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06 初めて見る世界

「アレクシス・リベラと言います。アレクと呼んでください」

「お招きありがとうございます……アレク。やっとお名前を知ることができました。私は瀬谷 羽南です。これまで通りハナと呼んでください」

 日本語ならアレクシスさんとかアレクさんとか呼びたくなるけれど、英語のMr.は姓につけるものなので、ファーストネームや愛称にはつけない。

 彼が敬語…丁寧で礼儀正しい言葉遣いをしても「ハナ」にMs.をつけないのはこのためだけれど、日本人の感覚としては少しムズムズする。


 アレクシス(Alexis)は、守護者や防御者という意味を持つ英語名だ。ギリシャ語のalexein(防ぐ、守る)を由来に持つ。

 ちなみにアレグザンダー(Alexander)はアレクサンダー大王ーーギリシャ名アレクサンドロスが由来で、alexeinにandros(人類を)がついて「人類の守護者」の意味。

 中世の聖者伝の聖アレクシウス伝や東ローマ帝国の皇帝アレクシオス一世も英語名ならアレクシスで、古くから歴史上の有名人がいる名前。


 この世界はアレクサンダー大王やキリスト教が存在する世界なのだろうか?

 何と言っても英語が通じるのだ。私がいた世界とかなり一致した歴史を経た後、分岐したパラレルワールドということかもしれない。

 世界史オタクとしてはとても興味がある一方で、不可侵の聖域に触れて何かが壊れてしまうかのような畏怖があり、逡巡の末、この辺りは深く考えないことにしようと心に決めた。ここは異世界。そう割りきろう。


 周囲を見回す。

 私と男性2人が居るのは四畳半程度のかなり狭い空間だった。窓はなく床から天井まで金属板で覆われ圧迫感がある。壁寄りの腰ほどの高さに私が出てきた約40cm四方の「窓」があり、厚い額縁のような縁がついていて、窓の中は金属板が張られている。

 私はこの板から沸いて出たらしい。いや、縁に囲まれた薄い空間、額縁のガラスにあたるような部分か。何れにしてもシュールだ。

 額縁の後ろは真っ直ぐ四角い筒状に伸び壁に刺さっている。おそらく隣室に装置の本体があるのだろう。枠にはコードやチューブがついている。


 最先端の科学というよりレトロなマッドサイエンティスト映画の大道具のような印象がある。

 しかし、以前アメリカのスミソニアン博物館で、人類初月面着陸したアポロ11号関連の展示を見たが、地球に帰還した指令船コロンビア号の実物は予想以上に小さくシンプルでまるで玩具のように見え、よくこれで月面まで行ったと驚いた。意外とこんなものかもしれない。いっそ魔法陣の方が納得できる気がするのは極端か。


 茶色の髪の男が言う。

「ようこそ、こちらの世界へ。楽しいご旅行を」

 彼の立場なら、ご協力ありがとう位言ったらどうか、と不快感が掠める。

 少なくとも自分ならそうする。彼は自分の研究のため私にリスクを負わせた上、かなりのメリットを得た筈だ。

 『弱み』『感謝』『謝罪』を示さない一方で恩は売り、優位を保とうとするタイプの男性はよくいるが、色々削られるのでお近付きになりたくない。


 それでも業務連絡は必要なので、表情には出さず男に訊く。

「帰りはまたこちらへ伺うということでよろしいですか?」

「はい。しかしこの窓のパーツは現在向こうからこちらへ来るための出力になっているので、逆方向に行くための出力方向に組み替えが必要です。更に全面的にメンテナンスが必要なので最低3日はかかります。4日後の朝でいかがでしょう」

 4泊5日。長いのか短いのか。

 しかし日程変更などこちらからの要望を言うと、無理を言われる口実に使われないだろうか、と不安を感じる程度に、私はこの男が信用できなかった。

「分かりました」



 その後、私と青年は意外にもすんなり建物を出ることになった。

 あちらの世界のことを聞かれるかと面倒を覚悟したが、実験時の観測データの分析が宝の山過ぎるらしく、私はむしろ放置されたような状況だった。

 研究対象は私でなく私という物体の移動。

 彼らは物理学が専門で、その興味深さに比べると文化や社会は些末なことらしい。また、長年電波は多少なりとも受信できていたので、既にある程度情報は持っているそうだ。

 私としては楽でありがたいが、文化や政治などの研究機関と連携をとらないで、後で問題にならないのだろうか、と首を傾げた。


 それにしても……彼らのトラウザースやジャケットのデザイン、建物内のランプなどは大変レトロだ。19世紀位に見える。

 一方、物理学で「空間や時間が一定でない」という考え方が成立したのは、20世紀初頭にアインシュタインが発表した特殊相対性理論以降じゃなかろうか。

 違う科学史を辿った世界らしい。そもそも異世界は私達の世界では科学じゃない。

 SF的な創作作品は古今東西古くからあり、例えば浦島太郎では異界の時間の流れが違うという設定が出てくる。何か別の切り口から理論を確立させた科学者がいたのだろうか。

 ……深く考えるのはよそう。


 とにかく、この世界では異世界があることは『科学的に』知られているそうで、だからこそ物理学研究所に予算がついている訳だ。

 しかし一般人には殆ど無縁なため、混乱を避けるため私が異世界から来たことは口外禁止とされた。制限がそれだけとはむしろ拍子抜けした。


 私のバックパックを片方の肩に通したアレクが、研究所の玄関のドアを開けて押さえてくれた。鞄は自分で持つと言ったのだが彼が譲らなかったのだ。ありがたくも恐縮する。


 外へ出ると、屋外の明るさに一瞬視界が白くなった。瞬きを繰り返すうちに景色が鮮明になる。そして目にしたものに引かれるように道の端へ寄る。


 この建物はやや小高くなった坂の上にあるようで、眼下に19世紀頃のヨーロッパのような街並みが広がっていた。

 感覚的には、RPGのような時代より後、シャーロック・ホームズのTVシリーズの背景より素朴な風情という印象だ。

 鉄道の駅があり、汽笛の音がここまで聞こえてきた。

 現代に比べて視界が平たい。4、5階建ての建物はあるけれど、高層ビルがない分高さがある程度揃っている。特に高いのは教会の塔や聖堂のドーム。

 爽やかな風が新緑の木々を揺らす。灌木の茂みにポツポツと赤く見えるのはベリーだろうか。こちらはどうやら初夏らしい。


 ここは異国の地、別の世界だ。そこに自分が立ってその目で見ている感動に震えた。

 瞠目して暫く見入ってしまい、やっと息を吐き振り返ると、アレクは私の後ろ姿を見ていたらしく目が合った。

「すみません、つい見入ってしまって」

「いえ……喜んで頂けたようでよかったです。本当に……旅行が好きなんですね」

「その通りです……」

 彼が口許を手の甲で押さえて笑いを押さえているのを見て、自分の子供じみた振る舞いを省みたが、不快にさせた訳でなく微笑ましくスルーしてくれたようなので気にしないことにしよう。

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