28.IGNIS
時計の針は昼の十二時をまわろうとしていた。心地よい揺れに、大きなあくびをしながら、電車で竜司との待ち合わせ場所に向かういろは。きっと昨日は、僕と会っていたことでいつもより疲れたんだろうな。車内には、クリスマスイブを一緒に過ごそうとしているリア充たちで溢れていた。いや、まぁ僕もリア充ではあるんだけどね?……死んでるけど。
車窓から見える風景は、生前と変わらなくて、周囲の人たちに話しかけたら答えてくれるんじゃないか……という淡い期待を抱いてしまう。
待ち合わせの駅は、慈敬寺の最寄り駅から電車で十五分ほどのところだった。ホームを抜けて改札を出る。その先にある大きなクリスマスツリーが待ち合わせ場所だったようだ。竜司はもう到着していて、いろはの姿を見つけると、まるで黒い大きな犬のように手をぶんぶん振りながら駆け寄ってきた。
竜司の身長は一七八くらいだろうか。僕は自称一八○なので、僕の勝ちだ。たぶん。
白いセーターに黒の少しカジュアルなジャケット、下はカーキーのサルエルパンツ、といったところか。どこに行くにしても、いろはの隣を歩くならそれなりにちゃんとしていてほしい。とりあえず服装は合格にしといてやろう。
ただ、二人の距離感……。付かず離れずな距離にやきもきしてしまう。もっと寄り添って、安心させてやってほしい。でも、竜司からすると、いろはを待っているわけだから仕方ないというのもうなずける。
何気ない話で談笑しながら、竜司がリードして、二人は「IGNIS」という名前のカフェに入り、ランチをするようだ。おしゃれな雰囲気のカフェで、店内には邪魔にならない音量でジャズが流れていた。
「オシャレなカフェだね。見つけてくれてありがとう。今日すごく寒いね。何かあったかいものが食べたいな。」
いろははできる女だ。男からすると、自分がエスコートする時、それが当たり前のようについてくるだけの女だと、少し萎える。いや、正確にはそれが普通なのかもしれない。
でも、いろはは男側の苦労を理解して、必ず素直にお礼を言って労ってくれる。ほんと、どこまでも喜ばせたくなる女なんだよなー。
「実はここのカフェに、いろはさんを連れてきたかったんだ。だから、今日一緒に来れて俺の方が嬉しいよ。パスタとかグラタンもうまいよ!スープも飲んで温まって!」
「いつもありがとう。じゃあ、グラタンのランチセットにしようかな。私、グラタン好きなんだー。」
「へへ、知ってる!前言ってたよね。りょーかい!じゃあ俺は……肉食おう。」
「たくさん食べないと、大きくなれないもんね。」
「ん?俺、もうだいぶ大きくない?」
「うん、大きいけど、顔が幼いから、まだ成長期かなって。」
笑いを堪えながら、いろはが意地悪なことを言う。こんな会話もできているのは安心した。
確かに竜司は童顔な気がする。かわいい中性的な顔で、色白。韓国のアイドルのようだ。そして、うん。高校生……みたいだな。
「あー、またそういうこと言う!気にしてるのに。でも俺、包容力がある男なんで大丈夫だけどね。」
「あはは。ごめんごめん。ついからかいたくなっちゃって。」
「こういうのも楽しいし、いろはさんの笑顔見られるならなんでもいーよ。あ、店員さーん!注文お願いします!」
優しく微笑みながら言う竜司の突然ののろけに、いろはは固まっていた。こいつ、どうやら天然らしい。そしてその固まっているかわいいいろはに気づくことなく、店員さんの方を向いて笑顔で注文している。
うん。こいつ、犬だな。黒のラブラドールってかんじする。断じて、ドーベルマンとかシェパードではない。自分でも訳の分からない犬種の考察が始まるが、これはおそらく犬好きであれば分かってもらえるだろう。
「えっと、グラタンランチセットと、ハンバーグランチセットください!」
「承知致しました。デザートとスープはどうなさいますか?」
「俺はコーンスープと、本日のデザートで。いろはさんどうする?」
「え、あ、うん、同じで大丈夫です。」
ぼーっとしたいろはが突然話しかけられたことで自分の世界から戻ってきた。
「ドリンクはどうなさいますか?」
「俺はオレンジジュースかな。いろはさんどうする?」
「私は……あ!はちみつティーをお願いします。」
「ドリンクは食後でよろしいですか?」
「あ、俺は食事と一緒でいいけど、いろはさんどうする?」
「じゃあ、私も食事と同じタイミングでお願いします。」
「かしこまりました。失礼致します。」
店員さんは恭しく一礼をしながら、その場を後にした。
「ご飯出てくるの楽しみだなぁ。グラタン、久しぶりだぁ。」
「いろはさんは、一人暮らしだっけ?」
「うん。大学でこっちに出てきてからずっと一人暮らしだよ。」
「料理とかするの?」
「けっこうするよ。やっぱり、自炊しないとなかなかやりくりとか難しいじゃんね。」
「すごいね!俺、何もかもめんどくさくて全然できない……」
「え、それよく生きてるね。」
「そう思う?」
「うん……てか、食べてるの?」
「必要な分は食べてる!でもいつもさぼっちゃう。」
「ちゃんとしなよね……もう大人なんだからさー。」
「あ、今のなし。」
「え、なんでよ。」
「だって、なんかダメなとこばっかり知られちゃったら、嫌われるかなって思ったんだよ。俺、いろはさんに嫌われたくない。」
きっとこいつに耳としっぽが生えていたら、今まさに両方ともたれさがっていただろう。竜司は、捨てられた子犬のようにしゅんとしながら、いろはの様子を上目遣いで伺っていた。
「ぷ。あははは。そんなことで嫌いにならないよ。でも、心配だからちゃんとして?」
「ホント?……できるだけ頑張る!」
「じゃあさ、その日食べるものを写真撮って送ってみて?」
「あー……なるほど。てゆーかそれ、毎日いろはさんに連絡できる理由ができるとか最高じゃん。」
あからさまに顔がにこにこする竜司。表情がころころ変わる。
「え、理由ないと連絡できなかったの?」
「うん。なんか迷惑かなとか考えちゃってたから。」
「そんなことないよ。竜司君、私ね、ずっと誰にも言えなかったことがあって。今日、話したいなって思ってるんだけど、聞いてくれる?」
竜司は間髪入れずに返事をする。
「俺、いろはさんのことなら何でも知りたいよ。だから、何でも聞きたい。でも、無理してない?」
いろはは、少し伏し目がちになりながら目をゆっくり三秒程閉じて、竜司をまっすぐに見て微笑んだ。
「ありがとう。無理してないよ。でもね、ご飯には集中したいから、終わってからにしようかな。」
いろはがそう言うと、店員さんがランチを運んできた。
「お待たせ致しました。グラタンランチセットとハンバーグランチセットになります。」
いろはが頼んだグラタンは、えびをふんだんに使ったもので、マカロニと鶏肉、えびが濃厚なホワイトソースと絡めてあった。そして、その上にたっぷりのとろけるチーズと適量のパン粉がかかっており、それがオーブンでいい感じに焦げるまでしっかりと焼かれていた。控えめに言ってめちゃくちゃうまそうだ。俺、食えないけどね。
竜司の方は、冷めないように鉄板の上に置かれていて、肉汁が溢れでてきそうなほど柔らかそうにふくらんだ大きなハンバーグに、特製デミグラスソースがかかっていて、そのソースの中に様々な種類のきのこが入っていた。こっちもうまそうだ……。食えないけどね……。
運ばれてきた料理を見て、いろはは目を輝かせた。
「すごくおいしそうだね!」
両手を合わせて「いただきます」をする二人を微笑ましく横目に見て、僕は本気でおいしいものが食べられなくなってしまったこの体が悲しくなってきた。
さっきのケーキはすごく久しぶりに味を感じた。そういえば死んでからというもの、食べる必要がないという事実すら忘れていた。それほど、自分が死んでから余裕がなかったんだということに気づいた。
つーか、グラタン食いたいなー。ちょっとワガママ言ってみるかなぁ。
「おーい!!鬼畜天使ー!見てんだろー?返事しろよー。」
「ストーカーの賢太君のことなんて別に見ても面白くないので見てませんよー。僕はおやつを食べるのに忙しいのでそっちはそっちで楽しんでくださいねー。」
「いや、ちょっと待って。なんでこんなレスポンスはやいの?」
「……僕が有能な天使だからです。」
「なんだその間。絶対見てただろ!」
「賢太君の口からよだれがたれていたところなんて見えてないです。」
「……たらして……ねぇし?ぎりぎりだったけど。」
「いや、見えなかったかもしれませんが、たれてましたよ。」
「……やっぱり見てたんじゃん。えっち。」
「別に見たいわけじゃなくて、天使の仕事ですから。」
「えー。覗いてるの許すからさ、交換条件あんだけど。」
「許すも許さないもないんですが……できるかは別として、聞くだけなら聞いてあげますよー。」
「さっきの物理がどうこうのやつさ、ケーキ食ったじゃん?あれって、アベルが言ったからやったんじゃんな。人に言われてやったから、お試しってことでいいよね?」
「……またぶっとんでますね。何言ってるか分かりませんが、僕はあの時、ケーキを食べろなんて言ってないですよ。」
「いや、あの意味わからんタイミングでわざわざ出てきて、分かってますよね?とか言ってたじゃんか。あれはおまえの誘導だ。」
「ホントにわがままな魂ですね。僕は誘導なんてしてません。地獄堕ちときますか?」
「いや、今日が終わったら地獄に堕ちても構わねーけど、とりあえずおまえの指示でお試しってことでいいじゃん。だってさ、伝え忘れてたおまえが悪くね?」
「はぁ……もうこの人ホントにめんどくさいです。」
「天使とは思えぬ発言すぎてびっくり。でも譲らん。グラタン食わせろ。」
「そんなくだらない理由なんですかー?本当に賢太君はアホですね。」
「あほでいい!早く!食い終わっちまうじゃんか!」
「あーはいはい。もうこれ以上は無理ですからねー。次おねだりしてきたら、問答無用で地獄に堕としますからね。」
「りょ!さんきゅ!」
鬼畜天使との交渉に完全勝利し、いろはのグラタンもらおーっと……と思ったら、いろははうっとりした顔をしてグラタンを食べていた。しかも、あと少しで終わる。あー……これは食べたら悲しむなー。あの鬼畜天使、それすら計算してこのタイミングで許したんじゃねーか?くそ……あいつなら有りうる。
グラタンを食べることに対して諦めモードに入った僕は、とりあえず暇を持て余すことになった。
しばらくすると、昼食を食べ終わった二人は、運ばれてきたデザートのガトーショコラに舌鼓をうっていた。
「このガトーショコラ、甘すぎなくておいしいね。」
ん?そういえばいろは、さっきタルト食べてたな。二個目じゃん。
「確かに!いろはさんは甘いもの好きだよね。実は俺、三年くらい前にいろはさん見てるんだ。あ、ストーカーとかじゃないからね?」
「え!何それ!どこで?」
「いや、ほら……三年くらい前に、バイト先で何回か見てたんだ。かわいい人だなーって思ってた。」
「どこでバイトしてたの?」
「んー、ほら、『シャンス』って言えば分かりますか?」
「え……ほんとに?あのケーキ屋さん?おいしいからすごい通ったよ。Chanceって書いて、シャンスって読むんだよね?しばらくチャンスだと思ってた。」
「そうなんだよね。なんか、店主としては両方の意味を掛けてるみたいだよ。シャンスってのは、フランス語で『幸せ』。英語では、Chanceって『可能性』でしょ。だから、ケーキで人の幸せの可能性を広げていく、みたいな。」
「うわぁーすご!私、完全に幸せの可能性広げられてきてる。」
「あはは。俺、あそこで何年かバイトしてたんだ。いろはさんめっちゃ来てたでしょ?クリスマスらへんに彼氏と来てから、ぱったり来なくなっちゃったけど……。だから、会社でいろはさん見た時、マジか!!って思って、すごく嬉しかったんだ。」
「そっか……なんか恥ずかしいなぁ。」
いろはかわいいから覚えられてたのか。そして、竜司は知らなかったとはいえ、いろはの闇に触れてしまった。いろはの顔が曇る。僕のことを思い出しているんだろう。泣き出すかもしれないと、不安になったが、予想とは違った。下を向いて、一度深呼吸をしたいろはは、決意を込めた顔を上げて竜司を見つめた。




