さよなら!
図書館での出来事から一夜明けた翌朝、霧島家が旅行から帰ってきた。二十年前の霧江さんがそのまま家に住み続けることもできるわけがないため、その日の午後に二十年前の霧江さんが過去に戻ることになった。
俺も知らせを受け、その日の学校が終わるとすぐに霧島神社へ直行した。平島にも伝えるべきなのかもしれないが、神力の存在をばらすわけにもいかないので霧江さんが帰った後に話すことにした。俺が霧島神社に到着すると、そこにはすでに二人の霧江さんとウリエルが待っていた。どうやら俺を待っててくれたらしい。
「さてと、愁ちゃんも来たことだし、もう準備を始めていいかしら?」
現代の霧江さんが二十年前の霧江さんに向かって話しかける。
二人の霧江さんをこうして並んで見るのは初めてだった。雰囲気や外見がそれほど似ているというわけではなく、二人が同一人物だとは思えない。むしろ仲の良い親子みたいだ。
「うん。そろそろ帰らないとお父さんが心配するかもしれないしね。十分に未来を楽しんだし、それに……願い事も叶えてもらったから」
二十年前の霧江さんと現代の霧江さんがお互いに顔を合わせ微笑んだ。
願い事が叶った? 俺はその言葉に首をかしげる。そういえば霧江さんの願い事がなんだったのかは結局教えてもらえなかった。しかし、今さら聞くのもなんだか無粋な感じがするのでそのままにしておいた方がいいのかもしれない。
「それじゃあ、封印を解いてくるから最後の別れを楽しんでね」
そう言うと現代の霧江さんは本殿裏にある倉庫に歩いて行った。霧江さんは照れくさそうに笑った後、最初にウリエルの方に近寄った。
「ウリエルちゃん。この三日間、私のわがままに付き合ってくれてありがとう。こんなに楽しく過ごせたのもウリエルちゃんのおかげ。このことは絶対に忘れないからね。きっといつか、いや、二十年後には私がウリエルちゃんを助けてあげるから」
ウリエルもいくつか言葉を返しその後二人は抱き合った。ハグを終えると霧江さんは俺の方を振り向き、同じように照れ笑いを浮かべた。
「愁斗くんも……本当にありがとう。私のために一生懸命になってくれて。あの自転車での話、信じてみるから」
「霧江さんも元気で。また……会いましょう」
霧江さんはその言葉に対し嬉しそうにうなづいた。俺たちがその後もぽつぽつと語り合っていると現代の霧江さんが戻ってきて、もう準備が整ったと告げる。
現代の霧江さんが五円玉を取り出し、二十年前の霧江さんに手渡した。二十年前の霧江さんは渡された五円玉を感慨深そうに見つめた後、ゆっくりと本殿前にある賽銭箱に歩いていく。
お別れだ。俺がそう思った時、霧江さんは突然立ち止まり、俺たちの方へ振り向いた。
「そうだ! 愁斗くんには特別に私が神力に何を願ったかを教えてあげる!」
俺はその言葉に拍子抜けした。土壇場で帰りたくなくなったのかと思ったじゃないか。
そんな俺の様子を気にすることもなく、二十年前の霧江さんは小走りで俺の方へ駆け寄ってくる。そして、霧江さんはいたずらを思い付いた子供のような微笑みを浮かべながら、少しだけしゃがんで耳を貸してと俺に言った。別にひそひそ話をしなくても、と俺は思いながら霧江さんの言われた通りの体勢をとる。
果たして、霧江さんの願い事とは何なんだろう。
霧江さんが話すのを待ち構えていたその時、突然俺の頬に何か柔らかいものがあたるのを感じた。あまりの突然の出来事だったため俺はその意味が理解できなかったが、霧江さんが俺の頬にキスをしたのだと気づく。俺は照れと恥ずかしさのあまり一瞬で顔全体が火照った。
「な……な……」
混乱のあまりどもる俺を愉快そうに笑いながら、霧江さんは賽銭箱に向かって走っていった。そしてそのまま手に持った五円玉を賽銭箱に投げ入れると、霧江さんは再び俺たちの方を振り返った。
「さよなら、二人とも! ほのかちゃんにもよろしくね! また、私の未来で!!」
その言葉が終わるとともに二十年前の霧江さんは一瞬のうちに消えてしまった。何の音や光を発することなく、まるで最初からそこには何もなかったかのように。
俺たちは何も言うことができず、ただ静けさが霧島神社を包みこんでいた。
「水前寺。まだ顔が赤いままだぞ」
余韻が去り切った後、ウリエルが俺の方をあきれ顔で見つめながらそう言った。
「まったくもう。二十年前の私ったら、大胆なんだから」
霧江さんは両手で頬を押さえながら一人自分の世界に入り込んでいる。俺はその時、ひと月前の霧江さんの言葉を思い出した。
―――私の初恋の人?」「やだなぁ。そんなの愁ちゃんに決まってるじゃない。フフフ」
まさかね。俺はキスされた側の頬を手でなでながら苦笑いした。まだ頬に柔らかい感触が残っているような気がして、収まりかけていた照れと恥ずかしさがぶり返してくる。おととい平島を茶化した俺が、まさか茶化される側に回るとは。
自分の照れを隠すために俺は霧江さんに話しかけた。
「というか、二十年前と今じゃ見た目とか雰囲気が全然違いますよね」
「そんなの当然よ、愁ちゃん。女の子はね、ほんの少しのきっかけでまるっきり印象が変わっちゃうの。髪型を変えただけで別人に見えちゃったりね。いわゆる、『印象操作』の魔術ってやつ?」
霧江さんが嬉しそうに笑う。そんなもんなのかねぇ、と俺は半信半疑のまま聞き流した。
「霧江さん。もう用事も済んだことだし、早めに神力を封印したほうがいいんじゃないか」
「そうねぇ」
しかし、ウリエルの言葉に霧江さんがうなづいたその時、神社の入り口から女の人の声が聞こえてきた。
「あ、あの!」
俺たちがそちらを振り向くと少し離れたところに若い女の人が立っていた。俺は一瞬その人物が誰であるのかわからなかったが、すぐに図書館にいた林田さんだということに気付く。
もしかして見られた?
しかし、俺の動揺をよそに彼女は昨日と同じようなゆったりとした口調のまま俺たちに話しかけた。
「あの、君たち図書館に忘れ物してない? ちょうど今日の朝に図書館に落ちてる財布を見つけてね。昨日の警察の人に聞いたら、ここにいるっていうから帰り道のついでに渡そうかなって」
その平然とした話しぶりに俺は安堵した。どうやら霧江さんが突然消えてしまった現象を目撃したというわけではなさそうだ。まあ、目撃したところで本気で信じる人間などいないかもしれないが。
図書館の忘れ物。俺は財布なんか落としてないし、ウリエルだろうか。そう思って隣にいるウリエルに聞くが、ウリエルは首を横に振る。どうやら違うらしい。
となると、わざわざ届けに来てくれた林田さんには悪いが、どうやら無駄足だったようだ。俺がそのことを告げようとしたとき、突然霧江さんがそれを遮るように彼女に話かけた。
「フフフ、お久しぶりですね」
俺は思わず霧江さんの方に振り返る。
「あれ、霧江さんってあの人と知り合いなの?」
「何言ってるの愁ちゃん? だってあの人は確か、ちょうど一か月前にここに来た牧場風太郎さんじゃない」




