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02 ひとつの出会い

 第1話と同時投稿です。

 直接的ではありませんが、児童への虐待をほのめかす描写があるのでご注意ください。

 話はこれより一週間前に遡る。



◇◆◇◆◇◆


 駅の階段を下り、庇の外を眺めて一つ大きな息を吐く。

 外は真っ暗で、強い風と雨が叩きつけていて、この中へ出ていくのは多少の覚悟が必要だ。

 諦観と覚悟を胸に闇の中に飛び込む。両手で支える傘が風に揺らぎ、足元は水溜まりと風に乗った雨でみるみる濡れていく。


 私、瀬谷羽南は仕事帰りの家路を急いだ。

 今日は台風で電車は遅れに遅れ、一部は振替輸送を使ってやっと家の最寄り駅まで着いたところで、既に疲労困憊だ。

 何故台風の予報が何日も前から出ているのに出勤させる。しかも私達正社員だけでなくパートやバイトまで。リスクやコスト対効果の適正な判断をしろ。業務計画の調整をする責任を果たせ。上層部の無能のツケを弱者に転嫁するな。

 燻る不満を抱えつつ黙々と一人暮らしの古い賃貸マンションの部屋へ向かう。居心地よい風呂に浸かるのを夢見て。


 ふと、視界の端に何かが引っ掛かった。見慣れた風景の中の見慣れないもの。

 見たものが信じられず、近所のアパートの植え込みの陰を二度見する。近寄って覗き込むとーーやはり。

 そこには小さな子供が蹲っていた。


 職場の先輩の子供が小学3年生で、丁度この位だった気がする。すると8~9歳位だろうか。

 夜、この台風の中だ。尋常じゃない。これは大人の義務として放置しちゃいけない案件だ。


「ねえあなた。迷子?何か困ってることある?」

 子供はびくりとして顔を上げた。黒髪で顔を伏せていたから気付かなかったけど、褐色の肌で彫りの深い華やかな顔立ちだ。暗くてよく見えないが目の色も少し淡い気がする。

 アジア系風ではない。今時日本人=アジア系ではないので国籍は分からないけれど、ひょっとして日本語話者ではないのだろうか。

 何度か日本語で話しかけても体を固く縮こめていたので、英語に切り替えてみたら驚いたように顔を上げ反応した。どうやら英語話者らしい。


 しゃがんで目線を合わせる。

 私も英語が得意という訳ではないが、基礎的な日常会話なら中学英語で大体網羅できるものだ。この子も英語は理解できても母語は別の言語かもしれないし、できるだけシンプルな短文の英語で話しかけてみる。

「ここにいるのは危険だよ」

「台風がーー大きな嵐が近づいていて、これからもっと雨と風が激しくなる」

「家に帰れる?何か困ってることある?」

 言葉は通じているらしいのに、子供はますます体を縮こめる。


 まるで怯えるかのようにーーそう、長年暴力に晒されたDV被害者のように。

 目を走らせると、秋の雨の中薄くて汚れた服を着ていて、そこから覗く手足はごく細く荒れている。

 そして水溜まりに沈んだ傷だらけの裸足。ーー裸足。ありえない。ーーこの子、虐待児だ。


 深い憤りを感じた。

 私は特に子供好きという訳でなく、どちらかというとむしろ得意でない方だ。嫌いという訳でもないが子供と付き合う経験がなかったのだ。でも怒りで目眩がする。当たり前だ。これは嗜好など全く無関係で、人権の問題だ。

 この子は人として必ず持つものを不当に奪われている。


 スマホで警察か保護施設に連絡しようとしたが、電話もネットも沈黙していた。IP電話だから110番は使えないのは分かるが他も全滅って何故だ。台風で何かあったのか?

 とりあえず今晩はうちで保護しよう。このまま台風の中放置はできない。


 隣に座り、傘を差し掛ける。

「今晩は私の家に来ない?ここは危ないから。嵐はこれからもっと激しくなる」

 子供は困ったような顔をする。

 ……ですよね!私怪しいよね!知らない大人に甘いこと言われても付いて行っちゃいけません、を実行している君は正しい!私も私以外の大人に付いていくなと言うよ!

 ……でも今この時だけは、何とか動いてもらえないだろうか。


 諦めない私の相手に疲れたのか、寒さと風雨に不安を感じたのか、何度目かの誘いにようやく頷き立ち上がった。

 私が差し伸べた手は、掴んで捕らえられるのが怖かったのか握らなかったが、歩く私に付いてきてくれた。怯えさせないよう歩くペースを合わせ二人でゆっくり歩く。


 マンションに着き共用エントランスに入ると、風雨が体を叩く圧力と音が一気に消え、照明が明るく出迎えてくれてホッと息を吐く。

 更に奥へ進み私の部屋へ行こうとするとーー子供が激しく抵抗した。これ以上奥へ連れて行かれるのは怖いらしい。

 外へ飛び出しそうになったので、慌てて説得し、エントランスのソファーに座ってもらう。ここまでがこの子の精一杯の妥協点なら無理はすまい。ここならひとまず風雨は凌げる。


 裾はびしょ濡れだが上体部分はかろうじて乾いている私の秋物コートを子供に羽織らせ、首に巻いていたストールでざっと髪を拭いてあげてから渡し、タオル代わりに濡れた体を拭くよう伝え、急いで自分の部屋へ行きすぐ戻ってくる。まず保温と着替えだ。

 エントランスにある共用トイレで私の服に着替えさせ、洗面台に湯を張り、泥と雨に汚れた顔と頭を洗ってもらいバスタオルで拭く。

 インスタントカイロを2つ開け持たせた後、洗面台の上に抱き上げて座らせた。

 子供は驚いて少し暴れたが、張ったお湯に足を浸けさせたことで意図は察してもらえたようだ。


 明るい所で見ると子供は整った顔立ちと長い睫毛の美少女で、目は琥珀色をしていて光があたり金色に見えた。両手首はぐるりと黒ずんだ痣が一周していて、大人に強く掴まれるようなことが頻繁に繰り返されたのだと思われた。他にもいくつも傷があった。

 明日警察で身元確認があるだろうけれど、私も目についた傷や黒子は覚えておく。

 裸足の足は泥と傷だらけだった。痛ましくて顔が歪みそうだったが、怯えさせないよう笑顔で話しかけながら食い込んだ小石を落とし丁寧に洗う。

 ソファーへ戻り傷の手当てをし、更に追加で開けたカイロを首と腰の後ろに当てるよう指示してからまた部屋に戻る。


「はい、うどんです!」

 ソファーの前のローテーブルにトレイを置く。この共用エントランスは飲食禁止だけど、非常事態だから許されるだろう。

 片手鍋から汁を少し掬い一つの小鉢の内側を洗いもう一つに空けた後、2つの小鉢にうどんと具と汁をよそう。洗った汁が入った方の小鉢が私の分だ。

 私なら、怪しい人から食事を勧められたら食べ物や器に薬物が仕込まれてないか警戒する。それでこうして一緒に食べることにした。同様にしてホットはちみつレモンをポットから注ぎ勧める。甘めに作ったから子供好みだろう。ビタミンCと糖質は疲労回復にいい。


 うどんは体が温まって消化がいいから選んだが、箸が使えないらしい。

 念のため持ってきたフォークに持ち替えてそ知らぬ顔で一口大に切りながら私が食べて見せたら、真似して食べ始めた。様子を見てお代わりをよそいつつ話しかける。

 私は名前を名乗ってみたが、名乗り返してはくれなかった。この子は全く喋らない。心理的なものだろうか。でも二人で黙りこくっていると緊張感が半端ないので、返事は期待せずとにかく話し続ける。聞いてはいるのだ。

 子供好きの友人が人見知りの子供にこう接していたと思い出しつつ真似る。ありがとう友よ。


 自然と話題は自分の好きなものの話ーー旅の話になった。

 私は旅行が好きでよく行く。でも裕福という訳ではないのでバックパッカーだ。

 様々な気候や文化や歴史の国々の面白さ、驚きやワクワクするもの、美しいもの、笑える失敗談ーー明るく楽しい話を思い付く限り話す。

 次第に子供の顔から緊張が薄らいでいき、キラキラした目で食い入るように話を聞いている。

 西遊記や東方見聞録の昔から、旅の話は万国共通で人を惹き付ける。


 食事を片付け、毛布を持ってくる。

 子供一人にはできないし、自分は隣でダウンジャケットを着て夜明かしするつもりだ。うとうとしても命取りにはならないだろう。

 子供はソファーに横になり、半分折りにして厚くした毛布に潜って視線で話の続きを促す。

 私は調子にのって、シェーラザードか吟遊詩人かと自分で突っ込みつつ話し続け、子供がすっかり寝付いたのを見届けてから目を閉じた。



 ーー翌朝、子供は跡形もなく消えていた。

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