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08 貸本屋

 スカートを足でわっさわっさと掻き分け歩いていると体が左右に不器用に振れてしまう。きっと今の自分はペンギンに似ているだろうと遠い目になった。

 靴はスカートで殆ど死角になるのをいいことに、スニーカーのままなので助かった。かなりマナー違反な着方だが、これで慣れない靴だったら転ぶ自信がある。


 アレクは手を差し出してくれたけれど、大丈夫、慣れますと断ってしまった。

 折角の気遣いをすみません。エスコートはありがたいけれど、人の手に体重をかけて自分を支えるのは、慣れていないので体重移動がうまくいかなくて却って怖いことがある。『窓』を通った時のような凄く不安定な時は助かるけど。

 エスコートは、される側にも訓練が必要だと思う。


 アレクは行き場を失った手を下ろし気まずげに視線をさ迷わせた後、街並みの屋根の向こうに覗く時計塔に目を走らせ、提案した。

「少し休んで、何か食べませんか?昼を食べていないでしょう」

 昼食時だったらしい。あちらの世界を出た時は夕方だったので、時差ができている。

 しかし、私の腹時計も夕飯時を指しているので、丁度食べたい頃合いだ。

「アレクはもう食べたんですか?」

「実は俺もまだなので腹が空いて」

 金色の目に悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。少しずつ、お互い砕けてきた気がする。


 アレクが選んだ店は、一般向けのカジュアルな雰囲気だけれど、女性客も多くて居心地のいいカフェだった。

 店の前の通りに置かれたテーブルもあるけれど、奥の席に座る。小さめのテーブルと椅子の座面の木は飴色に磨かれ、背凭れと脚は渋い青緑の金属でできていて優美な曲線を描いていた。

 昼には遅めの時間なので周囲の席は空いていて、周りを気にしなくて済んで息を吐く。


 注文を済ませ、落ち着いたところで口を開く。立ち話の話題としては何なので今まで訊けなかったのだ。

 私はアレクのことを何も知らない。『あの子』に昔会ったという位で。

 招いて案内までしてくれているのに、どういう人か知らないままなのは薄情な気がした。そして、『あの子』がその後どうなったのかーー幸せになったか知りたかった。


「アレクは普段何をしている人ですか?」

「貸本屋です」


 貸本屋。いきなり想像の斜め上で、一瞬頭の中が真っ白になった。

 異世界トリップで縁がある人というと、森の自給自足の老夫婦とか、魔術師や騎士や冒険者、王子や貴族が多い気がする。

 しかし、一般的職業や庶民の方が人口比が高いのだから、斜め上と思ってしまった私の思考こそが斜め上なのだろう。


 彼は厳つくはないものの大柄で、黒髪に濃いめの肌の色と金色の目をした精悍な顔立ちで、一見すると武人といった方が似合いそう……というのは意味のない先入観なのだろう。顔で貸本屋をする訳ではない。

 そして、知性を感じさせる落ち着いた穏やかな言動を振り返ると、何となく似合っている気がした。


「店では何を担当されてるんですか?」

「あぁ、店主です。従業員も自分一人。全部やってます。去年先代店主が引退しまして」

 思わず目を見開いた。彼は私より少し若い……20代前半くらいに見える。それで店主として切り盛りしているのか。


「どんな本を扱っているんですか」

「色々ですが、一般向けです。科学や哲学など学術的な分野は、専門性が高度なものは本屋や図書館に行く人が多いので、一般化したレベルのものまでです。詩や紀行物や娯楽小説なども扱います。大都市などには大資本の貸本屋の支店がありますが、この街は個人経営だけです」

「一般の方が本を楽しむということは、この世界は識字率が高いんですね」

「世界……は俺は知りません。この国で言えば、田舎は字が読めない人が多いです。この街はしばらく前に鉄道が通って栄えているので、識字率は高い方です。中産階級以上は基本的に字が読めますし、肉体労働者も大分読める人が増えました。自分の名前が書けるだけでなく、本を読める位の人も」

 私も地球の各国の識字率は知らない。この世界もいくつも国や街があって、それぞれ状況は違うのだろう。

 しかし思ったより識字率ーーというか読書可能な人口比率が高い街のようだ。


 19世紀にシャーロック・ホームズの本が人気だった以上、その頃庶民がよく買っていたのかと思っていたけれど、当時は本は高価で、本を買うのは中流階級以上だったそうだ。

 代わりに貸本屋が発達していた。

 今はややうろ覚えになった、昔読んだ資料を頭の中で辿りながら聞く。


「本を貸すシステムは、どんな風なんですか?」

 アレクは、天井を睨んで頭の中の情報を整理した後、ゆっくり話した。正確に簡潔になるよう言葉を選びながら話しているのだろう。


「年会費を払った会員にカタログを渡して、会員は借りたい時に店に来て本の番号を言えば、俺が奥の書庫から取ってきます。

うちの場合は、店頭に人気作や新刊やお勧めを入れ替えながら並べていて、その場で本を選ぶこともできますし、年間会員にならない一回限りの貸出も受け付けています。

狭いながらもリーディングルームもあって、新聞やパンフレットなどは店外貸出ししないでもそこで読めるようにしています」

 聞く限り、昔のヨーロッパの貸本屋と近いようだ。

 貸本屋は置く本が大衆小説に偏りがちな点で非難をあびた。当時は大衆小説はまともな文学でないという時代だった。

 しかし彼の店は幅広い品揃えらしい。大規模でない分、地域密着でオールマイティーな経営方針なのかもしれない。


「あとは、持ち込まれた原稿でいいものがあれば出版もしますが、俺の代になってからは出版は減りました。やはり文章を見る力は先代に遠く及ばなくて」

「出版もするんですか!」

「あ、印刷は印刷所に発注しますが」


 そういえば貸本屋は出版も行った。

 現代日本では小売業の本屋と出版業は別なのが基本だが、これを兼業するというやり方もある。

 紀元前のローマでは、本屋で作家が自作を朗読する朗読会があり、店主は客に人気のあった作品を出版した。

 ネット小説の運営サイトが、評判のよかった作品を出版したりサイト上でレンタルするのもある意味近い。

 本屋と貸本屋は別のものだが、消費者への書物の供給者という意味では同じ面がある。


 料理が来てからも、貸本のシステムや失敗談などの話に花が咲いた。

 アレクはこれまで人を気遣う言動ばかりで、あまり自分の感情を見せなかったが、余程自分の仕事が好きなのか、熱が入り楽しそうに話す。緊張していた仮面がとれたのかもしれない。


「今日はお店を空けて大丈夫なんですか」

「店番を人に頼んでいるので大丈夫です。何かあれば、夜、俺が店に戻った時に聞いて対応できますし」

 砕けてきたところで、気になっていることを訊いてみる。

「……失礼ですが歳をお聞きしてもいいですか?あ、私は27です」

 女性に歳を聞きづらいだろうから、自己申告を添える。アレクは驚いたように私を見た。彼の予想と齟齬があったようだ。アジア人なので若く見られていただろうか。

 彼は目を逸らして言う。

「……23です」

 23歳で店主。十代で独立して働く時代だから珍しくないのだろうか。

 『若い』という言葉は日本では比較的ポジティブな言葉だが、欧米では『幼い』『未熟』というネガティブなニュアンスがもう少し強い。

 そんな考えが頭にあるせいか、私は歳をとることは嫌いじゃない。『人は年を取るほど自由になる』という言葉も好きだ。

 彼が居心地悪そうなのは、自分の若さが余り好きではないのだろうか。


「その若さで店を運営するって凄いですね。ご苦労もあったんでしょうね」

 努力したんだろうな、と思う。社交辞令でなく本心から褒めていると伝わることを願いつつ言う。

「店自体は先代から譲り受けたのですが、俺は11歳まで字が読めなかったので、覚えるまでが大変でした」

 11歳。12年前ーー犯罪に巻き込まれた頃だ。

 事件の前も字を習う環境ではなかったらしい。軽々しく聞いていい話ではないので、深くは尋ねないでおく。

「その後勉強して字を覚えてから、貸本屋に立ち読みに通ったんですが、店主が料金を取らないで読ませてくれて。読ませてやったんだから手伝えって、店番や在庫管理や本作りを教えられて。

ある日、引退するから店は譲るって言って、田舎に引っ込んじゃいました。そんな訳でいつの間にか店主です」

 そう言っでアレクははにかんだ笑顔を浮かべた。


 恵まれない子供時代。犯罪に巻き込まれた経験。

 そこから、この柔らかな笑顔を浮かべられるようになるまでの道程は決して平坦ではなかった筈だ。相当な努力と苦労があったろう。

 その中で大きな支えになってくれたであろう「先代」に、私も心の中で感謝した。

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