閑話 『天に抗う者達』
二〇一六年四月十二日。
三百年以上にも及ぶ果てしない妄執の末に、簒奪王ワスター=ウィル=フォルカートの野望は遂に潰える。
己が目的の為に人の魂を喰らい、暴虐の限りを尽くした稀代の悪帝も、最後には臣下に背かれ、英雄を夢見る一人の少年の手によって打ち斃されることとなった。
それこそがこの物語の紛れもない顛末なのだが――――どこか都合が良すぎるとは感じなかっただろうか?
簒奪王は間違いなく凡ゆる天使の中でも最上位に位置する力を持つ絶対的強者だ。その強力な術式の数々は、凡ゆる敵対者を一方的に蹂躙し、個人による国家との戦争をも可能にする。
いくら樋田達が『燭陰の瞳』や『異能を乗っ取る異能』といった小細工を弄したところで、万が一にも勝機などあるはずもない。それほどまでに両者の実力差は圧倒的なものだったのである。
だが、実際はそうならなかった。
確かに危うい場面は幾らでもあったが、それでも彼等の刃は確かに王の首にまで届き、その悪行を終わらせることに成功したのだから。
本来ならば負けて当然であった彼等が、簒奪王を撃破出来た理由は単純明解。それは単に王を打ち倒すために戦っていたのが、彼等だけではなかったからだ。
それは樋田と簒奪王の戦いが幕を開けた四月八日以前のこと。王の率いる首無し達を殺しに殺し、その力を少しでも削いでみせようと、血を流し、そして命を散らしていった者達がいたからである。
「――――よくやったテメェら、とにかく今は休め。あとは鈴久がなんとかしてくれるさ」
樋田達が簒奪王を撃破した瞬間から、およそ三十分後。彼等の戦いもまた同じ場所でその幕を引くこととなった。
王の振るう不可視の刃によって、建物という建物をことごとく切り裂かれたかつての廃ビル街。未だ破壊の爪痕が色濃く残るその空間は、現在三十を優に越える人の群れ――――もとい兵団によって埋め尽くされている。
その出で立ちは特殊部隊と言われてパッと思い浮かぶモノ――戦闘用ヘルメットに黒を基調とした戦闘服――に酷似しているが、彼等は別に町の異変に気付いて駆けつけたSATや帝国陸軍の精兵などではない。
その証拠と言わんばかりに、構成員は日本人を中心とした東アジア人が大部分を占めているものの、他にも黒人や白人、アラブ出身者やヒスパニック系の姿もちらほらと見受けられる。
「オイオイ、包帯も止血剤も全く足りねぇじゃねえか。うちの衛生要員は揃いも揃ってろくに計算も出来ねぇ猿ばっかなのかよッ!!」
「突然の出撃命令だったんだから仕方ねぇだろ肉壁共がッ!! そろそろ支部の野郎共が備品担いで到着する頃合いだ。それまではテメェの臭え唾でもつけて我慢していやがれ」
流石に地獄とまでは言えずとも、そこらに横たわる兵達の有様は中々に悲惨なものである。
辺りを忙しなく走り回っている数人の衛生要員を除き、この場にいる者のほとんどは戦場から撤退せざるを得なくなった負傷兵達だ。ある者は額から流れ出す血で顔を真っ赤に染めており、またある者は右腕の手首よりも先がなくなってしまっている。
鉄臭い血の匂いと、ツンと鼻をつく消毒液の香り。衛生要員の怒号と負傷兵の呻き声で溢れかえるその空間は、まるでどこぞの野戦病院のようであった。されど――――、
「遂にやってやったぜコンチクショウッ!! テメェの頭蓋は盃決定だ馬鹿野郎ッ!!」
「憎き天界に滅びを、愚かな天使に死の鉄槌をッ!! そして何より、我らが悲蒼天に勝利の栄光をッ!!」
それほどまでに深い手傷を負いながらも、彼等は全くもって怯えてなどいない。寧ろ勝利に沸き立っていると言った方が正しいだろう。
事実負傷に対する恨み辛みよりも、獣じみた勇ましい雄叫びの方が、遥かに多くこの場を満たしている。
「ペドさん。ヤツの身柄はどうしましょうか?」
そうして皆が皆互いの健闘を口汚く讃え合うなか、兵の中でも特に負傷の少ない一人が、傍の指揮官らしき男に問いかける。
衛生要員以外の者は皆一様に戦闘服を身に纏っているというのに、その男だけは何故か戦場にはとても似合わない黒スーツ姿で佇んでいた。
「正直、鈴久が来るまではどうしようもねーよ。気休めにしかならねーだろーが、とりあえず縄で縛っといてくれ」
「はっ、了解しましたッ!!」
「おう、油断せず最後まできっちり頼むぜ」
そう電子タバコ片手に指示を出す男の顔は、とてもこの世のものとは思えないほどに美しい。
年齢は恐らく二十歳前後と言ったところで、下睫毛の長い垂れ目と左の泣き黒子が特徴的。背はモデルのようにスラリと高く、その身に纏う高級そうな黒のスーツが良く似合う――――要するに今から数時間程前、樋田に偉そうに説教を垂れたあの色男である。
彼は兵が縄を取りにいったのを見届けると、疲れたと言わんばかりに近くの瓦礫へ腰を下ろした。
「とりあえずは、これでなるようになったな……。畜生ッ、親父も姜さんもいねーときに緊急出動だなんてついてねーにも程があるわ」
「――――ペド」
突如声を投げかけられ、色男は座ったままクルリと背後を振り返る。そしてその美しい顔立ちに似合わない悪戯めいた笑みを浮かべると、
「おっと、一人で天使十羽屠ってくれちゃった本日のMVPの御登場じゃねーか。お前ならやってくれるって俺は信じてたぜ相棒」
そう如何にもキザたらしくほざきつつ、微妙に下手糞なフィンガースナップを披露してみせる。
色男も色男で割と変わった人間だが、その視線の先の人物は更に変わっている。語弊を恐れずに言えば異様な変人だと断言してもいい。
長い栗毛の髪をトップノットにまとめた若い人間。その面構えは美男子と美少女を足して二で割ったようなイメージで、表情は寒気がするほどの完璧な無表情を貫いている。
服装の方はというと、まるでドレスとスーツの中間のような謎服を身に纏っており、加えてその配色はまさかの左右で非対称ときたものである。
他にも右手にだけ黒の手袋をつけていたり、靴のデザインが左右でバラバラだったりと、全体的にちぐはぐな印象が非常に色濃い人物だ。
「当然。私たちの『聖泥の威令』に逆らえる天使など、この世界には存在しない。確かに対簒奪王用に準備していた術式を、連中相手に流用出来たのは幸いだったが」
私たち。その個人を指すにはあまりにも不自然な一人称を、彼(彼女?)は平然と口にする。
そのあたりの事は皆承知しているのか、ペドと呼ばれた色男は勿論、周りの兵達の中にも首を傾げる者はいない。
「そんじゃ、早いところアレの拘束と回収頼むわ鈴久。いくら『霊体化』してるとはいえ、報道ヘリやら消防やらがすぐそこまで来てる状況は流石にマズい」
「あぁ、可及的速やかに済ませる」
鈴久と呼ばれた男女は無感情に返すと、早速彼等の足元で気を失っている一人の天使――――簒奪王ワスター=ウィル=フォルカートの方へと手を伸ばす。
かつての宿敵の変わり果てたその哀れな姿に、色男は「はあ」と重く長い溜息をつかずにはいられない。
色男達がこの場所に到着したとき、簒奪王は既に何者かによって打ち倒されたあとであった。
その代わりと言わんばかりに天界から降りてきた天使の一団と鉢合わせる羽目になったが、王クラスの天使に総力戦を仕掛けるのと比べれば些細なことである。
「……あれだけ犠牲出させられたコイツとの戦いが、まさかこんな形で呆気なく終わっちまうとはな」
色男達が駆けた戦場の範囲は、西はアフガニスタンのパールーンから、東は樺太のスミルニフまで。
半年以上の時間と二百五十人近い戦闘員を犠牲にし、ようやく最終段階にまで漕ぎ着けた簒奪王討伐作戦であったのだ。その結末がまさかの不戦勝ともなれば、正直拍子抜けもいいところである。されど――――。
「ん?」
そうして一人物思いに耽っていると、簒奪王の体に術式を刻む手を止めないまま、鈴久がこちらを凝視していることに気付く。
「なんだよ、もしかして惚れちまったのか?」
「死ね。ただ軽蔑していただけだ。どこの馬の骨とも分からない人間に手柄を横取りされたと言うのに、何故この男はヘラヘラと嬉しそうな顔をしているのだろうとな」
普段から言われ慣れているのか、暴言を吐かれても色男が不機嫌になることはない。むしろ彼は自分の表情を確かめるように己が頬を撫で回すと、
「えっ、マジでそんなヘラヘラしてたか俺……? ……まぁ確かにどーせなら最後まで自分達の手だけで成し遂げたかったって気持ちもあるが、その誰かさんのおかげで今日誰も死なずに済んでくれたなら、やっぱり嬉しく思いてーよ俺は」
「それでそのように気色の悪い笑みを?」
「いやそれもあるっちゃあるんだが、どっちかって言うとだな……」
そう勿体ぶって言いながら、色男は力強く某鈴久の両肩に手を置くと、
「なぁ鈴久、お前はどこの誰が見事簒奪王を倒してみせたんだと思う……? まず第一に天界はありえねえ。奴等がやったんなら、俺達が来る前にとっとコイツの体回収して、今頃トンズラこいてるはずだからな。つまりは、だッ――――」
「興味ない。どうでもいい。それより気安く触るな。お前に近付かれると蕁麻疹が出る」
無表情のまま全力で嫌がる鈴久を尻目に、色男はまるで子供のような無邪気な笑みを浮かべ、こう続けた。
「うるせえ黙って聞けッ、つまりこの街にはな『英雄』がいたんだよッ!! そいつにどんな目的があったのかは知らねー。罪無き人々が理不尽に殺されることに胸を痛めたのかもしれねーし、もしかしたら好きな女を護るためだったかもしれねーな。だがな、そんなことはどうでもいいんだよッ。重要なのはあの簒奪王に立ち向かい見事倒しちまった『英雄』が、確かにこの街にいるってことなんだよッ!! なあ鈴久、すげえとは思わねーかッ!? そんな野郎が本当にいりゃあ最高にカッコイイとは思わねーかッ!?」
そう一方的に暑苦しく叫び切り、色男は満足とばかりに某鈴久から手を離す。そして今まさにビル影から顔を出そうとする太陽に向かい、ニヤリと無邪気な笑みを浮かべてみせた。
「いつか縁がありゃ会ってみたいぜ。きっとそいつとは良い兄弟になれるはずだ」
♢
眩い朝日が港区の街を照らし、世界より闇夜のベールを引き剥がしたその頃。
廃ビル街に殺到する報道陣や消防と入れ替わる形で、構成員の全員が『霊体化』した一団は、まるで何事もなかったかのように戦場を後にする。
人類に仇なす天使を殺し、世を乱す天界の陰謀を阻止し、そしてなによりも『天骸』による世界の変革に異を唱える者――――そう、彼等の名は反天武装戦線『悲蒼天』なり。




