【1】喧騒の朱色
下ネタが多いのは登場人物の名前のせい
そして主人公のモデル(性格)は多分自分…
彼女はそこら辺にいそうな小説家であった。だが彼女の頭はいつも重そうに持ち上がる。そしてたまに倒れたりする。
今日の彼女は実に億劫そうである。外は快晴、夏に差し掛かるゴールデンウィークの最初の日である。
昨晩は寝の共であったラジオからは今日の天気予報が流れている。最高気温が例年より高いことを告げたのち彼女が五月蝿がりその声を出すことを諦めた。
「暑ぃ…」
音を立ててその場にまた頭を下げた。午前10時だと時計が示している。
今日もまた何も起こらなさそうだ、と彼女が安堵していると、これまた大きな扉が開く音がした。
この住居、二階建て、横はとんでもなく広く部屋は何十とある所謂大豪邸である。
彼女は危険を察知したように布団に潜り直す。面倒事はたくさんだ。これから新シリーズも書かなければならないらしいのに、これ以上面倒なことを増やしてたまるものかと目を固く瞑る。汗が出てきているが、問答無用だ。なんてたって今から仕事を始めようとしていたというのに、
「おはようございます?リンドウ先生」
嫌な声だ。年下のくせになんだか妙に命令口調で、彼女が今一番会いたくない人物の声だった。
「寝かせませんよ、起きなさいリンドウ先生」
布団を無理に引っ張られる。ろくに干していない布団はその辺りに埃を撒き散らし資料用の本の塔が何個か倒れた。カメラが回っていたらさぞ特撮映画のようであっただろう。
彼女はもぞもぞと動き死んだフリをした。だがその抵抗も虚しく米俵のように担がれる。
「なッ、お前、セクハラ行為で訴えるぞ!」
今年一番の叫び声をあげた彼女だったが、相手は男であり、抵抗するも体格差で負けた。
「サイン会だと前々から言っていたでしょう。忘れていた貴女が悪いんですよ」
「私のサインを誰が欲しがる!要らないだろうあんな落書き!そんなものを書いている暇があったなら新しい本を書いていた方がマシだ!大馬鹿者!うんこ!」
「そんな下品な名前じゃありません、僕の名前はウコンです。」
「調味料みたいな名前しやがって!やっぱり訴えるぞ!お前なんて和式便所に横たわっていればいいんだ!!」
ゆったりとしていた朝が一変し、一気に喧騒へと変化する。何を言い始めるか、彼女は罵倒を繰り返す。
「変態!綺麗な蝶にもなれやしないくせに変態!こうやって女を誑かすんだろう!シラミにでも髪を全部食われちまえ!」
「何気なく恐ろしいことを言いますね…」
ウコンと名乗った彼は彼女を風呂場に押し込み、「洗い終わるまで出しません」と宣告した。彼女は閉められたドアを見て深いため息をついたが、外へ出る決心が出たのか服を脱ぎ始める。
服と言っても着ていたものは彼女の──豊満とは言えない─胸を抑える物と最低限の下着。そして年が立ち丈が短いというレベルではないショートパンツのみである。色気というものが全くない、むしろ晴れ晴れしいほどの半裸であった。
全てを脱ぎ、完全に肌をさらけ出したあと、彼女はシャワーへと向かった。かなり怠そうな様子だが、その足はしっかり地面に付いていた。
脱衣所に至るまで、湿っぽくなる。彼女がシャワールームから出て、下着を取り出す。少し若い女性に見えるが、くしゃみをする時の顔で歳を見せる。色気など全くない、他を気にしない盛大なものであった。
とりあえず、と脱衣所にまとめて雑に置かれている服の山から青のワンピースが取り出された。そしてこれまた乱暴に束ねられたスカーフの棚から白いものを取り出す。軽く腰元で結って、髪をその辺にあったゴムで縛った。ついでに眼鏡もかけた。
「終わりましたか」
先程より見られる格好になった彼女を見てようやくウコンは彼女を女であると認識する。気だるげな表情はどことなく陰があるように見えて、元の顔の作りは良いことを思い出させる。
「どうした、固まって。何回も私服なんざ見ているだろう」
「いや見ているんですが、やっぱり貴女きちんとした服を着た方がいいですよ」
「何だ?またセクハラか?今度は訴えられるぞ、なんてたってきちんと服を着ているからな?」
意地が悪そうに彼女は口角を上げた。
ゴールデンウィークの初日。彼女は外に出ることとなったのである。
「───以上です。リンドウ先生、なにか質問はありますか」
「いいや、無いね。というか私の落書きを書いてもらうイベントなんて本当に需要があるのか?」
書店の店員は最初、あれがかの林藤シヅカかと彼女の外見を見て目を輝かせていたが、小一時間性格と向き合ったおかげで目の輝きなどとうに失せていた。そして半分後悔してさえいた。
先週書き上げた自分の本を軽く叩く“リンドウセンセイ”は沢山の夢を壊していっていた。絶賛崩壊中というものである。
「大体私は基本家から出たくないんだぞ…今からでも帰って執筆の続きがしたいくらいなのに」
「リンドウ先生?」
「わかったわかったやる!やればいいんだろう!」
机に肘をつけて頬杖をつく。彼女は腐っても彼女である。風呂に入って服を着替えたくらいで本質は変わらない。
「それでは一時間後に、またよろしくお願いします」
店員は彼女とウコンをショッピングモールへと押し出し、自分は頭の痛い仕事へと戻った。
それなりに人気になった彼女のサイン会、もとい落書き会は13時からの予定である。
「はあ、全く、貴女はもう少しその人の当たり方を何とかできないのですか?…リンドウ先生?」
もう上の空であった。
どころか、彼女は別のものを見ていたのである。
空を飛ぶ少女。ショッピングモールの吹き抜けから、真っ逆さまに。彼女は一瞬理解出来ていなかった。その子が空を飛んでいるのではなく───落ちていたのだということに。
途端悲鳴が上がる。誰も下敷きにならなかったようだが、その少女は呻いて動かない。彼女はそれをずっと見つめていた。人々は野次馬になって少女を見ていた。彼女の後ろにいたウコンは冷静に救急車を呼んでいた。
「リンドウ先生、あの野次馬になりたいとは言いませんね?」
「─違う」
「え?」
「あの子は突き落とされた。見ろ、仰向けになっているだろう」
彼女は指を指す。
「二階にいるかもしれない!」
「何がですか!待って下さい!」
彼女は走り出す。
エスカレーターを駆け足で登り、彼女が落ちてきたであろう場所に行く。
だが、そこには人だかりこそ出来ていたものの、その子が落ちていった手すりの部分には円形が出来ておらず、彼女は少し違和感を覚えた。
「おい!そこの奴!」
ぼぅっと現場を見ていた男に彼女は声をかけた。
「今のを見ていたか、どこから落ちてきたか知っているか」
「い、いや…でも、本当に空から降ってきたみたいに…」
「空から?」
ばっと上を見上げる。
そこには採光用の窓があった。その一角。
一角に、人ひとりを落とすことが出来る位の穴が空いていた。
後ろから付いてきていたウコンが彼女の視線を辿り、それに気付いた後、すぐに携帯を開き110と打ち込んだ。そのくらいあからさまだったのだ。
「行くぞうんこ!」
「うんこじゃなくてウコンです」
こうなると誰も彼女を止められないことをウコンは知っていた。すぐさま屋上に向かう。走り出した彼女はスカートが舞い上がることなど気にしていなかった。
またエスカレーターを駆け上がり、屋上に。しかしそこには照りつける太陽と車の列。既に逃げたかと思われたが、彼女はそれだけで終わらなかった。
「その辺にあるカラーコーンを持ってこい!」
ウコンは言われた通り置いてあったカラーコーンを持ち、走る彼女を追いかける。既に出ようとしている車が3台。それらを止めるようにして彼女はその前に立ちはだかった。
先頭車の運転手は流石に人を引きたくなかったようで、ブレーキをかけた。
素早くその後を追いかけ、ウコンは通行止めだといわんばかりに出口の坂をカラーコーンで塞いだ。
「さあ、トリックを見せたまえ!」