兄貴の部屋
兄貴の葬式から数日たったある日。
私がいつも通り家に帰ると、家の前に見慣れない男の人が立っていた。その男は黒いスーツを着ており、どこか他人を寄せ付けない雰囲気を醸し出していた。しかし、何より私の目を引いたのは、その男の身長だった。男はどう見積もっても、平均的な成人男性の身長よりはるかに低かったのだ。服装や雰囲気にはそぐわないその特徴はどこか滑稽ささえ感じられる。
その男の人はただじっと私の家を見ているだけで、玄関のチャイムを鳴らす気配すらない。親父の知り合いか何かだろうか。私は不審に思いながらもおずおずとその男に話しかけた。
「あの、家に何か用ですか?」
私の言葉に男は反応し、ゆっくりと顔をこちらへと向けた。
「いや……特に用事はない。貴様はこの家の人間か?」
高圧的な言葉遣いにたじろぎつつ、私は小さくうなづいた。
男は何も言わずただじっと私の顔を見つめてくる。思わず男と目が合い、慌てて私は顔を背けた。男はそんな私の仕草をそのまま観察したのち、小さな声でつぶやいた。
「なるほど。貴様は水前寺愁斗の妹か」
突然出てきた兄貴の名前に思わず反応してしまう。私は慌てて問い返した。
「え? 兄貴の知り合いなのか?」
「知り合いだ。一度助けられたことがあってだな、私は水前寺愁斗に貸しがあるんだ。……まあ、それを返す前に死んでしまったがな」
男は淡々とした口調でそう言った。
兄貴の知り合いだったのか。それを聞いた瞬間、誇らしい気持ちと、どこか寂し気な気持ちの両方が沸き上がってきた。兄貴との思い出を話してくれるのかもしれないと私は黙って男の言葉を待つ。しかし、男は私から顔をそらし、再び私の家へと視線を移した。どうやら詳細を話すつもりはないらしい。
私たちの間に気まずい沈黙が流れる。
そろそろ家に入ろうかと考え始めたその時、男は不意に懐からカードのようなものを取り出した。男はその裏にペンで何かを書き、それを私に手渡す。男が渡したのは一枚の名刺で、中央にでかでかと名前が書いてあった。どうやらこの男の名前らしい。次に裏を見てみると、そこには携帯の電話番号が殴り書きされていた。
「これは?」
「私の勤め先と電話番号だ。私は社会的地位もあり、また財力もある。貴様や貴様の家族が困ったとき、連絡するといい。私のできる範囲で助けてやる」
私は眉をひそめる。どうして突然こんな申し出をするのか。
「私は人に借りを貸したままでいるのが、嫌いでな。死んだからといって、水前寺愁斗への借りをそのままチャラにしておくのも気分が悪い。だから、やつに代わって貴様が私に借りを返させるのだ。わかったか」
男は有無を言わさぬ口調でまくしたてる。
私は男の態度に気圧され、黙って首を縦に振ることしかできなかった。男は私の様子を見て満足したのか、ふんと大きく鼻を鳴らす。そして、もう用事は済んだとだけ言い残し、男はそのまま去っていった。
私は男の背中を見送りつつ、胸を撫で下ろす。正直、生きた心地がしなかった。まあ、悪い人ではないんだろうけど。
私は男の姿が見えなくなったのを確認してから、家の中に入っていった。
男の口から告げられた兄貴の名前。それがどこか頭に引っかかっていたのか、私はそのまま無意識に兄貴の部屋に入った。
私は扉を閉め、ぐるりと部屋全体を見渡す。兄貴の部屋はまだ片付けがなされておらず、そのままの状態で放置されていた。制服もカバンも、机の上に散らばった筆記用具もすべてそのままだ。
私が兄貴の机の上に目を向けた時、ふとあるものが目に留まった。私は机に近づき、それを手に取ってみる。それはネックポーチだった。青と白のストライプ模様で、ちょっとした小物を入れ、首にかけて持ち歩くためのものだ。なんでこんなものを兄貴が持っているのだろうと思いながら、私はそれをしげしげと眺める。
それを握り締めたまま、私は机の真向かいにある本棚にふと目を向けた。そして、再び本棚の中のあるものが私の目に留まる。
部屋を勝手にあさるのは良くないと思いつつ、好奇心に導かれるまま、私はそれを手に取ってみた。サイズは文庫本よりは大きく、かといってハードカバーよりは小さい。表紙には何のデザインも施されておらず、ただ書名と著作名が書かれているだけだった。
『「神力」基礎理論』 H.ヴァイデ
タイトルからして怪しげな本だ。バーコードや出版社名が書かれていないことから、いわゆる手製の本なのだろうか。
私は何気なしにページを開いてみる。そしてそこには序文として、次のような言葉が書かれていた。
『神力とは人間の不可能、不知を超え、あらゆる願望を強引に実現化させうる力』
私はその思わずその言葉を繰り返し読み返してしまう。神力? あらゆる願望を実現させる力? 私は馬鹿らしいと思いつつも少しだけ興味が湧き、パラパラと本をめくってみる。個人が完全に趣味で作っているにもかかわらず、中身は思っていた以上に整然としており、そこらの学術書と比べても遜色ない出来だった。巻末にはご丁寧にも参考資料も載せられている。
そして参考資料の羅列を眺めていたその時、私は思わずページをめくる指を止めた。そこにどこかで見たことのある名前が書かれていたからだ。
私ははっと思い出し、ポケットに入れていた名刺を慌てて取り出す。
『ワン・チェン』。私は本に書かれている名前と照らし合わせてみる。間違いない。同じ名前だ。それも一つだけでなく、いくつかの参考資料がこのワン・チェンによって書かれている。
私はそこで本を閉じ、考える。
普通に考えれば単なる同姓同名だろう。それにこんな手作りの本に書かれていることを信用するのもおかしなことだ。だけど、これは本当に偶然なのだろうか。
兄貴の部屋にこのようなおかしな本がある。もちろん兄貴が書店で買ったものじゃない。誰かから、おそらくはこのH.ヴァイデとかいう人から直接もらったものなのだろう。それと兄貴の知り合いとかいう、ワン・チェン。兄貴はいったいどこでどんな理由で知り合いになったのか。偶然にしては少しできすぎているのではないか。
そこで私は肩をすくませながら頭を左右に振った。いったい私は何を考えているのか。何を必死になってこんなことを。しかし、そう頭で言い聞かしたところで、一度膨らんだ疑問は収まることなく膨らんでいく。そして不意に、本の序文として書かれていた言葉が頭の中で再生される。
『神力とは人間の不可能、不知を超え、あらゆる願望を強引に実現化させうる力』
その言葉に導かれるように、気が付けば私はポケットから携帯を取り出していた。




