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彼のいない夏

作者: 月樹

「ルイーザ、君との婚約を破棄し、同じストラスフィールド公爵家のマリー嬢と婚約を結びなおすことを、ここに宣言する」


 華やかな卒業パーティーの席で、それは言い渡された。

 つい先程まで婚約者だったアルバート様の隣には、彼の衣装と揃いのドレスを着た異母妹のマリーが、扇で口元を隠し、悲しげな表情を装っている。

 たぶん扇の下は満面の笑顔だろう。


 理由はそれらしき事を言い繕っていたが、アルバート様とマリーが人目も憚らず寄り添う姿は、学園の至る所で見られたし、婚約者がいるにも関わらず二人が恋仲なのは、みんなの知るところだった。

 さすがに犯罪紛いの冤罪をなすりつけ処罰するには、私の立場が難しすぎたので、それはされなかったけれど、亡き母の祖国フルーラ帝国に帰るよう促された。


 私の母は隣国の皇帝の妹で、両国の関係を結ぶために、この国の公爵家に嫁いできた。

 父とは嫁ぐまで会ったこともないという、完全な政略結婚だ。

 そもそも母が嫁ぐのは、隣国に留学していた父の兄のはずだった。しかし彼が留学中に流行り病で帰らぬ人となってしまい、その弟である父と結婚することになったのだ。


 母は婚約者にほのかな恋心を抱くくらいには仲を深めていたので、亡くなったからすぐ弟に…と気持ちを切り替えることは難しかった。

 父は父で、跡取りでもないので構わないだろうと、学園に身分の低い恋人がいた。

 けれど急に次期公爵となってしまい、恋人の身分では公爵夫人になれないと親に無理矢理別れさせられ、両国の友好関係を保つために母と結婚させられた。

 二人とも皇族と高位貴族の義務として婚姻し、子供を儲けた。

 けれど元々丈夫で無かった母は、出産後体調を崩し、ベッドで過ごすことが多くなり、私が7歳の時にこの世を去った。


 母が亡くなって、喪も明けぬうちに、新しい母が迎えられた。その傍らには、私とそう変わらない年の、父によく似た女の子も一緒だった。

 父の学生時代の恋人アグネスと異母妹のマリーだ。

 ストラスフィールド公爵家の特徴である、黒い髪と緑の瞳をしたマリーは、誰が見ても父の娘と分かった。

 私は隣国フルーラ帝国の皇族の特徴である、プラチナブロンドの髪に菫色の瞳で、美しいけれど冷たく見える表情だけが父に似ていた。


 私が婚約者のアルバート様に初めて会ったのは、まだ母が亡くなる前の5歳の時だ。

 もし母がそれよりも早く亡くなっていたとしても、婚約者に選ばれたのは私だっただろう。

 王家が望んだのは、隣国の皇室とストラスフィールド公爵家の血を引く娘だったから。


 金髪碧眼の王子様は、沈丁花に絡んだ私のフワフワの髪を、一生懸命解いてくれた。

「切ったら良いよ」と言う私に、「こんな綺麗で綿菓子みたいに美味しそうな髪を切ったらもったいないよ」と頑張ってくれたっけ…。


 卒業パーティーの時も、沈丁花の花の香りが漂っていたな…。



 いま私は王都から遠く離れた海の見える教会で、神に仕える修道女として生活している。

 異母妹を虐めたなどと適当な罪状を作りあげ、卒業パーティーという公の場で宣言することで、無理矢理婚約破棄を成し遂げたが、隣国皇室の血を引く私に重い罰を下せるはずもなく、王太子はとりあえず私をフルーラ帝国に送り返そうとしていた。

 でも私はどうしてもこの国を離れたくなかった。

 だってこの国には、()がいるから…。



 私が()と出会ったのは、丁度初めて婚約者に会った時のことだった。

 沈丁花の花がワサワサ揺れているのを見た私は、何がいるのだろう?と花の中に頭を突っ込んだ。

 髪の毛が絡まってしまったのは、その時だ。


 彼は沈丁花の花の匂いが好みらしく、花の中に入って、その真っ黒なツヤツヤしたお鼻をフンフンさせ、花の匂いを嗅いでいた。

 出会った頃の彼は、コロコロして真っ白なフワフワした毛が気持ち良くて…そのつぶらな黒い瞳にすっかり魅せられた。


 アルバート様にも彼のことを話してみたけれど、アルバート様には彼の姿が見えない様だった。

 後で分かった事だが、彼の姿が見えるのは、この国では私と教皇様だけらしい。


 彼は私達が話す言葉を理解しているけれど、話すことは出来ないので、お名前を聞くことができず、私はいつも()()()と呼んでいた。

 でも本当は彼の名前を知っている。

 この国に住まう者なら誰だって知っている。

 だってこの国の国名()()()()は、国を守護する聖獣様のお名前を戴いてつけられた名だから。


 お妃教育は、幼い私にはとても厳しく辛いものだった。間違えると先生から躾として鞭で叩かれることもあった。

 今考えれば、王太子がする勉強までカバーさせられていたのだと思う。

 家でお父様に話しても、王太子妃になるのだから、そのぐらい出来て当たり前だと取り合ってもらえなかった。

 その横で異母妹のマリーは、公爵家の事はしっかりした婿を取れば良いからと、伸び伸びと甘やかされていた。


 公爵令嬢としても及第点と言えないマナーや知識で育ったマリーに、王太子妃が務まるのかしら?まあ私が考えることでは無いけれど…。


 初めのうちは妃教育の後、お茶の時間を作って励ましてくれていたアルバート様も、そのうち自分の王太子教育も忙しくなり、その合間をぬって自分の自由な時間も欲しいため、滅多に会いに来てくれなくなった。

 たまに王妃様に言われたのか、ちょっとだけ私が勉強する部屋に顔を出し、すぐ出ていくという感じだった。


 そんな中、唯一の楽しみが、聖獣様と戯れる時間だった。

 聖獣様も私達の成長と共に大きくなり、出会った頃はあんなにコロコロして可愛いかったのに、今では背中に乗せてもらって遠出が出来るほど大きくなられた。


 聖獣様はいつも話を聞いてくれて、私が落ち込んでいる時には良い香りのする花を渡してくれたり、背中に乗せて綺麗な景色の見える場所に連れて行ってくれた。


 夏には良く海辺を散歩して、一緒に綺麗な貝殻を集めたりしたな…。 

 そこは教皇様が昔いた教会の近くで、たまに教皇様もご一緒にお話ししてくれた。



「どうして自分ばかり、こんな辛い目に遭うのか…」

 と嘆く私に、


「神は正しき者の味方ですよ」

 と頭を撫でながら、挫けそうな心に寄り添ってくださった。


 思い返せば、お母様が亡くなって以来、頭を撫でてくれたのは教皇様だけだ。

 聖獣様は、頭は撫でられないけれど、その代わりに冷たいお鼻でキスしてくれたっけ…。


 私は今、その海の近くの教会にいる。

 卒業パーティーで断罪されてから、彼には会えていない。

 サヨナラを言う暇もなく、この教会に逃げ込まないと、隣国に返されそうだったからだ。

 もうすぐ夏がやって来る。けれど、今年の夏は彼がいない…。



「シスタールイーザ、お客様ですよ」 

 教会にある孤児院で子供達に字を教えていたら、シスターマグノリアが呼びに来た。


 ここではみんな俗世と縁を切り、元の身分に関係なくシスターと呼ぶ。

 シスターマグノリアは私より5歳くらい年上の女性で、婚家で色々あり教会に入られたと聞いている。

 とても気品のある方なので、たぶん高位貴族出身なのだろう。でもここでは誰も教会に入る前の事を詮索しない。

 だから私も、どうしてこの若さで教会に入ることになったのか、尋ねようとする人はいなくて良かった。


「誰かしら?」


 ここに訪ねてくる人なんて、教皇様ぐらいしか思い当たらない。

 もちろん元婚約者も家族も、もう王太子の婚約者でなくなった役立たずの私を訪ねてきたりしない。


 子供達に自習するように告げ、応接室に向かうと、思った通り福福しい笑顔の教皇様と、その隣に、見たこともない綺麗な男性が座っていた。

 輝く白い髪に、オニキスのような真っ黒な瞳、鼻筋はすっと高く、白い王子様のような服が良く似合っている。


 初めて見る、でも何故か親しみを感じる彼の名前を尋ねた。


「ルイーザは知ってるでしょ?

 いつも名前では呼んでくれなかったけれど」


 少し試すようにいたずらな笑顔を向ける彼と、それを孫を見守るような穏やかな笑顔で眺める教皇様。

 この光景を、いつも側で見ていた。


「ルパール様?」


「良くできました」

 ルパール様はとびきりの笑顔で、頭を撫でてくれた。


「いつも爺がルイーザの頭を撫でるのを見て、僕も撫でてあげたいと思っていたんだ」

 とても自慢げなルパール様は、綺麗で格好いいのに、可愛いらしい。


「ルパール様がどうしてここに?」

 他にも色々と聞きたい事はあるけれど、今一番聞きたいことを尋ねた。


「ルイーザを迎えに来たよ。一緒にルイーザを本当に愛してくれる人達が住む国へ行こう」

 ルパール様は手を差し伸べ、さあと(いざな)ってくれる。


「でも…ルパール様はこの国の守護聖獣だから、ここを離れることは出来ないでしょ?」


「それは気にしなくても大丈夫。

 爺にも話したけれど、もうこの国で僕が見える人はルイーザと爺しかいない。

 それだけ信心が薄れ、心の清らかな人が減っているということだよ。

 僕は信じる人がいなくなれば、そのうちにその存在が消えてしまう。だからその前にこの国を離れる事にしたんだ。

 爺も引退したら余生はフルーラ帝国で暮らすと言ってるよ」

 横で教皇様も笑顔で頷いてくれた。


 この国を離れたらルパール様に会えなくなると思って、どんなに辛くても我慢していたのに…。

 何でもない事を話すように、ルパール様はその問題を解決してしまった。


「私、ルパール様と一緒にフルーラに行ってもいいの?」


「うん、これからもず~っと一緒だ。

 そのために爺に人型になる方法を調べてもらって、やっと変身できるようになったから迎えに来たんだ。遅くなってごめんね」


 もう私は堪えることが出来ず、ポロポロ涙を流しながらルパール様に抱きついた。


「やっとルイーザの涙を拭いてあげられるや。いつもルイーザが泣いていても、花をあげる事くらいしか出来なかったから」

 ルパール様は嬉しそうに微笑みながら、私の目尻に流れる涙を、細く長い指でぬぐってくれた。



 その後ルパール様とフルーラ帝国へと渡り、今は謁見の間で皇帝である伯父様に拝謁中だ。


「ルイーザよく来てくれた」

 伯父様は久々に会う姪に怖がられないよう、厳つい顔に一生懸命笑顔を浮かべ柔和に見えるよう努力していた。

 何故かフルーラ帝国では、女性は可憐に育ち、男性は厳つく育つので、男性陣は女性親族に激甘になる傾向がある。

 例にもれず伯父様も母を溺愛し、その娘のルイーザにも並々ならぬ愛情を抱いていた。

 では何故伯父に助けを求めなかったのかというと、ひとえにルパール様の側にいたかったからだ。


 伯父様に言えば、すぐにフルーラ帝国に連れ帰られてしまうので、私はどんなに妃教育が辛くても、家の中で一人ぼっちでも、婚約者に相手にされなくても、それを告げることは無かった。


「ルイーザ、お前が辛い思いをしている時に気付いてやれなくてすまなかった」


 大きな体を丸め、心底申し訳なさそうにする伯父様に、自分の都合で言わなかったので、こちらの方が申し訳なくなる。


「伯父様、大丈夫です。私には、ルパール様がいたから」

 伯父様との謁見の間も、隣でずっと見守ってくれているルパール様の手を握り見つめ返す。


「聖獣様、姪を守っていただき本当にありがとうございました」

 ルパール様に向かい、伯父様は深々と頭を下げた。


 この国に来て一番驚いたのは、伯父様にルパール様が見えた事だ。

 私の隣にいるルパール様を見て、「その隣におられる高貴な方はどなただ?」と尋ねられた時は、本当にビックリした。

 聖獣様の国であるルパール王国でさえ、教皇様と私にしか見えなかったので、フルーラ帝国に見える人はいないと思っていた。

 今のところ、伯父様にしか見えてないようだけれど、探せば他にもいるかもしれない。


「聖獣様、どうぞご自分の国と思って、自由にお過ごしください。ルイーザもここはお前の国なのだから、ずっと宮殿で過ごせば良い」


「伯父様ありがとうございます。でも皇族としての義務を何も果たさずに、宮殿に住まうのは心苦しく思います」


 私はルパール様と一緒なら、どこで暮らしても幸せなので、持ってきたお母様の形見の宝石を売って、森の中にでも家を建てようと思っていた。


「何を言うのだ。せっかく帰ってきた可愛い姪を外にやったりするわけなかろう。

 それに貴重な聖獣様をこの国に連れてきてくれただけで、充分皇族としての責務は果たしている。

いつまでも心置きなく過ごして欲しい」

 外に家を構えようとする私たちを伯父様は必死で引き留めた。

 姪を手元に置いて可愛がりたいという伯父バカなのもあるけれど、それでなくても聖獣様の存在は、とても貴重なそうだ。

 聖獣様が国にいるだけで、その国は天候に恵まれ作物が良く育ち、他国からの侵略も塞いでくれるらしい。



 王国での私の暮らしぶりを聞いた伯父様は、契約違反によりルパール王国との協定をすぐさま解除した。

 もともと母と婚約する時に、義母とは別れることが契約に盛り込まれていたらしい。なのに、別れていないどころか、その後も交際を続け、私と同じ年の娘を儲けるなど重大な違反だ。

 しかも、その後は皇女が亡くなってすぐに愛人を後妻に迎え、皇室の血を引く娘を蔑ろにした。

 王家もその事を帝国に伝えず、調べればすぐに分かるような冤罪で勝手に婚約を破棄した事は、許しがたいとされた。


 協定で優先的に安く輸入できていた薬剤や鉱物資源は輸入できなくなり、ルパール王国からフルーラ帝国に売られる農産物にも他国と同じ関税が掛けられるようになって、価格競争で負けるようになった。


 王国は今更ではあるが、これ以上の悪影響を抑えるため、ストラスフィールド公爵家を伯爵に降爵し、王太子は王位継承権を剥奪した後にストラスフィールド伯爵家に婿入りさせることが決まった。

 ストラスフィールド家、王家ともに莫大な慰謝料を帝国に支払ったので、当分楽な暮らしはできないだろう。



 結局、私とルパール様は伯父様に押し切られるかたちで、皇居内の森の中に建てられた離宮で一緒に暮らしている。

 時折そこには、皇太子の5歳になる息子リオン様が遊びにくる。



「バイオレット様、遊びましょう!」


 待て!!ができないリオン様は、離宮の扉をノックすると同時に開けて入ってくる。


 すると、ピョン!とリオン様に、飛びつく毛玉が一匹。


 白いフワフワの毛に、私と同じ菫色の瞳をした可愛い子。

 ピンクのお鼻をクンクンさせて、リオン様のポケットの中に突っ込んでいる。


「バレましたか。今日はバイオレット様にプレゼントしようと思って、あなたの大好きな沈丁花の花で作ったポプリをポケットに入れてきたのです」


 リオン様が嬉しそうにポプリを取り出し、バイオレットの前に見せると、バイオレットはフンフン匂いを嗅いで満足すると、リオン様のほっぺに、ありがとうのキスをした。


「バイオレット、まだ君には早いです」

 それを見ていたルパール様が、慌ててバイオレットを抱き上げ、リオン様から離した。


 あなたもかなり早い段階でしょっちゅうキスしてきたので、血は争えないと思うのだけれど…。


 呆れた目でルパール様を見つめた。


 バイオレットはルパール様と私の3歳になる娘で、まだ人型になれないため、フワフワの白い毛に、菫色の瞳、ピンクのお鼻と超絶に可愛い姿をしている。

 聖獣なので、もちろんその姿を見られるのは限られた人間だけなのだが、どうやらリオン様はその限られた人間の1人のようだ。

 たまたま離宮に迷い込み、バイオレットを見かけてから、その愛らしさの虜になって、間を空けず、日参するようになった。

 まだ幼かった頃の、私とルパール様を見ているようで微笑ましい。


 今後、この2人がどのような道を歩むのかは分からないけれど、その都度傷つき喜びながらも、しっかりと成長していくことだろう。


 今年の夏は、リオン様も一緒に海に出かけてみようかしら?


 また彼等と一緒に過ごす夏がやって来る。



お読みいただきありがとうございます。


誤字脱字報告ありがとうございます。





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― 新着の感想 ―
正直、元婚約者や元家族についてはどうでもいいですが、お爺ちゃん教皇さまがどうしてるのかはすごく気になります。
親戚が機能していないのを、〈ドアマットあるある〉と、私は呼びます。 母親の嫁入りの際に、帝国から随行した、忠義者で切れ者の侍女など、居なかったのでしょうか。 もう一捻り欲しかったです。
>ストラスフィールド公爵家を伯爵に降爵し、 >当分楽な暮らしはできないだろう。 ルイーザにはどうでもいい話なのかもしれないけど、 アルバートとマリーの感情が見えず、ざまぁ感が薄い
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