21.優しいワガママ
「賢太君、地上のことは気にならないんですか?」
天使は、よく僕のところへ来てゆっくりしていく。こいつ、仕事とか言いながらヒマなんじゃないだろうか、と僕はにらんでいる。
「あー、それは気になるよ。でも、少しだけ距離を置かないと、自分がきつくてな。」
「死んだことよりもきついなんてことあるんですか?」
「無力さ……とかな。」
「そうですか。でも、いろはちゃんや家族は賢太君に見守っててもらいたいし、そばにいてほしいと思いますよ。」
「確かに僕も、柑梨がいなくなった時、そばにいてほしいって思ってた。」
天使が、きょとんとしながらこちらを見ていた。
「なんだよ。」
「いや、だって賢太君、自分はそう思っていたくせに大切な人たちが苦しい時に少しもそばに行こうとしないなんて、チキンだなと思いまして。」
「……喧嘩売ってる?」
「おぶらあとに包めない、素直な天使なんです。」
「天界でもオブラートなんてあんの?」
「いや、最近仲良くなったおじいさんに教えてもらいました。」
「じいさんか……大往生だな。うらやましいぜ。」
「ないものねだりですね……」
「くっ……はぁ……でも、おまえの言う通りなんだよな。僕はチキンだ。」
「おっしゃる通りです。ばっちり自信もってください。」
「もてねぇよ!」
「きゃきゃきゃ。でもね、賢太君。何もできなかったとしても、そばにいることで満たされる何かもあるんですよ。」
「分かったように言いやがって……」
「僕も天使になる前は、大切な人のそばにいつもいましたから。」
「そうか……悪い。」
「大丈夫です。今は賢太君をからかうのが楽しいので!」
「そんなとこに楽しさ感じるんじゃねぇよ、まったく……でも、ありがとな。」
天使の言葉で、腹がくくれた。会いに行こう。
「ストーカー生活の始まりですね!」
キラキラとしているのに、からかうような目で僕を見ている。
「おまえ、天使のくせにマジでふざけてるよな。」
「失敬な。僕は至って真面目な天使です。」
「はいはい。」
優しいんだか失礼なんだか分からないこの天使とのやり取りは、だんだんお約束のようになっていった。
久しぶりに地上に降り立った僕は、いろはを探した。年末年始の休日も過ぎ、大学は始まっていた。いつも一緒に過ごしていた中庭に僕は降り立った。いろはの姿を探すが、見当たらなかった。まさかと思い、いろはの家に向かう。
ドアを開ける必要はないので、少し気持ち悪いが、すり抜けた。
「おじゃましまーす……」
なんとなく、悪いことをしているような気になってきたので、誰にも聞こえないことは分かっていても呟いておくことにした
いろはは、そこにいた。ベッドの上にうずくまり、毛布をかぶっていた。こんなん、ダメだよ。ちゃんと外でないと。もしかして、ずっとこうやって過ごしていたのだろうか。
「ごめん。」
そんな言葉しか出てこない自分が嫌になる。やっぱり、何もできない。絶望を感じながら、せめていろはの傍に行こうと歩き始めたその時だった。
『ピンポーン』
チャイムが鳴った。それと同時に、誰にも見えないはずなのになんとなく隠れる僕。チャイムが鳴っても、いろはは動こうとしなかった。
「いろはちゃん。いるんでしょ?開けて。」
聞き覚えのある声が聞こえた。いろはは、はっと顔を上げてドアに向かう。
「すみません……」
蚊の鳴くような声で、いろはが声を出し、鍵をあける。
「ありがとう。」
そこには、僕の母が立っていた。
「どうして……」
「お通夜のお香典。住所書いてあるでしょ。いろはちゃんのこと、心配だったから来ちゃった。急にごめんね。大学、ちゃんと行っていて留守だったら、そのまま寄らずに帰ろうと思ってたんだけど……」
「ごめんなさい……」
「謝らなくていいの。少しだけ、お邪魔してもいい?」
「はい……」
母はいろはの家にあがり、カーテンと窓を開ける。いろはが何も言わないのをいいことに、勝手に部屋の空気を入れ替えようとしている。
「いろはちゃん、今日ずーっとここにいたでしょ?」
ベッドを指さして、母はいろはを見る。
「はい……今日は学校に行こうって思ったんですが、なんだか、外に出るのが怖くなっちゃって……」
いろはは、うつむいて答えた。
「いろはちゃん、座って?」
母の家ではないのに、なぜか主導権は母にあった。
「はい……」
大人しく座ったいろは。
「いろはちゃん、実はね、少し前に、柑梨が夢に出てきたの。」
「え……柑梨ちゃんが……?」
「そう。それで、犬なのにしゃべってね。こう言うの。『ママ、いろはちゃんが元気ないよ。賢太が知ったら、きっと悲しむ。助けてあげて。』って。」
「……。」
いろはは、一瞬顔を上げて、何かを言いたそうな表情をしたが、目を閉じて口を噤んでいた。
「信じられないよね……私もね、夢だと思ってたの。でも、そこから毎日、柑梨は同じことを言いに来たの。それで、今日ここに来てみたら、いろはちゃんがいたの。」
「私は、大丈夫ですよ……。賢太君がいなくなってしまったのは……私の責任なのに……責められてもおかしくないのに……これ以上お母さんたちに迷惑をかけるなんてできません……」
懸命に、こぼれ落ちそうな涙を目に溜めて、首を何度も横に振りながらいろはは訴えた。
「違うよ。迷惑とかじゃないの。賢太がいなくなったこと、私もね、本当につらい。もうあの子の憎まれ口が聞けないのかとか……小さい頃の記憶とか……毎日たくさん思い出すの。」
母の目も潤んでいき、やがて、いろはを正面から抱きしめた。
「いろはちゃん。それでもね、前向かなきゃダメ。やることをきちんとやって、学校行って、ご飯食べて、ちゃんと寝るの。たくさんは寝れなくても、寝るの。賢太と出会った学校だから、思い出がたくさんあってつらいかもしれない。外に出ると、あの日のことがフラッシュバックしちゃうかもしれない。それでも、いろはちゃんは賢太の分もちゃんと生きるの。」
「何も……頑張れないんです……」
やっとのことで、絞り出したその一言は、今のいろはの全てだったのだろう。
「大丈夫。一人じゃないよ。賢太がいなくなっても、私たちはいろはちゃんを家族だと思ってる。賢太のことを思い出して苦しくなった時……思い出は2人だけのものだとしてもね、その気持ちはちゃんと共有してあげられる。」
「……はい……ごめんなさい……私……こんなに嬉しいのに……もう……涙……止まらないです……」
「いいの。1人でいると、いろんなこと考えちゃって疲れたでしょ……今日はたくさん甘えてたくさん泣きなさい。」
僕の母にしがみついて、思い切り泣いたいろはは、泣き疲れたのだろうか……母に抱きとめられたまま眠ってしまったようだ。
「賢太……あんた、いるんでしょ。」
「あ、はい。」
思わず、返事をしてしまった。
「なんて……いても聞こえるわけないよね。こんなかわいい子をたくさん泣かせて……あんたはホントに大バカ者だよ。」
僕が見えているわけではないのか……と、ほっとした気持ちと残念な気持ちが半々になる。
確かに、僕は大バカだよ。でも、僕だって生きたかったよ。母さん。
「でも、私はこの子を守ったあんたのこと、自慢の息子だって思ってる。いろはちゃんが大学行って、仕事に就いて……ちゃんと1人で立てるまで、見届けるからね。」
母はその日、眠ってしまったいろはのために、夕飯を作ってくれていた。目を覚ましたいろはが慌てふためいていたが、動じることなく顔に穴があくほど見つめて、
「顔色良くなったね!私、明日は仕事お休みだから、今日は近くのホテルにでも泊まろうかしら。」
とか言い出した。それを聞いたいろはは、
「ホテルに泊まるくらいなら、何もないですがここに泊まっていってください。」
と、提案した。母は、待ってましたとばかりに喜んで、提案に乗る。絶対泊めてもらうって確信してたな、これ。
「でも、湯河原の方のおうちは大丈夫なんですか?」
といういろはの質問に、余裕そうに答えた。
「ふふ……実は、あかりはあー見えて、うちの天才シェフなのよね。私より料理うまくてね。だから夕飯はあかりが作ってくれる日も多いのよ。」
「え、そうなんですか?すごい!あかりちゃんの料理も食べてみたいなぁ……」
「あんなに一日中パジャマで過ごすような子だし、そんなふうに全然見えないでしょ?あ、じゃあ明日は金曜日だし、いろはちゃんの授業終わったら一緒にうち行こうか。」
うまい。自然と大学に行く流れにしつつ、誘うとは。我が親ながら、めちゃくちゃすごくないか?
「え、いいんですか?」
しかも、食いついた!
「もちろん。我が家はいついろはちゃんが来ても大歓迎。賢太がいる時にも言ったでしょ。賢太がいなくてもおいでって。あれ、本気だったのに。覚えてない?」
「ふふ……ちゃんと覚えてます。言ってもらえて嬉しかったので。」
「それなら良かった!あと、1つだけお願いがあるんだけど……」
「なんですか?」
「賢太といろはちゃんが通ってた学校。入学式で体育館にしか行ったことないから、見てみたいの。さすがに授業も受けたいなんてワガママは言わないから……ダメかしら?」
「そんなことで良いんですか?たぶん授業も、受けても大丈夫ですよ?」
いろはは、キョトンとしていた。僕は、いろはの反応に驚いた。このお願いを叶えるためには、間違いなくいろはは大学に行かなければならない。もっとためらうかと思っていた。
「え、いいの?やったー!私、美容師だから専門学校だったのよね。キャンパスライフって憧れだったの!」
「美容師カッコイイです!いつか私の髪も切ってほしいです。」
「そんなのいつでもいいわよ!」
「嬉しいー!」
え、なんか盛り上がってる。最初の暗い感じ、どこいったんだろう。確かに、母さんの明るさは、周りにも影響するんだよな……。
「私、明日1、2限なので、9時から授業になります。ここから、歩いて20分かからないくらいなので、明日は8時40分に出る感じでも良いですか?」
「全然大丈夫!えー楽しみー!いろはちゃん、学食も行ってみたい!」
「はい!行きましょ!1時間目は大教室での授業なので、隣で受けちゃってください。もしそれで飽きたら、2時間目は図書館で待っていてもらえたら、退屈しないかもしれません!」
「大学って1時間何分なんだっけ?」
「90分ですね……長いですよね……」
「長いよね……でも、そのへんは専門学校と同じ時間なのね。」
テンション高めに明日の話で盛り上がりながら、母といろはの夜は更けていった。
次の日、朝から2人で大学に行き、授業を隣で受けていた。母は、終始テンションが高くて、笑ってしまいそうになる。それにしても、いろはが外に出てちゃんと学校に行っていることが嬉しくてたまらない。
1限が終わると、母は授業に飽きたらしく、いろはの授業が終わるまで、構内を少し散策してから図書館で本を読んでいる……という流れになったらしい。いろはは図書館まで送ると言ったが、授業に遅れないように行きなさいと、母がそれを断っていた。2限の教室に向かういろはの背中を見送っていた母から、独り言が漏れた。
「よかった……まずは一歩だね……」
段階を踏みながら、いろはの様子を見ていたのかもしれない。1限は母のワガママに付き合う形で一緒に……2限は1人でも受けられるように……と。僕なんかよりよっぽどうまく見守っている。
母は構内の様々なものに興味を示しながら散策し、大学ショップにたどり着いた。大学内で、文具や事務用品、学校オリジナルグッズの販売をしている店だった。気になったらしく、いろいろなものに手を伸ばしていた。
「この付せん、かわいい!あかりに買っていってあげようかしら。あ、いろはちゃんにもおそろいでー……パパはいっか。あ!あの筆箱は賢太に……って……あーあ……またやっちゃった。」
はしゃいでいた母の顔が曇る。母も、僕をまだ当たり前のように思ってくれていることに嬉しさと申し訳なさを感じた。
「あ、いいのか。仏壇にあげとこう。」
なんでやねん!
思わずつっこんでしまったが、ぶっとんでいる思考に驚いた。そして、感謝の気持ちでいっぱいになった。
母に任せておこうと判断した僕は、一度天界に戻ることにした。
そして、その日を境に、いろはは大学にきちんと通うようになった。
僕は、その様子を覗き穴から見て、何度も母と柑梨に感謝を伝えた。




