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19.会場

「賢太君、賢太君……大丈夫ですか?」

 天使が僕の頬をぺしぺしと叩いているのに気付き、はっとする。それと同時に、さっき僕はいろはに触れられなかったのに、天使には頬を叩かれたという事実に、少し驚いた。

「あ……うん。一周まわって、少し冷静になれたかもしれない。」

 それでも、心の痛みは取れないけれど。

「そうですか……良かったです。」

 眉をへの字にして、少し悲しそうな顔をして天使が言った。

「それで、えっと……君は、僕をどうしようとしてるんだ?」

 天使という存在といえば、神様がいる場所に連れていかれるイメージがある。

「ん?待てよ?もしかして、悪魔じゃなくて天使が迎えに来たってことは、僕って天国行ける感じ?」

「はい。今のところ、そうですね。僕は、賢太君を天界に連れていく役目を神様からもらっています。それから、賢太君は他人の命を救ったという、とても徳の高い魂として迎えられます。」

「へ?徳?他人って言っても、死ぬほど好きな子だから……自己満足だよ。」

「それでも、人の命を助けたことに変わりはないのです。もしかしたら、神様と直接お会いできたり、お願いを聞いてもらえたりするかもしれないですよ。……まぁ、生き返らせてってお願いは、世界そのものを歪めることになるので無理ですけど。」

「なんだよ……期待させんなよ。」

 せっかく天使が説明をしてくれてはいるが、生き返ることはできないと聞いて興味はなくなった。神様と会うことに、何のメリットがあるのかも分からない。

「それで、賢太君はこの後どうしますか?お通夜、見てから行きますか?」

「あの姿……もっかい見るの……きついな。でも、少しでもそばにいたい……すげー心配だ。このまま見ないで行ったら、たぶん僕は後悔する……」

「わかりました。じゃあ、行きましょう、」

 僕たちは、いろはたちが去っていった方向に向かった。

 

 

 お通夜の会場に着く前に、ゆっくり歩いていた2人を見つけた。あかりに肩を借りながら歩いていたいろはは、少し落ち着いて自分で立って歩いていた。

 会場に足を踏み入れると、ホールの電光掲示板に『三井家 通夜会場 3F』と表示されていた。複雑な気分だ。

 いろはたちが乗ったエレベーターに身を投じて、会場のある階に向かった。明るいところでいろはの顔を見ると、泣き腫らした様子で目が真っ赤に腫れていた。そこに気づいたことで、更に僕の心は締め付けられた。

 エレベーターが開くと、和服に身を包んだ母と、スーツ姿の父が立っていた。母は、少しやつれただろうか。扉が開くと同時に、いろはの姿を見つけ、駆け寄った。

「いろはちゃん……来てくれたのね。」

 そう言って、いろはを抱きしめた。母の行動にいろはは困惑し、また涙を流し、何度も何度も謝罪の言葉を口にする。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 母にしがみつくようにして、小さな子供のように泣くいろは。その震える背中を優しくさすりながら、

「いろはちゃんが無事でよかった……」

 母も、涙を流しながらそう答えた。

「賢太君は……私をかばって……」

「うん……わかってるよ。」

「なんで……どうして責めないんですか……あかりちゃんも……お母さんも……お父さんだって……」

「もちろん……最初は……死んだなんて信じられなくてね……なんで賢太だけ……って思ったかな……それでも……私の息子は……世界一大好きな人を……守れたんだって……誇りに思えた。だからいろはちゃん……生きていてくれてありがとうね。自分のせいだ、とか……思っちゃダメだよ。」

 涙声になりながら、まっすぐいろはを受け止め、気持ちを伝える母。すげー人だ。明るくてお茶目で、いつも僕に対して塩対応されたけど、この人の子供として生まれてきたことに、心から感謝した。

 その場に崩れて座り込みそうになるいろはを、あかりと母で挟んで支え、親族控え室と書かれた部屋まで連れていった。通夜までまだ少し時間があるからだろう。

 僕は、背中を見送ってから通夜の会場を覗いた。そこには、父だけが座っていた。いろはを母とあかりに任せ、会場の最前列に座っていた。

「賢太……」

 普段は寡黙で一人言を言うところなどあまり見たことがない父。僕の体が横たわっている棺に向かって、語りかけていた。自分の体を上から見下ろした僕。このまま、中に戻れたらいいのに……。

「ごめんな。苦しかったな。」

 父に謝られるようなことなんて、少しもない。

「代わってやりたかった。」

 それは違う。僕は僕の意志でこうなったんだよ。

「柑梨と、会えてるのか?」

 まだ会えてないよ。でも、すごく会いたい。

「お前がこんな勇敢だと思わなかった。」

 ありがとう父さん。

 父は不意に立ち上がって、棺に近づく。

「それでも……俺は……お前に……帰ってきてほしかったよ……」

 棺は、顔の部分だけ開いている。通夜で花を入れるためだろうか。そう言いながら父は、幼い子供を見るような優しい目で僕を見る。そして、眉間に皺を寄せて……何かを堪えるような顔をして僕の額をなでた。

「……冷たい……な……賢太……賢太……」

 誰もいない会場で、ただ静かに、大の男が肩を震わせて大粒の涙をこぼした。

 ごめん……父さん……。

 柑梨が虹の橋を渡り、見送った時、家族の前にいた父は僕たちの肩を抱いて、支えてくれていた。

 もしかしたら、あの時もこの人はこうやって僕らがいない場所で、1人で泣いていたのかもしれない。やはり父は『大黒柱』だ。

「天使……ごめん。僕、もうこのまま見ていられない……かもしれない。」

「そろそろ……天界に行きますか?」

「行ったら……ここにはもう戻ることはできないのか?」

 疑問に思っていたことを天使に投げかけた。

「大丈夫です。賢太君は天国に行くので、天界での手続きさえ終わってしまえばですが、降りてこようと思えば、来れますよ。今日みたいに触れることなどはできませんが……」

「そうか……分かった……それからもう1つ質問があるんだけど……」

「なんですか?」

「柑梨っていう、犬に……会いたい。」

 天使の表情が曇った。

「……それは、まだできません。」

「そっか……」

「賢太君の探している柑梨……ちゃんの魂が、犬のままあり続けているという保証はないのです。」

「そっか……もし見つけたら……会わせてほしい……」

「そう……ですね……」

 柑梨がいれば……という思いはあるものの、簡単にうまくいくことなんてないんだと、更に胸が締め付けられた。

 これ以上ここにいてしまうと、僕の心がどうにかなってしまいそうだった。

 僕は、心を落ち着けるために、この世界をあとにした。

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