神力の効力 その2
ありえない。
俺は歩きながら、混乱する頭を必死に整理しようとした。昨日の時点で俺の財布の中には一万円札どころか千円札すらなかった。それは確実だ。そうなると、誰かが俺の財布に入れたということだろうか。妹、あるいは財布を落とした牧場じゃないとするなら、親父ということになる。しかし、親父が俺の財布に黙って一万円札を入れたなんてまったく信じられない。親父はお金の管理に厳しく、小遣いも月に一回、決められた日に手渡しと決まっているし、ここ最近で何か親父に褒められるようなことをした記憶もない。むしろ、妹がふざけ半分でいれたという方が信ぴょう性がある。そして、誰も俺の財布に一万円札を入れてはいないとすると、思い当たることは一つしかなかった。
―――金だ。神様。とりあえず、このひもじい高校生にお金を恵んでくれ
昨日俺が霧島神社で願ったこと。
あの時の俺はお金を望めばそれこそ何億円規模のお金が手に入ると思い込んでいた。しかし今思い返せば、俺は願い事の中で具体的な金額を言っていなかった。ひもじい高校生に恵んでやる金額として、ある意味一万円は妥当な金額とも言えるし、そう考えた場合、神力はきちんと俺の願い事を叶えたことになる。
いやいや、ちょっと待て。俺は必死に自分の頭を落ち着けようと試みる。さっきから俺はあの霧島神社の本殿が神力だということで勝手に話を進めている。昨日はあんな大恥をかいたのにまだ懲りていないっていうのか。しかし、事実として俺の財布にはあるはずのない一万円札が入っていた。そのことを考えれば考えるほど頭が痛くなってくる。
混乱極まっていたその時、突然前方から声をかけられた。
「おはよう、愁斗。なに辛気臭い顔して歩いてんの?」
うつむきながら歩いていた俺が顔をあげると、そこには霧島由香がいた。
俺は予想もしない出来事に驚く。というのも、通学路は同じなのだが俺と由香は基本的に登校時間が被らない。昨日靴箱で出会ったのも、俺が牧場に絡まれていつもより遅く学校に到着したからだった。だからこそ、こうして由香と登校中に遭遇するのはめったにないのだ。
「な、なんでもない」
動揺のあまり、思わず声を裏返らせて返事をしてしまう。
「まあ、別にいいけど。とりあえず、ちょっとこっちに来て」
由香はそう言うと俺をすぐわきの路地の中へ引っ張った。
「なんだよ、急に。俺は今大変な状況なんだよ」
由香は俺の言葉に耳を貸そうともせず、カバンからなにやら水玉柄の布に包まれた四角い箱のようなものを取り出し俺に押し付けた。
「なんだよ、これ」
「見てわかるでしょ。お弁当」
「弁当? ああ、なるほど。早川に渡せってか」
「はぁ? 何言ってんの? あんたのために作ってきたんだけど」
「へぇ、そう。俺のためにねぇ……。って、は?」
「何度も言わせないで。それはあんたのお弁当。じゃ、確かに渡したから」
由香はそう言うと、カバンを閉め、何もなかったかのようにして通学路へと戻っていこうとした。俺は慌てて、由香を呼び止める。
「ちょ、ちょっと待て、由香! 色々とおかしいぞ! なんでお前が俺のために弁当なんか作るんだよ」
俺の言葉に、由香は振り返り少しだけ微笑んだ。その時、由香の頬が少しだけ赤らんでいるように俺の目に映った。
「なんでって……。当たり前でしょ。私は愁斗の幼馴染なんだから」
それだけ言い放ち、由香は小走りで駆けていった。俺はその背中を見送りながら、俺はちょうどウリエルを霧島家に託した日のあの願い事を思い出していた。
―――えー、幼馴染の由香にもっと典型的な幼馴染属性をつけてやってください。例えば、毎日お弁当を作ってきてくれるとか。大体、幼馴染である俺を苗字で呼ぶこと自体幼馴染としての自覚が足りないと思います。どうか、神様からもあいつの精神を叩き直してやってください
由香から弁当を手渡された後の記憶ははっきりしていない。そのあとふらつく足で高校へと向かい、授業をうわの空で聞いていたことをぼんやりと覚えているくらいだ。気が付けばいつ間にか終礼が終わっており、俺はいつも通り下校することにした。
下校中、俺は必死に頭を巡らせた。ウリエルが空から降ってきたこと。俺の財布に身に覚えのない一万円札が入っていたこと。そして。
俺は右手に持った弁当箱をちらりと見た。そう。由香が俺に手作りの弁当を作ってきたこと。
これらはすべて、俺が霧島神社でお願いしたことだ。その願い事が現実に叶えられている、まるで魔法のように。この事実を踏まえたとき、俺はある考え、それも昨日の俺が馬鹿馬鹿しいと切り捨てたある考えの正しさを認めざるを得なかった。霧島神社にウリエルや牧場が探している神力があるということを。
いやいや、ちょっと待て。
簡単に言い切って見せたけど、これってとんでもないことなんじゃないのか? なんでも叶えてくれる力が俺のすぐそばに存在するなんて。俺はこれからあらゆる願いを実現できるということだぞ。ウリエルが言うには使用者の魔力量にみあった範囲内でという制限付きらしいが、どうやら俺の魔力は人の性格を変えてしまえるくらいの量があるみたいだし、大抵のことができるはずだ。
俺は気分がどんどん高揚していくのを感じた。
何を願おう。とりあえず、昨日のリベンジとしてお金を要求するのが優先事項だ。具体的な金額を言うことで、昨日の二の舞にはならないだろう。それからそれから……。
しかし、俺はそこで突然、由香の顔が頭に浮かんできた。
由香が漫画に出てくる幼馴染みたいに振る舞ってほしいと思っていたことは事実だ。しかし、あの神社へのお願い事だって決して本気で言ったわけではない。そして、次に俺のクラスメイトであり、由香の彼氏である早川の顔が浮かんできた。俺が言うのもなんだが、二人はお似合いのカップルだし、二人がお互いに心から好きあっているということも知っていた。
俺は無性に己の自分勝手さに羞恥を覚えた。俺がまずやるべきことは、由香の俺に対する態度を元に戻してやることじゃないか。たとえ、わざとじゃないにしても自分がきちんと後始末をしなければならない。いろいろと神力にお願い事をするのは、その後でいい。
とにかく、このまま霧島神社に行って、なんとか由香への願い事を取り消してもらおう。
俺はそう決意し、霧島神社を向かおうとした。しかし、俺はそこで自分の財布が牧場に盗られたままであることを思い出す。霧島神社に行く前に、家に帰らないといけない。俺は進行方向を変えて歩き出した。
家のすぐ近くまで来た時、俺は前方にウリエルの姿を見かけた。ウリエルも俺に気付いたらしく、こちらを振り返った。俺は明るい表情で、声をかけた。
「よっ、ウリエル」
「ああ。どうした、水前寺? なんか昨日と大分様子が違うように感じるが」
「それがだな、実は神力を……」
俺は見つけた、と言いかけてやめた。
ウリエルは牧場と同じように神力を探していた。牧場のあからさまな怪しさは論外としても、俺は今の今までウリエルとなんの疑いもなく接してきた。しかし、ウリエルもまた牧場同様何か利己的な目的のために神力を探しているかもしれない。自分の直感では、牧場と違って決して悪い人間ではないように思えるが、悪い人間ではないという根拠なんてない。そして、だからこそ、ウリエルの本心がきちんとわかるまでは、俺が神力を見つけたということは隠しておくべきなのかもしれない。
「どうしたんだ、水前寺。突然黙って」
「い、いや、実は神力のことをもっと詳しく聞きたいなぁって思って」
「昨日さんざん話しただろう。もう言い残したこともあまりないしな」
「そこをさ、なんとか頼むよ。例えば、神力を使えば何ができるのかとか、なんでお前がそんなものを探しているのかとかさ」
「一昨日まで、神力おろか魔術も信じようとしなかったのに、えらい変わりようだな。まあ、別に断る理由もないわけだが」
ウリエルは不審そうに俺を見つめながら言った。
なんとかさっきのセリフをごまかすことができたようだ。加えて、神力で何ができるのかを詳しく聞けるし、またウリエルのこともひょっとしたら聞き出せるかもしれない。俺はかたずを飲んでウリエルの言葉を待った。
「神力でできることか……。もちろん、それに見合う魔力があればの話があればの話だが、なんでもできると言われている。まあ、私の魔術の上位互換だと思ってくれて構わない。そして、その万能性について最も注目すべきなのは、魔術の三大悲願を実現できるかもしれないということだ」
新しく出てきた言葉に俺は首を傾げる。
「なんだよ、その三大悲願ってやつは?」
「魔術開発における最終目標のことだ。魔術は近代以降、科学技術に対し後塵を拝してきた。可能性の面では魔術は科学より優っているにもかかわらず、だ。魔術師たちはこのことに強いコンプレックスを抱き続けている。そしてその醜いコンプレックスを克服するために、科学では絶対に不可能なことを考え、それを魔術で実現させようとさせてきた。それが魔術の三大悲願だ。まあ、現時点ではどれも実現しそうにもないがな」
「……へぇ」
俺は魔術師が暗く狭い部屋で、科学への怨念を口にしながら実験作業をしている様子を思い浮かべた。科学へのコンプレックスを持ち続けてきたなんて、魔術師も大変なんだなと俺は心の中で同情する。
「で、その内容は?」
「一つ目が、無から有を生み出すこと。二つ目が、タイムリープ。そして最後が、他者の人格を自分の都合の良いように変えてしまうことだ」
「えっ!」
俺は思わず声を上げた。
他者の人格操作、それはまさしく俺が由香に対してやってしまったことそのものだった。ということは、俺は知らず知らずのうちにその三大悲願の一つを実現させたということになる。
しかし、俺の様子を不審に思ったのか、ウリエルは眉をひそめながら俺を見つめてきた。
「やっぱり、さっきから様子がおかしいぞ。何か隠しているんじゃないのか?」
「な、ない! 隠し事なんて!」
「……ますます、怪しいな」
ウリエルは疑わし気な目で、じっくりと俺のことを眺めまわした。そして、ウリエル目線は俺の右手付近でとまる。そのウリエルの視線の先には、由香が今朝俺に渡した弁当箱があった。
「……ちょっと待て。その四角い箱、少し見せてくれないか」
ウリエルはそういうと、俺の右手から弁当箱を奪い、じっくりとそれを観察し始めた。
「弁当箱か。なんだろう、すごく最近これを見たような気がするんだが」
俺はぎくりと肩を震わせた。この弁当は今朝由香が自分の家で作っていたものなんだから、霧島家に居候しているウリエルに見覚えがあってもなんら不思議じゃない。俺はウリエルの注意をそらすために慌てて質問を投げかけた
「そ、それはそうと、さっきの三大悲願についてだけどさ、最後の一つだけなんかしょぼくないか? 人格変えるとかだっけ」
「まあ、時代背景があるからな。当時の哲学やら思想に影響されているんだ。現代人が三つ目を大したことではないと考えるのももっともだな。それに、現代理論では、三つ目の悲願はあまり現実的でないと考えられている」
ウリエルは弁当箱をペタペタと触りながら言った。なんとかして、思い出そうとしている。
「現実的じゃないって……。俺からしてみれば前二つの方がよっぽど現実離れしてるように思うけど」
「まあ、ここでいう非現実的というのは、たとえそれが可能となったとしても使いこなすことができないという意味なんだ」
「どういう意味だよ」
「人格を変えるためにはな、もともとの人格を抑え込みながら新しい人格を発現させ続ける必要があるんだ。つまり言い換えると、その魔術をずっと使い続けていなくちゃいけない。魔術の行使を中止したとたん、元の人格が再び現れてしまうからな。長時間流し続けるには莫大な魔力量が必要だし、そして何よりも対象者の身が持たない。なんたって、ずっと魔力を外から流し込まれるんだからな」
「はあ。わかったような、わからないような」
「まあ、とにかく人格を変えることは無理だと思ってくれればいい」
「ふーん」
しかし、実際神力はその不可能を可能にした。
「じゃあ、魔力を外から限界まで流し込まれた場合、対象者はどうなるんだ」
「死ぬ」
ウリエルは弁当箱から視線を離さないまま、退屈そうにつぶやいた。
「は?」
「個人の先天的な魔力量を超えた魔力が流し込まれれば、魔力の器である身体は耐え切れずに壊れてしまう。風船に空気を入れすぎれば、破裂してしまうようにな。人格を変えてしまう魔術の対象者は魔力の連続的な流入によって」
そこでウリエルは言葉を一旦きった。
「死ぬ。魔力量と変化のふり幅にもよるが、まあ三日ともたないだろうな」




