『物質移転』の魔術
魔術。
牧場の口から発せられた思いがけないその言葉に、俺は思わず固まってしまう。いつもの俺であれば、怪しげな人物が口にする、そんな空想じみた言葉をきっと軽くあしらったに違いない。しかし、今この瞬間の俺はそうすることができなかった。なぜなら、俺はそのふざけた言葉を、つい先ほど別の人間から聞いたばっかりだったからだ。
俺は偶然に驚きながらも、動揺が牧場に伝わらないように努めた。牧場が何の意図でそんな言葉を口にしたのかはわからないが、直感的にそのようにした方がいいと感じたのだ。大丈夫。単なる偶然だ。きっと俺の知らない所で、最近は手品か何かを魔術と呼ぶ風潮があるのだろう。
自分にそう言い聞かせながら、俺は冷静に牧場を見つめ返した。
「なんだよ魔術って。いい大人が口にする言葉じゃないぞ」
「あれえ、愁斗くん。興味ないの? 君くらいのお年頃なら尻尾を振って食らいつく言葉だと思ったのに。少しだけ、固まったように見えたのは僕の見間違いだったのかなあ?」
牧場はにやにやと俺を茶化すように言った。
「お前、本当に家から追い出すぞ」
「図星だからって、そんなにむきにならないで。あと、僕も水前寺くんの気をひくためにでまかせを言っているわけでもないんだよ。ぜひ、君の部屋で魔術とやらを見せてあげる。ただ部屋に入れるだけだろ? 安いもんじゃないか。千載一遇のチャンスを捨ててしまうのはおすすめしないなあ」
牧場が言う魔術。それは奇しくも、ウリエルが今日の午後俺に伝えた言葉とまったく同じもの。もちろん単なる偶然かもしれない。しかし、昨日のこともある。もしかしたらという気持ちがないわけではない。
それに、この異様とまで言えるしつこさを見るに、ここできっぱりと拒否したところで牧場はこっそりと俺の部屋についてくるかもしれない。もちろん、迷ったんだよなんて言い訳を準備したうえで。
はあ、と俺はあからさまなため息をついた。
「わかった。俺の部屋でちょっと話をするだけだ。そのあとはすぐに出ていってもらう」
「さっすが、水前寺くん。話のわかる男だね」
俺のため息なんて気にもかけず、牧場は嬉しそうに答えた。
ぐずぐずしている理由もない。できるだけはやめに片付けてしまおうと俺は思い、牧場をつれてさっそく俺は二階に登った。階段を登って俺の部屋の前に着いた時、牧場は俺の肩をたたき、奥の部屋を指さしながら尋ねてきた。
「あれ、水前寺くん。奥の方にも部屋があるけど、どっちが君の部屋だい?」
「目の前の部屋だ。愁斗ってネームプレートがかけてあるだろ」
「本当だねぇ。ということは、その奥の部屋は……」
「妹の部屋だ。もちろん、お前は近づくな」
俺は冷たくあしらいながら部屋のドアを開け、中に入った。少々散らかってはいるが、別に牧場相手に気を遣う必要もないだろう。
「まあ。少し汚いけど、適当に座って……」
しかし、俺がドアの方へ振り向くと、そこに牧場はいなかった。
「まさか」
嫌な予感をしたその瞬間、隣の方からガチャというドアを開ける音がし、それとほぼ同時に「キャーー!!!」という妹の叫び声が聞こえてきた。
「……あの野郎っ!」
俺は急いで部屋を飛び出し、隣の部屋へ走って行った。妹の部屋の目の前で突っ立っていた牧場の首根っこをつかみ、俺は荒々しく自分の部屋に引き戻した。
「やだなぁ、水前寺くん。ちょっと部屋を間違えちゃっただけじゃないか。そんな怖い顔で怒らなくてもいいじゃない」
牧場は悪びれた様子もなく、へらへらと笑った。引っ張られて形が崩れた襟元を直す牧場に対し、俺は怒りを通り越して呆れを感じ始めていた。
「まあ、過去は水に流してさ、せっかく君の部屋に来たんだから、たくさんおしゃべりしようじゃないか。僕はもう、うずうずしているんだよ」
「なんか、頭痛がしてきた。はやく、言いたいことを言って、帰ってもらいたいんだけど」
「じゃあ、お言葉に甘えて、お話しちゃおうかな。魔術について」
俺はその言葉にピクリと反応した。しかし、自分がその言葉に興味があると思われたてもしゃくなので、俺は一旦咳ばらいをして気持ちを落ち着かせ、できるだけ無関心な態度を装った。
「なんだよ、魔術って。少年漫画の世界じゃないんだから、そんなもの存在するわけないだろ」
「ノンノン。まったく、夢がないねぇ、水前寺くん。フィクションにどっぷりと身を預けられるのは少年少女の時だけなのに、もったいないね。百聞は一見にしかず。そんな君の砂漠の心に、僕が実演をもって潤いを届けてあげよう。題目はそう、『物質移転』の魔術」
まるで決められた台本を読み上げるかのようにして、牧場いつも以上に饒舌な口調で述べた。
「では、水前寺くん。僕に硬貨を渡してくれないかな」
「……は?」
それは聞いたことのあるお願いだった。俺の中で嫌な予感が広がっていくのがわかった。
「は? じゃなくてさぁ。一円玉でも十円玉でもいいから僕に渡してくれないかな」
牧場にせかされ、俺は戸惑いながらも財布から十円玉を取り出し、それを牧場に渡した。この時俺はあえて今日の昼、ウリエルに渡したものと全く同じもの選んだ。もちろんこのふざけた手品の真相を確かめるために。
「ふふふ、じゃあ行くよ。水前寺くん。驚く準備はできたかい?」
不敵な微笑みを浮かべた牧場は渡された十円玉を上に弾き飛ばし、そのまま落ちてきた十円玉をタイミングよく両手でつかみ、すぐに右手、左手をパッと左右に離した。
「十円玉はどっちの手にあるでしょう? さあさあ、水前寺くん。当ててみて!」
「……ひょっとして、どっちにもないとか?」
ウリエルが見せた手品と全く同じ導入部分。俺は恐る恐るそう答えた。すると牧場はわざとらしく驚いた表情を浮かべた後、ゆっくりと俺に両手を開いて見せた。案の定というべきだろうか、牧場の手の中にあるはずの十円玉は姿を消していた。
「……じゃあ、水前寺くん。君の学ランの右ポケットを探ってごらん」
俺は牧場に言われるがまま、右ポケットの中に手を突っ込む。そして、右手はすぐに丸く平たい何かに触れた。俺はそれをつかみ、慎重に取り出す。それは十円玉だった。俺は興奮を押さえながらも、その十円玉の製造年を確認してみる。ウリエルに同じことをされたときに注意深く観察したため、製造年を今度はきちんと覚えていた。
そしてそれは、学ランの中に入っていた十円玉は俺が牧場に渡したものと同じ製造年のものだった。
「じゃじゃーん。ねぇ、驚いた? 水前寺くん。種も仕掛けもなんにもないよ。これこそ『物質移転』の魔術。つまり、今まさにこの僕、牧場風太郎が魔術師であることを証明したんだよ。黙ってなんかないで、何か言ったらどうだい。あ、そうか。さすがにひねくれ者の水前寺くんであっても、この事実は動かしがたいことを悟ったのかな」
「種も仕掛けもない、なんて言葉は手品師がよく使う常套文句だ。それに、俺はそれと全く同じ手品を見たことがあるぞ。……テレビか何かで」
牧場は俺を憐れむように見つめ、やれやれと首を横に振った。
「はあ、そんなに人の揚げ足を取って、楽しいのかい、水前寺くん。まったく、行き過ぎた科学信奉は目を曇らせるよ。幸福実現のための手段に過ぎない科学に踊らされていては本末転倒なのにさ。幽霊やら魔術やらを信じた方が、何十倍も豊かな人生を送れるのにねぇ、まったく」
牧場が目の前で披露した『物質移転』とかいう魔術。
もちろんそれだけでは信じるに値しない、胡散臭いまやかしだと断定しただろう。
しかしその魔術は、今日ウリエルが俺に実演して見せたものとまったく同じだった。偶然ウリエルと牧場が同じ手品を実演して見せ、かつその手品のことを同じく魔術と呼んだのか。いや、それはあまりにも話ができすぎている。考えれば考えるほど俺の頭は混乱していった。
「ふふふ、水前寺くん。何をそんなに考え込んでいるんだい? 君が仕掛けとやらをつきとめるまで、何回も魔術を披露しても構わないんだよ。ま、無理だろうけどね!」
牧場はおなかを抱えて高らかに笑い始めた。もともと頭がおかしいやつだとは認識していたが、さらにいかれた本性を隠していたらしい。頭も整理したいし、とにかくこいつを部屋から一刻も早く追い出したいという欲求に駆られる。
「わかったわかった。お前が魔術師だっていうことは認める」
「ひっく、ひっく。だから僕は最初から魔術師だって言ってるじゃないか」
牧場はしゃっくりをしながら、俺の方を見つめてくる。
「ああ、れっきとした魔術師だ。何も言うことはない。以上。……では、部屋から出ていってくれ」
「何言ってるんだい、水前寺くん。まだまだ僕は話したいことがたくさんあるのに。僕の秘密以外にもさ、僕の相談を聞いてもらいたいんだよ。ぜひ」
「知るか、そんなもん。親父か誰かをあたってくれ」
「そんな冷たいこと言わないでよ。この相談事さえ聞いてくれたら、絶対に部屋から出ていくからさあ。最後のお願いだよ。聞いてくれるだろ?」
牧場は手を合わせて、哀願のポーズを取った。牧場の言う、最後のお願いほど信頼できない言葉はない。
しかし、このまま突っぱねたところで相手は絶対に引こうともしないということは、すでにわかりきっていることだった。なにやら、完全に相手のペースに乗せられていることを自覚しながらも俺は渋々承諾するしかなかった。
「……わかった。その相談とやらを聞いたら、絶対に出て行けよ」
「さっすが、水前寺くん。僕が見込んだ通り、話が分かる男だねぇ」
牧場は嬉しそうに言った。絶対に出ていくと、きちんと答えないところがまた牧場らしい。
「わかったから、さっさと話せ」
「まあ、相談というほどのことでもないんだけどね。簡潔に言うと、僕がこの町に来た理由が関わってくるのさ。実は僕は今、会社の部下と一緒にあるものを探してるんだ。それがこの町付近にあるということはおそらく間違いなんだけどね。なにぶん探し物がオカルトめいたものだから、手がかりさえなかなか見つからない状況でさ。そこで水前寺くんがその探し物についてなにか知ってることがあったらなあ、なんて思ったんだよ」
探し物。俺はその言葉に思わず反応してしまう。
「な、なんだよ、探し物って」
「名前はまだ正式には決まってなくてね。ある人は超魔術と言ったり、ある人は奇跡の力と言ったり。でも、その研究についておそらく最も最先端にいる僕があえて名付けるとしたら、それは神力と言うべきだろうね。まあ、実際名称なんて便宜的につけているに過ぎないから別にこだわる必要はないんだけど」
そう言うと牧場は愉快そうに笑みを浮かべた。