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04 アンカー

「お話し中失礼。カーライル物理学研究所のジョン・ハワードと申します」

 黒髪の青年の横から、やや癖のある茶色の髪の中年男性が顔を出した。

 二人とも服がレトロなのに驚く。画面から見える上体はジャケットにベストにシャツにタイ。タイは勿論、ジャケットの形状も現代というより19世紀欧州風だ。

 茶色の髪の彼もやはり、訛りのある英語を話した。そして黒髪の彼の肩に手を置き言った。

「貴女の会った『女の子』は彼です。こちらの世界では12年経っています」

 黒髪の青年は居心地悪そうに斜め下の方に視線をさ迷わせた。


 え……えええ!男性?12年?そしてこの画面は?どこから突っ込んでいいか分からない。

 青年は私より少し年下、20代前半位に見える。すると当時は10才前後。もう少し下に見えたのは、虐待を受けていたため小柄だったということか。

 あの細く折れそうな手足をして不安げな目で私を見上げていたの美少女の面影なんか…いや、髪や肌の色や印象的な目は言われてみればそのままだけど!顔立ちが綺麗なのも同じといえば同じだけど、今は頬のラインも大人の男性らしくシャープで精悍な感じで、方向性が全く違う!

 さ迷わせた目をもう一度ひたりと私に合わせ、眉尻を下げ目に不安げな色を浮かべた表情は……驚くべきことに、あの少女と重なった。


 彼は袖をまくり左腕にある傷を見せた。

「この傷はあなたが手当てして包帯をして下さいました。覚えていますか?」

 覚えている。治りきってはいないものの怪我をして暫く経っていたようで、手当てがどの位効果あるか分からなかった。……やはり傷が残ってしまったのか。手首にある黒子も記憶の通りだ。

「野菜と卵と小麦の練ったものの入った黒いスープと、温かくて甘いレモン水を下さって、雨で冷えた体が温まりました」

 そうか……本当に、この人はあの子なんだ。ぱっと見だけで決めつけは出来ないけれど、心身ともに健康に、真っ当に育ったように見える。ビフォーアフターや、料理番組のこちらが出来上がりですの皿を見ているようだ。

 全身は見えないけれど、広い肩幅や長い指から推してきっと長身だ。捲った袖の下もしっかり筋肉のついた腕だった。もう「あの子」は大丈夫なんだ。


 あの子と出会ってから、そしていなくなってから、ずっと心につかえていたものが溶けて流れていくようで、体の力が抜け、大きく息を吐いた。目が熱くじんわりしてくる。そんな私を彼は目を細めて見て、温かな声で言った。

「心配して下さってありがとうございます。お陰様でこの通り十分に、頑丈に育ちました」

 いや、私はほんの一晩の寝床と食事が提供できたにすぎない。彼自身や、保護された彼を支えた人達の努力はいかばかりか。

「申し訳ありません。男性だったんですね。子供でしたし綺麗な子だったもので……思い込みをしていました」

「いえ……当時は体も小さかったですし」

 苦笑する彼は、精悍な顔立ちにも関わらず柔らかな表情だった。あの頃の固い表情はない。


「彼があの子であることはご納得いただけましたでしょうか」

 茶色の髪の男性の言葉に、意識が引き戻される。納得といえば納得だが、情報が足りなすぎて頷きがたい。

「こちらとそちらは、互いに異世界に当たります。今、こちらの研究所で一時的に双方を繋ぐ『窓』を作って互いの世界を覗きこんでいます」

 『窓』の中から彼は言った。

「そちらの世界で、こちらの研究はされていますか?」

「私の知る限り、されていません」

 小説の世界なら沢山見かけるけれど。

「異世界は無数にあると考えられ、殆どは互いに認知も干渉も不可能です。その中で、貴女のいる世界とこの世界はやや干渉しやすい配置にある例外です。ーー仮に互いをAとBとしましょう」

 講義みたくなってきた。物理学研究所の人と言っていたし、講義好きの人なんだろうか。


「2つの世界を通り抜けるのは極めて困難です。特に物体は。かろうじて行き来しやすいものは電磁波です。ですので先程、連絡を取るのに電磁波を使いました」

 ラジオの音の波のようなものか。この場合、波を伝える媒体は多分空気じゃないよね。どうなっているんだろう。

「一方、稀にAからB、BからAに物体が移動するという自然現象が知られています。Aにあった小石がBに落ちてきたり、あるいはその逆が起こります」

 自然現象。謎過ぎる。

「2つの世界は独立していますが、こうして移動した物体が相手方にあると、その物体の位置で空間と時間が一時的に癒着します。この物体を私達は『アンカー(錨)』と呼んでいます。互いに揺れ動く2つの世界を一ヶ所で結びつけるので」

 眉根が寄ってきた私をよそに、彼は白い布を広げて見せた。


「具体的なアンカーの一つはこれです。貴女が彼に貸したシャツ。貴女の世界のものです。貴女の世界でシャツが消失した『空孔』とこのシャツ本体が引き合い世界を結びつけています」

 少し黄ばんでいる。十数年の年月をここで実感した。

「そして貴女のところにも、彼が子供の頃着ていた服がある筈です。その服の『空孔』はこちらにある。

この2つのアンカーが、広大な宇宙の無限の時間の中で、貴女のいる場所と彼のいる此処を強固に繋いでいます。

こんなに近くに複数のアンカーがある例は今回初めて観測された貴重な事例で、特別強い癒着を生じています。

私達は貴女の世界のアンカーの付近の空間と時間に電波のメッセージを送り、あなたが着信した位置にチューニングして、アンカーのある位置の結び付きを強化してこの『窓』を開いています。このような『窓』を作れたのも今回が初めてです」

 空間と時間は本質的には同じものだ、と物理関係の学習雑誌で子供の頃読んだっけ。場所も時間も結びつけるというのはそれでか。


「……彼が子供の頃こちらに来たのは?『自然現象』だったのですか?」

 いっそ魔法とか言ってくれた方が、あぁそうですかと鵜飲みにできた気がする。突っ込みたいことは山程あるけど、私が一番気になることは「あの子」の痛みのようだ。

 自然現象で異世界に人が落ちるのは……異世界トリップ物ではよくあることではあるけれど、虐待児だったあの子に更に過酷な目に遭わせるとは……自然現象に膝詰めで説教したい。


「いえ。彼は犯罪に巻き込まれました。自然現象で生じたアンカーを足掛かりに人を異世界へ送り出す実験を試みた反社会的組織の犯罪の被害者です。技術が未完成だったため、丸一日程でそちらの世界を弾かれてこちらの世界へ戻りました。なお、その組織はその後壊滅されました」

 黒髪の彼は、表情を消して伏し目がちに床を見ていた。酷い話だ。自然現象より人のが残酷だった。そして、本人の前で残酷なこと思い出させる話になってしまって申し訳なかった。


「近い時間と空間……とのことですが、そちらでは10年以上経っているんですよね?」

「宇宙にとっては12年は誤差範囲です。実際、アンカーとなる空孔は年月が経つにつれ薄くなり消えていくのが自然の流れなのですが、今回の2つのアンカーはまだ明瞭に残っています。

理論を組み立て、窓を開くこの装置を作るまでに12年かかりました。勿論、その間この研究にかかりっきりだった訳ではありませんが。

このため、こちらのアンカーは12年経過することが必須でしたが、アンカーは『新鮮』な方が引力が強いので、あなたの側のアンカーは新鮮なうち、つまりあなたにとって短い時間の間に接続されたのでしょう」

 窓とか新鮮とか、物理やSFを語る用語じゃないのではなかろうか。

 とにかく、向こうとこちらで時間がずれることがあるとだけ飲み込もう。


「それでなのですけれど」

 青年は少し緊張しているのか、一度顔を伏せ、意味もなく手を組み直したあと顔を上げると、はにかんだように柔らかな笑みを浮かべた。

「あの日、あなたは外国を旅するのが好きだと言って、様々な国の話をしてくれました。今も印象に残っています。

もしよろしければ、こちらの世界にご旅行にいらっしゃいませんか?滞在先や費用などはこちらでご用意します。どうかぜひ楽しんで行ってください」


 突然、美味しすぎる餌を落としてくれた。

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