第1話 電子犯罪対策特別班
何年も前に機能を停止した暗い廃墟ビルの中、一室のみ人的な力によって電気が通った場所があった。
まるでそこだけが別世界であるかのように煌々と照らされた部屋の一角で、一人の男が爪を噛みながら顔を苦渋に染めていた。
「くそっ。こいつしつこい…!」
男が見つめる画面の先。
光の源であるそこでは、ウインドウの中でコマンドラインが疾走している。
「どうして!僕の計画は完ぺきだったはずなのに!」
男がいくらキーを打ち込んでも、浮かび上がってくるのは“error”の赤文字。次第にその感覚は短くなり、男が打ち込むよりも早く別の者によるキーが打ち込まれ始めた。
「やばい!」
男は電源を落とそうとするが、すでにそこに権限はない。指に付けていた小型端末を床に投げ捨て、椅子から立ち上がった時だった。
『無駄だ』
床に転がった男の小型端末から別の者の声が聞こえてきたと同時に、壁中にクモの糸のように白い幾何学的な模様が浮かび上がった。
部屋を見渡した男の口から、焦った声が生じる。
「この模様は、電子犯罪対策特別班の…」
「正解」
部屋のドアが開き、長身の男性が姿を現す。
黒いスーツに身を包み、襟元には電脳省所属の証である鳥がモチーフに描かれた金色のバッジ。
彼は脇に抱えたノートパソコンをおもむろに開き、画面に映された逮捕状を露わにした。
「高島博。コンビニ電子強盗の容疑で逮捕する」
「捕まってたまるか!」
高島は男の横を走り抜け、部屋から出ようとした。
「うわっ」
が、ドアは開いているにも関わらず見えない壁に押し返されるように尻餅をついて転がる。
「無駄だって言うただろ。電子糸を張り巡らしてあるから、ここはもう見えない牢獄だ。観念しろ」
長身の男性が高島に手錠をかけると、高島は生気を失ったようにうなだれた。
・・・
今から数年前。電子科学は大幅に進歩し、現実世界への電脳世界の組み込みが行われた。
家事の自動化からAR技術の可視化に至るまで、生活水準は大幅に上がり、インターネットなしでは生活できない環境が出来上がった。
そんな中問題となったのが、ハッキングなどを悪用した電子犯罪。以前よりも活発化したそれは、人々を脅かす存在となっている。
「隊長。昨日のコンビニ強盗は外からのハッキングでレジの金を盗んでいたことが判明しました」
「ご苦労だった、鳥谷」
過激化していく電子犯罪に対応する組織、電子犯罪対策特別班に所属している鳥谷咲夜は、特別班第一分隊隊長である黛孝也に報告を終え、自分のデスクに戻った。
第一分隊から第五分隊まで分かれる特別班には全部で50人ほどしか構成員がいないにも関わらず、全国の電子犯罪に対応していかないといけないため負担が大きい。
特に咲夜が所属している第一分隊は都市部付近の管轄であるため、自然と起こる犯罪も混沌を極め対応が難しいものが多くなってきていた。
自らの肩にのしかかる疲労と期待を取り払うために、席に座った咲夜は肩をグルリと回した。
「鳥谷さん。お疲れ様です。大変でしたね、昨日は」
咲夜の前のデスクに座る五十嵐瑞樹はヘラヘラした笑みを咲夜に向けた。後輩の立場にいる彼のどちらともつかない労いに、咲夜は軽く手を挙げることで応えた。
「まあな。だけど、犯人が早めに捕まってくれて良かった」
「コンビニのファイアウォールに痕跡が残ってたんですっけ。雑な犯罪が増えましたねえ」
「誰でも端末を持って気軽にアクセスできる時代だからな。遊び半分で手を出す奴が多いんだろ。俺も技術の進歩に追いつくのに必死だわ」
咲夜は自身の端末を右手で持ち、手の中で弄ぶ。
いまや全国民に配布されているキーピングネットと呼ばれる小型端末。気やすくネットへのアクセスができたり、現実の中にARを可視化・実用させるなど様々な生活を豊かにする技術を持っていると同時に、個人端末として身分証明としても働き生きるのに欠かせないツールとなっている。
時計型やイヤリング型などファッション性を伴った色々な様態が開発されており、咲夜は自身の時計型端末を腕に巻いた。
「とか言って知ってますよ、俺。鳥谷さんの電子技術がこの組織で一番ってこと」
瑞樹の邪気のない顔を咲夜はすっきりしない気持ちで見つめた。
「俺なんてそこらのちょっと詳しいやつと変わらんよ。力で押しとるだけ。本当にすごいやつはもっとおる」
「本当にすごいやつ?」
コテンと首を横にかしげる動作をした瑞樹に、後ろを通りがかった女性事務員の視線が奪われる。黙っておけばイケメンと組織内で評判の彼のあざとい仕草に、咲夜は意識を端末の方へと持って行った。
まだここまで技術が進歩していなかった十数年前。ただ好きという理由だけで漂っていたネットの海で、咲夜は信頼し合える仲間を得たことがある。
「一瞬で遠くの世界の情報が分かったり、自分の情報を発信する能力に長けてたり」
自分にはない力を持っていた彼らを、当時の咲夜は敬愛していた。その気持ちは逢えなくなった今でも変わってはいない。
「…あとは、そうだな。世界を創造したり…とかな」
「ふはっ。世界を創造ってそんな。鳥谷さんも冗談言うんですね」
思わず吹き出して笑った瑞樹につられ、咲夜も軽い笑みを浮かべる。
「冗談じゃないけどな…」
ボソッと呟かれた言葉は、瑞樹には届かなかった。
「事件だ!北区域第二部で通信障害が発生。鳥谷、五十嵐と一緒に現場に向かってくれ」
孝也の言葉に、咲夜は勢いよく立ち上がる。瑞樹の方を見やると、瑞樹も上着を羽織って咲夜を見てうなずいた。
「行きましょう!鳥谷さん」
「ああ」
二人は勢いよく部屋を飛び出した。