前1時50分

場所:玲探偵事務所・玄関ホール


「お前たち、いい加減派手にやりすぎなんじゃないか?」


落ち着いた低音が、停電の暗がりにすっと溶け込む。言葉の先に、余裕と危うさが同居していた。


玄関の影から長身の男がゆっくりと姿を現す。黒のロングコートが床に流れ、懐中電灯の光を受けてわずかに反射する。耳には小型の特殊通信機──インカムが刺さっていた。表情は冷たく、だが動きは滑らかで無駄がない。


伏見は息を呑み、銃の先をわずかに下げながら問い返す。

「……お前、なんでここに?」


男は扉を背にして一度肩を竦めるようにしてから、倒れている襲撃者たちを踏み越え、事務所の奥へと足を運ぶ。足音はしっかりと床を掴み、だが周囲には何の驚きももたらさない。まるで夜そのものを歩いているようだった。


「狙われるならもう少しスマートに隠れろ。——俺がいなかったら、お前らもう ‘消されてた’ ぞ。」

その声に込められたのは嘲りでも驚きでもない、冷静な評価だった。


霧島が拳をゆるめかけ、疑い混じりに言う。

「天城か……お前、どこで何してたんだ?」


天城瞬は短く笑い、目を細める。その瞳は暗闇の奥を射抜く狙撃のそれに似ていた。

「俺は俺の仕事をしてただけだ。誰かが面白がって動き回ってるのを見過ごせなかった。お前らが騒ぎを起こす前に、手を入れておいた──入り口と屋上の監視ノード、裏口の電源ライン。奴らの作業は、そこで止められてる。」


奈々が鋭く問う。

「止めた、って具体的に?」


天城は肩越しに短く説明する。声は低いが端的だ。

「侵入ルートに流し込まれた遠隔シグナルを物理的に破壊しておいた。小型EMPを二発、裏口と屋上出入口に仕込んだ。動きが鈍っただろう?」


伏見が驚きと安堵の混ざった顔で天城を睨む。

「……お前、相変わらず派手だな。で、誰の依頼だ?」


天城は少し視線を逸らし、コートの内側に手を入れる仕草を見せる。短く、しかし確かな言葉を落とす。

「誰でもない。たまたま俺のアンテナに『妙な電波』が入ってきた。面白そうだから、つい手を出しただけだ。」


御影が静かに資料を抱え直し、天城の行動を冷静に評価する。

「無断介入は好ましくない。しかし、結果的に我々の手を助けたのは事実だ。礼は言っておく。」


天城は肩をすくめて、淡く笑った。

「礼は要らねえ。だが――」

その顔がふと鋭くなる。彼は事務所の奥に点るモニターの光を見据え、低く続けた。

「奴らも相当準備している。Dケースに触れた者を消す意志は本物だ。今夜は終わらせにかかっている。お前ら、準備はどうだ?」


玲が静かに前へ出る。暗闇でもわかる、彼の目の確かさ。

「準備は整っている。だが、今は『守る』段階だ。天城、俺たちと行動を合わせるか?」


天城は一瞬だけ考え、軽く頷いた。

「いいだろう。だが俺のやり方がある。邪魔はするな。」


成瀬が小さく笑いをもらし、影班との息の合った合図を送る。

「ならば、いよいよだな。」


玄関の冷たい空気の中、影班と天城──予期せぬ助っ人を含めた玲のチームの輪郭が、やっと揃った。外の闇が、再び何かを待ち構えている。


天城が窓辺に立ち、外を警戒するように視線を巡らせた。「時間はねぇ。次の波が来る前に、手札を揃えておけ。」


御影が頷く。「暗号の解析は残り1層。バックアップ電源を使えば、再解析できるはずだ。」


奈々が席に戻る。「EMPで機材は一時停止したけど、システムそのものは無事。再起動まで30秒。」


玲が全体を見渡しなが


時間:午前1時58分

場所:玲探偵事務所・解析ブース窓際


その時——御影の端末が再び微かに点灯した。画面の縁に浮かんでいた暗号化プロセスの進捗バーが、一瞬だけ真紅に光り、次いで細い文字列が走る。全員の視線が一斉にモニターに吸い寄せられた。


御影は息を吐いて、落ち着いた声で告げる。

「来た。最終暗号層だ。時間差で重ねられた多層鍵……復号には“コンテキストの破片”が必要になる。」


画面には、人間には判読しにくいビット列に混じって、断片的な日本語の語句がちらついた。御影がそれを拡大すると、語句は次第に意味を持ち始める。


・(LAYER3) HASH_DIFF != 0 — 変更履歴の痕跡

・トリガー: COORD(35.68N,139.76E) @ 00:00 — 座標と時刻の一致を示すメタタグ

・KEY_FRAGMENT_A: “4”

・KEY_FRAGMENT_B: “7”

・KEY_FRAGMENT_C: “9”

・CONTEXT: “赤い灯り/3つの影/12時ちょうど”

・SIGNER: ████-KURITA (masked) — 発信者署名の断片


奈々が小さく息を飲む。

「‘4・7・9’……先ほどの音声の数字だ。これが鍵の断片か。」


伏見が画面を指差し、解析語で補足する。

「ハッシュ差分が一致しない箇所は、誰かがあとから文書を書き換えた証拠。改竄のタイムスタンプと、ここにあるトリガー座標が同期している。つまり——」


霧島が言葉を継いだ。

「誰かが『座標+時刻』を起点に、記録の整合性を破壊して証拠を消した。だが、その消去もまた痕跡を残す。痕跡をたどれば発信源が出るはずだ。」


御影はさらにコマンドを打ち込み、暗号層の一部を一時的に展開する。画面に、隠された電子署名の断片と、それを付与した端末IDの断片が現れた。名前のように見える断片はマスクされているが、末尾に“──KURITA”という文字だけがうっすら見えた。


玲はゆっくりと前に出て、画面を睨む。声は低いが確信に満ちている。

「黒田(Kuroda)か……“黒田”に繋がる断片があるなら、それが我々の黒幕への道になる。」


御影は頷き、画面の断片を更に解析して言った。

「電子署名のメタデータを追えば、署名を付与した端末が所属するネットワークと、最後に通信したノードが割り出せる。完全に消すには相当のリソースが必要だ。つまり、背後に大きな組織がいる。」


天城が窓の外を一瞥して、低く笑ったように言う。

「組織か、個人か。それが問題だ。だが今夜はまず、その仕掛けを止める。」


御影が最後の断片を表示すると、画面の最下段に小さな文字でこう浮かんだ。

NOTICE: WHOEVER FINDS THIS — REMEMBER 4・7・9


奈々が静かに言った。

「警告者は、同時に鍵も残した。奴らは完全に隠すつもりはなかったのかもしれない。」


玲はゆっくりと椅子を立ち上がり、チーム全員を見渡した。暗闇の中でも目の輝きは変わらない。

「ならば、繋がれ。4・7・9──この断片を基に、座標の連鎖と署名の発信元を潰す。時間はないが、やるべきことは明確だ。」


御影がキーボードを叩き直し、暗号の残滓を次々に展開していく。画面の文字列はまるで鍵の音を立てるかのように変化し、事務所内には解析のリズムだけが満ちていった。


外では、夜の風が屋根を走る。だが室内の光は、今や確かな方向を指していた——4・7・9の断片を手繰り、真実へと続く細い道筋が、ようやくその姿を現しはじめていた。


時間:午前2時3分

場所:玲探偵事務所・解析ブース


突然、天城のインカムが微かに鳴った。


彼は素早く耳に手をやり、低く囁く。

「……動きあり。北西側ルート、侵入者の足音だ。」


伏見が身を乗り出し、モニターを凝視する。

「センサー反応が一致してる……この方向からだ。」


御影は淡々と解析画面から目を離さず、指を止めたまま言う。

「暗号層のデータはまだ展開途中だ。干渉されると、残りの断片が壊れる可能性がある。」


霧島は眉をひそめ、拳を軽く握った。

「なら、迎え撃つしかない……影班、準備だ。」


天城が静かに頷き、窓際へ移動する。

「屋内侵入者を捕捉する。俺たちはデータを守りつつ、彼らを押さえる。」


室内の空気は一気に張り詰める。

4・7・9の鍵を握る暗号、そしてその解析作業——

すべてが、この瞬間、外部からの脅威によって危うく揺さぶられようとしていた。


時間:午前2時05分

場所:玲探偵事務所・玄関前


インターホンの小さな画面に白いスーツの女が映る。姿勢は真っ直ぐ、目元だけに薄い影を宿していた。奈々の肩が跳ねる。


「……あの人だ」奈々が小声で漏らす。画面の表示名には確かに「高原 沙耶」とタグ付けされた断片が重なるように一瞬現れた。


スピーカー越しに女の声が震えずに届く。

「あなた方に話があります。――あのプロトコルの被害者です。姉の由衣のことを、私にしかできないやり方で伝えたい。」


室内の空気が一斉に凍る。御影が端末の明かりを一段と強め、画面のメタデータを素早く照合する。伏見は窓の外を睨み、銃のグリップに力を込めた。


天城が低く唇を割る。

「外に立たせておくのは危険だ。今の時間帯、ここにいるだけで標的になりかねない。」


玲は一拍置いてから静かに言った。

「入れろ。ただし条件付きだ。安斎、玄関内での初期チェックを頼む。成瀬、桐野は入り口を固めて。接触は非致死で、手荷物は全て預かる。御影、バイナリ署名の痕跡を最後まで保持しろ。奈々、映像と音声は即座にバックアップを取る。」


奈々が端末を素早く操作し、玄関カメラの録画を保護フォルダへコピーする。天城は冷静に懐中電灯を女の方へ向け、成瀬が静かに扉を開ける。


ドアの隙間から差し込む白い外套。沙耶は一歩、躊躇なく中へ入ってきた。動作は滑らかだが、身体のどこかに疲労が滲む。


安斎がすぐ隣に寄り、手早くイオン式検査器を取り出して空気と簡易スワブの検査を行う。成瀬は静かに女の手荷物を受け取り、桐野が周囲の死角を確認する。


沙耶は扉が閉まる音を聞くと、短く息を吐き、玲の目をまっすぐに見た。声は抑えられているが、確かな緊迫を含んでいた。

「ありがとう。外はもう、安全じゃない。話を聞いてください――由衣の、最後の声を、私が引き継ぎに来ました。」


玲は静かに頷き、チーム全員に短く告げる。

「まずは保護。それから話を聞く。由衣の声を掬い取るまで、誰にも渡さない。」


玄関の施錠音が再び静かに響く。外の闇と室内の光の境界で、皆の視線は沙耶と、これから紡がれる“真実”へと定まった。


時間:午前2時10分

場所:玲探偵事務所・リビング


霧島が静かに壁際に立ったまま腕を組み、低く声を発した。

「……本当に ‘消された人間’ なら、どうやってここにたどり着いた?」


沙耶は少しだけ肩をすくめ、短く息をつく。

「……諦めなかった。姉の記録を、真実を、守るためには――どんな手段でも選ばなきゃいけなかった。」


玲はゆっくりとコーヒーカップを置き、視線を沙耶に向ける。

「方法は重要じゃない。今、ここにいることが大事だ。君の情報と姉の声が、事件解明の鍵になる。」


奈々が端末を手元で操作し、沙耶の身元確認と周辺ネットワークのログを瞬時にチェックする。

「……ログも不自然なアクセスはない。彼女の行動は完全に独立していたみたい。」


伏見が淡々と付け加える。

「隠蔽も追跡もすり抜ける技術を使っている可能性が高い。完全に消えることができる人間だ。」


天城が窓の外を警戒しながら、短く告げた。

「外にはまだ危険が残ってる。ここで情報を確実に引き出すしかない。」


霧島は眉をひそめつつも、僅かに頷いた。

「なるほど……消された人間とは言え、こうして生き延びて協力してくれるとは。」


室内に緊張感が漂う中、沙耶の次の言葉を待つ全員の視線が揃った。


時間:午前2時15分

場所:玲探偵事務所・リビング


玲が静かに一歩前に出る。視線は沙耶に鋭く向けられ、口調は落ち着いているが、威圧感を帯びていた。

「沙耶、君が知っていることをすべて話してもらう。姉・高原由衣のプロトコルについて、そして今回の事件の全容を。」


沙耶は微かに息を整え、震える手でカバンから小さなUSBを取り出す。

「……これに、姉の残した全記録が入ってる。でも、危険だから、誰にも渡せないと思ってた。」


奈々が端末を向け、データの即時解析を開始する。

「USBの暗号化は独自仕様。市販の復号ツールじゃ解析できない……御影さん?」


御影は端末を操作しながら微かに微笑む。

「任せてください。この暗号方式なら、解析可能です。夜が明ける前には全容が見えるはずです。」


霧島が窓の外を警戒しつつ言葉を添える。

「このタイミングで情報を解読しなければ、まだ動いている連中に先手を取られるかもしれない。」


伏見が腕を組み、沙耶を見つめる。

「君がここまで生き延び、情報を持ってきた意味は大きい。無駄にはさせない。」


沙耶は小さく頷き、震える声で言った。

「……姉の声を、無駄にしたくない。」


玲はさらに一歩前に出て、静かに決意を込めた。

「よし。全員、準備はいいな。今夜、この迷宮を解き明かす。」


時間:午前2時18分

場所:玲探偵事務所・解析ブース


御影は静かにノートPCの蓋を押し上げ、USBを慎重にスロットへ差し込んだ。画面が瞬時に反応し、暗号解除プロセスのプログレスバーがゆっくりと動き出す。室内にはキーボードの小さなクリック音だけが響いた。


「まずはスナップショットの整合を取る。」御影は淡々と指示を出す。

御影の声は冷静だが、確かな手応えが滲んでいる。画面にはファイルヘッダ、メタデータ、ハッシュ値の一覧が縦に並んでいた。


奈々が端末の傍で覗き込み、読み上げる。

「コンテナはAES-256でラップされてる。内部に複数の復号鍵断片と、タイムスタンプ付きメモが混在してるわ。」


御影は短く頷き、解析のためのワークフローを説明する。わかりやすく、しかし専門性を失わないように。

「手順はこうだ。①USBイメージのビット単位でのイメージ取得(forensic image)を作成する。②元ハッシュ(SHA-256)を算出し、改竄がないことを担保。③コンテナ層ごとに鍵断片を抽出し、キー合成(key stitching)を行う。④合成鍵で復号を試み、メタデータとタイムスタンプの整合性を確認する。改竄箇所はハッシュ差で露呈する。」


伏見がモニターに映るログを指して補足する。

「USB内部には『CONTEXT.DAT』『VOICE.ALC』『TIMELINE.JSON』の三層構造がある。TIMELINEのハッシュが外部ログと一致すれば、由衣の行動記録の信憑性が担保される。」


御影はコマンドをタイプし、復号プロセスを開始する。画面の一部にコードウィンドウが流れ、暗号鍵がひとつ、またひとつと復元されていく。

「キー断片A……一致。B……不一致。C……補正済み。合成成功、いくつかの断片は外部ログから補完できる。」


奈々が息を呑むように言った。

「外部ログで補完……つまり、由衣が意図的に“残した”痕跡がここにあるってこと?」


御影は短く微笑み、画面上のファイル名をクリックした。小さな波形アイコンが現れ、音声ファイルのメタ情報が表示される。ファイル名は「YUI_LAST_VOICE.wav」。タイムスタンプは事件直前のものだ。


「音声ファイル、行くぞ。」御影が言い終わらないうちに、霧島がそっと飲み込むように息を呑んだ。室内の空気が一段と張り付く。


御影は再生ボタンに指を置き、決定的な瞬間を迎える──画面の下部で進行バーがゆっくりと動き出した。全員の視線が一斉にモニターへ集まる。


時間:午前2時20分

場所:玲探偵事務所・解析ブース


玲は薄暗いモニターの光を浴びながら、目を細めた。

「……声の残響、明らかに屋上のコンクリートに反射してるな。」


霧島が背後で腕を組み、低く唸る。

「残響パターンと波形の位相差から、位置が特定できる。つまり、声はこの建物の屋上から出ている。」


奈々が端末で波形解析を拡大表示する。

「微妙なディレイがある。左の角に立っていた人影が話している可能性が高い。」


伏見がログを指し示す。

「音声のタイムスタンプは0:45……屋上の赤い灯り、3つの影、12時ちょうどの合図と完全に一致する。」


玲はゆっくりと息を吐き、決意を込めて言った。

「行くぞ……屋上だ。全員、準備を。」


室内の緊張感が一気に高まり、影班や御影、奈々、伏見の全員が素早く装備を整える。

外は夜風が吹き抜け、赤い灯りが遠くで揺れていた。


時間:午前2時35分

場所:玲探偵事務所・屋上への廊下


沙耶は小さく息を吐き、目を伏せた。

「……こんな形で、また皆の前に出るなんて……」


御影がそっと肩に手を置く。

「大丈夫だ。君は一人じゃない。情報も、俺たちもついてる。」


霧島が低く声をかける。

「行動は最小限で、焦るな。影班もすぐ横にいる。」


奈々が端末を操作しながら言った。

「声の出所は特定済み。位置は赤い灯りの下。あと5分で完全一致する。」


沙耶はゆっくりと目を上げ、赤い灯りの下に交わる3つの影を意識しながら、震える手をしっかり握った。

「……行きましょう。」


時間:午前2時40分

場所:玲探偵事務所・屋上前


伏見が腕を組み、冷静に周囲を見渡す。

「準備は万端だ。これ以上、サプライズはないはずだが……」


霧島が横で低く頷く。

「影班も配置完了。外周警戒も抜かりなし。」


御影が端末を確認しながら、赤い灯りの座標を指差す。

「位置はほぼ誤差ゼロ。奴らが動けばすぐにわかる。」


奈々が端末画面に目を落とし、声を潜めて言った。

「……全ての情報が揃った。あとはタイミング次第。」


伏見は短く息を吐き、決意を込めて呟く。

「……行くか。」


その時——


窓の外、わずかに揺れる影。


天城が素早く視線を向け、低く囁く。

「動きあり……外だ。」


玲は即座に指示を出す。

「影班、配置につけ。伏見、端末で動線を追え。」


御影が端末の画面を拡大し、赤い灯りの座標を再確認する。

「0.8秒ごとに微細な変化。狙いは屋上か、それとも…」


奈々が唇を噛み、冷静に解析を続ける。

「反応パターンから、侵入者は2人。交差点はここ……」


霧島が拳を固め、短く呟く。

「……来るぞ。」


天城が窓辺に立ち、低く呟いた。

「……これ、本当に危険なものだ。」


玲は短く頷き、全員に指示を出す。

「影班、屋上と周囲の警戒を強化。伏見、端末で動線を再確認。奈々、音声解析を継続。」


御影は端末の画面を拡大し、赤い灯りの座標と侵入者の微細な動きを示す。

「侵入者は2名、屋上を経由する可能性が高い。反応時間は僅かに0.8秒の遅れ。」


霧島が拳を固め、短く吐き捨てるように言った。

「……奴ら、覚悟してかかってくるな。」


沙耶は小さく息を整え、身を低くしながらも目は前方の影を追っていた。


時間:午前3時

場所:玲探偵事務所・作戦室


御影が端末を睨みつける。

「……侵入者の動きが予想より早い。座標と赤い灯りの同期を確認する必要がある。」


伏見が画面を覗き込み、眉をひそめる。

「あと5分で屋上に到達する可能性があります。」


霧島が低く唸り、窓際の影を一瞥した。

「準備はいいか……全員、緊張を切らすな。」


奈々が急ぎキーを叩いた。

「座標と赤い灯りの同期完了……推定接近時間は3分後。影の交差点もほぼ確定。」


玲が冷静に視線を巡らせる。

「全員、位置につけ。誰も気を抜くな。」


天城が窓際で銃を構えながら低く言った。

「了解。必要なら、一瞬で制圧する。」


御影は端末のデータを最後に再確認し、画面を固定する。

「これで夜中の決戦準備は整った。後は……現場で判断だ。」


奈々が急ぎキーを叩いた。

「座標と赤い灯りの同期完了……推定接近時間は3分後。影の交差点もほぼ確定。」


玲が冷静に視線を巡らせる。

「全員、位置につけ。誰も気を抜くな。」


天城が窓際で銃を構えながら低く言った。

「了解。必要なら、一瞬で制圧する。」


御影は端末のデータを最後に再確認し、画面を固定する。

「これで夜中の決戦準備は整った。後は……現場で判断だ。」


時間:午後3時

場所:玲探偵事務所・作戦室


玲は静かに端末を開き、一つの暗号化された通信ラインへアクセスした。


「コード:白砂」


数秒の沈黙の後、端末のスピーカーから低く、落ち着いた声が響く。


「……いつものように、時間がないみたいだな」


玲は目を細め、短く応じた。

「‘影の本命’が動く。反撃に出る」


「了解。俺の技術が必要なようだな」


天城が窓際で腕を組み、低く呟いた。

「コード:白砂——つまり、‘ゼロ地点技術者’か」


その瞬間、薄暗い部屋の奥、複数のモニターを操る男の姿が映る。


白砂しらすな そう。元政府研究機関の技術者であり、‘ゼロ地点技術’の開発者だ。

玲の声に合わせ、白砂は軽く頷く。


「さて、準備は整った。対象の動線をリアルタイムで再構築する。全ての行動を予測可能にする……これが俺の役目だ」


奈々が端末を覗き込み、確認する。

「白砂さん……その技術、ほんとうに現場で使えるの?」


白砂は微かに笑みを浮かべ、画面を凝視しながら答えた。

「使える。だが、油断すれば人間はすぐ裏をかく……だから俺たち全員が集中するんだ」


霧島が壁際で静かに言葉を落とす。

「なるほど……‘ゼロ地点技術’があるなら、動きを読むのは白砂頼みか」


玲は端末を握り、チーム全員に視線を巡らせる。

「全員、集中だ。夜までにこの‘影の交差点’を封じる。白砂、君の技術に全てを委ねる」


天城は銃を肩に構え、窓の外を警戒しながら低く返した。

「了解。準備完了だ」


部屋の時計は午後3時を指し、緊張と静寂が重く作戦室を包む。


時間:午後3時05分

場所:玲探偵事務所・作戦室


白砂は端末から目を離さず、淡く微笑んだ。

「今日は寝れそうにないな……」


奈々が小さく眉をひそめ、画面に表示された解析データを確認しながら言った。

「それでも、この夜を乗り切らないと……全員の命が危ない」


玲は端末を軽く叩き、短く言い放つ。

「集中しろ。白砂、君の技術がなければ、奴らの動きは予測できない」


天城が窓際で低く息を吐く。

「俺も眠れそうにない……だが、これが現実だ」


霧島が静かに壁際から視線を送る。

「全員覚悟はできてる。あとは、白砂に任せるしかない」


白砂は再び端末に向き直り、指先を軽く動かしながら、微かに笑みを浮かべる。

「さて……夜は長い。だが、俺たちにはやるべきことがある」


午後3時の作戦室に、緊張と静かな決意が重く漂う。


時間:午前4時

場所:玲探偵事務所・屋上


屋上は冷たい空気に満ち、街灯の橙が遠く滲んでいる。赤い信号灯はまだ微かに点滅し、三つの影が壁に交差する場所に不気味な焦点を作っていた。奈々が端末を胸に押し当て、波形と座標を最終確認する。伏見が銃を肩に構え、天城は双眼鏡で遠方を凝視する。霧島は周囲の足音に耳を澄ませ、沙耶は震える手を胸元で握り締めた。


玲は静かに前へ出て、低い声で言った。

「ここが分岐点だ。全員、各自の役割を確実に。動いたら即、制圧。由衣の声を守る──それが今夜のすべてだ。」


言葉は短く、だが重かった。夜の風が三つの影を撫で、決戦の秒針は確実に刻まれていく。


時間:午前4時05分

場所:玲探偵事務所・屋上


スピーカーから、白砂の落ち着いた声が響いた。


「受信確認。ノイズフィルターを通して座標データを同期中。全チャンネルの位相差と多重反射を補正している。」


奈々が端末の波形を覗き込み、低くつぶやく。

「位相補正済み……赤い灯り、三つの影の座標が正確に浮かび上がった。」


伏見は肩越しに画面を覗き、説明を加える。

「マルチパス補正で誤差は±0.3メートル。これなら屋上での交差点を精密に予測できる。」


霧島は腕を組み、冷静に言った。

「解析完了まで残り30秒。全員、位置を固定。」


白砂の声はさらに低く続く。

「ゼロ地点技術を稼働。動線予測と障害物回避をリアルタイムで計算中。屋上の影の動きも完全に捕捉可能。」


玲は微かに微笑み、端末を握り締めた。

「動くなら今だ。全員、準備。」


時間:午前4時06分

場所:玲探偵事務所・屋上(プロジェクション前)


プロジェクターの薄明かりに、壁面いっぱいに赤い軌跡が蜘蛛の巣のように広がった。各軌跡は微細なベクトル矢印となって交差し、拠点を中心に「進入経路」「退避経路」「予備回避ライン」が色分けされて重なり合う。小さな数値ラベルが等間隔で点を刻み、時間(秒)を示して流れていく——まるで動きを先取りして可視化した地図だ。


白砂の声が、スピーカーの向こうから冷静に響く。

「ここが一次侵入ルート、ここが屋上への直線。マルチパス反射を補正すると、侵入者Aはこのベクトル(→)で接近、侵入者Bは交差して右後方へ逃走を試みる。目標到達までのタイムウィンドウは45秒。遮蔽ギャップは0.6秒。こちらの射線はこのラインで確保する。」


伏見がモニターを覗き込み、モード名を読み上げる。

「ホットゾーンは二つ、フェーズ1とフェーズ2に分割。フェーズ1での拘束を成功させればフェーズ2のリスクは大幅に下がる。」


霧島がキーボードを軽く叩き、無線で影班へ指示を出す。

「成瀬、君は屋上北端のシャドウポイントで待機。桐野、屋上南側の射線遮蔽を確保。安斎は入り口付近の迂回路を封鎖。動いたら合図 —— 赤色フラッシュ、三回だ。」


天城は双眼鏡を取り、屋上の暗がりへ視線を落とす。息の詰まる間合いで低く言った。

「撃ち方は非致死優先で。ヘッドショットで仕留めるような余地は与えない。最初の一手で制圧しろ。」


沙耶が震える手で端末を握りしめ、玲に小さく尋ねる。

「……由衣の声、これで守れますか?」


玲はプロジェクションの一点を指で押さえるようにして、静かに答えた。

「守る。由衣が残したものは、ここで終わらせない。全員の役割は明確だ——情報を守り、人を傷つけずに封じる。」


白砂が淡々と追加する。専門的だが端的だ。

「入退出のウィンドウを最小化する。周波数ホーミングで侵入者の携帯電波をピンポイントで割り出す。侵入者に使用される可能性のあるプロキシは既にブラックリスト化済み。通信の瞬断が起きたら、物理的干渉の兆候と判断せよ。」


奈々が端末の画面をスワイプし、赤い軌跡の一つを拡大して読み上げる。

「侵入者A、位置予測:北西角、到達予想時刻:00:45(現在から約39秒)……」


一呼吸、長い秒。外気が屋上のエッジを撫でる。


そのとき、屋上の向こう側、小さな黒い点が動いた。肉眼では点にすぎないが、プロジェクター上の軌跡に対応して赤い矢印が一斉に反応する——白砂のアルゴリズムが取り込んだリアルタイム入力だ。


白砂が即座に言った。

「動いた。フェーズ1起動。成瀬、今だ。」


成瀬の無線から低い声が返る。

「了解。移動開始。接触まで、三・二・一……」


影が屋上に近づく。足音はほとんどない。だが蜘蛛の巣のように張られた赤い軌跡は、動く者の行先を既に告げている——追い詰められてゆくように、外の黒が一瞬鋭く浮かび上がった。


玲は肩越しに皆を見渡し、ただ一言だけ囁いた。

「行け。」


次の瞬間、連鎖が動き出す——影班の静かな足音、ナノ秒単位で同期する端末の振動、プロジェクター上で踊る赤い線。蜘蛛の巣の一点が強く光り、夜の屋上で決着の火ぶたが切られた。


時間:午前4時06分

場所:玲探偵事務所・屋上(プロジェクション前)


プロジェクターの薄明かりに、壁面いっぱいに赤い軌跡が蜘蛛の巣のように広がった。各軌跡は微細なベクトル矢印となって交差し、拠点を中心に「進入経路」「退避経路」「予備回避ライン」が色分けされて重なり合う。小さな数値ラベルが等間隔で点を刻み、時間(秒)を示して流れていく——まるで動きを先取りして可視化した地図だ。


白砂の声が、スピーカーの向こうから冷静に響く。

「ここが一次侵入ルート、ここが屋上への直線。マルチパス反射を補正すると、侵入者Aはこのベクトル(→)で接近、侵入者Bは交差して右後方へ逃走を試みる。目標到達までのタイムウィンドウは45秒。遮蔽ギャップは0.6秒。こちらの射線はこのラインで確保する。」


伏見がモニターを覗き込み、モード名を読み上げる。

「ホットゾーンは二つ、フェーズ1とフェーズ2に分割。フェーズ1での拘束を成功させればフェーズ2のリスクは大幅に下がる。」


霧島がキーボードを軽く叩き、無線で影班へ指示を出す。

「成瀬、君は屋上北端のシャドウポイントで待機。桐野、屋上南側の射線遮蔽を確保。安斎は入り口付近の迂回路を封鎖。動いたら合図 —— 赤色フラッシュ、三回だ。」


天城は双眼鏡を取り、屋上の暗がりへ視線を落とす。息の詰まる間合いで低く言った。

「撃ち方は非致死優先で。ヘッドショットで仕留めるような余地は与えない。最初の一手で制圧しろ。」


沙耶が震える手で端末を握りしめ、玲に小さく尋ねる。

「……由衣の声、これで守れますか?」


玲はプロジェクションの一点を指で押さえるようにして、静かに答えた。

「守る。由衣が残したものは、ここで終わらせない。全員の役割は明確だ——情報を守り、人を傷つけずに封じる。」


白砂が淡々と追加する。専門的だが端的だ。

「入退出のウィンドウを最小化する。周波数ホーミングで侵入者の携帯電波をピンポイントで割り出す。侵入者に使用される可能性のあるプロキシは既にブラックリスト化済み。通信の瞬断が起きたら、物理的干渉の兆候と判断せよ。」


奈々が端末の画面をスワイプし、赤い軌跡の一つを拡大して読み上げる。

「侵入者A、位置予測:北西角、到達予想時刻:00:45(現在から約39秒)……」


一呼吸、長い秒。外気が屋上のエッジを撫でる。


そのとき、屋上の向こう側、小さな黒い点が動いた。肉眼では点にすぎないが、プロジェクター上の軌跡に対応して赤い矢印が一斉に反応する——白砂のアルゴリズムが取り込んだリアルタイム入力だ。


白砂が即座に言った。

「動いた。フェーズ1起動。成瀬、今だ。」


成瀬の無線から低い声が返る。

「了解。移動開始。接触まで、三・二・一……」


影が屋上に近づく。足音はほとんどない。だが蜘蛛の巣のように張られた赤い軌跡は、動く者の行先を既に告げている——追い詰められてゆくように、外の黒が一瞬鋭く浮かび上がった。


玲は肩越しに皆を見渡し、ただ一言だけ囁いた。

「行け。」


次の瞬間、連鎖が動き出す——影班の静かな足音、ナノ秒単位で同期する端末の振動、プロジェクター上で踊る赤い線。蜘蛛の巣の一点が強く光り、夜の屋上で決着の火ぶたが切られた。


時間:午前4時12分

場所:玲探偵事務所・屋上プロジェクション前


プロジェクターの赤い軌跡が瞬間的に揺らぎ、白砂のマップ上に新しいマークが出現した。


奈々が端末を凝視し、眉をひそめる。

「……この位置、以前の侵入予測にはなかった。リアルタイムで追加されている……」


白砂は冷静に解析を続ける。

「新規動態反応。おそらく侵入者Bのサブルート、これまで検知されなかった経路。距離ベクトルは北東、到達予想時間0:55。迂回経路の遮蔽は不十分。」


霧島が地図を指差しながら低く言った。

「つまり、影班だけじゃカバーしきれない可能性がある……」


天城は双眼鏡を再び構え、屋上の暗闇を見つめる。

「フェーズ2の展開か。見えない敵の動きが増えたな……」


玲は端末の画面を指で押さえ、冷静に命じる。

「全員、このマークを重点監視に。新規動態が動く前に予測制御を完了させろ。」


白砂がうなずき、指を高速で動かす。マップ上の赤い軌跡が微細に更新され、侵入者の動線予測とリアルタイム干渉ラインが反映される。


伏見は腕を組み、低く言った。

「……時間との勝負だな。」


ナノ秒単位で同期する赤い線と、新たに浮かび上がったマーク——屋上の決戦は、より複雑で危険な局面へと突入した。


時間:午前4時13分

場所:玲探偵事務所・屋上(プロジェクション前)


玲はプロジェクターの赤い地図を見据え、短く息を吐いた。

「やるなら徹底的に行く。白砂、詳細を頼む——どのレイヤーから偽装を入れる?」


白砂は画面を指でなぞりながら、淡々と説明する。

「物理センサ層と通信層の二段構えで行く。まず、位相同期を狂わせるためのフェイク・リファレンス信号を流す。センサは反射パターンを基に位置を推定しているから、その反射情報を差し替えれば、相手の空間モデルが歪む。次に、通信層でパケットヘッダを再ルーティングし、相手のノードに『誤位置情報』を送る。要は相手の『今見ている世界』を、こちらの設計図にすり替える——これが反転制御だ。」


天城が肩越しに低く笑った。

「つまり奴らは、踏んできた戦術ルートのまま、勝手にこっちの罠に入る。狙撃も制圧もやりやすくなるってことだな。」


伏見が画面の小さな注釈を指し示す。

「具体的には、LiDARの反射タイムスタンプに±0.6μsのジッタを入れて、赤外線カメラの温度マップに1.2〜1.8℃の『ダミー熱源』を重畳。合わせて、Wi‑FiビーコンのBSSIDをスプーフィングして移動ベクトルを誤誘導する。観測誤差は時間分散で埋める。」


奈々が腕を組んで短く言った。

「要は相手のセンサーフュージョン(複合観測)を意図的に混乱させるってことね。読み替え時間を作れば、影班の制圧ウィンドウが生まれる。」


霧島が冷静に配置を確認する。

「成瀬、桐野は偽誘導後の第一着弾点に待機。安斎は通信遮断のカバー。天城は長距離制圧。伏見は動線の最終監視、白砂は継続的にリファレンスを流し続ける——成功条件は相手が視覚/計測で位置を確定する前に、接触を完了することだ。」


白砂は端末に手を置き、最後に一言付け加えた。

「注意点はひとつ。反転制御は『誤情報の有効期間』が短い。短時間で勝負を決めないと、相手が冗長化して整合を取り戻す。つまり、タイミングと同期が全てだ。」


玲は皆を順に見渡し、静かに頷いた。

「ならば、同期は俺が取る。影班、用意——行くぞ。」


屋上の冷気が全員の肺を満たし、赤い灯りの下で一瞬の静寂が走る。白砂の端末から流れる合図音が、零秒へと沈み込んでいった。


時間:午前4時14分

場所:玲探偵事務所・屋上


「ゼロ地点制御モード、起動。」


白砂の声が低く響き、端末の画面上で小さなステータスランプが次々に緑へと変わっていく。屋上に設置したアンテナ群がほのかに振動し、夜気の中に細かな電子ノイズのざわめきが重なる。白砂は指先でホログラフ状のマップをひと撫でし、同期クロックのゲージを確認する。


「位相基準をローカルリファレンスAに固定。ナノ秒オーダーでのジッタを注入。LiDAR反射モデルを+0.6μsシフト、赤外線ヒートマップにダミー熱源を重ねる。通信側はビーコンスプーフィング開始、BSSIDを書き換え、パケットヘッダに誤差タグを注入。」白砂が淡々と報告する。専門用語が飛ぶが、声には冷静な確信がある。


伏見が無線で短く返す。

「白砂、同期受けた。影班、準位を維持。成瀬、桐野、第一着弾点を再確認。天城、長射程での制圧ラインをセット。」


天城は双眼鏡を下ろし、一言。

「了解。視界がずれる瞬間を狙う。必中ではなく、確実に動きを止める。」


奈々が端末の波形を睨み、数字を読み上げる。

「フェイク参照入れました。観測誤差は0.3〜0.8メートル、反応遅延は0.4秒。誘導ウィンドウ、開いたわ。」


プロジェクターに映った赤い軌跡が一瞬ふるえ、相手側の推定軌道が外側へと歪む。屋上の影たちの輪郭も、モニター上ではわずかにずれて見えた──白砂の偽装が相手の「世界」を書き換え始めている。


霧島が短く息を吐き、声を低める。

「タイミングは俺が取る。誤差が収束する前に接触しろ。奇襲ではなく、計測の欺瞞を利用した包囲だ。」


玲はゆっくりと拳を握り、皆へ向けて言った。

「全員、合図は私から。白砂、ウィンドウを維持する。影班、三秒前合図で動け。行くぞ。」


屋上に張られた緊張の糸が、いままさに引き絞られる。遠くの街灯が一瞬だけ瞬いて、夜は深く息をするように静まり返った。


時間:午前7時30分

場所:玲探偵事務所・屋上〜リビング


数時間後——屋上は朝靄に包まれ、赤い信号灯はすでに消えていた。淡い橙が東の空を引き裂き、夜の緊張をゆっくりと溶かし出す。床には散乱した装備品と、影班が回収した小さな機材の破片が静かに横たわっている。遠くでサイレンが一度だけ鳴り、やがて遠ざかっていった。


屋上の端で、天城が双眼鏡をぶら下げたまま背を伸ばす。朝の冷気が胸を満たし、彼は珍しくぽつりと笑った。

「想像してたより、面白かったな。」


白砂はプロジェクターの残像を消しながらノートPCのログを最終確認している。画面には「4・7・9」のタイムスタンプと、昨夜展開された反転制御の証跡が整然と並んでいた。疲労は端に滲んでいるが、指先は正確に動く。

「データは完全に保全された。相手側のセンサーログも虚構化に引っかかっている。追跡可能な断片は十分だ。」


伏見は屋上から事務所に戻る途中、両腕を組み直しながら短く報告する。

「侵入者二名は影班が拘束、非致死で抑えた。警察に引き渡す手筈は整った。由衣のファイルは完全な形で保全済みだ。」


室内に戻ると、沙耶はラジオのように震える手でコーヒーカップを握っていた。目には眠気と安堵と、少しの涙が混じる。玲がそっと彼女の隣に座り、静かな声で言った。

「由衣の声は、君のおかげで救われた。君が動いたからだ。」


沙耶は小さく俯き、しっかりと頷いた。

「姉が消される前に、誰かに届くようにしたかった。ありがとう、玲さん……皆さん。」


霧島が資料の山を机にまとめながら、淡々とした調子で続ける。

「これで表沙汰になれば、被害は最小限で済む。だが核となる組織の輪郭はまだ完全に見えていない。今回の断片は大きいが、完全ではない。」


御影がコーヒーを一口啜り、画面のログを見据えて呟く。

「だが、これを外に出せば相当な波紋になる。報道は藤堂に任せるべきだ。彼なら正確に、かつ影響力を制御しながら世に出すだろう。」


天城は肩越しに事務所の窓の外を眺め、短く言った。

「俺はもう戻る。今日は仕事がある。」

そう言って、黒いコートの襟を立てて屋上から身を滑らせるように去っていった。


影班が確保した二人は、警察の到着を待つ間、手錠越しに夜の出来事を沈黙のうちに反芻している。やがてパトカーのライトが近づき、透子らの連携で引き渡しは滞りなく進んだ。外では藤堂の連絡網がすでに動き始めている——報道と法手続きの車輪が回り始めた証だ。


事務所の一室で、玲は窓際に立ち、手にしたコーヒーカップを静かに回した。朝の光が湖面を薄く金色に染める。彼の表情はいつものように静かだが、どこか柔らかさが戻っていた。机の上には由衣のファイルから抽出した音声のダンプ、白砂が解析して残したハッシュ、そして奈々がまとめたタイムライン。すべてが揃い、次の動きのための地図が完成している。


奈々が隣で小声でからかうように言う。

「玲、お茶の時間はいつもより豪勢ね。由衣の件でまた出費がかさむけど。」


玲は軽く笑って肩をすくめた。

「金のことは心配するな。まずは、由衣の声をちゃんと世に出す。その先は後で考える。」


数時間の激闘は終わりを告げた。しかし誰もが知っている――完全な解決までには、まだ多くの手続きと告発と、暴かれるべき裏側が残っていることを。だが今は、小さな勝利を互いに分かち合う時間だ。外では朝のニュースがスイッチされ、遠くの街がいつもの喧騒を取り戻しつつあった。


玲は窓の外、湖面の光を見つめながら静かに言った。

「まだ終わらない。でも、今日はここまでにしよう。」


沙耶は小さな声で答えた。

「はい。ありがとうございます。」


それは一件の区切りであり、また新たな始まりでもあった。数時間の夜が彼らに与えたものは、証拠と手がかりだけでなく、守るべき何か──失われかけた声を取り戻したという確かな実感だった。


時間:午前8時

場所:事務所・窓際


そして、ついに——ニュース速報のテロップが事務所のモニターに流れた。


「重要参考人、なお執行猶予中の黒田慎一郎容疑者、逮捕――警察当局による合同捜査の末、昨夜未明に身柄を確保。」


伏見が静かに息を吐き、モニターを見据える。

「これで、柿沼を操っていた黒幕も、ついに法の手に渡ったか。」


天城は肩越しに窓の外を見ながら、冷ややかに笑う。

「結局、力尽くで抑え込むしかなかったな。やれやれだ。」


霧島は腕を組み、淡々と呟いた。

「表沙汰になった途端、世間も動く。長い戦いだったが、これで一区切り……だな。」


玲は窓際で立ち止まり、ゆっくりと深呼吸した。

「被害者の声も、真実も、やっと世に届く。だが油断は禁物だ。黒田以外にも、背後に潜む影は消えたわけじゃない。」


奈々が端末を閉じながら、微かに笑った。

「でも、今日のところは……勝ったんですよね?」


玲は軽く頷く。

「ああ、勝った。しかし物語は、まだ続く。」


沙耶は椅子に腰掛け、小さく目を閉じた。

「姉の声、届けられた……」


その瞬間、事務所には静かな安堵が広がった。外の街では朝の光が差し込み、騒がしかった夜の余韻をやさしく溶かしていく。

すべてが終わったわけではない——だが、守るべきものは守られた。彼らの戦いは、確かな手応えとともに幕を下ろしたのだった。


時間:午前8時10分

場所:事務所・窓際


突然、遠くから鋭い銃声が響いた。窓ガラスがわずかに振動する。


伏見がすぐさま銃を構え、身を低くして窓の外を見渡す。

「外部からの狙撃か……? まだ油断できないな。」


天城が窓辺に立ち、鋭い目で建物群を見渡す。

「黒田だけじゃ済まない。背後に残る連中が、最後の足掻きをしてるようだ。」


霧島が冷静に銃を肩に担ぎながら言った。

「襲撃ルート、複数あるはず。影班、即時展開だ。」


玲は端末を手に取り、戦術マップを確認する。

「位置情報——残響解析で特定できる。奈々、伏見、急ぎ解析して。」


奈々はキーを叩き、音声・振動・映像の各データを一斉に解析。

「銃声の方向、距離、障害物による反響……座標を割り出したわ。約150メートル北東。」


沙耶は机の下で身を伏せながら、震える声でつぶやいた。

「……また戦いが始まるの……?」


玲は静かに頷く。

「そうだ。しかし今回は、こちらも準備ができている。油断はさせない。」


外の街には朝の光が差し込む一方で、影の中では新たな危機が静かに動き始めていた。


時間:午前8時15分

場所:事務所周辺・窓際


銃声が連続して響く。


天城の冷静な狙撃が決まり、先頭を行く影の一体が倒れた。戦場は一瞬、静寂に包まれる。


伏見が銃を構えたまま、息を整えつつ周囲を見渡す。

「先手は取った……でもまだ他の連中がいるはずだ。」


霧島が低く唸る。

「数が多い。影班、分散して周囲の建物を抑えろ。」


奈々は端末の解析画面を凝視しながら言う。

「敵の動線、センサー反応、残響解析……位置を割り出せた。残り3体、北側の屋上に潜伏中。」


玲は静かに指示を出す。

「天城、伏見、屋上の制圧は任せる。霧島、奈々、こちらの動きを補助しろ。沙耶、安全な位置に。」


沙耶は机の陰から小さくうなずき、震える手を握りしめた。

「……はい、気をつけます。」


戦場の朝陽は穏やかに差し込むが、その光の下で、影たちは依然として蠢いていた。


時間:午前8時17分

場所:事務所周辺・屋上


伏見が咄嗟に身を低くし、声を張った。

「まだだ——第二波、来る!」


天城は素早く反応し、狙撃銃を構え直す。

「予想通りだ。奴ら、誘導されて来る。」


霧島が屋上の端から声をかける。

「北側の影、3体、センサー反応確認!接近中!」


奈々は端末の画面をスワイプしながら冷静に解析。

「残響波形と動線パターンからすると、あと数秒で交戦圏内に入る。タイミングはほぼ同時。」


玲は短く指示を出す。

「全員、位置を固めろ。天城、伏見、先手で迎撃。霧島、奈々、後方と側面の補助を忘れずに。」


屋上に吹き抜ける風が、緊張と期待を運ぶ。敵は確実に迫り、次の瞬間、戦闘が再び激化する。


時間:午前8時18分

場所:事務所・屋上


玲はすぐに応じる。

「白砂、動線の再調整を!」


通信越しに白砂の声が響く。

「やってるが、こっちの制御領域を突破する速度が異常だ……!」


伏見が端末を睨みながら補足する。

「敵の群れ、予想外の加速。ゼロ地点制御でも補正が間に合わない!」


天城は狙撃姿勢を崩さず、低く声を出す。

「焦るな。突破速度は読める。タイミングを合わせれば、こちらの罠が決まる。」


奈々は画面上の軌跡を追いながら冷静に言った。

「残り6秒。各ルートの位相差はほぼ同じ。全員、準備を!」


霧島が拳を握りしめ、屋上の影を見据える。

「次の一手で決着だ。」


緊迫の屋上に、戦闘の秒読みが響く。


時間:午前8時20分

場所:事務所・屋上


その時——


「なら俺が ‘止める’。」


通信に割り込む低い声が響く。


玲は一瞬驚き、端末越しに視線を向ける。

「……お前が来たのね。」


屋上の空気が一瞬、緊張で張り詰める。


“影の本命”への最後の刺客——氷室ひむろ がく


伏見が低く呟く。

「都市部に潜伏する狙撃手……過去に天城と組んだことがあるな。」


天城は微かに眉をひそめ、氷室の動きを目で追う。

「完全には信用できないが、動きは読める。だが油断は禁物だ。」


奈々が端末で軌跡を確認しながら言う。

「氷室の狙点を予測して、ゼロ地点制御に組み込む。残り時間、5秒。」


霧島が低く唸る。

「これで本当に決着をつける……!」


屋上に立つ全員の目が、緊迫の先にある“勝利”を見据える。


時間:午前8時21分

場所:玲探偵事務所・屋上


「説明は不要だ。座標を送れ。」


玲が端末を操作し、静かに断片化された位置データを氷室へ投げる。

天城がわずかに微笑む。「お前の腕なら、一発で沈めるな?」


氷室は短く頷き、低い声で返す。「当然だ。俺が撃てば ‘そこにいたはずのもの’ は ‘存在しなくなる’。」


彼は肩越しにブレスを整え、長銃身を静かに構える。視線は遠方の一点に吸い込まれ、呼吸は機械的に絞られていく——屋上の風が、彼の周囲だけを遅く撫でた。


「行くぞ。」


合図と同時、空気が切り裂かれるような鋭い音が一発。遠距離の一撃は低く、確かな衝撃音となって夜明けの空に響いた。赤い灯りの向こう側、想定された位置にいた影の一つが、静かに崩れ落ちる。


天城がすかさず動き、伏見と影班が残る者たちを迅速に拘束する。ナイフや小型装備が投げ捨てられ、屋上は瞬時に制圧区域と化した。動くものは薄氷のように滑る間もなく抑えられ、成瀬の静かな手つきで手錠が嵌められていく。


奈々は端末の波形を流しながら息を吐いた。「ゼロ地点、維持成功。白砂、妨害ログで相手の視認が崩れた瞬間に一撃……完璧だった。」


氷室は銃を下ろし、双眼鏡越しに倒れた相手を一瞥して言った。

「動く前に止める。これが狩りの理だ。」


霧島が屋上の縁に寄り、静かに風を受ける。彼の声にはようやく緩みが出た。

「これで、本当に足元は固まったか……?」


玲は短く顎を引き、全員の顔を順に見渡した。朝の光が湖面を薄く光らせる中で、屋上には緊張の余韻だけが残る。

「とりあえず、これで第一波は終わった。だが背後の連絡網はまだ残っている。警察に引き渡して、情報の封鎖を解除する。藤堂にも通達を。」


沙耶は膝を震わせながらもゆっくり立ち上がり、玲の方へ視線を送る。

「……姉の声、守れましたか?」


玲は静かに頷き、湖を見据えて言った。

「守った。だが、まだ終わらない——今日はつなぎ目だ。次の歯車を回す準備をする。」


屋上に、短い静寂が戻る。だが誰の胸にも、終わりを確信する軽さはない。見張られた夜明けは、まだいくつもの影を抱えている。


時間:午前8時21分半頃

場所:拠点外側・隣接ビル屋上(小雨の残る冷たい朝風)


拠点の外側、ビルの屋上。氷室は膝を軽く曲げ、長銃の頬付けを整えた。呼吸はゆっくりと一定に保たれ、世界は合焦していく——ファインダーの円の中だけが、異様に鮮明だった。


『敵接近まで、残り15秒』——白砂の端末が低くカウントを告げる。情報は痺れるほど正確に、氷室の耳へと届く。


銃床が肩に沈み、指先が半ばまで引かれる。ファインダー越しに見える影が、赤い灯りの交点でわずかに動く。


『10秒』——氷室の視界には、相手の動線がスローモーションのように落ちてくる。足の角度、肩の張り、銃の出し手の癖。すべてが読み取れる。


『5秒』——彼は軽く息を吐き、視線を一点に固定する。時間は厚い水のように遅く流れ、鼓動が耳の内側で確かなリズムを刻む。


その瞬間——発砲。


銃声は屋上の冷気を切り裂き、低い咆哮となって街へ放たれた。薬莢が金属の鎧を打つような音を立てて弾き飛び、反動が肩に鋭く残る。氷室の視界では、弾道が静かにひずみを描き、目標の胸部を貫いた黒い影がぐらりと崩れ落ちる。


倒れた影は反射的に手を伸ばしたが、動きはそこで止まり、呼吸が荒くなって薄い泡沫のように弾けた。地面に落ちた影はもう動かなかった——氷室の狙撃は確実に、冷徹に仕留めていた。


屋上側では、天城の短い合図が流れ、伏見と影班が即座に周囲を固める。奈々の端末が緊急ログを吐き出し、白砂の画面には当該弾道のハッシュと時刻が刻まれる。成瀬が静かに無線で報告する。


「標的無力化。現場安全化、確保進行中。」


だが、勝利の余韻は薄かった。氷室はファインダーを下ろし、倒れた男の顔を一瞥する。そこに映るのは、若いが硬い意志を宿した表情。彼が消えたことで、確かにひとつの脅威は断たれた。だが氷室の瞳はすぐに冷え、次の計算へと移っていく。


遠方でサイレンが近づき、警察の到着が告げられる。玲の声が静かに屋上へ届いた。


「よくやった。だがこれで終わりじゃない。情報の拡散、証拠保全、背後の連絡網——やることは山ほどある。」


氷室は銃を肩に戻し、無造作に言った。

「分かってる。次が来るなら、また止めるだけだ。」


朝の光が薄く広がる中、屋上には再び緊張が戻る。倒れた者の影が朝日に伸び、そして消えていった。


時間:午前8時21分50秒

場所:拠点外側・隣接ビル屋上〜玲探偵事務所・屋上


氷室の二発目の引き金が震えた瞬間、空気が切り裂かれるような鋭音が屋上の間合いを引いた。だがその弾は人間を貫くためのものではなかった――壁の一角を正確に撃ち抜き、瞬間的に鋭い衝撃波を生んだ。


飛散するコンクリートの粉塵、金属の叫び。衝撃は狭い通路を一瞬にして塞ぎ、影たちが予定していた進行ルートは物理的な障壁に変わった。煙と埃が舞う中、数名の敵がバランスを崩し、互いに足を取られて倒れ込む。


屋上側では、玲の命令が即座に飛ぶ。

「今だ、白砂——制御領域、完全封鎖!」


白砂の声が端末から冷静に返る。

「制御フィールド、閉鎖開始……3、2、1——封鎖完了!」


プロジェクターの地図上で赤い軌跡が収束し、白砂のゼロ地点制御が最後の補正を入れる。位相基準が切り替わり、相手側のセンサーフュージョンは一斉に錯乱を始める。LiDAR反射は虚像を描き、赤外線マップには散発的なダミーヒートが湧く。相手は「見えている世界」が崩れるのを体感し、動きが鈍る。


天城と伏見、影班が同時に前進する。非致死の制圧弾で素早く動きを封じ、成瀬と桐野が倒れた者たちの手足を確実に縛る。動揺した敵の小隊は、分断され混乱したまま次々に制圧されていった。ナイフや投擲物が床に弾け、孤立した者たちの抵抗はほどなく消え去る。


白砂が端末のログを吐き出し、奈々がそれを手早くハッシュ化して保全ファイルへ落とす。伏見が無線で報告を入れる。

「全員確保、負傷者なし。ただちに警察へ引き渡す。現場の物理的損壊も記録完了。」


氷室は銃を肩に戻し、遠くの倒れた影を一瞥してから静かに言った。

「物理で道を塞ぎ、情報で視界を奪う。これが今日の‘仕留め方’だ。」


玲は深く息を吸い、皆をざっと見渡して短く言う。

「証拠の散逸は許さない。由衣のファイルと、白砂のログを最優先で保全。藤堂へは今すぐ連絡、これを世に出す準備をさせろ。」


朝の空気は再び静かさを取り戻しつつあったが、瓦礫と粉塵の匂いは戦いの痕跡を語っている。警察のサイレンが遠くで近づき、通報を受けた救急と機動隊が最短ルートで集結し始める。


氷室は無造作に笑みを浮かべ、ポケットからタバコを取り出しかけるが、ふと手を止めた。彼の目はまだ遠くを見据えている。玲の声が小さく続く。

「これで一つの流れは断てた。だが黒田の背後にいる連鎖を全て切るには、まだ証言と公開が必要だ。藤堂、頼むぞ。」


藤堂の連絡網は既に動き始めている。瞬時にして、封鎖された現場の写真、白砂が吐き出した制御ログ、奈々がまとめたタイムライン——すべては法的手続きを経て、世に出される準備が整いつつあった。


瓦礫の隙間から朝陽が差し込み、粉塵を金色に染める。ひとつの進路は砕かれ、影の行軍は阻まれた。だが玲の言葉どおり、物語はまだ終わらない。屋上に残った者たちの目には、これから向き合う長い「告発」と「暴露」の道が映っていた。


時間:午前8時30分

場所:拠点外側・隣接ビル屋上


天城が肩越しに屋上の広がる景色を見渡し、低く微笑む。手元の無線に軽く唇を寄せ、氷室へ通信を送った。


「なかなか派手に決めたな?」


氷室の声が端末越しに返る。

「お前らの ‘騒がしさ’ のせいだ。」


そのやり取りに、屋上の緊張感は微かに和らぎ、仲間たちも安堵の息を漏らす。


玲は端末の画面を閉じ、天城と氷室の動きに目を向けながら静かに言った。

「だが油断はするな。黒田の背後はまだ見えない部分が多い。」


奈々は端末を片手に、すぐさま次の行動計画を整理し始める。

「証拠を確実に押さえ、世に出す手筈を整えましょう。」


粉塵と瓦礫の朝に、仲間たちの目にはまだ続く戦いの影が映っていた。


時間:午前9時

場所:玲探偵事務所・メインオフィス


玲の指先が静かに端末の最終ログへと触れた。

白砂が接続した“ゼロ地点ログ”の最深部が、今、解錠されようとしている。


画面が徐々に明るくなり、スクリーンに映し出されたのは、数年前に削除されたはずの映像記録だった。


玲は低く呟く。

「これが……すべての発端か。」


映像には、神谷崇の記録者名が表示され、場所は旧・北辰研究所地下第七記録室。

日時は未登録。


奈々が端末を覗き込み、眉をひそめる。

「記録されているデータ量……膨大です。しかも、削除された痕跡が残っている。」


伏見が腕を組み、低く言った。

「完全に消されたはずなのに……誰が、何のために?」


霧島がスクリーンを見据え、静かに呟く。

「これが、黒田慎一郎に繋がる最初の足跡……か。」


御影は端末に手を添え、解析結果をさらに展開する準備を整えていた。

「全ログの復元には時間がかかる。だが、この映像を押さえれば、黒田の全行動が追跡可能になる。」


玲は深く息を吸い込み、視線をチームに向けた。

「なら、行こう。——真実の源まで。」


時間:午前9時15分

場所:玲探偵事務所・メインオフィス


天城が目を細め、スクリーンを睨む。

「この映像……偽装なしの実記録だな。」


画面の中、神谷崇の声が冷ややかに響く。抑揚はなく、淡々とした語り口。


「実験体No.34、被験者名:木嶋亮。彼の記憶構造は、予想を超えて柔軟だ。

記憶の書き換えにすら抵抗を見せない——これは“支配”の鍵になる。」


玲は眉をひそめ、端末を握る手に力を込めた。

「木嶋亮……黒田が操ろうとしていた人間か。」


伏見が画面に目を走らせ、淡々と解説する。

「記録を見る限り、彼の脳内には複数の制御層が構築されている。アクセス権限がなければ、通常の解析では完全に読み取れない。」


奈々が端末の波形解析画面を切り替えながら呟く。

「音声ログと映像ログを照合すれば、実験室内での介入タイミングも特定できるわ。」


霧島がゆっくりと立ち上がり、画面を見つめながら低く言う。

「つまり、この映像が示すのは——“黒田の計画の核心”そのものだ。」


玲は視線を天城と白砂に向け、静かに決意を告げる。

「なら、俺たちはその核心まで行く。——全ての記録を、真実に変えるために。」


時間:午前9時30分

場所:玲探偵事務所・メインオフィス


画像が補正され、フードの影から浮かび上がるその顔。


奈々が息を呑む。

「……副局長・水島……!?」


室内が一瞬、凍りついたかのような沈黙に包まれる。


伏見が低く唸る。

「……公安内部に、こんな影が潜んでいたとは。」


霧島が腕を組み、画面を凝視したまま呟く。

「“影の本命”……地下組織どころか、俺たちの手の届かないところにいたのか。」


玲は冷静に画面を見据え、指先でログをスクロールさせる。

「ここから先は、水島の計画を崩すだけじゃない。公安内部の隠蔽、そして木嶋亮の保護——全てが絡む。」


白砂が端末を操作しながら静かに言った。

「この人物の動線と通信履歴を解析すれば、次の一手が見えてくる……しかし危険度は相当高い。」


天城が窓の外を見ながら低く笑む。

「面白くなってきたな……これで真の“影”と対峙するわけか。」


玲は微かに息を吐き、チーム全員に視線を巡らせた。

「なら、行こう——内部の“影”を炙り出す。」


時間:午前9時35分

場所:玲探偵事務所・メインオフィス


伏見はモニター前で静かに息を吐くと、淡々とキーボードを叩き始めた。画面には大量のファイル名が列挙され、横に小さなチェックボックスが並んでいる。彼の動きは無駄がなく、すべてが手順に従っていた。


「警察に資料を転送する。」伏見の声は低く、しかし確信に満ちている。周囲の雑音がふっと遠のき、皆の視線が一斉に彼へ集まった。


奈々が食い気味に訊く。「暗号化は? チェーン・オブ・カストディは?」


伏見は手を止めずに答える。

「AES‑256で暗号化。ファイルごとにSHA‑256ハッシュを算出して、タイムスタンプ付きで保全。転送は警視庁専用のSFTPトンネル——透子に直接鍵を渡してある。チェーン・オブ・カストディはログに残す。改竄できないように複数場所へ同時送信する。」


玲は端末越しにうなずく。

「透子、受け取りの確認を取ってくれ。法的に問題が出ないよう、署の窓口も通す。」


無線の先で透子の声が短く返る。「了解。こちらで受領、即時受領番号を返します。資料は証拠保全扱いで保管してください。」


伏見は最後の確認を行うと、慎重に「送信」キーを押した。進捗バーがゆっくりと動き出し、暗号化パッケージが一つずつ送られていく。白砂が生成したゼロ地点ログ、由衣のファイル、昨夜の現場録画、氷室のスナイパーログ——重要なデータすべてにハッシュが添えられ、時刻とともに記録された。


画面に受領確認の通知が届く。

「警視庁受領番号:KPD‑2025‑0935‑A。ファイル完全性チェックOK。証拠保全手続き開始。」


奈々が小さく息を吐いて、肩の力を抜く。

「よかった……これで法の手順に乗せられる。」


霧島は腕を組んだまま、窓の外の湖面を見つめる。冷たい朝の風が室内に入るが、誰も動かない。伏見はモニターのログを一行ずつ確認し、最後に端末を閉じた。


玲は皆に静かに言った。

「まずはここまで。公にする仕事は藤堂に任せる。次は内部の掘り返しだ——水島のラインと、黒田の上流を洗う。」


伏見は短く頷き、机の上に立てたUSBメモリのハッシュ値を指でなぞった。小さな数字列が光る。それは今後の戦いのための、揺るがぬ証拠の痕跡だった。


時間:午前9時50分

場所:玲探偵事務所・メインオフィス


静寂を破るように、事務所の通信端末が軽く鳴った。


伏見が即座に端末に手を伸ばす。「誰だ?」


画面に表示された名前は――藤堂。


玲が端末越しに声を届ける。

「藤堂か。資料の受領確認は終わった。続報はあるか?」


藤堂の落ち着いた低音が応える。

「受け取りは完了した。黒田慎一郎、昨日の夜、警察に拘束された。これで一段落……だが、水島の件はまだ内部調査が必要だ。」


奈々が端末を覗き込み、眉をひそめる。

「黒田が逮捕されたのね……でも水島は、まだ動きそう?」


藤堂は短く答える。

「公に出るのは難しい。内部に潜む影を洗い出すのは時間がかかる。だが君たちの動きで、少なくとも黒田の支配は断たれた。」


玲は端末を置き、窓の外を見つめながら静かに言う。

「よし、まずはここで区切りだ。だが、完全に終わったわけではない。内部の影は、確実に次の動きを考えている。」


伏見が端末を軽く叩き、画面のログを再確認する。

「少なくとも、証拠は確保した。これで法的に動かせる。」


霧島が窓際で腕を組み、苦笑混じりに言った。

「結局、終わらせても終わらせない……それが俺たちの仕事だな。」


玲はゆっくりと端末を閉じ、事務所の静けさに目をやった。

外の光は柔らかく、だがどこか鋭い朝の空気が漂っていた。


通信が切れると、事務所内には再び、淡い緊張と確かな安堵が同居する時間が流れた。


時間:午前10時

場所:玲探偵事務所


玲はデスクに肘をつき、淡い朝の光の中で書類を整理していた。

書類の山の間には、未整理の事件ファイルや警察からの連絡メモが散らばる。


「……事件は一段落か。でも、影は完全には消えていない。」


玲は短く息を吐き、窓の外の街を見渡す。

心の中で次の捜査ルートを静かに組み立てながら、手元の資料を一つずつ確認していった。


デスクの片隅には、今回の“ゼロ地点の影”の解析ログが置かれており、目を通すたびに慎重な計画の必要性を思い出させる。


「守るべきものがある限り、俺の仕事は終わらない……」


玲は小さく呟き、書類を整理しながら次の一手を思案していた。


時間:午前11時

場所:玲探偵事務所・解析ルーム


伏見はモニターに映し出された解析データをじっと見つめていた。

複数のウィンドウには、過去の事件のログやゼロ地点作戦で収集された暗号化通信、位置情報が映し出される。


「……まだ、この膨大なデータの半分も整理できていないな」


腕を組み、深く考え込む伏見の背後には、未解読の暗号と解析用機材が散らばっている。

画面に映る動線やタグ情報をひとつずつ確認し、必要なら再解析を指示する。


「だが……こうして記録を残しておけば、誰かが必ず救われる」


伏見は静かに呟き、指先でキーボードを叩きながら、事件の“後始末”と次の対応策を淡々と進めていった。


時間:午後1時

場所:透子の自宅リビング


透子は温かい紅茶を手に、窓から差し込む日差しを浴びながら、ゆっくりと息を整えていた。


「……やっと、少し落ち着ける時間ね」


肩の力を抜き、ソファに腰かける。先日の事件で交わされた数々の駆け引きや危険な任務の記憶が頭をよぎるが、今は静かな午後の光がそれを和らげる。


手元の紅茶から立ち上る湯気を見つめながら、透子は微かに笑った。

「守りたかったもの……守れたのかもしれないわね」


窓の外で小鳥のさえずりが聞こえ、時間がゆっくりと流れる午後のひととき。

透子はしばし、平穏を噛みしめていた。


時間:午後2時

場所:高層ビルの屋上、街を一望できる場所


成瀬は静かに街を見下ろし、ビル風に髪を揺らしながら過去の影班としての任務を思い返していた。


「……あの夜も、結局俺たちは正面に立つしかなかった」


肩の力を抜き、手に持った双眼鏡を軽く握る。過去の闇に覆われた任務、瞬時の判断で人命を守った記憶、それらが頭をよぎる。


しかし今は任務も終わり、街は静かに息をしている。

「……守るべきものがあるってのは、悪くないな」


成瀬はわずかに口元を緩め、再び街の喧騒に目を向けた。

その瞳には、影班の時には見せなかった柔らかな光が宿っていた。


時間:午後3時

場所:玲探偵事務所・解析室


御影は最新の解析機器の前に座り、複雑な暗号データを前に静かに息を吐いた。


「……やはり、こうして数字と格闘している時間が一番落ち着く」


モニターには、未解読の通信ログやゼロ地点技術の残滓が映し出されている。指先は休むことなくキーボードを叩き、解析プログラムを微調整していく。


「この世界は、まだ完全には見えていない。誰も気づかない微細な動きが、全てを変える」


御影はモニターのデータを眺めながら、次なる解析対象に向けて静かに意志を集中させた。その背中には、技術者としての静かな覚悟が滲んでいる。


時間:午後4時

場所:志乃の自宅・リビング


志乃は観葉植物に水をやりながら、過去の事件での自分の判断を静かに振り返っていた。


「……あの時、もう少し慎重になれたら……でも、あれが私の選択だった」


手元のノートには事件のメモが整然と残されており、彼女は一枚一枚、分析と反省を繰り返す。


「人の心理は、計算だけじゃ解けない。だからこそ面白い……」


静かな午後、柔らかな光の中で、志乃は再び冷静な目で周囲を見渡し、次に備えて心を整えていた。


時間:午後5時

場所:高台の見晴らし台


天城は双眼鏡を手に、静かに街を俯瞰していた。


「……平穏とはいかないな」


低くつぶやきながら、彼は過去の任務や狙撃の軌跡を頭の中で辿る。風に揺れる街路樹、遠くの車のライト、何気ない人々の動き——そのすべてが彼の計算に映る。


「でも、今夜は違う……少なくとも、俺たちは守った」


天城の指がわずかに触れた双眼鏡越しの街は、かつての戦場の痕跡を微かに残しつつも、静かに日常を取り戻しつつあった。


彼は目を細め、次の任務のための準備を心の奥で始めるのだった。


時間:午後6時

場所:玲探偵事務所のラウンジ


奈々と沙耶は向かい合い、静かに紅茶を口に運ぶ。


「……ずいぶん、落ち着いた表情ね」

奈々が柔らかく微笑む。


沙耶は窓の外の夕陽を見つめながら、小さく頷いた。

「ええ……やっと、自分の居場所がわかった気がする」


奈々は端末をテーブルに置き、手を組む。

「事件は終わったけど、守るべきものは増えたわね」


沙耶がそっと笑みを浮かべる。

「でも、もうひとりじゃない……こうして、話せる人がいる」


二人の間に、穏やかな時間が流れる。外の街も、事件前より少しだけ静かに見えた。

時間:午前9時

場所:玲探偵事務所・応接室


沙耶は机の上に静かに封筒を置き、深呼吸をひとつした。

手紙は整った文字で丁寧に書かれている。


「玲さん、奈々さん、伏見さんへ

これまで本当にありがとうございました。

私はここで学んだこと、守ってもらったことを胸に、新しい道を歩むことにしました。

しばらく旅に出ます。どこへ向かうかは、まだ自分でも分かりません。

でも、きっと成長して戻ってきます。

どうか、これからも皆さんが平穏でありますように。

—沙耶」


沙耶は封を閉じ、机の上にそっと置いたまま、静かに部屋を後にする。

窓から差し込む朝の光に包まれ、影は長く伸びていた。


奈々が手紙に目を落とし、静かに微笑む。

「……旅に出るのね。沙耶らしいわ。」


玲は椅子に肘をつき、手紙を見つめたまま小さく頷く。

「自分で選んだ道なら、きっと大丈夫だ。」


部屋にはしばらく、静かな余韻だけが残った。

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