08.乾杯
「じゃじゃーん!」
ソファーでうとうとし始めた頃、母の陽気な声で目が覚めた。
「母さん……めっちゃ元気だな。」
目をこすると、だんだん世界に色がついていく。
「え……え……。」
そこには、浴衣姿のいろはがいた。髪の毛は緩くまとめられていて、白地に赤い花が散りばめられている綺麗な柄。どこからどう見ても、かわいいという言葉しか出てこないやつ。
「わー!お姉ちゃんかわいい!!」
「……あかりちゃん、ありがとう。賢太君、どうかな?」
「すげー見とれてた。かわいすぎる。え、俺こんなかわいい子と今日並んで歩いてもいいってこと?」
「もー!みんなの前なのになにそのいつものでれでれした感じ!でも嬉しい!」
その反応すらかわいいということに、いろはは気づいているのだろうか。
「はい、次は賢太の番!いろはちゃんはあかりと一緒にテレビ観ててね!」
「え?」
僕も着るの?初耳なんだけど。いろはは、「はい!」と返事をして、あかりの隣に腰掛ける。僕の戸惑いは完全にスルーされ、当たり前のように母に引きずられていく。
促されるように和室のふすまを閉めた。母は美容師をしており、着付けもお手のものだ。小さい頃は、よくあかりが着せ替え人形のようにされていた。
「いろはちゃん、かわいいね!」
「うん。僕にはもったいないくらいの彼女なんだよ。」
「確かに!」
「え、ホントに母親?それひどくない?」
「そういえばあんた、気持ち悪いナンパしたんだってね!」
「……いろはが気持ち悪いって言ってたの?だとしたらショックすぎる。」
「あの子はそんなこと言わないよ。どうやって出会ったか聞いたら教えてくれて、私が気持ち悪いと思ったの!」
「それを聞いてある意味安心したわ。」
「賢太。いい子に出会えて良かったね。」
急にからかいの表情をやめて、優しく微笑む母。
「うん。まだ付き合ってそんなに経ってないけど、運命だと思ってる。」
「そっか。じゃあ、何があってもあんたが守ってあげるんだよ!」
「それは当たり前だと思ってる。」
「我が息子ながら、出会いのしゃべりは最悪だと思ったけど……あんたは人の気持ちが分かる優しい子だから大丈夫だよ。それなりにイケメンに産んであげたしね。」
「え、何いきなり。さっきまでひどかったくせに!」
言われた言葉が嬉しかったけれど、素直に受け取って『ありがとう』と言うのには恥ずかしすぎた。いつか、こういう言葉を素直に受け取れる日が来るのだろうか。
「ホントのこと!あんたのことほめるなんて、そんなにたくさんないからありがたく思いなさいよ!」
うん、この言葉でさっきの感動が台無しだな。でも、きっと恥ずかしがっていることも、素直になれないことも、母には分かっているんだろうな。それなら……
「分かってるよ、母さん。ありがとう。」
少し砕けた感じになったから、感謝の言葉として伝えることができた。あんまりにも素直に言葉にした僕に、母は驚いていたみたいだが。
「応援してるからね。ちゃんと大事にするんだよ。はい、おしまい!」
着付けもちょうど終わったらしく、背中をぱしっと叩かれた。痛みと気持ちを一緒に受けとって、和室を出る。
リビングに戻ると、Netflixを夢中で観ている浴衣姿のいろはに声をかける。
「俺も着付け終わったよ。」
「……」
僕の方を見て、無言になるいろは。似合わないからなのだろうか……。
「反応ないとどうしていいか分かんない。似合わない……かな?」
不安になる僕と、はっと我に返ったような動作をしたいろはと目が合う。
「今度は私が見とれちゃってた!かっこいいよ!」
「……!!なんか言わせたみたいでごめん。でもめちゃくちゃ嬉しい。」
このやりとりを見ていた我が妹が口を挟む。
「この部屋、急に熱い。おにぃきもい。」
「おい。空気読めよ……」
「空気読んだ結果だよ……こんなところで2人の世界入られたら巻き込み事故どころの騒ぎじゃないじゃん。それとも、おにぃはそれを妹に見られたいっていう癖でもあるの?」
「確かに……それを妹に見られていると思うと、お兄ちゃんもだいぶ恥ずかしいかもしれない。」
「あかりちゃん、ごめんね?」
いろはが申し訳なさそうにあかりを見る。
「お姉ちゃんは悪くない。でも、おにぃはすぐ調子乗るから、あんまり甘やかさない方がいいよ!」
「お兄ちゃんへの対応、なんでそんなトゲあるの!?」
「だってすぐ調子乗って、カッコイイとか思っちゃうんでしょ!」
「俺そんなナルシストじゃないんだけど!」
「いやいやいや、妹に対して本気でやり合う時点でだめ!」
「くっそー……」
このやりとりをずーっと見ていたいろはは、笑いをこらえていたらしいが、隠しきれなくて笑い声が漏れていた。
「あははは!賢太君よりあかりちゃんの方がお姉ちゃんみたい!」
「ほら!お姉ちゃんもそう言ってるし、おにぃ、仕方ないから私のことをお姉ちゃんって呼んでもいいんだよ!」
「姉……とはさすがに言えないけど、確かにあかりの方がしっかりしてるんだよなー。」
「やっぱり!あかりちゃんの方が落ち着いてる感じする!」
彼女に落ち着きがない判定された僕。悲しい。
「賢太、おまえいつ頃出るんだ?駅まで送ってやるぞ。」
父の声でアホな会話が終わり、ふと時計を見る。いつの間にか17時をまわっていた。
「あ、そろそろ出ようかな。夕飯も外で食べたいと思ってたし。」
「それはそうとおまえたち、今日は泊まっていくのか?」
「え?」
いきなりの父の質問に戸惑う僕。
「おまえたち浴衣着てるだろ。それ、自分で脱げるのか?」
「あー……ね。」
いろはと目を見合わせる。
「どうする?」
「私は、迷惑じゃなければ、お言葉に甘えたいです!」
え、マジで?まだ一緒の部屋で寝るなんて早いんじゃないかと思いつつも、テンションが一気に上がる高揚感を感じた瞬間……
「お姉ちゃんは私の部屋で寝ようよー」
さすがあかり。ですよね。
「え、いいの?嬉しい!」
それでも、いろはの誕生日という大切な日に、同じ屋根の下で一緒にいられるだけですごく嬉しかった。父さん、グッジョブ!
父の車に乗り、駅まで送ってもらった。再び電車に乗りこみ、熱海に向かう。熱海まで行く電車は、早い時間だったからか、まだそこまで混んではいなかった。
熱海駅からは、徒歩で海岸沿いまで向かう。しばらく坂道を下っていくと、水平線が一面に広がった。海だ。
「うわぁー!めっちゃきれい!」
海を見て、いろはのテンションが上がったのが分かった。
「熱海の海って、なんとなくだけど、特別感あるよね!」
「あ、分かる!観光地だもんね!私、熱海って初めて来た!」
「マジで?いろはの初めてゲット!」
「何それ!なんか照れる!」
「だって、めっちゃ嬉しいからさ。」
でれでれしながら手を繋いでエスコートする僕。それにしても、通行人がいろはのことを見ているのを感じる。鼻が高い反面、ちょっと腹立つ。
「あ、ここだ!今日はここで夕飯にしよ?」
「え、お祭りみたいな感じって聞いてたから、出店かと思ってた!」
「だって今日、いろは誕生日だろ。ちゃんとお祝いしたいから……」
「え、忘れてるのかと思ってた!」
「そんなわけないでしょ!ほら、行こ!」
僕たちは、『memoria』という名のレストランに入った。18時30分。時間的にもバッチリだ。ここはおしゃれな雰囲気の洋食屋で、海に面したテラス席がある。つまり、ここで花火を見ることもできてしまうわけなのだ。
「いらっしゃいませ。」
恭しく、店員さんが案内をしてくれる。
「予約していた、三井です。」
「三井様、2名様ですね。お待ちしておりました。こちらへどうぞ。」
案内に従って、テラスへ出る。
僕たちが席に着くと、店員さんはおしぼりと水を運んできてくれた。
「本日はご来店ありがとうございます。ご予約の通り、コースでよろしいですか?」
店員さんの丁寧な対応に、少し緊張してしまう。
「はい。お願いします。」
「お飲み物はいかが致しますか?」
「俺は烏龍茶で。いろはは何がいい?せっかくだし、お酒飲む?」
「え、そっか!私、今日で20歳だ!!じゃあ……カシスオレンジ?もらおうかな。」
チョイスするドリンクもかわいい。
「承知致しました。」
店員さんはお辞儀をし、ドリンクの用意をしに行った。
「え、待って。賢太君、こんな素敵なところ、予約してたの?めっちゃおしゃれ!しかも海見える!」
「んー、なんか背伸びしたくなっちゃって。でも、実は電話かけたタイミングが絶妙で、キャンセルが出たところだったんだ。だから、ラッキーだった!あと、今日は俺、ちゃんとエスコートしたいからお酒飲まないけど、いい?」
「うん、あ、でも……次は一緒に飲んでくれる?」
「当たり前だよ。次こそは!!それに、いろはが酔ったらどうなるのか気になるし、もしめっちゃ酔っちゃったとしてもちゃんと連れて帰らないと!」
「確かに。初めて飲むから心配かも……でも、賢太君いてくれるから安心だね!」
満面の笑みで僕を見るいろは。曇りのない信頼の言葉に、幸せを感じながらも気持ちを新たにする僕。
「お待たせ致しました。」
店員さんが飲み物を持って、丁寧にテーブルに置いてくれた。
「じゃあ、いろはの誕生日のお祝い!乾杯しよ!」
2つのグラスがぶつかり合う小気味のいい音が響いた。