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第七十九話『自己犠牲の善悪』


「さっっっすがですね先輩っ♪ 松下ぁ、先輩なら絶対に勝てるって信じてたんですよぉ☆」


 そう全身全力で媚を売り、敵前逃亡の罪を水に流そうとする人間の屑は松下希子であった。

 カセイが見事ムンヘラスを『破滅の枝(レーヴァテイン)』で焼き殺した直後、彼女はまるで待ってました! と言わんばかりにテレポートでカムバックしてきた。


 そのときのカセイと言えば、もう流石は松下だと、もとから最低だと思っていた彼女のことを更に見損直したほどである。


「……」


 しかし、やけにテンションの高いクソカス下とは対照的に、今のカセイはまるで床にへばりつくガムのような有様であった。


 流石に簒奪王戦や松下・秦戦のときよりかはマシだが、最早壁に寄りかかって座るのも辛く、絶賛寝転がり中である。

 それはもう終盤タコ殴りにされたせいで、全身が擦り傷と打撲のオンパレードなのだから仕方がない。

 しかもムカツくことに、その過程で折角治りかけていた脇腹の傷が開きやがった。既に出血はある程度落ち着き始めているが、少し動こうとすると思い出したようにグジュグジュ言い出す。


「でも、本当よく勝てましたよねえ。ガチのマジで大金星だと思いますよ松下的にはッ!!」


 されど、なんだかんだで今回もこうして生き残ることが出来た。

 確かに松下の言う通り、よく勝てたなと思う。

 秦が本当にアジ・ダハーカを倒してくれたならば、これでひとまずの危機は去ったはずだ。

 

 本来ならば彼女のテンションに便乗して、勝利の余韻に浸ってもいいくらいものなのだが、


「悪い。今ァそういう気分にゃなれねえや」


 しかし、少年の顔はどうしようもなく暗い。

 その眉間には深く皺が刻まれ、他に悔しさを紛らわす方法がないのか強く歯を食い縛る。


 それまで明るい表情を浮かべていた松下の顔からも、フッと笑顔が消え失せた。


「……下手くそでしたね。すみません」


 彼女はそれだけボソリと呟くと、そのままゆっくり、それでいてどこか気まずそうに背後へ視線をやる。


 瓦礫が上手い具合に身を隠す形となっているとある一角、そこから「ううっ」だの、「あぁっ」だのといった言葉にもならない呻き声だけが聞こえてくる。 

 そこでは不幸にもこの場に居合わせた人々が、まるで魂でも抜けたかのように、ただひたすら虚ろに俯き続けていた。

 最早直接的な危機は去ったにも関わらず、だ。

 

 彼等の多くは別に何か傷を負っているわけではない。

 だが、それでも心が死んでしまったのだろう。


 人はあまりにも衝撃的な出来事に遭遇すると、PTSDに代表されるストレス障害を引き起こすことがよくある。

 有名な実例を挙げれば、ベトナム戦争から帰ってきたはずの米兵が、自分の足跡を消す習慣をやめられないといったものだ。


 例え異形の怪物の姿は見えずとも、これだけの惨状の真っ只中に放り込まれ続ければ、それだけで充分人の心は殺される。


 しかし、それでも彼等はまだ生き残っただけまだマシと言えるかもしれない。

 本当に不幸だと言えるのは――――と、そこまで考えてカセイは忌々しそうに舌を打つ。


「……例えたった一人でもな。誰かしらが殺されちまった時点で、それはもうハッピーエンドたあ言えねえんだよ。クソッタレ」


 確かに樋田はムンヘラスを倒した。

 だが、それで彼等を救った。或いは助けたなどと思い上がるつもりはない。


 アジ・ダハーカに食われた三分の一の人間、そして樋田の目の前で上半身を喰い千切られた一人の女性。

 彼等が最期に見せた、あの全てに絶望するような顔が脳裏にこびりついて離れない。


 確かに樋田にとって彼等は名前も知らぬ赤の他人ではあったけれど、それでもあまりにも多く命を取りこぼしてしまった。


「……情けねえが俺ァこのザマだ。あの人達に何か出来ることがありゃあしてやってくれ」


「えぇ、先程学園の方に応援要請を出しときましたから、多分そろそろ到着する頃合いです。あの人達のケアはもちろん、警察や軍が来る前にきっちり後始末も済ませてくれると思いますよ」


「……あぁ、そうか。そりゃあ助かる」


 不幸中の幸いとでも言うべきであろうか。

 先程は何しに来たんだとか言ってしまったが、今はやはり松下が居てくれて良かったと思う。


 これで少なくともこれ以上彼等が苦しむことはない。

 ただその事実だけが救いであった。


 ――――チクショウ、意識が……。


 後のことについて懸念する必要がなくなったからか、急に意識を保つのが難しくなる。

 抗おうと思っても抗えるものではない。そうして樋田はそのまま気絶するようにまぶたを閉じようとし、


「なんじゃこりゃ、随分と派手にやらかしたようだが……?」


 と、正にちょうどそんなときであった。

 バサリバサリという大きな羽音が聞こえた直後、窓の外から二柱の天使がメインデッキの中に降り立ったのだ。


 やけに小柄な金髪の天使と、背の高い赤髪の天使の二人組み。赤髪の方は最早自分の力で立つことも厳しいのか、小柄な天使の方に完全にその身を預けている。


「おぉ、カセイッ。生きてたかッ……!!」


 言うまでもなく小柄な金髪天使は晴だ。

 しかし、カセイがそんな彼女の声に応えることはなく、それどころか視線すら返さない。

 樋田が吸い込まれるように見つめるは、晴の隣にいるもう一人。細い瞳をこれでもかと見開き、彼はその姿に釘付けになる。



「オイ、お前。なんなんだよその傷……」



 晴は別に良い。

 彼女も確かに負傷しているが、天使体がいくら負傷しようと、そのダメージが本体にまで及ぶことはない。


 されど、もう片方の赤髪の天使、秦漢華は別だ。

 彼女は天使体ではない生身の体に直接重傷を負っていた。


 何かに炙られたであろう肩の火傷はまだ浅いが、肩から脇腹に走る爪痕のような傷が何より酷い。


 皮膚は破け、肉は裂け、ドクドクと溢れる鮮血の下からは、何か白い骨ようなものすら覗いている。

 そのあまりにも痛ましい彼女の姿に、樋田は冗談抜きで心臓が止まりかける思いであった。


「嘘、だよなあ……?」


 何故だ?

 秦は樋田がこれまで見てきた中で最も強く、猛々しい天使であった。

 そんな絶対強者である彼女がまさかこんなところで死んでしまうはずが……そうだ、ありえない。絶対にありえない。そんなことあっていいはずがないッ!!


 そんな数多の疑問と焦燥に駆られるがまま、カセイは半ば反射的に叫んでいた。


「オイ、晴ッ!! どうなんだよッ!?」


 しかし、対する群青の天使の回答は比較的落ち着いたものであった。


「大丈夫だ。見た目ほど酷い傷ではない。少なくとも死ぬことはないから安心しろ」

「……そっ、そうか」


 心の臓から何か冷たいものがこみ上げ、代わりに喉の奥のどうしようもない窒息感が消失する。

 気付けば酷く汗をかいていた。呼吸のリズムも乱れていた。ともすれば、目頭に熱いものすら浮かんでいたかもしれない。


 声には出さない。

 だが、それだけ樋田は心の底から安堵したのだ。


 そんな彼の様子に反応するように、そこで秦もようやくうなだれた首を持ち上げる。

 黒髪の少年と赤髪の少女の目が合う。

 先に口を開いたのは少女の方であった。


「……ふんッ、どうやらアンタもちゃんと約束は守ってくれたようね。何となく分かってると思うけど、こんなザマでもあのクソトカゲはちゃんと倒したから。本当、街に被害が出なくて良かったわ」


「……テメェ」


 事後報告じみた、それでいて少し誤魔化しの笑みを混ぜた些細な言葉であった。

 しかし、その一言が樋田にとってのきっかけになった。


 彼は最早座ることすら辛いはずなのに、態々立ち上がり、秦の目の前まで詰め寄っていく。

 そして、反射的に胸倉を掴もうとして、やめる。

 その瞳に映る色は、怒りか悲しみか、それとも己に向けた悔しさか。言いたいこともろくにまとまっていないというのに、彼女の傷ついた姿を見ると自然に言葉が溢れ出てきた。


「……いや、良くねぇよ。これで良かっただなんて言わせねえぞ。確かにパンピーに被害出さなかったのはご立派だぜ。そのために命張ったのも認めてやるッ。だがな、それがそのままテメェが傷付いてもいいっつー理屈にはならねえんだよッ……!! 人が知らねえとこで、テメェ勝手に死にかけてんじゃねえぞクソがッ!!」


 樋田の豹変がよっぽど意外だったのだろう。

 秦は一瞬目を見開くと、微かに睫毛を湿らせ――しかし、すぐ何かを抑えるように唇を噛む。


「……それで皆が助かったならいいじゃない。それに、こんなのは別に大した傷じゃないもの」


「助かったからいいだ……? っざけんじゃねえぞクソアマアアアアッ!! チクショウッ、くだらねえ。頭良い癖にマジでくだらねえ思考回路してんなテメェはッ!! 」


「……るっさいわねッ。なによ、こっちが黙ってれば好き放題言って。そもそもアンタだって人のこと言えないでしょ。何よ、その脇腹ッ……たくさん血出てるじゃない。死んじゃったらどうすんのよ。この馬鹿 」


「っるせえッ!! 別に俺ァいいんだよ俺ァッ!! 俺の命くらい俺の好きに使わせやがれッ!!」


「その言葉そっくりそのまま返させてもらうわ。別にどこで私がどうなろうと、アンタには関係のないことなのだし」


「んだとテメェ、屁理屈抜かしてんじゃねえぞコラァッ!!」


 あくまで我を通そうとする秦に、樋田は悔しそうに強く唇を固く噛みしめる。


 彼は今間違いなく激昂している。

 だがその一方、自分が怒っている理由がよく分からないのも事実であった。


 思えば、何故なのだろう? 

 何故秦漢華が傷付いたというだけで、自分はこんなにも胸を抉られるような気分になるのだろう。


 この女がついこないだ、たった二週間前まで敵だったことを忘れたわけではない。そもそもいくら今は味方とはいえ、こうして普通に話すようになったのだって今日が初めてなのだ。

 自分が覚えている限り、秦漢華は樋田可成にとってそこまで大切な人間ではない。だというのに、どうしても樋田は秦の危うい自己犠牲を許すことが出来なかった。


「……なんです、この音?」


 しかし、そんな樋田の苦悶は半ば無理矢理に断ち切られることとなった。


 松下が唐突にボソリと呟いたあと、先程の晴達のように、十人を超える隻翼が突如メインデッキの中へと舞い降りたのだ。


 緊張はしない。

 茶や黒のブレザーで統一された服装を見るに、彼女達は間違いなく『綾媛百羽りょうえんひゃっぱ』を構成する隻翼の一団であった。


 そしてそのことを裏付けるかのように、彼女達の裏から茶色のルーズサイドテールが特徴的な綾媛百羽第二位、兼統合学僚長のナントカさんが現れる。


「…………」

「およっ、日本刀ビームの人ではないか」

「……クソ陶南、学園のクソ犬が一体何の用かしら?」

「陶南先輩じゃねえですか。確か人類王のケツ穴舐めるのが趣味で有名の」


 二週間前の戦いで、危うく日本刀ビームを浴びせかけられたカセイと晴。

 そして、胸糞悪い学園の陰謀に無理矢理付き合わされてる秦と松下。


 当然彼等四人の陶南に対する印象は最悪で、まるで息をするように罵詈雑言の類が飛び出す。


「……何があったのですか? と、問いたいところですが、その時間はなさそうですね。細かい事情は分かりかねますが、ともかく皆さんお疲れ様でした。あとの始末は私達百羽の方で済ませますので……と、お二人共かなり手痛い目に遭われたようですね。お望みでしたら学園の医療施設を提供致しますがいかがでしょう?」


 しかし、当の冷徹宰相はどこ吹く風。

 並の人なら涙目になりそうな状況でも眉一つ動かさない。まるでアナウンサーのように、感情を込めず、ただ伝えるためだけの言葉を羅列する。


 そしてかなり手痛い目にあった二人、そのうちの樋田はチッと舌打ちをすると、


「バカ抜かしやがって。何が悲しくてテメェらの世話になんざ――――」

「そうですか。それでは家に帰るなり、もう好きにして頂いて結構です」


 陶南はそう切り捨てると、すぐさま銀髪と赤髪の方を向いて言う。


「さて、それでは秦さんと松下さんには一度学園の方に戻ってもらいます。この一件に関する具体的な報告を頂きたいので。もちろん、秦さんは怪我の治療が最優先で構いませんが」


「ええ……、それ完全に松下が一人で報告書書か――――」


「喋んなクソカス下。そうと決まったならさっさと帰りやがれ」


「……あい」


 然して、何かしらの隠蔽工作を始めた隻翼達を置いていく形で、陶南・秦・松下の三者は東京タワーをあとにしようとする。

 しかし、そこで何故か秦がこちらを振り向いた。そうどこか気まずそうな視線をやる彼女に、樋田は話を誤魔化すことなく真っ直ぐ伝える。


「……やっぱお前のそのやり方を認めるわけにゃあいかねえ」


「そ」


「二週間前にも似たものを感じだが……一体何がお前をそこまで駆り立てる? 何かそれなりの理由ってもんがあるんじゃ――――」


「……アンタには関係ないから」


 それだけ言い残して、今度こそ三人は樋田達の視界より姿を消した。

 何も言わない晴の優しさに甘え、樋田はしばらく呆然と窓の外を眺める。


 この東京タワーを除き、東京の街は正に平和そのものである。

 それもこれも全ては、秦が自分の身を犠牲にしてまで街を、そこに暮らす人々を守り切ってくれたからだ。


 凄いな、と思う。

 強いな、とも思う。

 素直に尊敬すらする。

 だが、それでもそう彼女を褒める気にはどうしてもなれなかった。

 

 何故かは分からない。

 これがどういう感情なのかも分からない。

 だけど、確かに樋田可成は――――きっと他の誰よりも――――秦漢華には笑っていて欲しいのだ。  

 あんな自らを責めるような暗い顔は見たくない。


 そんな声がどこぞより聞こえてくるのだ。

 樋田可成でありながら、樋田可成ではない誰か。

 そんな誰かがそう叫んでいるような気がした。

 



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