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第八章

 診察時間が終了して、間もない時間、飯山医院の駐車場に白いミニバンが止まった。スライドドアが開くと、女性を脇の下から抱えるようにして、一人の男が降りてきた。運転席からも、男が一人、降りてきた。

 男たちは受付を通り過ぎて、奥に入っていく。

 診療時間は過ぎていたが、まだ二人の患者が待合室で診察を待っていた。

 男に抱えられた女は、ぐったりとしているが、ここが病院であることを考えると無理のある状況ではない。

 しかし、見ている者が、どこか違和感を覚える光景であった。

 おそらく、それは抱えている男が、自分の腕の中にいる女に対して、何の心配もしていないことに起因している。丁寧であるが、まるで物のように扱っているのである。

 男は患者たちのもの問いたげな視線を完全に無視して、医院のさらに奥へと進む。

 一人の看護師が、男の後ろから無言で続いた。


 和坂は、盗聴された音声の再生が終ったパソコンを見つめていた。机の上のパソコンの横には、明霊が久保の父親に伸幸の父親にかけた電話の内容がまとめられた書類が置かれている。

「意外ね。浮遊魂が宿主の家族を気遣うなんて…」

 細い眼鏡をかけた若い女性が、和坂の前に立っていた。

「このまま、監視を続けますか?」

 和坂は左手の人差し指を額に軽くつけた。

「そうね。盗聴は続けることにしましょう。でも、監視の人員は大幅に減らしましょう。その分の人員を真の里の捜索に振り分けてね」

 魂狩人の人員は、かなり限られている。浮遊魂の数が減るに従って、その狩り手である魂狩人の組織も、縮小を続けている。数年前に、政権交代が起こった時には、魂狩人の組織自体が消滅する危機もあった。どうにか数年間、新しい政権の議員連中から存在を隠し、再び前の政権政党に戻るまで組織を存続させた。

 和坂は大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出した。

(浮遊魂なんて、早く根絶やしにすべきなのよ。あいつらに寄生されたために、人生を狂わされた者が、いままでに何人いたことか…)

 和坂の目が、僅かに細められた。これまで、何百、何千回と思い出してきた記憶が浮かび上がってきた。記憶と共に怒りが膨らみ、思い出すのを止めることができなくなる。

 二歳年上の兄は、いわゆる引きこもりであった。国立大学を卒業し、商社に就職したが、仕事に馴染むことができずに、半年で辞表を上司に提出した。そのまま、兄はほとんど家から出なくなった。食事の時には、リビングまで出てくるが、両親から何か話しかけられても、小さな声で返事をするだけだった。

 そんな生活が三年ほど続いた後、両親は兄を半ば強引にアルバイトの面接に行かせた。

 そこは父親の知人が経営するレストランで、兄はその翌日から日に数時間だけ働き始めた。そうして、三ヶ月が過ぎ、兄はアルバイトにも慣れ、調理師になりたいと口にするようになっていた。

 そして、兄が急に消えた。

 何の徴候もなかった。あまりにも唐突で、家族が兄の失踪に気付いたのは、翌日の夕方になってからであった。アルバイト先から、家に昨日から無断欠勤している旨が告げられるまで、家族は兄がアルバイトの時間を増やして、家族との生活時間にズレが生じただけだと思っていた。

 半年後、兄を見つけたのは、偶然だった。

 街で歩いていた兄は、和坂に気付くことなく、目の前を通り過ぎた。和坂は慌てて追いかけて、兄の前に立ち塞がった。

 その時の兄の視線を、今でも鮮明に覚えていた。

 兄の視線の中には、和坂に対する親しみも、急に現れた妹に向けた驚きも、音信普通にしていたことへの後ろめたさもなかった。あったのは、無関心だけであった。路傍の石を見るような、無機質な視線であった。

 和坂は、その視線に向って発する言葉を見つけることができなかった。そのまま、再び兄は消えた。

 それから、二年後、隣の県の警察署から実家に唐突に電話があった。兄を保護したので、引き取りに来て欲しいという連絡であった。兄の財布の中に入っていた運転免許証から、実家の住所が分かったのである。

 兄は、重度の認知症患者のように自分に関しての記憶が不安定になっていた。子供の頃、遊園地で迷子になった時のことを鮮明に思い出した後、数時間前に買った服のことを全く覚えていなかったりした。

 和坂は行方不明だった時の兄について、調べた。当時、警察官だったため、情報を集めることができた。

 兄は別人として生活していた。偽造された身分証を用いて部屋を借り、アルバイトもしていた。

 住んでいたワンルームマンションの近所の住人は、兄に対して社交的や明るいといった本来の兄とは違う印象を抱いていた。働きに行っていた家電量販店でも、リーダーシップがあるとか、強気であるといった印象を周りの者に与えていた。和坂の知る兄とは別の人格になっていたとしか考えられなかった。

 調べている途中で、魂狩人と呼ばれる者たちがいることを知った。知ったというのは正しい表現ではない。魂狩人の方から、和坂に近づいてきた。

 その男女は、まるで保険のセールスマンのような黒っぽいスーツに身を包んでいた。しかし、保険のセールスマンのような物腰の柔らかさはなかった。どこか常に緊張感を内に秘めている印象があった。

 和坂は、誘いに応じて警察官を辞職し、魂狩人となった。和坂は、魂狩人の力を会得するために必要な素質を持っていたのである。

 兄は、魂狩人の組織が管理している医療施設に入所させた。両親は、最初は自分たちで兄の面倒を見ると言っていたが、半年ほど過ぎると、憔悴した顔で和坂の意見に従うことを自分たちから申し出た。自分達よりも体力のある者が精神的に混乱して暴れた時に、それを押さえ込むのは困難であることに、すぐに気付いたのである。

 十五年近くの年月を隔てた時の話である。

 窓の外に視線を投げると、いつの間にか日が暮れていることに気付いた。

(今日は早めに帰って、しっかりと睡眠を取るべきね。疲れが溜まった今の状態では、あいつらを狩れないわ)

 和坂は、ゆっくりと立ち上がり、歩き出した。浮遊魂に対抗する気力を補充するための僅かな休息を取るために。


 病院の最後の患者が会計を終えて一時間ほど経つと、僕と彼女はある病室に呼び出された。

 病室に入って、治霊の立っている前にあるベッドに寝かされた女性の頬は、血色が悪かった。

 ベッドの上から彼女に視線を移す。

 僕の不安そうな視線に気付いた彼女は、微笑をこちらに向け、すぐに視線をベッドの上に戻した。

「この人なの?」

 彼女の問いに、治霊が頷いた。

「真の里のメンバーが経営する精神科の医院に通っている患者だよ。家族は母親と弟がいるが、三年以上も連絡さえ取っていない。昨年の夏に、線路に飛び込もうとしたが、通りかかった近隣の住民に止められた。君好みの寄生先だろう?」

 彼女はゆっくりと足を一歩踏み出して、横たわっている女性に近づいた。そして、その女性の着ている服を鋏で切り始めた。

 服を切り裂き終わり、その残骸を取り除くと、彼女はその女性の体をしばらく観察し、頷いた。

「体は、きれいだわ。気に入ったわ」

 彼女は自らも服を脱ぎ始め、疑問符の浮かんでいる僕の表情を見て、説明し始める。

「私の力が今は弱くなっているから、少しでも体同士の接触面を多くしておかないといけないのよ」

 彼女がベッドの上の裸体の隣に、滑り込むように横になると、治霊は点滴の針を彼女の腕に刺した。

 それが終わると彼女は、運び込まれた女性に腕と足を絡めた。そして、運び込まれた女性の首をゆっくりと曲げ、その額に彼女は自ら、つまり村瀬瑠璃の額を接触させた。

 僕は一瞬、息苦しさを感じた。部屋の中の空気の密度が急速に上昇し、肺の中へ入るのを拒んだようだった。

 僕は強く瞼を閉じた。そして、ゆっくりと呼吸を繰り返してから、目を開けた。

 彼女が体を右腕で支えながら起き上がろうとしていた。

(違う…)

 僕が知っている彼女の仕草とは、違っていた。彼女はこんな雑な動きはしない。いつも、流れるように…そう、村瀬瑠璃の隣の女が起き上がるように…。

「ここは?私…なぜここに…」

 村瀬瑠璃は視線を周囲に向けて呟いた。

「村瀬瑠璃さんですか?」

 治霊の唐突な質問に、村瀬瑠璃は戸惑った表情を浮かべながらも、微かに頷いた。

「え、ええ…」

 治霊の指先が、注射器のシリンジを押した。注射器の先には透明なチューブが接続され、そのチューブは村瀬瑠璃の左上腕へとつながれている点滴へ続いている。

 自分が裸であることに気付いて、肌を隠しながら周囲を見回している村瀬瑠璃の体から力が抜け、再びベッドに横たわった。

 新しい体の住人となった彼女は、肌を隠そうともせずに、床に足を下ろした。立ち上がる瞬間に少しバランスを崩しかけたが、すぐに戻して、僕の方へと近づいてきた。

「服が必要ね」

 苦笑した彼女に、僕は頷いた。

 治霊は、村瀬瑠璃に近づいて、脈などを確認していた。

「三時間ほどで薬が切れて、目を覚ます。すぐに、連れ出して始末してくれるか?」

 治霊が病室のドアを開けて声を発した。

 廊下のベンチに座っていた彼女の新しい肉体を運んできた二人の男は、小さく頷き、病室に入ってくると村瀬瑠璃に近づいていく。

 二人の男が、気を失っている村瀬瑠璃を抱え上げようとしたところで、僕はようやく声が出た。

「その人…村瀬さんを、どうするつもりですか?」

 治霊が僕に視線を向けた。その視線には、僕の顔を強張らせ、体の芯が冷えるように感じさせる何かが含まれていた。

「我々にとって、害とならないようにするのだよ」

 僕は唾を飲み込み、口を開く。

「村瀬さんを家族の元に帰すという意味ですね?」

 治霊は何も言わずに、二人の男に視線を向けた。

 男たちは部屋の隅に置いていた車椅子を持ってきて、村瀬瑠璃を乗せる。                                         

「待って下さい。この人を、どうするのですか?」

 僕はドアの前に立ち塞がった。

「そこを空けるんだ。時間がない」

 背の低い方の男が、迷惑そうに顔をしかめた。

「教えてください」

 僕の視線の先で、治霊の顔に微笑が浮かんだ。

「何か勘違いしているようだね。この女を殺して、遺体を処分しようというわけではないよ。この女の記憶を消去するだけで、危害を加えるわけではない。消去する記憶も、我々にとって都合が悪い部分だけだよ」

 僕はバスローブを身に付けた彼女を見た。彼女は僕の視線の中にある不安を感じ取ってくれているはずだ。

「人の記憶を修正するのは、簡単ではないわ。無理をすれば、人の精神は容易に瓦解する。私は借りている体の持ち主の精神を一年かけて修復するけど、無理に操作はしないわ。人の精神は、脆いものなのよ。時には、驚くほど強靭であるけど、それは限られた場合だけなのよ」

 治霊の微笑の中で、目だけが鋭さを帯びた。

「大丈夫だよ。我々は長い間、人を利用してきた。つまり、人に関して多くの知識がある。できる限りの努力をすると約束しよう」

 僕の中で、疑念が大きくなってきた。確たる理由は見当たらないが、僕の頭の中に、村瀬瑠璃の精神を破壊された光景が浮かび、消えない。

「村瀬さんを解放するまで、僕も付添わせて下さい」

 治霊の表情が明らかに硬くなった。

「人間よ。我々は十分にお前に譲歩している。我々の邪魔をするなら、それなりの覚悟をしてもらう必要が出てくるぞ」

 僕は彼女、美霊、の顔を見た。

彼女は僕に小さく頷いた。

「僕に見られていては、困るということですか?」

 治霊は僕を見て、小さく溜息を吐いた。そして、彼女に言葉を向けた。

「美霊、君のためにこの人間を丁重に扱ってきたつもりだが、我々の利益と相反する場合には態度を改めることになる。今、改める必要があるのか?それとも、君がこの人間を説得してくれるのか?」

 彼女は口元に、不敵な笑みを浮かべた。

「説得する必要はないわ。純樹は、私が望んでいることをしてくれようとしているのよ」

 治霊が再び、小さく溜息を吐いた。

「君は、人間に影響されすぎている。人間は我々とは異なる存在なのだよ。この峰久という男も、君を君として認めているわけではない。時々、容姿が全く違うものに変化する人間というぐらいに思っているのだよ。君を理解し、真の意味で受け入れることができるのは、我々だけだ」

 彼女は頷いた。

「確かに、私を理解できるのは、同類であるあなたたちだけなのかも知れないわね」

 治霊は満足げに頷いた。

「そのとおりだ。分かってくれたのなら…」

 彼女は治霊の言葉を遮った。

「でも…私はそんなことを望んではいないのよ。村瀬瑠璃は、私たちが家族の元へ届けるわ。あなたたちに任せるのは、危険なようね」

 治霊の表情が硬くなり、視線に怒気が含まれた。

「君は、この人間に毒されているようだ。この人間を先に排除することにしよう」

 治霊は、二人の男たちに頷いた。

 二人の男は薄い笑いを一瞬だけ顔に張り付かせてから、僕に視線を向けた。

 僕は思わず、体を後ろに引いていた。

 しかし、僕が下がるよりも速く、背の低い方の男が、僕の目の前にまで近づいていた。

「うっ!」

 首筋に衝撃を感じた。目の前が黒い膜で包まれたように、視界から全てが消えた。

 背の高い男は、僕がもう一人に気を取られている間に、近づいてきていた。

「やめなさい!」

 彼女の声が、耳の奥に届く。そして、意識も闇の中へと埋没した。


 強い風が葉を揺らす音が、届いてきた。

 目を開くと、水色のカーテン越しに陽射しが見えた。

 体を横向きのまま、ゆっくりと起こすと、背後から声が届く。若い女性の声である。

「目を覚まされたのですね」

 僕は強張っている体を捻って、背後に視線を向けた。

「ここは…病院ですか?」

 女性が着ていたのが、ナース服であったから、そう思った。

「先生を呼んできます。そのままで、少しお待ちくださいね」

 僕の質問には答えなかったが、ここは病院のようである。

 頭の中心に、鈍い痛みがあった。二日酔いの時のような痛みである。

 ドアが開けられると、痩せた中年の男が入ってきた。医師のようである。

 僕の体に聴診器を当て、顔をしばらく凝視してから、表情をやわらげた。

「検査は必要ですが、大きな異常はないようですね」

 それだけ言うと、医師はすぐに席を立った。

 残った看護師に視線を向けたが、会釈をして部屋を出て行った。

 僕は強張っている体を、ほぐすためにゆっくりと腕や足を動かしてから、ベッドを下りた。

 ドアに近づいて横に引いたが、何かに邪魔されて動かない。もう一度、動かそうとして、外から声が届いてきた。

「開けることはできません。しばらく、中で待っていて下さい」

 聞き覚えのある声のような気がしたが、その男の顔は思い浮かばなかった。

「誰ですか?」

「しばらく待っていて下さい」

「待っていれば、何があるのですか?」

「待っていて下さい」

 ドアの外から聞こえてくる声は、淡々としたものだけが含まれている。

 僕はドアから離れ、窓に近づいた。

 カーテンを開けると、外には田園とまばらにある家々が見えた。

 田舎の小高い丘の上に、この建物は建っている。窓を開け、頭を外に出した。

「ここから出るのは無理か…」

 窓の外には、足場になりそうなものは何もない。三階ほどの高さがあり、飛び降りれば大怪我をすることになりそうである。

 ふいにドアをノックする音が、響いた。

 僕が何も言わずにいると、ドアが開いた。

「また、会いましたね。二度と会わなかった方が、お互いにとって望ましいことだったのでしょうね」

 和坂は眉間に薄く皺を寄せていた。

 和坂が病室に入ってくると、素早くその横に若く屈強な男が立った。

「魂狩人…そうか、あなたたちがあの診療所から僕をここに連れてきたのか…」

 僕は急にある可能性に思い至って、血の気の失せる感じが襲ってきた。

「彼女に何かしたのか?」

 僕の発した声は聞き取り難いことが自分でも分かるほど、小さかった。喉に力が入らなかった。不安が、体の動きを邪魔していた。

 和坂は僕に視線を固定したまま、口を開いた。

「あいつらに関わるのは、もう止めなさい。関われば、不幸になるわよ」

 僕は自分の今までの経験から、はっきりと否定したいと思ったが、開きかけた口を閉じた。彼女との生活の幸福感を説明しても、他人には伝わらないと思った。

 それに、和坂の顔には、反論を躊躇わせるような真剣な表情が浮かんでいたのである。


 和坂の脳裏に、昨夜の光景が明滅するように映し出された。

 美霊が匿われている場所を突き止めるのに、丸一日しか必要としなかった。真の里の者は、飯山医院が魂狩人に知られていない拠点であると思っていたようであるが、一年以上も前から魂狩人たちは監視していた。

重要な拠点ではなかったので、週に一度程度の調査しか行っていなかった。そのために、美霊たちが連れてこられたことを確認するまで、丸一日の時間が必要であった。

和坂はすぐに美霊と明霊を奪い返すために、上司に許可を求めた。浮遊魂の拠点の一つを急襲するのである。こちら側にも、被害が出ることは覚悟しなければならない。和坂の権限の範囲を超えていた。

すぐに急襲の許可が下りると、和坂は考えていた。しかし、上司からは条件が出された。

(美霊は必ず確保すること。それが最優先事項だ)

 そのために、本部から三人の魂狩人が派遣された。すでに、和坂の部隊には三人の魂狩人と十二人の工作員がいる。魂狩会には、魂狩人が三十一人しかいないことを考えると、一つの浮遊魂の支部を急襲するのに、六人もの魂狩人を投入することは、異例であった。

「つまり、美霊はそれほど重要な存在ということね」

 和坂は自分の口から漏れ出た言葉に頷いた。

 飯山医院を急襲するのは、夜中の一時と計画を立て、準備が進められた。

 近隣住民の注意を逸らすために、二軒隣のアパートの一室を確保した。急襲の時間に合わせて、そこに救急車を呼び、怪我人を装った工作員に大騒ぎをさせるように計画した。

 急襲に用いる銃器類にはサイレンサーを装備し、七分で任務を遂行するためのプランも策定し、シミュレーションも済ませた。

 しかし、この計画は実行されなかった。飯山医院の診察終了の時間付近に、美霊の魂の新しい入れ物となる一人の女性が運び込まれたと、報告が入った。

 和坂はすぐにでも飯山医院を急襲したかったが、計画通りに作戦を実行することを優先させた。

 それが裏目に出た。正確に言うと、裏目に出た可能性が高い。

 急襲した時、美霊は新しい体に入っていた。数時間実行を早めていれば、まだ村瀬瑠璃の体の中に美霊はいたはずである。

 和坂たちが急襲した際には、峰久は浮遊魂たちに昏倒させられていた。

 浮遊魂たちは、突然の急襲に対処できなかった。混乱し、組織的に反撃をすることもできなかった。

和坂が指揮する部隊は、五分ほどで飯山医院を制圧した。

サイレンサー付きのライフルが何度か音を響かせたが、周辺の住民たちに気付かれることもなく、作戦は終了となった。

 浮遊魂の死亡者は二人、負傷した者は三人であった。部隊員の一人が腕の骨折をしただけであった魂狩人側とは大きな差であった。もちろん犠牲となったのは、浮遊魂だけではない。宿主である人間も命を失うことになってしまった。

 そして、その犠牲者の中に、美霊もいた。運が悪かった。日本刀を持って切りかかってきた浮遊魂を倒すために放った弾丸が逸れて、背後にいた美霊に命中した。

 弾丸は、美霊の額から頭蓋骨内に入り、脳を破壊した。宿主の心肺が停止して、それと同時に美霊という存在も消えた。

 和坂は捕らえた他の浮遊魂から、床に転がっている遺体の中には美霊が入っていたことを聞き、一気に体温が下がったように感じた。

「そんな…」

 和坂は美霊を殺してしまったことに大きく落胆したが、最悪の結果にならなかったことに安堵もしていた。                                                                                                                                                              

「逃がしてしまうことは、避けることができたわね」

 和坂は捕らえた浮遊魂の連行と現場の原状回復を命じて、撤収をした。

 上司に美霊が死亡したことをスマートフォン越しに伝えると、叱責はされなかったが、明らかに落胆した様子が伝わってきた。

 和坂は通話を終え、画面がブラックアウトしたスマートフォンを睨みつけた。

「そんなに美霊が大切ならば、なぜ、もっと多くの人員を割いて確保しなかった?」

 その言葉は、和坂しかいない廊下で小さく反響した。しかし、十分な人員を与えられていたことも、分かっていた。


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