18.混乱
夢を見た気がした。美しい草原には、見たことがない花がたくさん咲いていた。きれいな川が流れていて、橋がかかっていた。向こう岸から呼ばれているような気がして……橋に足をかけると、
「賢太君!いかないで!」
いろはの叫び声が聞こえた。辺りを見回すが、いろはの姿はない。空耳だったのかと思い、もう一度橋の対岸に目を向けた。
「賢太……こっちに来ちゃダメだよ。」
向こう岸には、柑梨が立っていた。
「柑梨……会いたかった……」
「僕はこんなに早く会いたくなかった。」
うつむいて悲しそうに言う言葉が、僕との再会を喜ぶ言葉ではなかったことが心にささる。その瞬間……
「この子の肉体はもう限界じゃて。渡らせてやれ。」
知らない女性の声が響いたと思ったら、急に美しい世界が崩れ落ち、僕はその世界と一緒に瓦礫に飲まれていった。
次に意識が戻った時、僕は宙に浮いていた。周りを見渡してみたが、どうやら知らないところらしかった。
「何だこれ。なんで浮いてるんだ?」
独り言をつぶやくと、
「賢太君ですね?初めまして!案内人の天使です。」
赤ちゃんみたいな見た目で、羽の生えたコスプレをしている子供が、突然目の前に舞い降りてきた。
「は?なに、こわ。」
「よく見てくださいよ。賢太君、君、浮いてますよね。僕は天使で羽があるから浮けても納得できますけど、体ひとつの賢太君が浮けるって、マジできもくないですか?」
「え、それは確かに。でもきもいって言い方、トゲあるしひどくね?つーか……なんで僕、急に浮いてんの?もしかして、超能力開花した?」
「自分の身に怒ったこと、覚えてないんですか?」
僕は、自分に起きたことを思い返した。
「あ……そうだ!いろは!」
目が覚めたように走り出し、いろはを探した。
「賢太くーん!ちょっと待ってくださいよーいろはちゃんはこっちですよー。」
天使は僕を呼び寄せ、見覚えのある光景の街に降り立った。そこは、いろはと行った湯河原の海浜公園だった。
「そこです。」
天使が指さした先、公園のデッキにいろはは1人で座って、佇んでいた。
「いろは!良かった!無事だったんだな!」
僕は急いでかけよって、いろはに声をかける。何の反応もない。
「え……冗談はやめてくれよ。いろは、返事してくれよ!俺だよ!」
いろはは、僕の声に反応せず、独り言を言う。
「賢太君……なんで私を……」
「え……」
複雑な表情をした天使が近くに来て、僕の肩をぽんぽんと叩く。
「賢太君、賢太君は、車に撥ねられて、死んでしまったんです。」
混乱した。呆然として、しばらくの間天使を見つめた後、頭を抱えて、その場に膝をついてへたり込んだ。
ボクハ、タシカニ、サッキ、イロハニ、ブジダッタンダ、ト、イッタ。
イロハハ、ボクノコトガ、ミエテナイ?
ジャア、イマ、ココニイル、ボクハ、イッタイ、ナニモノ?
シンダッテ、ナンダ?
ボクハ、ドウナッタノ……?
自問自答を繰り返し、やっと記憶が鮮明に蘇ってきた。
「車……ヘッドライト……いろは……突き飛ばして……あ……血が……」
そう言いながら、あの時生ぬるい真紅の液体で包まれていたお腹を見て、触る。
「幽霊の状態ですから、血はもう出てませんよ。大丈夫です。落ち着いてください。」
声の主はきっと天使で、すぐそばに立っていて、目を向けたはずなのに、焦点が合わない。
「僕は……死んだのか……。」
納得はできない。それでも、記憶は戻ってきた。
「はい……だから僕が案内しに天界から遣わされたってことです。」
「そう……か……。」
「いろはちゃんは今、賢太君のお通夜に行くところです。」
だからか……黒いワンピースを着て、ここにいるのは。
「賢太君……怖いよ……助けて……」
細い肩を震わせて、消え入りそうな声でつぶやくいろは。その声を聞いて、はっと顔を上げる。焦点が定まらずにぼやけていた視界がクリアになり、いろはが鮮明に目に映る。
そこにいるのに、ここにいるのに……何もできない僕。心が砕けてしまいそうだ。痛い。手に持っているのは、ラリマーのネックレスか。右手に包まれているので、何かは分からないが細かく繋がれたチェーンが手に収まりきらず、垂れ下がっていた。いろはは、握りしめている右手に左手を添えながらそれを胸の辺りに置き、祈るような姿勢でそこにいる。しきりに、「怖い、助けて」と呟き、僕の名前を呼ぶ。
僕は必死に駆け寄ったが、抱きしめることはおろか、触れることも、声を届けることもできない。触れようとすると、僕の体はいろはをすり抜けてしまう。絶望に打ちひしがれた。
しばらく、祈りを捧げるように目を閉じていたいろはは、スマホからの着信を感じたらしく、急に目を開ける。
「あかりちゃん……」
あかりからの電話だったようだ。目を閉じて深呼吸をして、電話をとる。
「もしもし……」
「ごめん……なさい……」
あかりの声は聞こえなかったが、いろはの目に涙が滲んだ。
「……うん……ごめんね……」
「もう……近くには……いるの。でも……どんな顔して……行けば……う……」
「海浜……公園……の……デッキ……」
「大丈夫……ちゃんと……うぅ……」
そう呟くと、声は嗚咽に変わり、いろははしゃがみこんでしまった。スマホを握りしめて、嗚咽混じりの声で必死に相槌を打っている。
しばらくすると、あかりが公園に姿を現した。いろはを迎えに来たようだ。
「お姉ちゃん、行こう?」
しゃくりあげて苦しそうないろはの背中をさすり、声をかける。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
あかりに向かって、ただただ謝罪の言葉を述べる。
「言ったでしょ……お姉ちゃんのせいじゃない。あの車の運転手が……お酒飲んで運転してたからだよ……だからお兄ちゃんは……」
いつもは冷静なあかりの声に、怒りがにじむ。
「私を守って……死んじゃったんだよ……」
「うん。お姉ちゃんのこと、守って死んだよね。でも……もしもそれで、何もできずにお姉ちゃんが死んでたら、おにぃも今頃この世にいなかったんじゃないかな……それくらい、お姉ちゃんのことが大好きだったこと、私でもわかったよ。」
「私のせいなの……!!」
叫ぶいろは。
「違うよ。おにぃ、たぶん近くにいるよ。絶対お姉ちゃんのこと心配してる。ほら……行こ?ちゃんと、お姉ちゃんにも最後のお別れしてほしい。」
いろはに向けて手を出すあかり。
「ごめんなさい……」
泣き続けながらも、その手をとるいろは。崩れ落ちてしまいそうになりながら、あかりの肩を借りて、公園から歩いていってしまった。
目の前で起こっていることが信じられない時、体が動かなくなるらしい。
僕はただ、2人の姿を眺めているしかできなかった。




