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第百十二話『不和と争い』


 決着は付いた。

 突如戦いに乱入してきた陶南萩乃すなみはぎのの手によって、醜悪極まるダエーワの魔王アエーシュマは無事地球外へとバシルーラされた。

 めでたし、めでたし。


「……」


 しかし、そうして命を助けてもらったにも関わらず、松下まつしたの心境は正直複雑であった。

 実を言うと松下の陶南に対する印象はかなり悪い。

 そもそも松下は人類王じんるいおうを憎んでいるのだから、その腹心であるこの女のことが好きになれるはずがないのだ。


 されど、それでも彼女は陶南の近くまで渋々歩み寄ると、


「……その、助けてくれてありがとうございました」


 口調は事務的だが、一応礼は礼として言っておく。

 松下希子。確かにその性格はゲスでカスでクズだが、それでも貸し借りに関しては意外と義理堅い女であった。

 対する陶南はただポケーと松下を見つめ返すだけ。礼を言われたのがよほど意外だったのだろうか。


「いえ、お礼ならば私ではなく隼志はやしさんに言ってください」


「は? なんだテメェ殺すぞ……げふんげふん」


 いけない、いけないと松下は首を横にブンブンふる。

 嫌いな奴の口から好きな人の名前が出てきたので、つい反射的に毒を吐いてしまった。

 まあ、それはひとまず置いておくとして、何故紗織の名前が今この流れで出てきたのか。これまでの状況が状況であるだけに、思わず悪い想像を思い浮かべずにはいられない。


「えっ、なんで紗織が……?」


『ここからはこのワタシが説明しようッ!!』


「ギャーーーーッ!!」


 超絶唐突であった。

 陶南と松下の間に割り込むする形で、見覚えのある電子モニターがいきなり虚空に表示される。そして、その画面上に映っているのは、やはり久々に見る筆坂晴ふでさかはれの姿であった。


『キコカス、おひさ〜。うむうむ、結構ヤバいとこまで追い詰められていたようだが元気そうでなにより。キサマ、結構悪運強いのな。キサマ、クソ女の癖に中々天罰下らないのな』


「いっ、いきなり湧いて出てくんのやめてくださいよ、心臓に悪い……」


 松下は一瞬呆れたように晴を睨む。

 しかし、彼女はすぐに再び不安げな表情を浮かべると、


「そんなことより紗織に一体なんかあったんですかッ!?」


『オイオイ、餅つけ餅つけ。そう焦らずともリンヌは無事じゃから』


 リンヌは無事。

 その言葉に松下は一先ずホッと胸を撫で下ろす。


『実はさっきワタシの携帯にリンヌから着信が入ってな。それで電話をとるや否や、あの子ギャン泣きしながら「晴ちゃん、希子を助けて(声真似)」って頼んできて――――』


「は? なんで筆坂さんが紗織の番号知ってんすか?」


『えっ、真っ先に食いつくとこそこ? 逆になんでダメなの? 同性なのに? ひぃ、ガチレズ怖ぃい…………』


 カチンとくる。

 まあ筆坂の軽口は無視するとして、先程陶南がこちらに駆けつけてきた理由はこれで理解出来た。


「あぁ、それで筆坂さん経由で陶南先輩に連絡がいったっつーことですか……」


『そういうことだ。ワタシ今手空いてないし、戦力的にもそいつ行かせた方が絶対良いしな。てか、見た感じワタシが行ってたら絶対負けて死んでたわ。これぞ適材適所、あるいは神采配ともいう』


 しかし、筆坂の言葉は最早松下に届いてはいなかった。

 彼女は人知れず唇を引き結び、ギュッと拳を握る。

 紗織のおかげで今も自分はこうして生きていられる。今はここに彼女の姿はなくとも、ありがとうと口に出さずにはいられなかった。

 自分が紗織を助けたいと思ったように、紗織も同じことを思ってくれたのだと思うと、胸がフツフツと徐々に熱を帯びてくる。


 と、そんなときであった。

 空からバサバサといくつか羽音が聞こえてくる。やってきたのは、いつぞや会ったこともある五羽の隻翼達であった。

 そうして五羽がふわりと地上に降り立った後、その中のリーダー格っぽい子が陶南にトテトテ歩み寄る。


「終わりましたか?」


「はい。執行しぎょう卿の指揮のもと」

「学内に侵入したダエーワの掃討は粗方完了しました」

「しかし」

「悪い知らせです」

「既に北方から第二波が迫りつつあります」


 第二波、その悪報に松下は思わず目眩を覚える。

 流石にもうアエーシュマほど強力な個体はいないと思うが、あの数のダエーワともう一度戦えて言うのか。冗談ではない。

 しかし、そうして絶望感に浸るモジャモジャとは対照的に、陶南の方はその形の良い眉をひそめることさえしない。


「なるほど。まあ、第一波がこの程度なら問題ないでしょう。生徒や教員職員の避難は粗方完了しましたし、例え魔王が来ようとも私一人で充分倒せそうですから――――、」



 唐突であった。


 それはまるで、そんな陶南の甘い考えを否定するかのようであった。


 突如、ドッパァアーーーーーーーーーーッッンッ!! と、いきなりダムでも決壊したような凄まじい爆音と地響きが北の方角から生じた。


 松下も、陶南も、映像上の筆坂も、皆が皆驚いてそちらを見る。

 爆音の直後、海から学園に向けて大波が押し寄せた。幸い今三人がいる場所は岸から大分離れている。にも関わらず、それはここからでもはっきり見て取れるほどの大波であった。


 大波が人工島を襲う。

 質量の暴力が岸を丸ごと粉砕し、そのまま勢いを止めず学内にまで雪崩れ込み、その途上にある全てを押し潰し、そして押し流す。


 息をつく暇もない。

 大波に続き、今度は空から雨のように水飛沫が降り注ぐ。そうしてようやく、松下達は新たなる驚異の姿を正しく認識する。



「なっ…………!?」

「はぁ、とても大きいですね」

『いや、これもうそういうレベルじゃないだろ』



 呑気な陶南と筆坂はさておき、松下は絶句して言葉も出なかった。一度開いた口はそれきり塞がらず、目の前の光景を現実だと受け切れることさえ難しい。


「山……ですか……!?」


 それは山、まさに肉の山であった。

 その大きさは百五十メートルを超え、いや海に隠れている部分を含めれば、軽く二百五十メートルはあるかもしれない。


 凄まじい大きさだ。


 そして、それ以上におぞましい見た目であった。

 泥のような腐肉の山、その中から時折浮かび上がるグロテスクな臓物。こうしてただ視界に入れているだけでも、喉の奥から不快な酸味が込み上げてくる。



「『神の薬(ラファエルアーツ)』」



 見るからに危険なそれに対して、真っ先に行動したのは陶南萩乃であった。

 はじめから展開していた双翼に加え、更に二本の翼がその背より飛び出す。

 陶南はアエーシュマ相手にすら温存していた『四翼の攻(ケルビムアーツ)』を解放し、続いて左手に握る儀式刀の鯉口を僅かに切った。

 

 突如、バリバリバリバリバリッッッ!!! と、

 ただそれだけで、頭上遥かの夜空に直径十キロは下らない超巨大な光の塊が出現する。


「ん……?」

『ん……?』

「――――人による裁きを否定し、神による裁きを肯定する」


 陶南の権能『虐勢破棄ぎゃくせいはき』は、暴力と解釈出来るありとあらゆるエネルギーを没収する能力である。

 そう、消失ではなく没収なのだ。陶南が没収したエネルギーはその場で霧散するように見せかけて、実は彼女が保有する特殊な異界の中へと蓄積され続けている。


 つまり、その巨大な光の正体とは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――――数年単位の長い時間をかけて積み上げられてきたその天文学的な破壊力は、とても街一つを消し飛ばす程度では収まらないッ!



「神罰代理執行術式――――『星崩ほしくずし』」



 然して、神威が振るわれた。


 頭上の光の塊が激しく鳴動する。

 エネルギーの集合体から海の肉塊目掛けて、直径五十メートルを超える白の光線が射出される。


 その力は陶南が保有するエネルギーのほんの一部でしかない。それでも火力は充分すぎるほどであった。

 直撃と同時に大爆発。神罰は見事巨大な肉塊を撃ち抜き、その海から出ている部分をまとめて蒸発させてしまった。


「……さて、それでは空からこちらに向かってる第二波を叩きに――――」


『……さて、じゃないわッ!! さて、で済ませるなアホッ!! なんだ今の、あんな戦略級超絶火力どう考えても個人が保有していいわけないじゃろ……アホ、このアホッ!!』


「松下も同感です。てか、同じ百羽なのになんなんですかこの能力格差は。そんな、ただ耳が良いだけとかショボすぎるッ……!!」


 陶南のそのあまりにも現実離れした力に、松下はおろかロリババアである筆坂もなんだかおかしなテンションになってしまう。



「ゥウウ、ヴオォォォオオオオオオオオオオンッッッ!!!!」



 しかし、そこで突如耳を劈くような咆哮が生じた。

 それまで多少弛緩していた空気が一気に張り詰める。声がしたのは再び北の方角からであった。嫌な予感に任せて振り返る。


「再生、している……?」


 上の方を丸ごと消しとばされた肉塊、その全身からモクモクと白い湯気が立ち上っている。

 急激な変化はその直後、まるで肉で出来た火山が噴火でもしたかのようであった。蒸発させられた肉塊の断面から、凄まじい勢いで大量の肉と内臓とが溢れ出す。肉の上に肉が降り積もり、或いは積み重なり、見る見るうちに元の大きさを取り戻していく。


「……? 妙ですね」


 陶南が先程指摘したように、恐らく高位のダエーワは皆デフォルトで肉体の再生能力を有しているのだろう。しかし、そう考えたとしても回復のスピードが早すぎる。

 そんな疑問には解析のプロがすぐに答えを提示してくれた。


『オイ、陶南ッ!! 気をつけろ。そいつは大海獣マザンだッ!!』

「……ッ!」


 まさかの名に、流石の陶南も思わず目を見開く。

 いや、そもそも今回の敵はあの全殺王アンラ=マンユなのだ。ならば、マザンが出て来ても何もおかしくはない。

 しかし、そう頭では分かっていても、実際にその姿を目の当たりにすると受け入れ難いものがあった。


「私知らないんですけど、アイツってそんなヤバいんすかッ?」


『大海獣マザン。アレも業魔王ごうまおうの産んだダエーワの一匹だ。だが、その力はヴェンディナートの七大魔王をも遥かに凌ぐ。全殺王ぜんさつおう自身を除けば、ダエーワ最強の称号は間違いなくヤツのものだろう』


「そして、アエーシュマが凶暴を司るように、マザンは不和と争いを司ります。アレはただ存在するだけで世界に不和を振る巻き、そこから生じた争いを糧として成長する……そういう存在なのです」


『つまり現在この東京は、ヤツにとってこれ以上ないほどの餌場というわけだ。そりゃ、身体の半分を消し飛ばされるぐらいどうってことないだろうよ。なにしろ今は人とダエーワが互いに互いを絶滅させてやろうと殺し合ってる真っ只中なのだからな』


 そうこうしているうちに、マザンは完全に再生を終えてしまった。

 しかし、それで終わりではなかった。

 大海獣は再び海底を進撃し、上陸まであと僅かというところで更なる変化が生じる。


 肉が歪み、蠢き、躍動する。

 それはまるで昆虫の蛹が羽化するさまによく似ていた。

 それまでただの肉団子に過ぎなかったその巨体が、徐々に生物らしい姿を形成していく。


 尾が生え、四肢が生じ、頭部が形作られる。

 肉塊は瞬く間に暗い紺色の鱗に覆われ、身体のあちこちから黒い煙と炎と乳白色の霧が噴き出し始める――――、


「これが、大海獣マザンッ……!!」


 巨大怪獣の堂々たる風貌に、松下は自らの足がすくむのを感じていた。

 その全体的なイメージは西洋圏におけるドラゴンのそれに近しいが、それでも全てがまるっきり同じというわけでもない。

 横に広いズングリとした身体つきで、正面からのシルエットはほぼ正方形に等しい。背に翼はなし。四肢と尾は太く短い。大きな口には鋭い牙が無数に立ち並び、頭の横と後ろからはタケノコのような形の角がいくつか飛び出している。


 そしてまさに今この瞬間、マザンの前足が人工島の岸にかけられた。

 岸がバキバキとヒビ割れるのも御構い無し。そのまま大海獣はその巨体を押し上げ、遂にこの私立綾媛女子学園への上陸を果たす。


 同時にマザンから凄まじい咆哮が発せられた。

 空気が震え、地が揺れ、ただそれだけで奴の近くにある窓ガラスという窓ガラスが残らず粉砕される。


 それはまるで空襲警報の如く、人の心を本能から揺さぶる魔の声であった。具体的に何かされたわけでもないのに、心臓がキュッと締め付けられているような気がする。

 今すぐにでもこの場から去りたい。少しでもここから離れた場所へ行きたい。だと言うのに身体が言うことを聞いてくれない、そんな不思議な感じであった。


「本当、なんなんですか。ひっきりなしに次から次へと……ふッざけんじゃねぇぞクソッタレェッ!!」


 それでも、溢れる怒りがマザンからのプレッシャーを押し退けた。

 松下は再び天使化する。その両手に双剣を携え、今にも大海獣に飛びかからんとする。されど、


「松下さん、貴女は剣を収めてください」


 陶南萩乃がその前に立ち塞がる。

 松下の頭の中でブチリと血管の破裂する音がした。


「ハァッ、なんでですかッ!? もしかしてまーたいつもの話し合いってヤツですかッ!? バッカじゃねえの、頭お花畑バカ女が、そんなに死にてえなら勝手に一人で死んでろよバーカッ!!」


「いえ、普通に足手まといだからというだけです。貴女の天使体はまだ完全に復活しきってはいませんし、何より『天骸アストラ』ももうほとんど残っていないはずです」


「尚更ふざけんなッ!! 紗織が今いるこの場所に危機が迫ってるってのに、たかがMP尽きたぐらいで黙って見ていろとッ!?」


 一瞬紗織を連れてどこかに逃げようかとも思ったが、ダエーワで溢れるこの東京に最早逃げ場はなし。『虚空こくう』で都外まで逃げれるほどの『天骸』がもう無い以上、ここであの怪獣相手に踏ん張る以外の選択肢はないのだ。

 ならば、たとえ満身創痍だろうが死に損ないだろうが戦わなくてはならない。だというのに、このクソ女ときたらッ!!


「……? いえ、隼志さんなら大丈夫ですよ。私がここにいる以上、今はここが世界で最も安全な場所なのですから」


「ほざけッ!! どっから出てくんすかその自信ッ!!」


「それよりも、貴女は樋田可成さんのもとに向かってください」


「はぁ、なんでッ!? なんで紗織ほっぽってまで、ヒダカス先輩のツラなんざ拝みに行かなきゃいけないんですかッ!? 」


 もう我慢の限界であった。

 松下は背伸びして、陶南の胸倉を両手で掴む。

 しかし、それでも漆黒の少女は全く動じず、そのまま淡々と言葉を紡ぎ続ける。


「樋田さんは今、全殺王アンラ=マンユを倒すため、敵の本拠地である中央区方面へと向かっています」


「はぁあああああああッ!!!???」


 衝撃の事実であった。

 確かにあの人のことだから、きっとどこかで無茶をしてるとは思っていたが、まさかそこまでぶっ飛んだことに挑んでるとは思いもしなかった。


「えっ、それ先輩勝てるんですかッ!?」


『いやぁ〜、正味キツいじゃろ。普通に実力差やばいし、そもそもアイツとにかくはたののこと助けたい一心で、多分具体的な作戦とかろくに考えてないだろうからなあ』


「同意です。樋田さんの力では万に一つも全殺王に勝利することはないでしょう。大変残念ですが、恐らくは無駄死にに終わるものかと」


『は? オイ、メスガキ。今何と言った? カセイはああ見えてやるときはやる男だぞ。アイツのことをろくに知りもしないくせに、よくもまあそう知ったような口を利けるものだな』


 何故か急にキレ始めた筆坂は、画面越しに陶南をギッと睨む。しかし、彼女が言いたいのはどうやらそういうことではなかったようで、


「私ならばそう思うというだけの話です。しかし、貴女達にとっては違うのでしょう。実際にあの人に救ってもらった貴女達ならば……」


 言葉を意味深に濁し、陶南は松下を見下ろす。

 底の知れない黒い瞳は、松下の何もかもを見透かしているようであった。


「松下さん、あの全殺王と実際に相対し生き残ったのは貴女だけなのです。樋田さんがアンラ=マンユと戦うなかで、その経験は必ず役に立つでしょう。ヴィレキア卿や菱刈さんの死を無駄にしないためにも、貴女には樋田さんと共に悪魔の王を倒してもらいたいのです」


「ッ……!!」


 ヴィレキア卿と菱刈。いや、あの戦場で松下と共に戦い、そして命を落とした全ての人の顔が脳裏をよぎる。

 彼等の奮闘がなければ、きっと今ここに松下希子はいない。そして何よりヴィレキア卿がその死の間際、全殺王に関する情報を叫んだのは、明らかに異常聴覚を持つ松下に向けてのものであった。

 あれだけ身も心も強い人が、松下を信じて全てを託してくれたのだ。後は頼むと、人類はまだ敗北したわけではないのだと。

 

「ヴィレキア卿ッ……!!」


 その思いを無駄にしたくはない。いや、無駄になど出来るはずがない。そうだ、全殺王を殺せなければどうせ人類はお終いなのだ。そこに紗織と一緒に幸せに暮らせるような美しい未来はない。そんなクソみたいな世界、絶対に許容してやるものか。

 いつしか、松下の心は決まっていた。


「陶南先輩」


「はい、なんでしょう」


「例えこれから先何が起こっても、絶対に紗織のことを守り抜いて下さい。約束ですよ」


 松下は掴んでいた陶南の胸倉を離す。

 そしてその目尻を僅かに潤ませながらも、真正面から陶南の黒い目を見据えて言う。


「貴女を信じて、私の一番大切な人を貴女に託しますッ」


 そう宣言してすぐ、松下希子は北の空に向けて飛び立っていった。



 ♢



「さて」


 陶南は気分を切り替えるように、一度刀の鯉口を切り、そして再び強く刃を納め直す。

 最早ここにいるのは陶南と画面上の筆坂だけである。北の岸ではマザンが学園内に侵入しようと蠢いている最中であった。画面上の天使はそちらをチラリと伺い、やがて呆れたような声を漏らす。


『まぁ正直第一印象通りではあるが、キサマも中々損な性格をしているのだな。ほら北のクソを見てみろ、結局アレの相手はキサマ達だけでせねばならなくなった』


「いえ、これが最善だと思ったまでのことです。どちらにせよ全殺王の撃破は必須なのですから」


「陶南学僚長」


 そのときであった。

 先程から近くに控えていた五柱の隻翼、そのリーダーらしき少女が陶南に声をかける。彼女が得物のハルバードを握る手には明らかに力がこもっていた。リーダーの後ろにいる四人、それぞれジャベリンの少女、ロングソードの双子、杖を持ったチビ助も皆揃って勇み立っている御様子。

 彼女等の言いたいことは言わずとも大体分かる。


「我々もお伴します」


「必要ありません。むしろ早くこの場所から居なくなって下さい」


 陶南の言い方はあまりにもあんまりすぎた。

 隻翼達に自我はないはずなのに、心なしか表情がシュンとした気がする。


『オイ、陶南。キサマもう少し言い方ってものがあるだろ』


「いえ、事実ですので。それよりも皆さん早く――――」


 異変が起きたのは正にその瞬間であった。

 陶南の前に立つ五柱の隻翼。そのうちロングソードを持つ双子の片割れが、隣に立つ自らの姉妹に斬りかかったのだ。


「ッ――――――!!!!!!!!!!!!!!」


 突然のことに残りの四人は全く反応することが出来なかった。

 一方の陶南は初めからこうなることが分かっていたかのようであった。彼女は事前に作っておいた掌サイズの氷を、錯乱者の手元に素早く投げ入れる。見事氷は命中し、隻翼は今まさに振り下ろしつつあった剣を取り落す。


「拘束して下さい、早くッ!!」


 陶南の喝を受け、それでようやく四人は我に返った。

 少女は四方から錯乱者に飛びかかる。多少の抵抗は受けたものの、幸いすぐに無力化出来たようであった。


「……なんで、なんで同じ双子なのにアンタばっかりッ!!!!」


 錯乱者は無力化されたあとも狂ったように叫び続けており、辛うじて聞き取れたのはその言葉だけであった。

 筆坂は陶南を見る。すると彼女にしては珍しく、陶南はその顔に不快感を露わにしていた。


『オイ陶南、どういうことか説明しろ』


「……先程言いました通り、マザンはただ存在するだけで世界に不和を振る巻く悪魔なのです。つまり、マザンの近くに二人以上の人間が近付けば、必ずその中で争いが生じてしまうのです」


「ハッ、なるほど。だからそいつらに早く消えろと言ったのか……」


 筆坂は納得する。しかし、同時にとても恐ろしいことに気付いてしまった。


「いや、待て。二人以上でマザンの前に立てば同士討ちを演じさせられる……なら、ヤツを倒すには――――」


「流石、察しがいいですね。その通り、大海獣マザンは確かにそれ自体が強力な悪魔ですが、何より恐ろしいのは()()()()()()()()()()()()()ことなんです」


 目眩がする思いであった。

 大海獣マザンの体長は二百五十メートルを超える。ならば当然マザンを倒すには大人数で協力することが不可欠となる。それでも今綾媛学園にいる総力を結集したぐらいでは、あの怪獣を倒すことはかなり難しいだろう。にも関わらず、そもそもこちらには協力することすら許されないのだ。

 そんな理不尽があっていいのか?

 そもそも本当にコイツを一人で倒せる者などいるのか?

 聡明な筆坂でも完全にお手上げであった。クソゲーにもほどがある。ただでさえ少ない勝ち筋を極限まで絞られて、いやそもそも現状の戦力ではマザンに対する勝ち筋など存在しないのかもしれない――――、



「ですので、私が一人で戦います」



 まるでそんな筆坂の諦念を否定するかのような言葉であった。

 画面の向こうで筆坂は頭を抱える。それから彼女は一度深呼吸をし、最後にはフッと笑った。


『先程キサマに損な性格と言ったが前言撤回させてくれ。陶南、キサマはただのバカだ』


「お好みですか?」


『あぁ、もちろん。バカは嫌いだが、オマエのような笑えるバカは大好きだ』


「そうですか。なら、良かったです」


 普段から無感情な陶南であるが、今はいつにも増して素っ気ない。

 何故なら、彼女は今怒っているからだ。

 滅多に慌てず、決して怒らず、自分を殺そうとする者とすら対話を望む病的なまでの博愛主義者。そんな陶南萩乃が今この瞬間だけは激怒している。それほどまでに、この大海獣マザンは彼女の地雷を見事なまでに踏み抜いているのだ。


「貴方の力は存在しない不和を新たに生じさせるものではない。それなら私も……まだ許容出来ました。ですが貴方の力は、人が誰しも持っている、他者への不満を増幅し、高い椅子の上から無責任に扇動し、そうして無理矢理人を争いへと向かわせる、そういう力……」


 感情が昂ぶるあまり、自らの日本語が崩れかけていることにすら陶南は気付いていない。そうして、今までどんなときも無表情を貫いてきた彼女が、はじめて明確な敵意をもって敵を睨み付ける。


「本当、クソッタレですね」


 身震いするほどに冷たい声であった。


「みんな、みんな、何かを我慢して、そうして生きています……争いを起こさないために、お互い解り合って、そのために。だというのに、貴方はまるで冒涜しています、人間をです。それは決して許されません。ですので――――」


 そこで陶南は一気に腰の刀を鞘から抜き、



「ブッ殺します」



 視線の先の怪獣に切っ先を突き付けた。

 負けじとマザンも地が震えるほどの雄叫びを上げる。


 争いを何よりも好み愛する醜い怪物と、争いを何よりも嫌い憎む優しい少女。

 互いに互いの存在を認められないもの同士の、熾烈な殺し合いが始まろうとしていた。



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