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第二十三話 『主人公の矜持』


 『聖句(サルク=イン)唱歌(=エフェソス)』。その術式の天災じみた威力は、アロイゼの予想を遥かに凌駕するものであった。


 王を中心とした半径二十メートル以内に、形を維持出来ている物体は存在しない。そこらに転がっているポリバケツから高層ビルを支える強固な鉄骨まで、周囲の全てが平等に灰塵と化していた。


 あまりにも圧倒的な破壊、そしてあまりにも一方的な蹂躙。これこそが簒奪王さんだつおう、ワスター=ウィル=フォルカートの真の実力だ。


 あの刃の嵐をまともに喰らえば、流石のアロイゼ=シークレンズといえども命は無いだろう。

 骨肉の一片どころか血の一滴も残らずに、この世界から完全に消失するに違いない――――あくまで、彼女があの場所にいたの()()()の話ではあるが。


「全く『神の雷』千本コース以来の大ピンチだったな……」


 簒奪王の手元より斬撃の嵐が炸裂したその直後、アロイゼは自分が「十二秒前にいた地点」――――即ち先程の廃ビルの屋上へと瞬間移動していた。


 瞬間移動と言っても、彼女は別にテレポーテーションなどという都合のいい力を保持しているわけではない。

 此度少女の命を凶刃から救ったモノの正体は、またもや『燭陰ヂュインの瞳』の持つ時間操作能力であった。


 この術式によって行える時間遡行は、特定の対象の状態を「十二秒前の状態に巻き戻す」状態時間遡行と、特定の対象の座標を「十二秒前の座標に巻き戻す」座標時間遡行の二つに大きく分けられる。


 此度アロイゼが用いたのは紛れもない後者だ。

 自らの座標を対象に時を巻き戻すことにより、彼女は擬似的なテレポーテーションを成し遂げることに成功したのである。


「まぁ、一か八かの賭けだったがな。どうやら神様とやらは、まだこのワタシに死んで欲しくはないらしい」


 軽口を叩きつつ左目に手をやれば、微かに残っていた白い光が今まさに消えていくのが感じ取れる。


 確かにアロイゼはカセイに『燭陰ヂュインの瞳』を奪われたが、それで完全に能力を失ったわけではない。

 術式を使えば、そこには必ず何かしらの霊的痕跡が残る。それらの残滓を『顕理鏡セケル』で寄せ集め、上手く形を整えれば、一度だけならば疑似的に術式を行使することも出来るのでは――――と、期待していたのだが、これが思いの外うまくいった。

 これで今度こそ完全に『燭陰ヂュインの瞳』の力は失われたが、気休めで命が助かったのだから儲け物と考えていいだろう。されど、


「……クソ、厄介なものを背負わされたな」


 なんとか緊急回避に成功したアロイゼであったが、転移の寸前微かに右腕を不可視の刃に捉えられた。

 それは僅か五センチ程度の些細な切り傷であったが、そこにはきっちりと『獣の牙を髣髴とさせる赤黒い紋章』が浮かび上がっている。


 これこそが簒奪王が保有する権能『黄金の鳥籠(セラーリオ)』の正体だ。

 劣悪な幽閉制度により人生の全てを奪われたオスマン皇族の無念を、一つの術式にまで昇華させた彼等の憎悪と後悔の結晶。一度でも簒奪王から、或いはその眷属から攻撃を受ければ、そこに刻まれた紋章を通して『天骸アストラ』を延々に奪われ続ける羽目になる。


 事実ただでさえボロボロな体から、みるみるうちに力が抜けていくのが分かった。足元は次第にふらつき、段々と全身が鉄のように重くなっていく。

 流石にすぐに虚無に堕ちることはないだろうが、このままでは『天使体』が崩壊するのも時間の問題であろう。

 翼の方は損傷が酷く、最早まともな飛行能力など期待できそうにもない。ならば居場所が割れる前に逃げねばならないと、晴は重い体を引きずり戦場からの離脱を図ろうとする。


 しかしあの簒奪王がそう易々と獲物を見逃してくれるはずもない。

 少女の背後より鉄の軋む嫌な音が鳴り響いたのは、丁度その直後のことであった。



「――――偽偽疑疑疑疑偽偽偽疑偽疑疑疑疑ッ!!」



 恐らくは下の階からビルの外壁を伝って登って来たのだろう。今まさに落下防止用の柵に手をかけ、一体の首無しがこの屋上へ体を乗り上げようとしていた。


「チッ、もう捕捉されたか」


 そこからのアロイゼの行動は迅速であった。

 彼女は即座に柵へ走り寄り、登ってくる首無しを力任せに蹴り落とす。真っ逆さまに落下していく敵の姿に少女は微かに安堵するが、そんな仮初めの余裕も長くは続かなかった。


 再び周囲から柵が軋む嫌な音が鳴り響く。しかも今度のそれは複数だ。

 天使の背後を除く三方から現れた首無しの群れ。彼等は各々柵に手をかけては、次々に屋上へとその身を乗り上げていく。

 その数は軽く数えただけでも十五はくだらないものであった。


「……クソッ、あまりに対応が早すぎる。もしや、もしものことを考えて事前に周囲に首無しを配置していたのか?」


 かつては二桁の首無しを難なく屠ったこともあるアロイゼだが、あのときは『燭陰ヂュインの瞳』の時間遡行能力によって無理を通すことが出来ただけの話だ。


 今の彼女には最早「逃げる」以外の選択肢は残されていない。

 ビルとビルの間を伝って逃げるか、それとも階段を使って地上へ降りながら逃げるか。


 前者は最終的に追いつかれる可能性が高く、後者はどこかで挟み撃ちを喰らう危険性がある。どちらの逃走ルートを選ぶにしても、ある程度のリスクは避けられないだろう。ならば、


「……大丈夫だ、何も皆殺しにする必要はない。とりあえずコイツらを片付けてしまえば、あとが随分楽になる」


 ひとまずは首無し達から逃げるように距離をとり、その先の巨大な貯水タンクの裏に身を隠す。あくまで一時的なことだが、これでこちらの動きが向こうの視界に映ることはないだろう。


 続いてアロイゼは首無し達に悟られないよう、静かに隣接するビルの屋上へと飛び移る。そして即座に背後を振り返りると、


「第一聖創(せいそう)顕理鏡セケル』ッ!!」


 僅かに残った『天骸アストラ』を使い、なんとか術式を発動させる。そして先程も用いた三次元投影技術を駆使し、首無し達のいるビルとこのビルの間に『鮮明な橋の立体映像』を映し出したのであった。


「くははっ、これぞSF的超ハイテク落とし穴大作戦。とっと落ちろ、そして死ねぇッ!!」


 所詮敵はただ血を求めて暴れるだけの肉の塊だ。ビルの間に橋が架かっていることを、不自然に思う程の知能が彼等にはない。

 アロイゼの予想通り首無し達は皆我先にと仮初めの橋に押し寄せては、そのまま地上へ向けて真っ逆さまに落ちていく。

 そうして彼女は罠が有効に働いていることを確認すると、すぐさま無我夢中な逃走を再開した。


「『顕理鏡セケル』。最短で最適な逃走ルートを弾き出せ」


 階段を全速力で駆け下りながら、アロイゼは周囲に無数の電子モニターを出現させた。

 画面上にはこの辺りの立体地図が表示されており、その中で多くの『赤丸』が忙しなく動き回っている様子が見て取れる。


 この『赤丸』は勿論アロイゼを探し回る首無し達の反応を意味するものだ。

 『顕理鏡セケル』は『天骸アストラ』の観測、そしてその解析と再現を行う術式だ。それらの力を総動員し、常に周囲から『天骸アストラ』の反応を掻き集め続ければ、このように繊細な索敵も充分に可能となる。


 ここまでくれば、あとは『顕理鏡セケル』が導き出したルートに従い、一心不乱に逃げるのみ。アロイゼは基本的には建物の中を走り回り、時折首無しの目を盗んでは窓から隣のビルへと飛び移っていく。

 そんな荒技を何度も繰り返しているうちに、はじめは濃密であった首無しの包囲網も次第に薄まっていった。


 最初のビルからの距離は、既に五十メートルを軽く超えているだろう。周囲に首無しの気配はほぼ皆無、強いて言えばビルの最下層あたりにやや強い反応が見えるのみである。

 このまま行けば逃げ切れる――――と、そんな甘い考えが一瞬頭をよぎった次の瞬間であった。



「なっ……、地面がッ!!」



 まるでアロイゼの希望を断ち切るかのように、突如として廃ビルの全体が大きくうねり始めたのである。

 一瞬首都直下型地震でも起きたのかと思ったが、それにしてはあまりにも揺れが不規則過ぎる。

 その爆発じみた莫大な振動によって、ただでさえ朽ち果てかけていたビルの構造は瞬く間に崩れ落ちていく。


「まさか……、ヤツはビルを()()()()()のかッ!!」


 あまりにも異常な状況のなか、それでも晴はその異変の正体を確かに見抜いていた。

 簒奪王があの斬撃の嵐をもって、このビルを丸ごと袈裟懸けに切り落とした。あまりにもぶっ飛んだ仮説だが、事実そう考えるのが最も自然なのである。


 最早普段のように悪態を吐く余裕もない。

 天使は慌てて窓から隣のビルに飛び移ろうと廊下を駆け抜けるが、最早全てが手遅れであった。



 直後、彼女の立つ廃ビルは完全な崩壊の時を迎えた。



 足場は割れ、壁は砕け、天井は無数の石片となって崩れ落ち、爆撃じみた煙と音と衝撃波が、少女が抱く感覚の全てを蹂躙する。

 ふと足裏の感覚が消失し、まるで内臓がひっくり返ったような浮遊感に襲われる。


 落ちていく。堕ちていく。墜ちていく。


 最早自分がどこを向いているのか、自分の体に未だちゃんとした形があるのかも分からない。

 押し寄せる瓦礫と砂煙、その圧倒的な質量に押し潰されながら、天使の体は地上に向かってただひたすらに落ちていった。




 ♢




「うっ……ギッ、ぐはあッ……!?」


 意識の覚醒と同時にアロイゼを襲ったのは、全身を劈く激痛と胸を押し潰されるような圧迫感であった。

 死を避けようとする本能に従うまま、喉に詰まった砂埃を必死に吐き出そうとする。そして何とかまともに呼吸が出来るようになると、そこで少女はようやく安堵の一息をついた。


「クソッ、結局どうなったんだ……?」


 未だ朧げな瞳であたりを見渡してみると、そこには目を背けたくなるほどに凄惨な光景が広がっていた。

 感覚で言うならば廃ビルで埋め尽くされたこの一帯に、突如として巨大な空白地帯が出現したイメージに近い。 

 少女を中心とした周囲は丸ごと瓦礫と化し、惨劇に巻き込まれた電線が悲鳴をあげるようにバチバチと火花を散らしている。


「……フッ、我ながら運が強いことだな」


 思わずそんなことを呟いてしまうほどに、破壊の痕跡は凄まじいものであった。生き埋めにならなかったのは奇跡だと言っても過言ではないだろう。

 全身も打撲だらけで酷いことになっているが、なんとか『天使体』は崩壊せずに済んでいる――――されど、



「アロイゼ=シークレンズよ」



 突然背後から声がした。

 こちらを哀れむように見下すその影は勿論、金の刺繍が施された軍服の上から黒の外套を身に纏い、中折り帽を目元深くまで被った初老の男。まぎれもない簒奪王ワスター=ウィル=フォルカートその人であった。


 見れば先程首につけた傷は、術式によって既に完治している。結局アロイゼはこの男を倒せなかったどころか、その身に傷を負わすことすらも出来なかったのだ。


 ――――何か様子がおかしいな……。


 惨めに地に伏す敗者と、それを見下ろす勝者の構図はあまりにも明確。しかし天使はそこに一つの違和感を覚えた。


 間違いなく簒奪王は勝利した。大した犠牲も労力も無しに、このアロイゼ=シークレンズを完璧に撃破してみせたのだ。されど、その整った顔に浮かぶのは、この結果に納得がいかないと言わんばかりの灰色の表情なのである。

 互いに互いを睨みつけて暫し、やがて王は絞り出すように言葉を告げる。


「卿は余を愚弄しているのか……。『神権代行(しんけんだいこう)』をその身に宿しておきながら、この程度の攻勢に屈するなど笑止千万。他にいくらでも反撃の手はあったはずであろう」


 簒奪王の言わんとすることを、アロイゼは即座に理解する。

 連続使用にはクールタイムが必要などの弱点はあるものの、確かに『燭陰ヂュインの瞳』は『神権代行しんけんだいこう』の一つに数えられるに相応しい強力な術式だ。

 それだけの力を持っていながら何故このようにあっさり追い詰められたのかと、目の前の老人は不思議で不思議で仕方がないのだろう。

 されど王の思考がその答えに辿り着くまで、そう長い時間はかからなかった。



「貴様ッ、『燭陰ヂュインの瞳』をどこにやったッ……!?」



 それは露骨な変化であった。


 その整った顔は不自然に力み出し、しまったと言わんばかりに固く歯を噛み締める。そのまるで折角買ってもらったアイスを零してしまった子供のような顔に、アロイゼは思わず意地が悪くほくそ笑まずにはいられなかった。


 そう、王の言う通り少女の手に今『燭陰ヂュインの瞳』の力は無い。そして、それが今どこにあるのかすらも、この男は全くもって知らないのである。


「疾く答えよ、アロイゼ=シークレンズッ……」


 その押し殺すような声に込められた怒りは間違いなく本物だ。返答によっては即座に八つ裂きにされることは避けられないだろう。


 ――――まぁ、これを利用しない手はないがな。


 最早アロイゼがここで殺されるのは確定事項だが、そんな死に損ないの身でもまだ出来ることはある。どうせ死ぬと決まっているならば、最後までこの命を有効活用しない手はない。


「くくくっ、フハハハハハハハハハハハハッ!!」


「……何が、可笑しい?」


「いやいや、すまない。あまりに傑作だったんでついな。ハッ、必死になってヒトのケツを追いかけ回してくるものだから、てっきり幼い女の肢体に興味があるのかと思っていたんだが……そうかそうか、キサマが欲していたのはそちらの方だったんだな」


 簒奪王の暴挙を止めることも、天界を打倒する使命も、最早このアロイゼ=シークレンズには叶わない。だがこの命を上手く使えば、その暴力の矛先を力無き一般の人々から逸らすことは出来る。

 少なくともカセイ――――アロイゼの自分勝手な都合に巻き込み、苦しめてしまったあの少年を、この争いの世界から遠ざける事は充分に可能だろう。


 それこそがアロイゼなりの罪滅ぼし、そして己が命を消費するに当たっての最適解であった。


 泰然王の思想に反発して堕天した天使は何も彼女だけではない。例えここでアロイゼが死のうとも、『燭陰ヂュインの瞳』さえ守り抜くことが出来れば、反対勢力による抵抗はこれからも続いていくだろう。

 きっとどこぞの誰かが己の意志を引き継ぎ、簒奪王を、ひいては天界そのものを打倒してくれるはずだ。


 そう信じて、アロイゼは己が死を完全に受け入れる。

 そして彼女は意地悪く口角を釣り上げると、倒されるべき悪に向けてこう吐き捨ててやった。



「悪いが、それなら悲蒼天ひそうてんの連中にくれてやった」


「貴っ、貴様ァッ……!!」



 そうアロイゼが嘲るように言い放った直後、簒奪王の整った顔が露骨に歪む。支配者らしい余裕と優雅は瞬時崩れ去り、人間らしい直情的な怒りと焦りがみるみるうちに表面化していく。


「『量産天使ホムンクルス』の分際で、天の理に叛逆(さか)らうかアロイゼ=シークレンズッ!! 人間のような犬畜生風情に、『神権代行しんけんだいこう』を明け渡すなど――――――――」


「ほざけ犬畜生が。まあ確かに天使としてはあまり褒められたことではないだろう。だが、キサマのような腐れ外道の手に渡すよりかは遥かにマシだ」


 アロイゼは勝ち誇るように言い放ち、口の中に溜まった血を簒奪王に向けて吐き捨てる。

 当たり前のことだが、今の告白は全てこの男を欺くための嘘偽りだ。『燭陰ヂュインの瞳』は今も樋田可成の左目に宿っている。


 ならば、これが最適解だ。

 王の意識をあの少年から完全に逸らす為には、この作り話が最も都合が良く、なおかつ最も自然な筋書きなのだから。


「……オイオイ、なにがそんなに不都合なんだ簒奪王。欲しいモノがあるのならば敵対者の全てを殺し、犯し、そして奪えばいいだけの話だろう。王たる者の義務も果たさず、無闇に権力を振りかざすだけの暴君には御得意の所業ではないのか?」


 心底楽しそうに煽り散らすアロイゼに、最早王は何も言葉を返さない。

 深く俯いているためどんな顔をしているのかは見えないが、悔しそうに歯を食いしばっていることは確かだろう。


「なんだその情けないツラは……もしかして、出来ないのかァ? そこらの一般人は何十、何百と平気な顔でブッ殺せる癖に、悲蒼天ひそうてんに戦争を仕掛けるのがそんなに怖いのかッ!? ぶっ、くははははははははッ!! コイツは最高だ、滑稽が過ぎるぞ簒奪王。あれだけ人間を弱い支配されるべき存在だと見下し、道具のように使い捨てていたキサマが、まさかその人間に恐怖を抱くなど――――――――」


 しかし、少女に無謀な高笑いが許されたのは、そこまでだった。


「グッ、ギいッ、ガッ……!!」


 簒奪王はアロイゼの顔面を無言で踏みつけると、そのまま万力のように力を込めていく。

 文字通り頭はカチ割れそうで、気分は正に最悪の一言だ。されど、アロイゼの胸の内は不思議と気楽なモノであった。


 押し付けられる靴の裏を通じて伝わって来るのは、簒奪王が抱く本気の怒りと憎悪。間違いない。この男は己の言葉を確かに信じ、そして騙されてくれたのだから。


 少女がホッと安堵の息を吐くと同時に、頭の上の足もまたおもむろに離れていく。

 なんとか顔を上げてみると、最早簒奪王の顔に怒りの表情はない。先程までの支配者らしい余裕と優雅を取り戻すと、王はやけに落ち着いた――――それでいて酷く冷たく鋭い声で、

 


「もうよい、疾く失せよ」



 少女に死を賜った。


 そんな王の一言と共に、周囲の首無し達が一斉に醜い絶叫を響かせる。そしてその声に呼応するかのように、簒奪王の右手がたちまちに莫大な『天骸アストラ』によって包み込まれていく。


 ――――あぁ、さっさと殺すがいい。成す可きことは成せなかったが、残すべきものは残せた。鎮魂歌レクイエムのセンスが最悪なことに目を瞑れば、最早このワタシに思い残しはっ……ない。


 そしてアロイゼは何も考えずに瞳を瞑った。

 簒奪王もまた何も考えずに、ただ少女を処刑することだけに意識を集中させていた――――だからそのあまりにも弱く、そしてあまりにも脆い存在の登場に、彼等は気付くことが出来なかったのかもしれない。



 ()()()は突如裏路地の陰より飛び出した。



 彼は無闇に名乗りをあげることも、恐怖を紛らわすために雄叫びをあげることもせず、ただ必死に筆坂晴の元へとひた走る。


 その行動に他人に自慢できるような高尚な理由は一つもない。

 天界の暴走から世界を救いたいだとか、はたまた罪無き人々の命を護るため簒奪王の暴挙を阻止したいだとか、そんな立派なお題目は正直言ってどうでもいい。


 彼の目的はただ一つだ。

 筆坂晴を助けたい。初めて自分を一人の人間として見てくれた女の子の命を救いたい、その笑顔を喪いたくない。

 そのためならば、こんな臆病者でも命を賭けることが出来るのだと、彼はその勇姿をもって証明する。


 間に合え、間に合え、間に合え、間に合え。

 間に合わせたいのではなく、意地でも間に合わせるのだ。


 地を蹴り疾風怒濤、遂にその瞬間は訪れる。

 簒奪王の手元から術式が放たれるその直前、乱入者は王の頭めがけて手元の鉄パイプを力一杯に振り抜いた。



「ヴラァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」



 必死の一撃は虚しくも宙を切った。

 されど簒奪王はこれをかわすために確かによろけ、手元より打ち出された不可視の刃は明後日の方向へと飛んでいく。


「チッ、スカったかッ!!」


 少年は吐き捨て、そのまま返す刀で簒奪王に強力な回し蹴りを放つ。王がそれを避けつつ後ろに下がると、彼は少女の盾になるように一歩前に出た。



「オイ、キサマが何故ここに……」



 見覚えのある背中だった。

 背は高校生にしてはやや高く、体格もそれなりに筋肉質。そして殺人鬼じみた切れ長の四白眼と、泥のように淀んだ黒いクマが特徴的なチンピラ少年――――かつて道を違えたはずの彼がそこにはいる。


「……よしっ、まだちゃんと生きてんな。晴」


 聞き覚えのある声だった。

 そのドスの効いた低い掠れ声を、どこか懐かしく感じてしまう自分がいる。


「貴様は、まさかあの夜の……」


 そんな簒奪王の問いに応えるように、乱入者は固く手元の鉄パイプを握りしめる。

 その手は震えていた、両の足も情けなくガタガタいっている。それはもう武者震いなんて言葉では誤魔化せないほどの、明確な恐怖の表れであった。


「……オイオイ、ここらの裏路地で俺の事を知らねえとかテメェはモグリかよ。まあいいぜ、知らねえならその脳裏にキッチリ刻み込んでやるさ。テメェがこの俺の名前を聞いただけで、馬鹿みてえに小便漏らすようになるまでな」


 やけに饒舌なその煽り口上も、身の丈知らずの強がりにしか聞こえない。

 正義の味方が助けに来た――――なんて大層なお題目を掲げるには、その姿はあまりにも不恰好で頼りないものであろう。

 それでも彼は、確かにこの戦場へとやってきた。

 例えそれが命を落とす結果になろうとも、理想を通し、己が正義を体現し、何より自分の護りたいものを護るために彼は立ち上がったのだ。


 そんな大馬鹿野郎のことを世の人々はこう呼び憧れる――――そう、『主人公』と。


「……アロイゼ=シークレンズが第一眷属、樋田可成様のお出ましだゴラァッ!! テメェら一匹残らず地獄に叩き落としてやるから、しっかり覚悟しとけよ糞野郎共オオオオオオオオオオオオオッ!!」


 善人だとか悪人だとか、そんな括りは最早小さなものに過ぎない。少年は簒奪王に鉄パイプを突きつけ、高らかに宣戦布告を吠え散らす。


 その日、その夜、その瞬間、樋田可成は初めてこの物語の『主人公』となった。



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