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第六章

 殺風景な部屋で過ごす三時間半は、長く感じられた。

 ようやく現れた和坂が、最初に発した言葉には、微かな怒りの色を感じ取れた。

「どうやって、外部と連絡を取ったの?」

 明霊からの情報で、魂狩人たちはすぐに、「天霊との連絡役」の捕獲に向った。しかし、魂狩人たちが、連絡役がいるとされた店には、誰もいなかった。十分ほど前には人がいた気配があるのに、魂狩人たちが踏み込んだ時には、店主は消えていた。店は、店主一人で切り盛りしていたカウンターだけの小料理屋で、人通りの少ない路地の奥にあった。

 和坂の厳しい視線に、明霊は小さく手を上げて、降参の意思を示した。

「何もできないだろう?そこの監視カメラで俺は見張られていたし、スマートフォンも取り上げられている。俺たちは、テレパシーは持っていない。それは、あんたたちも知っているだろう?」

 和坂は目を細めた。

「あなたの処刑は、明日の朝にするわ。これからでも良いけど、夜も更けてきたからね」

 明霊の目が険しくなった。

「約束が違うだろう?」

「それは、こちらの台詞ね。天霊の居場所を特定できるような情報がなければ、取引は不成立よ」

「あんたの仲間が、雑な仕事をして、連絡役に感づかれたことが原因だろう?」

「そうかも知れないわね。でも、結果はあなたの情報に基づいて行動をしたけど、何も我々の必要としていたもの、つまり天霊の居場所に関する情報が得られなかった。それが事実よ」

「俺の利用価値は、無くなったということか?」

「そうね」

「それなら、新しい情報を渡せば、考え直してくれるのか?」

 和坂は、小さく首を振った。

「浮遊魂とは、取引をしないのよ。私はあなたのような人間的な浮遊魂には興味があるけれど、上はそうでもないようね。四時間ほど前の取引は、私が上司にかけあって、どうにか了承されたものだったのよ」

「あれが、最後のチャンスだったということか…」

 和坂は椅子から、立ち上がった。

「残念ね」

 和坂とその護衛役の魂狩人二人は、ドアから出ていった。

 明霊は机の端に額を乗せ、顔を床に向けた。

 その顔に浮かんでいるのは、微かな笑み、それが何を意味しているのかは、判別できない。余裕、自嘲、優越感、諦め…。


 時計も、スマートフォンもなかったので、正確な時間は分からなかったが、和坂が再び現れたのは、夜遅くなってからであった。

「峰久さん。あなたの処分が決まりました。明日、あなたは解放されます」

 和坂は僕が黙っていると、言葉を足し始めた。

「あなたを解放するには、条件があります。一つは、この場所と魂狩人たちのことを、外部に漏らさないこと。二つ目は、浮遊魂のことは忘れることです」

 和坂は、僕に同意を求めて、視線を合わせてきた。

 僕は二つ目に頷きかけたのを止めた。

「彼女は、どうなるのですか?」

 和坂の顔から、表情が消えた。

「あなたには、関係のないことです。これからは、人間のパートナーを見つけて、普通に暮らして下さい」

 僕は無駄だと分かっていたが、質問せずにはいられなかった。

「美霊は助かるのですか?」

 和坂は席を立った。

「条件に同意をする気になったら、私を呼んでください」

 和坂は、部屋のドアを開けた。

「僕が先程の条件に同意することが、そんなに必要なことなのですか?口先だけで同意することも可能ですよね?」

 和坂はドアノブを握ったまま、振り返った。

「あなたが同意することが必要なのです。同意すれば、我々の方で、それが守られるように対処します」

 和坂は、そう言って会釈をし、部屋を出た。

 僕は閉められたドアを、凝視した。

(何をするつもりだ?口約束だけで、解放するとは思えない。約束を守らせるための何かをやるのだろうが…分からないな)

 一人残された部屋に、男が入ってきて、入ってきたドアとは別のドアを開けた。そのドアをよく見ると、開閉のできる小窓が取り付けられていた。

 ドアの向こうには、ベッドが置かれ、部屋の隅には便器があった。

 促されるままに、僕はその部屋に入って、ベッドに腰掛けた。

 男がドアを閉めると、少しの間だけ横になるつもりでベッドに横たわったが、睡魔が暴力的な強さで襲ってきた。

 ノックの音が耳の中に入り込んできて、僕の意識はゆっくりと浮上してきた。

 朦朧とした状態で、体を起こし始めたが、ベッドから抜け出す時には、意識は明瞭さを取り戻していた。

「どうぞ…」

 鍵が外される音が響いて、和坂が入ってきた。

 僕は反射的に、身を硬くした。

「条件を受け入れる気になりましたか?」

 和坂の視線を、僕は受け止めて、頷いた。

「分かりました。条件を受け入れます」

(彼女を救うには、ここは表面上だけでも、同意する方が得策だ。村瀬瑠璃の中で、彼女が生きていられる時間は、あまり残されていない)

 和坂は、僕の顔を無表情で、しばらく観察すると、背を向けた。

「それでは、あなたを解放するための準備をします。しばらく、待っていて下さい」

 僕は、昨日に尋問を受けた部屋の椅子に座って待つように言われた。

 ドアが閉じる音が、響いた。

(どうやって、彼女を救う?村瀬瑠璃は、どうなっているんだ?魂狩人が、まだ保護しているのだろうか?それとも、すでに彼女を村瀬瑠璃から追い出して、殺して…)

 僕の中に、不安だけが増幅してきていた。

 何も思いつかないまま、時間が過ぎた。

 マスコミやネットに、今回のことを暴露すれば、何か変化が起こるのではないかと考えたが、浮遊魂のことが公になれば、彼女の生きていく場所が消えてしまうことになる。それでは、本末転倒である。

 ドアがノックされた。

 僕は思考の海から、現実に引き戻された。

 ドアを開けて最初に入ってきたのは、和坂ではなかった。

「君が、美霊のパートナーかい?」

 その男の身長は平均より、少し低めだが、脂肪の付き具合は平均をかなり上回っている。服装はスウェットスーツの上下という、かなりラフなものである。その男は、僕の上に、珍しいものでも見るような視線を落としてきた。

 つづいて、二人のスーツの男、これは僕たちを捕えに来た者の中にいたような記憶がある。最後に、和坂が入ってくると、部屋は人の気配で充満した。

「それでは、あなたを解放する条件の実行を行います」

 和坂の言葉を合図にして、スーツの男二人が、僕の座っている椅子の両側に立った。

「何が始まるのですか?」

 僕の中に、不安が急速に高まってきた。

 和坂が僕の前の机越しに立った。

「あなたの記憶の中の浮遊魂に関するものに、封印をします。痛みは、ありません。そして、…」

 僕は和坂の言葉を手で遮った。机の上を手の平で叩いたのである。

「封印?何をするつもりなんだ?」

 和坂の目が細められた。

「あなたは条件を受け入れると言いましたよね。まさか、口約束だけでこちらが納得すると思っていたのですか?」

 僕は二度、口を無意味に開閉してから、言葉を発する。

「どうやって、僕の記憶を封印するのですか?手術のようなものをされるのですか?」

 溜息が響いた。

「はーーーあ。納得していないみたいですね。それなら、無理に記憶を封印する手伝いをするのは、契約違反になってしまいますね」

 スウェットスーツの男の言葉は、僕ではなく和坂に向けられていた。

「本人の意思は、確認してあります。そこのビデオで、録画もされています」

 和坂は部屋に設置されている監視カメラを指差した。

「でも、もし本人の意思に反しているということになれば、私は命がないのですよ。あなたたち魂狩人は、始末書の一枚でも書けば、それでいいのでしょうが…」

 スウェットスーツの男は、口元に癇に障る微笑を浮かべた。

「何を話しているんだ?僕に何をするつもりなんだ?」

 僕の中の不安が、口から言葉として溢れてきた。

 和坂は僕を無視して、スウェットスーツの男に詰め寄った。

「何も問題となることはないと断言しておきます。あなたは、自分の役目を果たして下さい」

 スウェットスーツの男は、和坂の肩を横に押して、僕の方に顔を近づけた。机の上に、人差指で文字を空書きした。

「俺は「晃霊」という名だ。俺がどういう存在か分かるだろう?」

「彼女…美霊と同じということなのか?」

晃霊と名乗った男は、頷いた。

「そうだ。俺は浮遊魂だ」

「なぜ、魂狩人と一緒にいる?敵同士だろう?」

 晃霊はにやりと笑った。

「それは、正しい認識ではないな。確かに、俺たちと魂狩人は、味方同士ではない。だからといって、敵同士になる必要はない。お互いの利益を守るために、協力することは可能だ」

 和坂は晃霊を見た。

「その通りです。協力して下さい」

「俺はあんたたちに協力はするよ。でも信用はしていない。あんたたちは、危険だと見なした浮遊魂は、すぐに始末するだろう?最初の取り決めで、同意を得られていない相手に対して記憶操作を行えば、俺は処分の対象になることになっている」

 和坂の眉間に寄った皺は、苛立ちを表しているようであった。

「それは問題がないと、言っているでしょう?」

「あんたのような下っ端の言葉ではなく、もっと上の奴の言葉が必要だ、と言っているんだよ」

 晃霊の口元には、微笑が浮かんでいるが、視線は和坂に刺さっていた。

 和坂は小さく溜息を吐いた。

「仕方ありませんね。しばらく待っていて下さい」

 和坂は、スーツの男二人を引き連れて、部屋を出た。

 部屋に残されたのは、僕と晃霊だけである。もちろん、ドアの外には見張りが立っているし、監視カメラも作動しているので、野放し状態ではないが…。

 晃霊は僕の正面の椅子に座った。

「浮遊魂と二人で暮らしているというから、どんな変わり者なのかと思っていたが…」

 晃霊は、僕の目を覗き込むように見て「普通だな」と呟いた。

 僕は小さな反発を覚えた。

「普通だよ。何か文句でもあるのかい?」

 晃霊は笑みを見せた。

「文句があるわけじゃない。なぜ、浮遊魂を相手に選ぶのかと思ってね。人間なのだから、人間を相手に選ぶべきだろう?」

「美霊は人間だ。少なくとも、僕にとっては、人間だ。だから、何も不自然なことではない。それより、あなたがなぜ魂狩人に協力しているのかが、不思議だよ」

 顔に付きすぎた脂肪が、ゆっくりと動き、晃霊は薄ら笑いを浮かべた。

「本当に、お前は人間か?俺があいつらに協力するのは、利益があるからに決まっているだろう?人間は自分の利益のために生きているのだから、俺たちが同じように振舞っても、不思議ではないだろう?」

 僕は、人間は自分の利益だけを考えているわけではないと、反論しようとしたが、晃霊を納得させるだけの根拠を思いつかなかった。

「それならば、あなたに、どんな利益があるんだ?お金か?」

「お金…というより、物だな。金があれば、いろいろなものを手に入れることができる。例えば、食べ物、人間は食の楽しみを良く分かっている。人間の体に入って、贅沢な食事をすることは、極上の楽しみだ」

(それで、その体型になったのか…)

 僕は内心で頷いた。

 晃霊の言葉は続いている。

「それに、セックスも悪くない。人間の女に興味はないが、セックスという行為自体は、美食にも劣らない快感を味わえる。そして、何より、俺たちが最も手に入れ難いものを得ることができる」

 僕は首を傾げた。

「それは何だい?」

「安全だよ。命の安全だ。俺たちは、常に魂狩人から監視され、生命の与奪権を握られている」

「明霊みたいに、逃げ出すことはできないのかい?」

 晃霊は鼻息を小さく吐いた。

「逃げることはできる。しかし、魂狩人に生命の与奪権を握られていることには、変わりはない。魂狩人がどのぐらい真剣に逃げた浮遊魂を探そうとするかによって、運命が決まるのだからな」

「魂狩人に使われている状態が安全だとは思えないけどね」

「確かに、絶対に安全であるとは言えない。しかし、魂狩人にとって、俺が有益な存在である間は、安全だ」

 晃霊は腕時計に視線を向けた。

「和坂さんは手間取っているようだね」

 僕の声に、晃霊は微笑を浮かべた。

「偶には、仕事に対して俺の要求を突きつけておかないと、あいつらに足元を見られるからな」

 僕は先ほどのことを思い出していた。

「和坂さんが部屋を出て行く前に、僕に何をしようとしていた?」

 晃霊は興味がなさそうな表情に変わったが、話は続けた。

「あんたが約束を破れないようにするために、少し君の頭の中を整理させてもらう。別に、痛くはない」

 さらに、晃霊が口を開こうとした時、ドアが唐突に開かれた。

「許可が下りたわ。直接、柿崎部長と話しなさい」

 部屋に入ってくると、和坂はスマートフォンを晃霊に渡した。

 晃霊はおどけて、スマートフォンを恭しく受け取った。

 二言三言、晃霊は電話に向って話すと、すぐに和坂にスマートフォンを返した。

「さて、始めるか」

 晃霊は、和坂にスマートフォンを返しながら、僕の前にある椅子から立ち上がった。

 代わりに、和坂が僕の前に来たが、椅子には座らない。

「何も心配する必要はありません。リラックスして、座っているだけで終わります」

 正面に和坂、両脇に別の魂狩人、そして背後に晃霊が立っている。

 僕は四人に囲まれて、不安が急激に膨張してくるのを感じていた。

「何が始まるのか説明して下さい!」

 僕の声は、自分で予想していたよりも、大きなものであった。

 晃霊の声が、背後から聞こえてくる。

「説明してやったらどうだ?処置をしている最中に、不安が大きくなって精神的に不安定になったら、こいつの頭がおかしくなるかもな」

 和坂は、軽く晃霊を睨んだ。

「説明して下さい」

 僕の声に、和坂は仕方なさそうに頷いた。

 和坂は椅子に腰掛けて、説明を始めた。

 晃霊は「手短に話してくれよ」と余計な言葉を発して、和坂に再び睨まれた。

「ここにいる晃霊は、人の記憶を封印する能力があります。浮遊魂が人の精神を乗っ取ることができるのは、あなたも知っているとは思いますが、浮遊魂は人の精神に干渉する力を持っています」

「つまり、その人の中に入らなくても、外部から精神に働きかけることができるのですか?」

 僕の問いに、和坂は頷いた。

「そのとおりです。しかし、それができるのは全ての浮遊魂ではありません」

「俺のような、特別に優秀な奴だけが、できるのだよ」

 晃霊は少しおどけたように言った。

 和坂はそれを無視して、話を続ける。

「もちろん。私たち魂狩人としては、浮遊魂が人に対して、その力を無制限に使うことを容認はできません。そこで、三人の魂狩人が不測の事態に備えて、必ず立ち会うことになっています」

 晃霊は鼻を鳴らした。

「俺たちは信用できないから、監視が必要だということだ」

 和坂は晃霊の言葉を肯定も否定もしなかった。

「彼女のことを、本当に忘れてしまう…」

 僕の中に、激しい後悔が浮かび上がってきた。

晃霊が、和坂と席を替わった。

その時に何か言ったが、僕の耳には言葉が届いてこなかった。自分の心の中に響く後悔の声に、かき消されていたのである。

「さあ、始めよう!」

 晃霊の声が響いた。

「待って…」

 僕の声が口から出ると同時に、視界が漆黒に塗りつぶされた。


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