牧場風太郎 再び
二時間程度周辺を散策してみたものの、結局ウリエルの荷物、あるいはウリエルの見覚えがある道は見当たらなかった。もちろん届を出した警察にも荷物は届けられていなかった。日も沈みきっており、これ以上探索を続けることは難しい。続きはまた明日することにして何の成果も得られぬまま俺たちは別れることになった。
帰り道、俺は今日ウリエルが言っていた魔術、神力について思い返してみた。たとえ、目の前で実演されたとしても、素直に信じようにも信じられるわけがない。信じるとすれば、中学生時代の俺か俺の妹くらいだ。しかしその一方で、そんなくだらない嘘を俺につくこと自体に何の意味もないことも明らかだ。自分の言うことが信じてもらい難いということを自覚しているという点で、すべてがウリエルの妄想だと片付けることも難しい。それに、ウリエルは名乗った名前とは裏腹に常識人であるように感じられたし、会って二日も経たない俺に対してそんな胡散臭くみられるような言動を取るとは思えない。しかし、だからと言ってウリエルのことを信じることもできない。考えれば考えるだけ俺の頭が混乱していくのがわかる。
そんなこんなで家の近くまでやって来た時、俺は玄関の前に誰かが一人で立っているのが見えた。その人物は長身で、黒いスーツを身につけていた。夕暮れ時で、顔ははっきりとわからない。しかしそのすらりとしたシルエットには見覚えがあった。ちょうど今日の朝くらいに。
(嫌な予感しかしない)
俺はどうしようもなく回れ右をして、あの男に関わることなく来た道に戻りたい衝動に駆られる。しかし、俺の家の前にああして立っている以上、恐らく奴は俺に用事があるのだろう。そうだとすれば、俺が現れるまでそこに居続けることだってあり得るし、その場合このまま放っておくわけにもいかない。俺は覚悟を決め、恐る恐る奴に近づいていき、声をかけた。
「俺の家に何か用か?」
その男、牧場風太郎は体を玄関に向けたまま、首だけをぐりんと俺の方へ回した。牧場は俺を姿を確認すると、胡散臭い笑顔を浮かべた。
「やあ、水前寺秀斗くん。君の帰りを今か今かと待っていたよ」
「……なんであんたが俺の家を知ってるんだよ」
「君になんとか恩返しをしたい一心でね、近所の人に聞いて回ったんだよ。水前寺なんて珍しい苗字だからねえ。ここにたどり着くのはそれほど難しくなかったよ」
よくこんな胡散臭い奴に俺の家の個人情報を教える人がいたものだと思いつつも、俺は警戒心を緩めることなく牧場を見つめる。
「君への感謝の念は計り知れないよ。できるなら今すぐにでも君に何かをしてあげたいと思ってるんだ。本当だよ。だけどね、今朝も話したように財布も荷物も失ってしまった今、この殊勝な思いに応えられるほどの余裕が僕にはないのさ。この歯がゆさをぜひ理解してもらいたい」
「じゃあ、なんで俺の家に来たんだよ」
「お金と頼るべき部下を失って何が一番困るのかというと、寝床だよね。昨日は道端で一晩開かざるを得なくなって、とっても大変な思いをしたんだよ」
牧場は不敵な笑みを浮かべながら、流ちょうに喋り続ける。そして俺は牧場が言わんとしていることを察し、思わず身構えた。
「というわけでさ、水前寺秀斗くん。厚かましいお願いだと重々承知の上で、君ん家に泊めてくれないかなぁ」
「ぜっったい嫌だ!」
俺はありったけの嫌悪感をこめて言い放った。すると牧場は俺の反応に心から驚いたのか、これ以上ないほどの驚きの表情を浮かべた。
「ええ!? どうして、水前寺くん。君みたいな聖人君子がこの途方に暮れた迷える子羊を非常にも見捨てようとでもいうの?」
俺は大きなため息をつく。
「何と言おうと、だめだ。人の家を勝手に探し回るような胡散臭い人間を家に泊めるわけにはいかない。一刻も早く頼るべき部下とやらを探すんだな。まあ、電話だけなら貸してやらんこともないが……」
俺の言葉を聞き、牧場は驚きの表情から一変、気味の悪い微笑みを浮かべた。俺はそこで初めて、自分の失言に気付いた。
「本当かい。ありがとう、水前寺くん。じゃあお言葉に甘えて、さっそく電話を貸してもらうよ」
「ちょ、待て。貸すと言っても、俺の携帯を……」
俺の制止も聞かず、牧場はすぐさまそばにあった俺の家のインターホンを押した。
ピンポーン、と調子はずれの音が家の中から聞こえてくる。そして、しばらくしてからドアがゆっくりと開き、親父が出てきた。
「どうも、どちらさんですか。おっと、愁斗もいるじゃないか。……また、お前の知り合いか」
知り合いじゃない、と俺が言うよりも早く、牧場は急にかしこまった態度で返事をした。
「いえいえ、知り合いというわけではありません。初めまして、わたくし牧場風太郎というものです。困っていたところをこちらの水前寺愁斗くんに助けていただいたんですよ。わけあって、私の荷物を預けた連れの者とはぐれてしまいましてね。彼らと連絡を取るためにこの愁斗くんが電話を貸してくれるといってくれましてね、その厚意に甘えさせてもらおうと」
親父は牧場の恭しい態度に面食らったようで、同じように腰の低い態度で応対した。
「あー、なるほどそうでしたか。まあ、困ったときはお互い様ですしね。どうぞ中へお入りになってください」
「ありがとうございます」
牧場は四十五度の角度で頭を下げ、親父に促されるまま家に入っていった。
「どうした、固まって。愁斗も早く中に入れ」
あまりの衝撃に固まってしまった俺を見て、親父が怪訝そうな表情を浮かべる。俺は我に返り、親父にぎこちない返事を返して家に入った。なんなんだ、さっきの対応は? 俺に対する態度と真逆じゃないか。俺の中で牧場風太郎に対する不信感が急速に膨れ上がるのを感じた。
牧場はすでに玄関正面の廊下に設置された固定電話の前にいた。しかし、一向に電話をかける様子がない。俺は不思議に思って、後ろから牧場に声をかけた。
「おい、何してんだ。さっさと部下の携帯に電話しろよ」
「それがだねぇ、水前寺くん。たった今僕は重大なことに気が付いてしまったんだよ」
「なんだよ」
「……電話番号がわからない」
「は?」
俺は一瞬自分の耳を疑った。
「だから、電話番号がわからないんだって。電話かけるときなんて、いつも携帯の電話帳からかけるしねぇ。頻繁に使う番号もなかなか覚えていないもんだよ。いやぁ、この僕が今の今までそのことにきがつかなかっとはねぇ」
「じ、自分の携帯とか会社は?」
「生憎、日頃携帯は電源を切っているんだ。それにねぇ、水前寺くん。高校生の君にはわからないかもしれないけど、今の僕には会社に連絡する勇気がないんだよ。実は僕は重大な使命の下でこの町にやってきててね、僕の無様な様子を会社側に知られたくないんだよ。出世競争にも響くしね」
俺は牧場の言い分に呆れかえる。それも牧場の言い訳の杜撰さについてだ。牧場の言い訳は明らかに無茶苦茶だ。どう見ても、俺の家になんとしてでもあがりこもうとする厚かましさが透けて見えるのだ。俺は爆発しそうな、気持ちをなんとか抑えこみながら反論しようとしたとき、様子を見かねた親父が俺たちに近づいてきた。
「確かに、言われてみたらそうですよね」
親父は牧場に向き合いながらのんきにつぶやいた。
「私も電話帳に記録されてる番号なんて、いちいち覚えていませんからね。会社と家の番号くらいですね、覚えているのは。それにしても牧場さん、お困りでしょう。どうです。これも何かの縁ですから、今日だけでも家に泊まっていかれませんか」
予想もしなかった親父の発言に俺は慌てて口を挟む。
「待てって、親父。俺は反対だぞ。そこまでしてやる必要なんてないって。それに言ってることもどこかおかしいし……」
「なんだ、愁斗。おせっかいのお前が反対するなんて珍しい。いつもはお前が家に泊まらせてやろうとする立場なのに。いいじゃないか、困ってるようだし。それに見たところ、なかなか誠実そうな人じゃないか」
「……誠実そうな人?」
俺は牧場の方へ振り返る。牧場は俺と目が合うと、歯を見せるようにして笑って見せた。
ありえない。俺は心の中でつぶやく。親父も人並みにお人好しであることは間違いないが、常識と人を見極める目は持っているはずだ。そんな親父が、こうも簡単に牧場を信頼するなんておかしすぎる。
「お心遣い大変うれしく思います。しかし、いくらなんでもそこまで甘えてしまうのは自分の良心が痛みますね」
「いいじゃないですか。遠慮なんて結構ですよ」
「いえいえ、しかし……」
さっきまで、しつこく泊まらせてくれと頼み込んできたやつとは思えないほどの謙虚ぶり。俺が親父の目を覚まし、牧場を追い出す策をなんとかひねり出そうとしていると、二階から誰かが降りてくる音が聞こえてきた。俺が階段へと目を向けるとそこには俺の妹、水前寺あずさが立っていた。
あずさは不安そうに肩下まで伸びた髪の先っぽを手でいじくりながら、クリッとした大きな瞳で俺と親父を交互に見つめた。
「どうしたんだ、二人とも。お客さんか?」
牧場もあずさの方へ振り向いた。
「おや、このかわいらしい少女は君の妹かい? 水前寺くん」
牧場はなぜか親父には聞こえないくらいの小さな声で俺に尋ねてきた。
「あずさだ。小六になる俺の妹だ」
「妹ね……。小学生ではあるが……いや、なるほど……」
牧場は顎に手をやり何かを考えるポーズをとったのち、親父の方へ振り返った。
「愁斗くんのお父さん。さっきの話ですが、やはり行く当てもないので、ご厚意に甘えさせてください」
「まて、こら」
俺は親父の死角から牧場の服を勢いよく引っ張った。絶対こいつ俺の妹を見てから決めただろ。もともと怪しい変質者だとは思っていたが、さらにロリコンの気質もあるのかもしれない。
しかし、親父はというとそんな疑いなど微塵も持たないまま、牧場の返答に対して嬉しそうに答える。
「そうですか、牧場さん。いやいや、私もたまには晩酌相手が欲しいと思っていたんですよ。じゃあ、さっそく私は夕飯の準備をしましょう。じゃあ、愁斗。牧場さんに泊まる部屋とかを案内しといてくれ」
親父はそう言いながら笑うと、俺たちを置いて台所へと向かった。
「というわけで、よろしく頼むね水前寺くん。あと、あずさちゃんでしたっけ。初めまして、わたくし牧場風太郎というものです」
牧場は不敵な笑みを浮かべてあずさに手を差し出した。
「はあ……。どうも」
あずさも手を差し出し、おずおずと握手する。明らかに困惑と不信が表情に浮かんでおり、手を放すとすぐに俺の近くに駆け寄ってきた。あずさは牧場から隠れるように俺の背後に回り俺の服を強くつかんだ。
「ちょっと、兄貴。あの人誰? なんかめちゃくちゃ胡散臭いんだけど」
あずさは牧場への警戒心を隠すことなくそうつぶやいた。どうやら鈍感な親父とは違い、妹はきちんと牧場のうさん臭さを見抜いたらしい。なんだかこの家でやっと味方ができたみたいでほっとしながらも、先に二階の部屋に戻るようあずさに告げた。あずさはこくりとうなずくと、露骨に牧場を避けるようにして二階へ帰っていった。
牧場はその背中を見送りながら、残念そうな表情を浮かべた。
「いやあ、残念だなぁ。あずさちゃんとも、仲良くしたかったんだけど。こう見えて僕は誰とでもすぐに仲良くなれる性格のはずなんだけど、愁斗くんの妹さんは相当な人見知りなんだね」
牧場はあずさと親父が姿を消したことをいいことに、もとのねちっこい口調に戻ったようだ。
「正直、癪だが親父が泊めるといった以上、お前はお客さんだからな。客間に案内するからついてきてくれ」
「いやいや、その前にさあ、水前寺くんの部屋を見せてくれないかなあ」
俺は聞こえなかった振りをすることにした。
「……あそこの突当りを右に曲がってすぐ左が客間だ。布団とかは押入れに入ってるはずだから、好きに使ってくれ」
「ごめんごめん。聞こえなかったんだね。客間に行く前に、水前寺くんの部屋を見せてほしいんだけど」
なおもへこたれず要求を続けてくる牧場に対し、俺はうんざりとしながら言った
「なんだよ部屋を見せてほしいって。俺の同級生でもあるまいし。なんで大の大人が高校生の部屋を見たがるんだよ」
「まあまあ、いいじゃないか。別に減るものでもないしさ。大丈夫。僕もいい大人だし、ベッドの下とか本棚の奥を物色したりなんかしないからさ。実は愁斗くんの部屋で色々と話したいことがあるんだよ」
「絶対嫌だ」
常識的に、いい年した大人が高校生の部屋を見たがるものなのだろうか。俺は牧場の理解不能な言動に嫌気がさし始めていた。しかし、牧場はそんなことお構いなしにまくしたててくる。
「そんなこと言わないでよ。部屋に入れてくれたら、僕のとっておきの秘密を教えてあげるから」
「なんだよ、とっておきの秘密って」
「ふふふ、水前寺くん。……君はは魔術ってものに興味ない?」




