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第百七話『私のヒーロー』


 ところは変わらず私立綾媛女子学園しりつりょうえんじょしがくえん

 しかし、それは陶南すなみとダエーワとが衝突を繰り広げる学園上空ではなく、地上とある校舎の一角でのことであった。


 ガラガラガラッキュルキュルキュルッ!! と、車椅子が乱暴に廊下を走る音が耳を突く。


 しかし、何もやかましいのは車椅子だけではない。

 車椅子を押して走る妙齢の女性。

 そして、その後ろに続く十人ほどの少女達。 

 彼女等が響かせる無数の靴音は、それこそ夏場の土砂降りを彷彿とさせる慌ただしさであった。


「あわ、あわっ、あわわわわわわわわわッ!!」


 そして、そんな暴走車椅子に乗せられた茶髪の少女、隼志紗織はやしさおりは半ば腰を抜かしかけていた。

 速い速い、とにかく速い。

 眼に映る景色は次から次へと後ろへ流れていくし、なにより車椅子が振動でガタガタと揺れまっている。

 今ここで椅子の上から転げ落ちたらどうなってしまうのだろう――と、そう不安を覚えずにはいられない程度には暴走していた。


 本来車椅子とはここまで速く走らせていいもものではない。それだけで今彼女らの置かれた状況が、どれだけ切迫しているかを察して余りある。


「大丈夫? みんなまだ走れるッ!?」


 隼志紗織の頭上で、担任の里浦響子さとうらきょうこが声を張り上げた。無論、今車椅子を押しながら走ってくれているのも先生である。


 今の里浦先生は、普段と比べ、まるで別人のようであった。

 本来のお調子者な一面は完全に鳴りを潜め、ただ必死に職務を果たそうとする一人の教師の姿がそこにはある。


 先生は必死であった。

 彼女に続く女生徒達も懸命であった。

 今この廊下を駆けている全員が全員、生きるために死ぬもの狂いであった。


 ――――本当に、この学園にも来るのかな……?


 今彼女等を駆り立てているのは、何も焦燥感などという生易しいものではない。

 二十分ほど前、隼志もまたSNSを通じて、この東京が人喰いの化け物に襲われていることを知った。

 そしてそれとほぼ同時、学園の全関係者に向けて、校内に設けられた幾つかの核シェルターに避難するよう放送で指示が出されたのだ。


 もしそれが数ヶ月前までの彼女ならば、くだらないデマだと笑い飛ばすことが出来ただろう。或いは精々大袈裟な避難訓練程度にしか捉えなかったかもしれない。


 ――――信じたくはなかったけど、事実は受け入れるしかないよね……。


 しかし、隼志紗織は知っている。

 天使だとか、術式だとか、天骸アストラだとか。 

 難しいことはよく分からないけれど、この世界にもその手のファンタジーが確かに存在するのだということを、彼女は先日の一件の中で嫌というほど思い知らされたのだから。


「……先生、迎えに来てくださって本当にありがとうございます」

「はい、そりゃあ生徒の安全を守るのが私達先生の仕事ですからねッ!! とにかく今は安全な場所に避難しちゃいましょうッ!!」


 人食いの化け物は恐らく、いや、確実に実在するのだろう。

 そして、仮にその脅威がこの学園にまで及んだとき、足の悪い自分が真っ先に犠牲になることは火を見るよりも明らかなことであった。


 ――――先生がいなかったら、今頃私どうなっていたんだろう……。


 だからこそ、里浦先生が寮室まで自分を迎えに来てくれたときは、思わず泣きそうになってしまった。


 そのときの気持ちは、恐らく後ろに続く他の少女達も同じであっただろう。


 ある者は隼志同様寮にいたところを連れ出され、またある者は道中で迷子になっているところを先生に回収して貰ったらしい。

 突然のことで半ばパニックに陥っていた彼女達にとって、判断を預けられる大人の存在は何よりも大きいものだったはずだ。

 或いは自分達を助けようと動いてくれている人間がいることに、彼女達は何よりも安堵したはずだ。


 そのおかげか里浦先生による先導は今のところスムーズに進んでいる。周囲の景色を見やるに、核シェルターまでの道のりも残り半分くらいといったところであろうか。


「……っ、あれはッ!?」


 直後、隼志は目を見開き、声を震わせる。

 何故ならば、自分達の進んでいる方向から、幾つかの人影が物凄いスピードで迫り来るのを認めたからであった。


『急ぎましょう』

『当然、陶南学僚長(がくりょうちょう)をいつまでも弱兵に充てがうのは戦略的によろしくありません』

『迅速』

『第一シェルター、第三シェルターには既に天使の配備が完了したとのこと』

『指揮系統に乱れあり。本日はジュークレイ卿・松下まつした卿が不在、はたの卿は言わずもがな。学寮長が前線に出てしまった以上、全体の指揮は執行しぎょう卿に一任するのが適当であろう』


 一瞬、例の化け物が遂に現れたのかと絶望しかけたが、人影の正体は隼志と同じ綾媛学園の女生徒達であった。 


 しかし、アレが自分達と同じ人間なのだとはとても思えなかった。


 すれ違いはほんの一瞬、それでも隼志は少女達の頭上に浮かぶ光の輪や、背中から突き出た白い翼を見逃しはしなかった。

 以前、希子は自分にほんの少しだけ、この世界における実在の超常について教えてくれた。

 そして、今すれ違った五人の姿と、そのとき聞かされた『天使』なる存在の特徴は完全に一致している。


「どうしました隼志さんッ……!?」

「いっ、いえ、すみません。なんでもないです」


 幸い、五人の天使たちは何事もなく集団の横を通り過ぎていった。

 結局彼女達の接近に反応したのは隼志だけであった。

 確か希子曰く、ああいう超常的なものを見える人間は極一部で、見えない者が圧倒的大多数であるらしい。

 きっとこの場にいる者のほとんどが後者で、自分だけが偶々前者であったのだろう。


 ――――武器持ってたし、やっぱりあの人達戦いに行くのかな……?


 変わらずの他力本願に自分で自分が嫌にはなるが、思わずそんな希望的観測を思い浮かべてしまう。

 恐らく天使は例の人喰いの化け物とやらにも対抗し得る存在なのだろう。

 彼女達が学園に来た化け物を撃退してくれるならば、この騒動もいつしか収まってくれるかもしれない。


「……ッ、みんなちょっと静かにしてッ!!」


 そんなことを考えていると、再び先生が叫んだ。

 皆は足を止める。

 すると「誰か」と助けを求める少女の声が微かに聞こえてきた。

 声がするのは今隼志達が走っている廊下の、壁を挟んだ向こう側からであった。

 恐らくはいきなり避難を指示されたものの、場所が分からずに迷子になってしまった子達なのだろう。今はまだ六月の終わり。この広すぎる学園に慣れていない新入生も未だ多いに違いない。


「ねぇ、そっちに誰かいるの? 聞こえるなら返事をしてッ!!」


 里浦先生は声の方に近寄り、壁をガンガンと叩きながら呼び掛ける。すると今度は微かではなく、彼女達の不安げな声がはっきりと聞こえてきた。


『だっ、誰か大人の人ですかッ!? お願いします。助けてください。わたしたち、どこに避難すればいいのか分からなくなっちゃって……』


 今にも泣き出しそうな声で合った。

 対し、里浦響子は彼女達を少しでも落ち着かせたいのか、努めて優しく、それでいて力強い声色で言葉を返す。


「そうでしたか、皆さんこれまでよく頑張りました。ですが、もう安心です。先生がすぐそちらに向かいますから。だから、下手に動かずそこで待っていてくださいッ!!」


 里浦の行動は早かった。

 隼志以下同行者にすぐ戻るから待っているようにと促すと、彼女はすぐさま壁の向こうの少女達の回収に向かおうとする。



 ――――正に、その直後であった。



 バキャアアアアアアアアアアアアアアアッ!! と、何か硬いものを力任せに砕くような、いっそ爆音と言っていいほどの破壊音が、突如壁の向こうで生じたのだ。


「なっ、なにいきなりッ!?」

「――――ッ!!」


 同行の生徒達は思わず腰を抜かす。

 隼志紗織もまた恐怖に顔を青くする。

 一体何が起きたのかとその場にいる全員が戦慄するなか、しかし、その答えはすぐに示された。


『ヤッ、ヤダッ。なんなのあれッ――――』


 少女の悲鳴は聞こえたと思った刹那に途切れた。

 代わりに響くは、まるで果実をゆっくりと絞るような水っぽい音であった。その後も散発的に少女の悲鳴が上がるが、どれもすぐに掻き消されてしまう。

 人の声は皆水の音へと代わり、そうしてやがて、壁の向こうからは何も聞こえなくなった。


「どっ、どうしたんですッ!? そちらで何が起きているんですかッ!?」


 同行者のほとんどが突然のことに呆然とするなか、ただ一人里浦先生だけが再び壁に歩み寄った。

 先生は瞳を揺らし、声を張り上げながら、何度も何度も壁を叩く。

 その向こうで一体何があったかは、彼女も粗方予想がついているだろうに。



「お願いですッ!! お願いですから、返事をッ!! 誰か返事をしてくだ――――」



 そうして、先生の声もまた水の音と化した。

 鼓膜が破れると思うほどの破壊音、そして凄まじい衝撃と共に目先の壁が爆散したのだ。


「……先、生?」

 

 粉塵が収まり次第、改めて壁に目を向ける。すると、そこには縦にも横にも大人二人分はありそうな大穴が穿たれていた。

 しかし、隼志の目を奪ったのは大穴それ自体ではなく、むしろ穴の周りを埋め尽くすように散らばった真っ赤な瓦礫の方であった。


「……うっ、嘘」


 隼志紗織は戦慄する。

 確かに元々この壁は赤煉瓦だ。だがそれでも煉瓦の赤はそこまで彩度が高くはない。

 しかし、それでも瓦礫は不自然までに鮮やかな赤、煉瓦本来の色ではない別の赤によって染められていた。


 赤、鮮やかな赤。血。飛び散る、肉片。

 寸前まで普通に言葉をかわしていた人間が、呆気なく物言わぬ肉塊と化す恐ろしさ、おぞましさ、そして、惨たらしさ。


「あぁ、ああああああああああ」


 記憶が、いや、かつての悪夢が少女の脳裏をフラッシュバックする。


 あぁ、知っている。そうだ、隼志紗織はこの悲劇を既に一度見たことがある。

 その構図は五年前、紗織の母が瓦礫に潰された死んだ際の光景と、皮肉なまでにそっくりであった――――、


「――――ッ!!!!」


 込み上げる酸味に思わず口元を押さえる。

 その瞳には薄っすらと涙が浮かんでいた。 

 気を強く持とうと、そう意識せねば今にも心が壊れてしまいそうですらあった。


 まるで時が止まったかのようであった。

 何か自分達にとてつもない危険が迫りつつあることは分かっている。

 それでも判断を委ねられる大人を突如失い、子供達は堪え難いショックと恐怖で影を縫われてしまったのだ。



「あァあ、なによ今のうっさい女の声。ムカつくから思わず殺しちゃったわあん」



 そんなとき、大穴から何か不快な声が聞こえてきた。

 しかし、果たしてそれを声と言っていいのだろうか。確かに意味は聞き取れる。それでもその声はまだ排泄音の方が優雅だと思えるほどに、醜く濁った最悪の声であったのだ。


 子供たちのなかに冷んやりとした恐怖が走るなか、そんな彼女達を嘲笑うが如く、遂に大穴の向こう側から破壊の元凶が姿を現す。


「あらァ☆ さっきので全部殺したと思ったけどぉ、まだまだたくさんいるじゃなあいッ!!」


 化け物であった。

 こんな怪物が果たしてこの世界に存在していいのかと、そう思うほどに醜い化け物であった。

 豆粒のように小さな瞳、その一方ひどく巨大な鼻と口。辛うじて人に近い顔の両脇にはそれぞれ馬と羊の顔が付いている。

 直立した巨体はおよそ四メートルといったところだろう。だらしのない中年のような体の上に乗った顔は異常なまでに大きく、見た感じ五頭身ほどしかない。


「アッハッハ、良いわねえその怯えきった表情。やっぱ霊体化しないで正解だったわぁ。だってこの姿を実際に見せてあげた方が、貴方達人間ってずっとずーっと良い顔をするんだもの♡」


 男性的な野太い声色で紡がれる女性口調がなんとも薄気味悪い。

 怪物はそれはそれは随分と愉快そうに、その大きな口を歪めて嗤う。


「だーけーどぉ……」


 しかしその直後、余裕げであった化け物の表情がガラリと切り替わった。

 侮辱と嘲笑とを孕んだ醜い笑顔、から。

 激情と殺意とを含んだ鬼の形相、へと。



「ァアアアアンもぉなんなんのよォオオオぉオこんの学園はァアッ!!?? どこ行っても女、女、女女女女女女女女女女ッ!! しかもどいつもこいつも可愛い女の子ばっかりじゃなあい、ンフヌウッ、ンハァ狂う、狂ってしまう、嫉妬で気が狂ってしまうぅうううううううッ!!」



 突然の怪物の発狂に、少女たちは一人の例外なく恐怖に飲まれた。

 化け物は目を血走らせ、肌を怒りに紅潮させ、体から湯気を沸かして激怒する。巨大な顔に不釣り合いな小さな瞳が、憎悪をもってギョロリと少女たちを見据えていた。


「特になんなのよおその短いスカートは、なんなのよおその艶やかな髪は、なんなのよその瑞々しい肌はァアッ!? アタシは知っている。アンタ達雌豚がそうやって自分を愛らしく見せようと努力する理由を知っているッ!! 全部全部ぜぇえええんぶ、アタシのアンラ=マンユ様に媚を売りたいからなんでしょォオオオオオッ!? あんのクソタレゴミクソカスビッチのアズみたいにィイイ、乳とケツを振ってあの人を惑わすつもりなんでしょおおおんッ!? 畜生ふざけやがって、なめやがって、殺してやるブッ殺してやる。こンんのビッチ、ビッチ、ビチビチビーーーーッチ、クソッタレのォヴィッツィどもがああああフハアアンアンアンアンアンッ!!!!」


 怪物は怒り狂う。

 赤い涙を流して狂乱する。

 その鋭い爪を目の下に突き立し、血が出るのも構わずに顔面をこねくり回す。


「あっ、あぁッ……!!」


 それまで少女たちは硬直していた。

 この場から逃げ出そうとすることによって、化け物に意識を向けられることを無意識に避けようとしていたのかもしれない。


「はああああぁぁん……ヴェンディナート七大魔王が一角、狂暴のアエーシュマ。アタシより可愛い女みんな殺す。そうすればあの人もアタシを愛してくれるからァ」


 されど、殺す。

 その言葉でようやく皆は正気を取り戻した。正しくは動いて目立つことに対する恐怖を、この場に踏み止まる恐怖が上回ったのだ。


 その後は、正に阿鼻叫喚であった。

 ある者は悲鳴をあげながら、またある者は恐怖に泣き叫びながら。少女達は少しでも怪物から距離を取ろうと、蜘蛛の子を散らしたように逃げ始める。

 皆が皆自分の命だけを考えていた、いや、考えずにはいられなかったのだ。だから、自力で逃げられない少女が、地獄に一人取り残されるのは至極当然の帰結であった。


「待って――――――」


 誰か、待って。

 私も連れていって、置いていかないで。

 などと、言えるはずがなかった。


 隼志の声に気付く者はいなかった。

 仮にいたとしても完全に黙殺された。

 いや、それどころか――――、


「うッ……!!」


 突然車椅子を横から衝撃が襲った。

 あの化け物に攻撃されたのではない。仮にそうだったらば、今の一瞬で自分は殺されていただろう。

 それはあくまで人の乗った車椅子をなんとかひっくり返す程度の一撃。例え華奢な少女であろうとも、本気で体当たりでもすれば充分に可能な芸当。当然、隼志は車椅子の上から投げ出され、哀れに地の上を転がることとなった。


「あぅっ……、うッ……!!」


 絶望感と惨めさに押し潰されそうになりつつも、隼志はなんとか顔を上げる。

 するとそこには少女の姿――実際に隼志の車椅子をひっくり返した本人の姿があった。


「ハァ……ハァ……」

「なん、で……?」


 その少女は隼志のクラスメイトであった。

 記憶の限り、彼女が普段から悪辣であった覚えはない。普通に学び、普通に友と交わり、普通に毎日を楽しむ、そんなことより普通の少女であったはずだ。

 それでも今自分を見下ろすその瞳は、普段の彼女と同じ人間とは思えないほどに邪悪で、そして酷く臆病な色をしていた。


「ギッ……そんな目で見んなよ障害者ァッ!! 普段みんなに迷惑かけてんだからさぁ、こういうときぐらい役に立ってよッ!!」

「やだ、行か――――ッ……!!」


 それだけ吐き捨てると、その少女もすぐに行ってしまった。


「――――ないで……」


 これで本当に、この場に残されたのは隼志紗織ただ一人。

 どこにでもいる普通の女の子で、そのうえ両足の動かない彼女が、どうしてあの化け物に抗うことが出来るのだろう。

 助けてくれる者は一人もおらず、ただ弱者らしく逃げ出すことすら彼女には難しいというのに。


「ブッ、アッハッハッ、ハァァアアンッ、ブホホホホホォフフフウウフフフフフンッ!!」 


 対してヴェンディナート七大魔王が一角、アエーシュマは腹を抱えて笑い狂う。

 当然、弱者が圧倒的な絶望を前に黯然する様は、悪を宿命付けられたダエーワにとって至極の娯楽であるからだ。


「なになになに今の子酷くなあい? あれはもう絶対地獄行き決定ねぇ、どぉせ、みんなアタシにぶっ殺されることに変わりはないんだから、態々死ぬ前に罪業稼がなくてもてもいいのにィ」

「うぅッ………………!!」


 死が確定した瞬間であった。


 それでも涙が出る理由は絶望と恐怖だけではない。

 ただ、必要な犠牲として真っ先に切り捨てられたことが悲しかった。まるでお前は要らない人間なのだと言われているようで辛かった。

 それでも、納得はしてしまう。実際隼志には何もない。いや、何もないならまだいい。それどころか、自分はただいるだけで常に誰かの負担になっているのだから。


 ――――そう、だよね。みんな、いらないよね。私なんて。


 クラスのみんな。

 学校の先生方、スタッフの人達。

 そして何より、幼い頃からずっとこんな自分に寄り添い続けてきてくれた唯一無二の幼馴染。


 たくさんの人に迷惑をかけて、そうやって他人に助けてもらいながら生きている癖に、自分はただ口でありがとうと言うだけ。

 足が悪いのだから仕方ないと言えば、それらしい言い訳にはなるけれど、結局自分に施されているだけの恩を返せていないことに変わりはない。

 だからこそ、こういういざというときに見捨てられてしまうのだろう。全くもって自業自得。自分に先程車椅子を倒した少女を責める資格はない。


「あははっ、ははッ……」

「アラアラなに笑ってんのかしらァこの子。信じてたお友達に見捨てられて頭おかしくなっちゃったのかなぁ? 確かに今の貴女とっても可哀想。でもブッ殺すことに変わりはないわよ。特に貴女、今いた女の中でもとびきりの可愛い子ちゃんだからぁ、もう絶対絶対殺したくて殺したくてたまらないのよん♡」


 ならば、ここで死ぬのも悪くないかもしれない。

 自分が殺されて、そうして食べられている間にみんなが少しでも遠くに逃げてくれたならば、こんな自分でもはじめて人の役に立つことが出来るのだから――――、



「や……だ、嫌だッ、私、まだ死にたくないッ……!!」

「はあん? さっきから何なの、このクソガキメスビッチは?」



 などと、割り切れるはずがなかった。

 痛い思いなんてしたくない。まだ大人になってすらいないのに、こんなところで死ぬなんて真っ平ゴメンであった。


「私は、希子と一緒にいたい……あの子と二人で笑って、泣いて、楽しいことも、悲しいことも一緒に経験して、そうやって大人になって、いや、それからもずっと一緒にいたいのッ……!!」


 そうだ。今死ねばもう二度と希子と会えなくなってしまう。


 隼志と一緒にいるときの楽しげな希子。

 アンニュイでダウナーで、いっつも適当なことばっかり言っている希子。

 そのくせ自分の大切なもののためならば、いっそ暴走と言ってもいいほど一生懸命になってくれる希子。

 どんな希子も全部全部好きなのに、全部全部会えなくなってしまうなんて絶対に絶対に嫌だ。


 これから先も希子と一緒にしたいことが山程ある。

 学生の間はこれでもかってぐらいたくさん思い出を作って、もう少し大きくなったらそれぞれの夢を応援し合って、大人になってからは互いに愚痴を言い合ったりして、それでいつか時間とお金に余裕が出来たら、一緒に世界一周旅行なんかにも行ったりしちゃって。

 そうして彼女と積み上げていくはずだった時間が、夢見ていた未来がなくなるだなんて絶対に認められない。


「……私って、本当ワガママだよね。いっつも私ばっかり欲しがってて、いっつもいっつも助けてもらう側で、本当、一体どこのお姫様気取りなのかなって感じだよね」


 松下希子の人生において、隼志紗織が大きな負担になっていることは分かっている。これまで希子には迷惑ばかりかけてきた癖に、これ以上縋ることが許されないことも分かっている。


「そう言って死ねる覚悟があれば、ちょっとは格好もついたんだけど……ゴメンね。やっぱり私、希子と一緒にいられるこの世界が大好きだから」


 だが、それでもやはり隼志紗織はどうしても松下希子の隣に居続けたいのだ。



「だから、お願い。助けて、私のヒーローッ……!!」



 少女は叫ぶ。隼志紗織は叫ぶ。

 今にも泣き出しそうな、それこそほとんど悲鳴といってもいいような声で。


 物理的にも、精神的にも、それはとかく響く声であった。性根の腐り切ったアエーシュマでも、思わずこれならば本当に助けが来るかもと一瞬思ってしまうほどであった。


 されど――――、


「アハァッ♡」

「……ッ!!」


 現実は残酷であった。

 助けの声は何度か廊下を反響した後、結局応えを得ないまま虚しく掻き消えていった。


 絶対的な力を持つ怪物と向かい合う、なんの力もないひ弱な少女。その絶望的な構図に変わりはない。


「……だ、よね。あはは、うっ、うぅッ……!!」


 そうして、隼志紗織は壊れた。

 辛うじて残っていた最後の望みさえ断ち切られ、耐え難い恐怖と絶望とに心が押し潰されてしまったのだ。

 少女は地に顔を伏せ、両手で自分の髪を引っ張り、ただただ言葉にもならない呻き声を漏らす。


「ブヒャヒャヒャヒャヒャッ!! アンタァ、本当バッカねぇ。そんないきなり助けてえぇって叫んだって、都合良くヒーローが駆け付けて来るわけないでしよぉッ!! あーあ、アタシやっぱアンタみたいな女が一番ムカつくわあん。いるわよねぇ、ほんのちょっーーーと可愛いってだけで、周りからチヤホヤされて、何でもかんでも助けてもらって、それでそれを当たり前だと思っているクソビッチ」


 そんな惨め極まる弱者の姿に、悪の化身たるアエーシュマは快哉を叫んだ。大口を開け、酸のような唾を撒き散らしながら、悪魔は笑いに笑い狂う。

 

「でもでも、そんな人生イージーモードもこれにてええええ、ジ・エンドおおおおおおおおおおうッ!!! 貴女の声なんて誰にも届いていない。仮に届いていたところで意味はない。だって、アタシは今から貴女を殺すんだものん。仮にアンタみたいなクソビッチを守りたいだなんていうキチガイがいたとしても、もう絶対に間に合うことはないのッ!!」


 遂にアエーシュマは動き出した。

 その醜い巨体を揺らしながら、倒れ伏したまま動けない隼志にゆっくりと接近していく。


 そうして、悪魔の両腕が紗織の頭上に掲げられた。学園の壁をも容易に粉砕する剛腕。そんなものを叩きつけられて、ただの女の子である隼志が死なないはずがない。



「それじゃあバイバ〜〜〜イッ!! クソビッチの雌豚らしく来世は家畜にでも転生することねんッ!!」



 あまりの恐怖に紗織はギュッと目を瞑る。

 直後、床を力任せに叩き割る轟音が響き渡った。


 凄まじい音であった。

 今ので確実に死んだと断言出来る。

 しかし、不思議と痛みはなかった。


 もしや痛みもなく即死したのだろうか。

 そう不審に思って隼志はまぶたを開く。彼女はこのときまだ気付いてなかった。自分が本当に死んだのならば、開くまぶたなど最早存在するはずはないのだということに。


「えっ……?」


 そこはあの世ではなかった。

 地獄どころか、先程目を閉じる前と変わらない光景がそこには広がっていた。


 いや、正確には少し違う。

 確かに場所はあの廊下であるし、視線の少し先にはアエーシュマなる化け物もいる。


 つまり、ただ位置関係だけが異なっていた。

 隼志は先程まで悪魔と真正面から相対していたはずなのに、何故か今は少し離れたところからその背中を見ている。

 そんなこと有り得ないと思いつつも、それはまるで自分が攻撃の直前にテレポートでもしたかのようであった。


「なぁにバカなこと言ってんだか。紗織が助けてって言ったからには、どんな小さな声だって届きますし、どれだけ距離があったって間に合うんですよ」


 頭上で聞き覚えのある――いや、むしろその声を聞くだけで安心する、隼志の最も好きな女の子の声が聞こえた。

 今頃になって気付いたが、どうやら誰かが自分をお姫様抱っこで抱えてくれているようだ。いや、今更誰かなどと言うものか。


 幼い頃からいつも自分を助けてくれた幼馴染の少女、隼志紗織にとってのヒーローとは彼女だけなのだから――――、


「希子ッ……!!」


「いやでも本当良かった間に合ってよかったあああああッ!! もしあとちょっとでも来るのが遅かったら今頃、紗織は……うっうっ、あああ、さっ、紗織。怖い思いさせちまって本当すみません。私誓ったのに、絶対守るって、なのに、うぐっ、こんなダメダメな松下を、どうか許してくださいッ……!!」


「ちょっとなんで希子が泣いてんのッ!! それと謝るのやめてってば。希子に助けてもらったの私なんだよ?」


 白馬の王子様風キメ顔から一転、急にビービー泣き出した松下を、隼志は柔らかな声色でなだめようとする。

 果たしてそんな今の希子は情けないだろうか。いいや、絶対そんなことはない。こんなにカッコいい女の子を、いや人間を隼志は他に知らない。

 だから、彼女はそんな松下の癖毛を撫でながら、涙交じりに微笑みかけたのであった。



「うん、やっぱり希子は私のヒーローだよ」



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