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第百二十六話『全てを終わらせるための一撃』


 吹き飛ばされた勢いのまま砂利の上を滑る。

 しかし、吹き飛ばされながらも樋田が思考を止めることはない。


 ――――何がどうなってやがるッ……!?


 何故かいきなり全身の動作が狂った。正確には脳が望んだ動きと、実際に出力される動きに明らかなズレが生じるようになった。

 四肢はまだ動かそうと思えば動く程度だが、翼の方は最早完全に言うことを聞いてくれない。


 きっかけは樋田ひだが理由もなくバランスを崩したあの瞬間なのだろう。

 平衡感覚を奪う術式か、それとも草壁くさかべが用いたような呪いの類か。

 しかし、答えを出すにはあまりにも情報が少なすぎる。そして今はともかく、迫り来るあの大男をどうにかせねば――――、


「――――ッ!! 」


 内に秘めた『天骸アストラ』を引き出そうとし、樋田はそこで致命的な違和感に気付く。脳からの指示が肉体にうまく反映されない以上に、『天骸』の流れが滅茶苦茶になっている

 それはまるで見知った海を航海する最中、突如知らない海域に飛び出してしまったような感覚であった。


 ――――……狂わされたのは脳でも肉でもなく『天骸』の方ってわけか。


 そう思い至るや否や、樋田は即座に天使体を解除する。

 その時点で大男は既に樋田の懐へと飛び込んでいた。


 しかし、大男が力強く振り下ろした銃剣の一撃を、樋田は横に転がることで回避する。身体が思った通りに動かない状態では、絶対にかわせない攻撃であった。

 されど肉体は樋田が思い描いた通りの動作を出力した。やはり細身の術式は、何らかの手段を以って『天骸』の使用を『阻害』する力なのだろう。


「……小賢しい野郎だ」


 術式を見破られたことに苛立ったのか、視界の端で細身の表情が微かに強張る。


 ――――まあ、状況がクソだってことに変わりはねぇがなッ。


 しかし、これで形勢が逆転したわけではない。

 確かに天使体を解除すれば、ヤツの術式に肉体動作を乱されることはなくなる。されど、そのことは同時にプロの軍人二人を生身で相手しなくてはならないことを意味する。


 樋田が再び立ち上がるや否や、大男の蹴りが横から襲い掛かった。

 まずは一度左腕でガードし、しかし即座にこれは受け切れないと判断する。樋田は逆らうのを諦め、蹴りの勢いに乗るがまま地を転がる。転がされながら懐の黒星ヘイシンを取り出し、そのまま大男目掛けて引き金を引く。


 しかし、銃を使うにはあまりにも距離が近い。

 はじめから銃口の向く方向を注視していたのか、大男はいとも簡単に鉛弾をかわしてみせた。

 そこで生じた一瞬隙をつき、樋田はナイフ片手に大男へ突撃をかます。しかし刺突の直前、ナイフを持つ手を大男に掴まれる。すかさず腹に重い膝蹴りを叩き込まれ、思わずその場に腹の中身をぶちまけそうになる。


 しかも、そのときには樋田の背後からもう一人の男が迫っていた。


「理解したかッ!? 俺の術式は『天骸』の流れを掻き乱すッ!! この俺がこの場にいる限り、お前は天使でも異能者でもないただの人に成り下がらざるを得ないッ!!」


 男の言う通りであった。

 術式の使用を事実上禁じられている以上、樋田に軍人二人を同時に相手取れるだけの力はない。そうしている間にも細身の男は緩やかに軍刀を引き抜き、走りながら頭上に刃を構えると――――、


 何故か樋田ではなく、その傍らの()()()()()()に刃を振り下ろした。



「ハハッ」

北村きたむら大尉――――ッ!!」



 樋田の哄笑、そして大男の叫び声。

 ほぼ同時、上空から数発の銃声が響く。

 そのうちの一発は北村と呼ばれた男の肩を貫くが、他は彼の身体を辛うじて掠るに留まる。


 樋田は隙を見せた大男の足を踏みつけ、続け様に渾身の頭突きを叩き込む。

 そうして作った僅かな時間、樋田は最高のタイミングで現れたはれに軽く目配せをする。晴もまたこちらをチラリとみやり、一瞬だけホッと安堵したような笑みを浮かべた。

 しかし次の瞬間には、黒星片手に表情をキリリと引き締める。


「感動ごっこは後回しだカセイ。まずはコイツらを制圧するッ!!」

「次から次へとッ……!!」


 晴の存在に気付くや否や、北村なる男も発砲仕返すが、対する彼女はその優れた飛行技術をもって全弾難なくかわしてみせる。

 それは一見特筆することもない凡庸な攻防である。

 しかし、樋田はその一瞬の中に確かな違和感を見た。


 ――――何故そこで銃を使う……、まずは俺にしたみてえに『阻害』の術式をかますのが先じゃねえのか?


 『天骸』の流れを乱すことで、ありとあらゆる術式の発動を阻害する。

 それだけ聞けばまるで無敵の力のようにも思えるが、恐らくその有効範囲はそれほど広くないのだろう。

 少なくとも、二十メートルの高さに浮かぶ晴を捉えられないことだけは確かである。


「……クソゲーかと思ったが、タネさえ割れりゃあとは順当に追い詰めるだけだな」


 そして何より、晴が術式を発動出来たという事実こそが、樋田にこの戦いを勝ち抜くための活路をもたらした。

 先程北村が目測を誤ったのは、おおかた晴が『顕理鏡セケル』のホログラムを用いて、樋田の立ち位置を偽造したからなのだろう。

 しかし、実際にホログラムが投影されたのは北村のすぐ近く。間違いなく『阻害』の術式の有効範囲であったはずだ。にも関わらず晴の術式は正常に発動し、北村も見事これに騙された。そこから導き出される結論は――――、


「あの野郎の術式は、常時発動するタイプの力じゃねえッ……」


 先程北村が己の能力についてベラベラと語ったのは、恐らく術式を常時発動型だと誤認させるためのブラフ。しかしこうなれば最早、敵の敷いた存在しないレールの上を歩く必要はない。


「なら、話は早え」


 一言呟き、樋田は再び天使化する。

 身体を天使体に置き換え、頭上に天輪を下ろし、背中から四枚の翼を生じさせる。狙い通り、はじめに使われた『阻害』の術式はもう効果が切れている。


 瞬間、大男の目が驚愕に見開かれる。

 直後、半ば反射的に打ち出された敵の拳を、樋田は真正面から掴み取ってやると、


「さっきは、一杯殴ってくれてありがとうなあ。しっかりお礼は返すぜ」


 腹を思い切り蹴り付け、大男との間に距離を作ると同時、樋田は四翼を一切の躊躇なく振り回した。ズガガガガッ、ドガガガガガガガガガガガガッッッ!!!!!!!! と、凶器と化した翼が大男の体を滅多打ちにする。金属が肉を打ちつけるような鈍くておぞましい音が何度も何度も連続する。


うら少尉ッ!!」


 そこで北村は再び『阻害』の術式を発動した。

 術式を使われた以上、樋田は対策に天使化を解除せずにはいられない。

 しかし、目の前の大男は全身ボコボコで虫の息だ。

 これで敵は北村一人のみ。一対一ならば例え勝つことは出来なくても、負けないよう時間を稼ぐくらいならばできる。


「晴ッ、お前は『砲』をおさえろッ!! いや、準備出来次第すぐブッ放せッ!! そのうち敵が増える。すぐやれ、俺はコイツの相手をするッ!!」


 晴は無言で首を縦に振る。そして彼女はちょっとした建物くらいある巨大砲の真上に舞い降りると、そこにあるハッチから兵器の内部へと潜っていった。


「俺の相手をお前がするのか」

「ッ――――」


 身を穿つほどの視線に思わず息を呑む。

 振り向けば、全身を殺意で充満させた軍人がそこにいる。



「出来るものならば、やってみろ」



 ドッと北村が迫り来る。

 懐に入られるのと同時、右手の軍刀が翻る。

 そこかや放たれるは左下から右上への切り上げである。



「「ッ――――――!!!!」」



 結果は樋田の髪が僅かに切り裂かれただけ。

 両者は同時に驚愕する。

 それぞれ北村は攻撃をかわし切られたことに、樋田は攻撃をかわし切れたことに。


「ははッ」


 二ヶ月前の樋田ならば今の一撃で間違いなく致命傷を負っていた。

 されど、これまでのコンマ一秒を争う死闘の数々が、彼の反応速度をほんの僅かなれど確かに底上げした。そしてそのほんの一瞬すら、互いに命を削り合う殺し合いの中では生死を分かつ大きな要因となる。


 樋田は集中していた。

 これ以上ないくらいに神経を研ぎ澄ましていた。

 北村の打撃を防ぎ、斬撃をかわす。全ての攻撃をそれぞれ最良のタイミングをもって、最善の動作で処理していく。


 ――――イケる。このままコイツを足留め出来ればッ。


 北村が得物を軍刀から銃剣に切り替えた瞬間、樋田は大振りの蹴りを放つ。されど北村はこれを避けることなく、銃剣を盾に受け止める。むしろ彼は樋田の蹴りを利用して、一度大きく後ろに飛んで見せると、



「『穿性付与せんせいふよ』」



 直後、銃剣に彫られた溝に光が走る。

 明らかな大技の気配、しかも得物は銃。

 嫌な想像を浮かべた樋田は、反射的に身を低くしながら斜め前方に飛び込もうとし、


「ッ――――――――!!」


 しかし、北村が狙ったのは樋田ではなかった。

 彼が銃口を向けた先は、晴が中に乗り込んでいる『砲』の方であった。


「クソヤロォオオオオオオオォオオオオオオオッッッッ!!!!!!!!!!!」


 樋田の叫びなど無視し、引き金は引かれる。

 銃口から放たれた数発の弾は白光を纏いながら、通常の弾とは比べものにならない速度で宙を突き進む。そのまま『砲』の分厚い装甲に突き刺さり、当然のように反対側まで突き抜ける。


 ここからでは『砲』の中に潜り込んでいる晴の様子は分からない。

 それでも銃弾が兵器を貫通すると当時、その中から僅かながらに苦悶の声が上がる。


「よそ見とは随分余裕だな」


 思わず晴の方に意識を奪われた刹那、北村は一気に樋田との距離を詰めてきた。得物は既に銃剣から軍刀へと持ち替えられている。繰り出された刺突は樋田の喉元を狙っている。紛れもない絶体絶命の危機。されど――――、


「ッ――――!!!!」


 首を貫こうと突き出された北村の一撃、樋田はその軌跡に自らの左手を割り込ませる。

 当然、ズブリと刃が掌を貫く。

 されど樋田は構わず掌を押し込み、そのまま軍刀の鍔を鷲掴みにする。続いて空いた右手で北村の二の腕をガッチリと掴み取る。


「何のつもりだ」


 一見樋田が北村の動きを封じた形だ。

 しかし、掴み合いの状態となって、有利になるのは軍人として武道を修めた北村の方だ。北村が疑問を隠し切れない中、樋田は構わずに天使化を開始する。


 血肉で象られた実体から、『天骸』で象られた仮初の天使体へ。頭上に赤の天輪が浮かび、背中からは四枚の翼が――――、


「無駄足掻きはよせ」


 当然そこで北村は『阻害』の術式を発動する。

 たちまちに『天骸』の流れは乱され、樋田の天使体はまるで映像を逆再生するように元の状態へと巻き戻っていく。


 しかし、彼の表情が絶望に曇ることはない。

 そこにあるのは殺意のみ。殺したい相手を確実に殺すため、勝利までの道程を堅実にこなす冷静な殺意であった。


「確かに、アンタは俺より強い」

「ッ」


 樋田の『統天指標メルクマール』――――術者や術式に触れることで、能力の制御権を奪う正体不明の力が発動する。

 瞬間、北村が発動した『阻害』の術式は効果を失った。それどころか、まるでアメーバが這うように、触れ合った肌を通じて北村から樋田へ術式が移動していく。


「だからよ、そろそろハンデはなしでもいいよな」


 奪われた『阻害』の術式が、今度は樋田の手によって発動する。

 北村の『天骸』が乱れた以上、これでしばらく向こうは『阻害』の術式を使うことが出来ない。即ち、今だけは四翼の天使として全力を出すことが許される。


 その可能性に思い至ったのか、北村は蹴りで樋田の拘束を引き剥がす。

 しかし、もう遅い。天使は既に頭上に天輪を下ろし、背中の翼槍を力強く振り上げているのだから。


 そこからの樋田はまるで獣であった。

 背の翼槍を振り下ろし、しかし次の瞬間には既に右の拳を撃ち放っている。翼、翼、右腕、翼、左足、右腕、翼。車懸かりの陣を彷彿とさせる怒涛の連続攻撃を前に、流石の北村も防戦一方にならざるを得ない。


 軍人は突き出された翼の槍を軍刀でなんとか受け流す。

 されど致命傷になり得る翼撃を捌くのが精一杯で、四肢による打撃までは流石に手が回らない。

 一分ほど攻めて攻めて攻め続けて、殴って蹴って叩きつけて。

 四翼による猛攻は北村の得物を打ち砕き、更には脇腹に決して浅くはない傷を刻み込みもする。されど――――、



「……アンタ、イカれてやがんな」

「時間、切れだッ……」



 それでも北村は倒れなかった。

 絶好のチャンスであったにも関わらず、倒し切ることが出来なかった。


 彼の言葉通り、こちらが奪った術式は既に効果を失ったのだろう。

 再び『阻害』の術式が発動される。


 得物を失った北村は当然拳を握りしめ迫り来る。

 樋田もまた天使化を解除し、胸の前で拳を構える。


 北村からの初撃は左のストレート。

 しかし、それはフェイントであった。

 続け様に撃ち放たれた本命の正拳を、樋田は肘で阻む。

 骨に響く痛みを噛み殺し、樋田は北村の脇腹に手を伸ばす。

 傷口に指を突っ込み、瞬間的に中身を掻き回す。

 北村が思わず激痛に怯んだ刹那、すかさず右の拳を鳩尾に叩き込む。


「グァッ……!!」


 殺し切れなかったとはいえ、あれだけダメージを与えたのだ。

 北村は明らかに弱体化していた。

 先程までの精密機械の如きキレは最早どこにもない。

 実際それまで防戦一方であった樋田が、カウンターの形とはいえ反攻に出れる程なのだ。


 ――――やれる、このまま押し切れるッ……!!


 北村は今の一撃で大きくよろけた。

 大振りを叩き込める折角の隙を見逃すわけにはいかない。


「はぁ……?」


 されど、唐突に視界が下がった。

 あまりにも唐突すぎて、樋田は自分が膝をついたことにすぐ気付くことが出来なかった。何故。そう思うよりも早く、喉の奥から急に鉄臭さが込み上げ、


「嘘だろ、オイッ……」


 樋田は吐血した。

 きっと、不意にスイッチが切れたのだろう。

 先の草壁戦で樋田は体内に微瘴気によるダメージを抱えてしまった。

 これまで痛みも吐き気も苦しみも、全て噛み殺して押し殺して無視してきたが、心よりも先に肉体に根を上げられてはどうしようも無い。


「畜生ッ、動けよ体アアッッ……!!!!!!!!!!!」


 それでも樋田は気合で再びスイッチを入れ直し、すかさず立ち上がろうとする。されど、一秒どころか瞬き一瞬が生死を分かつ殺し合いにおいて、敵の前でそれほどの隙を晒してしま――――ドゴォオオオオオォオッッ!!!! と北村の回し蹴りが樋田の側頭部を力強く打ち付けた。

 

 バランスなど保てるはずもなく、樋田はそのまま砂利の上を転がされる。

 まだ、意識は飛んでいない。それでも脳を揺らされたせいで、すぐに立ち上がることは出来そうもない。


「……だが」

「喋るな。こちらは遺言を聞く間も惜しい」


 脇腹を抑えながらの歩みは遅く、それでも北村は一歩一歩確実に樋田のもとへと歩み寄ってくる。

 とどめを刺すつもりなのだろう。相手は軍人だ。例え素手であろうと、人を殺す手段ぐらいいくらでも持ち合わせているに違いない。


 しかし、樋田は絶望などしなかった。

 むしろ彼は自らの相棒が役割を果たした事実に、満足げな笑みを浮かべてすらいる。


「充分時間は稼いだぜ」

「――――――ッッ!!!!」


 瞬間、北村は振り向いた。

 驚愕のあまり、敵に背中を晒す事すら厭わずに。


 核兵器に例えられる後藤機関の最終兵器『陽桜』。

 その大量破壊術式を射出するための『砲』が、正に今その重い首を空高く持ち上げる。

 無論、後藤機関の人間が動かしたのではない。数分前に巨砲の中へと潜り込んだ筆坂晴が、遂にそのシステムの掌握に成功したのだ。

 白竜にも見える巨砲はゆっくりと旋回する。

 その砲口の標準を、中央区の秦漢華はたのあやかから、品川の綾媛学園りょうえんがくえんへと定め直していく。


「貴様らッ……!!!!」


 これまで沈着冷静を貫いてきた北村一毅きたむらいっきが、ここではじめて具体的な焦りと怒りを滲ませる。奴の立場からすれば、正に今こそが『陽桜ひよう』の乗っ取りを防げるか否かの天王山だ。


 樋田を殺してから『砲』の奪還に向かうか、それとも樋田を捨て置いて『砲』を優先するか。

 北村は一瞬迷うように両者を見比べ、しかし次の瞬間には軍人らしく即決した。



 ♢



 後藤機関の『砲』は至極巨大であった。

 ハッチから内部に入ってみると、兵器というよりも建物の中にいるような錯覚を覚えるほどだ。そこから短い通路を進んだ先の操縦室、晴はそこで『砲』を統括する術式相手に悪戦苦闘していた。


 幸い特別なセキュリティはかかっていようだが、百年以上を生きる晴でも見たことない術式が多く使われている。

 こちらの手で『砲』を扱うには、そこに組み込まれた術式の構造を理解することが不可欠。

 晴は軽く術式に『天骸』を流し込んでは止め、流し込んでは止め、どの記号が、どのタイミングで、どのような作用を引き起こすのかを少しずつ把握していく。


 これでも大分大雑把にやっている。

 確実を期すならば、もっとじっくりやるべきだろう。


 しかし、カセイがあの軍人相手にいつまで立っていられるかなど分からない。

 どうせ使うのは一度きりだ。

 安全装置やら冷却機関やら細かい部分は目を瞑り、とにかく大枠で術式を把握することに専念する。


 カセイの頑張りをここで無駄にするようなことがあってはならない。

 正確に精密に、そして素早く迅速に。

 そんな気の狂いそうな作業を始めて一体どれだけの時間が過ぎただろう。

 集中のあまり人殺しのような表情をしていた晴の顔に、ふと喜色の笑みが浮かぶ。


「よし、ここまで分かれば充分だッ……!!」

 

 これで術式の構造は大方理解した。

 すかさず晴は『砲』の術式に『天骸』を流し込む。


 一抹の不安はあったものの、術式は問題なく起動した。

 目の前のモニターに映る情報を見るに、どうやら霊的なインフラを通じて、千代田区の龍脈から大量の『天骸』が砲へと流れ込み始めたようだ。

 時を置かず兵器が動き出す。砲口が持ち上げられ、砲塔が旋回し、ゆっくりではあるが徐々に指定した目標に標準を合わせていく。



「――――――ッ!!」



 カタリ、カタリと嫌な足音が聞こえた。

 音がしたのは今筆坂のいる操縦室から壁を隔てた向こう側だ。歩みは随分と遅いようだが、一歩一歩確実にこちらへと迫って来ている。


「まあ、そう都合よくはいかんかッ……!!」


 カセイならばこちらを安心させるために声を出すはず。それがないということは、この足音の持ち主はカセイと戦っていたあの軍人であるに違いない。

 カセイは負けたのか。もしくは、殺されたのか。

 何はともあれ、あの軍人と戦闘になれば作業は中断せざるを得ない。時間が経てばそれだけ敵の増援も駆け付けるだろう。だからこそ即座に無力化しなくてはならないのだが、


「ッ――――オイッ、なんだ、これはッ……!?」


 瞬間、なんの前触れもなしに『天骸』の流れが乱れた。制御を失ったというよりかは、まるで何か別の力に邪魔されているような感覚だ。

 天使体も術式も使えなければ、筆坂晴はただの少女とさして変わらない。そんな状態でプロの軍人に勝つことなどほぼ不可能だろう。


「ッッ!!!!」


 その瞬間、ガンッ!! と、扉の方から凄まじい音がした。

 まるで金属同士が激しくぶつかり合うような破壊音が連続し、向こうとこちらを隔てる扉は少しずつひしゃげていく。


 マズいと、流石の筆坂も焦燥を覚える。

 このまま扉を開けられてしまっては、その時点でこちらの敗北は決まる。

 秦漢華を必ず救うというカセイの誓いは果たされなくなる。

 されど、そんな筆坂の絶望を嘲笑うように、正に今、一際大きい音と共に扉が開かれ――――、



「筆坂さんッ!!」

「松下っ……!」



 突如、筆坂のすぐ傍に松下希子まつしたきこが出現した。

 恐らくは『砲』の外から中へと一気に瞬間移動してきたのだろう。

 外の樋田から話は聞いていたのか、彼女はすぐに天使化を解除する。

 そうしてすぐさま扉に取り付いた。両手で抑えるだけでは意味はないと、扉に全身を貼り付け体重をかける。

 しかし、相手はプロの軍人だ。

 女子中学生の腕力程度で抗えるはずもない。

 結局松下に出来たのは僅か数秒の時間稼ぎだけであった。

 遂に扉は破られ、その勢いに松下は床を転がされる。

 開いた扉の向こう側、軍人の冷たい殺意に満ちた瞳がこちらを睨んでいた。そうして、男が操縦室の中に入り込もうとした正にその瞬間であった。


「やらせねえぞ馬鹿野郎ッ……!!」


 軍人に続いて部屋の中に飛び込んできたのは樋田であった。

 今にも筆坂に飛びかかろうとしていた男を、樋田は背後から羽交い締めにする。


「離せぇええええええッッ!!!!!」


 されど樋田は相手に足を踏みつけられ、そのまま二人まとめて床に倒れ込む。引き剥がそうとする軍人と、決して逃すまいとする樋田。

 互いにマウントを奪い合う乱戦の最中、樋田は『統天指標』を発動する。

 途端に男の持つ『阻害』の術式は、樋田に制御権を奪われる。

 同時に樋田、筆坂、松下の『天骸』が自由を取り戻す。


「今だ晴ェエエエエエエエエエエッッッッッ!!!!!!!」


 樋田は叫ぶ。

 そして、筆坂は彼が叫んだときには既に行動を開始していた。



 何とか掌握した『砲』の術式を再び起動させる。

 砲を持ち上げ、砲塔を旋回させ、最善の位置へ砲口を導き直していく。


「晴、撃てええええええええええええええええええええええええええッ!!」

「ふざけるなよ貴様等ァアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」


「――――――――――――」


 筆坂晴は欠片も躊躇しなかった。

 全ての準備が整ったその瞬間、ほぼ同時に発射の合図をだす。


 しかして、『陽桜』は撃ち放たれた。

 白竜の顎門より射出された災害級火力は、街を越え、海を越え――――その先の『叡智の塔』を中腹から跡形もなく吹き飛ばした。




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