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第百四話『周音と漢華』終


 ――――二〇一六、年――四、月八日――五時、二十七分――五十三秒――――、



 その日の空は何故か不気味なくらいに赤かった。

 これだけ赤いと、ただ見上げているだけで目が潰れてしまいそうだなと、思わずそんな突拍子のないことを考えてしまうほどに、とにかく赤くて眩しい空であったのだ。

 いくら夕暮れとはいえ、この季節の空がここまで鮮やかに染まるのは珍しい。だからきっとそれだけ今日という日はおかしな日なのだろう。


 嗚呼、嫌だ。嫌だ。

 このような日に限って、このような色で私を包み込むのは本当にやめて欲しい。


 胸がざわつき、まるで自分が全くの別人に作り変えられていくような錯覚に陥る。

 謂わば狼男と満月のようなものだ。この血と炎を彷彿とさせる美しくも残酷な色彩は、私のこの浮雲じみた心をどうしようもなく惑わせてしまうだろうから。

 それは恐らく悪い方向へ、救いようがないくらいに最悪で最低な未来へと。初めからそうだと分かっているはずなのに、それでも少女はきっと自分から地獄に転げ落ちずにはいられなかったのだ。



 ♢



 その場所は東京の中心部には珍しい、遥か遠くまで見通せそうな土手沿いであった。

 川の上にかけられたコンクリートの橋。その下では髪の赤い一人の少女と、如何にも遊んでそうな三人組の少女達が対峙していた。


 しかし、そのうち世界のスポットライトが当てられているのは、赤髪の少女と三人組のうちの一人である亜麻髪の少女――即ち秦漢華はたのあやか草壁蜂湖くさかべほうこのみである。


 二人は互いに見つめ合いながら、しかしその眼差しが持つ意味は何もかもが違った。


 秦漢華はその赤眼を攻撃的にギラギラと煌めかせ、かたや草壁蜂湖はひどく自虐的な目付きをしている。まるで何かを諦めたような、或いはこの状況を仕方ないことだと受け入れているような、そんな切ない瞳であるのだ。


 そして、ただ睨み合うだけの膠着状態がそう長く続くはずがない。

 やがて紅髪の少女が決定的な一言を投げかける。「アンタたちが姉さんを殺したの」と――――、


 場が凍りつく。

 まるで一秒が一分にも一時間にも引き伸ばされたような、これ以上なく居心地の悪い空気が蔓延する。


「ハハッ」


 しかし、女が返したのは場違いな嘲笑であった。そうして亜麻色の髪の少女、草壁蜂湖は一瞬の逡巡の後、



「あぁ、そうだよ。アタシがお前の姉ちゃんを殺した」

「ッッ――――――――――!!」



 そう、あっさりと口にした。

 口にされたから、受け入れるしかなかった。

 受け入れてしまったからこそ、もう彼女は激情を抑制することが出来なかった。


 世界が、唐突に暗転する。

 辛うじて理性を保っていた精神が、瞬く間にドス黒く塗り潰されていく。


 途端に秦漢華は胸に手を当て、吐き気でもするのか口元も抑え、そのままズルリと力無く崩れ落ちていく。

 地に膝をつき、体を小刻みに震わせ、言葉にもならない不気味な呻き声をあげて、そうして、そうして、そうしてそうしてそうしてそうしてそうしてそうしてそうしてそうして――――――――――、



「――――殺して、やるッ」



 そうして、秦漢華は壊れた。

 きっかけは憎悪であった。

 それでも天から救いの手は差し伸べられた。


 きっとそれは真我とでも言うべき己の本質を理解したからだろう。

 許さない。罰したい。殺してやりたい。

 自分から大切な人を奪ったこの屑共を、苦しめて、痛みつけて、欠片救いもない地獄へと叩き落としたい。そんな自らの過激な一面を自覚したその瞬間、少女の中で『神の炎』が揺らめいたのだ。



 ♢



「――――――――――――――――――ッ!!」


 前兆なんてものは一つもなかった。

 まるで突然、人の身でありながら炉心融解でも引き起こしたかのようですらあった。


 異常、そして超常。

 唐突に秦の全身から眩い赤光が迸る。

 それを直接目で見ては、眼球が焼け焦げ視力を失う。思わずそう思ってしまうほどの、圧倒的な大光量であった。


 赤光の所為か、空気は波打つように震え、足元の地面にもバキバキと悲鳴の如き亀裂が走っていく。

 その果てには、バリバリバリッ!! と周囲の虚空を赤雷すら荒れ狂い始めた。秦の体から数十の雷が無秩序にばら撒かれ、引火し、辺りの緑を片っ端から炭にへと変えていく。


「バケ、モノ……」


 三人のうちの誰かがボソリと言った。

 光を放つだとか、稲妻が迸るだとか、そんな些細な超常を通り越し、少女は遂に人という枠組みすら逸脱する。

 ただでさえ赤い瞳が更に鮮やかに燃えあがる。

 背中からは炎を象った四枚の翼がズオオオオと飛び出し、頭上では溶岩じみた緋色の天輪が煌々と渦を巻き始める。


「なっ、なんなの、あれ……」


 そのあまりにもおぞましい姿に茶髪の女が腰を抜かす。

 彼女達は果たして、その姿が西方で信仰を集める大天使ウリエルに由来するものだと理解することが出来ただろうか。

 いや、出来るはずがない。彼女を天使と見るには、そこに神を見出すには――――あまりに懺悔の天使は姿は禍々しすぎる。



「オイ、バカッ、逃げろッ――――」



 様子がおかしい。

 それ以前にあまりにも危険すぎる。

 普通の人間は魔法だとか超能力だとか、この世界にそんな超常は存在しないのだという前提で生きている。

 だからこそ実際にこのような怪異を目の前にしても、逃げねばという焦燥よりも、何だこれはという困惑の方が先に生じてしまう。

 それでも、背の高い黒髪の女は辛うじて危機を正しく危機と把握することが出来たのだろう。彼女は未だ座り込んでいる茶髪の女の元に、慌てて駆け寄ろうとし、



「え《・》っ《・》」



 神の炎が揺らめき、少女の上半身が消滅した。

 熾天使の瞳がギョロリとこちらを向くのと同時、突如そこらの虚空に無数の大爆発が生じ――――そしてそのうちの一つが、少女のへそから上をまるごと消し飛ばしたのである。


「…………えっ」


 茶髪の少女の目の前に、かつての友人の、その成れの果ての姿がグチャリと倒れこむ。

 瞬く間にそこは真っ赤な血の海になって、人の肉の焦げる最悪な匂いが鼻腔を潜る。そしてその断面から零れ落ちる醜悪な極彩色は、少女の理性を殺すに充分すぎる惨劇であった。


「ひっ……なんで、ヤダ、ヤダヤダヤダよッ!!!!」


 本能に基付く我武者羅な行動であった。

 少女は壊れかけの機械のような滅茶苦茶な挙動で立ち上がると、大いにバランスを崩しながらも無我夢中でその場から逃げ出そうとする――――、


「があああああああああああああああああッ!!」


 しかし、その足元を先程同様の爆発が襲った。

 まるで戦場で地雷でも踏みつけたかのように、両の足首が消し飛ばされる。当然最早立つことは出来ず、少女の体はそのまま惨めに地面へと倒れ臥す。


「痛い、痛い痛いッ……!! 嫌だ、嫌だ死にたくない、死にたくないよおおおおおッ……!!」


 両足を失い、しかしそれでも生への執着だけは捨てきれなかったのだろう。

 少女は激痛に何度も唸り、過呼吸の如き荒い息を吐きながらも、何とか腕だけで這って天使から距離を取ろうとする。


 しかし、天使はすぐに追い付くと、うつ伏せになっている少女の側面を蹴っ飛ばした。そうして体の向きを仰向けにし、そのままその上に馬乗りにる。


「やだ、やめてッ――――――」


 天使は女の顔面を一切の手加減なしに殴りつける。たった一発で鼻が完全にひしゃげ、ドクドクと次から次に血が溢れてくる。


「あぁ……やだ、ごめんなさい、助けてッ蜂湖――――ッ!!」


 すかさずもう一発を叩き込む。

 今度は女の歯が折れてどこかへと飛んでいった。あるいは殴られた衝撃で歯が丸ごと歯茎の中へと食い込んでいく。


「ごめんなさいッ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいッ――ウチが悪かったから……なんでもするから、だからやめて、ヤメテええええええええええええええええええええええええええええッッ!!」


 無視して何度も何度も拳を振り下ろす。

 怒りを込めて、悲しみを込めて、憎悪の赴くままに蹂躙する。

 やがて瞳が潰れ、眼孔が陥没する。遂には骨にヒビが入り、いつしかその顔は人としての原型すら留められなくなっていく。


「あぁ……や――て、やめて……やめ」


 あまりにも殴られすぎて、いつしか少女の顔に皮膚と肉と骨との境目は無くなっていた。殴打の衝撃で、顔の外側にあった部分が内側に捻じ込まれているところも少なくはない。

 でも命乞いは聞こえない。聞こえたとしても、聞き入れるはずがない。淡々と、黙々と、ただただ拳を振り下ろし続ける。まるで肉を鉄で打つような、痛ましい音が何度も周囲を反響する。


「あっ、うっ、んんッ……ング……」


 顔面をぐちゃ混ぜにされて、赤と白とピンクとが入り混じった醜悪物とされて、それでも女はしばらく死にかけの虫のようにビクビクと痙攣していた。されど、徐々に痙攣の頻度は減っていき、いつのまにか其奴は完全に動かなくなっていた。


「はあ……、はあ……」

「――――」


 熾天使の瞳が最後の、それでいて最も憎らしい女の方を向く。その女――草壁蜂湖は友人が嬲られ、撲殺される様をただ黙って見ていた。

 例え友人を助けることは出来なくとも、天使の意識が他に向いてる隙に逃げようとしていてもおかしくはないのに、女はずっとその場に座り込んだままであったのだ。


「なんなんだよ、それ。まさか、テメェもアイツの言うダエーワってヤツになっちまったのか……?」


 鬼気迫る声色で草壁は問いかける。

 しかし、天使は答えない。そもそも今の彼女にまともな意識はない。あるのは憎しみだけだ。激情に支配されて、憎悪に全てを委ねて、ただただ怨みを果たすためだけの復讐機械と化しているのだ。


「痛ッ……!?」


 そんな炎の天使は、草壁の髪を乱暴に掴み取ると、その耳元になにかを囁き始めた。


『なんで……なんで、姉さんを殺したの……』

「ぐッ…………!!」


 まるで無意識から出た譫言のような問いかけであった。しかし、それでも草壁はその言葉に咄嗟に答えることが出来なかった。


「――――……ッ!!」


 それが更に怒りに油を注いだのか、天使は乱暴に草壁蜂湖の顔を地面に叩きつける。

 しかし、それだけで済ますはずがない。彼女は立ち上がり、草壁の後頭部を足蹴にする。踏み付けて、踏み付けて、何度も何度もその足を振り下ろす。まるでバグったロボットが決まったプログラムだけを延々繰り返すように何度も、何度も、何度も、何度も――――、


 しかし、そこで天使は一度暴力の手を止める。

 草壁蜂湖が横に転がって、杭を打ち込むが如き踏み付けを躱したからだ。女は顔を血で真っ赤にし、口に入った土を吐きながらも何とか起き上がろうとする。



「――――――はぁ、はぁ、分かン、ねえよッ、そんなモンッ……!!」



 しかし、草壁蜂湖が何とか絞り出したのはそんな無責任な言葉だった。ただでさえ憎悪に取り憑かれていた、復讐者の瞳からフッと光が消える。

 直後、赤髪の天使は草壁に飛びかかる。彼女がその首を締め付けにかかるのを、亜麻色の女はなんとかギリギリのところで食い止めようとする。


「があぁアアッッ……!!」


『なんで、なんで殺したの、なんで私から奪ったの……教えなさい、いいから早く、私にッ』


「――――うるせえええええええッ!! 知るかそんなもん、分からねえモンは分からねえんだから仕方がねえだろガアアアアアアアアアッッ!!!!!!!」


 それまで従順であった草壁が唐突に激昂する。

 草壁蜂湖もまた、秦同様に壊れたのだ。まるで物分かりの悪い幼子のように、亜麻色の女は無闇矢鱈に吠え立て始める。


「畜生、畜生畜生畜生畜生ッ!! ふざけんじゃねえよッ、何なんだよこのクソみてえな人生はよッ!! あたしが何したってんだッ……あたしは普通に生きていけりゃそれで良かったのに、生まれてこの方良いことなんて一つもねえッ!! 本当に一つもねえよッ……滅茶苦茶だ、アイツのせいであたしの人生全部ダメになった。畜生ッ、何でだ、何で、よりによってあんなヤツが、あたしのッ……!!」


 はじめは荒々しく怒鳴り散らしていた草壁であるが、次第にその声は小さくなり、泣き出しそうにすらなる。

 それに従って彼女の抗う力もみるみるうちに弱まっていく。そもそも天使の腕力にただの人間が叶うはずもなく、秦の両手は完全に草壁の首根っこを捉えた。


「ァ、アア……ガハアッ……!!」


 仮に喉を塞がれていなければ、草壁はそのとき悲鳴を上げていたかもしれない。

 秦の手を通じて、自らの首に何か黒い紋様のようなものが這い寄ってきたのだ。まるで秦漢華という少女の憎悪が形をもって自らを犯すが如く、あっという間に加害者の全身は黒く塗り潰されていく。


 神の炎、四大天使の一角であるウリエルに由来せし権能『殲戮せんりく』。その力は手で触れたありとあらゆるものの属性を爆発物へと変換する。


「ギッ、グ、ァァ、秦ッ、秦秦秦ォォッ……!!」


 最期に草壁が見せたのは苦悶の表情であるはずであった。

 なのにその頬を伝った涙から、恐怖と苦しみ以外のものを見て取ってしまったのは何故だろうか。



「っん」



 最期はあまりにも呆気ないものであった。草壁蜂湖は、体の内側から全身が弾け飛んで死んだ。

 醜い肉片と、穢れた鮮血が雨のように降り注ぐ。その中で秦漢華は独り天を仰いでいた。少女の目尻を、降り注ぐ血液が涙のように伝う。


 果たして彼女のしたことは悪だったのか。

 それとも悪を裁くための善であったのか。


 だけど、きっと他人からの評価なんて関係ない。秦漢華は自らの行いを悪だと信じて悔いるに決まっているから。彼女は憎しみを抑えられるほど善人ではないのに、それで自分は悪くないと開き直れるほど悪人でもないから、だからこそ最悪なのだ。


 その日、それまでの秦漢華は人殺しの罪に溺れて死んだ。自分は正義の味方に救われるべきではない、被害者ヅラして他者に縋ることすら許されない――――そんな文字通り救いようのない存在へと成り果てたのだ。




 ♢




 二〇一六、年――六、月十二日――十九時、五十六分――二十六秒――――――、


 リプレイが終わる。

 意識が現在の時間軸へと回帰する。


 一瞬の明転の後、樋田ひだの目の前には闇が広がっていた。

 そうだ、夜だ。周囲に炎が広がっているわけではないし、そこらに少女の死体が転がっているわけでもない。

 場所はあの橋の下のまま変わっていないが、確かに自分はあの四月八日から六月二十日へと戻ってきたのだ。


 その事にほんの一瞬だけ安堵する。そう、それは本当にほんの一瞬だけであった。


「……――――畜生がアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 無力、絶望、そして憐憫。

 あまりにも多くの感情が同時に込み上げてきて、しかしそれを言語化して処理することすら出来なかった。

 樋田は傍に転がっている橋の瓦礫を殴りつける。続けてガツンと頭を叩きつけると、額から顎までをつぅと赤い血の跡が伝った。


「これじゃあ助けてなんて、言えるわけねえじゃねえかッ……!!」


 やはり樋田の悪い予想は的中した。

 姉である秦周音はたのあやかを殺した草壁蜂湖を、秦漢華はその手で殺めてしまったのだ。


 そして秦邸を襲ったであろう全殺王ぜんさつおうの依り代、草壁蟻間くさかべありまは草壁蜂湖の実の兄だ。なら、その目的は復讐だろうか。全殺王自体に草壁蟻間の事情は関係ないだろうが、もしかしたら自分の体を貸す代わりに妹の仇を討つように頼みでもしたのかもしれない。


 だが、そんなことよりも今は秦だ。

 状況は最悪だ。秦漢華が生きているかどうかだって未だ分かってはいないのに、仮に彼女を救えたとして、その後どうやってアイツを説得すればいいのだ。

 いくら姉の仇とはいえ、きっと秦は人殺しを悔い、そんな自分を許せないでいるのだろう。アイツはきっとそういう人間だ。付き合いは短いけれども、樋田は確かな自信をもってそう言える。


 だから秦漢華は誰にも助けを求めない。

 全部自分一人で抱え込んで、まるで自らの傷付くことこそが贖罪であるとでも言わんばかりに。そうしてこんなクズの命で誰かが助かるならばと、積極的にその命を捨てようとするのだ。


 それが秦の選んだ答えならば、彼女の気持ちを汲み取ってやるべきか?

 いや、容認できるはずがない。


 自己犠牲は美談か、或いは自業自得か?

 ふざけるな。アイツにそんなことをほざくヤツがいれば、どこの誰だろうとぶっ殺してやる。


 認められるはずがない。受け入れられるはずがない。秦漢華の罪を知って尚、それでも樋田可成は彼女を罰されるべき悪人として切り捨てることが出来なかった。

 何故だろうか、どうして自分はここまで彼女の肩を持つのだろうか。この感情がどのような定義を持つのかは分からない。それでも、アイツが自身の不幸を当然の報いとして受け入れて死ぬような、そんな結末だけは絶対に許容するなと魂が吠えるのだ。


「……ずっと、気付いてやれなくてごめんな」


 後悔に押し潰されそうになる。自分という人間の愚か具合にほとほと愛想が尽きる。

 初めて会ったときから幾らでも機会はあったのだ。もっと早く、少なくともこんな最悪な事態になる前に、何か手は打てたはずなのだ。


 だが、後悔しても今現在は何も変わらない。

 だからこそ、責任を持って未来を変えるのだ。


 アイツがどれだけ自分を責めようが、どれほど自身の無価値を主張しようが、必ず元の日の当たる場所へと連れ戻してやる。そうしてアイツを人殺しの呪縛から解放して、心の底から笑って日々を過ごせるような未来にしてみせる。


 それが目標だ。

 否、絶対に達成せねばならない使命だ。

 方法なんて分からない。具体的な手段なんてそう簡単に見つけられるはずがない。


 だが、見捨てない。絶対に見捨てはしない。

 例え世界の全てがアイツを悪だと糾弾しようが、樋田可成だけは必ず秦漢華の味方であり続ける。

 傲慢だと思うならばそう言え、それでも樋田はそれこそが自分のするべきことだと思うのだから。


「テメェ独りで膝を抱えたまま、何もかも諦めて死んでいくなんざ馬鹿げてやがる。教えてやるよ。正義の味方は善人しか助けられねえが、クソヤロウにはクソ女だって救えるってことをなあッ……!!」


 初めからことの善悪などに興味はない。

 ただ単に樋田自身が気に入るか入らないか、基準はただそれだけなのだ。


 そうしてやらねばならないことが分かると、いつのまにか心は落ち着きを取り戻していた。

 額の血を拭い、少年はポケットから携帯を取り出そうとする。掛ける相手は晴だ。なにはともあれ、アイツに秦の居場所を特定してもらわねば事は始まらない。

 いや、そんな贅沢は言わない。大体の範囲にまで絞り込んでくれれば、後は足と洞察力でどうにかすることも出来る。今すぐ駆け出したくなるのを堪えながら、慎重に連絡帳を開く。

 

 状況は最悪なれど、僅かに光明は見えてきた。

 まさにその瞬間であった。



 ドゴォオオオオオオオオオォオオオオオオオオオッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!! と、近くに雷でも落ちたような爆音が突然耳を劈く。

 いや、違う。別に近くはない。あまりにも音が大きすぎて、だから近くのように感じただけだ。

 音がしたのは北北東。今樋田のいる港区においた、そちらを向いた先にあるのは最近何かと物騒な中央区である。


「――――んだ、今のッ……!!!!」


 東京という街はとかく巨大だ。

 世界最大の大都市圏という横の広がりはもちろんのこと、森のように高層ビルが連なっているのだから縦の広がりもかなりのものがある。

 だからこの街は遠くを見渡すに適した環境にはない。例え同じ都内に爆弾が落とされようと、宇宙人による侵略が始まろうと、その様を肉眼で捉えるのは困難であろう。



「…………………………なんだよ、あれ」



 しかし、遠隔地にいる樋田にもその異変は、いや人類に対する明らかな挑戦とでもいうべき驚異は、確かに彼の視界の中に収まっていた。


 何故か、答えは単純である。

 大都会東京の有する縦の広がりよりも、その驚異の方が更に一回り巨大であるからだ。

 例えるならば全体的に低い街の中で唯一巨大な仙台観音を眺めるような違和感、或いはそれすらも超えた異世界感。少年の視線の先に位置する中央区には、同区最大の聖路加せいるかガーデンすらも上から見下ろす超巨大な何かがいた。


「巨大な、肉の塊……?」


 大気が震える。

 大地が鳴動する。

 空があっという間に、北から逃げようとする鳥の群れによって埋め尽くされる。


 西暦二千十六年六月十二日夜。

 いつのまにか、世界の終わる足音はすぐそこにまで近付いてきていた。





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