ウリエルという少女
ウリエルは顔をあげ、俺の方に近づいてきた。混乱極まる俺をよそに、電話の向こうから陽気な牧場の声が聞こえてくる。
「あー、やっぱり来てたんだ、ウリエルって子。まったく彼女も赤川君と同じくらい必死だよね。ほんと、笑っちゃうなぁ。ま、とにかく水前寺くんがすぐそこまで来ていることもわかったし、電話を切るね。せっかくのご対面を邪魔するのも悪いし。じゃ、神社の境内で待ってるから。できるだけ早く来てね。僕は待つことがそんなに好きじゃないからさ」
牧場がそう言い終えるとともに、電話が切れる音がした。俺は携帯を持っていた手を下し、ただウリエルがこちらへやってくるのを突っ立った状態で待つことしかできなかった。
ウリエルは俺の目の前まで来たところで、不意に立ち止まった。俺たちはそのままの状態で互いに見つめ合った。緊迫した沈黙が流れた後、俺は弱弱しい声で言葉を発した。
「なんで、ここにお前がいるんだ」
ウリエルは俺から顔を背けることもせず、ただ俺の顔を刺すように見つめてくる。
「……簡単な話だ。……神力のため、牧場と手を組んだ」
俺は目の前が真っ白になり、それとともに今まですっかり忘れていた頭の痛みが再びぶり返してきた。ガンガンという音が頭の中に響き、鼓膜の奥からつんざくような耳鳴りが聞こえだしてきた。
信じたくない。しかし、俺は今さっきまである疑問を抱いていた。どうして牧場が俺の電話番号を知っているのかというのことだ。ウリエルが牧場に教えたと考えるならば、それは簡単に説明がつく。
「どうして……牧場なんかと」
「今の私には何としてでも神力が必要だった。おそらく水前寺と霧江さんが由香を守るための対策を講じていると考えた以上、神力の封印を解くことができるかもしれない人間は牧場しかいないと考えた。これが理由だ」
俺は必死になってウリエルに食らいつく。
「でも、なんで牧場が神力の封印を解けるって考えたんだ。牧場は今まで由香と個人的に接触したことはないはずだぞ」
「もちろん、あくまで可能性の話だった。私はただ一つだけ思い当たる節があっただけなんだ。わらをもすがる思いだったと言った方がいいかもしれない」
以前ウリエルは、ある目的のためなら牧場と同じような方法をも辞さない覚悟だということを言っていた。それと、俺の前から突然走り去ったあの日の出来事。もちろんウリエルが何を思って、あるいは何に気付いてそのような行動に走ったのかなんて俺には理解できなかった。
「水前寺。悪いことは言わない。今すぐ何もかも忘れて、元来た道を帰るんだ。上にいる牧場は本気でお前を殺すつもりだぞ」
ウリエルは一呼吸間を空けてから言葉を続けた。
「そもそもお前がここまで首を突っ込む必要はないんだ。この際だから言わせてもらうがな、お前のお人好しさ加減ははっきり言って病的だ。傲慢と言い換えてもいい。お前は自分が犠牲になることですべてを解決できるとでも考えているんじゃないだろうな。お前は自分が冒険譚の主人公だと勘違いしているんじゃないのか」
鳴りやまない耳鳴りに紛れて聞こえてくるウリエルの言葉をただ黙って受け入れた。実際、ウリエルの言うことに対し、俺は何の反論も加えることができなかった。病的な利他主義も傲慢さもある意味、俺そのものを的確に言い表しているとさえ言えた。今この瞬間に俺の身体を蝕んでいる苦痛ももしかしたらそれ等に対する報いなのかもしれない。
それでも。俺はぼうっとする頭を何とか奮い立たせ、ウリエルに対する返答をひねり出そうとした。なんで今更になって俺たちを裏切ったのか、とか。俺はそんな理由で動いているんじゃない、とか。俺がこの場で言うべきセリフが頭の中に浮かんでくる。しかし、なぜかどのセリフもこの場にそぐわないように感じられた。
俺はそこで考えることをやめ、ただウリエルをじっと見つめた。激しさを増す頭痛と闘いながら、俺は口を開く。
「少し前まで……俺が中学時代の時までかな。俺はお前の言う通り、自分が物語の主人公だと本気で考えていた。だけど、いろんなことがあって俺はそれが事実ではないということに気が付いたんだ。……いや、もしかしたら気が付いたふりをしていただけなのかもしれないが。まあどっちにしろ、結末に変わりはないけど」
脈略もなく浮かんでくる言葉が俺の口から零れ落ちていく。もはや自分が何を言っているのかさえ理解できなかったし、また理解しようともしていなかった。
「きっと俺は何か見えない枠の中に生きてて、枠の外を覆う大きな流れを変えることはできないんだと思う。だけど……それでも。その枠の中で必死に足掻き続けていれば、それを神様がどこかで見ていて、また違う形で報いを与えてくれるじゃないのかな。もちろん、その報いの形が、初めから俺が願っていたものと同じというわけではないんだろうけど……」
俺のぽつぽつとした語りに、ウリエルは少しだけうろたえた。もしかしたら、俺の様子がいつもとは明らかに違うと言うことに気が付いたのかもしれない。
「な、なにを言っているんだ、水前寺。何の答えにもなっていないじゃないか……」
俺はウリエルの顔をじっと見据えた。
「聞いてくれ。多分、俺はこのままでも近いうちに死んでしまう。だから、我がままだとしても、納得のいく死に方をさせてくれ」
「近いうちに死ぬだと? 笑えない冗談はやめろ」
「冗談なんかじゃない……。お前も薄々気が付いていたんじゃないのか、神力の副作用について」
俺の言葉にウリエルは顔を伏せた。どうやらウリエルもこの可能性について心のどこかで考えていたのかもしれない。俺がこれほどまでに弱り切っているという事実について言及しなかったのも、その真実を知ることを無意識にためらっていたからなのだろう。
「それじゃあ、私はなんのためにここへ……。なんで……どうして……」
俺は狼狽するウリエルをじっと見つめ、小さくため息をついた。
「わかってくれ。英雄になれない俺は、きっと何か自分よりも大きいものに身を捧げてなくちゃ耐えられないんだと思う。歴史に名を残すようなことをできなくても……せめて……俺のちっぽけな願い事だけでも、諦めさせないでくれ」
ウリエルは顔をあげ、悔しそうに唇をかみしめた。それから不意に目を閉じ黙り込んでしまった。そして短い沈黙の後、ウリエルは小さな声で「好きにしろ」とだけつぶやいた。
それは呆れて突き放すような冷たい口調ではなかった。それが、不器用なりにひねり出した精一杯の言葉であることを俺は理解した。俺はそのまま霧島神社の階段に向かって歩き出す。そしてウリエルと横並びになった時、不意にウリエルが言葉を発した。
「牧場を止められるのか?」
俺は進行方向を向いたまま、立ち止まる。
「……当たり前だろ」
ウリエルの顔を横目で見ながら、しかし、顔をまっすぐに前に見据えたまま俺は言った。そして俺が再び歩き出そうとしたその瞬間、視界の隅でウリエルはわずかに口角をあげるのが見えた。
「●●●●●●●●●●」
俺はウリエルの方へ振り向く。しかし、そこにウリエルはいなかった。まるで最初からそこに存在していなかったかのように。
今、ウリエルはなんて言った? 俺は自分の耳を疑った。仮に聞いた通りの言葉だとして、それはいったい何を意味しているのか。
俺はウリエルがいた場所をじっと見つめる。しかし、深い呼吸をしたのち、俺は再び霧島神社の方へ身体を向けた。俺は覚悟を決め、境内へと続く階段を上り始めた。




