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26.最後のデート

 そこは、見たことのある場所だった。大学の……中庭。僕がいろはを見つけた場所。

 ああ、あの事故現場じゃなくてよかった……と、僕は胸をなでおろした。

 いつものベンチに座って、やわらかそうな長い髪をなびかせて、いろははあの日のように本を読んでいた。僕はゆっくり近付いて、隣に腰かけた。

「サンタクロースって信じてますか?」

 いろはは弾かれたように、目を丸くして顔を上げた。

「賢太君……」

 端正な顔には驚きが張り付き、みるみる涙が溜まっていった。

「いろはが泣き虫だから会いに来たよ。」

 微笑みながらそう言うと、いろはは僕の顔を見つめ、呆然としている。

「ほら、何か言いたいことあるんだろ?なんだって聞いてやるから言ってみな?」

 その言葉を皮切りにして、いろはが僕にしがみつく。しばらく抱きついたまま、涙を流してしゃくりあげていた。

 背中を優しくさすりながら、声をかける。

「大丈夫。俺はここにいるよ。ゆっくりでいい。いろはの気持ち、聞かせてよ。」

 深呼吸を繰り返し、感情を落ち着けようとするいろは。しゃくりあげが落ち着くと、ぽつりぽつりと話し始めた。

「賢太君……賢太君……会いたかったよ。なんで……なんで私なんかかばったの……。」

「いろはのことが大好きだから。」

「なんでよ……なんで死んじゃうの……」

「うん、ごめんな。」

「やだよ……行かないでよ。」

「急にいなくなるなんて……ホント最低だよな。ごめん。」

 しがみついて離れない、いろはの頭をなでながら答えた。夢の中でありながら、触れることができるということが、僕にとって何よりも嬉しかった。

「なんで会いに来てくれなかったの……」

「ずーっといろはのそばにいたよ。」

「なんでよ……」

「大好きでたまらなくて、死んでからも守りたかったから。」

「……そんなの反則だよ。」

「うん、分かってる。ごめんな。」

「ずっと忘れられなくて……」

「泣き虫ないろは見てたら、いじめたくなって帰ってきたんだよ。」

「いじわる……」

 いろはが僕にしがみつく腕に、力がこもった。

「それも知ってる。」

「帰ってきてよ……」

「はは……それはできない。ごめんな。今日は、いろはと最後にちゃんと話したくて。無理やり夢の中に来たんだ。」

 そんなことができたとしたら、とっくにやってるよ。僕は、君のことが恋しくてたまらないんだから……

「最後って……やだよ。」

 顔を上げて、上目遣いをしながら僕の顔を見るいろは。なんて破壊力だ。なんでもお願いを叶えてあげたくなってしまう。

「いろは泣き虫なんだもん。この季節がくると俺のことでずーっと。だから、決めたんだ。俺はもういろはのそばに行かない。」

「……もう泣かないから。」

「んーん。いろは、ちゃんともう好きな人いるだろ。」

「そんなの……」

「いるよ。俺のこと考えて踏み出せないだけ。あいつ、いいやつだよ。」

「なんでそんなこと言うの……」

「俺はさ……いろはに幸せになってほしいんだ。俺のこと、背負わなくていい。忘れてほしいなんて言えないけど、俺との思い出は、悲しいことじゃなくて、幸せだったことを思い出してほしいんだよ。」

「だって私のせいだもん……」

「ちがうよ?俺がいろはを守りたかったの。だから俺は満足。」

 この言葉に嘘はない。

「賢太君……」

「明日だけは、近くでいろはのこと見てる。だから、ちゃんと素直になれよ。」

「……そんなの、無理だよ。」

「無理なんてことないよ。おまえは世界一かわいいから。幸せにならなかったら、今度は俺がおまえを呪う。」

「ふ……なにそれ。甘々じゃん。なのに呪うって……矛盾しすぎ!」

「やっと笑った。笑って過ごせ。笑ってるとこがかわいい。」

「かわいいとか知ってるし。」

「うん、ホントにくっそかわいい。」

 大きく頷く僕。

「やめてよ!冗談だよ!」

 急に耳まで赤くなるいろは。いじわるをしたくなってとぼける僕。

「ん?何が冗談かちょっとよくわかんないけど、俺はずっといろはの味方だよ。俺に遠慮して幸せ逃すことは許さないからね。」

「……分かった。」

 泣いているのに笑っているいろは。ほんと好きだ。まだまだ一緒にいたいけど、伝えたいことは伝えた。

「ねぇいろは。最後のデートしよう。」

「……うん。手、繋ぎたい。」

「当たり前だろ。」

 控えめに手を差し出してくるいろは。あのころと同じ小さな手を優しく取り、指を絡ませる。時間はあと半分くらい……か。

「仕事、楽しい?」

「うーん……楽しいけど、よく怒られる。パワハラだよ、あれ。」

「ははっ。怒られるようなことしたん?」

「してないよ!なんかね、いちいち分かってること言ってくるからちょっとムカってしちゃって……生意気な口をききました。」

「で、反省したの?」

「……うん。」

「お風呂で?」

「……うん。」

「ぷはっ!変わんないなー。でも、いろはのそういうとこも含めてかわいいなって思う。」

「なにいきなり!最後とか言うくせに、たぶらかしてくる!悪い男だ……」

「だってそれ、不可抗力じゃんか。でもホント、俺はおまえに一目ぼれしてたんだよ。」

「んんー……またそういうこと言う。こっちの気持ちも知らないで……」

「あー……賢太君かっこよすぎて惚れ直しちゃう。どうしようってこと?」

 わざと少し高い声を出して、いろはの声マネをしておどけてみせた。

「ちがう!!なんなの!もう!!」

「いや、でも俺はいろはがかわいくて仕方ないけどね?」

「もー!!またそういうこと普通に言う!」

「じゃあかわいいって言うのやめようか?」

「え、それはやだ。」

「だよね。知ってる。」

「ホントやだ。でも好き。」

「それも知ってる。」

「あーもう調子狂うなぁ。賢太君のこと私がもっと引きずってもいいの?」

「引きずってほしくはないけど、俺がいろはを思うように、いろはが俺を思っていてくれるのは嬉しいよ。」

「何このイケメン。」

「それが俺だからね。」

「ふっふふふふふ。賢太君変わらないね。でも、もう私の方が年上じゃん。」

「そうだなー……俺、文字通り永遠の二十歳だかんな。」

「全然笑えないんだけど。いなくなんな!ばか!」

「返す言葉もございません。でも、俺は今でもいろはが好きだよ。」

「急にデレるのやめてよ!テンションの置き方に戸惑う!」

「ん?照れてんの?」

「照れてない!」

「ホントは?」

「……ちょっと照れた。」

「素直でよろしい。」

「なんかホント……かなわないなぁ……」

 いつもと同じノリで会話をして、大学に飾りつけられたクリスマスツリーの前に移動して、僕は立ち止まる。その時、ちょうど頭の中のタイマーがあと三分であることを告げた。名残惜しいけど、そろそろ……。

 僕は、いろはの両手をとった。

「いろは……俺、君に会えてよかった。」

「何?急に。」

「今日、俺はこれが言いたかったんだよ。」

「……うん。ありがとう。でもそれは、私も同じだよ。」

「いろははさ、強がりで不器用で照れ屋で泣き虫で……ほっとけないんだよな。」

「何それ。なんかひどくない?」

 不満そうにしているいろはを抱き寄せて、その先を続ける。

「でも、めっちゃかわいい笑顔とか、強がりなのに強がった後にちゃんと反省するとことか、俺を甘やかしてくれるとことか、努力家なところとか、まっすぐに向き合ってくれるところとか……俺にはないものたくさん持ってて、いつも眩しかった。だからさ、俺はいろはの彼氏のまま死ねて、大好きな人を守れて幸せだったんだぞ。」

「賢太君……」

「俺さ、もしもいろはに会えたら、絶対にこれだけは言いたかった。俺の彼女でいてくれてありがとうって……ずっと伝えたかったんだ。俺の幸せは、いろはが幸せであることだから。それだけは絶対に忘れないで?だからさ、俺の分までたくさん笑って、幸せになってよ。」

 僕はうまく笑えているだろうか。いろははまた涙をいっぱいに溜めながら僕の腕の中で顔をあげた。

「賢太君……ありがとう。」

「当たり前のことしか言ってねーよ。でもな、実は俺、もう行かないといけないんだ。」

「え……」

 いろはの顔に絶望が広がった。

「ごめん……時間……制限あるから。無理言ってワガママ叶えてもらったんだ。これは、いろはの夢の中だけど、夢だと思わないでほしい。」

「やだ……行かないで。」

「……俺だって行きたくないよ。でも、もう泣き虫なおまえを見てたくない。泣き虫は嫌いだ。だからさ……」

 声が詰まってしまう。この先の言葉を、僕は言いたくない。言わなければと思うと、涙がこみあげてきて、我慢しようとすると鼻がつんとする。

「……だから?」

 首を傾げたいろはが、不安そうに僕の顔を覗き込もうとする。とっさに肩をつかんで、少し体を離した。目を見たら言えないと思った僕は、そのままいろはに背中を向けて、深呼吸した。

「だから……別れよう。」

 少しの静寂の後、いろはが僕の背中に抱きついて訴える。

「なんで……そんなこと言うの?」

「大好きだけど、愛想が尽きた!だから明日で終わりにする。俺にやきもちやかせるくらい、ちゃんと向き合ってこい。」

「……」

 僕は腰のあたりを抱きしめているいろはの両手をつかんで振り向く。一度ぎゅっと抱きしめた後微笑んで、うつむいたいろはをもう一度抱きしめた。そして耳元でささやく。

「俺はおまえのサンタクロースだから……クリスマスイヴ、プレゼントを贈るよ。おまえが、クリスマスを笑顔で過ごせるように。大好きだった。じゃあな……」

 離れたくない。別れたくもない。でも、幸せにできるのは僕じゃない。悔しい。

 いろはの小さな体を抱きしめる腕に、力がこもってしまいそうだ。いろんな感情があふれて、必死で堪えていた涙がこみ上げてくる。いろはに気付かれないように頬を寄せて、頭の中で「離脱」を唱える。僕の意識は、いろはを夢の中に残したまま現世に戻っていった。

「賢太君……」

 いろはは寝言で僕の名をつぶやき、涙を流して目を開けた。もう僕の姿は見えないらしい。

「ばか。賢太君のばか。別れようとか……全部私のためじゃん。ほんと……」

 少し泣いたいろはは、再び、今度は僕のいない夢の世界に堕ちていった。

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