カンパニーの魔術師
ゴホッゴホッと俺は勢いよく咳き込む。続けて俺は鼻をすすり、マスクの上からむずむずする鼻を触った。つい昨日まで風邪を引いていたせいで、どうも身体の調子がよくない。俺は両手をポケットに突っ込み、身体を丸めながら家への帰り道を歩く。
ウリエルと牧場が初めてこの町に訪れてから三か月ちょい、そして霧江さんのタイムリープ事件から二か月ちょい経った今日この頃。
最近の体の不調やいくつかの不安点を除けば、俺は以前と同じ平穏な日常を取り戻していた。もちろん、だからと言って牧場のことをすっかりと忘れたわけじゃない。しかし、牧場が最後に霧島神社に姿を現してからもう二か月もたつ。これは牧場が攻めあぐねているのか、それとも嵐の前の静けさなのか。もちろん牧場が攻めあぐねているという可能性は十分に高い。牧場はすでに神力の場所、願い事の方法を知っている。しかし、神力に霧島家の人間にしか解くことのできない封印がかけられている以上、やつはそう簡単に手出しすることはできない。これは覆しようがない事実だ。
しかし、だからと言って安心はできない。牧場はどんなに時間をかけようとも、必ず霧島神社に現れる。あの不敵な笑みを浮かべながら。
「すまない。少しだけ道を聞かせてくれないか?」
俺は不意にかけられた言葉にびくっと肩を震わす。考え事に没頭しすぎていて、誰かが近づいてきていたことに全く気が付かなかったらしい。
俺が声のした方向へ振り向くと、そこには黒いスーツを決め込んだ男が立っていた。その恰好、そして顔を見るにおそらくは二十台後半くらいといったところだろうか。
しかし、俺はその判断に自信を持てなかった。というのも、目の前にいる男が俺よりも頭一つ分ほど背が低かったからだ。そのため俺は否応なしに、その男を見下してしまう形になっている。俺はクラスでも平均くらいの身長だ。そう考えてみても、この男は成人男性よりかなり背が低く分類されるだろう。
「……おい、なんでさっきから黙り込んでるんだ」
「あ、すいません。道を聞きたいんでしたっけ」
そのまま男は苛立ちを隠すことなく、自分が持っていた地図のようなものを俺に手渡した。
俺は手渡された地図を見る。それはこの町の地図で、公園や街道の名前まで詳細に記されている。ずっとこの町に住んではいたが、地図の存在は今の今まで見たことがなかった。
男は横暴な口調で番地名を告げ、それがどこなのかを尋ねてきた。俺はその無礼な口調にムッとしながらも、俺は地図を見て男が言った場所を指さした。そして、ここからの道順を軽く付け加える。
「なるほどな。だいたい把握した」
男は感謝することもなく、ぶっきらぼうに言った。
お礼くらいするのが筋じゃないのかと思ったが、口には出さない。というのも、男はどこかとげとげしい雰囲気を身にまとっており、あまり刺激しない方がいいと俺の直感が告げたからだった。
「もう一つだけ質問だ。話は変わるが、貴様は先週この町で起きた銀行強盗を知っているか?」
銀行強盗? 男の口から何の脈絡もなく飛び出した言葉に俺は一瞬ぽかんとしてしまう。すると男は苛立った口調で問い詰めた。
「おい、知ってるのか知らんのかどっちだ」
「……先週の事件ですよね。この町の人間ならみんな知ってますよ」
威圧的な態度にたじろぎつつ、俺はようやく返答した。
銀行強盗事件。ちょうど先週に起きた事件だ。平日の昼過ぎ、この町では比較的大きい銀行を犯行集団が襲撃。彼らはドラマみたいに人質をとって立てこもるなんて真似はせず、幸い死傷者は出なかった。金を奪った犯人らはすぐにその場を逃げ去ったが、すでに通報を受けていた警察に一人を除いて全員が現行犯逮捕された。その逃亡した一人は銀行から奪った金を持って逃走中とのこと。
犯人の一人が捕まっていない、と聞くと恐ろしいように聞こえるが、実際捕まるのも時間の問題だ。銀行の監視カメラでばっちりとその顔が捉えられているからだ。捕まらない自信があったからかはわからないが、犯行の途中で覆面を脱いだところを撮られている。テレビや交番前の掲示板でその顔を好きなだけ確認できる以上、いずれ誰かの通報で捕まってしまうだろう。
「というか、なんでそんなこと聞くんです?」
「俺はな、逃走中の犯人を捜してるんだ。もちろん捕まえるために。ここ最近、この男を見かけなかったか?」
男は懐から一枚の写真を取り出し俺に見せた。その写真はまさしくニュースで報道されている男の顔だ。
稲岡大輔。男がそうつぶやいた。一瞬何を言っているのかと思ったが、それがこの逃亡犯の名前であることに気付く。俺は改めて男の顔を見てみた。しかし、残念だがこの男の期待には応えられそうになかった。俺は素直に見てないと首を横に振った。
「本当に見てないのか?」
男は俺を睨み付けながら確認する。
「何回聞かれたって、返事は同じですよ。それに聞き込みなら、もっと銀行の近くでしたほうがいいんじゃないですか。それにあんたが探さなくったって、どうせすぐに警察が見つけるだろうし……」
「ふん。貴様は何もわかっていないんだな。警察がそんな簡単に見つけることはできない。だからこそ、この私が動いてるんだ」
「はい? 言っている意味がちょっと……」
男は俺をさらに鋭く睨み付けた。その眼光に俺はおじけついてしまう。男は先ほどから腕を組み、苛立たしげに貧乏ゆすりをしている。理由はまったくわからないが、どうやらかなり機嫌が悪いらしい。
「この聞き込みはきちんと意味があってやっている」
「い、意味って……?」
男は一旦間を置いてから答えた。
「稲岡大輔は魔術師だ。だから、逃亡には『印象操作』の魔術を使っている。つまり、貴様のように魔力を持っている人間じゃなければ見つけることができない」
「ま、魔術?」
男の口から発せられた突然の言葉に俺は思わず声を裏返す。
魔術? なんでそんな言葉が前ふりもなくいきなり出てくるんだ。それにこいつは今、俺が魔力を持っていると言った。なぜそのことがわかったんだ?
「な、なんで俺に魔力があるってことを……?」
俺は何とか言葉を絞り出す。男は「魔術を知っているようだな」とつぶやき、そのまま言葉を続けた。
「……私はな、人から見下げられることが何よりも嫌いなんだ。だからな、普段はそうならないようにある工夫をしている」
脈略のない言葉に俺は戸惑う。
確かに、男の身長では大部分の人間から見下げられた状態で話さざるを得ない。そのことにコンプレックスを抱くのも理解はできる。しかし、男がシークレットブーツを履いているといった、身長をごまかす工夫をしているようには見えない。
「ふん、別に厚底の靴を履いてるんじゃない。私はな、身長が高く見えるようにと『印象操作』の魔術をわざわざかけてるんだ。貴様みたいに話し相手が私を見下げないようにな!」
男はそこで一気に苛立ちを爆発させた。その迫力に俺は気圧されてしまう。
『印象操作』? 背を高く見せるために? 俺はそれを聞き、なぜ男が俺に魔力があることを知ったのか、そしてなぜずっと苛立っていたのかについて理解できた。魔力を持たない人間ならば、男を見下げるのではなく、視線を自分と同じあるいは少し高めにして話をするということか。
「稲岡はな、私の元部下なんだ。カンパニー所属の魔術師と言えばわかるか。やつはカンパニーを抜け出し、あろうことか魔術を使って悪事を働いた。組織としては面目丸つぶれだ。だからこそ、けじめをつけるために私が派遣された」
男は説明を続けた。しかし、まだ怒りが収まらないようで、貧乏ゆすりに加え、さらには自分の爪を噛み始める。
カンパニー。俺はその言葉には聞き覚えがあった。確か日本で魔術師を専門的に抱える組織の一つであり、またウリエルが関係する組織だ。こんなところでまさかカンパニーの人間と出くわすなんて。もしかしたらこの男もウリエルを知っているかもしれない。
「クソッ。そもそもなんで私がこんな七面倒なことを押し付けられなきゃならんのだ。部下の尻拭いをしろだと? 今の今までそのようなこととは無縁に生きてきたやつらの言葉とは思えん。稲岡も稲岡だ。なんで私の部局にいるときにそんなことをしでかしたんだ。どうせやるなら違う部局に移ってからすればいいものを……」
男はぶつぶつと愚痴をつぶやく。こめかみに血管が浮き出ているのが見て取れた。その異様な雰囲気に俺は思わずしり込みしてしまう。
どうやらそうとう鬱憤がたまっているようだ。あと少しの刺激で爆発してしまいそうな様子である。しかし、それでも俺は勇気をふりしぼり、ウリエルのことについて聞いてみることにした。
「あの、実は俺、カンパニーと関係ある魔術師と知り合いなんですけど。そいつについてちょっと聞きたいことが……?」
「ああ? 誰だそいつは?」
「ウリエル・ソートハントってやつだ。日本人の女の子で、年は俺と同じくらい。何か知ってることは……」
ウリエル・ソートハント。その言葉を発した瞬間、男は固まった。
「ウリエル・ソートハントだと……。貴様……」
男は俺をじっと睨み付けてくる。そして、しばらく沈黙が流れた後、プツンと男の血管が切れる音がした。
「そんな、ふざけた名前の人間がうちにいるわけないだろうがっ! 私を馬鹿にしてるのかっ、貴様は!!」
男は顔を真っ赤にして吠え、そのまま俺の胸倉をぐっと掴んだ。背の低さからは想像できないくらいの強い力だった。
やってしまった。俺は瞬間的に理解する。当たり前だ。ウリエル・ソートハントなんて偽名に決まってるって、俺も最初思ってたじゃないか。
「ち、違う! その子の名前はわからないんだ! ショートヘアの女の子で、年は俺と同じくらいで……」
「そんな奴知るか!!!」
男は我を忘れているようで、完全に聞く耳を持ってない。むしろ、このまま殴りかかってきそうな様子だ。
しかし、その時タイミングよく携帯電話の着信音がなり始めた。どうやらこの男の携帯が鳴ったようで、男は携帯を取り出すためにつかんでいた手を一瞬だけ離す。解放された俺はそのチャンスを逃さず、慌てて男との距離を取った。
「と、とにかくこれで俺は帰ります!」
俺はそれだけ言うと、そのまま後ずさりし、逃げるようにしてその場を走り去った。




