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第百二十二話『聖泥の威令』


「さて、ここまでは順調だが」


 栗色の長い髪を頭頂部でデッカイお団子にした中性的な人間、栗鳥鈴久くりとりすずひさはここからが本番と言わんばかりに右手の鞭を握り直す。

 予想通り簒奪王は魔王サルワを圧倒している。このまま順当にいけば、いずれこちらの切り札が向こうの切り札を潰すだろう。しかし、このまま業魔王を打ち倒すには、未だ一つ乗り越えるべき障害がある。


「――――ッ!!」


 噂をすればなんとやら。

 上方から殺気を感じ、栗鳥は地を転がる形で真横へ飛ぶ。


 その直後、彼(彼女?)のもといた場所を鋭利な暴力が襲った。

 手に持つ傘をパラシュート代わりに舞い降りてきた女悪魔、その肩から打ち出された六枚の翼が勢い良く石畳を抉ったのである。


「キャハハッ!! あ〜あ、残念ッ!!」


 業魔王アズ。

 ふわりと音もなく地に降り立った女悪魔は、自らの力を誇示するように六翼を大きく広げてみせると、


「確かに大勢でするのも愉しいけれど、やっぱ一番ロマンチックなのは二人きりよね。ねぇ、アナタもそう思わない?」


 二人きり、そこをアズは殊更に強調する。

 切り札である魔王サルワをほぼ封殺され、それでも悪魔の女王には未だ強者としての余裕があった。


 一方の栗鳥は呼吸すら最低限に身構える。

 少しでも気を抜けば瞬きの間に殺される。

 そのことを理解しての対応であった。


「なになになにィイ、アンタもしかしてビビっちゃってるワケッ〜!? あははははははッ、何ソレ面白い〜ッ!!!! ほらほらアタシを殺すんでしょ、なら早くやってみて頂戴。痛いのも激しいのもお姉さん的には大歓迎だからさあ☆」


 業魔王のあからさまな挑発に、栗鳥は如何にも不機嫌そうに舌を打つ。

 業魔王の権能はあくまでダエーワを生み出すだけのものだ。そこに直接的な破壊力はない。実際彼女の戦闘能力は十三王の中において間違いなく下位、いや下手をすれば最弱であるかもしれない。


 しかし、それでも十三王は十三王だ。


 六枚の翼を背中に持ち、あらゆる天使の頂点に立つ十三柱の一柱。そんな文字通り神話クラスの怪物に、天使ですらない栗鳥が真っ向勝負で勝てるはずもない。


「『狂狼晩餐ヴルコラク』」


 それでも栗鳥は再び鞭を振るう。

 その動きに従うように、辛うじて生き残っていた残りの人狼がアズへと飛びかかる。

 しかし、どうしようもなく無意味であった。

 狼がアズの懐へ飛び込むよりも早く、瞬く間に六枚の翼が襲撃者を串刺しにする。辛うじてアズの目前まで迫った個体すら、傘の一振りに頭を砕かれ即死する。


「ハーイ、クッソつまんな〜い。おもしろくな〜い。ワンパターン、雑魚〜〜。ねぇ、他に何か愉しいプレイのストックはないわけ? いい加減こっちもマンネリ気味でご無沙汰な気分になってきたんだけどぉ?」


「……やはり、この程度の駒で王を落とすことは叶わないか」


「ちょっ、アタシと会話する気ゼロ〜〜〜!? 無視するだなんて、そんな、酷すぎる……酷いことされると、思わずゾクゾクしちゃいますッ!! えっ、ちょっと待って、アタシ今アナタことちょっと好きになってきましたッ!! お願い教えてッ!! アナタって男の子なの、それとも女の子なの? ねぇ、どっち〜〜〜〜〜〜〜ッ!?」


 既に栗鳥はアズの言動を聞く価値なしと意識から切り離している。その分、彼(彼女?)の集中力は悪魔の一挙手一投足に注目し、自らが勝利するための道筋を導き出そうとする。


 栗鳥が従える超常的存在の中で、人狼は最強とは言えずともかなり強力な駒であった。にも関わらず、全く歯が立たなかった。恐らくは他に何を召喚し、いくら数をけしかけようとも、業魔王は流れ作業のようにこれを瞬殺するだろう。



「今宵は月が綺麗だな」

「はいッ!! アタシ死んでもいいと思っていますッ!!」



 そう言って、栗鳥は掌サイズの何かを業魔王に投げ付ける。

 アズは反射的に傘でそれを弾いた。その正体は何を象っているかも分からない小さな神像であった。当然いとも簡単に砕けて形を失う。



 ♢



「――――――」


 業魔王は戦慄する。

 今にも殺されそうというこの状況で、何故栗毛は態々おもちゃなど投げつけてきたのか。その行動に一見意味などない。しかし、だからこそ恐ろしい。

 『天骸アストラ』がありとあらゆる可能性を内包する力である以上、意味の分からない行動は、往々にして意味の分からない結果を生む。


 業魔王は珍しく無言であった。

 直後、ドッ!! と地を蹴り、一瞬で栗毛の懐まで肉薄する。

 相手がアッと一声上げるよりも早く、傘の一振りはいとも簡単に敵の首を跳ね飛ばした。


「ん?」


 しかし、アズは眉を潜める。

 首を撥ねたにしては手応えが軽すぎる。まるで溶けかけのアイスにスプーンでも突き立てたような感触だ。加えて首を落とされたにも関わらず、何故か血が一滴も噴き出さない。

 次の瞬間、答え合わせと言わんばかりに栗鳥のシルエットがグニャリと歪む。


「なに、これ。泥……?」


 その正体は泥であった。

 垂れて、溶けて、歪んで、崩れて。栗毛の身体はその身に纏う装束ごと、全てが泥と化し崩れ落ちていく。


 具体的にどんな術式を使っているかは分からない。

 恐らくは泥で自分の分身のようなものあらかじめ作っておき、こちらの隙をついて本体と入れ替えておいたのだろう。


 実際に攻撃を加えるまで、アズは相手が偽物とは気付かなかった。

 こちらの優勢を脅かすような術式ではないが、本物と区別が付かないデコイを無数に生み出されては面倒臭いなんて話ではない。

 そんな嫌な予想を立てながら、アズはおもむろに周囲を見渡す。


「もぉ〜、なんなんです〜〜、大勢より二人っきりの方が良いよねって言ったばかりなのにィイ〜〜!!」


 アズの悪い想像は的中した。

 正面の一体に気を取られているうちに、いつのまにかそこら中に無数の泥分身が湧いていた。その数は少なめに数えても三十はくだらない。


「まあ」


 しかし、その程度で業魔王が怯むことはない。

 彼女は苛立ちまじりに背中の六翼を振り回し、手近の泥分身数体を瞬く間に屠ってみせる。


「面倒くさいってだけで何の脅威にもなりませんけどッ!!」

 

 当然、鎧袖一触であった。

 異能によって生み出された泥人形といっても、その戦闘力はあの性別不詳者の本体と何も変わらない。むしろ防御力に関しては人の身体よりもずっと脆いくらいだ。


 右手の傘を一閃し、或いは翼を鞭のように振り回し、アズは泥分身を次から次へと破壊していく。面倒だが力量でゴリ押しすればどうとでもなる。視界に映る限りの三十体超を皆殺しにすれば、きっとそのなかに本体も混ざっているのだろうから。


「おっ、と……?」


 しかし、泥人形を半分ほど破壊したところでアズは異変に気付く。

 翼が普段と比べてやけに重い。見ればいつのまにか六翼のあちこちに泥がこびり付いていた。恐らくは泥人形を潰したときに付着した返り血ならぬ返り泥なのだろう。


「もぉ、やめてよぉ。髪と翼は女の命なのにい……!」


 アズは泥を落とそうと適当に翼を振り回す。

 しかし、何故か汚れは全く落ちてはくれない。

 それに加え――――、


「……なにこれ」


 身体に上手く力が入らない。

 まるで見えない力が肉体を内側から縛っているような感覚だ。


 異変は止まらず、今度は両足がズブズブと石畳の中へと沈み込んでいく。見ればいつのまにか足元には泥沼が広がっていた。いや、足元だけではない。アズの視界の届く限り、どこまでも泥の世界だけが続いている。


「もしかして、これって……」


 業魔王はそこでようやく確信する。

 この空間は間違いなく栗毛が生み出した『異界』の中。つまりは知らぬ間にに相手のホームグラウンドの中へと引き摺り込まれてしまったのだ。


「んもぉ、クソ雑魚ちゃんのくせになんて面倒な術式なんですかッ!!」


 アズは慌てて泥の中から両足を引き抜き、同時に勢い良く六翼を羽ばたかせる。

 体は怠く、翼は重く、普通に飛ぼうとするだけでも一苦労だ。

 それでもアズは翼に鞭を打ち、なんとかこの『異界』が一望出来る高度まで上昇する。


「キャハハッ!! 本当に地の果てまで泥んこワールドになってる。あぁ、なんて素晴らしい力ッ!! なんて恐ろしい力ッ!! ……でも、だからこそ、どうしようもなく、胡散臭いッ!!」


 ただの人間が使うにしては、あまりにも大規模な術式。

 そして、このような術者の力量と明らかに釣り合わない術式は、術者のホームグラウンドたる『異界』の中でしか発動出来ないのがセオリーだ。


 この『異界』がどんなものであるかは分からないが、一歩この世界の外へと出てしまえば全てが解決する。そして『異界』が現実世界の延長線上にある以上、どこかに必ず出口はあるはずだ。



「ちょっ――――なに、これぇえええええええええッ!?!?」



 しかし、そんなアズの希望的観測は即座に断たれる。

 まるで逃げる彼女を追撃をするように、泥の中から無数の腕が飛び出したのだ。数十本の泥腕が四方八方から、その飛行ルートを塞ぐようにアズへと襲い掛かる。


「え、キモ。えぇ、ちょっと、すっごくウザいんですけどもッ!!」


 いくら懸命に飛ぼうともかわしきれる数ではない。

 妥協で迫り来る泥腕を傘で迎え撃っても、別の方向から回り込んだ泥が確実にアズの体を穢していく。


 別に泥腕に捕まろうとも、そこに直接的な破壊力はない。

 しかし、泥がつけばつくほど体は重くなっていく。

 髪に、顔に、四肢に、翼に、次々と泥がへばりつき、アズは最早真っ当に空を飛ぶことすら難しくなっていく。


「――――え、嘘、こんなところで」


 そこで業魔王はようやく、本当にようやく気付く。

 この戦いは、自らが弱者を一方的に嬲る狩りではなし。

 アズが栗鳥を殺し得る存在であるように、栗鳥鈴久もまたアズ=エーゼットを殺し得る存在なのだということを。


「ちょっと待って待って待ってえええッ!! 嘘、六千年も生きてきたのに……そんないきなり、こんなのイヤよッ!!」


 アズの悲痛な叫びを無視するように、全身に隈なく纏わり付いていく泥、泥、泥――――翼をセメントのように塗り固められ、アズはそのまま瞬く間に高度を下げていく。

 それまでの人を小馬鹿にしたような表情は何処へやら、今や業魔王の顔には明確な恐怖の色が浮かんでいた。


「イヤイヤイヤイヤ、絶対にイヤァッ!! やめて、お願いだからッ!! アタシはまだまだたくさん恋をしたい。そうして、こんなアタシでも愛してくれる運命の人と巡り会いたい……なのに、もう殺されてしまうなんて、ここで全部終わりだなんて、そんなのあんまりですッ!!」


 されど、そうほざく業魔王はこれまで一体どれだけの人間を殺め、不幸にしてきたか。直接手を下した数は少なくとも、彼女の行いのせいで命を落とした人々は数知れず。

 そんな外道が死にたくないと命を請うて、聞き入れる者が果たしてどれだけいるだろうか。


 少なくとも栗鳥鈴久は業魔王を許さなかった。


 まるで火山の噴火を彷彿とさせる爆発音と共に、これまでとは比べものにならない勢いで泥が噴き上がる。


 いっそ山に例えた方がしっくりくるほどの大質量。やがてそこから四肢が生まれ、頭が生まれ、泥の山は徐々に人間の姿を形作っていく。

 身長十メートルを誇る泥の巨人。

 その流動的な両手がアズの細い腰を左右から掴み取る。そうしてまるで彼女を包み込むように、止め処なく押し寄せる泥、泥、泥泥泥――――――、


「嗚呼、もし次があるならば、もう一度生きることが許されるならば、どうか誰かアタシのことを愛し――――」


 そこで言葉は完全に途切れる。

 最早翼はうんともすんども言わず、それどころか指の一本動かすことすら叶わない。鼻が詰まり、耳が詰まり、口が詰まって、目が詰まる。視覚も聴覚も嗅覚も何もなく、全ては闇の中、底の知れない泥の中。やがて業魔王アズ=エーゼットの意識は完全に消え失せた。



 ♢



「制圧完了」


 業魔王の沈黙を確認し、栗鳥は術式を解除する。

 途端に地の果てまで延々と泥だけが続く『異界』は消え失せ、周囲の景色も彼(彼女?)がもといた築地本願寺へと回帰する。

 仕事を終えた栗鳥の足元には、人一人をちょうど包み込めそうな泥の玉が転がっている。かくしてアズはこの泥玉の中へと封じられた。栗鳥が術式を解除しない限り、彼女は最早体を動かすどころか思考することすら叶わない。


「あぁ、任務は達成した。可及的速やかに回収して欲しい」


 携帯電話を取り出し、繋がった先に淡々と二、三言告げる。

 相手が十三王である以上、手加減など出来るはずもない。殺してしまうことは勿論、殺されることも覚悟していたが、幸運なことにうまく生け捕りにすることが出来た。


「さて」


 一通り連絡を済ませ、栗鳥は簒奪王の方を振り返ろうとする。



「グアアアアアアアアアアアアッ!! オレの体が、壊れて、崩れて、消えていくゥウウウッ!! 痛いのは苦しくて辛いぞォオオオオオッ!!」



 唐突に悲惨な、それでいて馬鹿馬鹿しい悲鳴が上がる。

 数多の『顔の無い男』を従え、王として優雅にたたずむ簒奪王。その目前で魔王サルワの肉体は半ば崩壊しかけていた。


 ペースト状になった肌は瞬く間に崩れ落ち、その下の肉や骨も最早まともに形を保ってはいない。まるで夏場に屋外で放置されたアイスの如く、魔王サルワの肉体はあっという間に溶けて消えてしまった。


「業魔王さえ落とせば、その腹から生まれ落ちたダエーワは全滅する。以前捕らえた堕天使から聞き出した通りだったな」


 全殺王アンラ=マンユを除いて、全てのダエーワはアズの腹から生まれ出でたものだ。これで東京に溢れる無数のダエーワは一匹残らず消え失せたに違いない。

 あとは全殺王さえ討ち取れればこの戦いは終わる。

 人類対ダエーワの異種間絶滅戦争。いっときは最悪の結末として人類滅亡まで囁かれたが、これでようやく光明が見えてきた。


「簒奪王」


 栗鳥は傍の老紳士に呼び掛ける。

 簒奪王はひどく不機嫌な顔をしていたが、それでも構わずに栗鳥は続ける。


「よくやった。よくぞまあ単身でサルワを抑え切ってくれたものだ。お前がいなければ、きっとここで業魔王を討ち取ることは出来なかっただろう」

「……」


 簒奪王は応えない。

 老紳士はただでさえ恐ろしい顔を更に強張らせ、すぐにプイとそっぽを向いてしまう。


 ――――はあ、なるほど。これは教育のしがいがありそうだな。


 簒奪王とは『黄金の鳥籠』に対するオスマン皇族の怒りと無念が、アフメト二世を主軸に天使として昇華した存在だ。である以上、自らの国を持ちたいだの、世界を統べたいだのといった大言壮語は、つまるところ誰かに認められたいという幼稚な承認欲求に由来する。


 ならば、褒めてやればいい。

 功績に正当な評価を下し、お前にも価値があると存在を肯定してやればいい。

 折角の優秀な駒なのだから、うまく利用してやるための調教は必要不可欠。今はまだプライドが邪魔をしているようだが、そうすれば近いうちに簒奪王はこちらに靡くはずだ。

 

「後始末の引継ぎを済ませ次第、私たちもすぐに全殺王の討伐へと向かう。いい加減終わらせるべきだ。こんな無意味なことは。一秒でも早くな」


 そんな腹黒いことを考えている様子はおくびにも出さず、栗鳥は淡々と告げる。その、まさに次の瞬間であった。


 唐突に、なんの前触れもなく、まるでこの世の終わりと思うような大爆発が生じた。


「なっ――――」


 爆心地は決して近くはないはずなのに、途方もない光と爆音に全ての感覚を埋め尽くされる。続いて押し寄せるは衝撃波。事前に身構えていなければ、問答無用で足が地から離れるほどの斥力であった。


 大爆発の後、断続的な暴風と衝撃波が収まるまでに一体どれだけの時間がかかったか。微かに視界が戻り始めるなか、栗鳥は髪を払い、顔を拭い、爆心地の方へと目を凝らす。

 しかし、ここから爆心地まではかなりの距離がある。

 具体的に何が起きたかなど見て分かるはずもなく。分かるのはこの方角の先で、なにかろくでもないことが起きたということだけだ。


「全殺王か?」


 パッと思いついた可能性を口に出す。

 しかし、かつて天界に三百年籍を置いていた天使は即座にこれを否定する。


「いや、違うな。全殺王の有する権能の中にあのような現象を引き起こせるものはない。そも、悪魔の王であるアンラ=アンユが聖の象徴である火を振るえるはずがないであろう――――」


 しかし、簒奪王の言葉は最早栗鳥の耳に届いてはいない。

 既に彼(彼女?)の意識は新たな異変の方に釘付けになっていたからだ。


「なんだ、アレは……」


 冷静沈着な栗鳥も思わず息を呑む。

 恐らくは爆心地の直上であろう。

 こちら側とあちら側を分かつ高層ビル群、その屋上を超えた更に上空だ。


 そこに『何か』がいた。

 本当に『何か』としか言いようがなかった。

 確実にその姿は視界に写っているはずなのに、それがどんな形であるのか認識出来ない。

 そもそもそこに『何か』があるという認識すら酷く曖昧。にも関わらず、それがどうしようもなく神聖で危険な存在であることだけは否応にも思い知らされる。

 

 世界の深淵を覗いたような、まるで点の世界から線の世界を覗いたような、そんな底知れない悪寒が栗鳥の背中を走る。

 されど――――、


「……この程度で、悲蒼天が折れるとは思うなよ」


 ダエーワを上回る新たな人類の危機の出現。

 しかし、それでも栗鳥は力強く笑ってみせる。


 天界、超常、人類にそんなものは必要ない。

 むしろ天は人を歪める。

 本来存在するはずのない法則が、本来あるべきこの星の秩序を乱す。

 何より、人類の歩みを人類が決められないなど言語道断だ。

 悲蒼天は戦う。全ては森羅万象の支配者たる天界に対し、人間種としての独立と尊厳を取り戻すため。

 そのためならば、たとえ相手が天使だろうが神だろうが関係ない。


 栗鳥は懐から小さな神像、先程アズに投げ付けたのと同じものを取り出す。それを右手にグッと握り込み、新たに出現した人類の敵を果敢にも睨みつけてみせる。


「高い位置から見下しやがって。必ず引き摺り下ろしてやる。アレが天使に由来する存在であるならば、私たちの『聖泥の威令(アダムタラブ)』に殺せない道理はない」



 ♢



 ところは中央区西部。

 名目上は帝国陸軍の所有地となっている、とある横広の建造物でのことである。


 後藤機関。

 この国を四分する霊的勢力の一角は、大爆発の瞬間ちょうどその建物の中にいた。


 偶々部屋の隅にいた者は、本能的に窓から外を見る。

 各地に展開していた部隊から、ダエーワが突如消え失せたとの報を受け、思わず胸を撫で下ろした直後の更なる危機。まるで寝てる最中に冷水をぶっかけられたような、そんな衝撃がこの場にいる全員の間を走る。


 具体的な被害は分からない。

 しかし、窓の向こう側に広がる光景は正に地獄の顕現であった。

 護るべき帝都が無残にも焼け落ちていく様は、国の防衛を担う彼等に一体どんな感傷を抱かさせたか。


 しかし、それでも後藤機関の面々は冷徹であった。

 例え相手が天使だろうと神だろうと関係ない。この国の安全を脅かすものは、外敵として排除するだけだ。


「北村大尉」


 窓の外を眺めていた一人の軍人。

 彼は振り返り、上座の司令官らしき男の名を呼ぶ。


「あぁ、最早なりふり構ってはいられない。至急、後藤少将に連絡しろ。我等は『陽桜ひよう』をもってあの化け物を撃ち落とす」



 ♢



 人類王勢力、碧軍、悲蒼天、後藤機関。

 この国に根を張る異能者の手によって、全殺王と業魔王は遂に討ち果たされた。ダエーワは残らず死に絶え、侵略の橋頭堡であった東京も人類のもとへと解放された。互いに種の存続をかけた絶滅戦争は、彼等に軍配が上がったのだ。


 しかし、そこに新たな人類の脅威が現れた。

 その正体、目的、共に不明。

 ただ分かるのはその『何か』はとてつもなく危険で、人に仇をなす危険な存在だということだけ。


 だが、負けるわけにはいかない。

 例え相手がどれほど強大であろうとも決して屈しなさい。


 ダエーワとの戦いにすら勝利した今の人類に乗り越えられない苦難などなし。


 全ては人類のため、

 全ては世界の平和のため、

 皆で力を合わせてあの化け物を殺してしまおう。



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