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第百十七話『生存と斃死』


「これが、天使の力か」


 少年改め紅黒の天使は無感動に呟く。

 背中から翼が生えている奇妙な感覚。そして、その翼を使って空を飛ぶ初めての経験。どちらも自分が人間でなくなったことを思い知らされるようで気味が悪い。

 しかし、何より不快なのは天使体の感覚そのものであった。

 なんだか自分とそれ以外の境界線がひどく曖昧になったような気がする。  

 一体どこまでが自分の体で、どこからが自分ではないのか。それが分かり辛くて仕方がない。少しでも気を抜くと体が表面から世界に溶け出していくような、そんな突拍子もない錯覚すら覚える。


「――――まあ、どうでもいいか」

 

 他にも思うところは多々ある。

 しかし、樋田可成ひだよしなりはその全てに蓋をした。


 今、余計な思考は必要ない。

 戦うための力があれば、それでいい。


 怒れ、戦え、そして殺せ。

 口には出さずとも、心中で何度も何度も復唱する。

 魂を激しい怒りで燃やしながら、思考を冷静な殺意で凍つかせていく。


「じゃあ、殺すか」


 次の瞬間、樋田は階下に叩き落とした草壁くさかべ目掛けて急降下した。

 その糞の詰まった頭を叩き潰してやろうと、勢い良く四翼を振り上げる。


「たかが四翼程度で、調子にのるなよッ……!!」


 対する草壁は真正面から樋田の攻撃を受けにかかった。

 体の前で六枚の翼を左右交互に重ね合わせ、即興ながら強靭な翼の盾を組み上げる。

 直後、二柱の天使が激突する。

 確かに樋田の凶暴な翼撃によって盾はいくらか形を崩した。

 しかし、それ以上押し込むことができない。

 やはり相手はあらゆる天使の中で頂点に君臨する十三王。いくら天使化したとはいえ、正面からの力比べでは敵わない。草壁が拮抗状態から一気に翼を押し広げると、それだけで樋田はなすすべなく弾き飛ばされる。


「壊れろ破壊と再生(パス・ウィーブ)


 樋田がバランスを崩したその瞬間を全殺王ぜんさつおうは見逃さない。

 すかさず破壊の術式を発動し、その右腕から不可視の衝撃波を射出する。

 対する樋田は反射的に翼を振り回し身を捻る。それでなんとか直撃は免れたが、僅かに右腕が衝撃波に引っかかった。

 引っかかった。ただそれだけで腕が千切れて瞬く間に後方へと消えていく。

 されど、『燭陰ヂュインの瞳』で即座に時を戻す。昇華によって膨大な『天骸アストラ』を獲得した以上、もう勝つための手段を出し惜しむ必要はない。


「小物の癖に面倒臭い術式を使いやがる」

「お互い様だろ。面倒臭えのも、小物だってこともな」


 そのまま一気に距離を詰め、再び接近戦に持ち込む。

 悪魔の懐に飛び込みながら、休みなく翼を突き出し続ける。

 翼の数自体は確かに向こうが勝る。しかし草壁は既に大分体力を消耗しているのか、樋田の攻撃をなんとか処理するだけで手一杯な様子であった。


 しかし、この程度の優勢に意味はない。

 このまま押し切り、殺しきれなければ全てが徒労と化す。

 反則じみた再生能力を有するこの悪魔との戦いにおいて、時間は向こうの味方に付いているのだから。


 激しい六翼と四翼のぶつかり合い。

 こちらが優勢ではあるが一方的ではない。

 樋田の翼が草壁の体を穿つように、草壁の攻撃も何度か樋田の防御を擦り抜ける。

 互いに互いを傷つけ合い、しかし二人はそれぞれの手段をもって即座に欠けた肉体を再生する。

 攻撃し、再生し、欠損し、回復し、致命傷を受け、時間を巻き戻し、それを目にも止まらない打ち合いの中で何度も何度も繰り返す。


 しかし、樋田はそこで全殺王の再生速度がそれまでと比べて明らかに遅いことに気付く。それまで瞬きの間に再生していたのが、今では骨を生やし、肉を生み、皮で覆う、その工程がハッキリと見て取れるほどだ。

 恐らく、向こうは限界が近い。草壁が肉体を再生する速度を、樋田が草壁の肉を削るペースが上回りつつある。このままいけば殺し切れる。そう確信する。されど――――、


「便利な力なようだが、()()()()()もあるんだな」


 予想だにしなかっただろう樋田の天使化、そしてこの明らかな劣勢。

 にも関わらず、草壁はヒトを小馬鹿にするような口調を崩さない。


 ドキリと樋田の心臓が跳ねる。

 確かに『燭陰の瞳』は万能な再生術式ではない。あくまで肉体の時間を攻撃を受ける前まで戻すことで、間接的に肉体を再生しているだけだ。

 加えて『燭陰の瞳』にはクールタイムがある。一度術式を使えば、再発動には十秒程の時間が必要となる。つまり術式を発動した直後に受けた傷は、時間を巻き戻して無かったことにすることは出来ない。

 だからこそ樋田は基本的に積極的な攻勢を仕掛けつつも、『燭陰の瞳』を使ったあとは防御を優先していた。まさか悪魔はその緩急の差から、こちらの弱点を暴いたというのか。


 長引かせてはならない。

 そう本能が忠告する。

 だからこそ、樋田はここで確実に相手を損耗させるための奇策に出る。

 次の瞬間、樋田は翼槍の大振りを放った。槍は()()()草壁の左胸を突き刺さり、肉を穿ち潰し、そのまま一気に心臓ごと背中までぶち抜いていく。


「――――ガッ、畜生、どうなってるッ、今のは()()()()()だろッ……!!」


 そう、それは本来当たるはずのない攻撃であった。

 実際草壁はその一撃を防ぐため心臓を守るように翼を構えていた。

 しかし、樋田の背後に数多の時計の幻影が浮かんだ瞬間、翼盾は知らぬ間に防御の構えを解いていた。

 『燭陰の瞳』は過去の時間を加速し、現代の時間軸に追いつかせることで擬似的な時間遡行を可能とする。そして今回樋田は翼の盾の位置を対象に時間を巻き戻した。つまりは盾を構えた状態から構える前の状態へと、強制的に動作を遡行させたのだ。

 

 この一撃で一気に戦いの風向きが変わる。

 それまでの僅かな優勢から、樋田側が一方的な有利に立つ。


 瞬間、草壁の目の色が変わった。

 悪魔ははじめ怒りを表し、次いで悔しさを滲ませる。

 しかし最後の最後に浮かんだのは、いい加減うんざりと言いたげな辟易顔であった。



「ちっ、鬱陶しいな。あーもうヤメだヤメッ」



 その瞬間、草壁の全身からドス黒い瘴気が煙幕のように噴き出す。

 反射的に飛び退いた樋田を追い打ちするように、草壁は破壊の術式をやたらめったらに撃ち放つ。

 そうして樋田が思わず怯んだ次の瞬間、草壁は一切の躊躇なくこちらに背を向けた。そのまま脇目も振らず、真っ直ぐホールの入り口の方へ飛んで行こうとする。


「はあ……?」


 樋田は一瞬その行動の意味を理解することが出来なかった。

 されど、瞬きのうちに勘付く。嗚呼、コイツは逃げる気なのだと。あれだけ好き勝手酷いことをしておきながら、自らの不利を悟った途端に逃げ出したのだと。

 怒りの声を聞かず、憎しみと向き合わず、罪を償わず、責任から逃げようとする。

 ふざけるなよ、と気付けば声に出ていた。

 決して逃しはしない。必ず殺す。

 樋田は四翼を勢い良く羽ばたかせ、一気に絶対悪の背中を捉えようとする。されど――――――、


「俺様を追いたいなら追えばいい。だがお前がここを離れれば、ダエーワがそこの女を嬲りに行くぞ」


 樋田は思わず翼を止める。

 今も直下のフロアは数十のダエーワで溢れ返っている。

 確かに樋田がこのまま草壁を追えば、手の空いたダエーワは間違いなく上階にいるはたのを殺しに行くだろう。秦の『天骸』も多少は回復したようだが、未だ万全には程遠いに違いない。


 樋田は吠える。

 断腸の思いとはまさにこのことだ。

 必ず殺さねばならないのに、それが許されない。

 そうしているうちにも草壁の背中はどんどん遠くに去っていく。

 微かに見えた草壁の横顔には勝ち誇ったような嘲笑が貼り付けてあった。 

 樋田が追っては来れないことを確信している卑劣な笑みであった。


 だからこそ、彼は自らの傍らに赤の魔法陣が浮かび上がっていることに直前まで気付かなかった。


「――――――――――なっ」


 草壁は避けることも防ぐこともできなかった。

 何者かによって放たれた強力かつ正確無比な爆撃。ドゥグァアアアーンッッ!! という爆音と爆炎が、草壁の有する六翼のうち片側三翼をまとめて吹き飛ばす。

 草壁は焼け爛れた肩を抱えながら上階に目を凝らす。


「逃がさないわ。私に正義を語る資格なんてないけれど、それでもアンタをここで絶対に逃しちゃいけないってことだけは分かる」


 既に心は壊したにも関わらず、少女の赤瞳は再び燃え上がっていた。それはこれ以上この悪魔に無辜の人々を殺されてなるものかという高潔な決意に満ちた勇姿であった。


「秦漢華ッ――――――――――――ゴハァアアッ!!!!!!」


 その刹那、今度は悪魔の胸から双剣の切っ先が飛び出した。

 背後からの一突きであった。

 気配は感じず、音も聞こえず。

 実際に刃を突き立てられるまで、草壁は一切反応することが出来なかった。

 襲撃者はそのまま舞うように双剣を振るい、胸から両脇腹に掛けてを一気に切り裂く。


「うぜえんだよクソどもがァアアアアァアアアア!!!!!!!!!!!!!」


 草壁は振り返りながら真後ろに翼を叩きつけるが、最早そこに襲撃者の姿はなく。入れ替わりに悪魔の懐へ飛び込んで来たのは樋田可成。それまで絶対悪を圧倒していた翼撃が、更に激しさを増して襲い掛かる。


「ここで、『白兵はくへい』だと……!」


 そこからは最早一方的であった。

 辛うじて急所を庇うことすら叶わない。

 未だ双剣に裂かれた傷すら癒えていないにも関わらず、絶対悪は樋田の翼撃に次から次へと肉を削られていく。


「罹れ、病魔と健勝(ヴィ・モアール)


 そこで草壁は再び権能を発動した。

 術式をかければ乗っ取られるリスクを忘れたのか、或いはその危険を考慮した上での苦し紛れなのか。


 術式の理屈は分からない。

 されどその直後、樋田は口からドボリと血を吐いた。それでもすぐさま術式の制御権を奪い取り、そのまま呪いをかけ返す。すると草壁も樋田と同じように血を吐いた。


「カハッ」


 しかし、絶対悪は笑っていた。

 何故この局面で笑えるのか。樋田はそこに不気味なものを感じずにはいられない。

 悪魔は血だらけの口元を釣り上げ、赤く染まった歯を見せつけながら嘲笑うように言う。



「……なるほど、俺様に術式を掛け返すまで大体三秒と言ったところか」

「ッ――――――――――――ッ!!!!!!!!!」



 まずいと直感する。

 草壁蟻間は言葉だけで人を殺すことが出来る。

 それでも向こうがこれまで即死の術式を使ってこなかったのは、序盤に樋田が失落の術式を乗っ取って見せたからだ。即死の術式を奪われれば、その時点で全殺王の敗北は決まる。だからこそ向こうはどれだけ不利に追い込まれようとも切り札を切ることはなかった。


 しかし、今の吐血でその前提が一気に崩れる。

 結論から言えば、即死の術式は樋田にも通用する。『統天指標』はありとあらゆる制御権を奪い取るが、そこにはその術式を解析し理解する工程が不可欠。つまりは術式を掛けられてから奪うまでには絶対に一定以上のタイムラグが存在してしまう。

 失落の術式ならば、地に叩きつけられたあと制御権を奪い取ればそれで良い。

 だが、即死の術式にその理屈は通じない。絶対悪が死ねと一言言えば、術式を解析する暇もなくすぐさま命を奪われるのだから。


 ――――まずい。


 ゾッとする。

 背中を熱い汗が流れる。

 なのに体の芯は驚くほど冷たい。

 そこからは無我夢中であった。

 とにかく術式の発動を止めようと翼撃を放つ。しかし、草壁は焦った大振りを難なくかわしてみせる。早く体勢を立て直さねば、そうしなければ口を開かれる。言葉を紡がれる。しかし、そうして生じた隙を全殺王が見逃すはずもなく。


「無駄だ。もう間に合わない。何もかも」


 既に悪魔の指は樋田の心臓を指差している。

 まるで額に突きつけた銃の引き金を引くように、絶対悪は遂に決定的な一言を告げた。



「絶えろ生存と斃死(ナールギァ)



 言葉だけで人の命を奪う術式。

 そこに派手な光や音の演出は一切ない。

 本当にただ一言呪いを口にしただけ。

 ただそれだけで、唐突に樋田の体が崩れ落ちる。


 天使化している以上本当に死ぬわけではない。

 しかし天使として殺され、この仮初の体が崩壊すれば、あとは無力な生身を嬲られるだけだ。


「カハッ」


 草壁蟻間は勝ち誇る。

 勝利を確信し、獰猛に嘲笑う。

 


「――――――何故だ……?」



 しかし、樋田は()()()()()()

 一度倒れかけながらも、両足を広げてなんとかバランスを取り戻す。

 未だ彼の天使体は健在であった。

 死の呪いをかけられる前と比べても、そこには何の違いもない。


 草壁は譫言のようにありえないと漏らす。

 死の呪いはありとあらゆる生物の命を100%確実に葬り去る。

 例え相手がどれほど強靭な存在であっても、そこに決して例外はない。


「……俺様の力は、無敵だ。どんなヤツだろうと言葉だけで殺せるッ!! だから、負けるわけがねえ。ましてやお前みたいな量産モブ野郎なんざにッ……!!」


 全殺王の権能。

 それこそは二項対立を対象に提示し、そのうちどちらかが善でどちらかが悪であるかを判断させ、そのうち悪とされた概念を自在に操る無敵の力。

 どんな人間にとっても生が善で死が悪であるに決まっている。その逆などあるはずがない。だからこそ必ず殺せるはずなのだ。なのに、そのはずなのに、実際樋田可成は絶対悪の前に変わらない姿で立ち続けている。


 途端に草壁の顔から血の気が引く。

 まるで自分が生きていることを目の前のクソ野郎に思い知らせるように、少年の紅眼はギラギラと危うく輝いていた。


「あぁ、そうだな。間に合わねえさ、何もかも。テメェにはもう、俺に殺される以外の道はねえ」



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