転
境内に入るまでもなく、俺は霧島神社の入り口、つまり境内へと続く階段の下でウリエルと出くわした。ちょうど魔術式を消し終わって、帰ってきたところらしい。
俺はウリエルに声をかけ、そしてそのまま深く頭を下げる。俺の突然の行動にウリエルはうろたえた。
「なんだ突然、頭なんか下げて」
「今さっきあずさの元に行ってきたんだ。どうやら神力のおかげで病気が全快したみたいだ」
「そうか……。それはよかったな……」
俺は頭をあげ、ウリエルの顔をみつめる。
「お前の力がなかったら、今頃どうなっていたかわからない。本当に感謝してる。……ありがとう」
今回の事件、そしてあずさの病気。神力の助けを借りなければどちらも解決することはできなかった。そして、その助けもウリエルがいたからこそ借りることができたんだ。頭が上がらないとはまさにこのことなのだろう。
ウリエルは少しだけ沈黙した後、俺から顔をそむけた。
「いや、お礼を言わなければならないのは私のほうだ……」
俺はその言葉に眉をひそめる。ウリエルが俺にお礼を言うことなんてあっただろうか。
「この町に来た時、そしてその後もお前に世話になりっぱなしだったからな」
「なんだよ、今さらになって。別にもう何か月も前のことじゃないかよ」
「待て。最後まで聞いてくれ」
ウリエルはいつになく真剣な口調で俺の言葉を遮った。そして、コホンと咳ばらいをしてから俺に向き直った。
「それだけじゃないんだ。以前水前寺に言ったかもしれないが、この町に来る前、私はずっと自分の目的を果たすことだけを考えていた。すべてを犠牲にするつもりでな。だから、今になって振り返ってみれば、あの時の私には余裕なんてものがなかった。何かにとりつかれたような生き方をしていたと言ってもいい」
二か月前。ちょうど二十年前の霧江さんが過去に帰ったあの日。確かにウリエルはそのことについて話した。この町に来る前の数年間、目的を叶えることだけを考えて生きてきたということを。
「だけど、だ。神力のありかがわかって一歩前進したからなのかもしれないが、この町に来てから少しだけ肩の荷が下りたような気がしているんだ。以前と比べてもたくさん喋るようになったし、ずっと楽しく日々を送れている。少し前までは考えもしていなかったがな」
「笑ったところを見たことなかったから、もっとひとりで悩んでいるのかと思ってたよ」
「それとこれとは別の問題だ」
俺の言葉にウリエルはぴしゃりと言い返す。
ウリエルは自分なりのけじめで笑わないようにしていると言った。俺はそのことを聞いた時、ウリエルは目的とやらに囚われたままで、いまだに一人で苦しんでいるのかと思いこんでいた。しかし、今こうして話していることを聞く限り、それは半分間違っていたようだ。
「こんなに楽しく過ごせているのも、霧江さん、由香、ほのか……。そして、お前のおかげなんだ」
ウリエルは俺の目をじっと見つめる。
夕焼けに照らされたウリエルの表情はこれ以上ないくらいに神秘的で、思わず見とれてしまうほどに美しかった。
「ありがとう……水前寺」
俺は慌てて顔をそむける。もちろん照れ隠しのためだ。美少女から真剣な表情でそんなこと言われたら、どこの人間だって背中がこそばゆくなってしまう。俺は一旦咳ばらいをして、気持ちを切り替えようと試みる。
「そんなことわざわざ言う必要ないのに、お前も変わってんな。まあでも、気持ちはちゃんと伝わったから。だけど、それと今回の件はまた別だ。お前は妹の命の恩人だしな。これくらいのお礼で恩を返せるとは思わないけど、とりあえず受け取ってくれ」
俺はそう言って、ポケットに入れていたネックポーチをウリエルに投げ渡した。ウリエルはそれを受け取り、じっと見つめる。
「これは……なんだ?」
「ネックポーチだよ。ほら、ちょうど昨日お前が持っていたやつの紐が尾行中に切れてしまっただろ。大事なもんを入れているって言ってたし、ちょうど同じ柄があったからな。まあ、気にせず受け取ってくれよ」
俺は照れ隠しもあって、いつになくべらべらと言葉をまくしたてる。
「あ、そうそう。ちょうどそれを選んでいる時な、カンパニーの魔術師と少しだけ話をしたんだよ。お前にも少し前に話しただろ? この町に逃亡犯を捕まえに来ている魔術師がいるって。確か、名前は……」
俺は少しだけ記憶を探ったあと、その名前を思い出した。
「ワン・チェンだったな。背が俺よりも頭一つ分くらい背が低い男だ。だけど、そんな体格なんてきにならないくらいの武闘派で、稲岡を捕まえる時なんて、もうこれでもかってくらい……」
「……嘘だ」
ウリエルの言葉に俺は思わず話を止めてしまう。
「なんだよ、嘘だって」
「違う……。そんなはずじゃ……。絶対にそんなはずないのに……」
ウリエルは顔を真っ青にしながら、小刻みに震えている。手元から俺が渡したネックポーチが零れ落ちた。
「どうしたんだよ。いったい何が……」
「違う違う違う違う! ありえないんだ! そんなはずない! だって……だって……!」
「おい! 落ち着け、ウリエル!」
俺は慌てて近寄りウリエルの肩をつかむ。それとともにウリエルははっと我に返ったような顔をして、俺の顔を見つめた。顔は真っ青で、驚いたことにウリエルの目にはうっすらと涙が溜まっていた。ウリエルは唇をかみ、それからゆっくりと俺の手を払った。そして、右手の袖で涙を拭う。
「すまない……突然取り乱してしまって……」
「なんだよ、急に。何がどうしたんだ」
「それは……」
ウリエルはそう言いかけて、途中で口をつぐむ。これほど動揺しているウリエルを初めて見たせいか、俺もまたどう対応していいかわからずただ黙っていることしかできなかった。そして、重たい沈黙が流れたあと、かすれるような声でウリエルがつぶやいた。
「……さよなら」
俺がその言葉を理解する間もなく、ウリエルは後ろを振り返って走り出した。
「ま、待てって!」
俺はウリエルの後を追いかけようと、足に力を入れた。しかし、その瞬間突然ぐにゃりと目の前の視界が揺らいだ。俺は思わず近くの塀に寄り掛かる。そういえばこの前まで風邪をひいていたんだっけ。それなのに今日一日中自転車をこいでたんだ。病気がぶり返したのかもしれない。確かにいつもよりも体が重く感じる。これではウリエルを追いかけることはできない。
それにしても、なんでウリエルは急に走り去ったんだ。それも「さよなら」なんて言葉を言い残して。
俺は手を口に持っていき、大きく咳き込んだ。
どうやら俺が思っているよりも症状が重いのかもしれない。そう考えたとともに、俺は咳を受け止めた手に何か違和感のようなものを感じた。
俺はその手を口から離して見てみる。そして、その瞬間俺の背筋は凍りついた。
「何だよ……これ」
俺は自分の目が信じられなかった。いや、信じたくなかったと言った方がいいのかもしれない。俺の手の上。そこには、黒く赤い血が、夕焼けによって不気味に照らされていた。




