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第七十一話 『無名の悲劇』


「……で、随分とカッコつけて出てきたわけだけど、まさかこの先なんの見通しもないってわけじゃないわよね?」


「ったりめえだ。この広い東京を闇雲に探しても埒があかねえからな。まずは今ある手掛かりから範囲を絞る」


「ふぅん、現状向かうならやっぱり中央区の方かしら?」


「まあ、そうだな。こっちの手元には一応『顕理鏡セケル』もあるし、現地に行きゃあ何かしら分かるかもしれねえ」


 実際に東京の街へと繰り出し、ダエーワの発生源を探ることにした樋田達は、今最寄りの駅を目指して移動している最中であった。


 秦曰く、現在ダエーワが蔓延っている東京二十三区の中でも、今二人が向かっている中央区は特にその発生件数が高いらしい。


 正直態々そちらへ足を運んでも、あまり意味はないのかもしれない。

 そんな如何にも怪しい地点ともなれば、学園の解析班とやらが既に調査を済ませているに決まっている。


 だがしかし、それでも樋田は一度現地に行っておきたかったのだ。

 そこには未だ話でしか聞いていない事件の現状を、自分の目でしかと確認したいという思いもあった。


「まず前提の話をするけどよ。そもそもダエーワって一体どういう理屈で発生してんだろうな?」


「そうね。ウチの隻翼がやるみたいにどこかから召喚してるかもしれないし、或いは一から術式で生み出しているかも……あとは自分で言ってて胸糞悪いけど、別の何かをダエーワを作り変えてるなんてこともありえるわね」


「……あぁ、出来りゃあ想像したかねえがな」


 秦が濁した真意を悟り、樋田は心底忌々しそうに眉をしかめる。

 恐らく彼女が指摘したのは、普通の人間がダエーワの材料にされているかもしれないという可能性だろう。


 ふと、二ヶ月前に戦った簒奪王の姿が頭を過る。かつてこの街に住む百人以上の人々を、首無しの怪物へと作り変えたあの堕天使を思えば、決してそれもありえない話ではない。


「それにしても狙いが見えないってのは不気味よね。まさかそこらにダエーワをばら撒いて、人間を殺しまくるのが目的ってわけじゃあないでしょうし。それさえ分かれば中央区でダエーワの発生件数が多い理由、ひいてはその発生源も突き止められると思うのだけど」


「可能性としちゃあ便利な使い魔を使って、中央区にある何か重要なものを探させている? あとは単純にダエーワを発生させるのに条件がいいとかかもしれねえな。漫画でよくあるパターンだと、龍脈やら地脈やらの力をダエーワの大量召喚に利用している……みてえな?」


 そんな樋田が適当に上げてみた仮説に対し、秦はうーんと難しい顔をする。


「確かにそういう類のものはこの世界にも存在するわ。『天骸アストラ』は本来満遍なく四散しているものだけど、東洋における龍脈概念に影響された関係で、ときには一定の流れを有したり、特定の地点に凝集することもある」


 しかし、そこで「でも」と付け加えると、


「でも、本気で龍脈を術式の中に組み込みたいんなら中央区じゃダメよ。最低でも千代田区内じゃないとあまり意味がないわ。まあ、そもそも龍穴は後藤機関が一番目を光らせてるところだから、この国で龍脈を術式に利用するのはほぼ不可能よ」


 樋田の仮説は呆気なく論破された。

 だがいい。確実に間違っている予想が一つ排除されたということは、それだけ真実に近付いたと言い換えることも出来るのだから。


「そうか。テメェのいう通り土地自体は関係ねえとすると、中央区にある何かが術式を補強する記号としての役割を果たしてるのかもしれねえな。ぶっちゃけ俺港区からほぼ出たことねえから知らねえんだが、あの辺りで有名な名跡ってどんなのがあるんだ?」


「そうね。あそこらへんの名所といえば、三越本店に築地市場……歴史的なものだと浜離宮に築地本願寺、あとは住吉神社とかかしら?」


「想像はしちゃいたが吃驚するぐらいピンと来ねえな……一応晴にココアトークで伝えとくか」


 晴曰く、この世界に伝わる神話・伝承の類は、人間界にて天使などが異能を行使した姿を、現地の人々が自分達の目線で解釈したというものが多分に含まれるらしい。

 即ち逆に各地の神話・伝承の類を調べれば、その元ネタたる術式の実態を把握することも可能なのである。

 よって此度のダエーワ発生事件も、中央区における何かしらの霊的要素と繋がりがあるのかもしれないと考えたのだが……残念ながら樋田はその手のオカルトに詳しくはなく、秦漢華もまた同様のようであった。


 然らばその手のことは専門家に任せるべきであろう。

 今までは西洋案件ばかりで苦悩していたが、日本のことならば晴もその知識をフル活用してくれるに違いない。


「おっ、ようやっとだな」


 そうして高慢幼女にメッセージを送信したところで、丁度五反田の駅が見えてきた。

 中央区に向かうならば、やはりその中心たる日本橋あたりで降りればいいかなあと、なんとなくそんなことを考えながら駅の構内へと入っていく。


「あっ、そうだ。中央区の方行く前に、一回東京タワー方面に寄ってもいいかしら?」


 すると、丁度各路線へと繋がる分かれ道に至ったところで、突然チャイナ娘がそんなことを言い出した。


「なんだよ。バカと煙は高いところが好きってやつか?」

「……一々反応しないわよ。実は綾媛百羽りょうえんひゃっぱの方で方々に使い魔を飛ばしているのだけど、何故か六本木と東京タワーを結ぶ一帯で行方が途絶えることが多くてね。これまでは他に対処しなきゃいけないことが多くて棚上げにしてたのだけど、この機会に一度確認しに行きたいのよ」

「はあん、なるほど。別にそういうことなら構やしねえけども」


 そこで二人は適当に会話を切り上げ、六本木まで最短で行ける川手線の電車へと乗り込む。

 これまた平日の真昼間ということもあり、電車の中はほとんど貸切状態であった。十分程度しか乗らないのに態々座るのもなんかアレなので、とりあえず二人は並んで車内の隅に身を寄せる。


 ――――話すことなくなったな……。


 樋田も秦も基本的に性格が根暗なので、必要な伝達事項を話し終えると途端に黙り込んでしまう。

 つい気になって秦の方を見る。

 彼女は特にスマホをいじるわけでもなく、ただその真っ赤な瞳を車窓の向こうへと向けていた。

 

 素直に綺麗だと思った。

 何故だろう? 

 彼女とはつい三週間前に出会ったばかりだというのに、そのまるでガーネットを埋め込んだような瞳も、或いは薔薇が恥じらうほどに鮮やかな紅髪も、ただ見ているだけでどうしようもなく胸がざわつく。

 彼女のうなじから垂れる三つ編みに思わず触れたくなるが、恐らく物理的に殺されたあと社会的に処刑されたのち精神的に自殺する羽目になるので何とか堪える。


 樋田がそんな謎の葛藤に苦しむなか、秦は突然何かを思い出したようにスマホを取り出して言う。


「あのさ、このアプリインストしといてくれるかしら」


 彼女が見せてきたのは、ピンク地に♂と♀がデザインされた如何にも怪しいアプリであった。


 なんだか、微かに見覚えがある。

 確かこれはカップルが互いを束縛し合うために、相手の居場所をGPSで知れるようになるとかいう代物だ。

 数日前に晴が「うわっクッソくっだらね死ね」とか言いながら、インストすらしていないくせに星一評価アンド罵倒レビューを書き込んでいたからなんとなく覚えている。


「ハハッ。えっ、なに? もしかして漢華ちゃん、俺のこと束縛したかったりされたかったりするの?」

「……」


 軽い気持ちでの冗談だったのだが、想像以上に冷たい視線を頂戴し、樋田は危うく新たな領域に目覚めかけてしまう。

 対する秦はまるで呆れたと言わんばかりにハアと溜息をつくと、


「もしはぐれたりしたときに、GPS使えたら便利よねってだけよ。別にアンタだけじゃなくて、陶南すなみや松下とも繋がってるし」


 そうして樋田は秦に言われるがままアプリをインストールし、そのまま流れで互いに位置情報を共有する。

 なるほど確かにこれは便利かもしれない。実際にアプリを起動してみると、樋田も秦も現在川手線上にいることが一目で分かる。


 ついでに晴の位置情報も共有してもらい(松下は別にどうでもいいので遠慮した)、半グレ少年はどこかホッとしたような笑みを浮かべる。


「フンッ、馬鹿にしちまったが確かにこりゃ安心だな。これで俺がいつどこでピンチになったとしても、テメェがすぐに助けに来てくれるつーわけだ」


「……フンッ、女の子に頼るとか本当に情けないヤツね。アンタそれでも漢なの?」


「るせぇな。戦力的にはどう考えても俺の方が弱えんだから仕方ねぇだろ。まぁ、でも俺かて借りっぱなしは性に合わねえからな。もし、テメェがビビって小便漏らすようなことがありゃあ、この俺様がどこにだって駆けつけてやるさ」


 樋田としては煽り半分に軽口を叩いたつもりであった。

 しかし、対する秦はやけに深刻そうな面持ちを浮かべると、



「……私にそんな資格はないわ」



 そう彼女が口にした直後、二人の乗る電車は丁度六本木駅へと到着した。

 車体を止めるためのブレーキ音、ホームから響く人々の喧騒、ありとあらゆる雑音によって少女の言葉は掻き消される。


 マズイ、これでは難聴系主人公の汚名を着せられてしまう。


「悪りぃ、よく聞こえんかったんだが」

「うるさい楠木正成」

「いや、それは南朝系主人公だろ」


 そんなくだらないことを言ってるうちに、秦はさっさと樋田の横をすり抜け、トテトテ電車の外へと出て行ってしまう。

 樋田は胸にどこかモヤモヤしたものを抱えながらも、黙ってそんな彼女に着いていくほかはなかった。




 ♢




「どう? なんか変わったものとか見えたりするかしら?」

「んや、今んところはなんとも」


 六本木駅で下車した樋田と秦は、そのまま徐々に東京タワーの方角へと向かっていく。

 その最中、樋田は先程秦から貰った『顕理鏡』を用いて、周囲に何か異能の反応がないか探していた。


 晴が得意とするこの聖創は、『天骸』の観測・解析・再現を可能とする力だ。

 よって普通なら見逃してしまう些細な『天骸』の痕跡も、この力を使えば見つけ出すことが出来るのだが……ビックリするくらい何も反応がない。


 ――――本当に何も無いんならそれはそれでいいが、俺が無能なだけってんならマズイぞ。マジで。


 当然この力を使うのは初めてなので、何か色々と見逃しているのではないかと不安になる樋田であった。

 その後も二人は特に芳しい成果を上げられないまま、流れで路線の下を走る地下道の中へと潜り込んでいく。


「あら、可愛らしいわね」


 樋田が『天骸』探しに精を出している隣で、秦がボソリと呟くように声を上げた。


 彼女につられてそちらを見る。

 すると地下道の左右の壁に、何か絵のようなものが描かれていた。その拙さを見るに、恐らくは地元の幼稚園児か小学生辺りが描いたものを飾っているのだろう。


 ――――チッ、くっだらね。


 もしや初めからテーマが決まっていたのか、或いはどこぞの選考員が作為的に選んだのか。

 そこに並ぶ絵のほとんどは、如何にも仲睦まじそうな家族の姿を描いたものばかりであった。


「……なによアンタ、そんな湿っぽい面して」


「いや、言うてテメェも似たようなもんじゃねえか」


 絵を見る秦の表情はどこか寂しげで、それでいて何かを後悔でもしているかのように険しい。

 まさかこの赤毛も自分と似たような境遇であったりするのだろうか――――と、考えたが口には出さなかった。

 人ならば誰でも一つや二つくらい、他人に気安く触れて欲しくはない古傷があるものなのだから。


「……アンタさ、今お母さんってどうしてんの?」


 しかし、そこらへん秦漢華は御構い無しであった。


「ああん? なんでんなこと聞くんだよ」


「いっ、いや違うのだわ。ほらっ、アンタってあの羽虫と同棲してるっていうじゃない? だから、その。うん、気になったのよ。分かるでしょ?」


 正直分からねえよと切り捨てたいところだが、彼女が言わんとすることは何となく理解出来る。

 もし樋田家に両親がいるならば、当然カセイの意思のみで晴を家に住まわせることは出来ない。しがし、現に晴は樋田家で居候の地位を獲得しているので、余計な邪推をしてしまったのだろう。


「ハッ、勝手に人の親殺してんじゃねえよ。今は自立してえから、こっちで一人暮らししてるってだけだ。親父もお袋も地元で普通にピンピンしてるつーの」


「えっ……そう、なら良かったわ」


 いつのまにか重くなってしまった雰囲気に、やけに狭苦しいこの地下道。

 樋田が色んな意味で息苦しく思っていると、幸いようやく地上への出ることが出来た。


 斜め上方に目を凝らすと、現在二人が目指している東京タワーの姿が目に入る。

 某スカイツリーが新たに建ったとはいえ、未だ人々の心にはこの赤い電波塔の方が馴染み深い。本日は平日だというのに、今日もその一帯は多くの観光客で溢れかえっている。


 ――――何もねえのか一番なんだが……なんか気が抜けんな。


 今日もこの東京の街は至極平穏だ。

 そこらを歩く人々も皆、それぞれの日常の範疇に沿って生きている。

 そんな穏やかな街の姿を見ていると、松下や秦の言う緊急事態がやけに遠い場所の出来事のように感じてしまう。


 実際は今もこの町のどこかで、四勢力とダエーワによる激闘が繰り広げられているというのに――――と、丁度その刹那であった。



「七時の方向に敵影三ッ!! 何してんのよド素人ッ!!」



 状況が激変する。

 それはあまりにも唐突な出来事であった。


 秦の切羽詰まった叫びに振り返る。

 するとここからおよそ百メートル後方、ビルの合間を縫いながら空飛ぶ何かがこちらに迫っていた。


 姿形は良く見えないが、あれがダエーワか。

 樋田はそう思い、咄嗟に黒星を構えようとする。


「こんな人が多いところで襲いかかってくるとはねッ……!!」


 しかし、そのとき秦漢華は既に天使化を終えていた。

 綾媛百羽第四位が有する『殲戮せんりく』は、ありとあらゆる座標にノーモーションで起爆の術式を設置することが出来る術式だ。

 秦の手元から赤黒い光が炸裂した直後、空飛ぶ何かを包み込む形で無数の魔法陣が浮かび上がり、


「灰燼に帰せえッ!!」


 半径二十メートルにも及ぶ大爆発を引き起こした。

 これこそは正に神罰の執行。溢れ出る爆風と爆炎と黒煙が、一帯の空を丸ごと黒く赤く塗り潰していく。


 霊体化の恩恵で一般の人々は認知出来ないようになっているとはいえ、そのあまりの大胆さに樋田は肝を冷やさずにはいられない。


「やったかッ……?」

「何もしてないくせにフラグだけ立てるのはやめてくれるかしらッ」


 案の定嫌な予想は当たった。

 空を覆う巨大な爆炎の中から零れ落ちるように、何か一つの大きな影が落ちてくる。


 その姿は一見コーカソイドのそれと似ていた。

 しかし、明らかに人ではない。耳は尖っており、背には如何にも人外じみた皮翼が、そして何より頭からヤギのものによく似た角が生えている。


「コイツがダエーワかッ……!!」


 幸い、悪魔は先程の爆発で脚部のほとんどが吹き飛ばされていた。

 だがしかし、それでもダエーワは止まらない。まるで地獄の底より響くような奇声を上げながら、真っ直ぐにこちら目掛けて突っ込んで来る。


 最早互いの目鼻立ちすら分かるほどの距離しかない。今から引き金を引いても、このバケモノを止められるかどうかは五分五分であろう。


「邪魔だから引っ込んでなさい」


 対する赤毛の少女は冷静であった。

 彼女は大口開けて突っ込んでくるダエーワの頭を逆に掴み取ると、そのまま腕の力だけで再び上空へと投げ飛ばす。


 恐らくただいまの接触で、ダエーワの全身は起爆物へと変換されたのだろう。

 そのまま秦がパチンと指を鳴らすと、悪魔の体は再度の大爆発と共に跡形もなく消し飛んだ。


 ――――鎧袖一触、相変わらずえげつねぇなコイツ……。


 その強さには見事であると素直に賛辞を送ろう。

 しかし、正直今の樋田の頭は「こんなヤバい爆発ゴリラ二度と敵に回したくない」という思いで一杯であった。


「フンッ、随分と余裕じゃねぇか。こんなもんなら幾ら数いようが問題にはなるめえよ」


 そう言って樋田は気安く秦の肩に手をやる。

 最初にダエーワが出てきたときは結構ビビったが、こうして戦いが終わると逆に拍子抜けであった。

 正直言って、あの程度の脅威ならば樋田だけでも充分に対応出来る。

 松下からは随分と危機的な案件であるように言われたが、実情は想像していたよりも大分マシなようであった。


「秦……?」

 

 しかし、赤の少女から反応はない。

 なんだか妙にテンションの低い少女の顔を覗き込もうとしたところで、彼女はボソリと決定的な一言を呟いた。



「……まぁ、私達みたいな異能者にとってはね」



 そのまま秦は樋田に赤黒い紐のようなものを手渡した。

 なんだこれ? と思いながらそれに目を凝らした直後、樋田は思わず絶句する。


「オイ、コイツはまさか……」

「今のダエーワの口の中に引っかかってたわ。確かに受け入れ難いことだけど、大体アンタの想像通りだと思う」


 それは血で真っ赤に染まった小さなリボンであった。

 ピンク地に白の水玉があしらわれたデザインを見るに、元の持ち主は年端もいかない幼子であったに違いない。

 そんなものがあの醜悪な怪物の口の中から出てきたということは――いや、言葉にするのも忌々しい。


「……」


「言葉にならないかしら? でもこれが現実よ。救える人間に対して、救わなきゃいけない人間はあまりにも多すぎるからね。助けを求める全ての人の前に、都合良くヒーローが駆けつけてくれるわけではないのよ」


「あぁ、俺かてそんな出来もしねえ理想を騙るつもりはねえよ。だが、これはな……」


 仕方がないことだとは思う。

 別にこのリボンの持ち主が死んだことを、自分のせいだと思うほど悲観主義者でもない。


 人材というリソースが有限である限り、どうしてもこういう取りこぼしは生じてしまうものなのだから。


 だが、それでも胸糞悪いものは胸糞悪い。

 あぁ、この子はどれだけ怖い思いをして、どれだけ痛い思いをして、そして一体どのような気持ちで死んでいったのだろう。

 そう考えるだけで今にも胸が張り裂けそうであった。遣り場のない怒りが沸々と沸き起こり、全身の隅々まで荒々しい熱が迸っていく。


「……ほら、さっさと行くわよ。そんなところで感傷に浸っていたって何の解決にもならないんだから」


「……るせぇ、んなこと言われなくても分かってるつーの」


 そうして二人は再び前へと進んでいく。

 確かに一般人にも被害が出ているとは聞いていたが、言葉で聞くのと実際に目で見るのとでは、それこそ天と地ほどの差がある。


 決してこれまで事態を軽く見ていたわけではない。だがそれでも、樋田の中ではこの一件に対する向き合い方がガラリと変わった。


 ――――殺してやる。どこのどいつがどんな理由があって、こんなくだらねぇことをしてるかは知らねえ。だが、必ずだ。絶対にそのクソヤロウを見つけ出して、この手でブチ殺してやるッ。


 樋田は最早溢れ出る殺意を隠そうともしない。

 その如何にも悪人じみたオーラに、周りの人間が逃げるように距離を取っていくのが分かる。



「おっ、と」



 すると、そんな大きな人の流れに反するように、いきなり誰かが樋田の背中にぶつかってきた。いや、どちらかというとしがみついていると言ったほうが正しいだろう。

 渋々振り返ると、そこにいたのは大体十歳前くらいの幼い少年であった。


「んだぁ? このクソガキッ……げふんげふん。オイどうした坊主。ママとはぐれでもしちゃったのか?」


 必要以上に怖がらせないようにと、出来る限り声のトーンを上げて聞いてみる。

 しかし、少年は何も言葉を返さなかった。樋田の体にぎゆっと顔を押しつけているため、彼が今どんな表情をしているかも皆目検討つかない。


「……えっ、なに? これどうすればいいの? なんかすげえめんどくさい。助けてお巡りさん」


「アンタ、もしかしてその子隠し子……?」


「んなわけあるかァッ!! 精通早すぎだろ」


「ひゃいッ!? せっ、精通って……女の子の前で破廉恥なこと言わないでよ。このバカッ」


「たっ――けて――」


 パニくるあまり少年そっちのけで言い争う二人であったが、彼がようやく一言発すると途端に黙り込む。

 そこでようやく見えた少年の姿はもう酷いものであった。彼はまるで幽霊かと思うほどの顔面蒼白状態で、よほど涙を流したのか形の良い両目は赤く腫れてしまっている。

 そして何より驚いたのが、少年の腕に刻まれた真っ赤な握り痕であり、なおかつその痕が明らかに六本指によるものであったからだ。


「こいつぁ、もしかして……」


 既に大方の予想はついた。

 その只事ではいい雰囲気に二人が無言で視線を交わすなか、少年はヒビの入ったガラスのように弱々しい声で懇願する。



「おねがいします……おにいさん、おねえさん。ボクのことを助けてくださいッ……!!」




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