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2018年和歌 愛しいこの土地

作者: 壱葉竹鶴

1月22日


山越えて 先の山に 見えるのは

この道にない 霧のような雪



トンネルを 越えてあるのは この年も

ほんのりとした 雪の国町(くにまち)




家田畑 進む道らの つくりさえ

土地にあるべき 姿と涙



1月27日


目覚めると 猫がかたまり 枕元

厠への道 土見えぬ雪




夫婦して 傷み具合は 違えども

生きている様 よく似た草履



2月10日


大きい輪 近づいてきて 小さい輪

車のライトと 眼鏡の不思議


曙の頃、夫に病院へ送ってもらっているとマスクをしている自分の息がサングラスにかかって曇る。

すると向こうから来る車の周りに大きな光の輪があってそれが形をかえる。

こういったことに心ときめく自分が嬉しい。



解離さえ 起こせば楽に 思うけど

夫との日々 思う病室


あちこちで聞こえる話す声に、日が経つにつれ怯える気持ちが強くなり、泣きそうになり体を丸めて固まる。

気持ちをごまかそうと右手の爪で左手の指の皮膚をきつく押さえると、私の知っている痛みよりもずっと痛い。

痛みが戻っているからだ。

逃走する自分が頭によぎっても出れば体力が続かないことも、目が開かなくなることも、水分をとることもトイレに行けないこともわかる。それがわかる自分しかいない。

体の力がぬけてそのまま動けなくなるのかと思ったが、トイレに行かねばとすぐに起き上がった。

夫と暮らすようになって、少しずつ症状が出なくなっていった解離性障害。

これからの日々も夫と二人、楽しく過ごしていけるように、かつては解離で消し去っていた苦しみを自分の心で耐える力を持たなければならないと思う時がきている。

そう感じた病院のベッドの上にいる私。

何とかしようと思える日がきたのは夫とのこれまでの日があったから。



2月14日


主治医


心跳ね 妙な動きに なる我を

いつもの顔で 愉快気に見る



担当医


動く声 いつも聞く声 病室で

もがく痛みを (こら)える力



2月18日

総回診 慌てて食す 口隠し

右往左往で 頭を下げる


血液検査があるのでそれが終わってから食べるようにと夫がもたせてくれた朝ごはんのお弁当を食べている途中で回診ですと来はったのであわあわ慌てていました。



2月21日


同じ病室だったお嬢さんが、退院の日に歯ブラシ置き場にチョコと手紙を置いて行ってくれてはったことに歯ブラシを取りに行って気づきました。

顔を合わせた時にご挨拶をしただけでしたが、本当に可愛らしくてとても好きだったお嬢さん。

思いもしなかった贈り物でした。

涙が出て涙が出て、ああ、幸せだなとあらためて思います。


愛らしく その存在に 微笑んだ

ベッドの上で 思いに涙



2月23日


行く道で 浮かぶ雲海 島模様

穏やかでいる 互いの言葉


外泊から病院に戻る車の中から雲海が見え、美しさに夫と二人水墨画で見るもののようだと話していました。

描きたく思わはる気持ちがわかる気がします。


2月28日


四季の歌 三人手話と 歌声で

響きわたれる 晴れやかな胸


解離で私が言葉をちゃんと出せなかった時に手話を知ってはる方と知り合った。親切でとても明るい人。

もう一人、他の時に知り合っていた人。その二人が私のベッドに遊びに来てくれはった。

たまたま三人共が四季の歌の手話を知っていて、一人が手話と声で歌い始めてそれに続いて歌い、三人の笑い声が響いた。


3月4日


霞立つ 春の訪れ 身に感じ

花咲く梅の 姿を望む


裏庭にある梅の木は老木で、その身に苔もある。日陰にあるので他の梅よりも咲くのが遅い。

日陰にあるから私はこの目でも見に行くことが出来る。花の咲いた姿を退院してから見ることが出来たらなと思う。



3月8日

山笑う 強雨の雲に かかりても

生きていく道 我が胸掴む


春の朗らかな明るい姿を私には見ることが出来ないけれど、曇りや雨のこの日には見上げることが出来る。

こんな強い雨の日でも芽吹く命を感じる。生きるものの強さを感じる。

それを幸せだと思う。


3月11日

朱の空に 霜柱立つ 田畑山

冬の終わりの 眺め美し


3月15日

雨粒と 起きた蛙の 鳴く声に

手すすぐ水の 温むを感ず


雨の降る中、厠から戻る途中に蛙の鳴く声を聞いた。ついこの前まで骨も痛むような心地だったが、柄杓ですくう水がほんのり温かく感じる。水の温度は昨日も同じようだったはずだけれども、蛙の声を聞いて気持ちが温まったこともあるのだろう。春の夜の心地よいひととき。


3月31日

目が開くと 目が覚めるのが 違うこと

知ったあの朝 思い出す頃


数年前に眼瞼痙攣の症状がひどくなり始めた時、朝目覚めた時にはもう目が開かなかった。それまでの私は当たり前に目覚めると目が開いたから考えたこともなかった。

自分の身であって初めて、言葉としてではなく知れたことだった。


日が入ってくることを防いでいるこの部屋でも一日のうちに目が明かなくなることが増える時期がやってきた。

これからは次の冬前まで日が照った時間に目が開くことは非常に少なくなる。


日のあたる分に目の周囲に始まる痛みも、目が開いていても眩しさに悶える時期になる。


三線と二胡の曲を練習して覚えて、日が高い間に目を休めるように布で覆った状態で昼の時間を楽しみたい季節がやってきた。

起き上がれない時にはカリンバで。


春から秋は覆った布の闇の中で音楽を、夜には自然の気配と夫との時間を大切にする頃だ。



4月7日


雨音と 蛙の鳴き声 覆う雲

心地よい昼 もたれ眺める


雨の日は雲が太陽を覆ってくれているので、サングラス越しではあっても外を眺めることが出来る。

脇息に腕と頭をのせてぼんやりとその様子を見ている時間が愛しい。

蛙の声はもちろん、雨の音もなんと心地よいのだろう。


4月11日

来年も 花を咲かせて 会えたなら 

老いた梅の木 病の我が身



4月23日

いくつ鳴く 蛙の姿 思っても

浮かんでくるは 我が笑みばかり


少し前まで数匹ほどだった蛙の鳴き声がいつの間にやら合唱になっている。

声が可愛くて、何匹いるのだろうと考えてみようにも、私の頭に浮かぶのは蛙の跳ねる姿ばかりで、その可愛さに顔がゆるんでしまう。


4月24日


野の藤が 色とりどりに 咲きこぼれ

愛し萌黄と 乙女心よ


久しぶりに夫と出かけるのに入院していた頃に日々通った道を車で走る。普段はほとんど家の中で明るいうちに外を見ることはない。曇り空の下、山を見ながら藤を見つけては夫に伝える。

今年の芽のこんもりとした色や形を見てはしゃぐ。

一緒に出掛ける時の幸せを感じる。



5月7日


ユキノシタ 摘まんと雨の 軒下で

蟹に出会うた 愛しこの土地



雨のよく降った日、そろそろユキノシタが収穫出来るこもあるかもしれないと笠をかぶって裏庭に行く途中の軒下で蟹が歩いていた。そうだった。ここは蟹も歩いているのを見られるところだったと、こちらに気づいて威嚇してくる蟹の姿すら可愛くて笑みがこぼれ、そのまま裏庭に行った。

ユキノシタはいくつか花が咲いていて摘み頃のものもあったので大きくなった葉を摘んで、雑草を抜いてきた。

まだ小さいこがこれから大きくなるだろうしまた雨のたびに見に行こう。

ユキノシタ茶を飲みたいためにウキウキ見に出た私に蟹が姿を見せてくれる。

嬉しい気持ちがふくれるばかり。


拾い猫 連れて病院 向かう道 

田畑やかごに 麦秋の色


しばらく家の周りをうろうろとしていた茶トラの猫を捕獲して、飼うため動物病院に検査などに向かった。その途中、麦畑が収穫の時期を迎えようとしているのが見えた。その色が膝の上のキャリーにいるこの猫と少しばかり似た色に見えた。すでに湧いている愛着故の美しさだろうか。



6月13日


疲れ故 久方ぶりに 酒に負け

せめて座しての 竹刀をふらん


病院との行き来で疲れ果てていたのに、裏庭のハーブたちを見に行けた喜びなどで呑み、いつもより少ない量なのに酒に負けた。

雨の日が続かないと、昼間には日が暮れるまでそれほど起き上がっていられないことが多く、体力が落ちる一方。

少しの座っていられる間に竹刀でもふって少しでも体力を維持出来るように気をつけよう。



7月1日


縁側で こちらに見えて おるまいと

すだれの向こう 寝返る猫ら


下側だけカーテンを開けて、すだれをかけて風を通している。私が昼寝をしていた間に猫がそちらに行ってくつろいでいたようで、普段は見ることのない体勢で寝返りをうっている。猫らが寝返るたびに笑いそうになるのをこらえるのが大変だ。



7月30日


月の光が ゆらめき上り

処かわれば 朝日のよう



11月5日

食事前 すでに酔いどれ 外から聞こえる 育った蛙の 太い牛声 次の夏にも 出会いたい


11月5日


病故 我が山の木々 永久(とわ)に出会えぬ はずだった 友の菴で 育つ愛しい 松の木よ 我より先に 去ぬことなかれ 


11月18日


薄ぼんやりとした世界の

美しい水気に

今日の世界を見る

酔うような野山の景色

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