霧江さんの力
しまった!
俺がそう思った瞬間、パシィィッという音があたりに響いた。
慌てて賽銭箱の方へ顔を向ける。するとそこには俺とウリエルの近くにいたはずの霧江さんが賽銭箱の近くに立ち、箱の上に握りこぶしのまま左手を伸ばしている光景があった。
霧江さんは俺たちににっこりと微笑みかけると、ゆっくりと握りしめていた手を開く。その手の中には五円玉が収まっていた。
「牧場さん。お参りをするときはちゃんと本殿の近くまで来るのがマナーですよ」
何が起きたのかは全く理解できない。推測するに霧江さんが神力の力を使い、牧場の五円玉を賽銭箱に入ってしまう前にキャッチしたということだろうか。
「まったく、神力と特別に契約を結んでいるとはいえなんでもありなんだねぇ。もしかして、時を止めたりしたのかな?」
「フフフ。それに近いことはやりましたよ」
霧江さんの規格外の能力行使に驚く俺とウリエルと違い、牧場は平静さを維持している。
「うーん。ますます手に入れたくなっちゃうよねぇ。今日はミス霧江がいる以上、絶対に不可能だけども。まあでも、収穫はあったかな。僕が五円玉を入れるのを、ミス霧江は神力を使って阻止した。しかし、一か月前の話だとミス霧江が神力を使えるのは、神力への侵害に対してのみ。つまり、僕の行為は神力への侵害だと捉えられた。……ということはさ、ミス霧江。僕もまた神力に願い事をすることができて、それを妨げるために神力の力を使ったと考えてもいいよね?」
「……」
霧江さんは黙り込んだ。どうやら牧場の言う通りらしい。
神力へ願い事をするのに、霧島家の人間である必要はないということ、つまり魔力を持った人間なら誰でも神力に願い事を叶えてもらえるということになる。牧場は霧江さんの反応からその事実を確信したようだ。
「やっぱりねー。ここまで知ることができれば上々だ。それじゃあ、僕はそろそろ退散させてもらおうかな。これ以上得るものもなさそうだし、何より水前寺くんとお嬢ちゃんがさっきから僕をきっつい目で睨み付けているからねぇ」
牧場は高らかに笑うと、俺たちに背を向け神社の出口へ歩き出した。隣にいるウリエルが「どうする」と俺にささやいた。もちろんのこのこと見逃すわけにはいかない。
しかし、だ。嵐田や平島たちがいない以上、俺とウリエルだけで牧場を捕まえることができるのかというと微妙だ。前回みたいに何か武器を所持しているかもしれない。それに武器を持っていないとしても、あちらが本気で逃げれば追いつくことも難しいだろう。
だからこそ。他の手段を取るべきだ。
俺は遠ざかる牧場の背中を見つめながら言った。
「神力を使えばいい」
「神力だと?」
俺は後ろを振り返り、賽銭箱の隣に立ったままの霧江さんに声をかける。
「霧江さん。今、神力の封印は解かれてる。神力に願い事をして牧場の神力に関する記憶やらを消させてください」
我ながら妥当な判断だと思った。そして霧江さんもそのことを承諾してくれるはずだとも。しかし、俺の予想に反し霧江さんは俺をどこか憂いの目で見つめ返すだけだった。そして、ゆっくりと霧江さんは首を横に振った。
「き、霧江さん?」
「ダメよ、愁ちゃん。それはできないの」
「な、なんで?」
驚きを隠せない俺の横でウリエルがつぶやいた。
「契約か」
「契約?」
霧江さんがうなづく。
「そうなの。この霧島神社の神主である以上、私は神力のために行動しなくちゃいけない。言い換えれば、神力の信頼に背くような行動ができないってこと。もし愁ちゃんやウリエルちゃんが私の目の前で神力を利用しようとすれば、私はそれを止めなきゃいけない。もちろん見ないふりだとか、気づかないふりとかもだめね」
「契約を破った場合は?」
俺は恐る恐る尋ねてみる。
「うーん、今まで破ったっていう人がいないからわかんないかなぁ。でも、多分契約を無理やり破るということはできないんだと思う。私がいくら逆の意志を持ってても、神力が私に命令して、その命令通りに動いちゃうじゃないかな」
神力による命令。
俺はウリエルと初めて出会ったとき、すなわち中学生時代の願い事が実現した一か月前の出来事を思い出す。
嵐田と赤川がこちらに近づいてきたとき、俺は決して二人から逃げようなんて考えていなかった。しかし、二人があと少しというところまで来た時、突然俺の頭の中に「逃げろ!!」という声が鳴り響いて俺は走り出した。そして、それに続いて嵐田たちも追いかける理由なんてないにもかかわらず俺たちを追いかけ始めた。あれらはすべて神力による命令だったのかもしれない。
「そうだとすると……。契約とは名ばかりで、霧江さんは神力の操り人形だということになるのではないか?」
しかし、ウリエルの言葉を霧江さんは否定した。
「そこは安心して。神力が私に命令を下すのは、私が契約にわざと背いたときだけなの。つまり、信義に反しなければ大丈夫っていうこと。例えば、誰かが私の全く関与しないところで神力を利用しようとしてても、それに関して私には何の落ち度もないから神力が無理やり命令を下すことはない。実際に愁ちゃんが神力を使った時だって私は全然気づかなかったしね」
霧江さんは両手を合わせ謝罪のポーズを取りつつ、舌をペロッと出した。
「とにかく。愁ちゃんとウリエルちゃんには神力を使わせてあげられないってこと。ごめんね」




