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第五十一話 『綾媛百羽』


 然して、樋田と晴は『叡智の塔』の中へと突入した。

 二人が溶鉱炉の扉を潜り抜けたその瞬間、別レイヤーでも差し込まれたかのように周囲の風景がガラリと切り替わる。

 先ほどまで見えていた光景は瞬時にどこかへと消え失せた。樋田達は溶鉱炉の中から外に飛び出したはずなのに、頭上には夜空も月明かりも広がってはいない。

 そこに見えるのは、数多のシャンデリアで賑わう西洋建築物の天井のみだ。二人はまるでテレポートでもしたかのように、いつの間にか巨大な建物の中のど真ん中に立たされていた。


「狂ってやがる……が、これで『叡智の塔』の中に入れたのは間違いねえみてえだな」


 こうして敵地に足を踏み入れた以上、まずはとにかく状況確認だ。

 二人はそうして空間の左右に大きく散開すると、すぐさま四方の様子を睨め付けるように観察する。


「オイオイ、まさかここは……」


 すると、そこには見覚えのあるだだっ広い大広間が広がっていた。


 西洋風の城郭がベースとなったその空間は、天井が吹き抜けになった二階建て構造で、前後左右には四つの巨大な扉と、更には二階へと続くこれまた巨大な階段が続いている。


 この忌まわしき光景を忘れるはずもない。

 奇しくもそこは、一昨日樋田が『叡智の塔』の中に迷い込んだ際に現れた空間と全く同じ場所であった。


「ふっ、オールグリーン。まあとりあえずは無人か。近くに隻翼の反応は……うむ、幸いこちらの方も大丈夫そうだな」


 そうして樋田が一人で驚いているうちにも、晴は既に『顕理鏡セケル』を発動し、虚空にお馴染みの電子モニターを出現させていた。

 続いてその画面上には、何かの建物内――――いや、恐らくは『叡智の塔』内を再現したと思われる立体3Dモデルが映し出されていく。


 それは先日綾媛学園の構造を説明する際に用いていたものと同じ技術なのであろうが、今日初めて入った場所でも同じことが出来るとは正直驚きである。


「オイオイ、色々と便利すぎだろそれ。頑張ってこんな複雑な異界作った誰かが泣くぞ」


「まあ、これが普通の建物ならばこうはいかんのだがな。この学園は建造物の中に自己修復の術式を刻み込んでいるゆえ、そこを流れる『天骸アストラ』の流れを辿れば、異界の大まかな構造くらいならば簡単に導き出すことが出来る」


「……細けえことはよく分からねえが、地図が出来たってんなら話は早え。ならさっさと例の実験室にカチコミかまして、目的のモンをくすねちまおうとするか」


 何はともあれ晴のおかげで、この無駄に広い異界の中を、何の手がかりもないまま探索する必要は無くなった。

 今回の作戦は時間が命であるだけに、常に最短ルートで目的地を目指せるアドバンテージは大きい。塔の中の警備も思った以上に緩そうであるし、これならば予想よりも上手く事を片付けられるかもしれない。



「いや、何か勘違いしているようだが、恐らくオマエの言う実験室に『火の戦車』の反転記号はないぞ」



 しかし、彼のそんな希望的観測は晴に速攻で破壊された。


「はあ、嘘つけ。俺は実験室でそいつが入力されてるところを、ちゃんとこの目で見たんだぞ」


「だからそういう問題ではないのだ。どうやらキコが持ってきたレポートによると、この学園の運営に使われる術式や記号の類はまとめて、一つの巨大なメインシステムが管理・統制しているらしくてな。恐らくは『火の戦車』の反転記号もその中に含まれているのだろう。確かに『Sophia(ソフィア)』の機能を凍結する際には、実験室の隻翼達にも一時的にそのメインシステムへのアクセスが許可されるようだが、当然ワタシたちがその仕組みを利用することは出来ん。やはり記号のサンプルを採取するには、直接大元の方にあたらねばならんだろう」


「チッ、その場所が分からねえなら結局振り出しじゃねえか。なんで綾媛のお偉いさんは態々そんな面倒くせえことしてんだよ……」


「まあ、当然といえば当然だろ。ワタシ達が今やろうとしているように、『火の戦車』の反転記号を悪用されれば、『Sophia』の天使創成システムは簡単に破壊されてしまうのだからな。連中の立場になって考えてみれば、急所きんたまはそう簡単には見つからない場所に隠したいに違いない――――まあ、向こうが隠蔽のプロなのば、こちらも解析のプロなのであるがなッ!!」


 そう言いながら晴がバチンと素敵なフィンガースナップを決めると、今度は電子モニター上の3Dモデルの中に三つの赤い点が表示された。

 常に学園全体を満たしている『天骸』と、学生への洗脳術式の発生源でもある塔の屋上付近に一つ。その割と近くにあるもう一つは、樋田の記憶が正しければ例の実験室がある座標と一致する。


 そうして最後に残った一つは、塔のほぼ中心に位置しており、そこは他の二点よりもふた回りは大きな反応を見せていた。


「この学園はかなり大規模かつ複雑な術式をいくつも並行して発動しておるし、それだけのものを全て統括するには当然かなりの量の『天骸』が必要になる。そしてこの『叡智の塔』の中でも特に、異界内を流れる『天骸』の流れが集中しているのがこの三点だ。頂上の一つは言わずもがな、その近くにあるもう一つがオマエの言うとおり例の実験室だと考えると、最後に残ったこの点が一番胡散臭い。恐らくワタシ達が求めるものはここにあるだろう」


 そうして説明を終えた晴が再び指を鳴らすと、周囲に浮かんでいた電子モニターのうち、立体3Dモデルを写しているもの以外は全て閉じられる。

 しかし、これでようやく学園を出し抜く方法が分かっているというのに、何故か彼女の顔に喜びの色は浮かばない。

 むしろ普段は快活で凛々しいその表情も、今ばかりはどこか不安そうな色をたたえている。


「――――とまあ、長々と語っておいて悪いが、今のはあくまでワタシの仮説だ。本当にここで目的のモノを入手出来る保証はない。仮にそうなった場合は、サンプルの回収から塔の攻略を最優先に切り替えるが、今更異存はないだろうな」


「ああ、分かった。それで行こう。俺だってそこまでワガママを言うつもりはねえよ」


 そうして樋田と晴は互いに頷きあうと、一気に目的地を目指して駆け出した。

 電子モニターの示す最短ルートに従い、長い通路を次々と渡りきり、これまた長い階段を次々と上へ上へと登っていく。しかし――――、


 ――――幾ら何でもザルすぎねえか。


 そうして異界の中を三十分程駆けたところで、一つ嫌な考えが脳裏に思い浮かんだ。いくら走れども走れども一向に敵らしい敵が出てこないのである。


 気付けば目的地も割とすぐ近くだというのに、こんなにサクサクと先へ進んでしまっていいのだろうか。確かに会敵は少ないに越したことはないのであるが、ここまで順調だと逆に不安になるのが人の心理である。


「ラッキーといえばそれまでだが、本当に人っ子一人見当たらねえな」

「まあ一応事前に『顕理鏡』の反応を見て、天使が多いルートは避けているからな。確かにそれにしても少なすぎるとは思うが……」


 そうして晴もようやく現状に違和感を抱き始めたそんな頃、彼女は急にその場で立ち止まった。そうして彼女は電子モニターの中をギロリと凝視すると、心の底から忌々しそうに舌を打つ。


「どうした、遂に敵さんが出てきたか?」


「ああ、ここから上階へと続く唯一の通路に、天使と思われる反応が馬鹿みたいに密集している……出来れば最後まで余計な戦闘は避けたかったのだが、ここだけは力づくで突破せねばならんな。まあ、仕方ない。手早く殺すぞ」


 何はともあれ折角奇襲を仕掛けるならば、こちらの『天骸』が向こうに感知されてしまっては元も子もない。晴は『顕理鏡』の電子モニターを完全に閉じ、続いて二人は気休めで行っていた霊体化すらも一時的に解除する。


 そうして霊的には完全に感知されない状態となった二人は、念入りに息も殺しつつ、晴の言うポイントへと忍び寄って行った。


「あそこだ」


 そのまま五分ほど進んだ先で、晴は壁に身を隠しながら前方を指差す。

 今二人が立っているL字路の先。その巨大な吹き抜けの中央を橋のように通路が走る一角では、晴の言う通り九羽ほどの天使が剣だの槍だのを片手に周囲を警戒していた。


「見たところ全員量産型っぽいな。確かに秦漢華・ はたのあやかみてえに特別に強そうなヤツはいねえが……」


 先日の経験から言うと、この塔の中を徘徊している天使達の大部分は晴よりも明らかに弱い。恐らく彼女が奇襲をかければ、二、三人程度ならすぐに葬ることが出来るだろう。


 だが、そのあとは分からない。

 向こうが奇襲に対応し始めれば、一気にこちらとの数の差が表面化する。流石の晴でも五羽以上の天使の攻撃を同時に捌き切ることは難しいはずだ。


「やっぱ力ずくはちと無理そうだな。なあ、俺ァ何をすりゃあいい?」


「いや、あの程度の人数ならワタシ一人で十分だ。ワタシが奴等を引きつけるから、オマエはタイミングを見計らって一気に通路を駆け抜けろ」


「オイ、ちょっと待て。いくらなんでも作戦がざっくりすぎる――――」


 しかし樋田の制止など意にも介さず、晴はその場で即座に体を天使化させてしまう。そしてその隻翼を剣のように鋭く硬質化させると、飛ぶ矢のような勢いで天使の群れの中へと突っ込んでいった。


「オラッ、勝った勝った粛々と死ねえええいッ!!」


 そこで天使達はようやく晴の存在に気付いたようだが、突然の奇襲にすぐさま対応出来るはずもない。

 彼女達が武器を繰り出すよりも早く、晴は前の方にいた二羽の首をまとめて刎ね飛ばす。しかも晴は翼で彼女達の首を狩る傍ら、空いた右腕の黒星で更に二人の頭を撃ち抜いていた。


 そうして晴は隻翼達のど真ん中にふわりと躍り出ると、続いて即座に上空高くへと飛び上がった。当然残りの天使もそれぞれの武器を片手にこれを追撃していく。


「オイ、テメェそっちはッ!?」


 しかし、上方への逃走は明らかな悪手であった。


 いくら巨大な吹き抜けであるとはいえ、ここが建物である以上、晴の行き先にはすぐに天井が迫り来る。そうして逃げ場を失った彼女の体に向けて、隻翼達はそれぞれの得物を一斉に突き出した。


 しかし、それで筆坂晴の体が血祭りに上がることない。

 全身の急所という急所を串刺しにされた少女の体――――否、()()()()()()()()()()()()()()は当然一滴の血を流すこともなく、ただ煙のように宙へと霧散していった。


「ふっ、自我は無くとも騙されるものには騙されるのだな」


 そう嘲笑うように言う晴は、今も吹き抜けの中を貫くように走る通路のど真ん中に立っている。

 先程上空に飛び上がったのは、彼女が『顕理鏡』で生み出したただの映像ホロであったのだ。事実彼女は四羽の天使を屠った後、まだ一歩もそこから動いてはいない。


 あらゆる生物の目は必ず止まっているものよりも、動くものを追ってしまうように出来ている。彼女はその視線誘導の原則を用いて、突然の奇襲で判断力の鈍った天使達を見事騙してみせたのだろう。


「今だカセイ、惚けるなッ!!」


 そうしてガラ空きとなった通路の中を、晴は樋田を連れて一気に駆け抜ける。

 それでもすぐに背後から隻翼達が追いかけて来たが、二人は走りながら数発の銃弾を迎撃に撃ち放つ。そのほとんどは外れてしまったものの、辛うじて一羽の天使が目玉を撃ち抜かれて堕落した。


 これで残りはあと四羽。数の差は二人が力を合わせれば充分覆せる程度にまで縮まった。


 しかし、それでも晴は反撃に転じることなく、そのまま目的地を目指して異界の中を駆け抜けていく。そうして彼女に連れられるがまま、目の前の曲がり角を右に曲がってみると――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「はっ、これ詰んだろ」

「囀るな。これも計算のうちだ」


 そう言って晴はニヤリと口元を歪ませる。その意地汚い笑みは最早天使というよりも、いっそのこと悪魔といった方がいいほどに邪悪で禍々しいものであった。



 ♢



 極一部の非常に適性の高い個体を除き、人工的に生み出された天使には基本的に自我は宿らない。

 確かに彼女達は人のように話すことは出来るし、その場のその場の状況に応じてある程度自己判断で行動することも出来る。しかし、それはあくまで事前に組み込まれた指令に従って活動しているだけで、その本質が使い勝手のいいただの肉性ロボットであることに変わりはない。


「――――目標ロスト。対象が時空間に作用する術式を用いた可能性、0.037%。対象が初めから『顕理鏡』を用いた映像ホロであった可能性、0.06%」


 だから、天使達は目の前のありえない光景に動揺することも恐怖を覚えることもない。しかし、それでも彼女達は明らかに判断を迷っていた。今この状況にどう対処すべきか、その答えを導き出すことが出来ずにいる。


 簡潔に現状をまとめると、追っていたはずの敵がどこかへと消えてしまったのだ。

 人間樋田可成と天使アロイゼ=シークレンズの目指す先が、逃げ場のない行き止まりであることは最初から分かっていた。しかし、実際に最後の曲がり角を曲がってみても、そこに彼等の姿は見当たらない。

 そのまるで神隠しのような異常現象を何とか理屈で説明しようと、天使達の頭の中では次々と仮説が立てられては、すぐにありえないと否定されて消えていく。


「――――否、人が理由もなく消えるはずがない。総員警戒態勢を維持」


 天使達のうちのリーダーらしき者がそういうと、彼女達は四方を警戒しながらゆっくりと通路の奥へと進んでいく。そして、そこで天使達のうちの一羽が一つのとある違和感に気が付いた。


「壁の向こう側に『天骸』の反応が二つ――――」


 しかし、彼女のその言葉が最後まで紡がれることはない。


 直後、重く低い銃声と共に、壁の中から一発の銃弾が飛び込んで来た。それは天使の額を寸分違わずに撃ち抜き、即座に彼女の天使体を崩壊へと誘う。


「――――会敵」


 残りの天使達は咄嗟に銃声に反応するも、その不可思議な脅威に対し、何か具体的な対応を取ることは出来なかった。

 再び壁の向こう側から弾丸が射出されると、一羽はこめかみを撃たれて即死し、残りの二羽も顔面に被弾する重傷を負う。


「やはりまだ銃は慣れんな。まあよい。それだけ負傷しているならば、囚われ人の首を刎ねるように斬り殺せる」


 そして今度は壁の向こう側から凛々しい声が聞こえ、同時に一人の小柄な天使が壁をすり抜けてその身をこちらに現す。そこで天使達はようやくこの壁が映像で作られた偽物であり、その裏側に二人が潜んでいたことを理解した。しかし、それを今更理解したところで何が出来るまでもない。


「悔いる必要はない。むしろこのワタシに殺されることを誇りに思うがよい」


 天使達はせめて一矢報いようと得物を繰り出すが、アロイゼ=シークレンズはその剣筋を呆気なくかわし、最短の軌道で最後の二羽の首をまとめて切り飛ばした。




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