表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

老婆と嘆きの壺と牢の中のセリヌンティウス

 もしも、ご不安になられたのなら、壺の蓋をあけなされ、さすればセリヌンティウス様のお助けになりましょうぞ。


 シラクスの都、石工のセリヌンティウスは、友の身代わりとなり牢へとつながれていた。そして彼は静かな戦いに挑んでいた。


 それは己の心。友は…戻って来る、純朴な彼を信じる心、それに相対する不安に思う気持ち……その狭間で揺れ動いていた。


 明かりとりのために天井近くに、小さく空けられているそこから、月の光が射し込む。


 一筋に怪しくそれは彼を照らす。日の光とは違い、温度が感じられない光には、人の心の闇を暴くものが宿っている。


 妹の婚礼、それが終わると此方に向かう、彼なら一心不乱に駆ける。昼夜を問わず、休まずに……そう、きっとそうだ、


 彼はそう思う。そう思いたいと、思わなければならないと……信じる、いや、信じようとしている。


 白の中に青を感じる月の光に、ふと自身の手をかざす。牢の中に取り巻く負の気が、彼に集まって来ているのか、目にする皮膚の色は死人の様に感じる。


 それとも……もぅ、友は間合わない、と月の光が知らせを送って来てるのか、カローンに出会う時が近づいていると、アルテミス様は教えて下さっているのか……なのでこのように希薄な色に見えるのかも知れぬ……彼はとてつもない不安に押し潰されそうになっていた。


 それに呼応呼応するように、カタカタ、カタカタと床の上で小刻みに動く壺。城に向かう途中で、無理に持っていくよう渡された。


 きっとお役にたつでしょう。


 彼女の年老いた姿とは、似つかわしくない若い艶やかな声が脳裡によみがえる。


 あれは一体誰なのか、数日前に市場で腹をすかし倒れていた老婆。わずかな食べ物を、与えただけの縁。


 それを覚えていたのか、あの路地からこれを持ち出してきた。彼は目の前に、置いている『嘆きの壺』と呼ばれるそれを、暗澹たる気持ちで見つめる。



 ――都の王様が、ある時献上された紅い宝石にその心を奪われた。


 善良な王は、その美しく妖しく光るそれに心を……奪われてしまった。


 そして王は、その慈しみに満ちた、彼の治世の形を変えた。彼の心に住む、紅い美女の囁きに耳をかたむけたからだ。


 ――信じてはいけませぬ。いけませぬ。人は裏切り、裏切る者ですのよ。アナタサマを、慕っている皆も、心深くではキットネ……


 王は……美しく紅く、そして冷徹無比な黒い夢に、飲み込まれた。そうだ、何も、誰も信じてはならぬ、信じてはいけないと……


 善良な王は、豹変した。そして彼を止めるものはいない。王を為を想い、それを述べると弑されるからだった。



 やがてシラクスの都の民は嘆く。嘆く事しか出来なかった。


 ……王は人を殺します。全てを信じられぬと、謀反を起こすか、と忠義な家臣を、簒奪する気か、と皇太子を、ご自身のお身内を、余に逆らうか、と国の民を……殺します。


 何も言えません。何も言えません。声をあげれません。兵が来て牢屋へ連れてかれます。そして殺されます。


 兵も王の命に逆らうと、殺されます。殺されます。私たちはここにしか、ここにでしか、この思いを話せないのです、何も喋れないのです……


 都の路地裏にひっそりと置かれている『壺』……そこを訪れた一人の老人が、握りしめている小石にヒソヒソと呟くと、カランとそれをいれる。


 薄暗いそこには、そんな壺が幾つか並んでいた。手のひらに乗る位の大きさの小さな壺。人々が話せぬ思いの丈が、溢れそうになると小石に囁きそれに入れる。


 その壺は誰が言う事もなく『嘆きの壺』と呼ばれていた。そしてそれが縁まで満ちると、新しい物が、いつの間にか置かれている。


 誰が持って来るのか、それは誰も知らない。



 ……石工セリヌンティウスが、城から呼ばれ慌てて向かっていると、黒いマントを頭からすっぽり被った老婆が一人、声をかけてきた。


「セリヌンティウス様、セリヌンティウス様、お待ちくだされ、ばばのお礼を受け取ってくだされ」


 その声に立ち止まり、振り返るとあの路地裏から壺を片手に姿みせた……それを思いだし、頭を振るセリヌンティウス。


 何故に受け取ってしまったか、彼はわからない、しかしそうせざるをえないオーラが、彼女には満ちていた。


 不安になったら……彼はカタカタ、カタカタと、彼の闇に、呼応するように動く壺を、じっと見る。


 不安になったら……友は……祝いの酒を飲み過ぎ、酔いつぶれ、間に合わないのではないか、そして諦め、村へと引き返し……そのまま暮らすのではないか、約束などわすれて……私も忘れはてて、幸せに……危ういものでセリヌンティウスの全てが満たされる。


 そして……そろりと手を伸ばし、その首に括られている、麻の紐を緩めた。なめした薄い革を取り払う。


 はっ!と我にかえるセリンティウス、思わずそれから、その身を引く。禁忌を破った!即座に彼は現実を理解した。


 ガガガガ!ゴゴゴゴ!とそれが、激しく動くとミノタウルスの咆哮の様な、轟く叫び声が上がる。


 ごぅ!と黒い竜巻が立ち上る。思わず目を閉じるセリヌンティウス。頭を抱えてうずくまる。


 縁まで一杯に詰められていた、町の人々の嘆きか込められた小石が、彼を避け牢内、にカチカチパン!パン!と壁に、床に、天井に、四方八方に飛び散る。


 地の底から響く様な不気味な、雄叫びが響き渡る。慌てて駆けつけた牢番も、なすすべがない。


 頭を抱えて伏せている、友を信じる善良なセリヌンティウス、そんな彼に深く、同情を寄せている牢番。


 二人はゼウスに願う。この苦難をお救いくださいと……


 そして願いが聞き届けられたのか、その黒い風は、急速に収まる。


 その、おどろおどろしい気をもった黒い風は、牢に満ちていた無実な人々の怨嗟を、理不尽な哀しみを、絶望を……何もかも根こそぎひっさらう様にかき集めると、明かりとりのそこから、月夜の外に飛び出して行った。






















評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ