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第11話

 リヴォリ通りから左に道を折れて、オペラ座通りに向かった。大通りに突き当たる前に左に折れた通りのこざっぱりした構えの店に、マリーはアナトールを案内した。入口の破風に【小さな真珠亭】と看板が下がっていた。色ガラスが嵌められたドアを開けると、チリンと小さな鐘が鳴った。鐘の音に気がついたギャルソンが、入口に走りよってきた。


「いらっしゃいませ。お二人でよろしいですか?」


まだ年若い雀斑顔のギャルソンは愛想笑いをしながらアナトールに言った。見渡すと店の席はあらかた埋まっているようだった。


「ああ、二人なんだ。席はある?」


アナトールは明るい声で答えた。ギャルソンは、アナトールの後ろにいるマリーに気がつくと、少し意外そうな顔をし、そして、軽く会釈をした。


「ご案内します。静かなお席が空いていますよ。」


そう言って、店の奥まった席へと二人を案内した。店は十数席ほどのこじんまりしたものだが、落ち着いた雰囲気で、調度などもなかなか趣味が良かった。


「当店の女主人からです。」


先ほど席に案内してくれた、ギャルソンがテーブルにグラスワインを置いた。


「ポール、今日はマルゴがいるのね?」


マリーが嬉しそうに言った。


「ええ、今は立て込んでいるから、後で顔を見に来ると言っていましたよ。」


ギャルソンはにこやかに答えた。


「ねえ、君、今日のおすすめは何?」


アナトールがたずねた。


「ムッシュウはワインを飲まれますか?それとも、しっかり食べたいほうですか?」


「僕は、酒より食べたい方だな。マリーさんはどうですか?」


「もし、好き嫌いがなければ、ムニュ(定食)がいいと思います。ね、ポール?」


「今日のムニュは特にお勧めですよ。メインは子羊と鳩が選べます。」


「いいですね。マリーさんはどうします?僕は子羊にしようかな。」


「では、私は鳩を。」


マリーはにこやかに言った。ギャルソンは軽く会釈をして厨房へ下がっていった。


 店の奥まったテーブルに、若い一対が向かい合って座っていた。テーブルに置かれたランプのやさしい光が、ワインと食事に満ち足りた端正な若者達の二つの顔をやさしく照らしていた。互いを包むようなまなざしで見詰め合う様は、さながら一幅絵のようだった。【小さな真珠亭】の女主人、マルゴ・ブーヴはむっちりと肉のついたその腰に手をやって、しばらくその穏やかな光景を楽しんだ。


「いらっしゃい、マリー、久しぶりね。ちっとも顔を見せないから、どうしたかと心配していたのよ。」


マルゴの声にマリーは、驚いたように顔を上げた。


「マルゴ!ご無沙汰してごめんなさい。相変わらず、ジルの作る料理は素晴らしいわね。」


「あなたは遠慮しすぎなのよ。わたし達は何時だってあなたを待っているのよ。せっかく同じパリに住んでいるっていうのに、水臭いんだから。」


マルゴはそういうと、恰幅のいい体をかがめ、マリーの頬にキスをした。マリーはくすぐったそうに微笑み、お返しに女主人の首に腕を回し抱きついた。アナトールはその光景に少し驚いたように、大きな黒い目をしばたたかせた。


「今日は二人連れだと聞いて、びっくりしたのよ。さあ、お連れさんを紹介してちょうだい。」


マルゴは陽気に言った。


「こちらは、アナトール・グランデさん、うちの店の取引先の工場の技師さんなの。」


マリーはマルゴの首から腕をはずすと、恥ずかしそうにアナトール紹介した。


「アナトール・グランデです。リヨンから出てきたばかりで、パリに不案内で・・・。マリーさんのお陰で今日は素晴らしい食事にありつけました。」


アナトールは、居住まいを正し、マルゴに会釈した。そして、マリーに向かって微笑んだ。明るく清潔な微笑みだった。年頃はマリーと同じぐらいとマルゴは見たのだが、その年頃には似合わぬほどの初心な光をその黒い瞳は宿していた。


 マルゴ・ブーヴェは思った。互いを見やる眼差しの熱さを、この二人は気づいているのだろうか。マリーがこんな顔をして男を見ることなど、いままであっただろうか?


「マリー、ニノンにたまには会いにいくの?心配していると思うのだけれど。」


マルゴの問いかけに、マリーは淡々と答えた。


「母さんはお屋敷で忙しいでしょ。私も、忙しいし・・・。たまに手紙のやり取りはしているわ。」


「まあ、最近奥様が4人目のお子様をお産みになったそうだから、ニノンがこっちに出てこれるわけはないわね。まったく、あなた達親子ときたらお互い頑固なんだから。そうそう、この間、クロードが寄ってくれたわ。レオン様もあなたの事を心配されているそうよ。」


「そう?」


マリーの顔が一瞬曇った。そして、また、何も無かったようにマリーはマルゴに向かって、少し甘えた風に言った。


「ねえ、マルゴ、それより、ジルのガレットを分けて欲しいのだけれどあるかしら?」


「ジルもマリーの顔を見たがっていたから、自分で厨房に行って聞いてみてご覧なさいな。」


マルゴの言葉に促され、マリーはアナトールの方を見やって言った。


「グランデさん、少し、よろしいかしら?」


「かまいませんよ。久しぶりなのでしょう?僕に気遣いは無用です!」


「じゃあ、私がお相手しましょう。こんな小母さんじゃお嫌でしょうけど。」


マリーの横の椅子にマルゴは腰を下ろした。それを見て、マリーは席を立ちアナトールに会釈をし、店の厨房へ向かって歩いていった。


「ポール、私とこちらにカフェを頼むわ!」


マルゴは柱のところに立っていたギャルソンに声をかけた。


 マルゴ・ブーヴはマリーの姿が見えなくなると、単刀直入に切り出した。


「グランデさん、あなたは、マリーと付き合っているのかしら?」


アナトールは、突然の問いかけに目を見張った。恰幅の良いマルゴがさっきまでの人当たりのよい笑顔から、打って変わって厳しく真剣な眼差しをまっすぐ自分に向けている。


「マリーさんとお会いしたのは、今日で2度目です。ブリューノさんのご好意で明日マリーさんにパリを案内していただくことになって、それで、その相談もかねて、一緒にブリューノ商会をでて来たんです。ちょっと、遅くなってしまったし、僕もホテル住まいですから、一緒に食事でもとお誘いしたんです。」


アナトールは、真面目な面持ちで答えた。


「それで、奥様とか、言い交わした女性がいるとか、そういうことはないのかしら?」


「は?」


アナトールは目を丸くしたまま絶句した。


「いるの?いないの?」


畳み掛けるようにマルゴが言い放った。


「い・・いませんけど・・・?」


「本当に?」疑わしそうに更に問われた。


「本当ですよ。女性と二人っきりで食事をしたことだって、今日が初めてなんですから!なんなのですか、いったいあなたは!」


まるで、自分がマリーをたぶらかそうとでもしているかのような扱いに、さすがに温厚なアナトールも声を荒げた。


とたんにマルゴは相好を崩し、憮然とした表情を浮かべた男を宥める様にいった。


「突然不躾な事を聞いてごめんなさいね。マリーは私の大事な妹のようなものだから、心配なのよ。あの器量でしょ、言い寄る男も多いのよ。だけど、あの子は慎重すぎるくらい慎重で、男の人とこの店に来たなんてはじめてだから、ついね、野暮なことを聞いてしまったわ。あのマリーが、信用しているんだから、あなたも悪い人のはずないし、気を悪くしたらごめんなさいね。」


「マルゴ、あんまり余分なことを言わないほうがいいですよ。後でマリーが気を悪くしても知りませんよ。本当にマルゴはおせっかいなんだから〜。」


ちょうどカフェを運んできたギャルソンが、咎めるように言った。


「ポール、生意気な事をお言いでないよ。私とマリーの仲だもの、こんなことぐらいじゃ怒りはしないの。カフェを置いたら、さっさとあっちにおゆきなさいな!」


マルゴはそういって、ギャルソンを追い立てるように手を振った。雀斑顔のギャルソンは、肩をすくめてアナトールを見やると、首を振りながら厨房へ下がっていった。


「マリーに余計なこと言うんじゃないのよ!」


マルゴは首を回して肩越しに、ギャルソンの背中に向かって言った。マルゴはアナトールの方へ向き直ると、照れくさそうに笑った。女主人の無遠慮な質問は、マリーを思うあまりのことなのだと、アナトールは了解した。


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