01.別れと出会い
ごめんね……君を守ることができそうにない。また泣かせちゃうんだろうな。ごめん。ごめんな……いろは……。君だけは幸せになって……。
薄れゆく意識の中で、世界で一番きれいな涙を流しながら僕を抱く、愛しい人の名前を呼ぶ。最後まで声に出せていたのかも分からないその叫びは、僕らを引き裂いて闇に飲まれて消えていった。
いろはとは、大学二年の春に知り合った。太陽みたいな女の子。僕たちの大学は、神奈川県の真ん中らへんにあった。神奈川県といっても、横浜や川崎のような大きなビルが連立するような場所ではなく、田舎の安い土地に広大な敷地を構えて建てられた場所……という感じだった。構内には長い坂が存在していて、坂の上は「上界」、坂の下は「下界」と呼ばれていた。構内には自転車や学内バスが走っているほど広く、校舎の移動が毎日とても大変だった。僕は将来、子どもたちに体育を教える教員になりたいと思っていたから、教育学部に通っていた。体育の授業だけでなく、教職のための授業も必須だったから、下界にある校舎棟で座学を受けた後、上界のグラウンドで体育の科目の実習…そんな日が毎日だった。
その日も実技のソフトボールの授業が終わって、学食で昼食を買った。学食の席が満席だったから、上界と下界の狭間にある、学長の像が飾られた中庭を1人で歩いていた。どこかのベンチで昼食を食べようと、辺りを見回していると……僕の目は釘付けになった。
そこには日当たりの良いベンチがあって、長い髪を風に揺らしながら本を読んでいる女の子が座っていた。僕は一目ぼれした。もしもこの世に「運命」なんてものがあるのならば、きっと彼女との出会いがそうだろう。一目でそう確信してしまったほどに、一瞬で彼女の虜になった。
そんな彼女と、どうしても話したいと思って、僕はそのベンチに近づき、隣に腰掛けた。たくさん座れる場所があったのに、わざわざ隣に座った僕を不審がったのか、彼女は少し警戒しながらゆっくりと顔を上げて、伏し目がちに僕の顔を見た。そんな彼女の仕草に釘付けになった僕は、目が合った瞬間に、焦って意味の分からないことを口走ってしまった。
「サンタクロースって信じてますか?」
(あ……なんだこれ。意味わからなすぎないか?いくらここ、クリスマスになると大きなツリーが飾られるからって、そもそも今四月だし……。初対面の人にそんな質問したら完全に変なやつじゃん。僕なら引く。しかも、小学生じゃあるまいし、サンタクロース信じるとかないだろ……やばい。詰んだ。)僕は、心の中で自分自身に悪態をつきつつ、自分の馬鹿さ加減にただただ絶望した。当たり前だけど、一目惚れをした女の子はきょとんとしていた。くそ、そんな顔しててもかわいすぎるだろ……。沈黙の時間が怖くて下を向いて目を閉じていると……
「ふっ……あはははは!何いきなり!」
予想外の笑い声に、僕は心の中でガッツポーズをしながら顔をはね上げた。
「……ごめっ!そうだよね。意味わかんないよね。しかも、子供じゃないんだから、普通は信じてないよね。」
「うん。ホント意味わかんない!でも、私サンタクロース信じてるよ。まだまだ子供だからかなぁ?君は信じてないの?」
鈴のようにきれいな、少し高くて優しい落ち着く声。そんな破壊力の強いかわいい声と、一目惚れしてしまうほどドストライクな外見の天使が、斜めに首を傾け、僕を覗き込むようにして微笑んだ。
「俺は……俺が……君のサンタになる。」
あー……またこれ取り返しのつかないやつだ。かわいすぎて頭が真っ白になってしまい、気持ち悪い発言を繰り返す僕。しかも、一人称はいつも「僕」なのに、なぜか彼女の前では「俺」になってしまうらしい。完全なカッコつけだ。僕は、自分が、ブレーキをかけることができない暴走列車のようになっていることを自覚した。なんでサンタになるねん!って自分で自分に突っ込みたい……。穴があったら入りたいってこんな気持ちなんだな、きっと……。せっかく優しく僕の醜態を彼女が受け流してくれたのに、再びやらかしてしまったことで、恥ずかしさが込み上げ、一気に顔が熱くなる。下を向いて両目を一度強く瞑った。
「あはははは!それってもしかして告白?なんてね!私、サンタさんと知り合いになっちゃった。嬉しい。君、めっちゃ面白いね。ねえ、私のサンタさん……お名前は?」
嫌われた……と半ば諦めモードだった僕は、彼女の予想を超えた反応に再び驚いた。っていうか、私のサンタさんって……しかもこの斜めから覗き込むの反則すぎないか?あーもう……好き。
「え……三井賢太。俺、一番上と下の字、数字の三と太郎?の太。くっつけると、サンタになるんだよ。」
この奇跡的な展開を今度こそ逃すまいと、頭をフル回転させ、今思いついた謎の理由を口にしてみる。なんて奇跡だ。ご先祖さま、お父さん、お母さん、僕の名前を三井賢太にしてくれてありがとう。
「ホントだ!だからサンタさんなんだね。なるほどー!私はいろは。北峰いろは。よろしくね!」
やばい……名前を知ることができた。嬉しさで空を飛べそうな気がする。あぁ…かわいい。名前もかわいい。また見とれてしまっていると、
「そういえば、賢太君、そのご飯って、食べないの?」
「~!!いろはちゃんに見とれちゃって……ご飯の存在忘れてた。」
ついつい思ったことが素直に口から出てしまった。
「そんなこと、直接言われると照れちゃうよ。初対面なのにー!」
「初対面だけど、俺……マジでいろはちゃんに見とれてた。あのさ、またここに来たら会える?」
一瞬時が止まったように、いろはの目が丸くなる。と、思ったら、薄く桜色に頬を染めて(染めたように僕には見えた)目を逸らしながら慌てている姿に、僕の心臓が早鐘を打つ。
「もー!!直球すぎるよー!時間空いた時はここで本を読んでいること、多いよ。じゃあ……次と、その次にまた会えたら、連絡先交換しよっか。」
「え、いいの!?」
また僕が驚く番だった。三回会ったら連絡先の交換ができるなんて、嬉しすぎる。なんだか、平安時代の婚姻みたいだ。
「うん。一度目は、偶然。二度目は、好奇心。三度目は、運命……だからね。」
「偶然、好奇心、運命……。初めて聞いたや。どういうこと?」
「今日、賢太君は偶然私を見つけたの。これが一度目は偶然。出会いって、いつも偶然でしょ?」
「確かに。出会いは自分では決められないもんな。今日の俺はラッキーすぎる。あ……二度目は好奇心ってのは?」
「それはね、自分で言うのはおこがましいんだけど、見とれるような相手には次も会いたいって思うのは、相手のことを知りたいって思うからでしょ?それが好奇心なの。」
「確かに……俺、今いろはちゃんのことたくさん知りたいって思ってる。……最後のも教えて?なんで三回目だと運命になるの?」
「二回目の好奇心で知ったことは、必ずしもプラスに働くとは限らないんだよ。外見がどんなに好きでも、次に会ったときに理想と違ってたら、三度目は会いたいって思わないかもしれないでしょ。だから、賢太君が三回会いに来てくれたら、きっとその気持ちは本物なんだなって思えるから。」
伏し目がちに、そうつぶやいた姿は、笑っていたのにどことなく悲しそうに見えた。
「そっか……。俺、今まで運命なんて感じたことなかったけど、本気でいろはちゃんに運命……感じたんだ。だから、俺には確信があるけど、信じてもらえるようにする!それにさ、今の時点で、外見だけじゃなくて中身も理想通りだよ……つーか、どんないろはちゃんでも、俺は好きって思うよ。絶対。」
自分でも驚くほど、歯の浮くようなセリフのオンパレードだ。
「ホント……なんなの!!っていうか賢太君、昼休み終わっちゃうよ?ご飯大丈夫?」
「あああああっ!!」
「あははははは。私、次の時間授業あるから、賢太君……またね。」
少し照れくさそうに手を振って去っていく姿を見送りながら、運命の出会いをした余韻に浸りたいから次の時間はさぼってしまおう、なんて考えていた。
考えてみると、僕の人生史上、最速の告白だった。しかし、最高のファインプレーだった。いろはは、完全に変質者だった僕を優しく受け止めて、太陽みたいに眩しい笑顔を向けてくれた。こんなに一瞬で人を好きになってしまったこと、今までになかった。付き合ってもいないのに、この子を守りたいと、僕は本気でそう思ってしまっていた。