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第二十六話 『王手』

 

 人の願いに終わりは無い。人の望みに限りは無い。

 

 ただ飯を食うのに困らなければいいと言っていた貧者が、やがて安寧を求め出し、果てには身の丈知らずの豊潤を欲するように、人類の欲望の連鎖はどこまでも醜く膨れ上がっていく。


 アフメト二世――――かつてそう称されていた一人の老人も、初めは第二の人生を歩むことが出来るだけで満足していた。

 最初の人生では知ることが出来なかったものを知り、触れることが出来なかったものに触れる。そうして己が生を受けたこの世界の中で、ただ生きることが出来ればそれで充分だと、かつての彼は本気でそう思っていたのだ。


 しかし、どれだけ知を重ね、どれだけ長い生の時間を積み上げていっても、結局かの老人の魂が満たされることは一度たりともなかった。

 やがて消えかけたはずの後悔は再燃し、無理に抑え込んでいた渇きが徐々に深層心理を蝕んでいく。


 己は帝国を統べる一族の一人として産まれてきたはずなのに、何故王としての人生を奪われねばならないのだ。

 何故誰もこのアフメト二世を崇めようとしない、何故誰もこのアフメト二世を認めようとしない、何故誰もこのアフメト二世を理解しようとしない――――と、そんな独りよがりな傲慢が芽生え始めるまで、確かそう長い時間はかからなかったと思う。


 それから三百年の時が過ぎた今この瞬間においても、未だ簒奪王の心身は渇き切ったままだ。

 度重なる戦乱の果てに偽りの臣下を侍らせ、幻の軍隊を率い、遂には泡沫の国を築くまでに至っても、真の意味でその王器が満たされることはない。


 天使としての人生の中で得た幸福では、決して人間としての人生の中で生じた憎悪と後悔を打ち消すことは出来ない。

 人類王から与えられたこの力で何かを成そうとも、それはあくまで天使ワスター=ウィル=フォルカートとしての覇業であり、決して人間アフメト二世としての偉業とはならないのだから。


 ならば、もう真の意味で人生をやり直すしかないではないか。

 黄金の鳥籠という愚劣な皇位継承システムが存在しなければ、アフメト二世は中東一の大英傑として歴史に名を残していた――――そんなIFでしかない幻想を史実として実現出来て初めて、この未練の奴隷の魂はようやく救われるのである。


「我が唯一の友、見目麗しの人類王よ」


 周囲の廃ビルが残らず瓦礫と化した破壊の中心地で、簒奪王ワスター=ウィル=フォルカートは独り祈るように天を仰ぐ。


 天界より天使の群れが舞い降りてくるまでの残り十分、その僅かな時間で彼が三百年に渡り求め続けてきた野望の成否が決定する。

 恐らくこれは天上がこの王に科した最後の試練なのだろう。


「卿から賜った再起の機会を、決して斯様なところで無駄にはせぬ」


 ならば、証明するしかあるまい。

 かつてその生涯を意味無く終えた愚王が、人類の支配者として相応しい存在にまで昇華したことを、今この場で世界に知らしめすのだ。


「認めよう、アロイゼ=シークレンズ。卿は確かにこの簒奪王の前に立ち塞がる最後の敵であると」


 彼女をたかが量産天使(ホムンクルス)だと侮っていたのは、明らかにこちらの誤算であった。本来避けるべき天界の介入を自ら招き寄せるとは、敵ながら中々思い切ったことをするものである。


「まあ良い、いくら足掻こうとも我が神権代行『未練の奴隷(エターナルアクト)』からは決して逃れられぬ」


 配下である首無しのうちの大部分を、既に連中の捜索へと向かわせた。アロイゼに『天使化』を解除されたのか、最早『紋章』を用いた逆探知は使いものにならない。

 手持ちの駒はこれで随分と減ったが、今は何よりも奴等の居場所を突き止める事が先決だろう。


 そう王が決心し、自らも二人の捜索に向かおうとした――――正にその瞬間であった。


「……アロイゼ、アロイゼって相変わらず冷てえ野郎だなあ。この俺のことは端から敵だとも思ってねえってことかよ」


 突如湧いたドスの効いた低い声に、簒奪王はピクリと眉を釣り上げる。

 声がした三十メートル前方に目を凝らすと、今にも崩れ落ちそうな廃墟の中から、丁度一人の少年が姿を現したところであった。


「よぉ、逢いたかったぜえ……世界史上最低最悪の糞ッ野郎共」


 一度見れば忘れられそうにない凶相と、口を開けば所構わず飛び出す罵詈雑言。

 間違いない、彼こそが『燭陰(ヂュイン)の瞳』の現所有者である不良少年――樋田某だ。

 少年の顔は酷い土気色で、瞳もどこか虚ろだというのに、その態度だけは何故か異様に堂々としている。


「フンッ、此度もつまらぬ奇襲を仕掛けてくるものかと思っていたが……、まさか卿のような臆病者が正面から挑んでくるとはな。らしくないぞ道化師、曲芸のネタはもう尽きてしまったのか?」


「大方テメェのせいだ馬鹿野郎。こんだけ辺りの風通し良くされちゃあ、気付かれずに奇襲だなんて到底無理だっつーの」


 少年の恨み節を適当に聞き流しながら、王は彼の周囲に目を光らせる。この口だけは達者な小者の存在など正直どうでもいい。それよりも未だこの場に姿を現していない()()()()の存在が気にかかる。


「アロイゼ=シークレンズはどうした?」


「置いてきたに決まってんだろ。あんな怪我人引っ張り出してきたところで何の役に立つってんだ」


 口調は至極自然だが、今のは間違いなく嘘であろう。

 あのアロイゼがなんの策も無しに、この少年をただ差し向けてくるとは考え辛い。恐らくは近くの高層ビルから、こちらの状況を伺いでもしているのだろう。


「その脆弱な身で騎士の真似事とは卿も中々健気なものだな……良いだろう。ならばその望み通り、報恩謝徳の花と散れ」


「あぁ、もうバカみてぇに逃げ回んのは終いだ。いい加減、決着をつけようぜ簒奪王――――」


 少年はどこか吹っ切れたように獰猛な笑みを浮かべると、先程同様こちらに向けて鉄管を突きつけて言う。


「時間がねぇのは、テメェも一緒だろ」


「……フンッ、虎の威を借る狐にしては随分と吠えるではないか」


 今すぐにでもこの小人から腸を引きずり出してやりたい気分だったが、そんなくだらない挑発に態々こちらが乗ってやる義理はない。

 向こうがどんな策を講じているのか分からない以上、初めは様子を見ることに徹した方が無難であろう。

 簒奪王はそう判断し、右腕を指揮者のように天高く振り上げると、


「だが、身の程を弁えよ小人。一兵卒風情がこの簒奪王と刃を交わせるなど言語道断。誇りも誉れも信念も魂も持たぬ卿のような愚物は、物言わぬ肉体と戯れ、蹂躙されるのが分相応と――――」


 そこでカッと目を見開き、これを力強く振り下ろす。



「思い知るがいい」



 王より下された下知に従い、側に控えていた二十の首無し達が一斉に前へと躍り出る。彼等は瞬く間に少年の周囲を取り囲むと、四方からほぼ同時に獲物へ殺到した。


 瓦礫の山の上を素早く跳ね回り、一瞬で少年の懐へと迫る怪物の群れ。しかし、そんな絶望的な状況の中にありながら、彼の顔に恐怖の色が浮かぶことはない。


「あくまで高みの見物を決め込む腹積もりか……いいぜ、そっちがその気ならやってやるよ」


 そうして少年は場違いにもニヤリと微笑むと、



「まずはテメェをそのハリボテの玉座から引きずり下ろしてやろうじゃねぇかッ!!」



 それは先程の簒奪王と全く同じ仕草であった。

 少年は獣じみた大喝と共に右腕――――否、そこに刻まれた『紅の紋章』を天高くに掲げる。


 直後、どこにでもいる普通の高校生の体から、()()()()が怒濤の如く溢れ出した。

 途端に天は裂け、地は割れ、風は唸り、重苦しいプレッシャーがこの廃ビル街を埋め尽くす。その圧倒的な力はまるで地上に小さな太陽が降臨したかのようであった。


「……一体、何が起こったッ」


 辺りを吹き散らす衝撃波に中折り帽を押さつけながら、簒奪王は固く奥歯を噛み締める。

 いくらあり得ないと目の前の現実を否定しようとしても、少年の全身を満たす禍々しい光の正体は、間違いなく超高濃度の『天骸(アストラ)』そのものえであるとしか思えない。


「ぎひッ……、げひゃッ、アは、ギャハハハハハハハハハハハハハハハハアアアアアアアアアアッ!!」


 少年は気でも触れたように笑い狂うが、恐らくはそのあまりにも膨大な力に、彼自身が耐えきれていないようであった。

 両の瞳から血の涙を流し、肌という肌が赤黒く変色していくその姿は、彼が人間という枠組みを微かに越え、化け物の領域へと足を踏み入れ始めた証拠だと言えるだろう。


 ――――底の見えぬ相手との白兵戦は愚策、一先ずは遠巻きに様子を見るべきか。


 王は本能的に脅威を察知し、少年に飛びかからんとする首無し達を引き留めようとする――――が、その判断は最早手遅れであった。


 至近距離より次々と繰り出される首無し達の徒手空拳、加えてそれに続く不可視の刃をも呆気なく回避し、少年はそのまま目に止まらぬ速さで鉄管を一閃する。



「死晒せええええええええええええええええええええええええええええええええてえてててえッ!!」



 鉄管を全力で振り抜いた――――ただそれだけで辺りを暴風が吹き散らし、視界を覆うほどの砂煙が捲き上る。その凶悪な一撃を浴びた首無しは、熟れたトマトようにぐちゃりと潰れ、そのままどこかへと吹き飛ばされてい。


 もしも仮に首無し達が人間であったならば、あまりにも呆気ない仲間の死に怖気付くようなことがあったかもしれない。

 しかし彼等は所詮、簒奪王の命令に従うだけの意志無き肉塊だ。相手の力量をろくに図ることも出来ず、次々と少年の懐へと飛び込んでいってしまう。


 その戦闘力の差は、火を見るよりも明らかなものであった。


 膨大な『天骸(アストラ)』により身体能力を強化(ブースト)された少年に、最早不可視の刃はカスリもしない。

 逆に彼の間合いに入った者から次々と鉄管の餌食になり、始め二十いた臣下は瞬く間にその数を半分に減らしていく。


「何故だ。有り得ぬ。そんなふざけたことがっ、この世界に存在していいはずがないッ……!!」


 そうして臣下が次々と虐殺されていく光景を、王はただ呆然と眺めていることしか出来なかった。


 あの平凡な少年が急にこれほどの力を手に入れたのも確かに驚きではある。しかしそれ以上に、彼が振るう力の存在そのものが、王の思考回路より正常な判断能力を奪っていた。


 何故ならば、己は知っているのである。

 あの憎悪と後悔が具現化したような禍々しい光の正体を、この簒奪王は他の誰よりも知っているのである。

 見間違うはずがない。

 が三百年に渡り奮い続けた力の本質を、この簒奪王が見間違うはずがない。


 そして簒奪王――――天使ワスター=ウィル=フォルカートの混乱は、遂に頂点へと達した。


「答えよ小人ッ!! 何故貴様風情が、この余の『天骸(アストラ)』を許可もなく使いこなしているッ……!?」





 ♢





「キサマの『天骸(アストラ)』には異能を乗っ取る性質があるのかもしれない」


 時は五分前、所は先程の安全地帯。

 この街の夜明けは近いぞ――――そうドヤ顔で言い放ったあと、晴は樋田の身に起きた超常現象を最終的にそう結論付けた。

 しかしそのあまりにも突拍子のない意見に、少年は思わず首を傾げずにはいられない。


「乗っ取りって、まさかそんな都合のいいことがあるわけ……」

「正直ワタシだって信じがたいさ。だが実際『燭陰(ヂュイン)の瞳』はワタシの体から引き剥がされたし、簒奪王の権能も間違いなくキサマの力として機能しているではないか」


 晴は樋田の右手に刻まれた『紋章』を指でなぞりながら、どこか疲れたように目を細めて言う。


「ヤツの権能『黄金の鳥籠(セラーリオ)』は、紋章を刻んだ対象から延々に『天骸(アストラ)』を吸い取り続けるものだ。その力を乗っ取ったということは、転じて逆にキサマの方がこの『紋章』を通し、簒奪王から『天骸(アストラ)』を根こそぎ奪い続けていたということになるだろう」


「確かにそう考えりゃ、お前の居場所がわかった理由も説明出来るっちゃ出来るけどよ……」


「そうだな、両者に霊的な繋がりがあったのならば、一方の位置情報がもう一方に共有されても何も不思議なことではない」


 晴はそう言って背後のビル壁に体重を預けると、


「今の簒奪王はキサマに吸われた『天骸(アストラ)』の分、恐らく本来のヤツよりもかなり弱体化しているのだろう。道理でワタシのような下級天使でも、ヤツとそこそこ対等にやりあえたわけだな」


「……あぁ、そうかよ」


 一人納得がいったとばかりに首を縦に振る晴であるが、対する樋田は眉間に皺をよせたまま顔を上げることが出来なかった

 『異能』を乗っ取る『異能』――――いくらこれまで信じてきた晴の言葉でも、此度ばかりはその真偽を心のどこかで疑ってしまう。


 どこにでもいる量産チンピラとして生きてきたに過ぎない樋田にとって、それはあまりにも強大で不釣り合いな力だ。

 この左目に宿る『燭陰(ヂュイン)の瞳』も含め、次々と得体の知れない力を背負わされていくことに、恐怖を覚えなかったと言えば嘘になるだろう。


 ――――って、贅沢な悩みだよな。テメェの護りてぇモン護るために、力不足で戦うことも出来ねぇよりは遥かにマシじゃねぇか。


 そうだ。今ばかりは素養だとか才能だとか、吊り合うだとか吊り合わないだとか、そんな些細な事はどうでもいい。


「……なあ、晴」


 晴の言葉を本気で信じきれない一方、樋田は頭の片隅で確かにこうとも考えていた。

 もし本当に自分に『異能を乗っ取る』力があるのならば、もし本当に簒奪王より奪い取った『天骸(アストラ)』がこの身に宿っているとするならば、


「その力、どうやって使えばいい」


 これを利用しない手はない。対する晴は目を瞑り少し考えるような仕草を見せる。


「……そうだな。異能を乗っ取る力の発動条件はワタシにもよく分からんが、紋章に宿る『天骸(アストラ)』の方ならば簡単だ。あくまでそれを自分の力だと把握してなかったから扱えなかっただけで、力を引き出すきっかけさえ与えてやれば、あとはどうにでもなるだろう――――」


 ならば話は早いと樋田は早速晴に右腕を差し出すが、彼女はどこか渋るように目を逸らしてしまう。


「オイ、時間がねぇんだ。さっさとしてくれ」

「……本当に、いいのか? それは本来普通の人間が扱っていいような濃度の力ではないのぞ。莫大な『天骸(アストラ)』は簡単に凡ゆる概念の本質を歪めてしまう。ワタシもキサマがそんなものに耐え切れるかどうかは皆目見当つかぬのだ……」


 そう言って曖昧に言葉を濁す彼女に、樋田は「なんだ、その程度のことか」と思わず口走りそうになる。

 何はともあれ、リスクを背負う覚悟も無しに、あの簒奪王を倒せるなどとは最初から思っていない。むしろリスクさえ背負えば戦うことが出来る分、現状ただの弱者でしかない樋田にとってはかなりの好都合だ。


「いいから、やれ」


「……分かった。キサマの意志を尊重しよう」


 晴は一瞬どこか悲しそうな顔を見せるが、すぐに緩んだ口元を真一文字に引き締め、ゆっくりと樋田の『紋章』にその白く細い指を這わせいく。


 それだけで何の変哲もない『紋章』から赤い光が怒涛の如く溢れ出し、



「ぎあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」



 続いて熱湯に手を突っ込んだような激痛が、少年の右腕を容赦無く喰らった。


 それはまるで自分の体の中から、自分よりも巨大な()()が生まれ出ずるような感覚であった。その圧倒的な『天骸(アストラ)』に自己が滅茶苦茶に歪められ、腕の方もまた力に耐えきれず焼け爛れていくのが自分でも分かる。


「はあ……、はあ……はあ――――ゴハッ」


 しかしそんな激痛も、しばらく悶えていれば段々と収まってくる。いや違う、恐らくはあまりの痛みに、全身の痛覚が麻痺してしまったのだろう。

 それがとんでもなくまずい状態であることは流石に理解出来るし、その証拠とばかりに今も口からは粘着質な液体がドバドバと滴り落ち続けていた。


「おいカセイッ、大丈夫かッ!?」


「……大丈夫だ、問題ねぇ」


 それでも、確かに力は手に入れた。

 想像を絶する激痛と引き換えに、どこか心地のよい万能感が瞬く間に全身を満たしていく。


 今の自分ならば何でも出来る、今の自分ならば誰でも殺せる。

 もしかしたら世界のありとあらゆる存在の中で、今だけは自分が一番強いんじゃないかと、そんな思い上がりすら湧いてくるほどの圧倒的な力であった。


「ギヒッ」


 胸の鼓動が荒れ狂い、脳が熱で沸騰しかけるなか、樋田は直感で理解する。

 これならいける、これだけの力があれば簒奪王を殺す事が出来ると、そう理解したのである。


「……余計なことは考えるな。戦闘中に負った傷はワタシが代わりに『燭陰(ヂュイン)の瞳』を使って治してやる。キサマはただ簒奪王の首を撥ねとばすことにだけ集中すればいい」


 晴はまるで想いを託すように樋田の肩にポンッと手を置くと、



「キサマの精一杯をヤツに叩き込んでやれ」



 そう言ってこれ以上ないほどに下手くそな笑顔を浮かべてみせた。


 それはまるで息子を戦場に送らねばならない母親のような面持ちであった。恐らくはこちらを不安にさせまいと強がりながらも、一度想像してしまった最悪の結末がどうしても頭にこびりついて離れないのだろう。


 ――――……違ぇよ、俺がテメェに求めてんのはそんなツラじゃねぇ。


 ならば樋田は笑ってこう答えてやればいい。彼女の不安を残らず吹き飛ばす程に、力強く勝利を約束してやればいい。

 不可能を可能に変える者、それこそが己の目指す主人公という人種のあるべき姿なのだから。


「ああ、任せろ」





 ♢





 『紋章』に宿る『天骸(アストラ)』を解き放った瞬間、この身を包み込んだのは正真正銘の地獄の苦しみであった。

 全身は激痛に悲鳴を上げ、胸は燃え上がるように熱い。まるで自分が自分でなくなっていくような感覚に、思わず全てを投げ出して発狂してしまいたくなる。


 ――――全くッ、ヒロインの前で格好つけんのも中々楽じゃねぇなあッ……!!


 しかしそれら全てを今だけは押さえ込み、樋田はがむしゃらに鉄管を振るい続ける。己が身すらも喰らう諸刃の剣をもって、飛びかかってくる首無し達を次々に叩き潰していく。


「ガハッ……、へばってんじゃねぇぞコンの玉無しがあああああああああああああああああッ!!」


 首無し達の肉が抉れ、骨が砕け、内臓が潰れる音だけが、この歪な戦場を凄惨に彩っていく。

 もう何度目かも分からない吐血に苦しみながらも、全てをこの瞬間に賭けてきた少年の猛攻は最早留まることを知らない。

 樋田はそのまま最後の二十体目を一撃で葬り去り、遂に簒奪王の玉座へと王手をかける。


「オラオラどうしたッ!! 安全地帯でピーピー喚いてんのがテメェにとっての大将ってモンなのかッ!?」


「――――たかが前衛を崩した程度で図に乗るなよ人間………貴様が相手をしているのはこの簒奪王という名の軍隊、ひいては国家そのものであることを努努(ゆめゆめ、)忘れるなッ!」


 その大喝が、増援投入の引き金となった。


 これまで控えていた首無しの一団がそこらの廃ビルから次々と飛び出し、瞬く間に戦場をその大兵力によって埋め尽くしていく。


 あれからどれだけの時が過ぎたかは分からないが、向こうも最早残り時間が少ないことに焦り出したのだろう。

 これは探索より帰還した首無しも加え、今の簒奪王が率いるほぼ全勢力を傾けた総力戦だ。その数は一目見回しただけでも、軽く五十を超える。


「……クソッタレがッ、蛆虫みてぇにワラワラワラワラ湧いてきやがってッ!!」


 既に全身は『天骸(アストラ)』を解放した反動でボロボロであるし、先程の二十体から受けた傷もそう少なくはない。されど、


「ハッ、いいぜ……ここまで来たらテメェら全員まとめて族滅してやらァッ!!」


 一人でこの人数を相手にするのは絶望的だが、それでも樋田は臆さず大軍へと吶喊する。ところが先頭の一体を一蹴したところで、彼は唐突にその足を止めた。


 ――――やべぇッ……、不用心に近付き過ぎたッ……。


 樋田が現在立っている位置は、簒奪王を中心とした半径二十メートル以内。その距離は簒奪王が得意とする霊的斬撃術式、『霊の剣(エル=ミラ)』の射程範囲内だ。


『首に横切り』

「――――……ッ!!」


 突如脳内に浮かんだ晴の声に従い、樋田は反射的に頭を下げる。直後、彼の首があった場所を不可視の斬撃が一閃し、微かに巻き込まれた髪の毛がハラリと宙を舞った。


「――――っぶねッ!! ナイスだ晴、こっからもその調子で頼むぞッ!!」


 晴の助言が無ければ、樋田は今の一撃で間違いなく即死していた。

 だが逆に彼女の力を借りれば、簒奪王の攻撃を躱すこともそう難しいことではないのである。


「貴様ッ、まさか余の『霊の剣(エル=ミラ)』が見えるというのか……?」


 恐らくは今の一撃で確実に殺せると思っていたのだろう。

 優雅も高貴も忘れ、その整った顔を歪に歪める簒奪王に、樋田は彼らしい意地の悪い笑みを見せつけて言う。


「ハッ、よっぽどテメェの技に自信があるようだが、俺と晴を合わせりゃテメェとはこれで三戦目だぜ。そんだけやり合えば、対策の一つや二つ思い付いて当然だっつーの」


 晴の話によると『霊の剣(エル=ミラ)』は聖書の言葉を唱えることによって、『天骸(アストラ)』を不可視の刃に変換する恐ろしい力だが、引用する聖句によって放たれる斬撃の軌道が大方読まれてしまうため、実際はそこまで強力な術式ではないという。


 恐らくはその弱点を克服するため、簒奪王は配下の首無し達に詠唱を代行させていたのだろう。


 発声器官を持たぬ彼等がいくら聖句を唱えたところで、相手には意味を持たない呻き声にしか聞こえず、当然斬撃の軌道を読まれることもない――――これそれが簒奪王の振るう不可視の刃の正体だ。


「なるほどな……鍵は奴の『顕理鏡(セケル)』か」

「理解したか、ああそうだぜ。ウチの晴ちゃんの超絶優秀っぷりに震えろ、そして死ね」


 カラクリさえ分かってしまえば、その対策自体は至極単純だ。

 例え斬撃は見えずとも、その術式によって変化する『天骸(アストラ)』自体は、近くの高層ビルに潜む晴が『顕理鏡(セケル)』で観測できる。

 そこに彼女の天才的な分析力と、変態的な判断力が加われば、斬撃が放たれるよりも先にその軌道を予測することも決して不可能ではない。


「げひゃひゃひゃひゃひゃッ!! オラオラどうした、今までカスだと見くびってた雑魚に、見事出し抜かれちまった気分を無様に語ってくれよッ!! もう俺には見えちまってるぜ……この俺様がテメェの首を掻っ切るその瞬間のイメージがなッ!!」


 これで簒奪王の有する五の術式のうち、三つは既に攻略したも同然だ。あれだけ難しく思えた簒奪王の撃破が、微かながらも現実的な可能性を帯び始めている。

 簒奪王の方も追い込まれつつあることを自覚したのか、鉄管片手に猛り狂う樋田に対し、俯いたまま何も言葉を返すことはなかった。


 樋田は引き続き襲い来る首無しを次々に殴り殺し、叩き潰し、力任せに串刺しにする。

 攻撃の隙をついて飛んで来る簒奪王の『霊の剣(エル=ミラ)』も、晴のアシストに従えば決して捕まることはない。


 それでも乱闘中に受ける首無しの攻撃だけは、確実に樋田の体に蓄積していく。

 致命傷用に『燭陰ヂュインの瞳』を温存しているため、多少の切り傷には目を瞑るしかない。だがしかし、それでもこちらが敵を減らす速度の方が圧倒的に早かった。


「ゼェ……、ゼェ、ゼエ……」

 

 闘志に身を任せるがまま鉄管を振るい続け、一体どれだけの時間がたっただろう。全身に隈なく刻まれた切り傷と引き換えに、あれだけ大勢いた首無しの群れも既に半分を切った。

 間違いない。今この瞬間、戦場の流れは己に向いている。


「……どうした簒奪王、お人形遊びはもうお終いかッ」


 それでもなお飛びかかって来る一体の首無しに対し、樋田は今一度天高く鉄管を振り上げる。

 最早自分が戦い続けられる時間はそう長くない。コイツを一撃で叩き潰したら、そのまま勢いに乗って簒奪王の首を取りにいこう――――そう彼が決意したその直後であった。


『――――マズイッ、避けろカセイッ!!』


 刹那。

 やけに切羽詰まった晴の声が、脳内に鋭く木霊する。樋田は訳も分からないまま慌てて身を捻るが、すぐにその忠告の示すところを理解した。


 それは思わぬ死角からの強襲。

 なんと突然目の前の首無しの体が縦に裂け、その腹を突き破るように不可視の斬撃が飛び出してきたのである。


 ――――野郎、肉の壁を目眩ましにッ……!!


 今更理解したところで、斬撃は最早樋田の体を軌道上に捉えて離さない。


 直後、顔のすぐ側を一筋の『霊の剣(エル=ミラ)』が一閃。斬ッという風切り音と共に、樋田の右腕は肩ごと断絶され、虚しく背後へと転がっていった。



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