24.神との約束
その空間は、不思議という言葉でしか言い表せなかった。空間いっぱいに、大きなシャボン玉のような、虹色に輝く球体がたくさん浮いていた。物珍しさと、幻想的な美しさに目を奪われて、シャボン玉の中を凝視してみる。
そこには、誰かが見ている景色のようなものが写真として切り取られたように映り込んでいて、時間が経つと新しい場面に更新されていった。シャボン玉の形をしたデジタルフォトフレームのようだ。人の人生や動物の生き様を見ているような、不思議な感覚に包まれる。
「ふむ……面会を希望していたやつとは、おぬしか?」
突然背後からした声に心臓が跳ね上がり、振り返る。ついさっきまではなかったはずなのに、大きくて立派な装飾が施された椅子が存在していた。そしてそこには、この世のものとは思えないほど綺麗な女性が座っていた。純白の下地に金色の菊をあしらえた美しい着物を身にまとい、長い黒髪を黄金のかんざしでまとめていた。
その目はぱっちりとした二重で、長いまつ毛が並んでいた。鼻筋が通っているはっきりした顔立ち。透き通る白い肌。血色のいい唇は程よく厚みがあって……もう、「美しい」の一言だった。「神様」というパワーワードだけで、白い髭を生やしたおじいさんを想像していた僕は、あまりの美しさと想像とのギャップに驚きすぎて、声が出なかった。
「何とか言わんか。」
我に返り、あわてて返事をする。
「大変失礼致しました。美しすぎて、見とれてしまっていました。」
神は口元を扇で隠すようにして、妖艶に笑った。
「ふふ……、悪い気はせぬな。そなたのほめ言葉、素直に受け取っておこう。」
「ありがとうございます。本日は僕のワガママを聞いていただき、重ねてお礼を言わせてください。僕の名は……」
そこまで口に出すと、神は右手をあげて僕の言葉を飲み込ませる。
「うむ。名前は知っておる。三井賢太であろう。して、何の用じゃ。」
僕なんかの名前を覚えてもらっていることに感動したが、それを表情に出さないようにして続ける。
「僕は……お願いがあって参りました。」
「ふむ……叶うものかどうかは別として、言うてみるがよい。」
「ありがとうございます。僕は、大切な女性を置いて天国に来てしまいました。僕のせいで彼女はずっと苦しんでいて……一度だけ話をさせてほしいんです……」
今の胸の内を正直に話そうと思った。
「おまえの境遇は知っておる。だが、それはできん。幽体となった者が現世とつながることは危険だ。おまえ自身もその未練から、現世に縛りつけられてしまい、地縛霊となってしまうだろうよ。」
予想通りの答えが返ってきた。そんな簡単にいろはと話せるなんて思ってない。ここからだ。一度、深く深呼吸をして、目を閉じる。感情的になりすぎるな。
「現実じゃなくていい……です。夢の中でいい。もう僕のことは忘れていいって伝えたいんです……」
感情的にならないようにと、自分に言い聞かせたのに、いつの間にか涙がこぼれ落ちていた。
「夢の中か……ならばできないこともないが、それを本気にとる人間は少なかろうよ。それでも良いと言うのか?」
「それでもいい……です。僕はもうあの子が僕を思って泣くところを見たくない……です。本当は全部を忘れてほしいわけじゃない……でも、辛いことは忘れて……あの子には絶対に幸せになってほしい……です。」
僕の心の痛みは消えなくても、いろはの幸せは願える。大丈夫。
「よかろう。一度だけ、夢の中で会わせてやろう。しかし、条件がある。おまえはその後、この女のそばにいることを禁ずる。おまえの魂は現世に行く度に、どんどん縛りつけられておるからな。地縛霊になりかけておる。まぁ妾も鬼ではない。年に一度だけなら会いに行って構わんぞ。」
その条件は、僕にとって身を切られるようなものだった。いろはの近くにいたい、見届けたい……それが僕の望みだったから。それでも、選択肢は一つしかなかった。
「分かりました。それでもいいです。それなら、僕が死んだクリスマスイヴの日、その日だけは毎年、いろはのそばにいさせてください。」
「よかろう。おまえの一途な気持ち、受け取った。とりあえず、もしもこれから一ヶ月間、現世に降りずに過ごすことができたなら、その褒美として十二月二十三日、おまえが現世に行ける前日に、夢で会わせてやろう。おまえはその日の夜、いろはとやらの枕元に立つのじゃ。そしたら、夢の中に入れるようにしてやろう。ただ、人の夢に入れるのは、十五分だけじゃ。それ以上入り込むと、その人の人格は壊れ、おまえも消滅する。」
ん……こわ。なにそれ。でも、そんなことよりもいろはに会いたい。会って、ちゃんと伝えたい。
「承知しました。本当に……ありがとうございます。」
「他に何もないなら、もう行くがよいぞ。」
「最後にもう一つだけ……」
僕は、もう一つだけ、あわよくば、と思っていたことを口にした。
「はっはっは。なるほど。おまえ、欲張りじゃな。まあ、それくらいなら簡単じゃ。おまえの一途さと人助けをした褒美として、そちらも叶えてやるとしよう。」
美しい神の爆笑に少し驚きつつも、寛大な神の配慮に心から感謝した。
「僕は、人助けどころか不幸にさせちゃってます……でも、本当にありがとうございます。最後にもう一つ、失礼を承知でお聞きしてもよろしいでしょうか。」
神は興味深そうに僕を見た。
「なんじゃ。言うてみい。」
「僕は生前、柑梨という名のダックスフントを飼っていました。僕が地上で命を落とす少し前に、こちらに来たと思うのですが……」
「ふむ、それで?」
「どこを探しても、いないんです。柑梨はどこにいるのか……神様ならばご存知かと思いまして……」
神は少しだけ逡巡した様子を見せ、やがて答えた。
「残念だが、妾も全ての死人や動物について把握しているわけではない。すまぬな。」
「そう……ですか……僕がこちらに来たことを柑梨は知らないのでしょうか……」
「それはないぞ。先に死んだ者たちは、近しい者に死が訪れた際には分かるようになっている。迎えに行く者や、現世に追い返そうとする者、見守る者などは様々だがな。」
「そう……ですか……そういえば、ここに完全に来る前に、柑梨の姿を見た気がします。夢だと思っていたけど……」
「そうじゃな……そこはおまえの潜在意識下だから確証はないが、柑梨とやらが死にゆこうとするおまえに会いに行ったのかもしれんな。心配せずとも、そう遠くない未来に会えるかもしれんぞ」
神はいたずらっぽい笑みを僕に向けた。
その言葉に、心が軽くなった。柑梨に会いたい。会えたら、柑梨にも伝えたいことがたくさんあるんだ。
「ありがとうございます。」
「良い顔つきになったのう。おまえのように、誰かのために動ける心をもつ人間は多くない。誇るが良いぞ。」
「数々の無礼、申し訳ありませんでした。」
「かまわんかまわん。緊張して見とれておったわりには、自分の気持ちに正直に話せておったのう」
「いや、実は、神と聞いた時に白髪で、白い髭がふさふさのおじいさんを想像していたので……若い美しい女性の方で、更に見たことないくらいの美人だったので、目が離せなくて……」
「はっはっは。なるほどのう。ときに、もしかして今の言葉は『なんぱ』というものか?」
少しテンションが上がった感じで神が聞いてくる。
「いや、とんでもない。僕が神様を彼女にしようとするわけがないじゃないですか!恐れ多すぎる!」
「なんじゃ。口説かんのか。それはつまらんのう。」
「え、神様、もしかしてナンパされたかったんですか?」
「現世への憧れというやつじゃ。妾を口説くやつなぞ、先程おまえが言っていたような、白髪に白髭のじじいばかりだからな」
「神の世界では、やはりおじいちゃんが多いんですね。そして、美しすぎるも大変そうですね……」
「そうなのじゃ。だから今日はおまえと話ができて楽しかったぞ。他に会いに来る魂もおるが、みんな緊張して事務的なことしか言わんからな」
「そりゃ緊張しますよね……綺麗すぎるんですもん。かわいい、じゃなくて、美しいの代名詞って感じします。威圧感あるし。さて、そろそろ僕もお暇させていただきます。お忙しい中、無理を言ってしまいすみませんでした」
「もう行くのか。おまえとの対話は退屈しなかった。また来てもよいぞ。気が向いたら、門をまた開いてやろう」
神が左手を向けると、僕のすぐ後ろにあの門が現れた。門をくぐる前に、神に向かって深々と一礼した。
天界に戻ってきた時、門番にもお礼を伝えた。しつこすぎて、もう来るなと言われたのは内緒だ。まぁ、神様からはまた来ていいと言われたし、気にしないことにしよう。
十二月二十三日まで、あと一ヶ月。最初で最後の、僕が死んでからのデート。十五分だけでも、いろはを独占できる。嬉しい。現世に降りなくても、空からいろはを探して、見ることはできる。声は聞こえないし、近くに行くことはできないけど、それでも頑張ろうと思えた。




